「79 点で落とされるとは思わなかったな」
いつも通りの冷静な声に、それでもわずかな悔しさをにじませながら、セリオスが対戦フィールドから引き揚げて来た。
「お疲れ。まあ 16 人で6人落ちだから、仕方ないんじゃない」 迎えたルキアは既に1回戦で敗退し、観戦ゾーンで試合を見ていた。
「そうだな。4回戦やってくれればいいんだが、時間を考えるとそうもいかないし」
「全く話にならない試合をしてしまったわ」
続いてシャロンも戻って来た。珍しく少し肩を落としていたが、ふたりの前に来ると背筋を伸ばし直す。「恥ずかしい限りね。レオンには頑張ってもらわないと」
「うん。不本意だが、もう奴しか残ってないからな」
「次も6人落ち?」 ルキアは訊く。
「決勝は4人でやるから当然そうなるね。……24 人で3回戦だと、いくらフライデーナイトトーナメントでも流石に辛い。甘く見ていた心算はないんだがなあ」
珍しくセリオスの口数が多くなっている。表情には出ていないが、この予選落ちは結構こたえたのだろう。確かにルキアが見ていても決して簡単な問題ではなかったし、セリオスもすとんすとんと取っていたように見えたのだが。
96 点をたたき出し、クラスメイトでは唯一対戦フィールドに残ったレオンは、しかし気負った様子は全く感じさせない。手首を軽く回してみたり首筋を伸ばしたりしているが、それも純粋にすることがなくて閑だからしているに過ぎないように見える。これはレオンの明らかな強みのひとつだ――というより、唯一の強みと言ってもいいと思う。
ルキアはフィールドに居る他の9人の参加者を見渡してみた。程度の差はあるが、やはりそれなりに緊張しているようだ。3回戦は雑学。レオンの得意な分野とは言えないが、苦手というわけでもなかった筈。チャンスはありそう。
「それにしても、わたしたち3人の期待を背負っているんだから、もう少しその重みを意識してもいいでしょうに」
シャロンが何故か少し不機嫌な声でそんなことを言う。
ルキアは思わずくすっと笑ってしまった。言わんとすることはわかるけど、シャロン以外にはできない表現だな。
「1分前です」
そっけないアナウンスが響き渡った。参加者がそれぞれ自分のポッドに移動し始める。観戦ゾーンがすうっと静かになっていく。
3回戦は比較的スピード勝負になった。簡単な問題が続き、序盤は全員全問正解が続く。それでも途中からひとりふたりと落ちて行き、6人になったところまではレオンも先頭集団に入っていたが、そこからもうひとりと同時に1問落とした。全問正解は4人になり、1問落としがルキアの見たところでは3人、あとの3人は2問以上落としていてもう望みはない。そんな状況で、最後の問題を迎えた。
○×か。
回答パネルが表示されて、ルキアは口には出さずに呟いた。対戦フィールドは内から外に音は通すが、外から内には届かない。それでも対戦中は静かに見守るのがマナーだ。隣に立つシャロンとセリオスも、食い入るようにフィールドを見ている。
少なくとも3人の視線を集めている当のレオンは、相変わらずおかしなほどくつろいで見える。1問落ちで迎えた最後の問題で、ここでまくらなければ決勝はない、となれば少しは硬くなってもよさそうなものだが、身体に余計な力が全く入っていない。
問題が放送され、それと同時に流れるように問題パネルの上に表示され始める。「2004 年のベストセラーとなった『世界の中心で、愛を叫ぶ』の――」
「だあっ!」
レオンの叫び声が響き渡った。回答パネルの「×」が光り始める。
「あっちゃー……」
思わず口に出してしまい、慌ててルキアは自分の手で口を塞いだ。
シャロンも額に手を当てている。セリオスだけが、眉ひとつ動かさずフィールドを見ている。他の対戦者の回答パネルはひとつも点いていない。
「――元のタイトルは」 問題は続く。ここで一拍溜めてから、「『ソクラテスの恋』である」
やっちゃったね。あたしだって思いとどまるのに。
結構有名な分岐のある問題で、あのタイミングで飛び込むのはそれこそレオンぐらいのものだ。二分の一に賭けた最速勝負。そういうのは嫌いじゃないけど、もう少し慎重になってもいいのに。
次々に回答パネルが光り、全員が回答を終えるとすぐに正解が発表される。正解は8人。レオンともうひとりだけが不正解だった。がっくり肩を落とすレオンの姿がフィールド越しに見えた。これで3回戦が終了し、決勝までわずかの休憩時間に入る。ギャラリーが動き、しゃべりだし、会場はたちまちざわめきに包まれた。
「まったくあの馬鹿は、学習能力ってもんがないのかしらね」 シャロンが髪をかき上げながら言う。声にはわずかに苛立ちの響きがある。
ルキアも同感だった。同感だけど、ちょっとひっかかる。なんだろう――。
「いや、今のは必ずしも間違ってない」
セリオスがフィールドの方を見つめたまま言った。「レオンは今の問題の前の時点で6位だった。全問正解が4人居て、しかも結構得点が高い。通過するためには、ここでレオンは高い点を取って、なおかつ4人のうち誰かがミスすることが絶対必要だったんだ」
「結局自力では無理ってことでしょ」 シャロンが冷ややかに応じる。
「それはそう。それに有名な問題だから、あんまり間違えることも期待できない。でも、上位4人だって絶対知ってるとは限らない。ひとり飛び込めば、焦ってミスをするかも知れない。あれでいて、勝てる可能性が一番高い行動を取ってるんだよ、レオンは」
ルキアは先ほど感じたひっかかりがなんなのかわかった気がした。あのダイヴを「あっちゃー」と思ったのも確かだが、同時にそれでいい、とも直観的に感じたのだ。
「ふん、どーせ考えてやってるわけじゃないわよ」
「たぶんそうだろうね」
セリオスもあっさり認めた。「でも、レオンにはそれがわかるんだ。あの 3.33 秒の間に、どうすればいいのかが考えなくてもわかるんだよ。そしてその通りに行動できて、さらにその行動はだいたい正しいんだ。おそろしいセンスだと思うよ。うちのクラスでも、才能ならひょっとするとあいつが一番かも知れない」
「へえ、そこまでレオンを買ってるんだね」 ルキアは思わず口を挟んでいた。
「買ってない。あいつは莫迦だ。今のだって、僕だったら○に飛び込む」
「えっ?」
ルキアとシャロンの声は綺麗に揃った。
「今の問題のもう一方の分岐憶えてるかい、ルキア」
「え、×になる方でしょ。『エピクロスの恋』じゃなかったっけ」
「その通り。さて、仮に上位4人の中にこのどっちの分岐も見たことがない人が居たとしよう。その時に出た問題が『エピクロス』の方だとしたら、その人はその問題を落としてくれるか?」
ルキアはセリオスの言わんとするところがわからなかったが、シャロンには通じたようだった。
「………エピキュリアン、か」
「そう」
セリオスが心なしか満足そうに肯く。「僕はその小説を読んだことがないけど、少なくとも快楽主義者の代名詞になる人がタイトルになっているとは思えない。未見の人が間違える可能性は、多分『ソクラテス』の方がいくらか高い」
「………そっかー。」
ルキアは心底感心してしまった。クイズって、奥が深い。定型の問題がいくつもあることを、単に不思議だとしか思っていなかったが、こういうことも考えられるのか。単に知識を縦横に身につけて行くだけじゃ、やっぱり駄目なんだな。これまで考えたこともなかったけど、セリオスはいつもこんなことを考えながらクイズをやってるんだろうか。だとすれば、あたしは――
気がつくとルキアは、数秒間セリオスの顔をじっと見つめてしまっていた。セリオスは居心地悪そうに視線をそらした。
「どっちにしても、3.33 秒で考えられるようなことじゃないよ、それは」
セリオスは何かを確かめるような調子でそう言うと、大げさに首を横に振った。
「……ところで、我らがヒーローはまだお戻りにならないのかな。ダイブ失敗がみっともなくて戻って来れないか」