諸国68州一ノ宮参詣
奈良・平安時代に諸国の国司として赴任すると最初に行ったのが当地の一の宮への参拝だったようです。又子供の頃覚えた数え歌「一番はじめは一の宮、二は日光東照宮、三は讃岐の金比羅さん、四は信濃の善光寺、五つ出雲の大社(おおやしろ)、六つ村々鎮守様、七つ成田の不動さん、八つ八幡の八幡宮(石清水八幡宮)、九つ高野の弘法さん、十は東京招魂社(靖国神社)」を懐かしく思い、非常に由緒ある一の宮に参詣したいと思った。各神社の由緒等はInternet Wikipedia・各神社のパンフレット等を引用した。68州ー「五畿(山城・摂津・和泉・大和・河内)七道・東山道(陸奥・出羽・下野・上野・武蔵・甲斐・信濃・飛騨・美濃・近江)・北陸道(佐渡・越後・越中・能登・加賀・越前・若狭)・東海道(常陸・下総・上総・安房・相模・伊豆・駿河・遠江・三河・尾張・志摩・伊勢・伊賀)・山陰道(丹後・丹波・但馬・因幡・伯耆・出雲・石見・隠岐)・山陽道(播磨・美作・備前・備中・備後・安芸・周防・長門)・南海道(紀伊・淡路・讃岐・阿波・土佐・伊予)・西海道(筑前・筑後・豊前・豊後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩・壱岐・対馬)」
今後の予定65度津神社(佐渡国一宮、佐渡市)66水若酢神社(隠岐国、隠岐郡)67海神神社(対馬国一宮、対馬市)68天手長男神社(壱岐国一宮、壱岐市)
64伊和神社(播磨国一宮、宍栗市)
日時:2023年9月6日岡山墓参の帰路単独で参詣
感想:前日姫路に宿泊し当日姫路駅前より神姫バスにて揖保川を遡り山崎へ、更に本数の少ないバスに乗換え「一の宮伊和神社前」バス停下車にて1時間以上バスに乗り播磨国一宮に参拝。旧社格は国幣中社。祭神は大己貴神で創建は564年頃。幾度か火災にあい焼失する度に朝廷・守護赤松氏・藩主等の庇護により再建されたようです。総氏神として農工商等各産業、縁結び、交通安全等の神として信仰を集めているようです。杉並木の参道・夫婦杉・境内裏の鶴石がパワースポットのようです。
62玉祖神社(周防国一宮、防府市)63物部神社(石見国一宮、大田市)
日時:2023年4月11ー12日周防・石見国一宮単独参詣
感想:11日新幹線新山口駅より山陽本線にて防府駅下車後タクシー(帰路徒歩50分)にて周防国一宮玉祖神社(たまのおやじんじゃ)に参拝。旧社格は国幣中社で玉祖神社の総本社である。祭神は玉祖命で天照大御神の岩戸隠れの際に勾玉を作った神と云われ玉造連の祖神で三種の神器の一つ八尺瓊勾玉を造った神を祀るために創建されたといわれているようです。また12代景行天皇が熊襲征伐に行く途中、戦勝祈願したとも言われ中世以降も歴代領主から崇敬されたようです。宝石・眼鏡・時計関係者等より信仰を集めているようです。当日島根の浜田駅前に宿泊して、12日JR大田市駅前よりバスにて物部神社前下車、石見国一宮に参拝した。旧社格は国幣小社で祭神は宇摩志麻遅命。社伝によれば祭神は神武天皇の大和平定を助けた後、物部一族を率いて天香具山命と共に尾張・美濃・越国を平定され、天香具山命は越後弥彦神社に鎮座され、御祭神は播磨・丹波を経て石見国で没したと言われ26代継体天皇514年頃天皇の命により八百山の南麓に社殿が創建されたようです。その後石見銀山争奪の兵火などで三度焼失。1856年宝暦時の改修で現在に至る。春日造では全国一の規模である。石見国一宮として歴代領主に崇敬されたようです。
61住吉神社(長門国一宮、下関市)
日時:2023年3月15日福岡城跡見学の帰路単独参拝
感想:JR新下関駅からタクシーにて参拝した。日本書紀の三韓征伐の際、新羅に向かう神功皇后に住吉三神が神託してその渡海を守護し、帰途大神が「我が荒魂を長門の山田邑に祀れ」と神託があり、当地に創建の云われあり。旧社格は官幣中社で祭神は住吉三神・応神天皇・神功皇后・武内宿禰命・建御名方命。大阪の住吉・博多の住吉と共に「日本三大住吉」と言われ大阪住吉の和魂に対し当社荒魂を祀る。本殿は千鳥破風付き九間社流造で国宝に指定されている。軍事や海上交通の神として崇敬され源頼朝等から寄進を受け一時戦国時代に衰微したが大内氏・毛利氏から崇敬を受け復興し江戸時代には長州藩毛利氏により社殿の修復が行われたようです。
60水無神社(飛騨国一宮、高山市)
日時:2022年10月26日単独の旅
感想:26日新幹線名古屋駅で乗換えJR高山駅に着きバスにて飛騨一宮参拝。高山駅南方の位山(くらいやま1529M)を神体山とし飛騨国の鎮守として崇敬され現在も篤い信仰を受けている。創建は不詳であるが平安初期には神階の記事があり祭神は御歳大神と十四柱の相殿神。旧社格は国幣小社。1173年安永騒動(大原騒動)では水無神社が農民の決起集会の場となった。境内には由緒ある絵馬堂・樹齢800年の神杉・明治初年に島崎藤村の父で「夜明け前」の主人公青山半蔵のモデルとなり、この神社の宮司を務めた島崎正樹の歌碑等があった。日本海と太平洋への分水嶺、交通の要衝等として商売繁盛・家内安全等飛騨の内外から多くの参拝者が訪れているようです。
56與止日女神社(肥前国一宮、佐賀市)57高良大社(筑後国一宮、久留米市)58阿蘇神社(肥後国一宮、阿蘇市)59柞原八幡宮(豊後国一宮、大分市)
日時:2022年9月12日-15日北九州の城・一宮巡り山の友人Yさんと前半同行
感想:14日早朝佐賀城跡を見学後、佐賀駅前よりタクシーにて肥前国一宮與止日女神社に参拝。創建は欽明天皇時の564年。祭神は與止日女命(よどひめのみこと)で神功皇后の妹とも云われている。本殿は五間社流造。なお当地の千栗八幡宮も肥前国一宮と云われている。與止日女神を祀る神社は佐賀県を中心に北九州に多数あるようで、境内は嘉瀬川の側にあり西門・三の鳥居は重要文化財で拝殿前には左右3対の狛犬が配置され樹齢1500年の大楠・夫婦杉等があった。当日午後JR久留米大学前からタクシーにて筑後国一宮高良大社に参拝。旧社格は国幣大社で創建は400年第17代履中天皇元年。祭神は高良玉垂命・八幡大神・住吉大神、本殿は権現造。久留米市の東方高良山に鎮座し古代より筑後は元より肥前にも篤き信仰圏となっている。厄除け開運・長寿・交通安全・芸能の神としての信仰もあるようです。社殿は久留米藩第3代有馬頼利の寄進で重要文化財となっており神社建築では九州最大級の大きさのようです。タクシーで参拝したが高良山は標高312Mあり展望台から久留米市等絶景でパワースポットと言われているようです。帰路は当日35度と言われる暑い中を大変な参道・階段等徒歩45分で駅に着いた。15日早朝熊本駅より豊肥線に乗り宮地駅より徒歩15分にて肥後国一宮阿蘇神社に参拝。旧社格は官幣大社で創建は第7代孝霊天皇9年(紀元前282年)。祭神は健磐龍命等12柱の神を祀り阿蘇十二明神と総称される。阿蘇山の北麓に鎮座し全国約450社の「阿蘇神社」の総本社である。古代から有力氏族である阿蘇氏が大宮司を務め現在も末裔が大宮司を務めている。広大な社領を有していたが秀吉の九州平定により社領を没収された。その後改めて寄進され更に領主となった加藤清正・細川氏によって社領寄進・社殿の造修が行われた。その後2016年4月16日の熊本地震により楼門・拝殿等が全壊し、現在も復旧工事が続いている。楼門は日本三大楼門と云われ神社としては珍しく仏閣様式の二層楼山門式である。境内には願掛け石・縁結び松等あり近年はパワースポトとして人気があるようです。その後宮地駅前より高速バスにて阿蘇外輪山を見ながら大分駅に到着。JR西大分駅よりタクシー往復にて豊後国一宮柞原八幡宮(ユスハラ)に参拝。旧社格は国幣小社で創建は827年。主祭神は仲哀天皇・応神天皇・神功皇后、本殿は八幡造。当社は宇佐八幡宮からの分祀で宇佐八幡の別宮として崇敬を受け同様に33年ごとに社殿の造営が行われている。中世以降は大友氏ほか歴代領主の崇敬を受けた。境内には樹齢3千年以上といわれる天然記念物の大楠があった。また当地では西寒多神社も豊後国の一宮と云われている。
54倭文神社(シトリ伯耆国一宮、東伯郡)55宇倍神社(因幡国一宮、鳥取市)
日時:2022年4月13-14日米子城・鳥取城見学時に参拝
感想:14日早朝山陰本線松崎駅よりタクシーにて伯耆国一宮倭文神社に参拝。機織を生業とする倭文の民が居住し、祭神は建葉槌命・下照姫命・事代主命等で全国に倭文神社はあるようです。織物は姿を消したが、安産の神として県外にも知られており参道・境内にも安産岩があった。その後鳥取駅よりタクシーにて因幡国一宮宇部神社に参拝。旧社格は国幣中社で祭神は景行天皇から5代の天皇に仕え360余年の長寿であった武内宿禰命。当地は遺跡が多く古くから因幡の国の政治・文化の中心であったが、天正9年秀吉の鳥取城攻めで社殿全てが灰燼となり、江戸初期1633年鳥取藩主池田光仲により復興され、歴代藩主の崇敬を受けた。社殿の三間流造は明治32年発行の五圓紙幣の図案となり長寿・金運・財運の神ともされているようです。又日本のふるさと云われ「立ち別れ いなばの山の峰に生ふる松とし聞かば今帰り来む」がパンフレットに紹介されている。
52宇佐神宮(豊前国一宮、宇佐市)・53住吉神社(筑前国一宮、福岡市)
日時:2019年5月26〜28日妻と大分・福岡旅行時に参拝
感想:27日早朝JR宇佐駅よりバスにて宇佐八幡下車後、豊前国一宮宇佐神宮に参拝。旧社格は官幣大社で宇佐八幡宮とも言われ全国八幡社の総本宮で日本三大八幡宮の一社。祭神は八幡大神(応神天皇)・比売大神(宗像三女神)・神功皇后。なお参拝作法は二拝四拍一拝。宇佐八幡宮神託事件(弓削道鏡事件)でも知られる。創建は古く諸説あるようで712年には官幣社になり、その後石清水八幡宮・鎌倉八幡宮等の分社が次々と祀られた。宇佐神宮は源平・戦国時代(大内・大友)に焼失・再建等あったが江戸時代に幕府から神領も寄進され安定したようです。境内は非常に広く摂社・末社多数あり10年毎の勅使祭も続いているようです。当日は平日であったが中国・韓国等の観光客が多かった。28日大宰府天満宮参拝後、JR博多駅徒歩10分の筑前国一宮住吉神社に参拝。旧社格は官幣小社で祭神は住吉三神と言われる底筒男命・中筒男命・表筒男命と天照皇大神・神宮皇后の住吉五所大神。また大阪・下関の住吉神社とともに三大住吉と言われている。創建は非常に古く大和王権より航海の神として崇敬されたようです。
50田村神社(讃岐国一宮、高松市)・51出石神社(但馬国一宮、豊岡市)
日時:2019年4月19日〜22日四国88ケ寺巡礼時に参拝
感想:19日JR高松駅より近くの琴平線に乗換え一宮駅下車徒歩10分にて讃岐国一宮田村神社に参拝。旧社格は国幣中社で祭神は猿田彦大神・吉備津彦命等で「田村大神」と言われている。創建は709年行基によって社殿が設営された。天正年間に兵火により焼失したが、その後仙石秀久・高松藩主の松平家からも寄進された。奥殿・本殿は1710年の造営、拝殿は明治10年の再建。境内には桃太郎伝説の犬・猿・雉等の石像があった。当地では生活用水・灌漑用水の神として定水大明神と称されている。22日四国88の帰路姫路より播但・山陰本線に乗り豊岡駅下車。バスにて出石城跡見学後徒歩にて但馬国一宮出石神社に参拝。旧社格は国幣中社で主祭神は出石八前大神・天日槍命、創建は不詳ながら記紀にも出石の記述があり弥生時代の遺跡もあり、この地域で古くから崇拝されたようです。戦国時代末期には羽柴秀吉が但馬を平定し、それまで神社を崇敬した山名氏が但馬を去り社勢は衰微した。江戸時代には出石藩主小出氏・仙石氏に崇敬され寄進造営があった。現在の社殿は大正3年に再建され本殿は三間社流造で屋根は銅版葺で老樹が生い茂っていた。
49中山神社(美作国一宮、津山市)
日時:2018年9月9日岡山墓参時帰路参拝
感想:9日早朝岡山よりJR津山線にて津山駅下車雨天のためタクシーにて美作国一宮中山神社に参拝。旧社格は国幣中社で主祭神は鏡作神。創建は慶雲4年(707年)で備前の国から分立した時に吉備中山から勧請を受け創建されたとみられている。1533年尼子晴久の美作攻時に焼失したが平定後1559年に晴久によって再建された。本殿は檜皮葺入母屋造妻入りの中山造といわれ国の重要文化財。境内のケヤキの祝木、正面入口の中山鳥居も見事であった。その後津山城見学後、因美線にて鳥取へ行く予定であったが大雨のため不通となり岡山に帰り新幹線にて一路東京へ。
47鹿児島神宮(大隈国一宮、霧島市)・48都農神社(日向国一宮、宮崎県都農町)
日時:2018年7月16〜19日妻と鹿児島・宮崎旅行時に参拝
感想:17日日豊本線隼人駅下車タクシーにて大隈国一宮鹿児島神宮を参拝。旧社格は官幣大社で主祭神は天津日高彦穂々出見尊(山幸彦)・豊玉比売命(后神)。創建は不詳ながら社伝によると「神武天皇の時に天津日高彦穂穂出見尊の宮殿であった高千穂宮を神社としたもの」と云われているようです。平安時代に宇佐八幡から八幡神が合祀され、それ以降大隈八幡宮とも云われている。戦国・江戸時代には地元の島津氏の尊崇を受けた。18日日豊本線都農駅下車タクシーにて日向国一宮都農神社に参拝。旧社格は国幣小社で祭神は大己貴命(大国主命)。創建は神武天皇即位の6年前、天皇が東征に向かう際に国土平安・海上平穏・武運長久を祈念したと伝えられる。都農町一帯には縄文時代以来の遺跡が分布するほか多数の古墳もあり、早くから人が居住していたことが知られ、その守護神となったものと云われる。1578年大友・島津両軍の争乱に際し焼失したが、その後1692年高鍋藩主により再興され歴代高鍋藩主により崇敬された。本殿・拝殿等は平成19年旧本殿の造詣を踏襲して再建された。
45若狭彦神社・若狭姫神社(若狭国一宮、小浜市)・46伊雑宮(志摩国一宮、志摩市)
日時:2018年5月16・18日大阪出張時往路・帰路に参拝
感想:16日米原・敦賀経由JR小浜線東小浜駅より徒歩30分にて若狭彦神社に参拝。旧社格は国幣中社で上社「若狭彦神社」と下社「若狭姫神社」からなる。神紋は「宝珠に波」で、これは山幸彦が龍宮で手に入れた潮を自在に操る珠に因む。祭神は上社が「彦火火出見尊」、下社は「豊玉姫命」。創建は和銅7年(714年)。本殿の様式は三間社流造、主な祭事に奈良東大寺二月堂との縁があり「お水送り」がある。小浜市の中心部から南東の多田ケ岳山麓にあり静かな雰囲気の神社であった。駅からバス便・タクシー無き為、歩いたが帰路確認すると駅にレンタルサイクルがあった。18日前日松阪駅前に宿泊して翌日近鉄志摩線無人駅の上之郷駅下車徒歩5分にて伊雑宮(いざわのみや)に参拝。皇大神宮(伊勢神宮内宮)の別宮の一社で伊勢神宮別宮14社のうち伊勢国以外のものはこの一社のみ。なお志摩国では鳥羽市の伊射波神社も一宮と言われている。祭神は天照坐皇大御神御魂。創建は不詳。伊勢神宮に奉納する伊雑宮御田植祭は国の重要無形文化財となっており、香取神宮・住吉大社と合わせて日本三大御田植祭と云われるそうです。また浦島太郎・海女の龍宮伝説もあるようです。源平時代には伊勢と熊野に挟まれ戦乱があったようです。静かな田舎の神社であった。
43大山祗神社(伊予国一宮、今治市)・44伊弉諾神宮(淡路国一宮、淡路市)日時:2018年4月18日・21日四国88ケ寺巡礼時に参拝
感想:18日JR福山駅前よりしまなみライナーに乗り大三島BSにて路線バスに乗換え「大山祇神社前」にて下車伊予の国一宮大山祇神社に参拝。旧社格は国幣大社で主祭神は大山祇神(三島大明神とも称される)で、全国の大山祇神社の総本社である。創建は推古天皇2年の594年の伝えあり。瀬戸内海に浮かぶ大三島西岸にあり、山の神・海の神・戦の神として歴代の朝廷や源氏・平氏等の武将の尊崇を集め、国宝・重要文化財の指定を受けた甲冑等多数がこの神社に集まっている。境内には伝承樹齢2600年や伊藤博文公記念植樹等国の天然記念物「大山祇神社のクスノキ群」があった。21日徳島城を見学後高速バスに乗り洲本BSより路線バスを2度乗換え淡路国一宮伊弉諾神宮に参拝。伊弉諾神宮は旧社格は官幣大社で、祭神は伊弉諾尊・伊弉冉尊の2神で日本神話の国産み・神産みとして語られている。創建は伊弉諾尊が国産み・神産みを終え最初に生んだ淡路島多賀の地の幽宮に鎮まったのが当社の起源とされる。本殿は三間社流造で拝殿と屋根で連結されている。境内には樹齢800〜900年の天然記念物「夫婦の大楠」や香木伝来の石碑等がある。当日は春の例祭の前日で数台の神輿や多くの屋台等が出ており大勢の参拝・見学者で境内が賑わっていた。
41敢国神社(伊賀国一宮、伊賀市)・42椿大神社(伊勢国一宮、鈴鹿市)
日時:2017年11月21日大阪出張時帰路参詣、単独
感想:関西本線JR佐那具駅より往復徒歩30/30分にて敢国神社に参拝。旧社格は国幣中社で主祭神は大彦命で四道将軍の一人として北陸道に派遣されたと言われる。創建は658年といわれ主祭神の子孫が伊賀国阿拝郡一帯に居住したといわれる。戦国時代に織田信長の侵攻により焼失し荒廃したが江戸時代に入り藤堂高虎が伊賀の国に入り伊賀上野城の鬼門として崇敬され本堂も再興された。境内には芭蕉の句碑・桃太郎岩があり獅子舞は無形文化財と言われる。午後関西本線JR加佐登駅より往復コミュニティーバス40/40分にて椿大神社に参拝。旧社格は県社であるが三重県では伊勢神宮・二見興玉神社に次いで参拝者が多いようです。主祭神は猿田彦大神で猿田彦大神を祀る総本社として崇敬されている。創建は社伝によれば垂仁天皇27年で猿田彦大神の末裔の行満大明神は修験道の開祖であり中世には修験神道の中心地となった。社宝に吉備真備の奉納と伝わる獅子頭があり獅子舞発祥の社ともされている。境内も広く末社には松下幸之助社があり時々参拝され茶室も寄進されている由緒ある神社であった。またテレビでパワースポットとして紹介され参拝者が非常に多くなったようです。杉木立の参道も見事であった。
40気多大社(能登国一宮、羽咋市)
日時:2017年10月9日
日程:能登・加賀・越前・美濃の城廻旅行の途中Yさんと参拝
感想:七尾線JR羽咋駅よりタクシーにて参拝。旧社格は国幣大社で主祭神は大己貴命。創建は古く能登の国が越中の国の一部であった時代の越中の国の一宮は現在の気多大社であったようです。朝廷の尊崇も厚く中世以降は畠山氏・前田氏等歴代の領主に手厚く保護された。加賀藩の保護した社叢(国の天然記念物)には奥宮が鎮座し「入らずの森」と呼ばれる聖域となっていた。昭和天皇が昭和58年に行幸され入らずの森に踏み入られた時の歌碑が境内にありました。また縁結びの神とも云われ若い人の参拝者が多く見受けられた。
37出雲大神宮(丹波国一宮、亀岡市)・38南宮大社(美濃国一宮、垂井町)・39真清田神社(尾張国一宮、一宮市)
日時:2017年7月6-7日
日程:大阪出張時に篠山城・名古屋城の見学を兼ねて参拝
感想:6日山陰本線JR亀岡駅から亀岡市ふるさとバスに乗り出雲神社前下車にて縁結びの神出雲大神宮に参拝。旧社格は国幣中社で主祭神は大国主命・三穂津姫命。古くは御陰山を神体山とする信仰があったとされる山麓に鎮座。社殿は709年創建とされ元出雲の別称があり出雲大社が出雲大神宮からの分霊とする社伝に由来とのこと。本殿は足利尊氏の改修と伝えられ国の重要文化財。境内には「真名井の水」と呼ばれる湧き水・磐坐・横穴式石室を持つ古墳等があった。7日午前東海道本線垂井駅前の竹中半兵衛重治の銅像を見学後、住宅街を南西に徒歩20分にて南宮山の山麓に鎮座する南宮大社に参拝。旧社格は国幣大社、主祭神は金山彦命で鉱山を司る神と言われ全国の鉱山・金属業の総本宮として信仰を集めている。創建は崇神天皇時代で関ケ原の戦いで焼失したが徳川家光が再建した。石鳥居・楼門・高舞殿・拝殿の重文は見事であった。次いで東海道線尾張一宮駅から徒歩10分にて真清田神社に参拝。旧社格は国幣中社で祭神は天火明命。創建は詳らかでないが尾張氏祖神が祭神となっている。一宮市の中心部にあり地名の一宮市もこの神社に由来するようです。社殿等は空襲で焼失したため戦後再建され境内には摂社2社末社11社あり年間の祭事も多いようです。
36鹽竃神社(陸奥国一宮、塩釜市)
日時:2017年5月29日 晴れ
日程:相馬中村城を見学時に那須在住の友人Oさんと参拝
感想:仙石線本塩釜駅よりタクシーにて塩釜神社に参拝。同一境内に志波彦神社有り。旧社格は国幣中社で全国の塩釜神社の総本社。主祭神は塩土老翁神・武甕槌神・経津主神。創建は詳らかでないが武甕槌命・経津主神が東北を平定した際に両神を先導した塩土老翁神がこの地に留まり現地の人々に製塩を教えたことに始まると云われる。歴代の領主奥州藤原氏・鎌倉源頼朝・藩主伊達政宗等に崇敬された。また陸奥国府・多賀城跡は近くにある。境内の御神木樹齢800年の杉の木は見事であった。また塩釜みなと祭りには神輿が市内を練り歩き御座船等100隻の舟が松島湾を巡幸するようです。帰路駅まで徒歩10分市内を歩いたが2011・3・11の東日本震災時には神社近くまで津波が押し寄せたようですが、現在は道路等も整備され綺麗な町並みになっていた。
35吉備津神社(備後国一宮、福山市)
日時:2017年4月20日
日程:四国88ケ寺巡礼時帰路しまなみ海道を渡り三原・福山城見学時に参拝
感想:JR福山駅から福塩線無人の新市駅下車徒歩20分にて吉備津神社に参拝。旧社格は国幣小社で祭神は大吉備津彦命。祭神は吉備国分国(備前・備中・備後)に関連して備中国一宮の吉備津神社より勧請して創建されたと伝えられる。戦国時代には毛利輝元・江戸時代には福島・水野氏より社領の寄進があった。本殿は入母屋造檜皮葺で国の重要文化財。近くの府中市に備後の国の国府があったようで備後の国の中心として崇敬されている。境内には見事な天然記念物の公孫樹があった。
33小国神社(遠江一宮、静岡県周智郡森町)・34砥鹿神社(三河国一宮、豊川市)
日時:2017年3月16日
日程:両神社日帰り参拝
感想:新幹線掛川駅乗換え天竜浜名湖線の無人駅遠江一宮駅より遠州森の石松出身の長閑な田舎を徒歩40分にて小国神社に参拝。旧社格は国幣小社で祭神は大己貴命(大国主命)。創建は社伝により555年とされ武将の信仰が篤く武田信玄が遠江に侵攻した際は徳川家康に味方したようです。春の桜・秋には紅葉の名所として有名なようです。砥鹿神社は新幹線豊橋駅乗換え飯田線三河一宮駅より徒歩5分にて参拝。旧社格は国幣小社で祭神は大己貴命。創建は社記により文武天皇の701-4年とされている。境内には日本一の「さざれ石」あり奥宮が鎮座する本宮山の麓は古墳群の分布で知られ古代から信仰の対象だったようです。
32枚岡神社(河内国一宮、東大阪市)
日時:2016年10月18日
日程:大阪出張中に参拝
感想:近鉄奈良線枚岡駅東側で、旧社格は官幣大社。主祭神は天児屋根命・比売御神・経津主命・武御雷命の4柱。中臣氏(藤原氏)の祖神で天児屋根命・比売御神は当社から春日大社に勧請されたので「元春日社」とされている。創建は神武天皇即位3年前、天皇の命で中臣氏の祖が、神津岳の頂に祖神の天児屋根命を祀ったものといわれているようです。650年に山頂から現在の中腹に移されたようで非常に由緒ある一宮のようです。境内の枚岡梅林はかおり風景100選の一つで、その季節には見事のようです。
30日前神宮・國懸神宮(紀伊国一宮、和歌山市)・31大鳥大社(和泉国一宮、堺市)
日時:2016年3月10日
日程:岡山墓参等の帰路和歌山城見学と共に参拝
感想:JR和歌山駅より徒歩約10分の1つの境内に日前神宮・國懸神宮の2つの神社があり総称して日前宮とも呼ばれている。両社とも旧社格は官幣大社で、主祭神は日前神宮は日前大神で日像鏡を神体とし、國懸神宮は國懸大神で日矛鏡を神体としている。神体の鏡はいずれも伊勢神宮内宮の神宝である八咫鏡と同等のものとされている。日神(天照大神)に対する日前神という名称からも、特別な神と考えられているようです。社伝によれば、神武東征の後の神武天皇2年、紀国造家の祖神である天道根命が、八咫鏡に先立って鋳造された鏡である日像鏡・日矛鏡を賜り、神体としたとしているようです。天正13年秀吉により社領が没収され荒廃したが、紀州藩初代徳川頼宣により再興された。その後旧観とは変わっているが、大正15年に現在の左右対称の姿となったようです。JR阪和線鳳駅より徒歩約5分にて大鳥大社(旧社格は官幣大社)に参拝。主祭神は日本武尊・大鳥連祖神の2柱。日本武尊は東国平定後、伊吹山で病に倒れ、伊勢国能褒野で薨去し、その地に葬られた。その陵墓から魂が白鳥となって飛んで行き、最後に大鳥の地に舞い降りたので、社を建てて祀った。これが大鳥大社の始まりとされている。本殿は大鳥造といい「切妻造・妻入社殿」という出雲大社に次ぐ古形式。現在の社殿は明治42年に再建されたもので、全国の大鳥神社及び大鳥信仰の総本社になっている。
29彌彦神社(越後国一宮、新潟県西蒲原郡)
日時:2015年11月25日
日程:忘年山形県・新潟県城廻旅行中弥彦温泉に宿泊して参拝
感想:彌彦神社の旧社格は国幣中社で主祭神は天香山命。創建は不詳であるが、祭神の天香山命は越後開拓の詔により越後国の野積の浜に上陸し地元民に漁撈や製塩・稲作・養蚕等の産業を教えたとされる。このため越後国を造った神として弥彦山に祀られ崇敬され彌彦の大神は、神武天皇即位の大典の際に自ら神歌楽を奉奏したとされる。弥彦山(標高634m)山麓に鎮座し弥彦山を神体として祀る神社で「万葉集」にも歌われる古社である。また源義家・源義経・上杉謙信等の所縁の武具が社宝として展示されているようです。社殿は明治45年に焼失し大正5年に現在地に再建されたようです。今年は遷座100年の式典が行われ当日は新潟県菊花展覧会終了の翌日で、まだ境内には素晴らしい多くの菊が展示されていた。最寄の駅はJR弥彦駅。
28建部大社(近江国一宮、大津市)
日時:2015年9月3日
日程:旧東海道ウオーキング中に参拝
感想:旧社格官幣大社で主祭神は日本武尊・大己貴命。創建は日本武尊死後の景行天皇46年と云われ、源頼朝が平治の乱に敗れて伊豆に流される道中、本社に立ち寄り源氏の再興を祈願し、後に大願成就したことから出世開運としても著名。拝殿前の「三本杉」は当社の神紋となっている。主な神事は船幸祭。場所は瀬田の唐橋の東側で、最寄り駅は京阪唐橋前で近くには西国33観音の札所石山寺もある。
27諏訪大社本宮(信濃国一宮、諏訪市)
日時:2014年12月7日
日程:旧甲州街道ウオーキング中に参拝
感想:旧社格官幣大社で、全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社。主祭神は建御名方神・八坂刀売神で、諏訪湖を挟んで諏訪大社上社本宮・前宮、下社秋宮・春宮と四宮が鎮座する。創建の年代は不明で日本最古の神社の一つと云われ、軍神として崇敬され坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際戦勝祈願したとも伝えられる。狩猟・漁業の守護祈願でも有名。神紋は「梶の葉」で主な神事は御柱祭・御船祭等。また社殿の周りに4本のモミの御柱が立てられ寅・申の年に建て替えられる(御柱祭)。戦国時代に甲斐武田氏と諏訪氏は同盟関係にあったが、その後武田信玄の諏訪侵攻したが、信玄も祭祀を再興し崇敬した。最寄り駅は上社前宮・本宮はJR茅野駅、下社秋宮・春宮はJR下諏訪駅で近くに諏訪湖・高島城・諏訪温泉等がある。
26浅間神社(甲斐国一宮、笛吹市)
日時:2014年11月22日
日程:旧甲州街道ウオーキング中に参拝
感想:旧社格は国幣中社で、全国にある浅間神社の一社で主祭神は木花開耶姫命。創建は垂仁天皇8年と云われ865年に遷座した。864年に富士山の大噴火があり、甲斐の国には浅間神社が建てられハ代郡にも浅間神社がある。近辺は桃の産地で勝沼の葡萄郷等もあり、又立派な鳥居は中央高速からもよく見える。最寄の駅はJR山梨市駅。
25三嶋大社(伊豆国一宮、三島市)
日時:2014年10月19日
日程:旧東海道ウオーキング中に参拝
感想:旧社格官幣大社で、主祭神は大山祇命・積羽八重事代主神。創建は不詳で「三島」の呼称は伊豆諸島に対する尊称「御島」に由来するとも云われている。中世には源頼朝等多くの武家から崇敬を集めた。近世以降旧東海道の宿場町・門前町として栄え庶民からも篤く信仰された。安藤広重の浮世絵大鳥居前の「三島(朝霧)」は有名である。また観光地の箱根・富士山・西伊豆等に近く最寄り駅はJR三島駅。
24上賀茂神社・下鴨神社(山城国一宮、京都市)
日時:2014年4月25日
日程:関与先出張時に参拝
感想:賀茂別雷神社(上賀茂神社)賀茂御祖神社(下鴨神社)ともに古代氏族の賀茂氏を祀る神社で賀茂神社と総称される。両社の祭事である賀茂祭(葵祭)で有名。また両社とも世界遺産「古都京都の文化財」の一つとして登録されている。旧社格は両社とも官幣大社で山城国一宮である。主祭神は上賀茂神社は賀茂別雷大神で創建678年、下鴨神社の主祭神は賀茂別雷命の母の玉依姫命と玉依姫命の父で八咫烏の化身と云われる賀茂建角身命で創建は崇神天皇7年頃。京都の社寺で最も古い部類で平安遷都の後は王城鎮護の神社として崇敬を受けた。
22大麻比古神社(阿波国一宮、鳴門市)・23土佐神社(土佐国一宮、高知市)
日時:2013年5月7日、5月10日
日程:四国88ケ所巡りの途中参拝
感想:大麻比古神社の旧社格は国幣中社で主祭神は大麻比古神。創建は神武天皇年間。阿波国・淡路国両国の総鎮守として現在は徳島県の総鎮守として信仰を集めている。境内の御神木の大楠は樹齢1,000年以上と云われて鳴門市の天然記念物となっている。四国88ケ所第一番札所霊山寺の近くで最寄り駅はJR板東駅。土佐神社の旧社格は国幣中社で主祭神は味鋤高彦根神・一言主神。創建は雄略天皇4年。古代から祀られた古社で中世・近世には土佐国の総鎮守として崇敬され、戦国大名の長宗我部・山内からも崇敬が篤かった。隣に四国88ケ所第30番札所善楽寺があり、最寄の駅はJR土佐一宮駅。
21元伊勢籠神社(丹後国一宮、宮津市)
日時:2012年10月4日
日程:西国33ケ所巡りの途中参拝
感想:籠神社の旧社格は国幣中社で主祭神は彦火明命。創建は不詳であるが、現在伊勢神宮外宮に祀られている豊受大神は、神代は「真名井原」(現在の奥宮・真名井神社)の地に鎮座したという。その地は「与佐宮・吉佐宮」と呼ばれたとし、天照大神が4年間営んだ元伊勢「吉佐宮」にあたるとしている。伊勢神宮外宮の旧鎮座地が丹後の国分出前の丹波の国与佐宮としているようで、当社をその地にあてたようです。当社の西方には丹後の国分寺跡もあり、当地一帯が丹後国の中心地であったようです。中世の境内の様子が雪舟の「天橋立図」に描かれているようです。当社の神職は古くから海部氏の一族が担っており、海部氏とは海一族を統括した伴造氏族で、全国に分布が見られるようです。当日は西国28番札所成相寺に参拝後元伊勢籠神社を参拝して3.6kmの天橋立を歩いた。
20大神神社(大和国一宮、桜井市)
日時:2012年5月10日
日程:西国33ケ所巡り中に参拝
感想:大神神社の旧社格は官幣大社で主祭神は大物主大神。創建は不詳で神武東征以前より纏向一帯に勢力を持った先住豪族である磯城彦が崇敬した日本最古の神社の一つで、皇室の尊厳も篤かったようです。三輪山を神体としており、本殿をもたず、拝殿から三輪山自体を神体として仰ぎ見る古神道の形態を残している。拝殿奥にある三ツ鳥居は、明神鳥居3つを1つに組み合わせた特異な形式のものである。三つ鳥居からは禁足地になっており三輪山には上ることができない。当日は拝殿の左側の事務所にお願いして拝殿裏の三ツ鳥居に案内していただき神体の三輪山に参拝した。参拝後近くでの昼食日本三大そうめんの一つといわれる三輪そうめんは美味であった。
19住吉大社(摂津国一宮、大阪市)
日時:2012年4月9日
日程:岡山墓参・中学同窓会出席時に途中下車参拝
感想:住吉大社の旧社格は官幣大社で主祭神は底筒男命・中筒男命・表筒男命・神功皇后で海の神として信仰される。全国の約2300社ある住吉神社の総本社で、初詣の参拝者の多さは全国的に有名。創建は神功皇后摂政11年とされ、住吉三神(筒男三神)は神功皇后の新羅征討を成功に導き、神功皇后はその託宣により住吉の地に三神を鎮座した。江戸時代までは境内馬場は海に面し、白砂青松の風光明媚の地として「源氏物語」の舞台としても描かれ、「一寸法師」もここから出発し、淀川をのぼり京都に向かう話のようです。南北朝時代に南朝方にあったことから足利時代に社領が削減され現在の規模とされたようです。本殿は祭神筒男命が縦に並び第4宮と共に国宝に指定され切妻造り檜皮葺である。朱色の太鼓橋を渡り厳かな気持ちになって参拝した。
17安房神社(安房国一宮、館山市)・18玉前神社(上総国一宮、千葉県長生郡)
日時:2009年9月25日
日程:坂東33ケ所巡り中に参拝
感想:安房神社の旧社格は官幣大社で主祭神は天太玉命。創建は神話の時代に阿波国より渡ってきた忌部氏により創建され神武天皇元年とされている。源頼朝からも崇敬され、室町時代大地震により倒壊したが、領主の里見氏が修造・造営したとされている。江戸時代には幕府より保護を受け、2009年に拝殿及び本殿の大修理が行われ、その後の参拝だったので綺麗に整備されていた。玉前神社の旧社格は国幣中社で主祭神は玉依姫命。創建は永禄年間(1558−1570年)の戦火で焼失したため不詳であるが、鎮座以来1200年以上経過しているといわれている。江戸時代に現在の社殿に造営され、明治・大正時代にも改修されている。参拝当日も境内の一部が工事中であった。
15吉備津神社(備中国一宮、岡山市)・16吉備津彦神社(備前国一宮、岡山市)
日時:2009年6月4日
日程:岡山墓参・中学同窓会出席時に参拝
感想:吉備津神社は本来吉備の国の総鎮守であったが、吉備国の三国への分割により備中国の一宮とされ、分霊が備前国・備後国の一宮となり吉備津彦神社が備前国の一宮となった。吉備津神社の旧社格は官幣中社で吉備津彦神社は国幣小社で、主祭神は両社とも大吉備津彦命。創建は両社とも不詳であるが、吉備津神社は仁徳天皇が行幸した際、大吉備津彦命の業績を称えて創建した説、吉備津彦神社は推古天皇時代の創建とされている。また備中国と備前国の堺にある吉備の中山(標高175m)は両社の神体山とされ信仰されている。足利義満造営とされる
吉備津神社の本殿は比翼入母屋造の独特の「吉備津造」で拝殿とともに国宝に指定されており、また当地出身の元首相犬養毅が崇敬し銅像が建てられており、吉備津神社の社号標も犬養毅の揮毫である。また吉備津彦神社は中世以後備前国を領した宇喜多氏・小早川秀秋・池田氏等に崇敬された。当日は兄の車で参拝した。
14貫前神社(上野国一宮、富岡市)
日時:2008年8月4日
日程:妻と伊香保温泉・富岡製糸工場等旅行中に参拝
感想:貫前神社の旧社格は国幣中社で主祭神は経津主命・姫大神。創建は安閑天皇元年531年。当社は物部氏が祖神を祀ったことから始まり、古代には朝廷から、中世以降は武家からも崇敬された。姫大神は養蚕機織の神ともいわれる。中世においては源頼義・義家父子、室町末期には越後上杉・相模後北条・甲斐武田等武家の崇敬を集めた。江戸時代には徳川家の庇護を受け現在の社殿が整備された。境内は珍しく正面参道から石段を上がり、総門を潜ったところから石段を下る社殿がある「下り宮」と呼ばれる配置となっていた。
13寒川神社(相模国一宮、神奈川県高座郡)
日時:2007年2月15日
日程:坂東33ケ所・相模七福神巡り中に参拝
感想:寒川神社の旧社格は国幣中社で主祭神は寒川大明神。創建は不詳であるが雄略天皇の時期に社殿建立の記録があるようです。寒川神社が建立された当時は海水準が高く直接相模湾に面していたようで、二至二分に丹沢の大山、富士山、箱根の神山に日が沈むといわれ八方除けの神社として建立された説もあるようです。戦国時代には武田信玄が兜・太刀を奉納した。現在も八方除けの守護神として関東一円から参拝者が集まるようで、また「視聴率祈願の神社」として知られテレビ関係者や芸能人の参拝も多いようです。
12鳥海山大物忌神社(出羽国一宮、山形県飽海郡)
日時:2002年8月23日
日程:百名山鳥海山登頂時奥宮参拝
感想:鳥海山大物忌神社の旧社格は国幣中社で主祭神は大物忌大神。創建は景行天皇または欽明天皇年間。鳥海山頂の本社と、麓の吹浦と蕨岡の2ケ所の里宮の総称として大物忌神社と称し、出羽富士とも呼ばれる鳥海山を神体山とする。鳥海山は古代末期から出羽国における山岳信仰の中心として周辺一帯から崇敬を集め、特に近世以降は農耕神として信仰されてきた。登山時には日本海・芭蕉が絶賛した象潟九十九島等が見え絶景であった。
11枚聞神社(薩摩国一宮、指宿市)
日時:2001年3月5日、2010年3月6日
日程:百名山開聞岳登頂時参拝、百名山霧島岳・開聞岳登頂時参拝
感想:枚聞神社の旧社格は国幣小社で主祭神は大日霎貴命。創建は不詳で古くからあり、開聞岳を神体とする山岳信仰に根ざした神社と云われている。鎌倉時代以降は薩摩川内市の新田神社(国幣中社)と薩摩国一宮争論が起こり、島津氏が一宮の決定とは無関係に新田神社に剣・神馬を奉納したが、枚聞神社も再興し、最終決定はされておらず、薩摩の国の一宮は二つ存在することになる。外洋に面した立地から古くから「航海神」として崇められ、江戸時代以降は琉球からの使節にも崇敬を集めるようになった。なお枚聞神社には「玉手箱」が納められており全国各地の浦島伝説中最も有力説がある。近くの砂風呂で有名な指宿温泉は格別であった。
10気比神宮(越前国一宮、敦賀市)
日時:2000年8月6日
日程:姪の結婚式に出席し義兄夫妻と共に参拝
感想:気比神社の旧社格は官幣大社で主祭神は伊奢沙別命。創建は第14代仲哀天皇8年。北陸道諸国から畿内への入口で、また朝鮮半島への玄関口にあたる要衝であり、「北陸道総鎮守」と称されて朝廷から重視された神社であった。「古事記」「日本書紀」にも記され仲哀天皇・神功皇后・応神天皇との関係も深い神社。戦国時代は朝倉氏の下に組み込まれ織田信長の侵攻により焼失・衰退したが、江戸時代に結城秀康により再興された。社殿は昭和20年の空襲により焼失し戦後再建された。大鳥居は「日本三大木造鳥居」の一つで国の重要文化財なっている。近くに日本三大松原の「気比の松原」もあり、最寄の駅はJR敦賀駅。
9白山比盗_社(加賀国一宮、白山市)
日時:2000年8月6日
日程:百名山白山・荒島岳Iさんと登山時白山登頂奥宮に参拝
感想:白山比盗_社の旧社格は国幣中社で主祭神は白山比淘蜷_・伊邪那岐尊・伊弉冉尊。創建は第10代崇神天皇年間と云われる。全国に2000社以上ある白山神社の総本社である。石川県・岐阜県の県境に立つ白山(標高2702m)の山麓に鎮座し白山を神体山として祀る神社である。また白山の御前峰には奥宮も鎮座し、山麓の社殿はこれに対して白山本宮と呼ばれている。また古代からの白山信仰は加賀国・越前国・美濃国にまたがる山岳信仰で、白山から流れる豊富な水は四方の川を満たし広く田畑を潤すお陰で人々の生活と農事が成り立ち水神・農業神として崇められた。奈良時代修験者が信仰対象の山岳を霊山として開山し白山信仰が成立した。当日は山頂の奥宮に参拝し展望は絶景であった。
8香取神宮(下総国一宮、香取市)
日時:1999年10月2日
日程:由緒ある神宮で妻と参拝して帰路水郷佐原水性植物園を見学
感想:香取神宮の旧社格は官幣大社で主祭神は経津主大神。創建は初代神武天皇18年と云われている。関東地方を中心として全国にある香取神社の総本社。鹿島神宮と同様に武神として崇敬され、現在も武道分野からの信仰が篤い神社である。
7雄山神社(越中国一宮、富山県立山町)
日時:1999年9月4日、Iさんと立山・剣岳登山時に奥宮に参拝
感想:越中の国には一宮が4社あり、その1社の峰本社・立山の雄山山頂の雄山神社に登山時に参拝。旧社格は国幣小社で霊峰立山を神体として主祭神は伊邪那岐神・天手力雄神を祀る立山修験の源であった。創建は不詳ながら社伝では701年と云われている。立山は古来より富士山・白山と並び日本三霊山として信仰され立山観光客も非常に多く当日天候も良く室道から軽装登山にて参拝していた。
6鹿島神宮(常陸国一宮、鹿嶋市)
日時:1995年5月5日
日程:由緒ある神宮で妻と参拝して帰路水郷潮来あやめ園を見学
感想:鹿島神宮の旧社格は官幣大社で主祭神は武甕槌大神。創建は初代神武天皇元年と云われている。全国にある鹿島神社の総本社。古代には朝廷から蝦夷の平定神として中世になっても武家政権から武神として崇敬され、現在も武道では篤く信仰される神社である。剣豪塚原ト伝は鹿島神宮神官の一族で鹿島古流に加え鹿島新当流を開いた。境内は非常に広く鬱蒼とした樹叢は天然記念物に指定されており歴史を感じた。当日は橋幸夫「潮来笠」で有名な水郷潮来あやめ園を見学した。最寄り駅はJR鹿島神宮駅
5氷川神社(武蔵国一宮、さいたま市)
日時:1986年3月2日、日時不明2度、2014年2月1日
日程:大宮〜加須31キロかち歩き大会時、単独・3名、旧中山道ウオーキング時に4人で参拝
感想:氷川神社の旧社格は官幣大社で主祭神は須佐之男命・稲田姫命・大己貴命。創建は代5代孝昭天皇3年と云われている。東京都・埼玉県近辺に約200社ある氷川神社の総本社。中世において源頼朝は社殿を再建し近世においては徳川家康が関東に入ると社頭を造営し、明治天皇は東京入都早々に当社を武蔵国の鎮守・勅祭の社と定めた。2kmの参道は見事である。最寄り駅はJR大宮駅
4二荒山神社(下野国一宮、日光市・宇都宮市)
日時:1985年7月20日、2008年4月20日、2013年10月4日
日程:百名山男体山登頂時奥宮参拝、繊維友人4名世界遺産「日光社寺」旅行時参拝、日光街道ウオーキング時参拝
感想:二荒山神社は「日光二荒山神社」と「宇都宮二荒山神社」があり両社とも下野国の一宮で両社とも旧社格は国幣中社で創建は日光は767年、宇都宮は仁徳41年。主祭神は日光は二荒山大神(大己貴命・田心姫命・味耜高彦根命の総称)宇都宮は豊城入彦命。日光は日光三山(男体山・女峯山・太郎山)を神体山として祀る神社で「日光の社寺」として世界遺産に登録されている。その神域には華厳滝・いろは坂も含まれる。また古来修験道の霊場として崇敬され「二荒山」の名の由来に「補陀洛山」説もある。宇都宮は当社の門前町として発展し、社家から武家になった宇都宮氏が知られる。現在の社殿は戊辰戦争後の明治10年に再建。最寄の駅はJR・東武日光駅、JR宇都宮駅。
3富士山本宮浅間大社(駿河国一宮、富士宮市)
日時:1982年8月及び2024年4月11日
日程:富士登山時に山頂の奥宮に参拝同行者5人・三島富士宮小旅行同行者3人
感想:浅間大社の旧社格は官幣大社で駿河国一宮、主祭神は木花之佐久夜毘売命。創建は垂仁天皇3年といわれる。全国にある約1,300社の浅間神社の総本社であり富士山を神体山として祀り富士山信仰の中心地。本宮は富士山南麓にあり富士山の8合目以上は浅間大社の社地となっており頂上に奥宮がある。正史での富士山の最初の噴火は781年で「浅間神」は火の神といわれ富士山噴火のため国家としても浅間神を祀る必然性があり公家・武家からの崇敬を受けたようです。2013年「富士山信仰の対象と芸術の源泉」として世界文化遺産に登録された。その後2024年現役時代の職場の3人で小旅行を行い山中城跡・スカイウオーク・富士山本宮浅間大社を参拝した。帰路B級グルメ2回優勝の「富士宮やきそば」で会食。快晴で富士山を堪能した1日であった。
1出雲大社(出雲国一宮、出雲市)・2厳島神社(安芸国一宮、廿日市市)
日時:1962年3月14日ー15日、2004年8月26日
日程:学生時代Oさんと山陰・山陽旅行時・厳島は姪の結婚式出席時に再度妻と参拝
感想:出雲大社の旧社格は官幣大社で主祭神は大国主大神。創建は神代と云われる。二拝四拍手一拝の作法で拝礼し創建以来、天照大神の子の天穂日命を祖とする出雲国造家が祭祀を担い現在宮司は84代国造千家尊佑。2013年に60年に一度の大社造りの遷宮が行われた。神無月には全国から八百万の神々が集まり神在祭が行われ、神集への信仰から出雲の縁結びの神様としても全国的に信仰を集めている。当時近くの観光地として松江城(国宝)・日御碕灯台に行った。最寄の駅は大社線出雲大社前駅。厳島神社の旧社格は官幣中社で主祭神は宗像三女神(市杵鳥姫命・田心姫命・湍津姫命)。創建は推古天皇元年593年と云われ全国約500社の総本社である。広島湾に浮かぶ宮島の北東部弥山北麓に鎮座し平家からの信仰で有名で平清盛により大規模な社殿の造営が行われた。安芸の宮島とも呼ばれ日本三景の一つで世界文化遺産「厳島神社」として登録されている。隣接の大願寺は日本三大弁財天の一つ。当時観光で廣島の原爆ドーム・広島平和記念資料館等を見学した。最寄の駅はJR宮島口駅よりフェリー乗船。