五街道ウォーキング
東海道53宿約500km・中山道69宿約560km・甲州道38宿約200km・日光道21宿約150km・奥州道10宿約100km 37.中山道第11回58関ケ原(4.2km)59今須(3.3km)60柏原(5.4km)61醒ヶ井(4.3km)62番場(5.4km)63鳥居本(6.4km)64高宮(7.4km)65愛知川(11.1km)66武佐(16.5km)67守山(5.1km)68草津 計69.1kmー中山道完歩により五街道完歩達成・感慨無量 日時:2015年10月3〜5日、晴れ・晴れ・晴れ、同行4人 日程:JR関ケ原10:30ー11:20常盤御前の墓ー今須ー12:00車返しの坂ー12:50柏原ー1:20コーヒー店ー14:30醒ヶ井ー番場ー17:15鳥居本(彦根に宿泊)7:10−8:05石清水神社ー9:00高宮ー10:00伊藤忠兵衛記念館ー10:50愛知川ー11:10祇園神社ー12:30老蘇の森ー13:15武佐ー15:00道の駅竜王ー16:30(野洲泊)7:00ー7:50守山ー8:15大宝神社ー9:00草津=京都(淀城・伏見城見学) 感想:今回は天下分け目の関ケ原合戦があった関ケ原宿を出発し美濃路16宿最後の今須宿から近江路柏原宿に入り東海道との合流地草津宿まで歩き中山道を完歩した。JR関ヶ原駅から西へ歩き始め関ケ原合戦の戦死者数千人の首が葬られている西首塚を通過して左側旧道に入り福島正則が陣取ったといわれる樹齢800年の大杉がある春日神社を見学。その後不破の関跡を通過して壬申の乱で対峙した藤古川を越え常盤御前のお墓で小休止。源義朝の側室で東国に向かった「牛若」の行方を案じて後を追ったが当地で亡くなったようです。その後冬季に積雪が多く難所と言われる今須峠を越えて今須宿に入った。今須宿は往時近江との境の宿として賑わったようですが面影はないようです。妙応寺・本陣跡を通過して柏原宿に向かった。やがて南北朝時代公家の二条良基が荒れ果てた不破の関を見に来たが修理したと聞き引返したと云われる「車返し坂」で昼食。午後より国道を横切り美濃と近江の境で細い溝を挟んで両国の旅籠があり寝ながら他国の人と話し合えたと云われる「寝物語の里」を通過して珍しい楓並木を通り柏原宿到着。柏原宿は近江最初の宿場で艾でも有名で屋号の看板が掲げられベンガラの色も塗られ昔の面影を残す宿場であった。本陣跡・小川関跡・映画監督吉村吉三郎の実家等を通過して醒ヶ井宿に向かい途中コーヒー店で小休止。その後東見附跡の先の加茂神社で小休止。そこには名水が湧き出る「居醒の清水」「日本武尊」の銅像があった。宿場は地蔵川が流れ町並みの綺麗な宿場であった。やがて西行水を通過して番場宿に向かった。「瞼の母」番場の忠太郎で有名な「上と下との瞼を合わせりゃやさしいおっ母の面影が浮かんでくらぁ」の番場宿は古い家の少ない静かな町並みであった。蓮華寺の「忠太郎地蔵」を過ぎ西番場から坂を上り摺張峠の望湖堂跡等を通過して赤玉本舗・合羽所の看板等のある鳥居本宿に到着。昔の面影を残す町並みであった。当日は近くの彦根に宿泊。翌朝鳥居本駅から旧道に入り脇本陣跡を右折して歩き始めた。鳥居本からは峠も無く平坦で両側に民家の続く街道になった。やがて小野小町の生誕の地とも云われる小野の集落の小野小町塚を過ぎ石清水神社で小休止。多賀大社の分岐を過ぎ高宮宿に入った。高宮宿は昔の面影が残る町並みで由緒ある多賀大社の大鳥居の前で拝礼した。その後鈴鹿の山並みを見ながら歩き豊郷駅の入口近くの伊藤忠・丸紅の創始者伊藤忠兵衛記念館を見学した。そこで近江商人の理念三方よし「売り手よし、買い手よし、世間よし」等を拝聴しました。やがて愛知川宿冠木門に迎えられ「近江商人発祥地」の一つと云われる愛知川宿に到着。ここで敦賀に向かう3名と別れた。その後愛知川の手前祇園神社で昼食。午後より近江商人が活躍した五個荘区「てんびんの里」を通過して由緒ある老蘇の森で小休止。やがて武佐宿に入り牟佐神社で小休止後、本陣跡等を通過して武佐駅を13:30に通過。その後中宿の鏡宿で義経所縁の鏡神社・元服之池を通過して道の駅竜王で小休止。また平家終焉の地とも云われ壇ノ浦で滅んだ平家総大将「平宗盛・清宗父子の胴塚」を通過して家棟川を渡り、甲山古墳等を過ぎ本日の宿泊地は野洲駅近くのホテルに到着。翌日古い雰囲気の野洲商店街を通過して野洲川を渡り守山宿に到着。守山宿は比叡山の東門として山を守る語源になった守山寺東門院の門前町として栄えたようです。本陣跡等を通過して草津宿に向かい途中大宝神社で小休止。その後今宿一里塚跡・栗東駅前等を通過して草津宿に到着し中山道と東海道の合流地点に到達して中山道が完歩でき感慨無量です。草津本陣は残念ながら月曜日休館であった。同行3人の皆様に感謝。 (伊藤忠・丸紅の創業者伊藤忠兵衛旧宅にて) 五街道完歩後記:五街道ウオーキングが3年で達成でき感慨無量です。春は桜を見ながら歩き、夏は汗を掻き水分を何度も補給しながら歩き、秋は綺麗な紅葉を見ながら歩き、冬は雪散る中を歩きました。風景は長閑な田園風景を見ながら、日光連山・浅間山・南アルプス・富士山等の山々を見ながら、諏訪湖・浜名湖・琵琶湖等の湖を見ながら、名所旧跡等を見学しながら歩きました。道は車の多い国道、神社寺院のある車の少ない旧街道、碓井・和田・鳥居・小仏・笹子・箱根・鈴鹿等の峠越え、各地の石畳、利根川・大井川・天竜川・木曾3川・瀬田の唐橋等渡り、また各地で道に迷い親切な地元の方に教えていただきました。百名山踏破や市民マラソンと同様に一歩一歩進んで目的地に到達することは健康にも良いようで達成感があり感動しました。各街道を異なるメンバーと歩き同行していただいた11名の方々に感謝しています。 36.東海道第13回46亀山(5.9km)47関(6.5km)48坂下(9.7km)49土山(泊・10.5km)50水口(13.7km)51石部(11.7km)52草津(泊14.3km)53大津(11.7km)京都三条大橋 計84kmー東海道完歩 日時:2015年9月1日〜3日、曇り・雨、曇り、曇り・雨、同行5人・単独 日程:JR亀山駅10:00ー11:20関ー坂下ー17:30土山(泊)7:00−9:30水口ー12:50石部ー16:45草津(泊)7:00−8:45建部神社ー10:00膳所城跡公園ー大津宿本陣ー12:15逢坂山関址ー14:45京都三条大橋 感想:今回1日目は2002年北アルプスで知り合った友人NさんとNさんの友人3名(IさんMさんMさん)計5名でJR亀山駅で待合せ亀山宿から鈴鹿峠を越え伊勢の国から近江の国土山宿まで歩いた。駅前から北上し旧街道に合流して西へ歩き始めた。広重の絵「亀山雪晴」黒板張りの櫓・石垣が現存するようですが街道からは見えず整備された町並みを歩き樹齢400年の椋の木のある立派な野村一里塚を見学。その後左手に鈴鹿川を見ながら歩いたが雨が降り始め名阪高架下で街道の絵パネルを見ながら雨具着用小休止。やがて「関の小万が亀山通い月に雪駄が二十五足」と歌われた鈴鹿馬子唄所縁の「小万のもたれ松」で昼食。同行者持参のコーヒー・手作りチーズケーキは美味であった。午後より重要伝統的建造物群保存地区になっている関宿に入り古代伊勢鈴鹿の関が置かれ東追分の伊勢別街道、西追分の大和街道と交通の要衝で昔の面影が残る宿場であった。関まちなみ資料館等を過ぎ百六里庭(江戸から106里)の眺関亭から見渡せる電柱のない関宿の眺めは見事であった。その後一休禅師が開眼供養したと言われる屋根の大きい地蔵院に参拝後坂下宿に向かった。次第に高度を上げながら歩き広重の絵「坂之下筆捨嶺」は関と坂之下の間にあった藤の茶屋からの光景のようです。また旧道の坂道にある鈴鹿峠自然の家の左側に東海道の各宿場の木柱があり懐かしく見学した。また同場所に鈴鹿馬子唄発祥之地碑があった。やがて難所の鈴鹿峠の麓に位置する坂下宿に到着。「坂の下では大竹小竹、宿がとりたや小竹屋に」の大竹屋本陣跡・小竹屋脇本陣跡を通過。国道・バイパスが開通しており昔の面影はなかった。高度を上げながら片山神社から山道に入るところを残念ながら道を間違え1号線を歩き鈴鹿峠をトンネルで越えてしまった。トンネルを出て少し遡り万人講常夜燈で小休止。その後緩やかな下り坂となり蟹坂古戦場を過ぎ祭神坂上田村麻呂鬼退治伝説所縁の田村神社前で記念写真。ここは広重の絵「土山春之雨」の場所とも「坂は照る照る鈴鹿は曇るあいの土山雨が降る」の絵ともいわれているようです。やがて道の駅あいの土山に到着して同行4人と別れた。雨の中鈴鹿峠越を同行していただき感謝。土山宿に入り昔の面影のある屋号が掲げられ道も色分けされており静かな町並みであった。翌朝曇り空の土山宿を出発垂水斎王頓宮跡を通過し丘陵の茶畑・田園風景等を見ながら、鈴鹿川沿い等を歩き水口宿に到着。水口の名産は広重の絵「水口名物干瓢」のあるように「かんぴょう」や「藤細工」等のようです。また水口宿は「お城の町」として通りに多くの幟があった。その後石部宿に向かい北脇縄手(縄手とは田んぼの中の1本道)標識を通過して大きな横田渡常夜燈に到着小休止。コンビニで昼食後、野洲川を越え三雲駅前を通過。天井川の弘法杉を過ぎた三雲地区は非常に整備された綺麗な町並みであった。途中Mさん推薦の老舗北島酒造「御代栄」を通過して石部宿東見付跡で小休止。近くに金山の採掘跡があり堅実な人のたとえ「石部金吉」所縁の石部宿に到着。公園も整備されおり小休止。その後右手に百足退治伝説のある三上山(近江富士)を見ながら進み手原駅手前の巨大な家屋「旧和中散本舗」等を通過し、六地蔵一里塚・稲荷神社で小休止後本日の目的地東海道と中山道合流の交通の要衝草津宿に到着した。3日目早朝出発したが草津本陣は開館前のため通過し脇本陣・太田酒造道灌蔵等の前を通り、立木神社に参拝後大津宿に向かった。弁天池を右に見て進み大津市に入り、やがて近江の国一の宮由緒ある建部神社を参拝・小休止。その後俵藤太秀郷の百足退治伝説・源平合戦等度々の合戦で有名な瀬田の唐橋を渡り右折して琵琶湖西岸を北上し南総門跡・若宮八幡神社を通過して街道近くの膳所城跡公園で昼食。その後木曾義仲を祀る義仲寺を見学。境内には義仲・芭蕉のお墓と芭蕉の辞世の句碑「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」等があった。また立派な滋賀県庁近くで「露国皇太子遭難の碑」を確認して札の辻を左折し大津宿本陣跡を通過して坂を上り京都を目指した。途中寂れた蝉丸神社に参拝し歌碑「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」を見て、更に坂を上り「逢坂山関址」小休止から右手の短い旧道に入り鰻の老舗「かねよ」・蝉丸神社分社を通過して下り山科に向かった。やがて山科の追分道標・小関越道標等を通過して山科地蔵徳林庵で最後の小休止。その後山科駅前を通過して国道1号と合流したが、直ぐに左折し非常に狭い街道となった。心配しながら歩き地元の人に確認をして、やがて急坂を上り織田信長も上洛した粟田口から京都市街を見ながら下り御所に向かって礼拝をしている高山彦九郎銅像前を通過して待望の京都三条大橋に到着。三条大橋西詰で膝栗毛の弥次喜多銅像と広重の三条大橋と東山の写真を撮り長かったが楽しくもあった東海道53次が完歩でき感慨無量です。 ![]() (坂上田村麻呂・安藤広重所縁の土山宿田村神社鳥居前にて) 35.東海道第12回39知立(11.0km)40鳴海(6.5km)41宮(7里渡し) 42桑名(泊・12.6km)43四日市(10.7km)44石薬師(2.7km)45庄野(7.8km)46亀山 計52.1km 日時:2015年7月14〜15日、晴れ・晴れの真夏日、単独 日程:名鉄知立駅9:45ー10:30富士松駅ー12:00史跡桶狭間古戦場碑ー12:30有松絞郷土会館ー13:10鳴海ー14:10笠覆寺ー15:30宮(熱田神宮)=17:45桑名渡船場跡(泊)7:00ー9:40多度神社ー10:10四日市ー10:45大宮神明社ー13:30石薬師宿ー14:40庄野宿ー16:45JR亀山駅 感想:今回は知立宿から尾張の国に入り鳴海宿を経て宮宿に到着。江戸時代宮宿からは7里の渡しと言われ桑名宿まで渡船だったため電車で伊勢の国桑名に入り翌日亀山宿まで歩いた。名鉄知立駅を出発し知立神社前を通過して富士松駅で小休止。今回は真夏日で非常に厳しく十分水分補給をしながら歩いた。やがて三河と尾張の国境の境川を渡り鳴海宿に向かった。中京競馬場前駅の南側の公園に史跡桶狭間古戦場碑・今川義元碑を見学・昼食。次いで広重の絵にも描かれている浴衣・手ぬぐい等で有名な有松絞郷土会館を見学。連子格子等昔の面影が残る鳴海宿を通過して宮宿に向かった。熱田神宮の門前町でもあった宮宿では渡し跡・時の鐘・常夜燈等が往時の面影を残していた。その後熱田神宮を参拝。旧官幣大社で草薙剣を祀る境内の広い由緒ある神社で厳かな気持ちになった。その後JR熱田駅からJR桑名駅に行き桑名の渡船場跡を見学してホテルへ。桑名宿は伊勢神宮の一の鳥居があり伊勢路へ通じる宿場町・港町・城下町として繁栄したようです。翌日伊勢湾に沿って南下し、高速伊勢湾岸自動車道の下・多度神社等で水分補給等して四日市宿に到着。宮宿まで十里の港町でもあり、桑名と客を奪い合ったとも言われたようです。その後は左手煙突林立のコンビナートを見ながら進み途中大宮神明社で昼食。その後伊勢路との分岐点日永の追分を通過して小許曽神社で少休止後、日本武尊が剣を杖にして登ったともいわれる杖衝坂を上り門前町でもあった石薬師宿に到着。静かな昔の面影が残る宿場で「夏は来ぬ」等で有名な佐々木信綱記念館を通過して石薬師寺に参拝。その後田園風景の中鈴鹿川を沿って歩き広重の「白雨」で有名な庄野宿に到着。川俣神社で小休止後亀山宿に向かった。途中自販機で水分を補給しながら歩き、やがて亀山宿江戸口門跡を通過して街道を離れ本日の目的地JR亀山駅に到着した。梅雨の合間の真夏日に帽子・タオル・頭に水をブッカケながら何度も小休止・水分補給をして歩いたが、真夏の街道歩きは厳しいようです。健康のための街道歩きが少し無理をしたようで反省。 34.東海道第11回31新居(6.5km)32白須賀(5.7km)33二川(6.1km)34吉田(10.2km)35御油(1.7km)36赤坂(8.8km)37藤川(6.6km)38岡崎(14.9km)39知立 計60.5km 日時:2015年6月28〜29日、晴れ・曇り、単独 日程:JR新居町9:10ー10:50潮見坂公園跡ー白須賀ー11:20笠子神社(昼食)12:20二川ー14:20豊橋ー15:20菟足神社ー17:00国府駅=17:12豊川稲荷駅−17:30豊川稲荷(宿泊)7:31=国府駅7:45−8:20御油の松並木ー8:30関川神社ー11:00藤川ー12:10大岡越前守陣屋跡ー12:45岡崎二十七曲碑ー岡崎城−15:00熊野神社ー15:50来迎寺公園ー16:20馬市之跡碑ー16:45名鉄知立駅=豊橋 感想:今回は遠江の国から三河の国に入り関所と渡船権をもつ新居宿から岡崎城を見学して知立宿まで歩いた。JR新居町駅を出発して新居・舞坂間の渡船場跡の常夜灯・新居の関所「入り鉄砲に出女」を厳しく取締った全国で唯一現存する関所建物及び資料館を見学。その後本陣跡・棒鼻(宿場の外れ)等を通過して白須賀宿に向かった。松並木や旧白須賀(1707年の大地震で壊滅し潮見坂に移動)を通過し神明神社で小休止後、山中の潮見坂を上った。潮見坂公園跡の展望台で広重の「汐見阪図」の絶景遠州灘を眺めて下り白須賀宿に到着。ここは東海道本線からも離れ連子格子の家並には屋号もあり昔の面影を残していた。本陣跡等を通過して二川宿に向かった。やがて境川を渡り三河の国愛知県豊橋市に入った。田園風景の国道1号線を進み、やがて1号と離れ新幹線・東海道本線を潜り二川宿に到着。この宿場の家並みも昔の面影があり草津本陣と並んで現存する二川本陣資料館を見学。その後火打坂を上り飯村一里塚を通過し、やがて吉田宿(豊橋)に到着。吉田は豊川が流れ吉田城の城下町であったようで吉田城は姫路城への転封前の池田輝政の居城であった。その後本陣跡等を見学後、広重の絵の吉田城から見る「豊川橋」の豊川を渡り御油宿に向かった。豊橋からは名鉄名古屋線・国道1号と平行・交差等を繰返しながら北西に進んだ。その後豊川放水路を渡り菟足神社で小休止後、飯田線を横切り1号線に合流する手前で道を90度間違え約20分程度LOSS。やっと1号線に合流し御油宿の手前の名鉄国府駅に到着。御油宿に宿なきため当日は名鉄で豊川に行きホテルに宿泊。豊川稲荷(豊川閣妙厳寺)に参拝。赤い鳥居は無く山門とコンクリートの鳥居と狐の像があり曹洞宗であった。日本三大稲荷の一つでお守りを購入。翌日国府駅より歩き、やがて常夜燈があり東海道と姫街道との追分を過ぎ音羽川を渡り御油宿に入った。本陣跡等を通過し有名な御油の松並木を歩いた。650mあり弥次喜多がこの松並木で狐に化かされた話しもあるようで見事な松並木であった。松並木が終り東海道最短区間宿場の赤坂宿に入った。御油宿とは客の争奪戦が熾烈であったようで広重の「旅人留女」「旅舎招婦ノ図」に描かれている。宿場の関川神社には樹齢800年の大楠と芭蕉句碑「夏の月御油より出でて赤坂や」があった。本陣跡等を見学後、藤川宿に向かった。途中法蔵寺に新撰組隊長近藤勇の胸像があった。京都三条河原に晒された首を同士が奪いこの寺に埋葬したようです。やがて藤川宿に到着。脇本陣跡に藤川宿資料館があり小休止。先を急ぎ岡崎宿に向かった。途中二股の追分に吉良道道標があり左は三州吉良への道のようで松並木のある右東海道を進んだ。やがて乙川を渡り大岡越前陣屋跡にて昼食。午後より大平一里塚等を通過して冠木門・岡崎二十七曲碑のある岡崎宿に到着。岡崎は徳川家康の生誕地で敵の侵入を防ぐ岡崎27曲がりや八丁味噌としても有名のようです。竹千代の生誕地岡崎城を見学。天守閣は1959年に復元され岡崎公園として市民の憩いの場となっていた。その後矢作橋を渡り知立宿に向かった。矢作橋を渡った袂に日吉丸と蜂須賀小六の出会い像があった。広重の「矢矧之橋」は対岸から岡崎城を望む当時最長の橋だったようです。その後安城市に入り熊野神社で小休止。明治用水碑を通過し来迎寺公園で小休止。その後並木八丁と呼ばれる松並木の歩道・馬市之跡碑で小休止。広重の絵「首夏馬市」は毎年陰暦四月に池鯉鮒宿の東の野で開かれた馬市のようです。また江戸時代から知立神社境内の大きな池に鯉や鮒が多くいた事から池鯉鮒と言われたようで明治以降は知立が使用されているようです。ようやく本日の目的地名鉄知立駅に到着した。梅雨の季節雨を避け予定通り2日間歩くことが出来た。 33.東海道第10回28見付(16.4km)29浜松(10.8km)30舞坂(5.9km・泊)31新居 計33.1km 日時:2015年6月10日、晴れ、単独 日程:JR磐田駅9:00ー9:50新天竜川橋ー10:00六所神社ー11:45浜松(浜松城・昼食)ー13:00八幡神社ー13:50神明宮ー15:00舞坂(浜名湖・弁天島)16:00新居(JR新居町) 感想:今回は梅雨の合間の真夏日に水分を補給しながら遠江の国を一路西進し天竜川を渡り浜松城を見学して浜名湖を渡った。JR磐田駅を出発して宮之一色一里塚跡を通過して天竜川の土手に到着。明治初期まで渡船場があったようです。信濃の諏訪湖を水源とし遠州灘に注ぐ天竜川は往時「暴れ天竜」とも言われた急流であったようで、広重の見付天竜川図の画面手前の船頭の客待ちと中州の発着等偲びながら国道1号線の新天竜川橋で渡った。その後六所神社で小休止後、金原明善記念館を通過して、バイパスを潜り、短い松並木・浜松アリーナ等を通過して馬込川を渡り浜松宿に到着。連尺交差点から街道を離れ浜松城を見学・昼食。浜松城は家康が29〜45歳の17年在城し、関ヶ原以降譜代大名が居城し幕府の要職に着き出世城とも言われた。遺構の石垣は野面積みで天守閣も復興再建されいた。城址には家康の若かりし銅像もあり浜松城公園として市民の憩いの場となっていた。午後より東海道本線・新幹線を潜り八幡神社で小休止。その後諏訪神社・熊野神社・領境界石・JR高塚駅前を通過して神明宮で小休止後舞阪宿に到着。舞阪宿に入り700m約330本の旧東海道の面影を残す素晴らしい松並木を涼しさを感じながら歩いた。その後浜名湖に到着し舞阪宿の渡船場、本雁木跡を見学。江戸時代舞阪宿より新居宿までは渡船であり舞阪宿の渡船場を雁木(階段状になっている渡船場)と説明板あり。広重の舞阪(今切真景)のように1498年の大地震により砂州が決壊し対岸には渡船となったようで画面手前の杭は波除のようです。現在は弁天島経由で渡り、弁天島は海水浴・釣り・潮干狩り・温泉とリゾート地となっており、湖面の大きな鳥居は観光のシンボルとなっている。舞阪から3度橋を渡り弁天島を歩いて浜名湖を渡り、本日の目的地新居宿JR新居町駅に到着。今回は全く平坦なコースで快適な街道歩きであった。 32.奥州街道第3回5大田原(11.3km)6鍋掛(0.6km)7越堀(9km)8芦野(12km)9白坂(9.4km)10白河 計42.3kmー奥州街道完歩 日時:2015年5月28〜29日、晴れ・晴れ、Oさんと2人 日程:JR西那須野駅9:10(バス)9:25ー10:00大田原宿大田原神社ー11:00昼食ー13:15鍋掛宿ー13:30越堀宿ー14:30余笹川見晴らし公園ー15:45芦野宿(タクシー黒田原駅・Oさん自家用車・那須温泉宿泊)黒田原8:10(バス)芦野宿ー10:50泉田一里塚ー11:50境の明神ー白坂宿ー13:50古戦場碑ー15:00白河宿(小峰城・JR白河駅15:27) 感想:今回は大田原宿から北北西に白河宿まで歩き奥州街道が完歩でき感慨無量です。前回の大田原宿入口のバス停から歩き始め神明町を右折して国道と合流し、薬師堂を通過して城下町であった大田原宿に到着。当地の英雄弓を持った那須与一像を見学後、金燈龍十字路の先で左折して城下町特有の枡形道を歩き、大田原神社に参拝小休止。その後蛇尾川を渡り鍋掛宿に向かった。中田原一里塚を通過して空き地で昼食。その後相の川を渡り、麻疹地蔵尊・練貫十字路等を通過して那須塩原市に入った。那須塩原市は牛舎・飼料のとうもろこし畑もあり、牛乳の生産量が多いようです。鍋掛一里塚・鍋掛十字路を通り鍋掛宿に到着。鍋掛宿は幕府直轄地で那珂川の渡しで賑わったようです。少し進み芭蕉の句碑のある公園で小休止。隣の正観寺の樹齢250年の枝垂桜の木は見事であった。その後那珂川を照明橋で渡り越堀宿に到着。橋の袂に「ともつりあゆ」の売店があり、那珂川は多くの支流(箒川・蛇尾川・余笹川等)と共に非常に綺麗な清流で鮎等の渓流釣りの川として有名なようです。同行の渓流釣り趣味のOさんは6月1日解禁前の清流に感動していた。芦野宿に向かい寺子一里塚を過ぎ余笹川見晴らし公園で小休止。その後那須町に入り黒川を渡り、芦野宿に到着した。当日那須温泉での宿泊は快適であった。翌朝Oさんの車で黒田原駅前に行き、駅前からバスに乗り昨日の芦野宿から歩き始めた。芦野宿は各民家に屋号常夜灯があり、往時の雰囲気が少し残っていた。ここは芭蕉も訪れた宿場で街道より少し離れた場所に奥の細道でも有名な遊行柳があり、西行も芭蕉も蕪村も休んだ場所で田園風景を見ながら小休止。芭蕉句碑「田一枚植ゑて立ち去る柳かな」やがてベコ石の碑・板屋の諭農の碑等を通過して、往時の街道の田園風景を思いながら、白坂宿に向かった。泉田一里塚で小休止後、下野と奥羽の国境の境の明神に到着。遊行庵で購入した弁当で昼食。午後より福島県白河市に入り、坂を下り白坂宿に到着。白坂宿は道路も整備されており民家も非常に綺麗に掃除をされており感心したが、これは除染によるものであったようです。薬師堂を過ぎ白河宿に向かった。途中源義経を奥州藤原氏のもとへ送り届けた金売吉次の墓の道標があったが、少し街道と離れていたため通過して戊辰の役古戦場碑で小休止。1868年奥州諸藩鎮定のため薩長大垣等の西軍が大挙して三方から白河を攻め、この地が白河口の激戦地で、戦死者多数出て小峰城は落城焼失した。戦後両軍の戦死者の碑を建てたもの。やがて谷津田川を渡り、枡形の道を歩き今回の目的地白河小峰城に到着した。白河宿は幕府の道中奉行が直轄する奥州街道の終着地で老中松平定信の居城であった。これで奥州街道が完歩でき宇都宮から同行して頂いたOさんに感謝。 ![]() (奥州街道白河宿白河小峰城にて同行者Oさんと) 31.中山道第10回49御嵩(4.5km)50伏見(8.1km)51太田(9.3km)52鵜沼(宿泊・17.4km)53加納(5.9km)54河渡(4.8km)55美江寺(宿泊・4.8km)56赤坂(5.9km)57垂井(5.2km)58関ケ原 計65.9km 日時:2015年5月10日〜12日、晴れ・晴れ・曇り後雨、OさんOさんYさんと4人 日程:名鉄御嵩駅11:00−12:00伏見宿(昼食)ー太田橋(木曽川)ー14:30太田宿ー17:00うとう峠ー17:30鵜沼(犬山宿泊)7:40ー各務原ー13:10加納(岐阜・昼食)ー河渡橋(長良川)ー16:45美江寺(大垣宿泊)8:00−鷺田橋(揖斐川)9:10小簾紅園ー11:30赤坂(昼食)ー垂井ー14:30関ケ原駅 感想:今回は美濃路を西進したが3日目午後より台風前の雨に遭遇し関ケ原で中止にした。印象に残ったのは木曾三川(木曽川・長良川・揖斐川)越え、国宝犬山城・大垣城であった。名鉄広見線の終点御嵩駅をスタート。御嵩宿は蟹薬師といわれる願興寺の門前町として、又細久手・大湫宿への難所として栄えたようです。街道を西進するとやがて伏見宿に到着。伏見宿は良く整備されており昔の面影もあり木曽川の東の川湊としても賑わったようです。本陣跡近くの一本松公園で昼食。午後よりJR太多線を渡ると日本ライン今渡駅や中山道難所の一つといわれた木曽川今渡渡しに到着。木曽川を太田橋で渡ると美濃加茂市に入り、清流を左手に見ながらの木曽川の土手歩きは快適であった。その後飛騨道との追分を通過して美濃16宿の中央太田宿に到着。美濃太田駅から離れているためか脇本陣・民家等往時の宿場町の面影を残していた。芭蕉・白秋・坪内逍遥等の歌碑のある佑泉寺で小休止。やがて国道との分かれ道で迷ったが、地元の親切な方に教えて頂き石畳のある山道のうとう坂を上った。うとう峠一里塚で小休止。うぬまの森の石碑等を見ながら下り、往時の面影のあまりない鵜沼宿に到着。この宿場は宿がないため国宝犬山城が見える犬山に宿泊。犬山橋やホテルの大浴場から見えるライトアップした犬山城天守閣は素晴らしかった。翌日中山道二番目に長い加納宿に向かう。途中津島神社で小休止・コーヒータイム・東海北陸自動車道の下で小休止等しながら各務原市役所・手力雄神社等を通過して加納宿に到着。JR岐阜駅の南での昼食の饂飩は美味であった。遅い昼食後何度も秋葉神社の前を通過しながら長良川を河渡橋で渡った。長良川は四万十川とともに日本三大清流といわれ「長良川鵜飼」としても有名で共に木曾三川の揖斐川に桑名で合流して伊勢湾に注いでいる。河渡宿は往時長良川の渡しとして賑わったようです。その後田園風景等の中を歩き五六川を渡り美江寺宿に到着。宿が無き為名鉄樽見線美江寺駅より大垣に行き大垣駅前に宿泊。夜春日井在住のKさんが合流し5人で会食をした。翌早朝日本百名城の一つ大垣城を見学。3層3階の大垣城は平城で天守台からの眺めは望めなかったが関ケ原に近く、東西日本の境目で歴史上戦略上の要地だったようです。翌日美江寺宿から歩き始め鷺田橋で揖斐川を渡り赤坂宿向かった。その後呂久の渡しで和宮が歌を詠み、その記念の小簾紅園で小休止。やがて近鉄養老線を横切り赤坂宿に到着。ここは水運の要衝として栄え赤坂港跡があった。赤坂宿の西の昼飯(ひるい)で昼食。午後より台風の影響で雨が降り始め雨具着用で歩き始めた。美濃の国一の宮南宮大社の門前町としても栄えた垂井宿を急いで通過したが、本降りとなり、地図も濡れ標識と勘で旧街道を歩き、途中関ケ原合戦にまつわる山之内一豊の布陣跡や家康の当初の本陣桃配山を急いで通過して、びしょ濡れになってJR関ケ原駅に到着した。同行3人の方には無謀な歩きを申し訳ないと思った。 30.東海道第9回24金谷(6.5km)25日坂(7.1km)26掛川(9.5km)27袋井(5.8km)28見付 計28.9km 日時:2015年4月23日、晴れ、単独 日程:JR金谷駅9:00ー10:00久延寺-10:35日坂宿ー10:50事任神社ー12:20掛川宿(掛川城)ー13:50善光寺ー15:00袋井宿西本陣跡ー17:00見付宿(JR磐田駅) 感想:今回は金谷宿から遠江国を一路西南西に見付宿(磐田)に進んだ。特に印象に残ったのは小夜の中山と掛川城であった。JR金谷駅から旧街道に入り、復元された430m金谷坂石畳を上った。上ると芭蕉の句碑があり、茶畑が続き眺望も良くなった。やがて復元された611mの菊川坂石畳を下ると間の宿菊川の里に到着。菊川の里会館に承久の乱で捕らえられた藤原宗行と正中の変で捕らえられた日野俊基の歌碑(鎌倉に護送される途中の歌)があった。ここから広重の「小夜の中山」や西行の歌等で有名な難所の一つ小夜の中山の急坂となった。広重の絵の急坂よりは緩やかであるが金谷坂石畳の急坂の影響もあり、往時の難所を偲ばせる小夜の中山であった。峠の久延寺で小休止。境内には伝説の夜泣石があり、浄瑠璃「小夜中山鐘由来」の題材になったようです。峠からは丘陵で霜対策の扇風機の林立する新芽の青々としたの一面の茶畑を素晴らしい光景でした。下りの途中20人程度茶畑の木陰で茶摘休みでお茶を飲んでいる地元人から「お兄さん頑張って」と声援を頂き72歳の私には勇気を貰えた。やがて民家に昔の屋号の看板が架かる日坂宿に到着。本陣跡・脇本陣跡等を見ながら通過して間もなく坂上田村麻呂所縁の事任神社(願いが事のまま叶うといわれ賑わった神社)で願い事をしながら小休止。日坂宿からは平坦な整備された歩道歩きとなり、やがて掛川宿に入り、後土佐の大名となった山内一豊が整備した百名城の一つ掛川城を見学後昼食。木造で復元された3層の天守からは掛川市が一望できた。午後より掛川商店街を通過して袋井宿に向かった。天竜浜名湖鉄道を横切り、善光寺(東海道の真ん中で仲道寺)で小休止。その後松並木を通り間の宿原川を通過後、名栗松並木・富士浅間宮赤鳥居・秋葉大権現の分岐の常夜灯等を見ながら、やがて東海道の京都から江戸から27番目の中間の宿場袋井宿に到着。町にはいたるところに「どまんなか」の屋号を使用した店舗等があった。東本陣跡を通過して西本陣跡で小休止。その後見付宿に向かう途中の許禰神社に三方ケ原合戦の前哨戦があった木原畷古戦城碑、やがて太田川を三ケ野橋で渡り暫らくして見付宿到着。京都から下ると初めて富士山が見え見付けの名がついたようです。磐田市の商店街にはJUBILOの旗がなびいていた。本陣跡・現存の最古の小学校旧見付学校等を通過して姫街道との分岐を左折、府八幡宮前を通り本日の目的地JR磐田駅に到着。今回3人の方に分岐での道順を親切に教えて頂き、又小夜の中山で激励を頂き感謝。 29.奥州州街道第2回2氏家(9.2km)3喜連川(11.9km)4作久山(8km)5大田原宿 計29.1km 日時:2015年4月19日,曇り後小雨、Oさんと2人 日程:JR氏家駅9:00ー11:00喜連川ー13:30与一の里名木選ー14:10作久山ー15:45浅香3丁目(バス)16:30JR西那須野駅 感想:若葉萌えいづる季節にJR氏家駅を出発して、田園風景・日光連山等を見ながら北北東に大田原宿手前まで歩いた。駅前を左折して旧街道に入り、間もなく光明寺の不動明王に見送られ会津中街道との分岐上町交差点を右折して喜連川宿に向かった。明治期の建築で県指定の文化財瀧澤家住宅を過ぎ、二十三・二十六夜燈等を見ながらバイパスと合流後車が増えたが明治時代の大黒天水準点でバイパスと分かれると静かになった。那須・喜連川氏連合軍と宇都宮軍が戦った古戦場碑所縁の弥五郎坂で小休止。更に杉並木の古道を過ぎ、やがて桜並木を見ながら連城橋で荒川を渡り、足利将軍家末裔喜連川家の城下町・温泉等で宣伝されている喜連川宿に入った。足利尊氏の創立と言われ歴代の墓所がある龍光院に参拝後、ヒノキの大木のある喜連川神社で早めの昼食。午後より内川を金竜橋で渡り佐久山宿に向かった。坂道を上り下りを繰返す長閑な田園風景となり、歩道も整備されており、政治・健康・釣り談義等をしながら歩いた。やがて那須与一の里大田原市に入った。与一の里名木選で小休止。その後ゴルフ場のある丘陵を歩き、やがて佐久山宿に到着。昔の面影は殆んど無かった。その後同行Oさん絶賛の渓流釣りで有名な清流の箒川を渡り、大田原宿に向かった。那須・日光等の連山を見ながら歩き今回の目的地大田原宿手前の浅香3丁目に到着した。バスの待ち時間で会食をしながら次回の相談等をしたが奥州街道は東北本線と氏家宿から白坂宿までは可なり離れておりバスの便も少ないようです。若葉の季節の街道歩きは快適であった。 28.中山道第9回40野尻(10.1km)41三留野(3.2km)42妻籠(7.3km)43馬籠(4.6km)44落合(4.1km)45中津川(11.3km)46大井(12.3km)47大湫(6.9km)48細久手(11.4km)49御嵩 計71.2km 日時:2015年3月29日〜31日、雨・晴れ・晴れ、OさんOさんYさんと4人 日程:JR野尻駅10:40ー11:30JR十二兼駅ー柿其峡ー三留野ー13:30南木曾ー14:30妻籠ー16:30馬籠峠(801m)−17:15馬籠(宿泊)8:00−9:15落合ー中津川ー11:30コンビニー15:00喫茶店ー大井ー17:50(釜戸宿泊)8:00ー9:45大湫ー11:45細久手ー16:10名鉄御嵩駅 感想:今回は中山道人気の名所妻籠宿・馬籠宿を見学して、信濃路から美濃路へと歩いた。JR野尻駅を10:40に出発し、読書ダムを通過して、雨が降り出したためJR十二兼駅にて昼食。午後より南寝覚めと言われる柿其峡谷の絶景を見学して、右手に木曽川の侵食された奇岩・巨岩の景色を見ながら南下し、三留野宿に到着。近くのJR南木曾駅付近は2014年7月台風8号による土石流の爪跡が残り、自然の怖さを痛感した。やがて中央線本線・木曽川とも分かれ山中の道となり妻籠宿に向かった。途中義仲ゆかりのかぶと観音・妻籠城跡入口・鯉岩を通過して水車のある高札場から大勢の観光客が見学している妻籠宿に入った。この宿場は最も保存がよい宿場といわれ「売らない・貸さない・壊さない」という3原則があるそうです。格子造りの町並み・本陣跡等を見学して名物の五平餅を味わった。奈良井と共に歴史的建造物保存地区に指定されているようでタイムスリップした感じであった。道中約10組程度の欧米人が南木曾街道を歩いていた。その後奥座敷といわれる大妻籠集落を通過して石畳の山道に入り、吉川英治の「宮本武蔵」舞台にもとりあげられているといわれる雄滝・雌滝等を見ながら登り801mの馬籠峠に到着小休止。ここから快適な緩やかな下りとなり、十返舎一九狂歌碑を通過して、平成17年馬籠宿が長野県から岐阜県となった記念の馬籠宿展望台から「夜明け前」に何度も描写されいる恵那山(2190m)等を眺望。やがて高札場を通過して木曾十一宿最後の傾斜地の宿場で島崎藤村ゆかりの馬籠宿に到着。到着が遅く本陣跡・脇本陣資料館・藤村記念館等・町並みを外から見学後、宿場に宿泊して昔の面影を偲び翌早朝に出発した。「夜明け前」の主人公青山半蔵のモデルといわれる藤村の父「島崎正樹翁記念碑」を通過して「是より北、木曽路」碑から落合宿に向かい美濃路に入った。落合の石畳として整備された街道を下り医王寺を経て落合宿に到着。本陣跡や和宮・明治天皇関係の碑等を見学して、UP-DOWNを繰返しながら中津川宿に向かった。馬籠宿から中津川宿までの旧街道は道に模様が入り、標識は整備されおり地図なしで迷うことはなかった。中津川宿に入ると離れていた中央線・19号とも近くになり、幾分平坦な街道となった。同行のOさんが名物の栗菓子を老舗で購入し高札場跡・本陣跡を通過して少しUP=DOWNを繰返しながら大井宿に向かった。途中今回唯一のコンビニで弁当を購入して昼食。やがて大井宿に到着。本陣跡・恵那駅前を通過して桜満開の西行硯水公園から旧街道を離れ19号線を歩いた。さすが幹線道路で車が多く十分注意をしながら約10km歩いた。大井宿から御嵩宿まで旅館は細久手の大黒屋のみのため中世以前の東山道を釜戸まで歩き釜戸宿泊。翌朝釜戸を8:00に出発して大湫宿に向かったが、登りの連続で約1時間を要して65号を登った。この釜戸・大湫間は忘れられない坂道となった。大湫・細久手宿は少し遅く宿場になったようで鉄道・国道からも離れ長閑な町となっていた。早朝釜戸から大湫宿西に入り、日本一長いといわれる石畳の琵琶峠を越えて細久手宿に入った。尾張藩本陣の大黒屋旅館の前の公民館で昼食をして御嵩宿に向かった。やがて長い長い山道に入り秋葉坂三尊・謡坂・牛の鼻欠け坂等上り下りを繰返しながら歩きやがて平坦な街道となり、21号との合流点に中古36歌仙の一人恋多き「和泉式部廟所」があった。御嵩宿に入り本陣跡・みたけ資料館を見学して桜満開の願興寺近くで本日の目的地名鉄御嵩駅に午後4:10に到着した。今回は非常に変化に跳んだ街道歩きとなった。 27.東海道第8回19府中(5.6km)20丸子(7.8km)21岡部(6.7km)22藤枝(8.6km)23島田(4.0km)24金谷 計32.7km 日時:2015年3月13日、晴れ、単独 日程:JR安倍川駅9:00ー9:40丸子宿(丁子屋)ー11:00宇津ノ谷峠ー11:30十石坂観音堂(昼食)岡部宿ー藤枝宿ー15:35島田駅前ー大井川川越遺跡ー17:00金谷(JR金谷駅) 感想:今回はJR安倍川駅より東海道本線から離れ丸子宿・岡部宿へと歩き、その後藤枝宿から東海道本線沿いに島田宿・金谷宿へと歩いた。特にインパクトがあった箇所は「宇津ノ谷峠」と「大井川の川越遺跡」であった。9:00JR安倍川駅を出発し丸子宿本陣跡等を通過して丸子橋に到着。橋の手前で広重の浮世絵にある茅葺のとろろ汁の名店丁子屋で十返舎一九膝栗毛の碑と芭蕉の句碑「梅わかな丸子の宿のとろろ汁」を見学。往時宇津ノ谷峠越えの前に繁盛したようで現在も昔のままで営業していたが、時間が早く先へ進んだ。その後国道1号線と合流交差を繰返しながら次第に上り、宇津ノ谷トンネルの手前で右手宇津ノ谷峠に向かった。石段を登り、旧街道に入ると山中の細道となった。往時東海道の難所の一つと言われ広重の絵でも僧侶の旅姿や柴を背負った地元の人が難儀をしている様子。又在原業平の「蔦の道」、秀吉の小田原征伐時の馬の沓、歌舞伎「蔦紅葉宇都谷峠」等の逸話も多いようです。峠を下り「十石坂観音堂」にて昼食。午後より「玉露の里」(京都の宇治、福岡の八女と並ぶ玉露の産地)の看板に迎えられ岡部宿に到着。1号線に戻り柏屋歴史資料館・内野本陣跡等を通過して、整備された松並木を歩き藤枝宿に向かった。しかし葉梨川を渡った所で、道を間違え親切な地元の人の説明で旧街道に復帰でき、漸く藤枝宿に到着。宿場は商店街に変貌しており、時間ロスもあり、急いで通過して島田宿に向かった。鏡池堂・古東海道蹟等を通過して「島田髷」の発祥之地でもある島田宿に到着。やがて大井神社の前を通過して左折し、大井川川越遺跡に到着。往時「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」と歌われた東海道最大の難所にて札場・川会所・朝顔の松等見学した。ここで川札を買い人夫に渡し、肩車・蓮台等で対岸の金谷宿に渡ったようです。多くの人足や増水による川留等により島田宿も金谷宿も賑わったようです。昔を思いながら駿河と遠江の国境であった大井川を全長1026mの大井川橋で渡り金谷宿に入った。やがて大井川鉄道を横切り、佐塚屋・柏屋本陣跡を通過して今回の目的地JR金谷駅に17:00に到着した。 26.東海道第7回16由比(9.1km)17興津(4.1km)18江尻(10.5km)19府中(静岡) 計23.7km 日時:2015年1月14日 晴れのち曇、単独 日程:JR由比駅9:15ー10:00薩垂峠ー11:10興津ー11:15興津宿公園ー清見寺ー12:30江尻宿(清水)ー追分道標ー草薙神社大鳥居ー15:20府中(西郷・山岡会見碑・駿府公園)−安倍川橋ー17:00JR安倍川駅 感想:今回は天候はよいが寒い中背後に時々富士山を見ながらJR由比駅より駿河湾岸を南西に進んだ。やがて駿府に行く途中山岡鉄州が官軍に襲われた「望嶽亭」を通過して、広重の浮世絵で有名な難所の一つ薩垂峠を上り始めた。峠に到着して小休止。峠から眼下に東名高速・東海道線・国道一号線が交差し、駿河湾の向こうに雪に被われた富士山の眺望は絶景であった。また峠は蜜柑畑が多く6ケ一袋100円で購入したが、非常に新鮮で美味であった。その後峠を下り興津川橋を渡り興津宿に入る。JR興津駅前を通過して、興津宿公園で昼食。興津は歩道等は整備されているが昔の面影は殆んど無く東・西本陣跡碑を通過して東海屈指の名刹ともいわれた清見寺を見学。ここは徳川家康が駿府今川家の人質の時過ごした寺で鉄道を陸橋で越えた高台で駿河湾の眺望が良好。また近くの左手の西園寺公望の別荘坐魚荘の跡地西園寺公園前を通過した。やがて庵原川を渡り江尻宿に到着。JR清水駅前を通過して清水銀座・稚児橋を歩いたが昔の面影は少ないようです。江尻城は武田信玄が築城した城下町として栄えたようだが、清水港・清水次郎長・三保の松原等として知られる清水の方が有名のようです。やがて久能山に向かう「是より志三づ道」の追分道標等を通過してJR草薙駅前の草薙神社の大鳥居に到着。由緒ある神社ですがすこし街道から離れているため先を急ぎ府中宿に向かった。駿河の国の国府が置かれたので駿府或いは府中と呼ばれたようです。府中宿に到着後江戸無血開城の会見をしたといわれる西郷・山岡会見碑を見て駿府城公園を見学した。駿府城は日本百名城の一つで公園には家康の鷹狩姿の立像があり、家康はここに少年時代・本能寺以後関東移封まで・隠居城としての3回居住したようです。その後家康に献上して命名されたといわれる元祖安倍川餅を石部屋で土産に購入して安倍川を渡りJR安倍川駅に17:00到着した。 ![]() (広重の浮世絵と同じ薩垂峠から富士山を望む) 25.甲州街道第6回31甲府(12.2km)32韮崎(18.6km)33台ケ原(6.0km)34教来石(3.8km)35蔦木(12.8km)36金沢(13.4km)37上諏訪(5.0km)38下諏訪 計71.8km 甲州街道完歩 日時:2014年12月5〜7日、晴れ・晴雪曇・晴れ、Yさんと2人 日程:JR甲府駅9:15ー10:45諏訪神社ー11:45船形神社ー韮崎ー16:15旅館近江屋(泊)7:30−台ケ原ー10:30諏訪神社ー教来石ー山口関所跡ー蔦木ー15:20JR青柳駅=茅野駅(泊)=青柳駅7:30ー金沢ー茅野駅(タクシー)諏訪大社本宮10:00ー上諏訪(高島城址11:50)ー14:00諏訪大社秋宮ー14:20甲州道中・中山道合流之地碑ーJR下諏訪駅 感想:今回は甲斐の国から信濃の国に入り38宿約200kmの甲州街道が踏破でき感慨無量です。JR甲府駅より県庁・市役所前を通過して、相生歩道橋を右折し旧街道を歩き始めた。間もなく「西志んしゆうみち南みのぶみち」の道標を過ぎ荒川橋を渡り、以前ミレーの「落ち穂拾い」を鑑賞した山梨県立美術館前を通過して韮崎に向かった。やがて中央高速を潜りJR竜王駅の先で中央本線を渡り球形道祖神等に見送られながら赤坂を上った。途中御柱のある諏訪神社で小休止。やがて新府城に火を放ち岩殿城に向かった武田勝頼一行が燃える新府城を見て勝頼夫人が涙したといわれる大きな泣石がJR塩崎駅手前にあった。その後船形神社で昼食。午後から塩川橋を渡り韮崎市に入った。韮崎宿は富士川水運の終点で海産物・年貢米等の集散地として賑わった宿場のようです。また歩道も整備され電線も地下に配備され気持ちの良い宿場であった。韮崎宿を通過すると右手に蔦木宿まで続く長い不思議な断崖の七里岩(約28km)を見ながら進んだ。途中信玄が釜無川の堤防補強をした巨石「十六石」を見て神明宮で小休止。その後右手に釜無川・七里岩・八ヶ岳、左前に南アルプス・後に富士山を見ながら進み、一部旧街道を離れ20号を進み再度合流し上円井の休憩所で小休止。やがて本日の宿泊所牧原の近江屋旅館に到着。翌早朝出発して台ケ原宿に到着。銘酒「七賢」の酒屋・本陣跡・昔の面影が残る宿場で信玄餅の元祖とも言われる和菓子屋「金精軒」で土産を購入した。その後七里岩・南アルプス等を見ながら進み高台の諏訪神社で小休止。隣に「明治天皇御田植御通覧之碑」があり、明治天皇が明治13年行幸時にこの高台から田植えの様子をご覧になったようです。やがて甲斐・信濃の国境防備の山口関所のある教来石宿に到着。教来石は日本武尊が座った石といわれているようです。その後「山口素堂出生地之碑目に青葉山ほととぎす初かつお」を見て国界橋を渡り信濃に入り、信濃路の最初の宿場蔦木宿に向かった。日蓮上人所縁の高座石を通過すると標高731mの標識等山間の旧街道歩き、枡形道碑から蔦木宿に入った。街道沿いの民家には屋号の表札等があり昔の風情があった。再度枡形道碑を通過して金沢宿に向かった。旧街道には食堂・コンビニは殆んど無く漸く20号と合流し12:10ドライブインにて昼食。午後より雪が降り始め、やがて寒波襲来のためか本降りの雪となり前身に積る雪を掃いながら一部旧街道を避けて休むことなく20号進み富士見峠付近で漸く雪が止みJRすずらんの里駅近くを通過してJR青柳駅に到着した。当日は電車に乗り茅野駅近くのホテルに宿泊。翌日再度JR青柳駅から防寒装備をして歩き始めた。積雪があり心配したが20号は歩道が整備されており一部旧街道を避け20号を歩きやがて金沢宿に到着。金沢宿は山間の宿場であるが20号線沿いのため昔の面影はないようです。やがて権現の森・酒室神社等を通過して茅野駅に到着。ここから旧街道を離れタクシーで格式の高い諏訪の国一の宮諏訪大社本宮に参拝した。参拝後県道183号を歩き四賀桑原で20号と合流し、上諏訪宿手前で旧街道に合流し真澄・横笛等の酒屋や旧家等を見ながら上諏訪宿を見学した。再度旧街道を離れ百名城の一つで浮城とも言われ天守閣が復元されている諏訪家所縁の高島城址を見学した。その後上諏訪駅近くでの昼食信州蕎麦は美味であった。午後より吉田の松・先宮神社等を通過して諏訪湖を見ながら高台を歩き、甲州街道最後の一里塚(53番目)を過ぎ諏訪大社秋宮を参拝した。寅申年に行われる勇壮な御柱祭りの一番大きなモミの木御柱はこの秋宮の一之柱のようです。参拝後目的地である近くの「甲州道中・中山道合流之地碑」に到着した。非常に素晴らしい街道歩きで感慨無量・達成感があった。この街道歩きの同行に賛同頂いたYさんに感謝。 ![]() (甲州街道踏破地の甲州道中・中山道合流之地碑の前にてYさんと) 24.甲州街道5回18猿橋(1.5km)19駒橋(1.2km)20大月(2.2km)21花咲(4.2km)22初狩(2.4km)23白野(2.2km)24阿弥陀街道(0.9km)25黒野田(9.0km)26駒飼(1.3km)27鶴瀬(4.3km)28勝沼(2.9km)29栗原(2.9km)30石和(6.2km)31甲府 計40.9km 日時:2014年11月21〜22日、晴れ・晴れ、Yさんと2人 日程:JR猿橋駅9:30ー駒橋ー大月ー花咲ー初狩11:40(昼食)白野ー笹子ー黒野田ー15:45笹子峠(1096m)−16:30駒飼ー鶴瀬ー近藤勇像ー18:15勝沼(宿泊)8:30ー栗原ー浅間神社ー笛吹橋ー石和11:40(昼食)甲府(甲府城址)14:45JR甲府駅 感想:今回は小仏峠と並び甲州街道の難所笹子峠越をして甲斐の国を西進した。JR猿橋駅を出発して間もなく駒橋宿を通過。駒橋宿は本陣・脇本陣を持たなかった宿場のようで、やがて右手に小山田信茂の居城であった岩殿山を見て大月宿に到着。岩殿城に退却しようとした武田勝頼は小山田に裏切られ天目山にて自害し、武田家は滅亡したようです。大月商店街を通り、やがて桂川の手前の道標「右手甲州道、左手富士山道」を確認して大月橋を渡り花咲宿に到着。本陣跡等を通過して、緩い坂道を上り笹子川を真木橋で渡り初狩宿に到着。その後次第に高度を上げながら両側から山が迫る中を歩き、初狩小学校近辺にて昼食。午後から昔の面影の残る鄙びた白野宿を通過して、笹子橋を渡り阿弥陀街道宿に到着。その後老舗の酒造屋等を通過して次の黒野田宿に到着。この宿場は最大の難所笹子峠を控え賑わったようです。本陣跡等を見ながら通過していよいよ笹子峠入口に到着し山道に入った。鬱蒼とした杉林・「クマ出没注意」看板・「明治天皇御野点所跡碑」を通過して杉の大木と杉良太郎の歌碑のある「矢立の杉」で小休止。ついで暫らく狭い山道を急登して笹子隋道等を通過して笹子峠1096mに到着小休止。下りは少し楽になり整備された長い道のりを下り山間の駒飼宿に到着。近くの景徳院に武田勝頼家族のお墓があるようですが、先を急ぎ20号線と合流して鶴瀬宿に到着して勝沼宿に向かった。日没となりヘッドランプを着用して20号線を歩いたが車が多く特に大型車の場合は少し怖く無謀な街道歩きとなった。柏尾橋手前に近藤勇の銅像「近藤勇柏尾古戦場」碑があり、近藤率いる幕府軍と板垣退助率いる官軍が戦った地のようです。柏尾交差点で20号と分かれ漸く本日の宿泊所勝沼宿のワイン民宿に到着した。民宿は少し高台にあり翌朝周囲を見渡すと甲州ぶどう発祥の地勝沼の広大なブドウ園・西側に甲斐駒等の南アルプスが見えた。8:30出発して徐々に下りながら昔の面影の無い栗原宿に到着。その後少し旧街道を離れ甲斐の国一の宮で桃の産地でもあり、又中央高速道から鳥居が良く見える国幣中社浅間神社に参拝。その後水の綺麗な笛吹川の手前で再度旧街道と合流して笛吹橋を渡り石和宿に向かった。橋を渡ると今回初めて富士山を左後に見ながら進み「笛吹権三郎像」を見て、田んぼからお湯が出た温泉で有名な石和宿に到着。石和でのB級グルメで優勝した「鳥もつ煮」の昼食は美味であった。午後から街道沿いで箱根マラソン等で有名な山梨学院大學の連歌発祥の地碑がある校庭で小休止。やがて甲府宿が近くになり、少し街道を離れ日本百名城の一つ甲府城址天守台のある舞鶴城公園に到着した。甲府城は秀吉の命により徳川家康を牽制するため浅野長政・行長に築城させたようです。天守台からは北側に躑躅ケ崎館跡に建てられた武田神社、西側は雪を被る甲斐駒ケ岳・仙丈ケ岳・北岳・間ノ岳・鳳凰山等が、南は遠くに雪を被る富士山の絶景が望めた。今回は昨日無理をしたので少し早めに切上げJR甲府駅前の武田信玄像に見送られ特急あずさでビールを飲みながら帰路に着いた。 23.奥州街道第1回1宇都宮(12.1km)2白澤(6.9km)3氏家 計19km 日時:2014年11月14日、晴れ、Oさんと2人 日程:JR宇都宮駅9:00ー白沢宿ー11:45白鬚神社ー阿久津橋(鬼怒川)−13:30高尾神社ー勝山城址ー14.30JR氏家駅 感想:当初の奥州街道は日本橋〜白河宿のようで、宇都宮までは日光街道と同じ道のため、宇都宮〜白河までの奥州街道10宿を那須高原に引越しした友人Oさんと歩き始めた。JR宇都宮駅で待合せ上河原を右折して旧街道に入り、旧篠原住宅等を通過して、新幹線を潜り歩道も整備された白沢街道を北北東に直進した。海道町に入ると左手に日光連山の男体山(2484m)等を見ながら並木道で小休止。今回街道歩きの唯一の坂稚児坂を越え白澤宿に入った。白澤宿の街中は左右に水路があり、流れる水も綺麗で小さな水車が廻っていた。高台の白鬚神社で昼食。午後より本陣跡を通過して白沢宿の出口枡形道を右折して、暫らく歩くと田園風景の広がる一本道となった。遠くに那須茶臼岳(1917m)等を見ながら進むと、やがて鬼怒川の土手に到着。長い阿久津大橋を渡り氏家宿に向かった。鬼怒川は非常に水が綺麗で底も良く見え、数人の釣人がおり、下流は遠くに筑波山(876m)等も見え橋からの眺めは絶景であった。橋を渡ると宇都宮市からさくら市になり、高尾神社で小休止。その後将軍地蔵・さくら市ミュージアム・勝山城址等を通過して、更にバイパス・お伊勢の森・東北本線を渡り、道標を左折して氏家宿に入った。氏家は日本画の巨匠荒井寛方生誕の地で寛方・タゴール平和記念館を右手に見ながら通過して本日の目的地JR氏家駅に到着した。駅前での一杯は格別であった。今回は天気も良く快適な第1回奥州街道歩きであった。 22.中山道第8回31洗馬(3.3km)32本山(7.6km)33贄川(7.1km)34奈良井(5.5km)35薮原(7.5km)36宮ノ越(8.7km)37福島(8.5km)38上松(12.1km)39須原(7.5km)40野尻 計67.8km 日時:2014年11月9〜11日、雨・晴れ・曇り、OさんOさんYさんと4人 日程:9:30JR塩尻駅(タクシー)洗馬宿10:00ー本山宿ー11:40木曽路の碑12:00ー贄川宿ー15:30奈良井宿16:00(宿泊)8:00鳥居峠(1197m)11:00藪原宿ー13:40宮ノ越宿(義仲館)−14:45中山道中間点ー16:30福島宿(福島関所跡・宿泊)7:30−木曾の桟ー上松宿ー10:20寝覚の床ー小野の滝ー須原宿ー15:30野尻宿 感想:今回は島崎藤村夜明け前「木曽路はすべて山の中である」等で人気のある木曾十一宿(贄川宿〜馬籠宿)に歩を進めた。東に伊那山系、西に木曾山系の山の中を国道19号線・旧街道・JR中央線・木曽川と何度も交差し、紅葉の素晴らしい景色を見ながら南進した。JR塩尻駅から前回の洗馬宿までタクシーに乗り、洗馬宿から歩き始めた。秋の田園風景の中を歩き、やがて山が近くに迫る蕎麦の里本山宿に到着。家並み屋号の看板等昔の面影が残る本山宿・JR日出塩駅を通過して、「是より南木曾路」道標所にて昼食。旧道と19号を交差しながら歩きやがて贄川宿に到着。JR贄川駅・贄川関所跡を通過したが、それほど昔の面影はなく、工芸館等があった。ここから「信濃路中山道自然歩道」の標識に従い歩き、樹齢千年の栃の大木を通過して、やがて漆器産業が盛んな木曾平沢に到着。老舗の漆器店の家並みは見事であった。その後日本海に流れる奈良井川に沿って歩きやがて人気のある本日の宿泊地奈良井宿に到着。奈良井宿は観光客も多く建物保存地区には本陣跡・高札場・資料館等昔の美しい家並みの宿場町の様子が残されていた。翌日奈良井宿を出発し石畳の残る、また良く整備された山道に入り、中山道の難所鳥居峠に到着小休止。鳥居峠は分水嶺のようで、北は奈良井川から犀川・千曲川・信濃川となって日本海へ。南は木曽川となり、太平洋へ注ぐ。先日大噴火した御岳の噴煙を時々遠くに見ながら下り、尾張藩鷹匠役所跡・飛騨街道分岐の碑を過ぎ、やがて薮原宿に到着。薮原宿はお六櫛の産地のようです。JR薮原駅の上部にある道の駅にて昼食。午後から紅葉の中、近くの清流木曽川を見ながらの歩きは気分爽快であった。やがて巴淵で小休止。謡曲「巴」の説明版のある巴淵は紅葉が絶景であった。その後旧街道は木曾義仲所縁の宮ノ越宿に到着。義仲館は残念ながら休館であったが、館前の巴御前と義仲の武装した銅像は見事であった。やがて間の宿のJR原野駅を過ぎると中山道中間点の標柱に到着小休止。ここから雪を被った木曾駒ケ岳は絶景であった。中間点を過ぎて歩き出すと京都が次第に近くに感じるようになり、やがて木曾大橋の下を潜り本日の宿泊地木曽福島宿に到着。木曾福島は大きな町で天下の四関といわれた福島関所跡・高瀬家(藤村姉嫁ぎ先)等昔の宿場町の名残有。翌日早朝出発し日本三大奇橋といわれた名所木曾の桟を見て、やがて上松宿に到着。木曾檜の集散地の名残上松材木役所跡等を通過後、木曽川の急流が花崗岩を侵食して出来た名所で浦島伝説もある寝覚の床の絶景を臨川寺境内から見学。蕎麦昼食後広重の絵で有名な名所小野の滝を見学。現在は滝の上部を中央線の線路が通過するが、当時の様子を窺える見事な滝であった。その後JR倉本駅前を通過後木曽川と平行して歩きやがて須原宿に到着。須原宿の街道沿いにはサワラで作られた水舟が置いてあり、穏やかな宿場の様子を醸し出していた。また木曽路には酒造蔵があり「木曽路」「七笑」「中乗りさん」等の人気のブランドの宣伝看板が多くあり、同行Oさんが須原宿でどぶろく風味の「杣酒」を購入し、美味であったようだ。その後JR大桑駅を通過して、今回の目的地野尻宿JR野尻駅に15:30に到着した。今回は紅葉の季節に木曾川を見ながらの快適な街道歩きであった。 21.東海道第6回12沼津(5.9km)13原(11.7km)14吉原(11.1km)15蒲原(3.9km)16由井 計32.6km 日時:2014年10月29日、晴れ、単独 日程:JR沼津駅8:40ー9:10千本浜公園ー10:20松陰寺ー10:30原宿ー11:20東田子の浦駅ー11:35愛鷹神社(昼食)吉原駅ー富士と港の見える公園ー左富士神社ー13:00平家越の碑ー14:35松岡水神社ー15:50蒲原宿本陣ー16:30由比本陣公園ー17:15JR由井駅 感想:今回は駿河湾の北、右手に富士山を見ながら、国道1号線と東海道本線を交差をしながら平坦な旧街道を西進した。JR沼津駅を出発して、歌人若山牧水終焉の地乗運寺のお墓に参拝。その先千本浜公園から見る何処までも続く砂浜・千本松原と頂上付近を雪に被る富士山は素晴らしい景観であった。公園入口の歌碑「幾山河越えさりゆかば寂しさのはてなん国ぞけふも旅ゆく」等を見学して、旧街道に戻り長い1本道を西進した。「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」といわれるJR原駅の手前で臨済宗の名僧、白隠禅師坐禅和讃等で著名な白隠禅師のお墓のある松陰寺に参拝小休止。原宿は殆んど昔の面影は無く、渡辺本陣跡等を通過して、吉原宿に向かった。やがて愛鷹神社にて昼食。午後から広重の浮世絵の枠をはみだした富士山を右側に見ながら進んだ。やがてJR吉原駅に到着。近くの田子の浦港の「富士と港の見える公園」に行ったが松林で富士山が良く見えなく、万葉集・百人一首等で有名な山部赤人の田子の浦の歌碑は、対岸の「ふじのくに田子の浦みなと公園」にあるようで、先を急ぐため、その後東海道本線と離れ北西に向かった。吉原宿の広重の絵には左富士が描かれており、街道で唯一富士山が左側に見えるといわれる場所は左富士神社から名勝左富士の僅かな距離のみであった。その後源平の戦富士川合戦の地といわれる「平家越えの碑」を見て吉原宿に到着。吉原宿はJR吉原駅近辺の元吉原から岳南鉄道の吉原本町駅付近に移されたようで、現在は昔の面影の無い長い商店街になっていた。やがて身延線を横切り、富士川の手前の松岡水神社で小休止。その後日本三大急流の一つといわれる富士川を渡り、小さな峠間の宿岩淵を通過後、東名高速を横断して富士市より静岡市清水区蒲原の新蒲原駅近くの蒲原宿に到着。この宿場は東西木戸・本陣跡・一里塚・なまこ壁の家並等昔の面影を残していた。その後西進してやがて昔の面影を残す由比宿に到着。由比本陣公園は整備されており、その中の東海道広重美術館を見学して広重の53次の浮世絵等を鑑賞した。また本陣前に江戸初期倒幕を企てた由比正雪の生家は「正雪紺屋」の看板で土産物等を販売していた。当日は遅くなり本陣より少し離れたJR由比駅17:15に到着。今回は快晴で右側・左側・後に頂上付近を雪に被った富士山を堪能しながらの快適な街道歩きであった。 20.東海道第5回9小田原(16.5km)10箱根(14.7km)11三島(5.8km)12沼津 計37km 日時:2014年10月19日、晴れ、単独 日程:小田急箱根湯本駅8:30ー早雲寺ー10:00畑宿一里塚ー11:00甘酒茶屋ーー12:00恩師箱根公園ー箱根関跡ー12:45箱根峠(846m)−14:00菊池千本槍の碑ー15:15錦田一里塚ー15:40三嶋大社ー17:00JR沼津駅 感想:今回は昔の旅人を思い出しながら瀧廉太郎作曲箱根八里の「箱根の山は天下の嶮函谷關も物ならず」の東海道最大の難所箱根峠越を単独で歩いた。当日観光客の多い前回の小田急箱根湯本駅を出発した。三枚橋で早川を渡るとすぐに箱根東坂の上りになり、右手の北条五代の菩提寺早雲寺は工事中であった。やがて旧箱根街道一里塚跡の碑の先で右に下り最初の短い石畳になった。再度県道に戻り、やがて須雲川自然探勝歩道に入り、杉並木を通過して、木橋を渡り、曽我五郎所縁の割石坂から石畳をUP-DOWNして,再度県道に出て、次いで石畳の綺麗な大沢坂を登ると、寄木細工の里・畑宿に到着。畑宿は箱根旧街道の間ノ宿として栄えたようで、はずれの畑宿一里塚で小休止。更に西海子坂の石畳を上り、最も急坂橿木坂の階段を休みながら上り、樫の木平の見晴茶屋を過ぎ、更に猿すべり坂・追込坂を越えて親鸞所縁の笈ノ平を過ぎ、甘酒茶屋での小休止の甘酒は美味であった。ここは人気があり多くの観光客・ハイカー等が甘酒・力餅等を食していた。休憩後白水坂を上りきると、下りになり、途中「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」の箱根馬子唄の歌碑があり、そこからの二子山・ロープウエイの駒ケ岳の景観。更に権現坂を下ると漸く芦ノ湖が見えた。更に下り英国貿易商のケンペル・バーニー碑、杉並木を抜け観光客の多い芦ノ湖河畔に到着した。寄木細工・土産店等を見ながら鳥居を潜り、杉並木を通過して、箱根八里の歌碑がある恩賜箱根公園で昼食。午後から箱根関所跡を通過して駒形神社の先から箱根旧街道の石畳(向坂・赤石坂・釜石坂・風越坂・挟石坂)を上り、漸く相模と伊豆の境の箱根峠に到着。ここからは箱根西坂となり、峠の地蔵を過ぎ、旧街道茨ケ平から篠竹トンネルの石畳の下りとなった。途中秀吉が兜を置いて休息したと言われる兜石・井上靖「北斗欄干]碑・山中城跡等を見ながら長い長い石畳やこわめし坂の急坂を国道と交差しながら下り、途中菊池千本槍碑で小休止。又国道1号線と合流して錦田一里塚で小休止後、五本松から旧街道を歩き15:40頃伊豆の国一の宮で、源頼朝が源氏再興を祈願したといわれ、また広重の浮世絵にも描かれている三嶋大社に到着参拝した。三島花柳界で歌われる三島農兵節の記念碑が近くにあるようですが通過して、その後黄瀬川を渡り、歌舞伎「伊賀越道中双六」所縁の沼津の平作地蔵をみて17:00JR沼津駅に到着した。今回は東海道最大の難所箱根峠越ができ満足の1日であった。 19.甲州街道第4回12関野(3.1km)13上野原(1.6km)14鶴川(4.2km)15野田尻(2.8km)16犬目(5.1km)17鳥沢(3.9km)18猿橋 計20.7km 日時:2014年10月4日、曇り、Yさんと2人 日程:JR藤野駅8:40ー9:40諏訪神社ー上野原宿ー鶴川宿ー11:30吾妻神社(昼食)−野田尻宿ー犬目宿ー鳥沢宿ー猿橋ー16:00JR猿橋駅 感想:今回は旧街道・山道・国道20号との合流・中央高速との交差等を繰返しながら坂道の多い街道を西進した。紅葉には少し早く、道端には道祖神・地藏等が、またコスモス・彼岸花等の花を見ながら歩いた。また宿場間の距離は短いが、その度に小さな峠を越え、鄙びた次の宿場が見え、昔の旅人を思い出しながら歩いた。JR藤野駅をスタートして、関野宿本陣跡を過ぎ坂道を下り、境川を渡り、カーブをしながら上って行くと諏訪関所跡続いての諏訪神社にて小休止。やがて一里塚跡を過ぎると上野原宿に到着。昔の面影の残る街中を歩き鶴川入口で国道と分かれ、下って行き鶴川橋を渡り鄙びた鶴川宿に到着。やがて分岐で左の坂道を上り、大椚一里塚跡で小休止。この集落は名前の通り大椚が多く家も庭も綺麗に整備されていた。さらに少し歩いて吾妻神社で昼食。旧街道には殆んど食堂・コンビニはなく持参の弁当は美味であった。午後より中央高速を越え、旧街道を上り下りして野田尻宿に到着。やがて格調の高そうな西光禅寺を通過し、再度高速を2度交差して、矢坪坂分岐で武田と北条が合戦した「矢坪坂の古戦場跡」碑を見学。狭い山道を上り下りして、やがて犬目宿に到着。恋塚一里塚を通過してかなり下って行きやがて20号に合流して鳥沢宿に到着。鳥沢からは車の多い20号歩きとなった。やがて桂川に架かる岩国錦帯橋等と並び日本三大奇橋といわれる猿橋を見学した。釘を使用せず木の組合わせで作った日本の内匠の橋のようです。小休止後JR猿橋駅(駅前に食堂なく)から帰路につき、途中東京駅での会食は格別でした。 18.中山道第7回23塩名田(2.6km)24八幡(3.7km)25望月(5.2km)26芦田(5.5km)27長久保(7.4km)28和田(宿泊・22.6km)29下諏訪(宿泊・11.7km)30塩尻(6.5km)31洗馬 計65.2km 日時:2014年9月14〜16日、3日間晴れ、OさんOさんYさんと4人 日程:JR佐久平駅8:20(タクシー)塩名田宿8:30ー千曲川ー八幡神社ー瓜生坂一望月宿ー茂田井間の宿11:00(昼食)11:30ー芦田宿ー笠取峠ー長久保宿ー和田宿16:30和田鍛冶足(車送迎宿泊)8:00−男女倉口ー11:00和田峠(1531m)11:40ー水戸浪士の墓ー木落とし坂ー諏訪大社下社春宮・万治の石仏ー甲州街道中山道合流之地碑ー諏訪大社下社秋宮16:30(宿泊)8:00−10:20塩尻峠(1052m・昼食)塩尻宿ー平出遺跡ー14:15洗馬宿(タクシー)JR塩尻駅 感想:今回はJR佐久平駅からタクシーで前回の塩名田宿まで行き歩き始めた。路傍の道祖神や地蔵様に迎えられ、黄金の稲穂の北東に浅間山、リンゴ・葡萄等果樹園の南方に蓼科山等の長閑な田園風景を見ながら佐久平高原を快適に西進した。中津橋で舟つなぎ石を見ながら千曲川を渡り、やがて八幡宿に到着。祭りの準備中の八幡神社で小休止。本陣跡を通過して瓜生坂を越え望月宿に到着。この宿場は石仏の里と言われ多くの道祖神等があり、町並みもよく保存されていた。本陣跡・旧家を通過して、やがて若山牧水の歌碑のある茂田井の白壁造り酒屋等を見ながら茂田井間の宿を通過して廃校の運動場にて昼食。やがて芦田川を渡り芦田宿に到着。本陣跡等を見学後約1kmの木陰の涼しい松並木を上り小休止。以外にもここからも長い上りの笠取峠を越えると長久保宿に到着。本陣跡等昔の面影が残る宿場を通過して自販機で水分を補給しながら和田宿へ到着。和田宿は往時和田峠の難所を控え繁盛したようです。しかし現在は旅館も無き為、近くのペンションに鍛冶足一里塚での送迎を依頼した。翌日黒曜石の産地であった和田峠に向かった。三十三体観音・永代人馬執行所過ぎ、整備された石畳も残る山道を何度も休憩をしながら登り、中山道最難所の和田峠に到着後宿の弁当にて昼食。峠には御嶽山遥拝碑等あり眺望は良好。下りは急斜面もあり、やがて幕末戦死した水戸浪士の墓を通過。旧街道を歩いているが所々で国道と合流すると車が多く閉口した。その後諏訪大社御柱祭りの木落とし坂を見学すると下諏訪の眺望が開けた。更に下り諏訪大社下社春宮に参拝後岡本太郎が絶賛したと言われる万治の石仏を3周して祈願した。次いで甲州街道・中山道合流之地碑を確認し、諏訪大社下社秋宮を参拝後隣のホテルにて下諏訪温泉を堪能した。翌日下諏訪温泉街を抜け、茶屋本陣跡等を通過して、高度を上げながら石船観音に到着して小休止。熊注意の看板を見ながら塩尻峠に向かった。やがて明治天皇野点の碑がある塩尻峠に到着小休止。下りは蕎麦畑・眼下の塩尻の市街を見ながら下った。昼食に信州蕎麦を期待したが、歩けども歩けども食堂はなくコンビニにて昼食。休憩のため大きなケヤキのある大門神社で中休止。午後も当日は暑く平出遺跡を通過して途中街道沿いの葡萄狩り店で桃・葡萄の補給休みは美味であった。やがて洗馬宿に入り右中山道・左善光寺道の道標を見て、本日は無理せずJR洗馬駅にて終了とした。 17.甲州街道第3回7駒木野(3.3km)8小仏(4.4km)9小原(2.5km)10与瀬(3.1km)11吉野(3.4km)12関野 計16.7km 日時:2014年9月6日(土)晴れ、Yさんと2人 日程:JR高尾駅8:30ー小仏関所跡ー景信山登山口ー10:45小仏峠(昼食)11:15ー12:30小原宿本陣13:00ー与瀬宿ー吉野宿ー14:45JR藤野駅 感想:残暑厳しい中JR高尾駅をスタートして、国道20号高尾山口への分岐西浅川を右折して小仏峠に向かった。駒木野宿には小仏関所跡・駒木野宿碑等があり、念珠坂碑等を見ながら緩やかな坂を上って行った。途中バス停日影では多くの登山者が下車して城山に向かった。バスの終点小仏停より高度を上げ影信山登山口を通過して、やがて杉林・石ころ等の細い道の登山道を上り高度560mの小仏峠に到着。ここで昼食をしたが小仏峠は西の影信山・陣馬山、東の城山・高尾山に向かう縦走路になっており多くの老若男女の登山者が行きかった。小休止後峠の明治天皇小仏峠小休止碑から旧甲州街道碑を確認して下って行った。やがて小原宿に到着後現存する神奈川県下唯一の本陣を無料見学小休止。説明書によると甲州道中を利用したのは信州の高島藩・高遠藩・飯田藩の3藩のみだったようです。やがて左側に相模湖を見ながら与瀬宿を通過した。その後吉野宿に向かったが起伏のある坂道が多く今回は小仏峠を登ったため無理をせず20号線を歩いた。しかし20号は歩道が整備されてなく車が多く、やはり坂道が多いが車の少ない旧街道がよいようです。また本日は気温30度もあり無理をせず、関野宿の手前JR藤野駅にて終了した。駅前食堂での乾杯のビールは格別であった。 16.中山道第6回17坂本(12.7km)18軽井沢(宿泊・3.9km)19沓掛(4.7km)20追分(5.7km)21小田井(4.6km)22岩村田23(5.6km)23塩名田 計37.2km 日時:2014年6月29〜30日(日・月)曇、雨、晴れ、OさんOさんYさんと4人 日程:JR横川駅9:15ー碓井関所跡ー坂本宿(11:15登りで昼食)碓井峠(1188m)−16:30軽井沢(宿泊)8:00ー追分宿(追分宿郷土館・堀辰雄文学記念館)御代田(11:30昼食)小田井宿ー岩村田宿ー15:30塩名田宿(バス16:29)16:39JR佐久平駅18:33 感想:今回は初めての1泊2日の旅で、梅雨の時期中山道和田峠に次ぐ難所の碓氷峠を越えて上州より信州に入った。JR横川駅をスタートして、碓井関所跡を見学して18号に合流後、緩さかな坂道を登りながら昔の面影を残す坂本宿に入り佐藤本陣跡等を見学。やがて国道を離れ狭い登山道に入った。道は次第に険しくなり柱状摂理・上り・下り地蔵・馬頭観音・風穴等を通過しながら刎石山の麓の碓井坂関所跡に到着後山中にて昼食。その後も高度を上げ堀切・南北向観音・座頭ころがし・栗が原・山中茶屋跡等を通過して熊野神社のある最高峰の旧中山道碓氷峠跡(1188m)に到着。近くで信州蕎麦を味う。その後見晴台で軽井沢の素晴らしい景色を見た。碓氷峠はJR横川駅約標高400mから碓氷峠約1200mで標高差800mあり、更に山賊が多かった場所・熊注意等、その上私とYさんが蛭にやられバンドエイド持参で助かったが、噂どおりの難所であった。その後碓氷峠遊覧歩道入口から林浴をしながら旧軽井沢に下った。軽井沢銀座は大勢の観光客で別世界であった。当日は軽井沢宿の民宿に宿泊し、近くでの台湾料理の夕食は美味であった。翌日AM8:00に出発し六本辻から軽井沢の別荘地等を気持ちよく西進した。沓掛時次郎所縁の沓掛宿を通過してやがて追分宿に入った。追分は中山道と北国街道の分岐で、更に善光寺参りや草津温泉湯治客等非常に栄えた宿場のようで、昔の面影が残り案内板も整備されていた。追分宿資料館・堀辰雄文学記念館を見学後少し下りながら西南西に進路をとり軽井沢の高原を快適に歩いたが、天候が曇りのため浅間山を遠望することが出来なかった。小田井宿手前の手打信州蕎麦の昼食は美味であった。その後安川家本陣跡等が残る小田井宿を通過して、長野新幹線を潜り佐久IC近くを通り岩村田宿に到着。長い商店街の相生町を右折して小海線を通過後、リンゴ園・高原野菜等の田園風景の中を歩き、やがて駒形神社で最後の休憩を取り、本日の目的地塩名田宿に到着した。時間調整のため塩名田神社で休憩後バスにてJR佐久平駅に到着。信州での爽やかな高原歩き後の駅前での会食は格別であった。 15.中山道第5回14板鼻(3.3km)15安中(9.7km)16松井田(8.8km)17坂本(横川) 計21.8km 日時:2014年6月1日(日)晴れ、OさんOさんYさんと4人 日程:JR群馬八幡駅8:50ー板鼻宿ー安中宿ー新島襄旧宅(11:40昼食)磯部ー松井田宿ー碓井神社ー16:30JR横川駅 感想:今回はJR群馬八幡駅から18号線・信越本線を交差・合流をしながら緩やかな坂道を海抜380MのJR横川駅まで西進した。群馬八幡駅から18号に出て、碓井川に沿って歩き、公民館になっている板鼻宿本陣に到着。本陣は皇女和宮降嫁時に宿泊したようです。やがて安中駅を通過して、安中宿に到着。郵便局の安中本陣跡碑の近くの武家屋敷を見学後、少し街道より離れた新島襄旧宅(同志社大学創始者)を見学した。昼食後日本マラソンの発祥とも言われる「安中遠足侍マラソン」で紹介されている原市の杉並木を通過して、街道筋の道祖神・庚申塔や上州三山の一つ切立った妙義山を見ながら松井田宿に到着。その後安中城址跡の補陀時を通過後一時農道を歩き、茶釜石のある坂道や・諏訪神社等で休憩しながら、碓井神社で最後の休憩をした。やがて横川の街道に入り今回の目的地峠の釜飯で有名な坂本宿手前のJR横川駅に到着した。30度を越える暑さの中でのウオーキング後の横川駅前でのビールは格別であった 14.甲州街道第2回府中(8.2km)5日野(6.8km)6八王子(6.1km)7駒木野 計21.1km 日時:2014年5月、晴れ、Yさんと2人 日程:京王府中駅8:45ー分倍河原ー谷保天満宮ー日野橋ー11:30(昼食)日野宿ー大和田橋ー八王子ー追分分岐ー15:10JR高尾駅 感想:今回は京王府中駅から20号線を交差・合流しながらJR高尾駅まで西進した。大国魂神社前で旧街道に入り、府中高札場跡碑、左手分倍河原駅を通過、高安寺参拝、20号に合流して熊野神社に参拝小休止。やがて国立インター入口で256号に入り、関東3大天神(湯島・亀戸天神と並び)の1社で菅原道真の三男が左遷された由緒ある谷保天満宮に参拝。右手矢川駅を通過して、その後国立市から立川市に入り日野橋五差路交差点を左折して遠く富士山の絶景を見ながら多摩川を渡り、新撰組発祥之地等の看板がある日野市入った。川崎街道を過ぎると甲州街道唯一残る日野宿本陣を見学して日野駅前にて昼食。午後より日野自動車次いでコニカミノルタの大きな工場塀に沿って歩いた。やがていちょう並木の整備された八王子市に入った。その後以前八王子市民マラソンで走った浅川を大和田橋で渡った。八王子市は大きな都市で駅近辺は高いビルが林立しており人も多く賑やかであった。追分分岐で高尾方面に入り、武蔵御陵入口を通過、熊野神社で最後の小休止をして本日の目的地JR高尾駅に着いた。高尾駅前での一杯は格別で、客は殆んど高尾山等の登山客であった。 13.中山道第4回10本庄(8.9km)11新町(6.7km)12倉賀野(4.8km)13高崎(8.1km)14板鼻 計28.5km 日時:2014年5月11(日)晴れ、OさんOさんYさんと4人 日程:JR本庄駅8:50ー神保原ー神流川古戦場跡碑ー新町宿(12:00昼食)倉賀野宿ー高崎城址公園ー16:40少林山達磨寺ーJR群馬八幡駅 感想:今回はJR本庄駅より17号線と交差・合流を繰返しながら、高崎に向かい北西に進んだ。本庄宿ではレンガ造りの旧本庄商業銀行等昔の面影を偲び、樹齢400年のクスノキの巨木のある金讃神社に参拝。神保原駅を通過して金窪神社参拝後、間もなく埼玉・群馬の県境の神流川を渡った。群馬側の橋の袂に「神流川古戦場の跡碑」(織田信長が本能寺にて倒れ、上野の滝川一益が伊勢方面に帰る途中北条軍と戦)があった。新町宿に入り高札場跡等を見学して烏川手前で昼食。柳瀬橋を渡り岩鼻で左折して倉賀野宿に到着。倉賀野の追分に中山道と日光例幣使道との道標及び常夜灯があり交通の要衝であったようです。次いで安楽寺で小休止後高崎宿に向かった。高崎城址公園(日本百名城の高崎城は家康の関東移封後中山道・三国街道分岐の要衝として井伊直政が築城)で休憩後、高崎神社に参拝して「君が代橋」を渡りながら、遠くに見える「高崎白衣大観音」にお祈りした。やがて若宮八幡宮で最後の休憩をして、碓井川を渡り、だるま市等で有名な今回の目的地黄檗宗少林山達磨寺に参拝した。第67代総理福田赳夫等の両目の達磨が多数奉納されており、土産に縁起物の達磨を購入した。その後JR群馬八幡駅前での会食は、暑い中でのウオーキング後のため格別であった。 12.中山道第3回JR行田駅(5.5km)8熊谷(11.8km)9深谷(11.0km)10本庄 計28.3km 日時:2014年4月13日(日)晴れ、OさんOさんYさんと4人 日程:行田駅8:30ー熊谷桜堤ー高城神社・熊谷寺ー11:30(昼食)12:00籠原ー深谷ー岡部ー16:30本庄駅 感想:今回はJR行田駅をスタートして17号線と合流・交差を続けながら高崎線と平行に北西に進んだ。荒川の土手に出て、熊谷駅手前で旧道を離れ、日本さくら100選のソメイヨシノ500本と言われる熊谷桜堤を見学。残念ながら既に散っていたが菜の花は見事であった。その後旧道に合流して平家物語で有名な熊谷直実所縁の高城神社・熊谷寺を、織田信長の幸若舞敦盛の一節「人間五十年 化天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり 一度生を享け滅せぬもののあるべきか」を思い出しながら見学した。皇女和宮も熊谷宿に宿泊したようですが、当時の面影を残す建物等は殆んどなかった。その後籠原手前で昼食後ネギや元運輸大臣の特急停車等で有名な深谷宿に到着。深谷宿の東西の常夜灯は中山道最大級で、非常に大きく素晴らしかった。またこの地は飯盛女が多かったようで見返り松や、レンガ造り・蔵・酒蔵等あり、往時は栄えた宿場の面影を残していた。その後街道筋の地元の神社の竜宮神社・岡部神社・八幡神社等で小休止をしながら本日の目的地本庄宿に到着した。ウオーキング後の駅前での中華料理は格別であった。 11.甲州街道第1回日本橋(8.5km)1内藤新宿(7.5km)2高井戸(7.8km)3布田五ケ宿(5km)4府中 計28.8km 日時:2014年4月5日(土)晴れ、Yさんと二人 日程:日本橋8:30ー四谷大木戸跡ー太宗寺(江戸六地蔵)内藤新宿ー環状7・8号11:50(昼食)12:30ー高井戸宿ー野川ー布田宿ー西光寺(近藤勇像)−大国魂神社ー16:30府中宿 感想:お互いに百名山を踏破した登山仲間のYさんと桜満開の季節に、甲州街道日本橋〜下諏訪38宿約200kmのウオーキングをスタートした。日本橋交差点を右折、日比谷通りを左折して、GHQが置かれたと言われる第一生命前を通過して日比谷を右折。桜田門・警視庁・国会議事堂・最高裁判所・国立劇場を通過後、半蔵門を左折して四谷に向かった。四谷三丁目交差点を通過後四谷大木戸跡碑を見学。新宿で甲州街道の江戸六地蔵が安置されている太宗寺に参拝して旅の安全を祈願した。やがて左折して新宿駅南から国道20号線を一路西南西に京王線と平行して、高速道路の下を進んだ。笹塚・明大前を通過して下高井戸駅近くで昼食。午後から上北沢で高速と別れ、更に高井戸宿上高井戸一丁目で20号線とも分かれたが、芦花公園・千歳烏山通過後再度20号線と合流。その後仙川・柴崎を通過後20号線とも分かれ旧甲州街道の119号線を進んだ。殆んど昔の名残のない布田宿・調布を通過して、西調布近くの生誕で所縁の新撰組局長近藤勇坐像がある西光寺に参拝。次いで飛田給・多摩霊園を通過して、本日の目的地府中に到着した。最後に{神社は「心」のふるさと}東京5社の1社として格調の高い武蔵総社大国魂神社に参拝した。また参道でもある天然記念物馬場大門のケヤキ並木(八幡太郎義家の銅像あり)は見事であった。8時間のウオーキング後の府中駅近くでの一杯は格別であった。 10.中山道第2回4大宮(8.4km)5上尾(3.6km)6桶川(8.3km)7鴻巣(10km)JR行田駅 計約30km 日時:2014年3月9日(日)晴れ、OさんOさんYさんと4人 日程:JR大宮駅8:30ー宮原ー上尾ー11:30桶川(昼食)ー北本ー鴻巣ー吹上ー16:30JR行田駅 感想:4人でAM8:30JR大宮駅東口(北)を出発。17号線・高崎線と平行して164号線を北北西に進む。東武線・JR・新幹線を潜り、左側宮原駅を通過して、加茂神社に参拝し本日の安全ウオーキングを祈願。やがて江戸期創業の河村屋漬物店を左側にみて上尾宿に到着。上尾は商店街・歩道は整備されておるが、昔の面影を残す建物等は殆どなかった。更に1時間程度歩き桶川宿に到着。桶川も歩道は整備されて非常に歩き易く、江戸期の旅籠武村旅館・紅花仲買問屋等昔の面影を残す建物に広い間取り図も掲げられていた。氷川鍬神社を過ぎて昼食をしたうどんは美味であった。午後から多聞寺を過ぎ、左手北本駅からは歩道が狭くなり、注意して左右の歩道を歩いた。やがて鴻巣宿に到着すると商店街には多数の旗が掲げられているが、古い建物はないようで、多くの雛人形の店があった。鴻巣駅を左側に見て、やがて鴻神社を通過して加美で左手R365に入った。暫らく歩き箕田源氏発祥地と説明のある氷川八幡宮で小休止。更に少し歩き箕田追分で最後の小休止をして吹上に向かう。暫らく歩き吹上駅手前でJR踏切りを越えR17に合流するも吹上駅を左側に見て本町でR17号と別れ左折して吹上神社に参拝。更にJRを越えて、権八延命地蔵に突き当たり眺望のよい荒川土手を歩く。昭和22年の台風で洪水にあった碑を右折して16:30行田駅に到着。本日は天候に恵まれ直進の平坦な道が多く、忠実に中山道旧街道を歩き快適なウオーキングであった。又行田駅前での会食は格別であった。 9.中山道第1回日本橋(10.7km)1板橋(8.6km)2蕨(4.7km)3浦和 (6.1km)4大宮 計30.1km 日時:2014年2月1日(土)晴れ、OさんOさんYさんと4人 日程:日本橋8:30ー神田明神ー東大赤門ー真性寺(江戸六地蔵)・高岩寺(とげぬき地蔵)−11:00板橋宿ー11:30志村一里塚(3)12:10ー戸田橋ー蕨宿−焼米坂ー14:40浦和宿ー16:15大宮宿(氷川神社) 感想:五街道で最長(約560km)で高度(和田峠1530M)もあり、名峰(浅間山・御岳等)等自然を満喫できそうな中山道健康ウオーキングを4人で日本橋をスタートした。三越本店・山本海苔店等老舗の前を通り、「石町時の鐘撞堂跡」の説明版を見学。須田町ではあんこう鍋の老舗「いせ源」を左側に見て、昌平橋を渡った。やがて左手に湯島聖堂見て神田明神の鳥居の前で旅の安全を祈願して17号線を北進した。本郷通りの東大赤門の前を通り、その後右折230m六義園標識を通過して巣鴨駅に到着。中山道の江戸六地蔵として由緒ある真性寺に参拝後、「おばあちゃんの原宿」として人気のある巣鴨商店街を歩き、とげぬき地蔵の高岩寺に参拝。「洗い観音」は相変わらず人気があり順番の列をなしていた。商店街のはずれの庚申堂を通過後、懐かしいチンチン電車の都電荒川線を横切り、板橋商店街に向かった。歴史のある商店街の板橋由来の石神井川に架かる「板橋」を渡る。「縁切り榎」を通過して17号に合流、やがて日本橋から3番目の一里塚で、両側に盛り土榎の「志村一里塚」に到着後近辺で昼食。昼食後17号線を歩き戸田橋で荒川を渡り、やがて旧道に入り蕨宿に到着。歴史民族資料館・本陣跡等を左側にみて、当時の難所「焼米坂」を越え、狛犬にかわりうさぎの調神社を通過して、浦和宿に入った。浦和宿は二・七市場跡やわずかな碑がある程度で昔の面影はないようです。浦和宿を過ぎると、左手に東北本線を見ながら北進し、北浦和駅・与野駅・さいたま新都心駅を通過すると、武蔵の國一の宮氷川神社参道入口に到着した。参道は一の鳥居から三の鳥居まで2000mに及ぶ両側ケヤキ並木で歴史を感じながら厳かな気持ちで武蔵の国一の宮氷川神社に参拝した。本日のウオーキングを終了して,大宮駅近くでの一杯は格別であった。 ![]() (第1回中山道日本橋前にて) 8.東海道第4回7平塚(2.9km)8大磯(15.6km)9小田原 計18.5km 日時:2013年11月8日 晴れ、Kさんと2人 日程:平塚宿8:40ー化粧坂ー延台寺ー鴫立沢ー大磯宿ー吉田茂旧邸ー二宮ー12:00(昼食)12:20ー国府津ー酒匂川ー小田原宿(小田原城)−14:40箱根湯本 感想:当日は最高気温20度程度で天候に恵まれ、JR平塚駅より国道1号線を主体に一路西進し、小田原宿を通過して、箱根湯本までの快適なウォーキングであった。JR平塚駅より日本三大七タ祭りで有名な平塚商店街の「江戸見附跡・高札場跡・本陣跡」等の石碑を通過して、1号線に合流。花水川を渡り、西へ進むと安藤広重に描かれた高句麗渡来人の由来のある高麗山を近くに見て、やがて1号線と分かれ、松並木が残り、曽我兄弟の仇討で有名な兄十郎との悲恋が伝えられる虎御前所縁の化粧坂を通過して再度1号線と合流して大磯宿に入った。「新島襄終焉の地碑」で小休止後、「伊藤博文旧居滄浪閣・吉田茂旧邸跡」等の各界名士の別荘跡・海岸等で有名な大磯を通過して、西湘バイパス・相模湾を左側に見ながら二宮の町並みを通過して昼食。午後より酒匂川を渡り、かまぼこ・小田原提灯等で有名な小田原宿に入った。小田原城を近くに見ながら「ういろう」等老舗が並ぶ商店街を通過して、やがて早川を左手に、箱根登山鉄道を右手に緩やかな登りの箱根路に入った。風祭駅近くでかまぼこの老舗「鈴廣」を通過して、更に旧東海道との分岐三枚橋を通過して、観光客で賑あう本日の目的地箱根湯本駅に到着した。今回で箱根マラソンの4区間を歩いたので、正月の箱根マラソンは非常に興味を持ってテレビ観戦ができそうです。歩行距離約26km時間は6時間 7.日光街道第4回17宇都宮(10.4km)18徳次郎(9.5km)19大沢(7.3km)20今市(8.5km)21鉢石(日光)計35.7kmー日光街道完歩 日時:2013年10月4日 曇、Kさんと2人 日程:JR宇都宮駅8:45ー二荒山神社ー徳次郎11:55(昼食)12:20大沢ー今市ー杉並木ー16:35鉢石(日光)ー16:45JR日光駅 感想:日光街道(約150km21宿)を奥の細道の松尾芭蕉と同様に4回で完歩でき感慨無量です。当日は曇り気温20度程度で、歩きには絶好の気象条件でした。JR宇都宮駅を8:45にスタートして、まず下野国一の宮二荒山神社に、旅の安全を祈願した。その後、旧日光街道に合流して、国道119号を基本に進路を北西に歩いた。徳次郎宿手前から桜と混成の並木が始まり、車道より一段高い歩道もあり、天然記念物樹齢700年の徳次郎夫婦ケヤキを通過して大沢宿との中間で昼食。大沢宿手前より日光市に入り、杉並木となり並木寄進碑を通過して、少し並木が途切れる所もあるが、杉並木街道が日光まで続いた。今市宿を通過して、尊徳終焉の報徳二宮神社を通過すると杉並木は石畳となった。杉並木の距離・杉の樹齢・保護整備状況等非常に素晴らしい圧巻の日光杉並木街道であった。車で通過すると短時間で、またバイパスもあり、片側杉並木等となり、歩きでないと、この素晴らしさは分からないものと痛感した。この保護整備は大変と思うが素晴らしい遺産と思った。時速5kmで8時間歩き16:35日光神橋前に到着。日光街道完歩の達成感を味わった。芭蕉「あらたふと 青葉若葉の 日の光」 ![]() (日光杉並木街道) 6.日光街道第3回11間々田(7.3km)12小山(6.0km)13新田(2.5km)14小金井(7.0km)15石橋(6.5km)16雀宮(7.8km)17宇都宮 計37.1km 日時:2013年6月1日 晴れ、Kさんと2人 日程:JR間々田駅8:30ー間々田ー小山ー喜沢ー新田ー11:45小金井12:15ー石橋ー雀宮ー宇都宮ー16:45JR宇都宮駅 感想:今回は4号線を一路宇都宮宿まで北進した。JR東北本線間々田駅8:30にスタートして日光街道の中間点間々田宿を通過。粟宮で4号線と分岐し小山宿に到着。小山市街は歩道も広く良く整備された地方都市であった。その後両毛線を渡り、喜沢追分(馬頭観音・出征馬碑有)で松尾芭蕉は壬生街道に入り、鹿沼に宿泊して日光に向かったようですが、我々は4号線と再度合流して北進し、新田宿・立派な榎のある小金井一里塚を通過して小金井宿で昼食。午後から自治医大・石橋宿・鞘堂地蔵尊(小山と宇都宮の合戦の戦死者の鞘を集め地蔵を安置)を通過して星宮神社で小休止。その後高速道路を潜り陸上自衛隊宇都宮駐屯地・雀宮本陣跡碑等を通過して西原分岐で4号線と別れ日光に向かう119号線を北上して宇都宮宿に到着。宇都宮宿は日光・奥州街道の分岐点であり、後日再度来る予定。馬場通りを右折して下野国の一の宮二荒山神社の前を通過して16:45JR宇都宮駅に到着。当日は夏日で十分水分を補給しながら歩いたが、長距離のウオーキングは暑い季節は厳しいようです。宇都宮名物の餃子での一杯は格別であった。 |
5.東海道第3回5戸塚(7.8km)6藤沢(13.7km)7平塚 計21.5km
日時:2013年3月29日 曇、K&Tさんと3人
日程:戸塚宿8:30ーお軽勘平道行の碑ー11:00遊行寺(樹齢660年大銀杏)ー藤沢宿本陣跡ー大山道道標・大鳥居ー茅ヶ崎ー里塚ー16:00平塚宿本陣跡
感想:JR戸塚駅から国道1号線に出て、桜満開の花曇の中戸塚宿をスタートした。澤邊本陣跡碑を通過し、戸塚の名称の由来と言われる富塚神社の前を通過すると、大坂と呼ばれる坂道になり、坂を登るとバイパスと合流した。やがて歌舞伎仮名手本忠臣蔵の「山崎街道」で演出される「お軽勘平戸塚山中道行の場」碑を通過して、交通量多く、松並木の残るバイパスを暫らく歩き1号線と別れ坂を下り、箱根駅伝で紹介される有名な遊行寺に参拝。時宗の総本山で境内は広く、桜満開で、宗祖一遍上人の銅像、樹齢650〜700年の大銀杏等を見学しながら小休止。弥陀48段の階段を下り、藤沢橋を渡り右折して門前町として栄えた藤沢宿に到着。街道沿いの古い店構え、蒔田本陣の標識、右手の義経を祀る白幡神社等を見ながら進むとやがて1号線と合流。合流地点に大山不動尊の大山道道標と大鳥居があった。松並木の残る道を西進して茅ヶ崎で昼食。昼食後街道近くの同行のTさん邸宅で小休止後、石垣の残る茅ヶ崎一里塚を通過し、やがて馬入橋にて相模川を渡り、1号線と別れ今回の目的地平塚宿に到着。駅前での会食は格別であった。
4.日光街道第2回4粕壁(6.5km)5杉戸(5.7km)6幸手(8.8km)7栗橋(1.8km)8中田(5.9km)9古河(2.6km)10野木(6.6km)11間々田 計37.9km
日時:2013年3月2日 晴れ、強風北風、Kさんと2人
日程:粕壁8:30ー杉戸ー11:30幸手12:00ー権現堂堤ー栗橋ー利根川ー中田ー古河ー野木ー16:30間々田
感想:天気は晴れであったが、春一番の翌日で強い北風の中を春日部駅を8:30に出発し、幸手宿で昼食をとり、38kmを歩いて目的地間々田宿に16:30に到着した。春日部駅をスタートして古利根川をしんまち橋で渡り、小渕一里塚を過ぎ、追分の道標で「左日光道」を確認したが、4号・16号との交差で16号に入り15分程度ロスした。やがて杉戸宿に入り、北緯36度線(ラスベガス・青島・テヘラン等同緯度)の地球儀のモニュメント、更に東武動物公園駅の東側を通過して幸手宿に到着。数回幸手市桜マラソンで走った有名な権現堂川桜堤を通過して、行幸橋で中川を渡り、東北新幹線を潜り関東3大関所(箱根・碓井)の栗橋宿に到着。利根川橋で強風の中坂東太郎の利根川を渡り埼玉県から茨城県の古河市に入った。次いで中田宿の松原を歩き、やがて市街地に昔の面影の残る古河宿に到着。古河宿を通過すると4号線と合流して一路北進して茨城県から栃木県に入り野木宿を通過して目的地間々田宿に16:30に到着。ウオーキングは多少足腰が疲れるが、心臓・呼吸には負担が少なく、リズムのよい歩行は健康には非常によいようです。間々田駅前での一杯は格別であった。
3.日光道第1回日本橋(8.8km)1千住(9.5km)2草加(7.2km)3越谷(11.5km)4粕壁 計37km
日時:2013年1月29日 快晴、Kさんと2人
日程:日本橋8:30ー十思公園ー雷門ー9:30千住ー12:30草加13:00ー草加松原ー14:45越谷ー16:45粕壁(会食)
感想:奥の細道の芭蕉と同じように日光街道21宿を4回でウォーキングをしようと企画して日本橋をスタートした。三越(越後屋)前を通過して室町3丁目で右折、和紙・刷毛の老舗小津和紙・江戸屋前を通過、「旧日光街道本通り」碑で道を確認して小伝馬町で十思公園を見学。小伝馬町牢獄跡碑・石町時の鐘・吉田松陰の辞世句碑「身はたとい武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂)を見学後横山町繊維街を通過して浅草橋へ。郡代屋敷跡・浅草見附跡碑・神田川の屋形船を見て、蔵前から老舗「駒形どぜう」前を通過して浅草雷門に到着。浅草はいつ来ても大勢の修学旅行生・観光客で賑わっているようです。その後隅田川に架かる吾妻橋の向こうの東京スカイスリーを見ながら千住に向かった。千住大橋を渡った所の「芭蕉の銅像・奥の細道矢立初の句碑」(行く春や鳥啼き魚の目は泪)前で記念写真。芭蕉は46歳の時深川から舟で旅立ち千住宿から歩いたようです。千住新橋で荒川を渡り、やがて草加宿に到着。有名な草加煎餅をお土産に購入し、草加駅前で昼食後、綾瀬川沿いの1.5kmの素晴らしい「草加松原」を気持ちよく歩いた。その後「蒲生一里塚」通過してJR武蔵野線を潜り越谷宿に到着。その後東武線と4号線に平行して旧日光街道を黙々と歩き東武野田線を潜り、今回の目的地粕壁宿に到着した。春日部駅前での37kmウォーキング後の一杯は格別であった。
(千住芭蕉像・矢立の碑前にて)
2.東海道第2回2川崎(9.7km)3神奈川(4.9km)4保土ヶ谷(8.8km)5戸塚
計23.4km
日時:2012年11月2日 快晴、K&Tさんと3人
日程:川崎宿8:30ー芭蕉句碑ー八丁畷ー鶴見橋関門旧蹟の碑ー生麦事件の碑ー11:40神奈川宿(神奈川本陣跡)−神奈川台関門跡の碑ー保土ヶ谷宿(保土ヶ谷宿本陣跡)ー権太坂ー境木地蔵尊ー品濃一里塚ー益田家モチの木ー吉田大橋ー16:40JR戸塚駅
感想:快晴に恵まれ、JR川崎駅近くの砂子交差点から旧東海道に入り出発した。川崎宿佐藤本陣跡を通過し、京急八丁畷駅手前右側の芭蕉の句碑「麦の穂をたよりにつかむ別れかな」(1694年江戸から故郷伊賀に帰る途中で、その年10月死去のため関東最後の句)を見て、「市場一里塚跡」(4里目)を通過して、鶴見川橋を渡ると左側に「鶴見橋関門旧蹟の碑」(幕末横浜開港時に警備のために設けられた関門)その後京急・15号・JRを横切り、魚屋の多い生麦地区を歩き、やがて15号の手前右側に「生麦事件の碑」(1862年島津久光の行列の前を馬に乗った英国人4人が横切ろうとしたところを、薩摩藩士が切り付けた殺傷事件。これが原因で、その後薩英戦争が勃発)、その後15号と合流し、左側のキリンビールの会社見学者等を横目に通過し、神奈川宿「神奈川本陣跡・青木本陣跡」近辺で昼食。午後から横浜市内の複雑な道に迷いながらJRを横切り旧東海道を歩く。浅間神社・橘樹神社を通過し、天王町駅でJRを横切り、「保土ヶ谷本陣跡」へ、その後1号線に合流後再度分岐し旧東海道の箱根駅伝でも有名な「権太坂」(箱根駅伝は1号線)の急坂を上り、眺望が開かれ頂上の「境木地蔵尊」(武蔵・相模の国境)で小休止。休憩後「焼餅坂」を下り「品濃一里塚」「益田家モチの木」を通過し、吉田橋を渡りJR戸塚駅へ。23.4kmウォーキング後の一杯は格別でした。
1.東海道第1回 日本橋(7.8km)1品川(9.8km)2川崎 計17.6km
日時:2012年8月29日 晴れ、K&Tさんと3人
日程:日本橋8:00(日本国道路元標・日本橋魚市場発祥の地碑)ー京橋(江戸歌舞伎発祥之地碑)ー銀座(銀座発祥之地碑・銀座柳の碑)ー新橋ー浜松町(芝大神宮・増上寺)ー金杉橋ー田町ー(西郷・勝会見の地碑)ー高輪大木戸跡ー泉岳寺ー11:00品川宿(問答河岸の碑・土蔵相模跡・本陣跡・品川寺六地蔵)ー鈴ケ森刑場跡ー梅屋屋敷跡ー六郷の渡し跡ー15:00川崎宿(田中本陣跡)
感想:残暑厳しい中、70代1人60代2人計3人で東海道53次の名所旧跡を訪ねる珍道中を開始した。大江戸日本橋の4隅の花の広場(日本橋由来記)・乙姫広場(日本橋魚市場発祥の地碑)・元標の広場(日本国道路元標)・滝の広場の説明版を読みスタートした。京橋の高速の手前の初代中村勘三郎が興行した「江戸歌舞伎発祥之地碑」・銀座2丁目で駿河の銀貨鋳造所をこの地に移したとの「銀座発祥之碑」・新橋の高速近くの西條八十作詞中山晋平作曲の「銀座柳の碑」・芝大門では右手に「芝大神宮」「増上寺」・田町駅手前の「西郷隆盛・勝海舟会見の地碑」等を見学し、江戸との別れといわれた「高輪大木戸跡」で小休止。次いで赤穂義士の墓のある泉岳寺を右に見て、品川駅前を通過し、八ツ山の坂道で左手の旧東海道に入り品川宿に到着。3代家光と沢庵和尚との「問答河岸の碑」家光「海近くして東(遠)海寺とは如何に」沢庵「大軍を率いて将(小)軍というが如し」・長州藩の高杉晋作や久坂玄瑞らがイギリス公使館焼打ちの密議をした「土蔵相模跡」・品川寺の「江戸六地蔵」に参拝し東海道53次の無事を祈願等をして、品川宿にて昼食。午後より丸橋忠弥や八百屋お七が処刑された「鈴ケ森刑場跡」を通過して京浜国道に合流。その後梅屋屋敷で小休止をし、江戸時代は舟で渡った多摩川を六郷橋にて渡る。橋を渡り右手の旧東海道に入り川崎宿田中本陣跡を通過して、今回はあまりにも暑く健康第一で無理せずPM3:00にJR川崎駅前にて第一回目を終了し、ビールで乾杯した。
(日本橋道路元標の広場側にて)