お断り
このコーナーは「推薦する本」というタイトルであるが、推薦する本にこだわらず、推薦しない本についても駄文を書いている。そして書いているのは本のあらすじとか読書感想文ではなく、私がその本を読んだことによって、何を考えたかとか何をしたとかいうことである。読んだ本はそのきっかけにすぎない。だからとりあげた本の内容について知りたい方には不向きだ。
よってここで取り上げた本そのものについてのコメントはご遠慮する。
ぜひ私が感じたこと、私が考えたことについてコメントいただきたい。
私は人並みに環境問題に関心がある。私は持続可能性など夢物語だと思う。一言で言えば批判的だ。私は地球温暖化などよりも、リンの枯渇とか人口問題を懸念している。
とはいえグレタ少女のように、ダメだ、ダメだ、と駄々をこねることはしない。なにしろ私では、お金持ちのスポンサーが付く見込みはないからね。
環境問題と言っても、時代と共に関心事はどんどん変わってきた。
1960年代、日本で大気汚染や水質汚染などの典型七公害
おっと火葬場の煙の臭いは近隣では大きな問題ではあった。
しかし公害列島まっさかりであっても1965年頃の田舎は、不景気で仕事にありつけない人が大勢いた。2020年代の今、非正規雇用ガーとか、物価が上がってーと叫ぶ人がいるけど、働きたいが仕事がないという人はいないだろう。
それでも中卒なら金の卵と呼ばれてほぼ就職できたが、高卒では就職できなかった人が大勢いた。だから高校に進学しようとしていた私は、就職率が高い工業高校を選んだが、そこでも就職率100%なんて程遠かった。
就職口がある都会は公害があり、仕事がない田舎は公害もない。飯が食えるか大気汚染かとなると、ご飯を食べないと間違いなく死ぬが、大気汚染ならすぐには死なない。それゆえ「公害を持ってこい」なんて言う市議もいた。その気持ちが分かるか?
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明日より今が優先されるのよ |
明日病気になるかもしれないのと、今日のご飯が食えないのとどっちが問題かというのは、現実が教えてくれる。
人生も世の中も国家も甲子園と同じで、常に勝ち続けないと存在し続けることができない。プロ野球のように、今日は負けても明日勝てばよいなんて、悠長なことは通用しないのだ。
1975年に水俣病が問題になったそうだ。しかし東北の片田舎では、新聞で読んで知るだけで、身近に感じるわけがない。
社会科で足尾銅山の公害とか習っても、足尾銅山のある栃木県など、今なら南米のかなたのようなものだ。行ったこともなければ聞いたこともない。
情報化社会とは伝達が速いこともあるが、遠くの出来事を身近に感じるようになった。
当時は今の情報化社会とは全く様相が違う。何かニュースに興味を持っても、新聞報道以上のことを知る方法がなかった。今ならネットでググるとか、SNSで問いかけるとか方法があるだろう。隣の県くらいなら行って見ることもできる。
ゴミ処理といっても私が生まれた1949年に、自治体がしっかりした制度でおこなっているわけがない。
野菜くずなどは庭に穴を掘って埋めた。紙くずは庭で燃やした。家具などは壊して風呂とか竈で使った。
缶詰の空き缶は金屑屋が買いに来た。もちろん1個2個ではなく、1年分位溜めておくのだ。
1970年頃になると、市街地ではゴミ収集が行われたが、我が家のある町はずれは対象外だった。
1980年頃、住んでいる市で廃棄物処理場見学なんて募集があって、どういう気まぐれか参加したことがある。
市が集めた燃えるごみは焼却炉だった。しかし当時はベッドとか家具とかも市で収集していたのに、それを燃やす設備がない。今なら笑ってしまうというか呆れる話だが、野焼きである。裸地で燃やしてスプリングだけになったベッドが山あいに積まれているのを見て、こんなことをしているのかと驚いた。
注:
当時、会社で家電品を作っていたので、解体しやすくとかリサイクルするには、どうしたら良いかと興味から聞いた。するとそこの作業者は、どうせ全部燃やしてから、金属は磁石に付くかつかないかで選別するから、気にしないで良い言った。
市民団体の方、半世紀も前ですからお目こぼしください(笑)
1990年頃、都会からUターンしてきた業歴入社の方が同じ職場にいた。当時は珍しく彼も私もタバコを吸わなかったので、休憩時間は喫煙場所……通路の一部にベンチと灰皿があるだけで仕切りもない……から離れて二人で紙コップのコーヒーを飲んでだべるようになった。
彼は何事にも一家言ある人で、飲み物は暖かいものでなければいけない。氷を入れて飲むのは健康に悪いと語っていた。そして彼は地球の将来と言うのを非常に悲観的に見ていて、環境破壊で人類は死滅すると常々語っていた。
環境問題など全く関心がなく、仕事でも無縁だった私は、彼の話を聞いて根暗な人だと思うだけだった。
その後お互い職場が変わり付き合いは消えたが、今でも彼のペシミズムな雰囲気を覚えている。
私は真面目に働き、自分の関わる製品分野や製造方法などについては人並みには勉強しているつもりだったが、地球環境問題など気にしたことはなかった。
だが時代はだんだんと変わってきた。
リオ会議は1992年、公害対策基本法が環境基本法に看板を変えたのは1993年である。しかし普通の市民が環境問題など騒ぐのはまだの時代である。
1993年頃だろうか、フロン規制が取り上げられた。「オゾン層保護のためのウィーン条約」とか「モントリオール議定書」の国内展開として、フロン回収・破壊法が1994年に施行された。
冷蔵庫やエアコンの冷媒の規制、工場で洗浄などに使うフロン規制、おもちゃのガスガンのフロン規制、ヘアスプレーのフロン規制、環境問題が生活に関わる事始めである。
それを聞いて私が思ったのは金属部品の洗浄が困るなとか、エアコンの利きが悪くなるじゃないかと思った。オゾン層を保護するのが大事か、省エネを優先したほうが良いのか、考えられたのだろうか?
というのはフロンはすべて漏れるわけじゃない。ましてフロン回収破壊法もできたのに、と思った。
そもそもオゾン層破壊による人のダメージが大きいとは思えなかった。
だってあなたフロンによるオゾン層破壊で、いかほどの悪影響があるかご存じか?
私は調べてみた。福島県が南方に200キロ移動したと同じくらい、紫外線が強くなるそうだ。200キロだ
つまりなんだ、福島から東京に就職した人が、福島に住み続けた人よりガンになる危険があると感じるかということだ。東京は紫外線が強くがん発生の危険が福島より大きいから、東京に就職しようか田舎にしようかと悩んだ人を私は知らない。
成層圏を飛ぶ航空機のパイロットやキャビンアテンダントにはガンが多いと聞く。地上と高度1万メートルじゃ、紫外線は相当違うだろう。
もっともそれは紫外線でなく、宇宙線のせいだとも聞く。
20世紀末にはダイオキシン問題が起こり、ゴミ焼却炉のコストで自治体が倒産するという問題につながる。
そして最大の問題(?)である地球温暖化がとりあげられた。
しかしあまりにも環境問題が騒がれすぎたせいか、あるいは環境問題に飽きたのか、環境問題も年と共に関心が下がっているようである。
2011年の東日本大震災の福島原発事故から10余年、ガン発生が増えたとは言われていない
しかし現実には福島県から逃げた住民もいるし、なんと私の知人で千葉県に住んでいた人が放射能の危険から京都に移り住んだ人がいる。
私の大甥・大姪が一時、福島から千葉の我が家に避難してきた。千葉は危険だから避難してきてはいけなかったのか(笑)
それほど放射能に感受性が高く用心深い人ならば、オゾン層が薄くなりガン発生が高くなると恐れて、東京から福島に逃れないものだろうか?
いや、オゾン層に関係なく、紫外線は関東の方が福島より強いのだよ。京都は東京より更に強いのではなかろうか?
21世紀になって環境問題は変質した。危ない、死んじゃう、痛い、そういったものから、危険がある、病気の恐れがある、更には安全だと立証されていない、とレベルアップしてきた。
そもそも環境問題は死んだ人がいるという問題から始まり、次には今病気の人がいるという問題になり、現在は明日危ないかもしれないものが問題になっている。
いや問題と言うよりもファッションかもしれない。SDGsバッチを付けて、私は/俺は環境に配慮していると言うのがかっこいいのか?
私はSDGsという考えには懐疑的だ。正確に言えばウソだと思っている。
だって多くの人が語っているSDGsなんてありえないだろう。気軽に持続可能と言うけれど、何年続くことを持続可能と言うのだろう。
現役最後の時代は企業で環境監査などをしていた。ある講演会に聞きに行って、大学の先生が持続可能、持続可能と念仏を唱えていたので、最後の質問の時間に手を挙げて聞いた。
「持続可能とは何年ですか?」
その先生、少しも騒がず即答した。
「永遠です」
ばかだろう!
宇宙の年齢は140億歳、寿命は1400億年だそうだ。太陽の年齢は46億歳、寿命はあと50億年と言われている。地球が、太陽の寿命が尽きるまでの半分の時間、現在の環境が続くとすれば、生命はあと25億年存在できることになる。とはいえ「永遠」ではない。有限である。
生き物だけでなく、恒星も物質でさえ永遠に生きながらえることはできない。これは否定しようない。
人類が永遠に生き延びるために、太陽の寿命が来る前に地球を脱出して、他の星に移り住むというアイデアは、100年以上前からある。
地球を救えという人はいるけれど、地球を救っても宇宙そのものが消滅することもはっきりしているわけで、人類はそれを超えて生き延びられるかどうか定かではない。
SF小説では宇宙の寿命が来て収縮が始まったとき、次のビッグバンまで宇宙船で飛び続けるお話があったが、宇宙船が飛ぶ(運航する)宇宙空間が消えたらどうするんだ?
それ以前に、宇宙の終わりが来るまで生きながらえることができようか?
実は種には寿命があるとも言われている。どんな生物も世に現れて永遠に種族が生き続けたというものはない。
注:生物学における種とは、生物を分類する基本単位で、一般的には「交配して子孫を残せる範囲」をいう。
恐竜は2億3000年前に登場し6600万年前に絶滅したから、恐竜時代は1億6千年続いたわけだが、その全期間にわたって生息した恐竜はいない。
トリケラトプスが生息した期間は500万年、ティラノサウルスも600万年くらいだ。だから恐竜図鑑などにたくさん描かれている恐竜たちが同時に生息していたわけではない。
だから恐竜は隕石落下で絶滅したと言われるが、実際には恐竜全部がそのとき絶滅したわけではない。隕石落下のとき繁栄していた種にとっての絶滅だったわけで、既に滅亡していた恐竜たちは隕石と関係ない。
ゴキブリは3億年前から生きているというけど、現在生きているゴキブリだけで4,000種あるそうだ。だから4億年前のゴキブリと同じ種がいま生きているわけではない。
それは人だって同じことだ。ネアンデルタールが登場したのは23万年前、絶滅したのは5万年だから18万年がネアンデルタール人という種の寿命だ。ホモサピエンスの登場は20万年前と言われるから、あと3万年で絶滅するかもしれない。
悲しむことはない。3万年は長いよ。一世代30年と言われるから、1,000世代も後の話だ。1,000世代後のあなたの子孫は、あなたと今遠い南米に住む人と同じくらいしか遺伝子が似ているところはなく他人と同じだ。だから安心しよう。
言い方を変えると人類が絶滅しても、その後継者(哺乳類でなく魚とか昆虫かもしれない)が、まったく新しい文明を築いては滅んでいくと考えられる。
地球の余命を20億年として種の栄枯盛衰が20万年とすれば20億割る20万年で1万回、恐竜のように500万年つづいたとしても400回、新たな生き物が文明を築き、崩壊する時間があるということだ。まさに地球の長い午後
そう考えると持続可能ではなく、人類の文明を○○年続けたいとか、○○年と想定するという表現になるのではなかろうか。
そして○○年はたぶん短ければ1000年、長くて1万年だろう。
驚くことはない。1000年前は平安時代、衣食住を考えてみれば今とは月とスッポンである。武器は刀とか剣程度。火薬はない。
着物はどうか?
菅原道真のような姿絵が残る人の着物は例外だ。一般人は粗末なものだったろうし、寝るにも布団などない。綿入り布団の普及は1920年代と聞いた。ほんの100年前なのだ。
食べものは、今、我々が食べているものの99%はなかった。ご飯は米でも麦でもなく、稗や粟、縄文時代と変わらなかったと思う。
貴族でさえろくなものを食べてないのは「芋粥」などで分かるだろう。海辺以外で、魚など半世紀前は干物か塩漬けしかない。
住はもちろん竪穴住居だ。竪穴住居というと縄文時代と思うかもしれないが、西日本では7世紀頃まで、東日本では12世紀頃(鎌倉時代)まで使われた。
1,000年というのはとんでもなく長い時間なのである。
私は一応、仕事で危険物や作業環境関連の資格をとり、後に公害防止に関わり公害防止関連の資格も取り、ISO14001にも関わり、引退してから大学院で学び環境の修士となった。
そして後期高齢者になった今も、環境には関心はある方だろう。
図書館に行くたびに環境問題の新しい本はないかと、図書分類519の棚を眺めている。
書名 | 著者 | 出版社 | ISBN | 初版 | 価格 |
書架を彷徨っていてこの本のタイトルが目についた。
「地球を守る」は手垢がつくほどあるが、「地球を守る必要がない」という本は聞いたことがない。
ちなみに「地球+守る+本」でググると、一瞬で160件が表示された。
また「地球+救う+本」でググると、これまた手塚治虫の「ガラスの地球を救え」を始め、一瞬で150件が表示された。
だが「地球を守らなくても良い」と言う本は珍しい。いや初めて見た。
新しい本ではない。2010年発行、15年も前の本である。
私が読んだことがなかったが、実はこの本「14歳の世渡り術」というシリーズで図書館のジュブナイルの棚にあった。ジュブナイルとは少年期と言う意味で、中学生から高校低学年くらいを対象としたものである。だから私は今まで気が付かなかったのだろう。
著者はかの武田邦彦先生である。きっと世の常識と反対のことを、書いているに違いない。そう期待して借りてきた。
まずここ15年間で環境問題に大きな変化はなかった。地球温暖化は大気中のCO2濃度に寄る恐れが大きいといったIPCC第4次報告(2007)が、その後の報告書ではCO2に間違いないとなったくらいだろう。実を言ってそれが正しいのか否かも明らかではないけどね。
いずれにしてもこの本に大きな影響を与える動きはない。ということは環境問題も出尽くしたというか。ならば10年前の本でも十分通用するはずだ。
武田先生は、平家物語の「祇園精舎の鐘の声」を
そして人類の寿命だけでなく、文明も地球の寿命も有限であると明言する。誰もが言いたくない、触れたくないことだろうけど、それは厳然とした事実だ。
それがどうしたって?
武田先生は、人類はいつか絶滅すると大前提というか命題を述べる。その前提で地球を守るとは、どういう意味があるのかと問う。
大気の20%は酸素である。地球温暖化の原因だと大騒ぎしている二酸化炭素は、その400分の1の0.05%である。ではそれほど大量の大気中の酸素はどうしてできたのか?
気体の酸素は地球に誕生した小さな藻が作り出した。小さな生物が地球を大改造したのだ。
生物が作り出した最大ものはオーストラリアのグレートバリアリーフと呼ばれるサンゴ礁だと言われる。万里の長城とかピラミッドあるいはフレヴォポルダー
列島を改造しようとした田中角栄や、利根川を移動した徳川家康よりも、遥かに小さい見えるか見えないかの藻が酸素を作り出し、それによって嫌気性生物を追いやった。30億年前である。
ここで疑問を感じないとおかしい。
酸素を作り出した生物はそれまでの生物を虐殺したわけだ。それまで地球にいた生物を殺した大悪人ではなかろうか?
しかしそう思う人はいないし、植物も動物も言わないだろう。だって今の生き物はすべて酸素が地球を覆ってから発生し酸素のおかげで存在できるからだ。
じゃあ、大気がCO2で満ち地球温暖化が進み現在の生物が絶滅し、新たな地球環境に適した生き物が地球に満ちることも大いにあることだ。そのとき滅ぼされた生物は文句を言うにも生きていないし、新しい大気で生きている生物は、感謝こそすれ非難するわけはない。
もちろんそこで人間中心の価値観で、我々は生物が生き続けるのを望むのではなく、人類とそれを支える動植物の生態系を守りたいのだという意見もある。
それに反論する気はなく、それは尊重されるだろう。誰だって死にたくない。
となると地球を守るとは人間の好む生態系を守ることだと言い切るべきだろう。語義的にそれは地球を守ることではない。別に地球は守られるようなものではないのだ。
そしてその環境・生態系を守る期間はどれくらいを望むのかということも問題だ。
地球温暖化を止めれば、人類は20世紀の暮らしを永遠にできる……わけではない。資源枯渇という問題がある。
電気自動車ならガソリンがなくても良いだろうが、車体を作る鉄を初めとするさまざまな金属や非金属がなければ作れない。
イオン化傾向の小さい貴金属を除き、金属は長い年月で酸化あるいは硫化された状態で地中に存在する。だから地中から酸化物を掘り出して還元し金属にしなければならない。
しかし金属を使うには、用途によって単一の元素ではなく、他の金属や炭素など非金属を加えて用途にあわせた合金にして使う。
そして使い終わったら金属は何度も使えるかとなると、そうはいかない。何ものでも、混ぜるより分けることははるかに困難で、混ざりものになった金属は、まっさらな用途には使えず、リサイクルする先は劣化が許容される用途に限定される。
自動車の車体を作るだけではない。人間というか生物の体を作る資源も重要だ。
リンが生物量(バイオマス)を制限すると言われる。
植物の成長には窒素・リン・カリと言われるが、植物を食べる動物もそれを同様に必要とする。そして必要な元素でもっとも足りないものが生物の量を規制するのは自明だ。それはリンだと言われている。
クラーク数というのをご存じだろう。地表近くの元素の割合を調べたものだ。上位を示すと下表のようになる。
クラーク数 | ||
順位 | 元素 | クラーク数 |
1 | 酸素 | 49.5 |
2 | ケイ素 | 25.8 |
3 | アルミニウム | 7.56 |
4 | 鉄 | 4.70 |
5 | カルシウム | 3.39 |
6 | ナトリウム | 2.63 |
7 | カリウム | 2.40 |
8 | マグネシウム | 1.93 |
9 | 水素 | 0.83 |
10 | チタン | 0.46 |
11 | 塩素 | 0.19 |
12 | マンガン | 0.09 |
13 | リン | 0.08 |
14 | 炭素 | 0.08 |
15 | 硫黄 | 0.06 |
16 | 窒素 | 0.03 |
17 | フッ素 | 0.03 |
三大栄養素のカリウムは地中に2.4%あるが、リンは0.08%しかない。窒素に至っては0.03%しかない。しかし空気の8割は窒素であり、大気から窒素を取り出して固定する方法を、ドイツのフリッツ・ハーバーとカール・ボッシュが100年前に発明した。ついでに彼らは肥料だけでなく爆薬も作る方法を考えた。当時は第一次大戦だったから。
もっとも人間が大気から窒素を取り出す発明をする前から、植物は自前で窒素を大気から取り入れることをしていた。特に豆類はその能力が大きく、人間はそれを活用して土地の力を回復するために数年おきにクローバー(マメ科だ)などを植えて土壌を肥やすことをしていた。
だが、手に入らないものがある。リンだ。
なにかの本に、バイオマスの量はリンの量で決定されると書いてあったものを読んだことがある。食物網のピラミッドの面積はリンの量で決まる。何かの生物が増えれば他の生物が減らないとならない。それぞれの種がどれくらいの割合を占めるのかは成り行き次第ということだろう。
バイオマスとは再生エネルギーとか廃棄物発電の意味とは違います。
自然界に存在する生物の量を、質量あるいはエネルギー量で表したもの。生物体量、生物量ともいう。
リンは元素だから減らずに循環すると思うだろう。その通りだ。だが資源となるには存在するだけでなく、使える形、使えるところになければならない。
例えば金は豊富にあるが簡単に手に入るところにない。
海には50億トンの金が溶けていると言われる。今まで発掘された金は200万トン、これから掘っても合計300万トンくらいにしかならないと言われる。
その2,000倍も海水に含まれている。だけど海水から金を取り出すには、得られる金よりも費用がかかるからできない。
リンは何万年もかかって海鳥のフンが積もって硬い岩となったものから採取されることが多い。リン鉱石からは容易にリンが取れる。
しかし肥料にして使用されれば非常に濃度が薄い廃棄物になり、下水などから回収することは非常に難しい。現在研究は進んでいるけど採算の問題だ。
その結果、リン不足となり、農産物の産出量低下となり、人口減少につながる。
考えてみよう。
特定の魚が、例えばサンマが増えればそれ以外の魚は減るしかない。何かが増えれば何かが減る。
ただ人間にとっては、食用の特に高額な魚が減るのは困ることになる。
現実には捕鯨を禁止した結果、クジラが増えてオキアミを食べるために、食糧難でペンギン人口が減っているという。それだけでなくオキアミが減ったせいで、人が食べる魚も減っているらしい。ならば捕鯨をしたらいいじゃないか?
ところがオーストラリアでは、クジラは観光資源だからホェールウォチングができないと国民所得が減るわけだ。世の中すべてお金だ。
ペンギンウォッチングが流行すれば、クジラを守れ!の代わりにペンギンを守れ!と叫ぶに違いない。
あるいは太平洋に太陽光パネルを敷き詰めて電気を作るとすると、その下にある藻が栄養を作れなくなるから、食物連鎖がスタートしない。その結果、魚は取れなくなる。
太陽光発電とは無駄になっているエネルギーの活用ではなく、生物を作るエネルギーを掠めて電気を作っているに過ぎない。
畑の上に太陽光パネルを置いても同じ事になる。
このように生物量は有機物を作るエネルギーと資源によって定まる。
地球温暖化に限らず、ある状態、ある環境が永続するなどありえない。
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しかしこの先生、毒舌である。
合成石鹸より動物から作る石鹸の方が環境にやさしいと言われたら、生きている動物を殺して作る石鹸より、大昔死んだ動物を活用して作る石鹸の方が環境にやさしいと言えとの仰せ、まさしくそうだが、厳しい(笑)お方である。
この本を読んで、そんな考えがザーッと頭の中を走った。
いやこの本に、そんなことが書いてあったわけではない。私の考えとか記憶とかが、この本を読んで引き起こされ統合されて、ひとつの考えとなって表れたというべきか。
そういう意味で読む価値のある本だ。私にとっては。
他人が読んで感じ入るかどうかはその人次第だ。
まあ、本なんて皆そういうものだけど
本日のまとめ
人は必ず死ぬ。人類はいつか滅びる。諸行無常である。持続可能なるものは存在しない。
あえて持続可能と言うなら、それは何年間を言うのか? それをはっきりしなければ意味はない。
それに答えられない人は、SDGsバッジを付けてはいけない(笑)
「咎なき者だけが石を投げよ(ヨハネによる福音書8-3)」に倣って、「持続可能性の期間を言える者だけがSDGsバッジを付けよ」と言ったら、付けられる人はいないだろう。バッジ屋から苦情が来るかな?
実を言って私が以前、同じようなことを書いたことを思い出した。
こっちも読んでね「何年続けば良いのですか?」
これは丸山茂徳先生の素晴らしい映像「地球そして生命の誕生と進化」
この本は今年読んだ本160冊の内、ベストファイブに入る本だ。
ちなみにお勧めベストファイブの残りの4冊は
当初は、大気汚染、水質汚濁、土壌汚染、騒音、振動、地盤沈下、 悪臭を対象としたが、その後、土壌汚染が追加になって騒音・振動をひとつにまとめて7公害と呼ぶようだ。 「7」に意味があるわけでなく、「七生」とか「七光り」「七難」「七重」というように「たくさんの」という意味だ。 ![]() | ||
福島県郡山市の郡山駅から東京丸の内の皇居まで、直線距離でズバリ199kmである。 ![]() | ||
WHO(世界保健機構)は「暫定的な線量推計に関する報告(2012)」「健康への影響評価に関する報告書(2013)」二つの報告書で異常はないとしている。 サヨクの巣窟である日本学術会議でも、放射能による疾病が増えているという報告は出していない。 ・東日本大震災関連意思の表出一覧 ![]() | ||
「地球の長い午後」とは、太陽の寿命が尽きようとする時期の地球と、そこに生きる人類を描いたSF小説である。 ![]() | ||
フレヴォポルダーとはオランダにある世界最大の干拓地で970km2ある。 ![]() ちなみに八郎潟干拓地は172km2、諫早湾干拓地の面積は35km2である。 ![]() |
いつもお世話になっております。ふとしです。 小説もどきで良いんだ!と声を上げようかと思いましたが「推薦する本」のコーナーも大好きです。 今回の本も非常に興味がありますので、読みたいと思います。 個人の意見ですが、「環境問題」とは「公害問題」のことだと思っております。 私個人、公害のことを、一般的な定義とは別に「症状や原因などがはっきりしているもの」と曖昧に定義しておりましてそのように定義するのに至ったのは、環境ホルモンやオゾンホールの所為です。 私は牛乳が好きなのですが、「牛乳を飲むと環境ホルモンで無精子症になる」と言われた時期がありました。 尿管にカルシウム結石が出来てしまう(地獄の痛みでした)ほど牛乳を飲み続けていますが、子供は3人成せました。 オゾンホールという言葉は、若いころ毎日のように耳にしましたがある時期から全く聞かなくなりました。 あれだけ問題視していたのだから、その後どうなったのか興味がありましたが、当時騒がれていた大きな穴は消滅したそうですね。しかも割と最近。 ちょっと調べてみると、年々穴が広がっていた最中にもかかわらず、全く報道されなくなったこと、別に大した影響が無かったことなどが分かりました。 似たようなものが他にもあるかと思いますが、これらは何だったのでしょうね。 結局誰かが、お金の為に扇動しただけだったのでしょうか。 とまぁこれらのことから、「環境ホルモンやオゾンホールは環境問題ではなかった」と考えております。だって要するに、ウソだったのでしょう。 水俣病や四日市ぜんそくなどと同列に語れるものはないですね。 当然に、環境問題は起こしてはならないものだと思いますが、本物の環境問題ってそんなに無い気がします。 地球温暖化ガー、二酸化炭素ガーって言いますが、別に中国だって温暖化させたくて二酸化炭素を排出しているわけではなくて生活のためにやっているのであって。 界隈が語る地球温暖化そのものも中々に怪しいですよね。 本当にそこまで問題なのであれば、一番排出量が大きい所にメスを入れなければならないでしょうし、それをしないということは・・・やっぱり環境問題ではないなって思ってしまいます。 |
ふとし様、毎度ありがとうございます。 環境問題の起こりはいろいろ考えられますが、直接的に反対運動が起きたのは蒸気機関車が走り、その煙突から火の粉が出て沿線で火事が起きたことらしいです。 要するに目に見える被害が出ないと感じないというか、原因を指摘できないのでしょうね。 環境ホルモンなんて懐かしい()言葉ですね。あの被害者はいなかったはずです。でも騒いだのはお金になると思ったからじゃないかと考えています。 そもそも「奪われし未来」はSF小説のようだし、「沈黙の春」は思ったことを書いただけで証拠も何もない。フザケンナーと言いたいです。 ところで私は環境問題は実在すると思ってますよ。最大のものは廃棄物です。問題として、不法投棄もありますし、安全な処理が確立していないものもあります。またダイオキシン騒ぎで、ゴミ焼却炉がとんでもなくすごいものになってしまい、設置にも運転にも大金がかかります。ひとつの自治体では維持できないなんて事態になっているところもあります。 これはなんとかしないとならない……どうしたら良いのか分かりません。 |
ふとしです。 コメントを読ませていただいたことで、私の頭の中で、廃棄物問題や水質汚濁や大気汚染以外のうさんくさいもの=環境問題になっていたことに気づきました。 それもこれもマスゴミのせいだ!(白目 |
ふとし様、毎度ありがとうございます。 そうです、環境とはうさん臭いものです。 ![]() ちょっと待ってください、「うさん臭い」とは「なんとなく怪しい」という意味です。現実には怪しさ満杯、いやそれどころか「完全に間違い」とか「完全なウソ」更には「完璧に犯罪」というものがゴロゴロしております。 我が愛しき(皮肉ですよ)グレタ嬢はドイツの鉄道で座れなかったとSNSに上げましたが、ドイツ鉄道はグレタが乗ると聞いて一等車のシートを用意していたそうです。まさに腫れ物に触るですね。おっとドイツの鉄道は怒りましたよ。 うさん臭すぎます。 ![]() ![]() いやいや、それどころかシロクマは現在人口増加中で地球環境問題になりそうです。 ![]() ダイオキシンは地上最強の毒物と言われても、未だかってダイオキシンで死んだ人はいないそうです。ダイオキシンは毒物どころか、怖いぞと叫ぶ人の飯のタネになっています。 環境ホルモンもSPEEDの報告書が出てから何年も(今もですか?)怖いぞと叫ぶ人がいますね。 ![]() 環境問題とはちと違いますが、「水は知っている」なんてのはギャグなのか? 本を売る詐欺なのか? 本日より廃棄物問題や水質汚濁や大気汚染以外のうさんくさいものを「地球環境問題」から「地球環境詐欺」と改称します(ギョロ目 |
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