本日は12月8日、大東亜戦争勃発となった真珠湾攻撃からちょうど83年目になる。
私は以前、本家のウェブサイトで毎年ニイタカヤマノボレと題して思うことを書いていた。
しかし時は流れ、もう真珠湾攻撃の思い出せとか、これを参考にとか考える時代ではないと思い、この日を記念したことを書かないことにした。
それから何年か経ったが、今日は言わずにおれず、また短文を書いた。
このウェブサイトはなんと23年も前、2001年8月に始まる。個人のものとしては、最長命ではなかろうか?
私はなぜウェブサイトを作ったのか?
2001年8月13日小泉純一郎首相が靖国参拝をしたことの是非を、日本弁護士連合会などが違憲だと騒いで社会問題になった
私の叔父二人は戦死してお二人のお墓は田舎にあるが、靖国神社に祀られている。二人とも若くして戦死して結婚していないから、子孫はない。
オヤジの兄弟姉妹は7人いたが、叔父2人は戦死、オヤジは1979年に、伯父は1985年とどんどんと鬼籍に入り、2001年当時でも生き残っていたのは叔母2人、叔父1人だった。
兄弟が生きていればお彼岸、お盆にはお線香をあげてくれるだろう。だけど甥姪は皆、近くには住んでおらず、まして会ったこともない叔父を供養することはないだろう。
私が生まれる前に、ふたりの叔父は戦死しているから私も面識はない。しかし唯一地元に残ったオヤジが、お彼岸、お盆、命日にお墓参りをするのに突き合わされて、オヤジが死んでからも、私が田舎にいるときはお線香あげはしていた。
しかし都会に出て来てからは、田舎に帰ったときに線香をあげるだけ。私が死んだらもう誰もお墓参りをしないだろう。そして何年かしたら、お寺も無縁仏としてお墓がなくなってしまうのが見える。
国のために死んだ人にお線香あげくらいしたいが、それさえも一般人の手に余る。
戦争に行って戦死した人を弔うのは国家の責任とは思わないか?
それは千鳥ヶ淵戦没者墓苑のような怪しげな施設でなく、戦死すれば靖国に祀られると信じて出征した人に報いる、国家の責任ではないだろうか?
私はそう思った。
だからその声を日本に発信しようとして、htmlを見よう見まねで書いて1日で作りアップしたのである。
小泉純一郎首相参拝が8月13日、このウェブサイト開設が8月14日である。私は行動の人である。
しかし時は流れ、テレビや新聞でも真珠湾攻撃や終戦記念日を、大きく取り上げられることはなくなった。
開設時の2001年でさえ、終戦から56年で半世紀を超えていた。2024年なら終戦から79年となり、戦争に行った人は一番若くても100歳間近、物心ついていた人なら90代だ。
皆さん、時と共にどんどん亡くなっていく。そしてなにも知らない人が増えていく。
私は1949年生まれ、戦争が終わって4年後である。
私はもちろん戦争を知らないが、身の回りには戦争の傷跡はいくらでもあった。浄水場のコンクリートの基礎とか周囲の鉄柵には、艦載機の機関銃による傷跡があった。戦争は社会インフラを最初に攻撃する。
名は知らないがコンクリート製の建物が大きく破壊されたまま残っていた。何かの工場だったのが爆撃されたと聞く。
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私はカナヅチだったが、子供でも水泳の上手い奴は川で潜り、戦争に負けたとき軍隊が隠したのか捨てたのか、川に沈められた鉄砲の弾をとってくるのがいた。真鍮は高く売れたのだ。
何年も水に沈んでいたから不発だったろうが、装薬が爆発したら大変だったろう。
だから私の年代では戦争は決して遠い過去ではなく、身近な過去だった。
だが今はもう戦争を知らないのはもちろん、戦争の残り香?さえ知らない人ばかりになった。
今、真珠湾攻撃のことを語っても時代錯誤と思われるだけのようだ。
だが、自分がそう思っても他人がどう思っているかは別だ。
トランプが前回、大統領になったとき「Remember Pearl Harbor」と語り、日本経済を敵視した。今回もそうなるだろう。
韓国は日本がやってもいないことをしたとお金をせびる、中国は日本がしていないことをやったと日本を悪人に仕立てる。
Remember Pearl Harbor |
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歴史を知らないと容易く騙されむしり取られるのだ。
悪いことに、革新政党は国益を考えるどころか、利敵行為に励み、嘆くしかない。
若者は自虐史観を脱して、しっかりと歴史を知り、中国や韓国に騙されず、アメリカと堂々と交渉してほしい。
真珠湾攻撃の日に切に願う。
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