義母 夏 帰省

25.08.25

8月某日曜日、朝食を終えて皿洗いと洗濯物を干し終わった頃、家内のスマホが鳴った。近所の友達、スポーツのクラブ、田舎時代の友達と付き合いの広い家内には、しょっちゅうLINEも来るし電話も来る。だから気にもしなかった。
10分以上話していて長電話だとは思った。

いつの間にか電話が切れて、パソコンを叩いていた私の傍に来ると、96歳になる家内の母が亡くなったという。実は5月頃、具合が悪いと家内の実家近くの開業医にかかった。
よほどのことでないと医者に頼らない義母が医者に行ったので、義弟の嫁さんが医者に聞きに行った。
どこが悪いのかと聞くと、全部悪い、生きているのが不思議だという。

とにかく家に置ける状況ではなく、街の大きな病院に入院した。私たちもそれ以降、月二度ほど見舞いに行っていた。
まあ歳も歳だからしょうがないという気持ちは皆あった。

さてお葬式はどうする、すぐに田舎に行った方が良いのか、そんなことを家内と話していると、お坊さんの都合と火葬場の事情で告別式は木曜日にする、水曜日に来いと義弟から連絡があった。
そんなわけで私と家内、それから息子、娘夫婦全員参加である。


高齢で大往生とはいえ、火葬はいつも悲しい。火葬炉に入れたとき涙が止まらなかった。
娘になぜ泣いているのと聞かれて、泣いてないと答えた。
私は亡くなったときでも納棺でも泣いたことはない。だけど火葬炉に入れるときは、最後のお別れを実感するから、いつも泣いてしまう。
私は実の父母との付き合いより、家内の母親との付き合いの方が倍も長いのだ。実親よりも思い入れがあるのは当然だ。

煙
煙
煙
線香

告別式でも火葬場でも、親族があまり飲むわけにいかないので、お骨を持って家内の実家に帰ってから、身内で飲んだ。
故人の子とその配偶者では、最年長が私で76歳、一番若くて64歳である。故人の孫世代(私の子どもや甥姪たち)も40代である。一人前どころか、社会ではベテランとかオーソリティのカテゴリーに入るだろう。

次に皆が集まるのは誰かの葬式だねと言う話になるが、誰かって私に決まっているだろうが。それはあと10年か15年後か、
そのとき子世代は皆75以上、孫世代でも60代となり、彦世代は30前後となる。皆どんなになっているか、棺桶の隙間から覗くのも楽しみだ。

我々故人の子供世代が、孫世代の小さいときの笑い話をすると、もう言うのを止めてくれという。
ちょっと遠く(300mほど)に一人で行ってしまい道に迷い泣いていたとか、風呂炊きしていて風呂釜の前に置いた薪に火がついてボヤになったとか、オタマジャクシを1升瓶にぎっしり詰めてきたとか、カマキリの卵を部屋に放っておいて、孵化した小さなカマキリが部屋中に蠢いていたとかいろいろである。

彦世代のふたりは、高校3年で受験勉強真っ盛りである。斎場でも参考書を持ち込んで勉強していた。斎場で勉強する効果がいかほど意味があるのか疑問だが、本人たちは一生懸命であった。
彦の年下の方でも高校1年とか中学3年で、もう以前のように夏休み、春休みに我が家に泊まってディズニーランドに行こうなんて、考える余裕はなさそうだ。


告別式も火葬も終わって、やれやれとりあえずおしまいだ、次は四十九日まではないと思った。
ところがそれで終わりでなく、翌日にお寺にお礼の挨拶に行かないとならないと義弟が言い出した。しかも礼服で上着も必要とのこと。
義妹の連れ合いと、こんな風習は聞いたことがないと話をするが、土地の慣習ならそれに倣うしかない。
ということで翌日昼頃、故人の子供と配偶者の計6名で、お寺に行って坊さんにお礼を言う。まさに繁文縟礼である。


帰るとき、郡山駅まで義妹が送ってくれた。途中、遅い昼飯をファミレスで食べた。
平日なのにけっこう混んでいた。家族連ればかりで、核家族プラス老夫婦というパターンが多い。
頭が白いか光っている老人が多い。杖をついている人も多い。
「皆、俺と同じくらいだろう。俺が一番若く見える」というと、
「相手も同じことを考えているよ」と家内がいう。
「俺の小学の同級生が一人くらいいるかもしれないな」というと、
「みんなあんたと同じくぼけているよ」とまぜっかえす。

郡山駅で土産を探す。私は自分用だが、息子は職場、家内はクラブとか知り合い用にと、ご苦労なことだ。
私は柏屋の「薄皮まんじゅう」と三万石の「ままどおる」を買った。いずれも25年前、郡山市に住んでいたときより相当小さくなった感じがする。


東北新幹線
東北新幹線

そんなことで帰宅したのは金曜日の宵である。

田舎に帰って感じたこと。
このところ、温暖化とか猛暑とか言われるが、私の田舎はそんなものはない。所在地は阿武隈山地で海抜350mくらいあり、日中33℃くらい、夜はなんと21℃であった。ちなみに米作りは、本州中部なら海抜1200mくらいまでOKだそうだ。
温暖化というけれど、その過半は都市温暖化だ。地球温暖化といっても、都市部の気温が上がったほど、田園地帯の気温は上がっていない。

都市温暖化とは、都市部に多いアスファルトやコンクリートの地表面、人工排熱、高密度に建ち並ぶ建物などが原因となり、都市の気温が周辺地域よりも高くなるヒートアイランド現象をいう。
エアコンとは部屋を冷やすのではない。単に屋内の熱を屋外に移動するだけであって、エアコンで冷房するほど屋外は暑くなるのだ。


家内の実家は未だに、外出時にも夜も、カギをかけない。義妹の家も似たような条件だが カギ しっかりカギをかけている。
一度でも街場に住んだ人は、防犯意識が高まり施錠するようだ。
近所の住人による犯罪はないが、20年ほど前、車に乗った中国人の集団が東北を移動していく大規模窃盗事件があり、それ以降はカギをかける人が多くなった。

お店とかレストランならともかく、戸建てならエアコンなしで扇風機があれば十分な感じだ。ただ虫(ハチなど)が入るのを嫌って、どこも窓や戸を閉め切りエアコンをバンバンかけている。更に夜も戸を閉めてエアコンをかけて寝る。
防犯上は、締めきってエアコンを使うのが正解なのだろうけど、私と家内は網戸で寝た。真夜中過ぎると寒くて目が覚めてしまった。ガラス戸を閉めて薄い布団をかけて寝た。

セミはもうアブラゼミもミンミンゼミも盛りを過ぎて、ツクツクボウシが鳴いている。秋ですねえ〜
田んぼは平年作以上に見えた。高温も雨不足も騒がれたが、実家の周辺は無問題のようだ。


田舎は涼しくてのんびりしていて良いのかと言われると、悪いこともいろいろある。
まず学校だ。自宅から小学校や中学校に歩いて行けるところは珍しい。小学校でも片道3キロあるなんて珍しくない。
私が子どものとき、小学校まで4キロ近く歩いたが、今どきの子供には辛いだろう。私の時代は、国も自治体も貧しくて学校が少なかったが、今は子どもが少ないから学校も少ないのだ。

義妹のところは集団登校だというが、その集合場所まで2キロ以上ある。親たちがそこまで車で送っていき、子供たちが集まったら500m先の学校まで歩く。集団登校の意味があるのか?
それでもそこは幸いに全校児童数100人以上いて、統廃合の話は出ていない。

家内や義妹が通った小学校と中学校は、家内の実家から1.6キロのところにあった。歩いていくと運動にちょうどだ。
家内の甥・姪が通ったときは、その小学校は残ったものの中学校が統廃合になり、新設された中学校まで6キロある。自転車通学も危なく、路線バスで通学だった。
数年前、大甥・大姪(甥や姪の子)が通ったときは小学校は複式学級になった。
そして今、全校児童数が50人おらず、小学校の統廃合が取り沙汰されている。
田舎の過疎化は急速に進んでいて、教育の環境は悪化している。

複式学級とは、児童の数が少ない場合に、2つ以上の異なる学年を同じ教室で教えること。小学校では、2つの学年の合計児童数が16人以下の場合とされる。
1人の教師が複数の学年を教える。もちろん同時にはできないから、一方を教えたら練習問題などをさせ、その間に別の学年を教える。

高校になると最短の高校で14キロ、他は20キロ前後となる。路線バスも少なくなり、親が通勤のとき送るとか、家から最寄り駅まで自転車、駅から駅まで電車、学校の最寄り駅から学校まで自転車というスタイルになる。自転車置き場2カ所にお金を払い、勿論自転車も2台必要だ。
この環境下でスポーツのクラブ活動をしているというのだから恐れ入る。


家に帰ってきてから、膝と腰が痛くて困った。思い返すに、家内の実家、義妹の家、親戚の家、どこも畳に座る生活様式だ。
肘、膝痛い お寺で拝んだり、斎場での告別式などは、今はどこでも椅子である。昔のように法事のとき、年配の人が足が悪く座れないからと断って、足を前に出しているようなことはない。

私が歳とったせいもあるが、自宅ではパソコンも食事も読書も椅子に座る暮らしである。挨拶のときだけ座るならともかく、10分も座ってお茶したら死ぬ自信がある。
家内もテレビを見るのは、家内専用の3人掛けのソファである。もちろんそこで横になるわけだ。
座る暮らしは辛い。


まあ、田舎には田舎の良いところ悪いところがある。都会も同じだ。
しかし仕事がないというのは最大の問題だろう。
故人の子供は3人共、生まれたところから10キロ以内の人と結婚したが、今現在、子、孫、彦の住んでいるところは県外7名、生まれた市以外の県内3名、生まれた市4名である。

故郷は遠くにあって思うものであり、住めば都である。
次はお彼岸、そして四十九日か・・・






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