2025年反省と2026年目標

25.12.29

毎度のことであるが、毎年、今年はちょっとまずかったな、来年こそは怪我や病気をしないようにと願い、努めているのだが、そうはいかないのもお決まりである。

平泳ぎ

2024年は不整脈から始まり、へバーデン結節で左人差し指が使えなくなり、なんとか泳げるようになると帯状疱疹となり、それが落ち着いて再びプールで泳げるようになったのは7月でした。
かように病気とケガで運動どころではありませんでした。


よって2025年も「無理は禁物、歳を考えろ」で行こうと決心したのです。
だから目標も下げました。
とはいえ今年も病気怪我は絶えず、これは単純に歳を取ったからでしょうか?

2024年は病気・怪我があり、それでも277km泳いだのですから300kmなど軽いはずです。それで2025年の目標を300kmとしました。
さて、2025年はどうだったでしょう。9月上旬までに288km泳ぎました。軽い軽い、これなら300kmどころか400km行くじゃないか、ハハハ

現実は
矢印
膝痛い

9月17日、プールのシャワーのところで転び、左指2本骨折、腰打撲、一番きいたのは左ひざをおかしくしたこと。指の固定が取れたのは11月、左ひざは12月末の今も痛みが治まらず。
よって今年の水泳はたったの288km、目標の7割。でも内容が違う。

反省といっても、どうすれば良かったのか?
シャワーの下は濡れているのが当然。注意して歩くといっても、走っていたわけでもないし、よそ見したわけでもない。なんとも・・・
来年は何キロ泳ぐなんていうとフラグが立ってしまうから、7分目で泳ぐこととする。


別の目標のウォーキングはどうだったのか。
夏頃まではスイミングが面白く、歩こうなんて気がしませんでした。怪我をしてからは歩くどころではありません。
ということで、房総南端まで行く件はまったくのゼロメートル、生きている間にたどり着きそうがありません。あと90kmですから、年に20キロ歩いて80歳までにと願をかけました。

高千穂峡

では趣味はとなると・・・
初夏に古事記の世界、高千穂神社、青島神社、高千穂峡あたりを巡ってまいりました。
泊りがけの旅行はそれ一回でした。
その後は、義母逝去、しまいには私が怪我をして2025年はオシマイ。
シャレになりません。

これほど怪我と病気持ちが、2026年の目標(objective)なんていうと鬼に笑われるだろう。
まあ笑われるのには慣れている。不言実行なんて実行しない者の言い訳だ。不言実行より有言実行、いや語った半分も為せば優秀だ。


というわけで来年は次の通りやりたい。
人生にはトラブル、怪我、病気がつきものだから、2026年は余裕を取ってみた。


2026年の活動目標
項目テーマ2025年目標2025年実績2025年計画
運動スイミング年間300km288km300km
南房総まで踏破89km0km20km
体重62.2±0.5kg62.1kg⇒64.9kg増加64.9kg⇒62.5kg減少
趣味読書200冊182冊200冊
旅行宮崎県大島、温泉2回
博物館めぐり(下記注1)
政治活動リアル・デモ参加ゼロ可能な限り
ネットボチボチ可能な限り
ウェブサイト更新回数100回100回(下記注2)

注1:今年から博物館めぐりを追加した。体力要らず半日でできる。行きたいところは多々ある。
今考えているのは、セイコーミュージアム、ミツトヨ博物館、東京都虹の下水道館などである。

注2:1年は52週だから、週2更新なら104回がMAXだが、ちょっと無理だよね?


ISOは目標をブレークダウン(target)し、更に実行計画(program)を立てなければならない。
計画倒れにならないよう努めたい。



ぬれ落ち葉 来年の目標

2026年の目標は、前年と同じく、つましく
「大晦日まで生きながらえること」
とする。

昨年75歳であったが1年後生きている確率は97.3%であった。今回は76歳となり1年後生きている確率は97.1%と0.2%厳しくなった。
毎年、険しくなる坂道を登っているようだ。果たして何年この坂道を登れるか?
楽しみでもある。

注:ちなみに1年後生きている確率は、10歳なら99.99%、20歳は99.96%、30歳は99.95%、40歳は99.9%、50歳は99.8%、60歳は99.4%、70歳は98.8%、80歳は95.6%、90歳は85.8%、人生は厳しい。

90歳まで85.8%の男性が生きるわけではないよ。毎年の掛け算だから91歳まで生きる人は24.1%になる。
とは言えすごいもんだ。私が中学時代、60歳まで生きるとは思っていなかった。

当時の平均寿命は男74.7歳だった。だけどそれはその年に生まれた赤ちゃんの平均余命であって、その年に亡くなっている人の平均年齢はそれよりも何年も短かった。今現在3年か4年違うが、1960年頃は10歳は違った。だから当時亡くなる人の多くは60代半ばだった。







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