憲法9条を考える

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いま自民党内からは、自衛隊を憲法9条に明記する改憲論や、「敵基地攻撃能力」という、発射の兆候を探知して相手の発射基地を叩くという先制攻撃論、防衛費の大幅増などが主張されてきています。

一方、護憲派といっても、その中での憲法9条の解釈は様々です。 その多くは、『国連憲章』の第51条に基づき、「国家は自衛権を有しているから、紛争の解決のための軍備は有しないけれど、自衛のための最低限の武装は可能だ」と憲法9条を解釈しているようです。

しかし、国を守ることができる最低限の武装というのは、どこまでと考えられるのでしょう?

武装での自衛は相手より強い武器を持たなければ実現できません。それでは、どんどん強化しなければならなくなり、軍事費を増やし、最終的に核兵器を持とうという議論になるのは避けられないことでしょう。

憲法9条の当初の理念通り、非武装・中立を守り抜くことはできないのでしょうか。
自衛隊を災害救助隊として再編成し、災害時には自国だけでなく周辺国にも救助に行き、周辺国との間の問題については、誠意を持って諦めずに話し合いをする。
そのような態度を貫くことはできないのでしょうか。そうすれば、世界でも稀有な真の中立国として認められていくのではないでしょうか。
グローバル化の進んだ現在、完全非武装で中立し、災害救助隊が周辺国に寄与している国を、一方的に攻めてくる国があるでしょうか?そんなことをすれば、その国は孤立するでしょう。

万が一、そのようなことがあるとしても、武器を持って立ち向かえば、人を殺すことになります。攻めて来る兵士にも家族がいます。そんなことを考えながら、自衛のためとはいえ人を殺すことができるでしょうか。それに、それではいつまでも暴力の連鎖を断ち切ることはできません。

これから世界は、二つに分断されていくのでしょう。日本は独自の立ち位置を必死で確保しなければ、アメリカのために身を捧げるか、その核の傘がなくなれば、膨大な費用と犠牲を払って、孤立無援で闘わなければならなくなります。侵略者とは闘わなければなりませんが、真の闘いとは、武器を持たないで抵抗することではないでしょうか。その場合も犠牲は出るでしょう。けれど、双方で武器を持って殺し合うより、犠牲はずっと少ないと考えます。

それは、今のウクライナの惨状を見て確信に変わりました。ウクライナが、プーチン大統領の要求である非武装・中立することを受け入れた上で、ロシアの傀儡になることなく、世界中の世論を味方にして、非暴力で抵抗していれば、今のような悲惨な状況に陥ることなく、独立国家としての尊厳を保ちえたと思うのです。それが本当の勝利だと思います。

今のウクライナは、アメリカNATOの代理戦争のために犠牲になり、滅茶滅茶になっています。今アメリカは台湾独立を煽り中国を怒らせようとし、日本にも軍事力を行使できるよう圧力をかけています。バイデン大統領は、在任期間の残り2年間で、台湾海峡にも有事を起こそうとしているように思えてなりません。中国がロシアのように煽られて台湾に軍事侵攻すれば、尖閣諸島の問題を持つ日本は、膨大な軍事費だけでなく、出兵を強いられることもあるでしょう。その前に中立を明確に宣言しなければ、戦争への道をまっしぐらに進むしか選択肢はなくなります。

世界第5位の軍備を誇る日本の軍事費は、5兆円にものぼっています。コロナ禍で職を失った人たちが生活できなくなり、家を失い、自殺者の数がうなぎ上りの今の日本で、軍事予算の半分だけでも、どれほどの人の生活を救うことができるでしょう。生活必需品にまで消費税をかけ、軍事費を増やすことには何のためらいも感じない政策は、本末転倒です。
弱者が生きていけない世の中は、他国の侵略を受けるまでもなく、衰退していくのではないでしょうか。
全ての人の最低限の衣食住を確保し、自給自足を促進し、争いの種を撒くこと、撒かれることのないよう、細心の注意と誠意を持った外交をする。それでも万が一、他国からの侵略をうけた場合は国民一丸となって、命をかけて非武装で抵抗する。それ以外に、これからの日本が生き残る道はないと考えます。

私はアメリカが公共事業のように起こす戦争で、殺すのも、殺されるのも絶対に嫌です!煽られて近隣諸国との緊張を高めたり、軍備を増強したりすることは、滅亡への道を選んでいるとしか思えません。いまこそ、日本は平和憲法9条を盾に、非武装で闘う覚悟を持つ時だと思います。


2022.05.13 ヤスミン植月千春



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