おれぐらいの世代のアーケードゲーマーだと、「MTJ」氏の名に見覚えがある人は多いんじゃないかと思う。本名の三辻富貴朗よりも、ハンドルの MTJ の方が有名だった筈だ。
氏はタイトーの『バブルボブル』『ヴォルフィード』『サイバリオン』といったゲームのデザイナーとして有名であると同時に、一時期「ゲーメスト」誌にゲームデザインをテーマとした連載記事を持っていたことでも知られていた。当時のゲーム業界ではクリエイター個人の名前が露出することは珍しかったので、その点でも異彩を放っていた。
まだ中学生になったばかりだったおれは、MTJ 氏の連載記事をかなり楽しみに読んでいたように記憶している。具体的な内容は殆ど憶えていないが、ゲームの芯となるアイデアの重要性については繰り返し語っていたと思う。おれは『バブルボブル』が大好きだったし、MTJ 氏のファン……とまではいかないけど、少なくともひいきのデザイナー、というぐらいには位置づけていた。
しかし MTJ 氏は、著名になってから比較的短いうちに表舞台からは姿を消す。第一線から退いた氏はゲームデザイナーの養成学校を立ち上げ、後進の育成にあたっていた。その後は制作現場に戻ることもなかったようだ。過去形で書くのは、MTJ 氏は昨年 12 月に死去しているからだ。
死亡のニュースが流れるまで、ネットで氏について語られることはあまりなかったように思う。ただ、あるひとつの芳しくない噂だけが、じわりと、べっとりと広がっていた。真偽のほどはわからないのでここでは詳しく書かないが、氏の手がけたあるゲームの基礎となっているアイデアが盗用である、というような話だ。
また、ウェブ上で MTJ 氏に関する記述を探していると、「天然」や「マイペース」という表現が見られる。一緒に働いた経験のある人からも「あまり話したくない」という言葉が出たりもしている。
これは勝手な想像だが、もしかすると、よいゲームを作ることに拘るあまりに、周囲が見えなくなる質だったのかも知れないな、と思う。繰り返すが勝手な想像だ。おれは本人に会ったことすらない。
MTJ 氏の多くの作品はアイデア、センスに優れ、今もなお名作と呼ばれるゲームも少なくない。だが、特に『レインボーアイランド』以降の作品はセールス的には苦戦していたのではないかという印象がある。楽しくて、面白くて、おそろしく作りこまれているけど、端的に言えばとにかくどれも難し過ぎる。その作り込みに比肩するぐらいプレイヤーもやりこまなければ、その面白さの全部に触れることができなかった。
前回とりあげた『オメガファイター』もそうだったし、『サイバリオン』も斬新だったのに難し過ぎて短命に終わった。大ヒットとなった『バブルボブル』だって、隠しコマンドを使わずにクリアできたプレイヤーが何人居るだろう。
惜しかった、と思う。適切なプロデューサーを得ていれば、残された作品のいくつかは、もっと好いゲームになっていただろう。そしてあるいは、もっと多くの作品を生み出す機を得ていたかも知れない。だが今更言っても詮無きことだ。
最後にひとつ。
この記事を書こうとして調べるまですっかり忘れていたのだが、おれは MTJ 氏とネットでやりとりしたことがあった。時は 1996 年、ところは今は亡き fj.rec.games.video.arcade だ。詳しい内容はグーグル様のアーカイヴに譲るが、なにも知らない学生の知ったような記事に氏は誠実にフォローをつけてくれていた。
すっかり遅くなってしまったが、三辻氏の冥福を祈り、この稿の結びとしたい。