テキストアドベンチャー、と言われて、どんなゲームか想像がつくだろうか。
いちばん有名なものは、おそらく『Zork』シリーズだろう。画像を使わない、文章だけで進行するコマンド入力式(あるいは選択式)のゲームだ。現在の場所と状況が文章で示され、プレイヤーは移動や動作などの命令を入力していく。『聖なる剣』においては移動は「ひがし」「にし」などの方角コマンド、動作は「みる」「とる」「なげる」「たたかう」「うごかす」などだった。面白かったのは、短縮コマンドが使えたことだ。例えば、「な」と一文字入力すれば、「なげる」に化けてくれた。今でこそ珍しくもなんともないが、当時は一体どんなルーティンを使っているのかと思ったものだった。
リアルタイムではなく、パラメータもなかった。ゲームは謎解きが主だった。それは、目の前の肉食獣から身を守る方法だったり、開かない扉の向こうに進む方法だったり、メモ用紙に書かれた不可思議な記号の解読だったりする。ある時はプレイヤーの知恵で、ある時はゲーム中のヒントをもとに、またある時はゲーム中に手に入る品物を駆使して、ひとつひとつの関門を突破していく。描画や高速処理を苦手とした、黎明期のコンピュータでも繰り広げることのできた形態。それはまさに「アドベンチャー」――「冒険」であったのだ。
当時は、ハードディスクはおろか、フロッピーディスクも広くは普及していなかった。ゲームのプログラムはカセットテープに収められ、テレコからオーディオケーブルを介してパソコンに読み込まなければならなかった。
『聖なる剣』も、読み込みだけで5分以上はかかった。ただ、読み込みに入る直前に、画面の最下部にこんな一文が表示されていた。
“PS− さいごにつかうコマンドは『うえ』です。”
初めて見た時には、ゲームの一番最後に使うコマンドを公開してしまうなんて勇気があるな、と感じたが、毎度毎度プレイするたびに表示されるので、そのうちに全然気にも留めなくなってしまった。お茶を飲んだり窓の外を眺めたり、5分をつぶすのに苦労しながら、冒険が始まる瞬間をひたすら待った。
『聖なる剣』のストーリーは単純だ。魔王にさらわれたお姫様を助けに、洞窟へ乗り込む。それだけだった。もちろん洞窟ではいくつもの困難が待ち受けている。最初の広間ではドラゴンが。通路ではヘビ女が。地下室では暗闇が。主に容量の問題だったとは思うが、可能な限り無駄を削ぎ落とした文章と、シンプルで暗いサウンドが、かえって緊張感を生み出していた。
ゲーム自体は、今考えればとてもよく出来ているとは言えない。ノーヒントのデス・トラップ、奇をてらっただけの問題解決法、不親切なところに脈絡なく落ちているアイテム。ゲーム作りの教科書に「やってはいけない見本」として載っていてもよさそうなぐらいだ。だけど当時は、そんなこともひっくるめて面白かった。人の手で作られた世界に入り込んで動き回り、反応(少なかったが)や謎解き(理不尽だったが)を心から楽しんでいた。
ひとつずつ、勇者は謎を解いていった。ひとつ当たり何時間か――時には何日かかけながら、しかし次々に突破していった。
地下で再びドラゴンとまみえた場面が、多分一番苦労した。いくつか行ける部屋があったのだが、ひとつには食肉植物、ひとつには殺人蜂が待ち構えていた。そのどれが突破できるのかさえ、わからなかった。
ひょんなことから、正解は判った。雑誌の広告に、画面写真がついていたのだが(文章のみのゲームなのに、だ)、そこにまともにネタばれがあった。東側の、鍵がかかった扉を「こわす」ことができて、そうすると飛び出してきた一つ目巨人とドラゴンが喧嘩を始める。その隙に、先へ進むことができたのだった。大らかだし、しょうもなくもあるけど、当時は大体みんなこんなもんだった。
そしてついに、勇者は魔王の前に辿り着く。祭壇からくすねてきた鏡の共鳴作用で魔王の隠れる鏡を割り、噴水の水でいまや聖なる剣と化した――元は便所で拾った――剣を構える。さあ、あとは魔王を倒すだけだ。
「たたかう」“なにと?”
「まおう」“それは できません。”
な、なぜ? ここまで来てまだ何か足りないっていうのか――
――と、突然気付いた。例のコマンドを使うのは、ここをおいて他にはないということに。魔王を倒すこと自体は目的ではなく、勇者はお姫様を助けたら、脱出しなければならないのだということに。
そのコマンドを入力すると、観念した魔王は力を失い、洞窟は崩壊し始める。いずれにせよ、ゲームはそこで終了する。その時点で、必要なアイテムが足りなかったり、条件を満たしていなければ、勇者はあえなく魔王の道連れにされてしまう。全部揃っていると、お城の謁見室でお姫様に口づけを受けるハッピーエンドを迎えられる。
ところが、もうひとつ、条件もアイテムも全部揃えたのに、お姫様を助けるのを綺麗さっぱり忘れちまった粗忽者の勇者に贈られる、とびきりあっけないエンディングがある。
しかし おひめさまをたすけだしていないので
あなたのこれまでのぼうけんも みずのあわになりました。
これを思い出すと、未だにおれは頬が緩むのを抑えられない。