*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但しISO規格の解釈と引用文献や法令名とその内容はすべて事実です。
5月も末になった。田中が今年度の計画を眺めて考えている。
ISO認証機関の移転先は大日本認証に決まった。大日本認証には審査についていろいろ注文を付けたから、相手も審査員は選りすぐってくるだろうし、それなりの審査をするだろう。
審査時期は、社内各部門の意見を聞いた結果、新年度の種々届け出、報告、株主総会などが終わって一段落の時期として、7月末に決まった。
そろそろ ISO 審査の準備を せにゃならん |
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元々の計画でも5月末に本社内への説明会を予定していた。
ということを勘案して今の時期に、ちょっとカツを入れておくべきだろう。問題があっても2か月あればいかようにでもなる。
田中はそう考える。
田中は説明会の議事次第を決めて磯原課長代行に相談する。説明会の意図、内容に了解を得る。箔付けするために山内参与に出てもらうことにする。
することはISO審査についての再確認だ。当たり前の仕事をしていれば良いと口を酸っぱくして語っているが、理解してくれたかどうか?
5月某日、本社の今年の審査で対象となった10部門を集める。
環境担当役員である生産技術本部長(実際は代理者である山内参与)と環境管理課はもちろんだが、総務部とスラッシュビル管理は毎回審査されるのは決まりだ。今回は大日本認証では初回であり、向こうから指定された人事部、監査部、サスティナビリティ部、情報システム部、営業本部、そして3つ事業本部である。
どこも自部門で不適合を出されたくないから、欠席部門はない。
山内参与の簡単な挨拶の後に田中の出番だ。磯原と岡山も出席しているが特に話はしない。田中さんに任せたと言った以上、本人がヘルプと言わない限り余計な干渉はしない。
「今年のISO14001の審査は、事情があり認証機関を品質環境センターから大日本認証に変更がありました。また以前審査時期は12月でしたが、年末で多忙であるというご意見が多く、各部門の要望で7月末といたしました。
本日からちょうどふた月、なにかあっても対応できると思っています。
以前からISO審査のために何かする必要はないと申しております。もちろん会社規則に則った仕事をしていることという条件があります。
今年度は会社規則制定100周年とのことで、人事部と総務部が主催して『会社規則を読もう』というキャンペーンをしています。みなさんも毎朝メルマガをお読みになっていることでしょう。
毎日いろいろな事例がありますが、すべて知っていたとか、守っているという人はまずいないのではないでしょうか?
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もちろんISO審査では、ISO規格で要求することだけが関わるわけですが、ISOに関わる会社規則だけ守ればよいわけではありません。ひたすら会社規則を遵守すれば、違法なことをする恐れもなく、ISO審査でも問題なく、業務遂行や勤怠届で間違えることはないと理解してほしいのです」
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質問の時間だ。
「電装品事業本部の○○です。会社規則だけ守れば良いのですか?」
「実を言うとちょっと違います。おっと、嘘ついたわけではありません。
例えば空調の温度を何度にするかは会社規則を見ても書いてありません」
「と言いますと?」
「会社規則として『事務所管理規則』がありまして、それは基本的な責任部門とか管理すべき項目が書いてあります。 その子供に『事務所環境細則』というものがありまして、それに事務所の一人当たり面積とか、何人にひとつパントリーや打ち合わせ場を設けるとか、通路に物を置くなとか決めてあります。
そしてそこに、空調つまり暖房や冷房の運転は『ビル管理会社の定めるものによること』と書いてあります。
つまり室温が何度になったら冷房を入れるかとか何度に設定するかは、別の文書で決めていて、会社規則ではその文書を引用しています。
ということで空調の温度はビル管理会社の定める数値、実は各部屋の空調のスイッチの脇に表示してあります」
「ああ〜、なるほど。確かにそうですね。文書体系は階層化、構造化されていると、
そいったものは他にもあるのですか?」
「私の知る限りごみの分別です。本社ではごみ処理を関連会社に委託していますので、『スラッシュビル管理(株)の定める分別表によること』と書いてあります。
法で定めていること、例えば収入印紙の金額などは規則に書いてなくて、印紙税法を見るようになっているのかもしれませんね」
「発言します。総務の猪越です。
今お話がありました収入印紙のことですが、一々印紙税法を見るのも面倒なのと、その契約書が法で定める何号文書に該当するのかを判断するのも難しいのです。
それで総務部の所管の規則では規則の中に、契約書などの具体名と契約金額に応じた印紙金額を記載しています。
ただ多くの部門でそれぞれ特有の契約書とか申請書などに関わっていると思います。そういう規則では収入印紙金額をどのように記述しているかは分かりません」
「ありがとうございます。そういうことで、よろしいですか?」
「それって、ちょっとおかしいと思うのよね。どの部門で作成した会社規則でも、総務部が書式のチェックや既存の会社規則との整合性を確認して、正式に制定されるわけですよね。
それなら他部門で作成した会社規則案でも、総務部がチェックしたとき、印紙金額を規則に記載するように指導というか差し戻すべきじゃないですか?」
「確かにそういうお考えもありますね。今までは総務部の会社規則制定・改定時のチェックは、法規制との関係、既存の規則との齟齬がメインだったのは確かです。ただおっしゃる方法もどうかなと思います。というのは印紙税法は過去より毎年1回は改正されています。もちろん改定個所は印紙金額ばかりではありませんが。
各部門で毎年、自部門所管の会社規則で印紙が関わるものを改定する意思があるなら、そうすることも良いかと思います。それでは手間が大変というなら、会社規則には金額を記載しない方が適切かもしれません。
総務部では一々印紙税法とか『印紙税の手引き』を読むより、毎年規則の改定が発生しても会社規則に金額を入れたほうが有用だと考えたということです」
「ええと、経理の○○です。印紙金額を気にしているようですが、収入印紙の勘定科目は租税公課ですから、収入印紙は部門ではなく総務で購入しています。どの部門でも収入印紙が必要な場合は、総務にもらいにいくはずです。
だからわざわざ会社規則に書かず、総務部が法を参照して必要な金額の収入印紙を貼るとでもしたらいいじゃないですか」
注:租税公課とは国税・地方税に当たるもので会計上経費となるので、各部門が部門費で購入するのは筋が違い、また個々に購入して集計するのも大変なので、多くの企業では総務部門がまとめて購入する方式が多い。
「実際は必要な収入印紙のすべてを当社が貼り付けるわけではないのです。相手方が貼る場合もあるわけで……」
「そのときは不足したなら先方の責任ね」
「そうではありません。印紙代はどちらが払うとは決めてないから、足りなければ双方の責任のはず」
「あの、申し訳ないですが、ちょっとストップ
私が印紙金額を例に挙げてしまって申し訳ない。それについては別途、総務部が会社規則において収入印紙に関わる記載についてとかの会議を招集して検討してもらえませんか。
本題は会社規則以外に参照する必要がある文書というかルールもあるということをご理解いただければよろしい。
とりあえず、この件について終わらせてもらいます」
今まで収入印紙で発言した人たちは不満そうだが、田中は次に進める。
質問者はたくさんいるのだ。
「あのう、会社規則を守るとおっしゃいましたが、業務ではたくさんの計画とか記録があるわけです。それは会社規則とは違いますよね?」
「会社では、計画を立てることすなわち計画書を作ることです。そして進捗があれば計画書に記入します。また会議をすれば議事録を、出張すれば出張報告を作成します。またモノの移動があれば伝票が起こされます。お金の移動、モノの移動があれば紙の帳簿か電子的にインプットされます。
まずいことがあれば顛末書とか始末書を書きます。それらはすべて会社規則で、計画を立てるとか、記録を作るとか、報告書を書くとか決めてあるからです。
ですから会社規則を守るということは、当然報告書を書き、起票することも入るわけで、そういう行動をしなければ会社規則を守っていないわけです」
「ああ、そういうことなのね」
「今、計画はどうなのかというご質問をいただきましたが、今は5月末ですから、さまざまな計画書には当然4月の実績まで記入されているはずです。
また出張報告は会社規則で国内出張は帰社後3日以内、海外出張は10日以内に上長に提出とありますから、当然その期限を守らなければ、会社規則を守っていないことになります」
「質問、会社規則を守っていれば、ISO審査で問題ないというのは大丈夫なのですか?」
「一般の人が会社で業務をするときに、1,900本もある法律を一々調べて仕事することはできません。ですから
業務に関わる法規制、つまり届け出とか許可が必要などは、予めそれぞれの会社規則の中に盛り込まれているのです。そうでなければ仕事をすることはとんでもなく難しいことでしょう。
そういうことを、法律が会社規則に展開されているとも言います。
ですから会社規則を守れば業務に関わる法律は、自動的に守ることになります」
「会社規則に『遵法とコンプライアンスの規則』というのがありまして、そこでは『法律と社会要求となっていることを守ること』と定めています。ですから法律だけでなく、社会的な要求も会社規則に織り込まれていますし、ISO規格についても対応しているわけで、それらも会社規則に織り込まれているのです。
もっとも『公用車運転の規則』では、スピード違反をするなとか駐車違反をするなとは書いてありません。同様に危険物取扱者の業務でも消防法の内容を書いていません。
法律で有資格者が従事しなければならないと定められている業務は、会社は有資格者を充てなければならない。当然有資格者は資格試験に合格しているわけで、業務に関係する安全衛生や法規制を知っているわけです。
もちろん会社規則を書く人は、当然その規則に関わる法規制やISO規格の要求を、ブレークダウンして会社規則に書き込まなければならないわけです」
注:1997年、ISO14001審査員研修会で日本の法律は1,700本と習った。2023年10月時点で2,076本である。もっとも「改正法(法律を改正する法律)」とか有効期間が決められた「時限法」など一時的なものが200本ほどあるから、実質1,900本だろう。26年間に200本、毎年8本増えたことになる。
毎年国会で可決される法律は90から120本になるが、その9割は「改正法」だ。だから増えるのは「新規制定法」だけだ。
改正法とは、法律を改正するときは全文を差し替えるのでなく、改正する条文だけを改正する「○○法の一部を改正する法律」という改正法を制定する。改正法の施行日に、改正された条文が差し替えられ、改正法は消えることになる。
「ええとだいぶ説明が長引きましたが、ISO規格の要求事項もすべて会社規則に展開されているので、わざわざISOってどんなことをしなければならないのかと心配する必要はないのです」
「だいぶ余分なことが多かったですね。ほんの数行で十分でした」
「しかし変ですね。私の知る限り、ISO認証のために会社規則を変えたという話を聞いたことがありません。
ということは昔からウチはISO規格を満たしていたのですか?」
「おっしゃる通りです。昔からISO規格を満たしていたといえます。
しかし、ISO審査が始まった頃は、審査員はISO規格用語で質問してくるので、規格の用語を知らないと審査員の質問に答えられません。だから審査をパスするのは難しいといわれたのです」
「あのう〜、会社規則を守っていれば、ISO規格を満たしているというのはわかりました。
でも審査員が規格にある何かをしているかと質問されても、言っている意味を私たちは分かりませんね。それで不合格になることはありませんか?」
「そういうこともあろうかと、我が社ではISO審査を受ける前に、認証機関にいくつかの要求をしています。そして認証機関は当社の契約を取るために、その要求を受け入れています。
・ISO規格用語を使わない
・規格にないことは言わない
・規格を引用しない
平易な言葉で質問してもらいます。もし質問を理解できないときは『質問が分かりません』でよろしいです」
「それを聞いて、安心しました」
「仕事をするためにはISO規格とか規格の用語なんて無用です。会社規則通りに仕事をしている自信があれば、堂々と審査を受けてください。審査員が理解できなかったなら、審査員がダメと思っていただいて結構です」
「それを聞いて安心したわ〜」
「気になったんだけど、計画が遅れているというのは不適合になるのかい?」
「計画を立てても目論見通り行かないことは多々あります。それが即不適合というわけではありません。
しかし達成しなければならないものなら、挽回しようとするでしょうし、目標値を下げる場合もあるでしょうし、計画そのものを放棄することもある。
なにもせず放っておくのは真剣に業務に取り組んでいないと思います。それは不適合ではないでしょうか。
そしてまた目標をはるかに超えているときも、何か手を打つでしょう。目標を達成したなら、もうそのための活動を中止すべきかもしれないし、目標を上方修正すべきかもしれない。いずれにしても手を打たないで、放っておくのはないでしょう」
「なるほど、そう思います」
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質問が途切れた。人事の下山が立ち上がる。
「この場をお借りして少し話をさせていただけませんか?」
「どうぞ、どうぞ」
「人事の下山です。今年は我が社の会社規則制定100周年に当たることから、人事と総務が発起人になって『会社規則を読もう』というキャンペーンをしております。
本社・支社で働く人、派遣もパートも関連会社も含めた全員に、毎朝メルマガを送っております。既に2ヶ月ほどになりまして、いろいろな意見をいただいております。
参考になった、知らなかった、教えてもらったことがない、いろいろな意見があります。
ご意見を総括しますと、会社規則をよく知らなかったということが大勢です。道路交通法を完全に知らなくても、信号の色と横断禁止くらい覚えていれば歩行者としてはなんとかなる、そんなものでしょうか?
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でもあいまいな知識で道を歩いていると危ないことは危ない。
例えば休暇取得の解説もありましたが、今まで当日休暇を取るとき、庶務の人に電話して終わりということが多かったのではないでしょうか。
田中さんから、会社規則を守っていればISO審査で問題は起きないという話がありました。そう聞くと簡単なことと思いますが、現実を見れば会社規則を守っているとは言えない状況だと気づくでしょう。
会社規則というものはひとつのものでなく、たくさんの規則の集合体です。その数600と言われています。もちろんそれを全部知る必要はありません。人事関係の規則は100本ありますが、普通の人が会社で知らなければならないことは通勤、勤怠、懲戒や退職など10本くらいです。
また設計の人は営業の規則は関係ないでしょうし、経理の人は設計の規則を知らなくても困らないでしょう。
みなさんは中途退職しなければ40年くらいここで働くわけで、必要なもの……せいぜい50本くらい読んでおくべきです。50本というと大変だと思うかもしれませんが、短いものは数ページ、長いものでも文章は数ページで数表とか図表がついているだけです。
ISOのためじゃありません。自分の仕事についての規則を知る。勤怠や退職の規則を知る、そういうことがお金になるかもしれません。
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「ドクターで20万じゃ安すぎだろう」
「会社がドクターを取れといってなくて、ドクターを取ったときのご褒美ですよ。もらえないよりもらったほうが良いじゃないですか」
「簿記とかあるのかしら」
「私もオフハンドでは分かりません。職場に戻ったら調べてください。規則に記載されてますから」
「質問です」
「はい、なんでしょう?」
「『会社規則を読もう』のメルマガも良いですが、規則の説明会をしてもらえないですかね。
先日仕事で輸出管理に関りがあって規則を読んだのですが、ホント分からない。
残業代が付かなくてもよいですから、定時後に会社規則解説講座とか開催してもらえれば、自分の関心のあるテーマのとき聴講できたら良いなと思います」
「ああ、なるほど、そういうのもありますね。とはいえこれは総務マターだな。
ちょうど総務の猪越さんがいる。キヨちゃん、考えてよ」
「承りました。先ほどの収入印紙も合わせて総務部内で検討しまして、本日のメンバーに回答いたします」
「メルマガですが、あそこで取り上げた規則の運用が、そのときだけ厳しくなるということが繰り返されています。
休暇の話は、ちょうど連休明けだったので、当日休暇を取った人の半分くらいが訓告になったと聞きます。でも3週間も過ぎたら、熱が冷めたようで当日休暇など野放しになりました。
そういうのは問題じゃないですか?」
注:「訓告」とは、会社が従業員に対して書面で厳重注意するもので、最も軽い懲戒処分。
始末書の要否や査定への反映の有無は、会社によって異なる。
「今のお話をお聞きすると、メルマガが悪いように聞こえます。でも正しくは、メルマガから日が経つと手抜きになるのが問題でしょう。管理者には改善勧告を出したいですね。
人事もできることはしますが、管理職が厳しくないと守らないってのは社員の問題ですよ。基本は管理職も一般の人も自らルールを守る意思を持ってほしい。
スピード違反で捕まった人が『捕まらない人がいるのが不公平だ』と言うようなものではないですか」
「そうじゃないと思いますけど〜」
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「まあ、みなさんいろいろな意見があるのは分かりました。とはいえ、この集まりの目的は、会社規則を守ろうと職場で周知してほしいことです。
提案ですが、そういう主張があるなら、会社規則の問題対策とか会社規則をより良く改定する運動を、みなさんが 始めたらどうでしょう。
『会社規則を読もう』というキャンペーンも職制が決めたわけでなく、仕事で日ごろ感じていた問題を解決しようという一般社員の声から始まったと聞きます。
不満を持つのは改善のはじまりです。しかし愚痴で終わってはいけない。誰かがしなければならないなら自分がするという意思をもち、問題意識を持った人が始めるのは当たり前です。
ええと、本日のまとめですが、会社規則を守ることの重要性、しかし現実には会社規則が守られていないこと、それをみなさんの職場に広報してほしいと願います。ISO審査のためではありませんよ」
出席者は自分の主張を言いたい放題だから、田中も議事を仕切るのが大変だ。だが、口うるさいということは職場に帰ったらそれなりに行動してくれるだろう。文句を言う人は動く人というのも経験則だ。
本日のひと言
田中さん(60歳)はロートルと言えるでしょうけど、下山さん(44歳)はまだロートルではありません。もっともロートル(老頭児)とは老人という意味ですが、年齢制限はないようです。
なお、アホロートルとはウーパールーパーのことで、アホなロートル(ぼけ老人)ではありません。
ウーパールーパーが流行ったのは1985年、インスタント焼きそばのコマーシャルでした。驚くことに、ウーパールーパーって学名でもなく俗称でもなく、コマーシャル用に考えられた登録商標だそうです。
ナンテェコッタ!
ウーパールーパーの本当の名前? アホロートルです。
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