*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但しISO規格の解釈と引用文献や法令名とその内容はすべて事実です。
物語は2019年7月となった。スラッシュ電機本社では年度初めからの大きなイベントは株主総会をもって一段落した。
本社はいつも忙しいが、それでも少し余裕のある時期に入った。
今年は7月にISO14001の審査がある。別段深刻ではない。認証機関が変わった今年はどうなるか楽しみだ。
認証機関を移転するにもIAF
大日本認証の審査リーダーの加藤は、審査スケジュールを立てた。
オープニングは本社で全員参加する。その後は1人ずつに分かれて審査を行う。
日付 | 加藤 | 高藤 | 内藤 | 半藤 | |
第1日 | AM | 本社(東京)オープニング | |||
PM | 本社(大手町) | 関東支社(東京) 🚅東京⇒岡山 | 🛪羽田⇒佐賀 佐賀営業所 | 🚅東京⇒仙台 東北支社 |
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第2日 | AM | 本社(浜松町) 🚅東京⇒水戸 | 岡山営業所 🚅岡山⇒広島 | 🚅佐賀⇒博多 九州支社 | 🚅仙台⇒秋田 |
PM | 水戸営業所 | 中国支社 | 🛪福岡⇒那覇 | 秋田営業所 🚅秋田⇒青森 |
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第3日 | AM | 🚅水戸⇒前橋 | 🚅広島⇒松山 松山営業所 | 那覇営業所 | 青森営業所 |
PM | 前橋営業所 🚅前橋⇒東京 | 🛪松山⇒羽田 | 発電所工事現場 🛪那覇⇒羽田 | 🚅青森⇒東京 | |
第4日 | AM | 本社(東京)審査員打合せ | |||
PM 15:00 終了 | 本社(東京)クロージングミーティング |
注:この計画では審査時間が足りない。基準を満たすには、もう一人あるいは一日追加しないとだめだ。頭が回らないので、とりあえず勘弁してほしい。
なぜ私が毎回スケジュール表を作るのかといえば、審査場所や移動ルートをある程度具体的に決めてないと実感が湧かず物語を書けないからだ。
私もこんな暮らしを10年間していた。振り返れば最高にハッピーな人生だった。まだ人生終わってないけど。
待ちに待った審査の初日である。
オープニングミーティングが始まる。
審査側はリーダー以下審査員4名、受査側は山内参与、磯原、岡山、それから本社で今日・明日に審査を受ける、総務、人事など8部門から課長クラスが出席している。
環境管理課からは増子、石川、田中、坂本が顔を出している。柳田さんは事務所で電話番だ。
高藤 | 内藤 | 半藤 | 山内参与 | 磯原 | 岡山 | ||
審査側 | 受査側 |
加藤リーダーが挨拶と審査の進め方などを説明する。ルールで決まっていることは漏れなく説明する。更に今回は加藤リーダーが考えてきた話をする。
「昨今、ISO認証の価値、あるいは審査の効用は何かと問われています。なぜなら審査に適合することは難しいわけではありません。不適合があっても是正すれば良いわけで、現実に審査を受けて認証できなかった企業は知る限りありません。
ですから、企業さんがISO登録証を受けて良かったと思うはずはありません。だってみんなが認証しているなら差別化できません。
15年ほど前、ISO認証していると国交省の建設工事入札において加算点が付くということから、建設業界でISO認証するのが流行になりました。でもみんな加算点がもらえたら、何も変わりません。その後入札の要件なども変わりましたが建設業の認証企業は減る一方です
わざわざ高い費用をかけて認証しても差別化できないなら、高い審査料金の価値はあるのかと考えるのは当然です。
ご存じのようにISO審査ではコンサルはもちろん禁止されていますし、改善事例などを語ることは守秘契約からできません。皆さんは他社の情報を聞きたいかもしれませんが、自分の会社のことを他社に知られては困るわけです。
では審査を受ける企業は対価として何を受け取れるのか? そういう疑問を持つのは当然です。
ただ単に、お宅の会社は規格適合、つまりISO14001に沿ったルールがあり、それが守られていましたという報告を受けても、ありがたみがあるとは思えない。そもそも規格適合ならどんな良いことがあるのかといえば、環境保護を図り、変化に対応する枠組みがあると裏書されただけのことです(序文0.2)。
審査の結果、会社の仕組みに脆弱なところはないか、あるいはシステムないがしろにされているかの報告を受ける、それが審査の効果そのものでしょうか。
じゃあどういう情報があれば役に立つのか? 企業によってほしい情報は異なるでしょう。
オープニングミーティングと経営者インタビューは、まさに依頼者から審査への要望を聞く場と考えています」
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加藤審査員が審査の計画と約束事を説明すると、場も人も変わらず経営者インタビューに移る。
「では経営者インタビューということになります。先ほど申しましたように、私たちが講釈を語ることはありません。御社がこの審査で求めるもの、期待していることを聞かせてほしいと思います」
「経営層インタビューは依頼者の要望を聞く場という話はよく聞きます。私どもが期待することは多々ありますが、審査によってどのような情報を集められるものでしょうか?」
「経営層は常日頃、職制によって情報を得ています。また監査など社内の客観的な立場からの観察結果も入手しています。また組織的か非公式かはともかく、噂とか現場の話題などを収集されているでしょう。
私どもが提供する情報が、社内に組み込まれているルートから得られないものでないと意味がありません」
「日常身近にいる仲から得られない情報を、一日二日の審査で収集できるとは思えない」
「確かに微に入り細に入った情報を得ることは難しいでしょう。しかし会社という価値観や慣習を共有している人では気づかないことを、外部の者なら気付くことはあると思います
「私はISO規格を読んで、組織なら過去からしていたことの集大成だと思っている。新規な要求事項もないし、アイデアもない。
まあそれはそれとして、審査において管理者が把握していない実態をつかむことができるものですか?」
「こうしましょう、山内さんが知りたいことをおっしゃってください。我々が情報を収集して最終日にご報告いたしましょう」
「チャレンジですね。この会社でも常に問題はある。ISOでは不適合といってもよいでしょう。不適合とは規格要求を満たさない、逸脱した行為とか実態ですね。
弊社では規格要求はすべて会社規則に織り込まれていると考えている。ということは規格から逸脱した行為は会社規則に反していると同意だ。
ちょっと話は変わるが、山本五十六が語ったという『やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ』という名言がある。
実はこれでは足りないんだよね。もちろんISO審査員は分かっているはずだ」
「認識、つまり仕事の目的や意義を教えていないことですか」
注:「認識」の原語は「awareness」で、その意味は「状況を理解すること」であり「何かの存在意義、達成する目的、行動しなければならないこと、意識づけなどを含む」ものである。
日本語の「認識」の「物事をはっきりと見て、それを理解する」こととは違う。旧訳の「自覚」とも違う。
興味ある人は⇒7.3認識
「おっしゃる通り、ということは会社の規則を守っていない理由は、会社規則が定めることの目的・意義を理解させていないのか? 意欲を持たせていないからなのか? 私はそこが分からない。いや非常に興味がある。
もちろん審査員の任務は規格要求事項イコール会社規則を守っているかどうかの点検であり、その発生原因を探ることではない。
だが加藤さんが経営層の希望は何かと問うたのだから、私はそれを挙げたい」
「山内参与のご要望、
「まったくの事前情報がないと手におえないと思います。それで少しアドバイスをあげましょう。
今年は弊社の会社規則制定100周年なのです。それで人事や総務などが『会社規則を読もう』というキャンペーンを実施中です。その結果、会社規則を知らなかった、守っていなかった、違反を見たなど発覚しています。
そんなことが手掛かりになるかもしれません。
いや皮肉ではなく、ぜひともお願いします。三日後を楽しみにしています」
経営者インタビューはそれで終わりで、審査員はそれぞれの予定に分かれた。
リーダーの加藤は今日終日 本社ビルの審査であるが、高藤は本社ビル内に所在している関東支社を審査してから新幹線で岡山まで行く、内藤は羽田から九州佐賀に飛び佐賀営業所、半藤は東北新幹線で仙台だ。
お疲れ様である。
加藤はまず総務部である。事前に総務部では廃棄物関係と文書管理を審査すると周知している。
環境管理課のアテンドは岡山である。というか岡山以外はISO審査と無関係のようだ。岡山には二三度会ったが、彼以外ISO認証はタッチしていないのか? ISOは重要な仕事ではないと思われているのだろうか?
本社ビルの総務に行くのかと思ったら、田中はエレベーターで地下2階に直行した。地下2階はいわゆるオフィスビルという感じではなく、ビルの裏役という仕事をしているようだ。郵便物や小荷物の取り扱い、清掃業者の事務所などが並んでいるし、壁の床も汚れているわけではないが雑然とした雰囲気だ。
岡山はそんなところのドアを開けた。入ると机が20ほど並んでいる事務所で、衝立で仕切られた打ち合わせ場に案内された。
そこには総務課長、若い女性の猪越、廃棄物や清掃をしているという子会社の野崎氏が待っていた。
吉田課長 | 猪越きよこ | 野崎さん | 加藤審査員 | 岡山 | ||
総務のメンバー | ISO審査員 | アテンド |
「加藤と申します。よろしくお願いします。
ここはスラッシュ電機本社ビルから出る廃棄物処理を担当している部署ということでよろしいですか?」
「はい、廃棄物処理の担当は総務部です。ビルの共通部分からの廃棄物と地階の小規模店舗の廃棄物はこのビルの管理会社が処理しています。
私どもは賃貸している部分から出る一般廃棄物と産業廃棄物の処理を受け持ってます。実務は関連会社のスラッシュビル管理(株)が行っています」
「診療所はありますか?」
「このビル4階が医療モールになっています。また健康診断専門のクリニックもありまして、急病があろうと、定期健康診断であろうと、そこを利用しています。
ということで弊社としては持っていません」
「昨年排出した廃棄物の一覧でもありますか?」
「一廃はほぼ毎日出しています。これが月次の記録です。産廃は月に数回まとめて出しています。これは電子マニフェストのプリントアウト、紙マニフェストは社外の倉庫などから出すときで少数使用しており、これはそのリストです」
「什器などの汚れ落としにメタノールとかイソプロパノールなど使用しませんか?」
「私どもで保管しており、使用する部門はこちらにきてハンドラップを借用することになっています。大量に使うことはありませんから。
保管量は500mlビンですし、使用により蒸発してしまい廃棄はないですね。使用量がわずかですから換気など注意するほどでもありません。特管産廃として出したことはないです」
「什器の廃棄はありませんか?」
「現在はすべてリースとしております」
「廃棄物契約書は……チェックルートがすごいですね。経理で契約内容と収入印紙金額をチェックすると」
「廃棄物処理法で契約書の要件を決めていますが、現実には締め日とか振込銀行とかを決めておかないと実際は使い物になりません」
「そうですよね、
ええとこの電子マニフェストの入力の手順ですが、改定記録を見るとほんのひと月前に改定されていますね。変更ではなく追加されているようです。今まで電子マニフェストを使っていなかったわけでもないようですが……」
「正直言いまして、7年位前からだんだんと電子マニフェストに切り替わってきたのですが、
今年の『会社規則を読もう』キャンペーンで会社規則に盛り込んでないことが判明しまして、急遽見直したのが実情です。とはいえ、現状是認で、今まで参照していたウェブサイトを規則の中で明記して、それに従って入力することと記述しただけです」
「なるほど、今までのISO審査でも内部監査でも見つけなかったわけですか?」
「そういうことです。不具合があれば問題になるでしょうけど、仕事をする上で特段支障がなかったものですから」
「ええと廃棄物は分かりました。それでは文書管理を見たいと思います」
「すみませんが総務の事務所に移動します」
エレベーターで12階まで上がる。
総務課の吉田課長と猪越から、文書管理課の課長と村上氏にバトンタッチする。
村山さん | 文書課長 | 加藤審査員 | 岡山 | ||
文書管理課のメンバー | ISO審査員 | アテンド |
「文書管理課で扱う文書とはどんなものがあるのですか?」
「弊社では標準類と呼んでいますが、会社規則だけでなく図面類、社内規格、購買仕様書など技術文書も含めた範囲です。
我々が文書としているのは決裁を受け、発行管理をする、バージョンのあるものです。ですから客先に渡す提案書とか仕様書などで改定した場合差し替えるなら文書、しないものは単なる記録扱いです。
JIS規格など外部で作成された物は対象外、契約書は発行管理するものではないので文書扱いはしません。
現実には図面などの管理は生産技術本部の技術管理課が担当しておりますが、共通的なこと標準類の採番体系、文章基準、使用漢字、切り分けが微妙な文書の管理部門の決定などは、文書管理課がしております。
図面やJIS・ISO規格などを管理している技術管理課の上にあるという意味ではなく、会社として文書全体を取りまとめる部署ということです。
また守備範囲は、全社に関わるものと本社内に関わるものですね。支社内部、工場内部、部門内の文書の管理はそれぞれの職制が行います。
但しその文書体系、様式、書き方ということについては私どもが基準を定めております」
「さすが立派な仕組みですね。それではISO9001などが現れたときも、文書体系や管理方法などは改定する必要はなかったのでしょうね」
「いやいや、仕組みはISOを超えますが、運用はなかなか徹底できません。会社規則は600本くらいあります。規則では5年に1度の見直しをすることとしていますが、現実には真面目にしてくれる部門は半数ですかね。あとの部門は定期見直しなど頭にないようです」
「ISO規格もそれは無理だと思ったようで、当初は定期見直しの要求がありましたが、後になくなりましたね」
「いや、ISO規格は定期見直しをなくしたわけではなく、必要あるときは常に改定せよということだと思います。
弊社では毎年年度明けに、制定・改定・見直しから6年経過した規則の担当部署に見直しを要請する通知をしているのですが、まあ〜半分は無視ですよ、アハハハ」
「今年はどうなのでしょう?」
「実はね、今年はISO審査で会社規則の見直しをしてないと不適合を出されますよという通知を出しました。
今年はほとんど見直しが完了したようだね?」
「ハハハ、ISO審査の威力はすごいですよ。対象となった会社規則は150本くらいありましたが、審査前にほとんどが見直し完了しました。残る8本は関係部門と調整中で待ってほしいとありました」
「今まで見直しをしなかったのはどんな理由からですか?」
「売上を上げればボーナスも昇給も間違いありませんが、会社規則を最新化しても評価されませんからね」
「罰則規定はないのですか?」
「法律と違いますからねえ〜。法に反する、社会通念に反する、信義に反する、誤った判断で損出を出した、そういうものでないと就業規則では懲戒はできません。
規則の見直しはひたすらお願いするだけです」
「文書管理課のお仕事というと、規則の管理とか教育とかになるわけですか?」
「まずは文書を制定、改定、廃止などする際の内容の審査、法規制に抵触しないかの確認、他の規則との関係、取り合いの確認ですね。
それと規則についての意見や疑問についての調査と調整、主に新入社員や管理職に昇格した方への会社規則の教育ですか。あと先ほど出た定期見直しの要求などですか。
それから関連会社や取引先からの指導要請もあります。特に官公庁や大手企業との取引をするには、社内の規則などが整備されていることが要求されます。そういった支援も行います。まあ利益供与にならないようにはしますが」
注:「取り合い」にはいろいろ意味があるが、複数の部署に関わる仕事の分担を決めること、あるいはその境界を言う。
「あとそれから……内閣法制局なんてのがありますね。憲法の解釈とか法律の矛盾が起きないようにする仕事をしている。私どもの立ち位置も法制局のようなものですかね。
会社規則同士が矛盾しているとか、どちらが優先するとか、そういうことの判断もします」
「文書管理課という看板の下にいくつも机がありますが、仕事量は多いのですか?」
「会社規則のお守りをするだけなら村上さんひとりで間に合います。しかし先ほど申しましたように、技術関係の文書の方もありまして、例えばJISやISO規格などの読解で疑義があるようなときは我々に回ってきます。
それからISOはどうか知りませんが、弊社ではサンプル類も文書の範疇に入れてありまして、また電子情報も対象なのです。もちろん図面などを技術管理部門が管理すると同じく、情報システム部門が管理するのですが、全体の方向付けとか体系に織り込むなどのとりまとめは私のところの仕事です。
それから机に座っている人が少ないですが、先だって買収した中堅企業の仕組みつくりに二人が長期出張して規定類の作成を支援しています。ISO認証が流行した20世紀末は、そんなことが多々ありましたね。
おっと、こんなことを言っちゃいけないかもしれないが、ISO審査で審査員がISO規格解釈がおかしいなんていうことが工場であったとしましょう。そうしますと私のところに問い合わせが来るわけです。そうなると内閣法制局の出番です。
村上さん、最近は少なくなりましたね」
「そうですね〜。2000年頃はユニークな解釈の審査員が多かったようで、笑い話のような理解をされた審査員もいましたね。日本語を読めないのかと言いたくなるような解釈もありましたからね。アハハハ
あまりひどいものは異議申し立てまではいきませんが、弊社から公式に問い合わせをしたこともあります」
「ISO規格とかJIS規格を読むというのは難しいのですか?」
「それは加藤さんの方がご存じでしょう。
法律と同じく、普通に読んで常識で解釈すれば良いでしょう。但しISO規格の解釈は英語原文でするとなっていますね。翻訳がどうかと思うところもあります。
例えば2004年版のISO14001では原文ではひとつの文章だったものが、二つの文章になっていたものもありましたね。
『and』が『及び』と同じ意味かどうかなど微妙なところもありますし。英語でも論理学と文章では『and』の意味が違うこともありますからね」
「環境管理課の磯原さんでしたっけ、ああいう方たちも相談に来たりするのですか?」
「彼は文書管理課ではなく、生産技術課の標準担当の
磯原さんは工場の電気技術者でISO14001とは無縁で、本社に来てから苦労したようです。まあそれで文書管理について勉強したのでしょう」
「技術管理にも文書の専門家がいるわけですか?」
「先ほど課長が言いましたように、会社規則のお守りは一人で十分なのです。小山内さんはJISやISO規格の整備と社内規格への展開などをされてました。まあ私の同業者です」
「そのう〜、お話を聞きますと文書管理はともかく規格を読んだり、規則の解釈をするというのも非常に高度な判断を要すると思いますが、ここに一人しかいらっしゃらないのでは、退職の際の引き継ぎなど大丈夫なのでしょうか?」
「本社の文書管理担当者も工場の文書管理担当者も、仕事内容もレベルも同等です。そりゃ最終的な判断はこの文書管理課が下すにしても、我々はいろいろな問題について社内の同業者同士で相談してます。
ですからお互いの認識は一致していますから、私もあと2・3年で引退しますが、どこかの工場の文書管理や規格管理の人が代わっても問題はありません」
「専門職種の継承が問題なく行えるというのはすばらしいですね」
「文書管理はニッチではありますが普遍的で標準化された業務なのです。会社が違って管理する文書も違っても、作成・発行・改廃など基本は同じです。
ISOMS規格が登場した時、文書管理の項目を読んで新規なことはありませんでした。高度な知識経験を必要とはしますが、担当者の互換性は高いですね」
「話は変わります。先ほどは総務課と一緒に、地下のスラッシュビル管理の審査をしてきました。
手順書がなくて、今までは行政のウェブサイトをみて仕事をしていたとのこと。また仕事で使っている会社規則の定期見直しをなかなかしてくれないという話もありました。
そういう問題が起きるのはどうしてでしょうか?」
「いろいろな要素がありますね。例えば最近はさまざまな情報処理、例えば伝票とか決裁なども情報システムで行われるようになった。それは効率化、省力化、迅速化が図れました。そして操作が容易になった。
マニュアルを見ずに画面のチュートリアルに従えば作業ができてしまう。20世紀に夢見た環境かもしれない。
だけどそういう仕事はいずれまるごとAIに任せられるわけですよ。しかし一定レベル以上の仕事では、チュートリアルに従っていれば良いわけではありません。重要なことはシステムを理解することです。システムとはコンピューターを使うとかではなく、取引をするプロセスとか、ものを管理するにはどういう仕組みなのかを知ることです。
データ処理作業ならラジオボタンでさっさと処理することでよろしいでしょう。でも総合職の仕事であれば、メタというかひとつ上の階層から作業をながめないと正しい判断はできないでしょう。更に業務のプロセスの改善を考えるいんはシステムの理解は必須です。そういう人は、会社規則を読む、書く、改善していくでしょうね。
現在は総合職といっても単なる業務をするだけで、自分の仕事のプロセスを理解してないのが増えているんじゃないかな」
「論理的に考えることが大事ですね。学校で習う国語は基礎の読み書きが一定レベルになると、文学とか古文に流れてしまう。古文なんて教養ではあるでしょうけどビジネスでは意味はない。
変な例えですが変体かなというのがありますね。和歌などで隣り合う行の文章が同じだとみっともないと、音が同じでも変体かなを使うなんて理解できませんね。
小説でもありますか、同じ表現が続くと稚拙だと、同じ意味でも単語を変えたりしますね。
法律とか会社規則では、文末の表現というか言い回しをほんの数種類のみしか使いません。二行の文末が同じでも気にしない。というかそれが当然という考えです。
国語では何よりも論理的に考えることを教えることでしょう。インプット作業を楽にするのは結構ですが、やなり思考を文章にする力、文章を理解する力、そういうものが必要ですね。
そういう力がないから文章をないがしろにする、規則も読まない、となるんかなあ〜」
「なるほど……ということは会社の仕組みを知る人と、モニターのチュートリアルで仕事をする人に、二分化されるのでしょうか?」
「そうかもしれませんね。それも採用時に決めるのではなく、仕事をしていく過程で選別されるのかな。開発や設計では定型的でなく、想像力とチャレンジが求められていた。営業でも製造でも、常に考えて改革する人が会社を引っ張っていくようになるんじゃないですかね」
「アイザック・アシモフのプロフェッション
「ちょっと思い出しました。先ほど課長が売上を上げればボーナスが増えるという話をされましたね。力仕事で売上が上ったとしても、これからは通用しないと思います。
昔取引してもらうために日参して念願をかなえたという話がありますが、今時そんなことをすれば警察呼ばれますよ。実は知り合いがそれをやって、しょっ引かれました。時代錯誤もはなはだしい。いや、昔だって通用しなかったと思いますよ。単なる伝説でしょう。
取引したいなら熱意だけではダメ、論理的に相手に取引すればメリットがあると説明しなければならんですよ」
「売上を上げても方法によっては評価しないという選択もあるということか」
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「品質マニュアルとか環境マニュアルなど御社でも作成したと思いますが、文書体系での位置づけはどうなっていたのでしょう?」
「官公庁の仕事では会社の品質保証体制の図書を出すのはよくあることですね。ISOのマニュアルも、そういった範疇とみております。
文書体系ではいわゆる標準ではなく、案件ごとの提出資料でしょうか。文書の範疇外で文書管理課の対象ではありません」
「文書ではないのですか?」
「文書というのは規則と呼ぼうと手順書と呼ぼうと作業指示書でも要領書でも、すべて本質は命令書です。
この伝票はこう記載せよ、この決裁は営業部長がせよ、この順序でねじを締めろ、何時までに出社せよ、会社規則って皆そうでしょう。軍隊ではありませんが、会社規則には『しても良い』という許可はありません。みな『何をせよ』という選択肢のない命令です。
マニュアルの語尾はすべて『……である』という平叙文です。それはマニュアルが解説書だからです。従業員に対する影響力はありません」
「マニュアルがあれば会社規則はいらない、という考えはありませんか?」
「文書管理に携わった人なら、そういう発想はしませんね。命令形でない文書で仕事をやれと言ったとき、実行するのは理屈から言っておかしいでしょう。
例えばこのビルではビル管理会社の定めた省エネ基準で運用しています。それが従業員に対して拘束力を持つのは、当社の会社規則で省エネや分別についてはビル管理会社の指示に従うと定めているからです。要するに従業員はビル管理会社の文書で省エネするのでなく、会社の規則で省エネしているわけです」
「なるほど文書というよりも、命令系統、指揮権の理屈ですね」
「会社は命令することによって、従業員の結果責任を負うわけです。好き勝手にしろということは会社は責任を取らないということです。
先ほどのマニュアルで仕事をするというお話がありました。前言を覆すわけではありませんが、マニュアルの位置づけが弊社の会社規則と同じく、命令する文書、命令書であるなら、それは単なる呼称が異なるだけであって、おかしくないですね。
ただ弊社が顧客に出したり、過去に認証機関に提出していたマニュアルであれば、それは問題でしょう。まあ、そういう議論をしたいなら審査でなく別の席で大いに語りましょう」
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「それじゃ時間が早いですが、聞きたいことは済んだので次に行きましょうか?」
「加藤さん、ここで何を調べたのですか。雑談していただけのようですが」
「オイオイ、加藤さんはじっくりと調べていたじゃないか。村上さんと話をしながら、規則制定・改定伺いを数十件点検してたぞ。決裁印、日付の矛盾、単なる盲判でなく中を見たのかもチェックしてただろう」
「盲判でないかどうか分かるのですか?」
「私の想像だが何度も読むと紙にしわができるし、決裁までに日にちが経過していたり、そんなことから推察するのかな?」
「いやいや、買いかぶられても困りますよ。御社には規則がたくさんあり、その整合性確認や取り合いの調整とか大変だろうなあって思っただけです。
5年毎の見直しの状況は見ました。確かに規則通りに実施していなかったですね」
「罰則規定はないですし、そもそも懲戒にかけるからやれというのも筋違いでしょうし。結局、文書の意義を理解して言行一致ならぬ文行一致を尊ぶ企業文化を醸成しなければならないですね。規則を読むという不文律かな」
「規則を読むという不文律ですか、冗談のようですね」
本日の目論見
書く前は、山内氏が希望することに対応するように書くつもりでしたが、なかなかうまく流れません。
それと岡山氏の話も空振りしたようです。まあ、実際の会話も常に噛み合っているわけではなく、ボケありツッコミあり、滑ったりするのが世の中です。まあこんなものでご勘弁を……
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注1 |
IAF(国際認定フォーラム/The International Accreditation Forum)の略で、適合性評価に関わる国際機関で、各国の認定機関が加盟する。ISO認証の元締めである。 | |
注2 | ||
注3 |
建設業のISO認証件数は2005年頃がピークで16000件弱であった。それ以降直線的に減少し2023年は5800件まで減った。 出典 ・ものづくりドットコム ・GCERTI-JAPAN ・JAB 認証企業検索 | |
注4 |