*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但しISO規格の解釈と引用文献や法令名とその内容はすべて事実です。
審査リーダーの加藤は予めメンバーに3日夜に、審査の概要を400文字くらいにまとめてメンバー全員にメールを送れということと、
報告をいかにまとめ るか、それが疑問だ |
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そして今、前橋から自宅に帰ってきた加藤は、3名からの概要報告を読んで、今はパソコンのモニターで皆の意見交換を眺めているところだ。チャットよりあとで文書にまとめるにはこちらのほうが便利だ。加藤はときどき書き込みが増えるのを眺めていた。
ただ書き込みはそれぞれの体験や見解でなく、他の人が書いたことへのコメントや自分の体験の追加などで、エクセルのセルは
■マネジメントシステムについて
スラッシュ電機のEMSはISO規格が作られるはるか以前に構築されている。制定日付や改定日付からそれは確認できる。歴史があります。
それは特定の大企業ならどこでも同じかとなると、1950年代から1960年代にかけて、デミング賞を取ろうと頑張った企業は規則体系を作ったからといわれる。
もちろんデミング賞には「○○をしなければならない」なんてことはないが、コンサルの指導や先行して受賞した企業を参考にすると、そうなったのだろう。
であれば過去にデミング賞を受賞した企業は、その社内ルールを遵守していればISO14001であろうと、その他のMSであろうと新たに何もすることなく認証できるはずだ。
しかし皆がそうではないわけで、それを維持しているところはレベルが高いと言える。
そういう会社もある。その反面、ISO認証のために文書体系を作って……という会社もある。あるいは元々立派な文書体系があるにも関わらず、ISO審査のためにISO規格項番に合わせ表題も合わせた会社もある。
なんでそんなことをするのかと疑問に思うが、書籍やコンサルがそういうバカなことを教えるというか示しているからだ。
それはおかしいとツッコみたいですが、昔から環境管理についての手順書を作っているから素晴らしいということもないです。ISO審査は今がどうなのかを見るだけで、歴史は無関係です。もちろん過去に問題があり手を打っていないなら問題ですが。
スラッシュ電機のEMSの仕組みは十分規格要求を満たしていると思います。
それは私も感じた。ISO規格が作られる前から教育訓練でもコミュニケーションでも文書管理でも、規格項番に該当するすべてが制定されていたというのは事実だ。それだけでなく、それらが網羅する範囲はISO規格要求事項を超えていた。
ということはISO規格の要求事項など1996年に考えられたのでなく、そのはるか昔から当たり前のことだったわけだ。
■順守について
運用状況は無欠点ではないが、不具合を検出して適時見直しを図っている。
運用においては法違反も発生しているが、チェック段階あるいは定期的な点検で検出している。そして行政と話したい対応している。
法違反といっても大中小がある。内容次第だ。
収入印紙の金額の間違いなら税務署への申告と過怠税の処理でよいだろうが、事故を起こして無届けだったら社会問題になるかもしれない。
見つけただけ良しとするのか、簡単に見つかるほど多発していると考えるべきか?
微量なのですが青森営業所では、駐在している青森販売という関連会社に産廃を一緒に出しているのです。OKしましたけど、問題ないですよね?
佐賀営業所でも似たようなことがありましたね。佐賀営業所で出た産廃を福岡の九州支社まで自社運搬して支社から合わせて出しているのですよ。それは合法なのですが、運搬車、といってもセダンですが、それに産業廃棄物収集運搬の表示をしていないのです。
産廃の内訳はどんなものですか?
佐賀では応接の灰皿とかノベルティグッズでしたね
青森ではホチキスとか文房具だった。
それならいいんじゃないですか。言い換えるとそんなもの、普通のビルでは大家がまとめて一廃として処理していますよ。行政が問題にするのは、なにか問題になった廃棄物が違法な処理だったときだけですよ。
■社内におけるISOの認知
事前説明を受けていたことだが、担当者以外、管理職も一般従業員もISO規格を全く知らない。他方、会社規則を遵守することとは、入社時も毎年年頭でも周知されている。
私は規格要求について知らないと思っていましたが、審査していて環境目標が改善でなく維持だったのでまずいと言ったら、弊社のCSR報告書の中の環境目標も維持なのだから問題ないといわれました。
ああ、あのCSR報告書かぁ〜、私も以前からおかしいと思っているんだよ。報告書をまとめている連中が訳分からないんだろう
目標といっても6.1.4の「取組みの計画」と「6.2.2環境目標を達成するための計画策定」がありますから、6.1.4の目標と考えれば維持でもよいのではないですか
でも6.1.4は環境側面や順守についての取り組みを計画することであり、6.2.2はobjectiveを達成するための計画だから内容が違いますね。
大日本のCSR報告書においては6.2.2を環境目標と称しているから、ちょっとまずいと違いますか?
といっても、ウチと同じくしていると言われたら不適合にはできないね。
そうなんですよ。私は反論されたので問題という前に納めました。
今回はそれで行くしかないね。あとで社内ではっきりさせよう。
規格要求がISO規格に展開されているというより、会社規則から規格要求に合致したことを抜き出しているというイメージですね。良し悪しはともかく、審査するときのチェックリストをどうするかは要検討というか、考えないといけませんね。
これもスラッシュ電機側から事前説明があったことだ。まあ〜審査は楽なことではないと、我々が認識すべきなんだろうなあ〜
是非もないですか。いや、あるべき姿なんでしょう。
■スラッシュ電機の規格の理解について
いや〜、私は関東支社の審査をしたのですが、あの磯原課長でしたっけ、あの人にさんざん指導を受けてしまいましたよ。
どんなことですか?
まず力量のことでした……審査員は、企業が定めた力量を正として、それを満たした人に仕事をさせているかどうかの確認だけという説明だったのです。
それで企業が力量を定めてよいのかと疑義を呈したのです。
ええと、向こうの説明でいいのかなあ〜。
例えば審査員ならISO17021とISO19011だろう。審査員の力量は認証機関が決めているわけじゃない。企業においても力量のレベルは客観的に決まらないのだろうか?
あれ、ISO17021では、審査員が力量があるかは認証機関が認めるわけですよね。つまり審査員登録とかじゃなくて、認証機関が要求する力量を決めているということになりませんか?
ともかく企業に特有な仕事なら……というか企業によって細かいところはすべて異なるのだから……力量は個々の企業が決めるというのはおかしくないですね
確かに営業でも設計でも、一人前かどうかの判定は外部にはできなよなあ
彼らが言うには問題が起きたとき会社が責任を負うのだから、担当者の力量を決めるのは会社だという論理でした
そう言われればそうですね。運転免許とか医師とか公認会計士なら、全責を任会社が負うわけじゃない。資格者なら責任を負うのは当たり前。それは国家が業務独占資格として認めているからでしょう。
注:国家資格は下記の4種類に分けられる。
●業務独占資格とは資格を持っている人だけが、その仕事を行うことができる。
例:医師、弁護士、計量士、危険物取扱者など
●名称独占資格とは資格を持っている人だけだ名乗ることができる。
例:技術士、理学療法士など
●設置義務資格とは特定の事業を行う場合、設置(保有)することが義務
例:衛生管理者、作業主任者、エネルギー管理士など
●技能検定とは技能レベルを国家が認定したもの(名称独占資格に含める場合もあり)
技能士
審査員は勝てる議論ならともかく、勝てる確信がなければ議論しちゃいけないよ
いや〜、磯原課長相手では力量や責任権限については太刀打ちできませんでした。
仕事を指示するのが命令形なのは責任を取るからだという。マイルドに指示するのは命令であることが明確でないって言ってましたね。
私も規定/会社規則についてうかつなことは言えないと思いました。
確かにそうだねえ〜。
■方針展開とか目的目標
スラッシュ電機の場合、方針展開が、こじつけとしか思えませんね
私もそう思いました。特に方針展開になると環境方針というイメージとはかけ離れてしまします。
環境方針というものがなくて全体の方針で環境も決めていると言いましたが、その場合はどれが環境なのか分かりにくい。ひとつのことが品質にも環境にもお金にもかかわっている。だから展開していった先では品質にも関わることもあるし、環境に関わらないこともあるのです。
確かに分かりにくいと思います。しかし現実の会社を考えると、それが真の姿ですよね。むしろISO規格の書き方は現実離れしていると言えるのではないかなあ〜
会社規則を守ればよいと言っている割には、会社規則を読んでいる人が少なく、今年度は「会社規則を読もう」キャンペーンをしている。
それを問題にしたいくらいです。
まあ、そうなんですが、しかしあのキャンペーンは、効果的であり価値あるものですね。どこに行ってもみな知っているし実行していますね。毎朝メルマガが来るのが楽しみだって言ってました。
確かになあ〜。ちょっとした思いつきだけど、文書管理から、飲み会のマナーから、セクハラから、季節に合わせてバラエティーに富んでいて、面白みがある。
あれを考えたのも磯原課長らしいよ。
ほう〜、まさに八面六臂ですね。でもそれをするだけの必要があった、あまり会社規則が守られていなかったということになりますか
そうではあるけど、そういう条件下でアイデアを出し、それを実行し、みんなを巻き込んでいくというのも一つの能力だし、すばらしいと思いますよ。
■審査側の不適際
私も驚いたけど、文書管理の専門家の存在が大きいね。審査員研修機関とか認証機関には、あれほどの専門家はいないよ。
私もそう思います。そして会社の文書だけでなく、ISO規格もJIS規格の読み方も解釈もレベルが違います。何しろ彼らは法律とか契約と同じレベルで読みますからね。会社に司法試験合格者とか会計士合格者がいるわけですよ。そういう人たちが寄ってたかって考えるわけですから、我々も下手なことは言えません。
そしてJIS規格の翻訳の問題も指摘していました。
私もアプリにチュートリアル機能があるシステムを、どう評価するのかと問うたが、彼らも確固たる結論はないようだった。しかし結論はまだにしても、とても真剣に深く考えている。
私はそれについて検討不十分という指摘でもと考えたんだけど、とても議論についていけなかった。
規格や会社規則の読み方については、私も審査を受けた人から指導というか教えられました。規格を読むとか言っても要するに国語能力が重要ですね。
もちろん誤訳であれば、英語原文に戻って読まなければなりません。
私は審査での不手際を指摘されました。
どんなことですか?
書面審査で口頭説明を聞いて了解して、証拠を見なかったのです。それを指摘されました。
同じことで問題になったことがあった。2005年頃だ、審査で審査員が証拠を見ずに説明だけでOKして、認証機関が認定停止を食らった。
その話も言われました。
それから要求事項のshallすべて見ていないと、調査項目の不足を言われました。
その他、発言するときはそれまでの発言と矛盾しないよう、上げ足を取られないように。実を言って私が話した前後が矛盾していると二度言われました。
いやはや、審査に来たのか審査を受けに来たのか、参りました。
あの磯原はただものじゃないな。
■認証機関の見解明確化・標準化
審査の基本として、人によって判断がばらつくようなことについては、基本を示してほしいですね。私の場合は、目的目標の要件をはっきりしてほしいと思いました。
我が社のCSR報告書に書いてあることは100%正しいのかどうか知りたいです。
私は力量についての見解をはっきりしてほしいですね。審査中に議論になるというのは既に審査では負けですよ。
分かります。とりあえず今回はクロージングミーティングで議論にしないで終わらせよう。それは社内で議論することにしましょう。
■審査計画
佐賀営業所は10人くらいしかいなくて、最小の営業所と自嘲していました。ああいったところは現地までいかないで、支社でまとめて書面審査だけというのではいかがですかね?
私が審査した青森営業所は1名しかいませんでしたよ。それはともかく小規模営業所の扱いは再考願いたいですね。受けるほうも大変ですし、審査員の移動時間ばかりかかります。
特に東北地方は交通機関が整備されてなく、審査する場所間の移動に片道3時間ですよ。ひとりしかいない営業所を審査するために丸一日かかりました。
私も移動ばかりで移動時間が過半を占めます。来年の審査ではオープニングミーティングを欠席して、初日は現地でスタートとしましょう
それは申し訳なかった。今回は初回審査になるので、全員オープニングミーティングに顔を出すようにと考えたのだが……
来年はそうしよう。もっとも来年があるならばだが……
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皆がネットから離れたようで、もう新しい書き込みはない。時計を見ると11時半だ。
時間がかかるチャットもどきであった。
新たな情報(ノイズ)が入るのが止まると、ひとり加藤は考える。
意見交換はしたが 何も進まずか…… |
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それにスラッシュ電機の現場は、ISO認証に恩恵を感じておらず、認証の価値を認めていないことははっきりした。だから相手が気づいていないことで、相手が喜ぶことをさがさないとならない。
三名の所見を見ても、いくつか会社規則からの逸脱はあっても、それらはラインでの照査とか内部監査で発見され処置と是正処置は取られていたという。
つまりマネジメントシステムは期待通り機能していることになる。そしてそれはISO認証の成果ではなく、元からスラッシュ電機が長い歴史で構築してきたマネジメントシステムが、立派に機能しているということでしかない。
開き直れば第三者認証の効果は、まさにマネジメントシステムが機能していることを第三者が確認したということだ。
それでは何の意味もないと言われるかもしれないが、第三者認証の意味とは本来そう言うことなのだ。
だが、それだけでは大金を払えないというならそれまでだ。
注:「第三者認証の価値は第三者が認証することそのものである」とは加藤重信氏の言葉である。2012年頃、ISO審査員の講演会で語った言葉だったと記憶している。
それだけかというかもしれないが、その違いは自己宣言も二者監査でも埋めることはできない。
ただ小さなことだが、気づいたことは二三ある。それを付け加えて勘弁してもらおうか……
ひとつは、マネジメントシステムは組織全体で一個のものであるが、事業部制のように組織の一部を自律させても良いわけだ。
万が一、災害などで他からの支援が得られなくても、独立して行動できるのは強みである。
スラッシュ電機の場合、環境管理についても支社への本社の支援が大きい。工場並みにもっと支社に主体性を持たせたらどうだろう。法規制とか外部の要求などは支社自身が調べるとしてもおかしくない。そもそも世の多くの企業はスラッシュ電機の支社ほど大きくない。支社のように数百人も働く商社などそんなにあるものか。それが売ることに専念していて、廃棄物とか省エネなど環境の法規制の調査も対応もすべておんぶに抱っこなのだ。
パソコンが発祥したときは皆スタンドアロンだった。だけどインターネット/イントラネットにつながらないと仕事にならなくなると、ネットワークコンピューター、セキュリティが厳しくなるとシンクライアントとか現れ、今では個人でもクラウド全盛だ。
会社の仕組みも末端の持つ実力、情報伝達スピードによって分散とか集中は入れ替わっていくのではないか。
もうひとつは法規制の把握は導入時、法改正時に見直すとある。末端の運用を見ると少し危なげだ。不明点、判断に迷うことは行政確認することを追加すべきだ。
いくらきれいでも産廃を運搬するなら行政に「産業廃棄物収集運搬車」の表示の要否確認はしておいたほうが良い。それからいくら小物でも産廃にならないのか、ホチキスや定規なら良いのか悪いのかも確認しておいたほうが良い。
そんなことを考えていると、人事部を審査したとき中年の男性が語った「規則を守ることは身を守る」という言葉を思い出した。
そのとき意味が分からず、どういうことか尋ねた。
その男性が言うには「規則を逸脱すれば就業規則で懲戒される。規則を守っている限り罪は問われない」という。
その発想は、何かがんじがらめのように思えた。だが良く考えればその通りだ。そう考えないのは自分が自由のない奴隷にように感じるから考えたくないのだろう。
会社の仕事は基本的には命令されてやっている。
常に命令されていなくてもあるいは口頭で命令されてなくても、規則で決められているなら定常的に命令で動いていることになる。
自分が仕事を選択できるわけではない。仕事の方法を自分好きにできるわけではない。仕事の手順、出来栄え、みなルールや仕様で定められていて、自分はそれに従って仕事をしているに過ぎない。
そう考えると簡単だ。『会社の規則を守っていない理由は』となれば、命令されてやっていると理解したくないからではないか。
じゃあ規則を理解しようとするには、規則を守るメリットを知ればよい。万が一問題が起きても規則通りであれば懲戒はないということを知ること、それが「規則を守ることは身を守る」である。
上長が命令した通り実行して失敗したとき、責任は当然命令者にある。それだけのことだ。命令されるのが嫌だというのは、組織で働くものとしては誤っている。
注:手順書を見ても分からないとか、手順書通りしても事が成らないというのは、まさしく手順書が悪いからだ。
それは命令が間違っていることと同意である。
現場でも作業指示書通りしても物ができないなんてことは良くあることだろう。そこでコツとか技量とか言い出すのは管理者にとっては言い訳であり、作業者にとっては管理者に対する貸しなのだ。いずれにしてもまともな管理ではない。
科学的管理法とは、元々はそういうことを一掃することであった。
もちろん命令者が責任を取るということは絶対である。現実には命令者が適任転嫁することもあるだろうが、それはより上位の管理者がルールを徹底するしかない。それこそコンプライアンスの基礎ではないか。
命令者が結果責任を取ることは、規則以前の自然法である。
注:自然法とは実定法(人間が作った制定法、慣習法、判例などを言う)に優先して存在する普遍的な法を呼ぶ。
例えば「嘘をつかない」「損害を与えれば補う」というようなもの
いやいや、会社規則を守るというのはそんなネガティブなことばかりじゃない。一番は間違いが起きにくく効率的だからだ。先人が試行錯誤して最適だと考えた方法が標準となるのは世の常だ。
そのほかにもあるのではなかろうか?
なんだ山内氏の知りたいことは簡単じゃないか。
加藤は急に肩が軽くなった感じがした。
少し方向が見えてきたようだ | |
場面によって首の傾きを変えているのをお判りいただければ嬉しいな💛 |
本日思うこと
世の中、理不尽なことには、コンプライアンス違反とか責任逃れとかいろいろあるけど、命令する人は責任を負わねばならないということに尽きると思う。
「成功すれば上の成果、失敗すれば下の責任」では物事は成り立たない。上が甘い汁を吸い、セクハラ、パワハラをかましているようでは最上級のブラック企業だろう。
信賞必罰がなされなければアノミーでしかない。
それに組織はリソースさえあれば動くわけではない。良好な人間関係、コミュニケーション、目的を納得して共有しなければ成果は望めない。
だがそれを構築するのは難しい。
多くの組織は、成長よりもお金を望んでいるのだろうか?
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