*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但しISO規格の解釈と引用文献や法令名とその内容はすべて事実です。
2019年10月18日(金)緊急事態研修会の当日となった。
増子さんが、子供の学校行事で土曜日に出勤できないというので、金曜日は彼女一人本社勤務で、何事かあったら話を聞いて対応できないときは磯原に電話してくれということにした。
それ以外のメンバーは1泊2日の三鷹出張である。
東京大手町勤務の人が三鷹まで行くのは出張なのか、外出なのか?
外出と出張の違いは何だろう?
そんなことを思ってググった。法的な定義はない。
![]() |
一般的には会社に顔を出さない直行直帰か、出先で宿泊する場合を出張と呼び、その日のうちに会社から出て会社に戻るものは(社用/公用)外出と呼ぶようだ。いずれにしても出先までの距離は関係ないようだ。
呼び名以外で何が違うか強いて言えば、出張には手当てが付く会社もあるが、外出に手当てが付く会社はなさそうだ。
朝、本社に出勤すると使用する機材とか資料を分担して持ち、三鷹研修所まで移動する。まだ通勤時間帯だが、逆方向なので空いている。
午前中に使用する部屋のドアに「工場」とか「環境課事務所」とか「用水路」などと書いた紙を貼る。それぞれの部屋にノートパソコンを置いて、カメラの向きを調整して撮影がOKであることを確認する。
そんなことをしていると、すぐに2時間は経ってしまう。
それから昼飯を食べて研修に来る人が集まるのを待つ。
1時集合としていたが、早い人は正午頃、遅くても1時10分前には揃った。
定時になると主催者代表として山内が挨拶する。
「お忙しいところこの研修会にご参加いただき、ありがとうございます。
この研修会では環境事故とか環境法違反があった場合の、対策を考えたいと思います。
何を今更 緊急事態の対応なのかと思うかもしれません。残念ながら当社でも年に一度くらい行政に報告しなければならない環境事故や違法が起きています。ところが各工場の環境管理課の人たちは、そういったときの対応に慣れていない。
年に一度と起きていると言っても、工場が30あるので、一つの工場で事故が起きるのは30年に一度の割合となる。
となると入社して退職するまでに一度経験するかしないかという頻度でしょう。仮に二度経験したとしても、入社直後に経験しても二度目は50過ぎと間が長いから、前回のことは忘れているでしょうし、設備も変わっているから初めての体験となるに違いありません。
ISO14001では緊急事態への対応という項番がありまして、どんな緊急事態があるか洗い出し、どのような対応をするかを決めて、実際に動けるように定期的に訓練を行えという要求があります。
当社の工場はすべてISO14001を20年も前から認証しているわけで、事故の対応は万全であると言いたいですが、現実にはそうではありません。
皆さん自身も理解しているだろうが、ISO14001の審査で見せているのは、対応が簡単な緊急事態への対応を見せているだけだ。現実に起きる緊急事態に有効なのかどうか怪しいのです。そもそも緊急事態が起きる可能性があるものすべてを、洗い出しているとは思えません。
そんなことはないとは言わせない。本社には問題が起きたどうしようという切羽詰まった相談が毎年何件もある。真に緊急事態の対応が機能しているなら、ルーチンワークで迷うことなく処理しているはずだ。
それと懸念しているのは、事故が災害時に起きたらどうするか、あるいは災害によって事故が起きたときどうするかということです。ISOの緊急事態とはそこまでは考えていないようだ。
東日本大震災を思い出してください。大地震や津波が起きることも緊急事態ですが、それと同時に別の緊急事態が起きることもあり、また災害による損壊や停電により、緊急事態が引き起こされることもある。
災害時には交通途絶や停電などにより、計画していた方法が実行できないこともあります。例えば緊急事態に対応すべき担当者が負傷した、あるいは連絡が取れないということが起きます。負傷者が出て救急車を呼んでも来ない、火災が起きても消防車が来ないという事態は確実に発生するのです。
不幸は一人では来ないという
自衛消防隊は工場火災が起きたとき消防車が来るまでのものであり、見渡す限りが火の海になった阪神淡路大震災のような大火災が起きたら対応できないわけです。
今年2019年の台風は例年より多いようです
会社で緊急事態が起きたとき、消防車も救急車も電力も水道も期待できないという状況も、考慮しなければならないとお考え願いたい。
私の言葉に異議がある方もいらっしゃるでしょう。もちろん私が言ったことが間違いかもしれません。それは今日と明日に行う、ロールプレイによってみなさんの実力を示してもらえればよろしいかと思います。
今回は研修といっても座学ではありません。主催者である環境管理課がいろいろな緊急事態のシナリオを考えています。みなさんに部長や課長、その他 環境業務の担当者などの役を割り振ります。それぞれが自分の役割でなすべき判断、行動をしてもらい、適切な対応をしてもらいます。
いや、心配は無用です。いつも考えていること、所属する工場で決めている手順を思い出して行動してくれれば万全でしょう。期待しています。
以上よろしくお願いいたします」
「本社環境管理課の磯原です。
本日と明日に行う研修の概要について山内参与からお話ありましたが、もう少し詳しく説明します。
ここに各工場の環境担当の課長が30名いらしてますので、これをいくつかのグループに分けます。
役割は、課長、環境課のスタッフ、それぞれ水質、大気、廃棄物、省エネ、ISOなどの担当を決めました。シナリオによって、グループの人数が多い少ないがあります。役割はメンバー同士で決めてください。役割を決めたら皆に分かるよう職名を大書したゼッケンを着けます。
10:40 ■ ■ ■ ■ ● | ||||||
![]() 工場長 | ![]() 総務部長 | ![]() 総務課長 | ![]() 守衛所 |
|||
![]() 消防署 | ![]() 市環境課 | ![]() 警察署 | ||||
![]() 環境課長 | ![]() 排水担当 | ![]() 大気担当 | ![]() 廃棄物担当 |
|||
![]() 屯所 | ![]() 本社事業部 | ![]() 本社環境課 | ![]() ![]() 時計 |
|||
スマホのつもりで見てください 私のスマホの背景色はクリームです |
ええと、それから各場所は部屋割りしてあります。
環境課の事務室、事故発生現場、などの表示がそれぞれの部屋のドアに貼ってあります。シナリオに合わせてその部屋の場所表示は張り替えます。
メンバーには工場の設定を書いたものを渡しますのでそれを一読願います。そこには工場の組織図、工場レイアウト、塗装やメッキの施設、環境関連施設、周辺状況を書いています。それは頭に入れてください。
シナリオは私どもが考えましたが、メンバーには知らせません。当然台本はありません。みなさんが受けた情報に基づいて、それぞれで判断して行動してください。
目指すゴールは、発生した緊急事態に適切な対応をして工場長に一件落着したと報告するまでです」
注:シナリオとは物語の設定とかあらすじを記したもので、台本とは設定、演出方法、セリフなどを記したもの。脚本はスタッフ向けに書かれたもの。
「演技者は環境課の事務所、事故現場その他に所在して指示や報告をやり取りして緊急事態を収めるのが役割です。方法は人によって違うのは当然で、正解はひとつではありませんし、間違えた選択ということもありません。ただ結果としてそれが適正だったか、もっと良い方法があったかどうかはしっかりと考えなければなりません。
演技者以外は、この部屋にいて、各場面を映すモニターを見ていただきます。コーヒーなど飲み物を用意してあります。
この部屋の発言は演技者には届きませんから、自由に発言していただいて結構です。判断や行動の是非や、どうするべきかの意見交換をしていただきたいと思います。
但し、グループごとに漏洩事故、火災などとシナリオは違います。ですから常に自分のドラマは自分で判断して行動しなければなりません。ですから大いに楽しめると思います。
ご質問ありますか?」
「面白そうですが、果たしてうまく収まるのかどうか心配です」
「課長役が一番厳しいのではないですかね」
「その通り、だから本日は課長に来ていただいた。課長役には素晴らしい采配を期待する」
「さあ来いって、気持ちが高ぶりますよ。アハハ」
・
・
・
・
休憩をはさんでいよいよ本番スタートである。
「それでは一発目のロールプレイを始めたいと思います。
Aグループの池神さん、力丸さん、新沢さん、人見さん、中沢さんの5名でお願いします。役割は環境課長、水質の担当者、廃棄物の担当者、省エネの担当者、排水処理施設の現場の運転者の役割を相談して決めてください。近隣住民、工場長、市役所職員はこちらが担当します」
呼ばれた5名はギョッとして立ち上がる。
まあみんな課長をしているくらいだから嫌も尻込みもなく、すぐに役割分担は決まる。それぞれの役を記載したゼッケンの穴に首を通す。ゼッケンは、デモなどで使う真ん中に穴が開いた振り分けのゼッケンベストというものだ。
力丸 | 池神 | 新沢 | 人見 | 中沢 | ||||
![]() |
![]() |
|||||||
環境課長 | 水質 | 廃棄物 | 省エネ | 排水処理運転 |
「それじゃ中沢さんは現場の屯所に移動してもらいます。その他の方は環境課の事務所に移動します。
石川君は総務事務所と表示された部屋に移動してください。
山内さんはこの部屋で近隣住民の役をしてください。磯原さんはそれ以外の役をしてください。
私は現場の説明役ですので、ここは田中さん坂本さんが説明をお願いします」
・
・
・
・
岡山が5名を連れて部屋から出る。石川は指定された部屋に移動する。
指定された人たちが各部屋に入ったのを見て、山内が課長役の力丸のスマホに電話をかける。
「スラッシュ電機さんですか。私はお宅の工場北側の町内会長をしてます山内と申します」
「環境課の力丸と申します。どんなご用件でしょう?」
「お宅の工場の塀の外の北側道路とお宅の塀の間に用水路がありますね。そこに大量の魚が浮いてるんですよ。近くに住む人からお宅に苦情を言ってほしいといわれましてね。
大至急調べてください。もし有害ならば水を堰き止めるとか、近隣住民に避難させる必要があるのか広報してほしいです」
「はっ、ご連絡ありがとうございます。すぐに調べまして対応します。ご連絡先は……
おい!排水担当は池神君だったな。工場北側の用水路で魚が浮いていると町内会長から連絡があった。すぐに現場に行って状況を確認してほしい。排水処理施設担当の中沢さんは屯所にいるだろう。彼女も現場に連れていけ。
新沢君も池神君と一緒に行って彼の手伝いをしてほしい。五月雨でよいから状況を私に連絡してほしい。
人見君はここに待機、社内外から問い合わせあれば対応してほしい。相手先と時間を必ずメモしておいてほしい」
こちらは役者以外の人がいる会議室だ。
新沢と池神が立ち上がり、部屋を出てに行く様子がモニターに映る。
「ほう、こういう具合にみせるわけか。だんだんと進歩するものだ」
「課長が陣頭指揮しなくて良いのか。いや全員で駆け付けたほうが良さそうだが」
「まあ、まだ始まったところですから、もう少し様子を見ましょう」
力丸はスマホを取ると総務に電話をする。
「環境課の力丸です。総務課長お願いします」
「はい、総務の石川です」
「近隣住民から工場北側の塀の外の用水路に、魚が浮いていると電話がありました。
担当者を現地に向かわせました。その旨報告します。問い合わせなどありましたら対応願います」
「大至急、原因が当社かどうかの確認。当社なら対応をお願いします。続報を待ちます」
「まだ状況が分かりません。もし行政とか住民から問い合わせが来たら、調査中と回答してほしいです」
「早急に状況を把握して連絡ください」
「ハイ、詳細わかり次第報告します」
「今からでも課長が現場に行くべきだな」
「お手並み拝見と……」
「屯所」と書かれたモニターには中沢さんが座っているところに池神さんが入っていくのが映る。
「屯所」とは現場の詰め所というか休憩所なのだろう。
「中沢さん、工場北側の道路脇に用水路がありますね、あそこに大量の魚が浮いていると住民から電話がありました。今から現場確認に行くので一緒に来てください」
「まあ、それは大変ね。とりあえず何か持っていく?」
「まずは現場を見てからですね」
池神、新沢それに中沢が部屋を出て、隣の「事故現場」と表示された部屋に入る。
岡山が既に現場らしき映像をモニターに映している。
「ええとこれは現場の映像のつもりです。これを見て状況を理解してください。私のほうで詰めてない細かなところは適当に決めつけて良いですから」
「分かりました。それじゃ工場から出た排水ではないという設定でも良いのですか?」
「それは困ります。お渡しした設定条件を見てほしいのですが、工場から用水路に流れ出る水は雨水だけとなっています。ですから工場から雨水が流れ出ているのか、それ以外が流れ出ているのかを点検してもらわないと困ります。
工場から流れ出ていないなら社外に原因があることになります。とにかく得られる情報から原因を追究し、対策してほしいのです」
「側溝から用水路への排水口を点検するにはどうすれば良いの?」
「ここに映っている映像ですが、マウスで移動できます。まずは排水部から水が流れているか・流れていないか、それ以外のところ……立ち上がりのコンクリート面から染み出しているかなどを見てほしい」
「工場から水が出ていなければ上流から来たか、誰かがに何かを流したってわけね」
「それじゃ、中沢さん、工場からこの側溝の先をたどりましょう。マウスを動かせば良いのね、ああ、モニターに映る映像が動いていく」
「ほう、なかなか考えているものだ。AR(拡張現実)というのかな?」
「そこまでではないのでしょうけど、基のデータ作るのがが大変そうだね」
注:VR(仮想現実)とは、映像すべてがCGで構成されているもので、AR(拡張現実)とはCGで作られた映像やリアルが組み合わされたもの。
「ええと設定では側溝の排水部は4か所ある。そして側溝には雨水しか流れない。今日は晴天ですから、そこから水が流れ出ているか・いないかを調べましょう。流れていないなら工場外になる」
「オイオイ、排水溝からはチョロチョロだが水が流れているぞ。こりゃ社内からだな?」
「塀の内側も見えるのかな。池神さんマウス動かしてみて」
映像の視点が工場内側に移る。
「構内の通路から構内の側溝に流れ込んでいるわよ。通路で何かをこぼしたようね。それにしては量が多いけど」
「カメラを進めて……あれっ、駐車しているバキュームカーから水が垂れているぞ」
「こりゃ廃棄物業者のバキュームカーだな。新沢さん側溝を土嚢で塞いでくれ。事務局からもらった地図によると、すぐそこに土嚢置き場があるはずだ。まあ土嚢を積んだつもりになればよいらしい。
中沢さん構内にいる廃棄物業者を探して、すぐにタンクからの垂れを止めるよう連絡してください。
私は課長に報告する」
「バキュームカーに書かれている電話番号に電話すればよいのかしら」
「あ〜あ、電話なんてことしてないで場内放送とかすれば」
環境課長の電話が鳴る。
「ハイ、力丸です」
「池神です。用水路には多数の魚が浮いているのを確認しました。工場の側溝から雨でないのに液体が流れ出ていましたので、発生場所をたどると工場の通路に駐車中の廃棄物業者のバキュームカーから液体が垂れています。
バキュームカーの運転手を新沢さんが探しているところです。見つかり次第対応を依頼します。
用水路の流れを止めるよう市の下水道課に連絡してください。
用水路を閉鎖したら、流入した液体の汲み取りを始めたいのですが、どんなものか分かりません。バキュームカーが捕まってからの話ですね。とりあえず現場に戻り待機します」
「ちょっと待て、下水道課……用水路は下水道課担当なのか?」
「私の町ではこういう水路は下水道課担当でしたが、このシナリオではどうなんでしょう。とりあえず市の環境課ということでお願いします」
「市に報告しなくちゃならないか?」
「力丸課長、公共水域への漏洩は市に報告しないとまずいですよ。ましてや魚が大量に死んでますから。
私たちでは流出した液体が何かも知りませんし、手が打てません」
「吸着マットとかでどうにかならないか、すぐさま回収できれば……市には報告したくないな」
「漏洩したものが油ならともかく、魚が浮いているので酸か毒物のようです。だから水を止めて回収するしかないです。もちろん手を出す前に何が漏れたのか確認しないと二次災害の恐れがあります。流れた先には注意を喚起するとかしないとなりませんが、我々は情報不足です」
「用水路を堰き止めても回収できるかどうか……」
「行政への報告を躊躇するのはまずいなあ〜」
「いつもそういう判断しているのでしょうな」
「工場の課長としてはそうなりますがね」
「他人事のようにのんきだなあ〜」
磯原が机の上に並べているいくつものスマホのひとつに着信音がする。
磯原は着信音のしているスマホを取り上げ、貼り付けてあるテプラの「市環境課」という文字を見て返事をする。
本社環境課とか事業部という印刷なら、それに合わせて返事しなければならない。
「はい、市の環境課です」
「スラッシュ電機の工場です。当社北側の用水路で魚が死んで浮いています。
構内に駐車しているバキュームカーから、内容不明な液体が漏れて工場の外を通っている用水路に流入してます。それが原因かは確認していませんが、用水路の早急に用水路を閉鎖してほしいのです」
「お宅の工場から流出したのですか?」
「そうなんですが、当社の事故ではないのです。当社に入場している廃棄物業者のバキュームカーからの漏洩です。それで内容物は私どもでは把握していません。現在、その車の運転手をさがしているところです。
大至急お願いします」
「直ちに手配します。大至急、おたくの工場からの流出を止めてください」
「坂本さん、こりゃ手に負えないんじゃないか?」
「そうですね。中身が分からないんじゃ打つ手は限られます。
市が用水路を塞き止めて下流の住民に注意するくらいでしょう。なににしても水を採取して成分分析が必要です。
もちろん業者は成分を知ってるでしょうから、業者が捕まれば対応を決められるでしょうけど。工場としては側溝を塞いで、被害拡大を防止するのが第一です」
「磯原よ、どうするんだ?」
「一旦ロールプレイは中断しましょう」
磯原は館内放送で各部屋の関係者に、全員会議室に戻るよう通知する。
・
・
・
・
演技者がぞろぞろと会議室に戻ってくる。
柳田が座った全員に、ペットボトルのお茶を配る。
「ロールプレイが暗礁に乗り上げてしまったようで、中断します。
これから反省会をします。司会は岡山さん、お願いします。
反省といってもいろいろあります。まず本社側の検討不十分がある。それはそれで別途反省会をしましょう。
ロールプレイのほうは、演技の上手下手はどうでもいいのですが、動きが遅い。難しい問題じゃありませんから、決断も行動ももっと早くできないでしょうか。
それと緊急事態には会社規則があり、ある程度手順と基準が決めてあります。行政に報告するかどうか迷うことはないと思います。
まあ、そういうことから討論してほしい」
「環境課長としては、実際に問題が起きたとき行政に報告するかどうかは、かなり重大な決断になりますね。
正直言って私のところでは部長が了解しないと行政に報告はできません」
「そういうことはあるでしょうけど、今回は町内会から情報が入ったわけで、そちらから既に市役所に電話していると思ったほうが良いです。となると工場からも報告しないと、心証を悪くするでしょうね」
「とはいえ今回は調べていけば工場からの漏洩ではなく、構内に入場した車からの漏れですから……」
「構内の工事とか入場した車が原因の事故の責任は、工場にあるのか・ないのか?」
「工事の場合、工法の指定とか特殊な要求をしていたという状況でなければ、責任はないでしょう
今回の場合は単に来客の車から有害物が流れたということですが、その漏洩の責任は工場にはないでしょうけど、工場外に流出させた責任は当社にあるでしょう。
いずれにしても当社は社外の対応をしなくちゃならないし、その場所で継続的に事業をしていくなら、近隣住民から嫌われてはならないと思います」
「異常の報告を受けたら、課長が陣頭指揮すべきじゃないですか。事務所にいるのはどうですかね?」
「課長は事務所にいたほうが、外部との対応に良いかと思ったのですが」
「課長もですが人見さんは何も活躍できなかった。全員現場に行けば、分担して仕事が早かったのではないですかね。
今は皆携帯電話を持っているから、全員が現場に出ても連絡はつくので事務所の留守番はいらないんじゃないかな」
「総務も異常報告を受けたら現場に行くとかしないのですかね。住民との窓口は総務になるでしょうから」
「おっしゃるように総務も現場に出てほしいですね。実際には現場に住民が集まってくるでしょうから、その対応をお願いしたいです」
「漏洩かもしれないとなったら、関係する製造部門に声をかけて工場内部を点検させるとか、人手を集めて原因究明すべきですよ」
「そう思います。今回は対応が環境課限定のようですね」
「確かに……まあ、初っ端に本社側の検討不十分と言われましたが、その通りです。
事故が起きれば一つの部門でなく関係する部門が総力を挙げて取り組まないと遅々として進みません。今回の出演者からは製造部門にも声をかけようという意見はなかったですね」
「それと自分の工場ならレイアウトも配置も頭に入っていますが、側溝から外部の水路への流入箇所がいくつあるかもわからないし、そもそも塗装とかメッキなどの仕事をしているのか、廃液をどう処理しているのかも分からない。即座に対応はできませんね」
「その辺は出演者にお配りした工場レイアウトとか、メッキとか塗装ラインの配置などを見て覚えてほしいのですが……」
「というか……設定が複雑すぎるんじゃないかな。スイスイと物語が進むようにするには、工場から排水が流れて内部で原因も対応もクローズするなら簡単だろう」
「とはいえそれでは山内さんがおっしゃった訓練もどきになってしまう。
現実の事故は複雑ですからね、リアルを求めると一筋縄ではいきません。
今回の例はもちろん実際にあったのをモデファイしたのだろうけど、実際の事故はこのようにいろいろ複雑な要素があるのは確かですね。
だからこの設定は実情に合っているのだけど、実際に合わせるほど演習は難しい」
「複雑というか、問題がひとつなら大騒ぎすることはまずないんですよ。それは品質でも同じでしょう。
油漏れが起きる恐れがあるなら側溝を閉鎖する仕組みもあるだろうし、油を検出する仕掛けも考える。そして担当者も漏洩するものを熟知しているからすぐに回収なり中和なりできる。
だけど雨水しか流れない側溝なら何も手を打ってない。そこに内容が分からない廃液が流れ込んだから問題が起きたというだけです。
再発防止するにも、どこまでお金をかけるのかという政治問題になる」
注:政治問題とは政治家が関わるとかの意味ではない。そもそも政治とは相反する主張があるときその調整を図り、なるべく多くの人の満足を得る機能である。
数学の問題は真偽をはっきりさせればよいが、政治問題には正解はない。
「なるほど、シャンシャンと、進んで良かった良かったとなるものは実際にはないわけか。
現実に沿ったものにするには複数の要因が絡んで起きることを反映しなければということか」
「となると演じる人は仮想の工場の実態をよく理解していなければ話が進まない。
例えば池神さんが土嚢置き場ということを言いましたが、自分の工場でなければどこにあるのか、いやあるのかないのかさえ分かりません」
「出演者にお配りした工場レイアウトには側溝の排水場所とか土嚢位置も記載しているのですが。それらをすべてを熟知してロールプレイというのは無理なんでしょうねえ〜」
「ともかく、トライアルとしては十分価値があっただろう。
さて休憩は終わりだ。
今のシナリオでもう一度キャストを変えてやってみよう。
やりたいものは手を挙げろ」
役を演じた5名以外全員が手を挙げた。
本日の願い
どの会社でも事故や違反は起こしているだろう。最近はないといっても過去5年、10年と遡ればそういう歴史はあるはずだ。でもそれを追体験しようとすると、とても手間暇かかるし真剣さを伴わないだろう。
業界団体とか産環協のようなところが、実際の設備で無害な液体を流して漏洩事故の訓練とか、廃棄物の契約書ミスをどのように対処するとか、公害防止管理者の退職にともなく変更の届を忘れたときの対応とかやらせてくれる場があれば おもしろい 非常に役に立つと思う。
<<前の話 | 次の話>> | 目次 |
注1 |
よく言われる言葉だが、シェイクスピア「ハムレット」の中に出てくる「When sorrows come, they come not single spies,but in battalions」が元ネタらしい。 直訳すると「悲しみが来るときはひっそりと一人で来るのではなく、徒党を組んでやって来る」とでもなるのか? ![]() | |
注2 |
実は2019年に日本に上陸した台風は極端に多くはない。ただ統計的にみれば多い方といえる。 過去10年間に日本に上陸した台風の数は下記の通り 2015年 4個 🌀 🌀 🌀 🌀 2016年 6個 🌀 🌀 🌀 🌀 🌀 🌀 2017年 4個 🌀 🌀 🌀 🌀 2018年 5個 🌀 🌀 🌀 🌀 🌀 2019年 5個 🌀 🌀 🌀 🌀 🌀 2020年 0個 2021年 3個 🌀 🌀 🌀 2022年 3個 🌀 🌀 🌀 2023年 1個 🌀 過去73年間の上陸台風の平均が2.9個、標準偏差が1.7であるから、2019年の上陸数5個は十分多いといえる。 ![]() | |
注3 |
令和元年房総半島台風来襲は2019年9月9日であり、千葉県の南部では停電が19日も続いた。 まさにこの物語の10日前のことであった。 ![]() | |
注4 |
・日本における工事現場での事故に対する発注者責任について ・工事現場の事故で発注者や元請けが負うべき責任と慰謝料の賠償事例 漏洩についてはズバリのQ&Aはなかったが、公共水域に出た場所の管理者にも責任があるのは間違いないだろう。 ![]() |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |