ISO第3世代 93.ISO審査1

23.08.03

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但しISO規格の解釈と引用文献や法令名とその内容はすべて事実です。

ISO 3Gとは

「前回のあらすじ」は不評なので早速廃止しました。


*****

ISO審査が今日から始まる。今回は維持審査だから審査工数は3人で4日間、12人工である。
審査開始の号砲であるオープニングミーティングは、審査リーダーひとりが本社で挨拶と審査の進め方を説明しておしまいだ。他の審査員二人は、初日から地方の営業所や支社を訪問して審査を始める。
昔は審査員一同が集まってオープニングミーティングをしたが、認証機関にとっても依頼者にとっても、時間とお金の無駄だ。無駄排除は良いことである。

しかし審査する拠点が日本全国に散在しているから、審査員は移動が大変だ。2000年代前半までは、企業の環境担当者の多くは、定年前に認証機関に出向して審査員になることが夢だったようだが、現実を知ればとても疲れる仕事だと分かって、それほど魅力はなかったのではなかろうか。

今回、審査リーダーの三木審査員の4日間の移動距離はたかだか150kmだが、大柴審査員は3,000kmにもなり、朝倉審査員は1,000kmほどだが、1日に4時間半も電車に揺られなければならない移動もある。還暦を過ぎた身には辛かろう。
田中と坂本はそんなことを話して笑っていた。二人ともいっときは審査員になりたかったという。今となると仕事の将来性などを見て審査員にならなくてよかったという。

今回の維持審査のスケジュールである
日付三木大柴朝倉
第1日

AM

本社(東京)姫路営業所(姫路)中国支社(広島)

PM

本社(東京)
東京⇒水戸 電車
姫路営業所(姫路)
姫路⇒大阪 電車
中国支社(広島)
広島⇒宇部 電車
第2日

AM

水戸営業所(水戸)関西支社(大阪)宇部営業所(宇部)

PM

水戸営業所(水戸)
水戸⇒横浜 電車
関西支社(大阪)
関空⇒那覇 飛行機
宇部⇒新山口⇒岡山⇒鳥取 電車
第3日

AM

神奈川支社(横浜)那覇営業所(那覇)鳥取営業所(鳥取)

PM

神奈川支社(横浜)
横浜⇒東京 電車
那覇営業所(那覇)
那覇⇒羽田 飛行機
鳥取営業所(鳥取)
鳥取⇒羽田 飛行機
第4日

AM

本社(東京)
PM
15:00
終了
本社(東京)

審査らしくスケジュール表があったほうが良いかと作ってみた。デタラメではつじつまが合わないから、一応JRや飛行機の時刻表を見て作成した。
監査という仕事に就いたときは、毎日(でもないか)飛行機や新幹線、たまにはホバークラフト(下記注)にも乗れると喜んだ。でも数年そんな稼業をしていると、もうたくさんとなります。
私の場合は自分で計画を立てるわけで効率化を図り、飛行機もリムジンバスも最終便とすることが多く、自業自得ですが疲れました。そんなこともあり63歳で引退したのです。
審査員の方々は、私よりスケジュールは楽でしょうなあ〜


注:別府⇒大分空港間のホバークラフトは、2009年に廃止されたけど2023年に復活すると聞く。


生産技術本部の中会議室である。
オープニングミーティングといっても昔と違い少人数だから、生産技術本部の中会議室である。出席者は、山内参与、環境管理課のメンバー数名と審査を受ける部門の課長クラス数人だけだ。
審査側はリーダーの三木氏ひとりである。

いざ始まろうとしたとき、大川専務が入ってきた。

山内 「これは専務、どうされました?」

大川専務 「今までは出張だとか業界団体の会議とかで、欠席していて申し訳ない。今日は出かけるまで少々時間が空いたから見学しようと……

えー、審査員の方ですね。環境担当役員を拝命しております大川と申します」

三木審査員と名刺交換する。

名刺交換 名刺交換

三木 「大企業の役員となれば、多忙なことは存じております。昔は社長を出せとか、出席者が少ないと審査をしないとか語った審査員がいたそうですが、世の中を知らないとしか言いようがありません。
今は審査員になるときには、お辞儀の仕方、名刺交換、立った時はスーツのボタンをするとか、ポケットに手を入れるなとかマナーを教えられます。
専務さんの時間がある限り審査をご覧ください。いつでも退出されて結構でございます」

大川専務 「それではお言葉に甘えて見学させていただきます」

ISO14001審査が始まった頃は、田中田中は設計の課長だった。オープニングで出席者が少ない、もっと人を集めろと文句を言った審査員を思い出す。それを聞いて審査員が話すことが、それほど大事で役に立つのかと呆れた。とはいえそう言われて田中も設計事務所に行き、オープニングミーティングに出てくれる人を募った。
最終的に出席者が40人くらいになった。40人で1時間としても100万は飛んでいく。その損失を思うと……慙愧慚愧

三木氏は審査を依頼してくれたお礼、過去の審査を踏まえて今回の審査はどこに主点を置くとか、他の審査員は既に支社で審査を始めているとか簡単に説明する。
異議申し立ても忘れずに説明した。今時、異議申し立てを説明しない認証機関もないだろうけど。オープニングから突っ込みどころがあっては興冷めだ。


三木 「では早速ですが、前年からの方針の見直しとか環境活動の見直し、今年の活動方針などについてお話をお聞きしたいと思います。
まず、環境方針は変わっていませんが、見直しした結果、従来通りということでよろしいのですか?」

山内 「ハイ、昨今、SDGsなどが流行っておりますが、企業においてどう対応するかというのは事業の性質やおかれた環境によって取捨選択することになります。SDGsには17項目もありますが、過去より活動しているものもありますし、我々にとって無縁なものもあるわけで、SDGsなるものができたからと言って、我々の企業がどうこうということはありません」

SDGs 注:SDGsの17の目標が決まったのは2015年国連サミットであり、テレビに出るような人がSDGsバッジを付けるようになったのが2017年頃、SDGsの流行は2017年に始まったと言っても良い。
なおこの物語は今2018年である。

三木 「おっしゃること良く分かります。SDGsに合わせて環境方針を見直す企業も多々ありますが、環境保護のために会社が存在するわけでありません。企業はそれぞれの企業設立の目的を実現するために存在します。そして企業が存続していくために、環境を含めた社会的要求に応えていくということでしょうね」

大川専務 「ほう、そういうことをおっしゃる審査員には初めてお会いしました。ISO審査はここ数年出ておりませんが、今までお話を伺った審査員の方々は、皆さん、何においても環境が第一とおっしゃってましたね。
昔は『安全第一・品質第二』と言ったものですが、世の中はまた変わったのでしょうか?」

注:1900年代初め、アメリカのUSスチールのエルバート・ゲーリー社長がそれまで「生産第一・品質第二・安全第三」だったスローガンを「安全第一・品質第二・生産第三」と改めた。それにより災害が減り生産性が上がったといわれる。
もちろんそれは掛け声だけでなく、すべての決裁においてそれが判断基準にされたからだ。スローガンは掛け声だけでなく、実際に意味を持たねばならない。
日本に入ってきてからは「安全第一」だけか「安全第一・品質第二」までが言われるようになったという。スマートフォンが、スマホになったようなものか?

三木 「アハハ、痛いところを突かれましたね。今から20年近く前にISO14001が始まったのですが、当時の審査員は気負っていたのでしょう。だから環境は何よりも優先するなんて思いこんだのでしょうね」

大川専務 「そうおっしゃる三木審査員さんは、環境が第一ではないとお考えですか?」

三木 「ご訪問前に、御社の組織と担当の役員を調べてまいりました。大川専務さんは環境担当役員だけでなく、品質担当役員そしてロジスティクス担当役員というお役目をお持ちです。
さて大川専務が日常これらの職責を果たそうとして、みっつのお役目がコンフリクトを起こさないのでしょうか?」

大川専務 「なるほど、確かに環境第一と言っても最優先ではありませんね。我々は法治国家において事業活動を営んでおりまして、最優先は法令順守であり、その法令が環境対象とか品質対象あるいは税法とか労働法であろうと、遵守するのは当り前です。
ですから環境は最優先ではないと言い切れるでしょう。当然、品質第一でもありません。

私の仕事においても環境は大事ですが、他の任務である品質もロジスも大事です。現実には会社の経営を考えて、妥協というとなんですが総合的に最善を選択することになります。
となると品質第一とか環境第一というのは、意味のない単なる掛け声ということになりますか」

山内 「まあどれもこれも最優先というなら物はできません。最低限は法令遵守であり、あとは妥協というよりも、調整事項ではないでしょうか」

注:調整事項とは理屈や理論ではなく、話し合いで決めるような課題である。例えば右側通行か左側通行かということは善悪ではなく話し合いや多数決で決めればよい問題であり、調整事項といわれる。約束事ともいう。
他方、算数で円周率 πパイ を3にするわけにはいかない。もっとも最近では円周率の値も調整事項に落ちぶれてしまったようだ。

三木 「私も専務さんや山内参与さんのおっしゃる通りと思います。
こんなことを言っては何ですが、ISO14001も制定から2度改定されています。そのとき追加された要求事項もあれば、なくなったものもある。
同様にSDGsの17項目だって、今後追加もあろうし削除もあるでしょう。そもそも17項目をご存じと思いますが、項目が同レベルとはとは思えません。『ジェンダーの平等』と『気候変動』が同じと思う人はまずいないでしょう。SDGsの17項目を決める過程は妥協そのもの(下記注)
ISO規格にあるからと、どうこうするものではないと思います」

注:「SDGs−危機の時代の羅針盤」の中で著者 南 博がSDGsをまとめる過程は政治的妥協であったと記述している。17項目の構成はどうみても論理的ではない。

山内 「そうおっしゃるとshallをすべて満たさなくても良いように受け取られますから、そこんところはshallはしなければならないとおっしゃっていただかないと……」

三木 「ISO審査の場合は『何年版の規格』と宣言して行いますから、必須事項が版によって違うのはよろしいのです。
見方を変えると元々まっとうな会社、特に歴史のある会社なら、ISO規格のshallを満たしていないところはないでしょう。
そもそもISO14001は企業が持続可能であるためにと序文にあるわけですが、東証上場のような会社は会社年齢も長く既に持続可能であることを実証しています。日本では会社設立して10年存続するのが1割、30年存続が1%と言われます。社歴数十年の企業なら十分に持続可能と言えるでしょう。
社歴数十年の企業が、制定して20年で2回改定されたISO14001規格に、持続可能とはこうあるべきなどと言われたくないでしょう。

真面目な話に戻りますが、以前は審査で規格に書いてある通りの形態でないと不適合とするのが通例でした。でも今はその仕組みが規格要求に応えているのかということを吟味するようになりました。見た目や形でなく真に役目を果たすものなら適合ということです。そもそもISO規格要求とは当たり前のことですから、普通の会社ならそれを実現する仕組みは以前から持っていたはずです。
もちろん仕組みや規則があっても、徹底していないとか風化してしまったものはある。私はISO審査とは会社のルールに漏れがないか、風化していないかを拝見して注意喚起するようなものと理解しています」

大川専務 「いやあ〜三木さんは、私があった中では特異な方ですよ。私は審査員とは規格を聖書のごとくあがめ、規格の一字一句と実態を照合するガチガチに凝り固まった人と認識しておりました」

三木 「ISO審査の考え方はいろいろありますし、審査のアプローチもいろいろあります。定石通りに打てば面白みのない碁になりますし、手本に拘らず自由奔放に打てば見事な碁になるか、様にならないへぼ碁となるか、ISO審査も同じでしょう。
まあISO認証制度も歴史を重ねてきましたので、面白みのない段階は通り過ぎたのかとは思います」

大川専務 「大変勉強になりました。これから経産省のなんとか委員会に出なければなりませんので失礼いたします。そこで今お聞きした見解を披露してきますよ」

大川専務 退場

山内 「予定外の闖入者で大変失礼いたしました」

三木 「いやいや、さすが専務さんのお話を拝聴しまして、まっとうなお考えだと確認しました。同時に例に挙げられた昔の審査員は思い込みが激しかったのか、教えられたのがそういうことだったのか、まあ社会人としては問題だったようです。

ええと……正直言いまして、御社の環境計画の昨年のもの、昨年度の実績、今年度の計画は、ウェブサイトのCSR報告書を拝見してまいりました。いずれも法令だけでなく環境省や経産省のガイドライン、そしてまた業界団体の申し合わせ事項などをクリアしていることも確認しております。

当然そこに至る過程において社内で審議検討されたわけでしょうし、そういった中に不整合もなく、ここで是非を問うまでもありません。
もちろんその数字が事実通りなのかは確認したのですが」

山内 「どうぞよくチェックしていただきたいと思います。どちらにしても省エネ法は工場から経産局への報告がありますし、省エネ法に基づく全社の集計もありまして、本当を言って嘘のつきようがありません。どこも同じだと思いますが、各工場でのエネルギー使用をインプットすればコンピューターで全社集計しておしまいです」

三木 「おっしゃることはよく分かります。水とか廃棄物も自動集計なのでしょうか」

山内 「具体的には月々の使用量、金額、臨時の増加分の支払いなどをコンピューターシステムにインプットすると集計されるということです。
エクセルの表を手作業で集計していた時は、転記するときに鉛筆をなめることもできたでしょうけど、今は、廃棄物ならマニフェストシステムや経理システムと連動していますから、排出量まあ重量ですが、うそをついて数字を減らしても支払金額とのつじつまが合わず、数字をいじることは非常に困難です。
PRTRなどからも廃棄物となる数字がでますから、従属変数を調整するには、多数の独立変数をいじらないと齟齬を隠しようがありません。
もちろん全体をごまかすような仕掛けを設ければ可能でしょうけど、整合を取るのは難しそうです」

  ・
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三木 「それでは個別の話に入りましょう。御社の本社・支社の認証では、環境側面として工場や関連会社の指導と統制というものを取り上げいます。
こういう考え方は非常に珍しいですね。多くは本社・支社が環境と物理的に関わることを対象にしていますが、御社の場合は物理的というより機能の観点で見ているということですね。
さて過去1年間に工場や関連会社で違反や事故が皆無ということはないと思います。どういった問題が起きてどのような対応したのか、事例を挙げて説明していただけますか」

磯原 「審査員の方とは守秘契約をしているので、隠し事なくお見せします。
違反といっても大小というか軽重ありますが、総数20件ほどあります。事故も14件ありました。
リストはこの通りです。このリストは採番台帳を兼ねています。個々の問題についてはこのファイルに顛末書、是正処置報告書、行政への届け出の写などが入っています」

三木 「通常の企業で違反や事故がいかほどあるのか正直存じませんが、これは多いというのか並みなのか、お宅ではどうお考えでしょうか?」

磯原 「確かに弊社の発生数を聞けば多いと感じると思います。ただ個々に見ればなるほどというか仕方がないというものもあり、決して異常とは思えないと申しておきます」

山内 「他社との比較を考えるなら、同業他社で報道された違反や事故と弊社グループの比と、それぞれの従業員数の比を比べるしかありません。ここで報道された数が真の発生数かどうかという疑問はありますし、弊社グループ内でも正直に申告しているのか分からないところがあります。
まあ、そういうところには目をつぶり、比較をしますと、他社に比べれば弊社グループが7割程度となっています。私どもの方が3割事故や違反が少ないということです」

三木 「なるほど、そういう方法で比較されているわけですか。
特定施設の数に比べて公害防止管理者の人数が多ければ、遵法の信頼性が高いとか言えませんか?」

山内 「今は排水も煤煙も公害規制を超えることの発生を防止しようとするのでなく、公害がでないように製造方法の改革、重油から電気への変換、溶剤系から水性への変換などをするのが主流です。ですから公害防止管理者の資格保有者数が多いことは管理水準が高いのではなく、旧態依然の製造方法とみなされています」

三木 「なるほど、そういう方向に移行しているわけですか。有資格者がたくさんいるということは旧式の設備という可能性が大ですか。

では違反事例を拝見いたします。
ええとこれは廃棄物処理施設を持っている関連会社で、ええと役員が代わった際の届出が法の定める期限内に行えなかったという問題ですか。
役員というと、スラッシュ電機の役員でなく関連会社の役員ですよね?」

磯原 「はい、そうです。
状況を説明しますと、この関連会社では中間処理のプラスチックの破砕施設ですが、廃棄物処理施設として届出しております。
廃棄物処理法では廃棄物処理施設を設置している企業の、役員、監査役などが変わったときは30日以内に届けなければならないとあります。
この関連会社の役員のひとりに弊社の工場長が任じられているのですが、新たに工場長の辞令と共に関連会社の役員に就任された方が、海外生産工場に長期出張していて関連会社からの連絡が届かず、期限を超えてしまったものです」

三木 「ええと、私の記憶では昨年でしたっけ、届出の期限が伸びましたよね?」

注:2017年に該当法規制が改正になり、従来10日以内だったものが30日以内に変わった。
「廃棄物の処理及び清掃に関する法律施行令規則などの一部を改正する省令」(平成29(2017)年4月28日公布・平成29年5月15日施行)

磯原 「そうです。そうではあるのですが、海外出張のためにその伸びた期限内に届出できなかったということです」

三木 「うーん、それでどうなったのでしょうか?」

三木はパラパラとページをめくる。

三木 「なるほど、これを読むと行政に相談して了解を得たということですか?」

磯原 「これは期限内に届けなかったのではなく、期限内に届けられないことを相談したということです。
行政からとりあえず今年はOKをもらいました。次年度以降、期限内に入手できる体制とすることという指導を受けました。

次年度以降の対応ですが、法改正により従来より期限が伸びたこともあり、長期出張などの場合は、個人宅の連絡先を本社が控えておき対応できるようにしたということです。
措置としては、関連会社には弊社の連絡先を通知してこれを関連会社の総務部門が維持すること、弊社の関連会社部において関連会社から廃棄物処理施設に関わる届け出対応のルールを作り、長期出張や傷病欠勤時の連絡先を把握するよう見直しました。
関連会社の役員は弊社の役員クラスでなく、工場長クラスが就任する場合があり、そこが漏れていたということですね」

三木 「見直した手順なら30日以内に届出できるのですか?」

磯原 「できると考えております」

オイルタンク

三木 「では次の熊本工場の重油タンク漏洩事故というのがありますね。半年前というと最近ですね?」

磯原 「これは非常に多くのミスが重なって発生したものです」

三木 「事故というものはひとつのミスでは起きません。常に複数の悪条件が重なって発生するものです。
でどういう事故だったのですか?」

磯原はオブラトに包んで事故の経過を説明した(第66話)。そして些細な事故であっても原因と影響を正しく把握しないと大きな問題が隠れていることもあると力説した。
三木は磯原の真意を解したのか、面倒なことに入らないほうが良いと判断したのか、適切な対応をされましたねと軽く流した。


*****

人事部である。本社人事部がISO14001の審査を受けるのは、今回が初めてである。
石川が三木を案内して人事部の小会議室に入ると、桃田参与と下山が待っていた。
桃田下山
桃田参与下山
人事部長は執行役だからもちろん顔を出さない。

早速、名刺交換の儀式を経て座る。石川も壁際に置かれたパイプ椅子に座り、三木に見えないようにスマホを録音状態にする。胸ポケットに入れておいても録音に支障がないことは確認済だ。
それからノートを取り出してメモを始める。

三木 「普通の会社さんでは環境側面、何と言いますか環境に関する管理しなければならない要素として物理的なものを取り上げています。事務所なら部内から発生するごみとか出張の際のエネルギーとかいうイメージですね。
御社の場合は本社部門が工場や関連会社に行うアドミニストレーションにおいて、環境配慮を盛り込むことと解釈しています。
私としては御社の考えが規格本来の意図であろうと思っています。電気もごみも、管理するのは担当は総務部ですからね。

という御社の解釈を尊重してお伺いしますが、人事部として工場や関連会社を統括するとき、環境についてどのようなことを考慮しているのでしょうか?

桃田 「下山君、そういう事例はあるかね?」

下山 「例えば通勤手当です。昔はルートがいくつもある場合、最安の路線分を支給していました。これを数年前から環境改善のために、混雑がひどい路線は迂回路線を認めています。該当する路線の決定は、組合との話し合いで行います」

三木 「おたくの場合、環境というと人間環境も含むのですか?」

下山 「三木さんならご存じかと思いますが、ISO14001の定義では人間を取り巻くものですから、通勤電車の混雑も環境に含まれるはずです。いやそれを考慮しないと環境側面の把握が不十分といわれそうです。

昔はUKASが言ったからという理屈で、御社の審査では通勤の環境影響を評価しないと不適合を出していたことをお忘れでしょうか?
実際にはUKASはそんな通知を出していなかったようですが、アハハ

電車電車電車電車電車

UKASはともかく、通勤の混雑が環境に関わるかどうかも置いといて、通勤電車の混雑状況を考慮することはリクルートなど他対外的なイメージも良くなります。打算的ですがね」

三木 「是はしたり、確かにおっしゃる通りです。
そのほかにもいろいろあるのでしょう?」

下山 「寮や社宅も人事の管轄です。弊社には社宅や寮を有している工場も多々あります。
そういった施設の新設や維持における環境配慮もありますし、それに対する付近住民との軋轢といいますか、苦情や要望に対応しています。

最近は猫も杓子も太陽光パネルを付けるのが流行でして、それによって発電するメリットどうこうよりも、太陽光パネルを付けることにより環境配慮をしていると見える効果が大きいようです。
そんなわけで費用対効果が見込まれなくても、太陽光パネルを付けるのが、弊社内でも流行っているのです。

さて本題ですが、我々が対応した事例があります。
社宅の中には、太陽光パネルを付ける場所がないと壁面に付けたところがありました。壁面でも発電しないわけではありませんが、光が当たる時間が短いとか太陽光に斜めになってしまうことから、発電効果はガタ落ちです。
その反面、反射した太陽光が下方に向くために、近隣住宅から暑さやまぶしさの苦情がありました」

三木 「そういった問題は結構聞きますね。
太陽光じゃありませんが、風力発電機の小さなものをオフィス街に設置したら、プロペラの音がうるさくて近隣のオフィスビルから総すかんになったとか」

桃田 「なるほど、いろいろあるものですな。
環境に良いといえば皆納得してくれるのかといえば、そうではないのですね」

下山 「基本的に寮や社宅は工場が建設し所有しますが、その管理は関連会社が請け負っており、そういう苦情対応も関連会社が対応しています。
たまたまこの事例では関連会社に苦情が入っていたのですがらちが明かず、住民側が業を煮やして市の担当部署に相談したわけです。ここまでにちょっと時間がかかっておりまして、炎上するところでした」

桃田 「そうそう、その件は下山君に現地に行ってもらったな」

下山 「そうなんですよ。関連会社が工場に相談してくれれば、問題解決も早かったのですが。
ともかく状況を把握しまして、住民側と市の担当者、こちら側は工場の総務と関連会社の代表者と集めて、善後策を打ち合わせました。

太陽光発電

結局、太陽光パネルを撤去することで決着しました。
そもそもの原因はアセスメントもせずに、太陽光パネルを付けたことでしょう。しかし苦情を受けた関連会社が自分たちでなんとかしようと、無為に月日を過ごしてしまったことが問題ですね。
ともかく環境問題というべきか、社宅管理会社と地域のコミュニケーションの問題なのかはともかく、人事部はそういう対応もしております」

三木 「なるほど、お話はよく分かりましたが、その顛末を記録にしているのでしょうか?」

下山 「はい、環境管理課が工場に指導に行った際に情報を得てきたのがトリガーでした。そのときの環境管理課からの報告書がこれです。それから私が現地に行って対応した出張報告書がこれ、住民との会合の議事録、それから人事部内の議事録、これは人事部が各工場と関連会社に対して配布した、問題発生と顛末を周知した通知文です」

三木 「なるほど、問題が起きたらそれを解決するというのはもちろんですが、この結果、似たような問題再発を防ぐ措置は何かされたのでしょうか?」

下山 「反省すべきことは多々あります。寮や社宅の管理は人事部所管なのですが、苦情を受けた情報が人事部に入ってこなかったこと。まあ環境に関することかどうかはともかく、それが非常に残念です。
遡れば工場と管理している関連会社のコミュニケーションの問題があります。関連会社としてはメンツもありますから、なんでもかんでも工場に報告とかお伺いをしたくないということもあります。
そういった空気を払拭して、どの立場の人も早急な問題解決を至上として判断・行動すべきということですね」

桃田 「まったくだ。決定権のないところで堂々巡り時間がロスだったね」

下山 「それこそ我々が反省すべきことですね」

桃田 「我々が反省するのか?」

下山 「そうですよ。そういう風土を作ってしまったという責任があります。人事部というと問題を起こさないことが優先してしまう。そうなると、人事部の管理下にある部門とか事業は、問題が起きたら隠すということに流れやすい。
そうじゃなくて隠すことなく問題を出させて、問題が大きくなる前に対応する方向に舵を切らないといけません」

桃田 「まあ、そうなんだろうなあ。じゃあどうするんだ、人事部の査定というか評価の基準を、見直さなければならないということか」

下山 「大きなことは今どうこう言えませんが、製造現場なら原価低減とか作業改善というのは、関係者皆の共通の認識です。人事部でも真に問題を起こさないという共通の価値観を持つべきでしょうね。保守とは現状を意固地に維持することではなく、現体制の中で改善を進める主義のはずです。
人事の効率とか価値観の指標において改善を図ることを我々の共通の価値観とすること、そういう風土改革をしたいです」

桃田 「下山君の気持ちは分かったが……具体的にどう展開するのだろう?」

三木 「ちょっとお待ちください。この件については、それとは別にひとつ疑問があります。この問題というか苦情に対応するには、環境管理課が巡回して見つけたことがトリガーだったとありますが、人事の通常の情報ルートにおいては把握できなかったことになります。それは人事の価値観とかではなく、本社人事と工場間、そして工場と関連会社の報連相が機能していなかったのか気になります。

わずか一日それも別件で訪問した、環境管理課の出張者が見つけるというのはおかしいと思います。
現状であっても容易に本社の人事部に情報が入ってきてもよいはずと思います」

桃田 「いや、これは厳しい。下山君、それにこの件はたまたま出張者が見つけて、しかもそれを環境管理課の課長代行が気をきかせて人事部に連絡してくれたおかげだったのだろう? 今回は良いほう良いほうと重なったが、このような僥倖に頼る仕組みはおかしいね」

下山 「確かにおっしゃる通りですね。となるともう少し考えないといけませんね」

三木 「まあ、企業というのは総合力です。人事の仕事が人事の人だけで成されるわけではないでしょう。有機的というかインターネットの網の目のような情報網によって動いていくのが通常の組織でしょう。
特に最近は非常時においても機能するように、冗長性を持たせる工夫をしているところもあります。例えば情報伝達ルートを二系統にするとか……あるいはどこの部門でも関連会社を訪ねたときは入手した情報を共有する仕組みを考えることもあるでしょうね。

ええとそろそろお時間となりましたので、人事部の審査を終わりたいと思います。
いろいろとご意見を拝聴しまして大変勉強になりました。環境管理課に磯原さんという方がいて、2年前かなお会いしたときISO規格の申し子と思ってしまいましたが、ここにも下山さんというISO規格に詳しい人がいるのを知りました。
ええと、近隣住民の苦情を受けて直接的な是正処置に留まらず、監督部署の風土改革まで考えていることを確認しました。
あっ、もちろん不適合とか気付きとかはありません。
それじゃ石川さん、次の職場へ案内願います」

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桃田 「おい、下山君、よくやった。苦情を受けて解決まで時間がかかったことが、マイナス評価になるかと思っていたが、逆に褒められちゃったよ」

下山 「桃田さんが太陽光パネル問題では撤去の決断をされたからですよ」

桃田 「とにかく初めてのISO審査は見事パスしたな。
思ったのだが、環境管理課の磯原とは今後連携をとったほうが良さそうだ」

下山 「私もそう思いました。機会をとらえて親しくなるようにします」


*****

石川石川は三木審査員を次の部門に案内しながら思ったのは、三木審査員が今まで会った審査員と異質なことだ。どちらが正しいのかは分からないが、訳の分からないことを語る人でなくて良かったと思う。
しかしISO審査員にも杓子定規の人もいるし、三木さんのような融通無碍の人もいる。審査というのもいろいろあるのだなと気づかされた。

それにしても山内さんや磯原さんが、ISO審査を特別視していない訳は良く分かった。しかし工場でもこんな対応で大丈夫なのだろうか?



うそ800  本日の記憶

私が審査員なるものと最初に出会ったのは、1993年でイギリス人だった。この方とは二度会ったが、直接会話することはなかった。審査員は日本語が話せないとのことで、元イギリス駐在だった営業マンが通訳した。
最後の日、クロージングミーティングが終わってから、日本語で挨拶されてギョッとした。それまでさんざん私は赤鼻のおじさんと呼んでいたから、どやされるかと思った。

注:当時の審査規格はISO10011-1/10011-2であり、審査員が「審査の遂行に影響をを与えるような圧力に左右されない、技術的言語に熟練した人を終始使えること」が審査の条件であった。
現在ISO17021-1では、そのような記述はない。代わりに「表A.1知識及び技能に関する表」で「審査及び審査の指揮者」に「組織内における全ての階層に対する適切な言語技能」を要求している。通訳を使っちゃいかんということでもないだろうけど、実態は分からない。

その後は外資系認証機関とか日系とかジャブもノンジャブも、両手どころか両足も使うくらいの認証機関とお付き合いして、出会った審査員は100名近いのではないかと思う。
でも真にすごい審査員だと思った方は、三名しかいない。一人は外資系認証機関のゼネラルマネージャーだった方、一人はやはり外資系認証機関の取締役の方。もう一人は日系の認証機関の審査員だった方だ。

何がすごかったかというと、まず項番順審査をしなかったこと。そして質問はランダムで何を知ろうとしているのか分からなかった。AとBを調べているから、その双方が関わるあの項番だろうと類推していたら全然違ったとか、ある場所を素通りしたからそこには問題はないと思っているとしっかり証拠をあげて指摘されたとか。
その後10年くらい経って、自分も彼らとレベルになった気がした。まあ自分が思っただけだ。

言い換えると、世の審査員の大半は……100人に会ってまともな人が3名なら97%であるが……客観的に見て一人前の審査員ではなかったと確信する。一番最初に会ったイギリス人レベルの審査員はいかほどいるのだろうか?
UKASが言ってますとか、スコアリング法でなければとか、有益な側面ガーなんて騙る審査員は全員不合格です。虚偽の説明とか、規格にない個人的要求事項はいけません。
っ、あなたのことですよ



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外資社員様からお便りを頂きました(2023.08.05)
おばQさま
いつもながら本筋でないツッコミでご容赦ください。
イチャモンでなく、心配御無用なコメントなのでご安心を。

結局 磯原は課長代理の任を了承して、多分 仕事がまともになり何よりです。
業務に関する規定や権限との乖離も是正されて組織管理の面でも良かったです。
一方で労務管理の面では、「時代」を反映した内容で、リアルさに溢れております。
何がと言えば、磯原の労働契約の更新も無ければ、給与や処遇についてのお話が無い。
一方で上西は仕事が出来ないのに、しっかりと天下り先の配慮もされている。

外資の場合、または米国のドラマだったら、上西のその後は荷物をまとめて出て行って終わり。
後はどうなるか描かれない(多分)
一方で磯原が上司に呼ばれた時には、上司は「これが君の新しい処遇(契約)だ」
この内容で課長(代理)として働いてくれるか? (Yes/No)で終わり。
磯原は家に帰って。「ハニー昇進したよ」と奥さんと祝杯を上げる。

結局、そういう日米の違いがあるのだと良く判ります。
私も当時は日本の代表的な会社にいたので、磯原は課長代理になろうが処遇は殆ど変わらない。
Noは無くて、Yesと言うのが前提で、仕事はこうなると上司が言って終わり。
だから当時の状況を正しく映してリアルだと感じました。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
まず最初にお断りといいますか言い訳をしておきます。
メールをいただいたのは金曜日だと思いますが、次に更新するものを執筆中といえばかっこいいですが、実際はストーリーはあっても書く手間が大変でして本日(土曜日の真夜中:シンデレラ過ぎ)にやっと様になったのでお便りを拝読しました。
私の勤めたところでは、課長になるとすぐに賃金が上がるということはなかったようです。グダグダといつしか上がっているという感じですか。私自身は課長になれませんでその下まででしたが、役職についても賃金が変わったようなことはなかったですね。ただ管理職ということで時間外が付かなくなっただけ。まあ元々サビ残だから、変わりないです。
話はがらりと変わって、次回といいますか明日更新は「うそ800」史上初で刑事事件発生となります。実を言って私は想像ではものが書けません。過去の実体験を元に書いているのですが、先行きは見当もつきません。
生暖かい目で見てください。


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