*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但しISO規格の解釈と引用文献や法令名とその内容はすべて事実です。
私、大柴敏行はISO審査員である。大手企業で公害防止の仕事をしていたが、50歳のとき認証機関に出向しろと言われて審査員になった。最初はISO14001だけだったが、その後先輩審査員に教えられてISO9001の主任審査員資格も取った。
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大柴審査員 |
仕事は規格の解釈がむずかしいことと、規格改定があれば要求事項の変化を勉強しなければならない。しかし現場の審査では過去の経験から一目で善し悪しがわかるのは強みだ。
ただ最近は企業のISO事務局が変な知恵をつけて、我々が正しい方向に導こうとするのに反発するのがいて、やりにくい。そして企業側が審査員を尊敬しなくなったように感じる。もっと審査員の語ることを謙虚に聞くべきだ。最近は審査をしているとフラストレーションが溜まる。
今回は大手であるスラッシュ電機の本社と支社というか、工場を除いた部分のISO14001審査である。私が審査員になった2000年頃は認証している企業は大手が多く、審査員がグループで何日もかけて審査するのが普通だった。しかし今は中小が増えて審査が一人で一日のものも多くなり、このような大規模なものは少なくなった。とはいえ今回は事業拠点が多数であり、審査員はバラバラで各拠点を行脚するのである。
第一日目の昨日は姫路営業所を審査した。
姫路というと姫路城が思い浮かぶが、姫路市は姫路城だけでなく製造業が数多くある。
スラッシュ電機は工作機械とか業務用製品に使われる各種制御システムとその中のシステムLSIや、PLC、サーボモーターなどが強い。それらを製造業各社へ、製品である機械の部品としてあるいはFA機器として大量に納入している。
注:FAとはFactory automationの略で、コンピュータを用いて製造ラインを自動化すること、または自動化に使われる機器のこと
二日目の今日は大阪支社である。実は昨日訪問した姫路営業所も大阪支社の傘下になる。大阪支社は支社事務所と倉庫、営業所が5か所、そして大手顧客の社屋内に出張所を3か所持っている。今日は大阪府に所在する支社の事務所と倉庫に対して審査を行う。
スラッシュ電機はISOのための仕組みを作らないと語っていて、審査では従来からある会社規則や記録を見せるのだ。この会社の審査は私にとって初めてで、昨日姫路営業所で審査をしたとき、とても分かりにくく、やりにくかった。
そして審査に行く前に認証機関の審査部長から項番順審査をするな、プロセスアプローチで審査しろと、くどいほど言われた。項番順審査なら、審査するほうも受けるほうも、楽で漏れもなく素早くできるのに、なんで面倒なプロセスアプローチをせにゃならんのか?
そんなことを要求したというスラッシュ電機の審査窓口がおかしな奴なのだろう。
もっとおかしなことがある。審査をしている中で、会社の担当者……驚くことにこの会社ではISO事務局がない……組織名だけでなくISOを担当している人がいないのだ。
昨日の朝、姫路営業所の受付でISO審査をしに訪問したというと、案内されたのは総務部だった。そこで総務課長が……部長でないのだ。課長風情が対応するとはふざけている……本日審査を受けるスケジュールを確認して、課員の女性がアテンドしますという。それでおしまいだ。
アテンドした人も総務課で備品担当だと言っていた。ISOなど全く関係ないというか知らないのである。
なにか大きな勘違いしているのではないだろうか?
旨いものを食わせろとは言わないが、審査員が来たら営業所長が挨拶して事業内容とか経営状況を説明するのは当たり前ではないか?
そう総務課長に言うと、ここは末端の営業所である。事業とか経営状況については、明日 支社を審査すると聞いているから、そちらでお願いするという。
それなら関西支社の審査を始めるここ姫路に支社の偉い人がきて、わしに説明するのが当然ではないのか? 不愉快極まりない。
私は審査員を20年近くしているが、このような塩対応は初めてだ。まるで出入り業者への対応のようだ。
昨日の審査の結果として、もっと分かりやすいEMSにすること、ISO事務局を設けること、従業員がISO認証に期待してないことが問題だとした。今日もあまり期待はできないな、
注:このお話も登場人物も架空のものであるが、このようにお考えの審査員には多数お会いした。ISO9001初版から、ISO審査員は下請業者であることははっきりしていたのだが?
スラッシュ電機の関西支社は中之島というところにあった。東京なら丸の内にあたるという。知り合いに聞いたことだが、OLは梅田で働くより賃金が安くても中之島で働きたいそうだ。
わしもいくつかの認証機関で働いたが、業界系とか財団法人系の認証機関は丸の内が多く、営利企業は良くて山手線の内側で多くは23区内だった(参考)。
もっとも外資系老舗は横浜が多いな。とはいえISO審査員の格は所在地ではなく審査員の力量だ。わしは力量では負けていないぞ。
大柴は中之島の中規模なビルのドアを押して中に入った。
受付で来社の目的を伝えると、数人が入れるくらいの会議室に案内された。ここで支社長が挨拶するのだろう。
そう思って待っていると、男性二人と大学生にしか見えない女子社員がお茶のお盆を持って現れた。
なんと女子社員はお茶出しではないようで、部屋に残った。
オープニングミーティング | ||||
![]() ![]() ![]() ![]() | ![]() | 宮本課長 | ||
大柴審査員 | ![]() | ![]() | 吉岡部長 | |
![]() | 横山担当 | |||
名刺交換を済ませて座る。いよいよ試合開始だ。
「総務部長をしております吉岡です。こちらは総務課長の宮本、こちらの女性は横山です。これがオープニングミーティングのメンバーです。
まず大柴様のほうからのお話を伺います。そののち、当支社の事業状況を私から説明しまして、審査に入っていただきます。
審査を受ける各部門には横山がご案内します。
ええと、大柴様は弊支社の審査後に関空から沖縄営業所に飛ばれると聞きましたので、審査を希望されていた倉庫は堺市にありますので、午前中はこのビル内の審査、昼食後電車で移動して倉庫の審査、その後関空に電車ということで予定しております。それが移動距離が最短でお勧めです。
よろしいでしょうか?」
「基本的に審査を受けるところの最高責任者がご対応されるのですが、支社長はいらっしゃらないのでしょうか?」
「支社長ですか? そういうことは考えておりませんでした。ええと私どもでは力不足でしょうか?」
「ISO審査は別名経営の審査とも言われておりますように、そこのトップの方のお考えとか施政をお聞きして、それが現場に反映されているかを見るという流れになります。
私どもでは支社なら支社長、営業所なら営業所長に支社の状況や経営指標などのご説明いただくものと考えております」
■ 「ISO14001は経営の規格だ」と語る審査員は多い。某大学教授も、某ISOTC委員もそう語った。
経営の規格とはなんだろう? まず、それが分からない。ちょっと待て、どの要求事項が経営に該当するのか? 規格作成にはドラッカーも参加したのか?
経営となると、経営者経験者とか中小企業診断士でないと審査できないだろう。
ISO認証すれば、赤字はなく、株価は上がり、門前には入社したい人で行列ができるのか?
まあ、そう騙る人を茶化すために書く。
「そうですか。『私ども』とおっしゃるのは認証機関の方針と受け取りますが、公に公表されているのでしょうか?
御社の審査ガイドという冊子を拝見しましたが、そのようなことは書いてありません。それで総務部長の私が対応すればよいと考えておりました。
とりあえず今後のことは別途打ち合わせるにしても、本日はこれでよろしくお願いします」
「お願いしますとおっしゃると、対応できないということですか?」
「無理ですね。支社長の来客は毎日30名はいるでしょう。ひとり15分としても7.5時間、勤務時間すべてが埋まります。来客といっても儀礼とか表敬訪問ではなく、すべてビジネスです。支社長は当支社の最高のセールスマンですから、彼の行動は売り上げに直結します。もちろんそれだけでなく社内会議、委員会などの出席、当然決裁もあります。面会が希望なら最低ふた月前には予約が必要です。
まずはこのメンバーで進めてください」
(「進めていただけますか」ではなく「進めてください」だと!見てろよ、言い逃れできない不適合をふたつみっつ置き土産にしてやろう)……と大柴は考える。
「それではやむを得ませんな。
倉庫で関西支社の審査が終了となりますと、支社の審査結果を確認していただくミーティングはいかがいたしましょう」
「ええと倉庫はかなり込み入ったところにあります。それで初めての方はたどり着けない懸念がありますので、こちらの横山がご案内いたします。
最終ミーティングとおっしゃいましたが、それは倉庫の審査終了後に大柴様と横山で打ち合わせてください」
(なんなんだ……ずいぶんと自分勝手な……)
「すると関西支社の問題点のご確認などはこの女性がされると、彼女は審査結果を受諾する権限をもっておられるわけですか?」
「横山さんも入社して8か月、もう十分一人前だ。頼んだよ」
「しかと承りました。諾否については私が判断させていただきます」
「よしよし、ということで大柴様よろしくお願いいたします」
(諾否だと? 拒否できると思っているのか!
まあ、いい、重大な不適合を置き土産にしてやろう)
「承知しました。それでは審査を始めたいと思います。
ええと、この支社の今年度の活動目標ですが、顧客への環境製品の提案となっています。それは良いのですが、この一覧表を見ますと、支社の一部の人しか活動目標を持っていないことになりますね。これはどうなんでしょうか?」
「どうなんでしょうかと言われますと?」
「ISO14001では全員参加を求めています」
「宮本君、そうなのか?」
「審査前に一応ISO14001規格は読みましたが、全員参加という要求事項はなかったようです。
大柴さん。どこにありますか?」
「書いてなくても全員参加が必要なのですよ」
注:「全員参加なんていう審査員はいない!」とは言わせない。
私は数多の審査員がそう語るのを、いやそう要求するのを体験してきた。
「規格にないことを、なぜする必要があるのですか?」
「とりあえずこれは軽微な不適合として……」
「ちょっとちょっと、私は同意しません。規格要求にないものが不適合になるはずがありません」
「いや、だめですよ。環境目標が一部の部門だけ設定されていたという不適合です」
「だって不適合にするには証拠・根拠が必要で、該当するshallがなければ不適合になりませんよ。全部門に環境目標を設定するという要求事項がありますか?
あなたISO17021をお持ちですか、よくお読みください。ええと……項番は」
(オイオイISO17021だと、わしは読んだことはない。待てよ、審査前にリーダーの三木から証拠・根拠のないものを云々と言われたな……まずかったか)
「規格の意図は全員参加を求めているということです。必須ではありませんがそれに応えるべきです」
「ISO14001の意図は遵法と汚染の予防のはずですが……意図はともかく、弊支社が規格適合であることに同意いただけますか?」
「質問を変えます。
お宅の支社で環境目標に該当しない方がの方が多いと思いますが、その人たちは何をするのかなと思いまして。まさか何もしないわけではないですよね?」
「ISO規格というのは改善だけではないですよね。決められたルールをしっかり守ることもあるし、ルールになくても環境に悪影響を出さないように努めることもあるでしょう」
「しかし全く関係ない人もいるのでは? そういう方は何もしないわけですか?」
「会社で働いていればゴミの分別や出し方、照明や空調のセット、スイッチのON/OFFなどのルールを守らねばならないでしょう。一見環境と無縁で環境目標のない受付もガードマンも掃除の人も環境活動と無関係ということはありませんよ」
「ではルールを守って省エネを図るという目標となりますか?」
注:ISO規格から言って、この発想が悪いわけではない。しかし「必要なルールを定め・それを教えて・実行し、その結果を点検する」と規格にあるのだから、わざわざ「ルールを守る」ことを到達目標に定め、計画を立てて実行するまでもない。故に「ルールを守る」という環境目標は不要である。
この論理なら「環境方針を決めることを目標にする」のもありえる。
「ルールを守ることが目標になるのですか?
目標とは向上を目指して計画を立てて推進するものじゃないですか。ルールを守ることに計画を立てて、今月は50%、来月は60%守るというふうにするものなのですか?
当社では現実にはルールを守らない人はごく少数だと思います。ゴミ箱を見れば分別されているかどうか分かるでしょう。オフィスに行けば空調や照明が適切かどうか分かります。わざわざ計画を立てることが必要かどうか判断してください」
「ルールを守ることに計画はいらないと……
環境方針についてお聞きします。環境方針は全従業員に伝えているのですよね」
「環境方針は年度初めの社内報に載せています。項目は多々ありますが、自分の担当というか自分の責務は認識してほしいと説明してます」
「結構です。審査で伺った職場で確認したいと思います」
午前中、支社ビル内のいくつかの部門を審査したが、特段問題は見つからなかった。
まずは廃棄物だが、数年前にミスがあったとかで、全社を徹底的に点検し、手順に不備があるとか教育が徹底していない部門では、手順の見直し、担当者の教育、内部点検などを行っているとかで、全く問題がなかった。
ビルには緊急用として自家発電設備があるが、保有も維持もビル管理会社であり、審査対象ではない。
省エネ法の規制もビル管理会社であって、店子のスラッシュ電機はビル管理会社の指示を受けて運用しており、ビル管理会社が定めたルールや基準を守るだけだ。
主要な環境目標は「顧客への環境製品の提案」であるが、その達成計画を見ると、市場動向調査、最終顧客が志向する環境製品の方向性の研究とか、類似製品間の環境性能比較、環境性能とコスト弾力などものすごく多面的に研究し、また顧客との打ち合わせなど密に行っており、よく見かける通り一遍のISO審査用の活動ではない。
計画、検討報告、顧客との打ち合わせ議事録など読んでも、大柴の知識では半分も理解できるレベルではなかった。
目標以外の審査でも、大柴が規格要求を挙げてそれに該当することをしているかと聞くと、すぐにではないがそれに見合ったものを持ち出してくる。マニュアルを見るとその提出物についての記述がある。
彼らの思考過程を考えるに、そもそも管理職も一般社員も規格要求というものを知らないようだ。そしてマニュアルを書いた人(誰かは知らないが)は会社の規則、支社の規則、ビル管理会社の通知をよく知っていて、規格要求に該当することをそれらから探して参照(reference)を書いたものがマニュアルと思える。
ならば審査を受ける部署の管理者や担当者が、審査前にマニュアルをよく読んでいれば証拠の提出に手間取ることがないのにと思うが、現実には予習をしていないようで、審査員から言われたらその意味から自分の職場でそれに該当するのは何かと考えて証拠(文書・記録)を引っ張り出していると思える。
言い方を変えると、当たり前にしていることだけで十二分に規格を満たしていると言いたいのだろう。
実は、本社環境管理課(つまり磯原)から、自分の仕事をしっかりしていればよいとしか言われていない。磯原は、環境マニュアルは認証機関向けの会社説明書に過ぎない、だから審査員が規格用語を使わないで質問するならば、その回答をすぐに思いつくか考えて思い出すかはともかく、マニュアルを読む必要はないと考えていた。
普通の会社では規格に合わせてISO用の文書・記録を作るから、項番を言えばすぐに証拠物件が出てくる。だから審査では要求事項または項番を言えば済む。手間が省けるし、要求事項と証拠が1対1だから楽だ。
それに比べてスラッシュ電機はごちゃごちゃしていて、良いのか悪いのか判断が付きにくい。全くダメな会社だ。このような会社はISO規格を活用して文書や記録の大革命をすべきだ。
もちろん審査のための文書・記録であるならそれが最適だろう。審査員にとって効率的であることは言うまでもない。
だが企業が仕事をしていくうえで、ISO規格対応にすることが効果的あるいは効率的なものかどうかは怪しい。現実は過去の積み重ねである。その会社の文書体系がその会社の性格そのものなのだ。
審査員がちょっと来て良し悪しを語れるほど、世の中は甘くはない。
昼食をとった後、朝と同じく吉岡部長、宮本課長そして横山が集まる。
大柴は、関西支社の事務所ビルの審査は終了したこと、ここでの審査では特段問題はなかったことを報告する。
吉岡部長はそれを聞いて表情のない顔で、これでお別れですが、午後もよろしくお願いしますと言って解散である。
大柴は横山と会社を出ると、電車に乗る。途中、横山は車窓から指さして、あれは何です、あそこは行く甲斐がありますとか説明する。なんとのどかな女性かと大柴は呆れた。今審査中だぞと心中突っ込む。
一度乗り換えて倉庫のある最寄り駅で降りる。大柴は駅前の風景を眺めると場末感がひどく、スラッシュ電機と言えば一流企業と思っていたが、こんなところに倉庫を借りているのでは大したことはないなと思う。
「大柴様、ここから歩いて数分です。では参りましょう」
狭くかろうじてセンターラインがある道路をしばし歩くと、道路に面して窓の少ない3階建ての建物がある。
注:センターラインがあるということは車道幅5.5m以上ということだ。
「ここが倉庫になります」
「倉庫には見えませんね」
「倉庫といっても製品を置いてるわけじゃないのです。図面や書類など長期保管するものとか、顧客へ貸し出す製品の置き場、その他さまざまなイベントの大道具・小道具、カタログ類、ノベルティグッズの保管とかです」
「なるほど、そういう目的の倉庫ですか。それじゃ人はほとんどいないというわけですか?」
「管理する人が常時います。古い文書が必要になると保管した部署の人が取りに来たり、展示会など何かイベントがあると工場から人が来て展示品を検品とかセットアップしたり、営業の人が配布物を揃えたり、業者さんがここで展示台を作ったりということになります。
現在は近々梅田で催す展示会の準備をしております」
横山は入り口のドアを開けて大柴と一緒に中に入る。
そこは幅3m奥行2mくらいのスペースで、ドアが二つ、一方のドアのそばに受付窓口のような引き戸がある。
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倉庫の山口 |
「おお、横山さんか、今日はどうしたの?」
「課長から通知が行ってると思いますが、ISO審査なのですよ」
「ああ、そういえば今日だっけ、そうだそうだ」
「中を見たいの、入れてちょうだい。それから巡回に立ち会ってほしいの」
「了解、了解。鍵束を持っていくよ」
山口は窓のそばのドアを開けて、二人のいる玄関というか小部屋に出てくる。それから別のドアを開けて二人を中に誘う。
入ったところは通路で左右に壁があり事務所があるようだ。右側が山口がいた方だ。
10mほど先で左右の部屋が終わって、バスケットボールのコートくらいの空間があり、多数の展示台とか看板の類が置いてある。
そこで10人くらいの人がいて、印刷された両面テープ付きのシートを板に張り付けたりしている。
「ここは大物の一時保管場所ですね。これは来週ですか、梅田で催す展示会の台とかパーテーションだそうです。分解できるように作って現地で組み立てるのですよ。あちこちで展示会をすると壊れたりガタがきたりするので、開催前に点検して修理とかするのですよ。
そうそう、展示会で配るノベルティの用意をしてますね。女子高生のアルバイトが数人来ています」
「ここで作業をすると、ごみとか包装材が出るでしょう。そういうものはどう処理しているのですか?」
「台を作ったり修理などは大工さんというか専門業者がいるのです。その方たちがここで工事をするので、工事廃棄物として業者さんが持ち帰っています。
梱包材はまずほとんど再使用しますのでPPバンドとか荷札くらいしかゴミはでませんね。エアキャップなどはすべて使いまわしです。高価な模型などは専用の発泡ウレタンで包みます。模型と包装材はセットです」
「でも最終的には廃棄物になるんでしょ?」
「そりゃそうでしょうけど、ここで廃棄物に出してくれと言われたことはありませんね」
「図書類を廃棄することはありますか?」
「ここは図書館ではありません。ここで保管しているのはいわゆる本ではないのです。契約書とか法で定める届とか許可証や帳票などでして、一定年限が過ぎると廃棄するのですが、所管部門が来てここから持ち出し廃棄まで立ち会います。我々が廃棄物として出すことはありません。
私が出すのは生活ごみくらいですね。コンビニ弁当は買ったコンビニに出してます。歩いて一分ですからね。
ここから出る業務用資料はすべて支社でまとめて機密レベルに応じて廃棄しているそうです」
「なるほど保管しているのは機密書類ですか
それじゃ2階を見せていただけますか?」
「エレベーターがありますから、それで行きましょう。1階が作業場で天井が高く、ここの2階は普通の建物の3階の高さがありますから」
2階は建物の中央に少し広めの通路があり、その左右にいくつものドアが並んでいる。
「ここは文書保管庫ですね。ここは海抜3mもないので、洪水や津波などを考慮して2階を保管場所にしたそうです。
ええと一部屋二部屋ご覧になりますか?」
「そうですね。一応拝見させてください」
山口は一番手前のドアを開けて中に入り二人を招く。ゴミもホコリもないが、日が当たらないせいか、かび臭い感じがする。温湿度計がかけられており、そこに毎日の気温と湿度を記録している。
記録された数字を見ると気温も湿度もそんなにおかしくないから、かび臭いのは気のせいだろうか。
部屋には図書館のように書架があり、そこにパイプファイルとか紙ファイルがたくさん並んでいる。
図書館と違うのは書架の間の通路には、それぞれ金網のドアが付いており、それぞれに鍵がかかっている。
「鍵を開けて中を見ますか?」
「いえいえ、結構です。重要書類なのでしょうな?」
「そうなんでしょうねえ。みなさんの時もそうですが、所管部署の人が来た時も我々が立ち会うことになっているのです。他の部署の書類を持ち去ったりするのを防ぐためです」
「じゃあ、見るところはこれで終わりですか?」
「ええと、書庫は2階の半分しかないのです。残り半分は作業スペースです。こちらへどうぞ」
書庫らしい左右のドアを通り過ぎるとドアの間隔が広くなる。それだけ奥側は部屋が大きいわけだ。
山口はドアを開けると、中に声をかけた。
「見学していいかい?」
中からハーイという若い女の声が返ってくる。
山口はドアを抑えて横山と大柴に入るように言う。
山口は最後に入りドアを閉める。
そこでは女子高生と思しき子が数人いて、テーブルに部品を並べて袋詰めをしている。
「それは何ですか?」
「近く行われる展示会で配るノベルティって言うんですか? その詰め合わせです。
展示された製品のカタログでしょう、CSR報告書、それからお土産の文房具セットと……」
「それをそろえてこのドキュメントバッグに入れるんです。かわいいでしょう」
「何個くらい作るの?」
「1200セットと言われました」
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「うわー、大変ね
時給が良いの? こんな仕事よりコンビニとかマックの方が面白そうだけど」
「横山さん、訳ありなんですよ」
「訳アリだって、それってひどくない?」
「訳があるのが訳あり、傷があるのが傷あり、アハハ」
「ええと、お嬢さん質問してよろしいですか?」
「ハイ、何でしょう?」
「スラッシュ電機の環境方針をご存じですか?」
「さあ〜、ミナちゃん知ってる?」
「知らないなあ〜」
「横山さん、これはまずいですね。ISO規格では『組織内に伝達する』とあります。アルバイトであっても従業員ですから、周知しないとなりません」
「ええと、知らない人がいたということ記録してもらえますか。それ以上私が答えることはありません」
「なんですと、私は問題とならないようにしようと思っているのですが」
「アルバイトの女子高生が弊社の環境方針を知らないことが、重大問題とは存じませんでした。重大問題であれば、それを関西支社で見つかった問題……指摘事項とか言いましたっけ? として報告してください、
私どもは飾ることもなし、あるがままにお見せしていますから、悪いところは私どもに気兼ねなく見つけた通り報告してください」
「ええと、お嬢さん、あなたたちは採用されるとき、環境方針を教えられたとか印刷された紙を配られたとかありませんか?」
「なかったと思うわ、よく覚えていません」
「あのう〜、私たちは学校の社会勉強ということで、アルバイトすることが単位とるのに必要なのです。お金を稼ぐということでなく、そういう理由でお邪魔している立場でも、その環境何とかを覚えなければならないのですか?」
「そういうことはどうでもいいんだ。
あなたは聞いたことないですか」
「知りません」
「真面目に答えてください」
「真面目に答えています」
「知らないというのが正直な答えならそれで良いでしょう」
「それは何か法律で決まっているのですか?」
「教えてください、なんという法律なのでしょうか?」
「私が言うのだから間違いない」
「大柴さん、落ち着いてください」
「わしは落ち着いている。
間違いないと言ってるだろう💥」
大柴は女子高生が仕事している机を脚で蹴飛ばした。
机は数十センチ動いて、机上の小間物がバラバラと床に落ちた。
女子高生たちが、キャーと立ち上がって壁際に逃げてかたまる。出口側には大柴がいて外には逃げられない。
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💥![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() | ||||||
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20世紀、つまり2000年以前は、ISO審査員は天皇陛下より偉かったようだ。審査中、返事が遅いとか声が小さいと、机を蹴飛ばすとか、テーブルを殴りつけた。回答が気に入らないと、応接間によくある500gはあるガラスの灰皿が飛んだりした。
まさか灰皿を本気でぶつける気はなかったと思いたいが、万が一当たりどころが悪ければ、翌日の新聞に「ISO審査中に殺人事件」なんて見出しが載っただろう。
これ、嘘や大げさではない。私の同僚が審査終了後に「灰皿を避けたのはまずかっただろうか、避けずに当たったほうが審査員の心証が良かったかもしれない」と心配そうに呟いたのを覚えている。止めてよ!会社のために死ぬことはないよ。
注:私はISO命という男だから、ISOに関わる犯罪や事故などは聞蔵やヨミダスで相当調べた。ISO認証を命じられて悩み自殺したというケースは2件か3件あったように記憶している。
しかし知る限り殺人事件はない。もしあのとき灰皿が頭に当たっていれば……以下略
今、Googleで「ISO+認証+自殺」をキーワードに検索したら、1999年の
そういう時代を生き抜いた私は、ISO第一世代を名乗る資格があるだろう。
21世紀になるとコンプライアンスなんて言葉も流行り犯罪者になりたくはなかったようで、粗暴審査員、唯我独尊審査員、ジャイアン審査員は見られなくなった。
だが今でも規格に書いてない要求事項を騙る審査員や、自分を教師と思い込んで審査中に教え諭す審査員もいるので迷惑なことは変わらない。
本日の予告
これで終わりかって?
いえいえ。今回はプロローグです。
姉さん事件です !
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