ISO第3世代 149.研究会3

24.03.04

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但しISO規格の解釈と引用文献や法令名とその内容はすべて事実です。


ISO 3Gとは

*****

川田教授
西山 川島 古谷
磯原
休憩時間、磯原は西山に、これからの2時間半をどのように進めるか相談した。あまり一方的に話をしてもつまらないだろうし、磯原も自分にとって分かりきったことを話しても面白くない。
だから磯原の話についてでも何でもよいから、ISO認証について質問あるいは反論してもらい、討論したほうがおもしろいのではないか。
西山は磯原の提案を聞いて、うまくいくかどうか分からないが、やってみようという。社会人も多いから、どうであれさまになるだろう。

休憩後、磯原は15分ほどISO認証の現実と問題を説明して、それからは講演したことを含めて何でも質問でも反論でもしてほしいと聴講者に語って発言を待った。
実際には待つ間もなくジャンジャンと手が上がり……というかテレビ会議で発言を求める者が多数であった。
これもまた西山と打ち合わせたように、西山が第三者の発言も司会をしてくれる。


中田 企業で働いています。仕事はグリーン調達基準の作成とかその回答の評価をしています。
中田

私が業務上、疑問に思っていることがあります。
マスコミもISO認証機関も語っていることですが、ISO審査で虚偽の説明をされるから認証の信頼性がなくなったというのがあります。

先ほど磯原さんは、ISO認証は表面的だからもっとしっかりと調べなければならないということ、それには現状の審査員の力量では不足だとおっしゃった。
そのことと認証の信頼性低下は同じことなのかということがひとつ、もうひとつはISO認証を、グリーン調達の適否判断の参考にすることの是非です。

磯原 まずひとつめから考えてみましょう。
認証機関やマスコミやNPOは、企業が審査で虚偽の説明をするからISO認証の信頼性が落ちたと語っているのは私も聞いています。これについては、言った・言わないという疑問の余地はありません。

2008年に経産省が『マネジメントシステム規格認証制度の信頼性確保のためのガイドライン』というのを示しています。その中でISO認証の信頼性が落ちたと書いています。それを受けてJABが『MS信頼性ガイドラインに対するアクションプラン』を出したのが2009年、そのPart2というのが2010年に出ています。

要するに経産省も、そしてJABを含めた認証制度側も、ISOMS認証の信頼性が低下していると認識していることは事実です。そして今現在に至るまで対策によって信頼性が向上したという公表はありません。

中田 それと同じく磯原さんも認証の信頼に疑義を持っているということですね。

磯原 お待ちください。私は『認証機関やマスコミやNPOが、企業が審査で虚偽の説明をするからISO認証の信頼性が落ちたと語っている』ことは事実であると申しましたが、それが真実かどうかはまた別の問題です。私はそれを吟味する必要がありと考えています。

信頼性が低下したと言いますが、それはどういうことでしょうか?
そもそも信頼性とは何か?
信頼性も技術分野によっていろいろ定義されていますが、基本は一定の条件下で期待される役割を果たす割合ですね。では信頼性とはどのように計算するのかとなると、これもカテゴリーで異なるようです。ITでは稼働率です。システムが正常に動いている割合、言い換えるとダウンした割合を引いたものです。

ISO認証の信頼性はどのように表すのでしょうか? 私はその定義を聞いたことがありません。ISO9001とは品質保証の規格です。2000年以降は品質マネジメントシステムの規格だという声が聞こえてきそうですが、要求事項をひとつひとつみれば現在だって品質保証の規格であった1987年版とあまり変わっていません。

実は私は認証機関や審査員に、信頼性が下がっているといわれるが、それはどのような指標で把握したのかを尋ねたことがあります。
回答は指標など考えたこともないでした。
ともかくISO認証機関や審査員は、品質管理や品質保証の専門家までは言わずとも十分理解しているでしょう。そういった人たちが信頼性の定義を知らないはずはない……いや知らない振りをしているのかもしれません。

要するに経産省は信頼性が落ちて問題だといい、認定機関が信頼性をあげるようにアクションプランを作りましたといういきさつは間違いない事実ですが、彼らがISO認証の信頼性を数字で把握して、低下していることを確認したわけではないらしい。

そしてまた別の問題ですが、アクションプランをご覧になった方もいるでしょうけど、改善の指標がありません。いや指標どころか目標もないのです。何を目標に活動をするのでしょうか。

ISO審査であんなアクションプランを見せられたら、即不適合ですよ。だって規格要求に、しっかりと書いてあるじゃないですか(注1)まさかそんなことも知らないで審査しているとは思いません。
ということで私自身は、認証の信頼性が低下しているか検証しなければならないことと思います。
それは私が申した『もっとしっかり審査をしろ』ということとは無関係です。

中田 あの〜、私自身はISO認証の信頼性は下がっていると思います。

磯原 中田さん、信頼性が下がっていると思うのは、何を根拠していますか? ぜひそれを知りたいですね。

中田 煙突 最近でもISO認証企業が煙突の燃焼ガスの測定値を改ざんしたとか、重油の漏洩が起きたとか報道されています。
認証企業でそういう違反や事故が起きれば、認証しても期待される効果を出していない、それを信頼性が低いと認識することはおかしくないでしょう。

磯原 いや、おかしくありません。認証企業で違反とか事故が起きたことは事実です。
しかし信頼性が低下したかどうかは分かりません。どうして信頼性が低下したと思われたのですか?

中田 だって違法や事故が多発すれば信頼できませんよね。

磯原 中田さんに二つ質問があります。
ひとつは、信頼することと信頼性は同じ意味なのかということ
ふたつめは、今は以前より事故や違反が増加しているのかということです。

中田 ひとつめは……私が信頼できないと思ったことは間違いありません。ということは以前は私はISO認証とはすばらしいものだと思っていた。しかしニュース報道を見てISO認証は信頼できないと感じた。
ああ、私が信頼性が低下したと言ったのは客観的な信頼性ではなく、私の心の中でISO認証を信頼する気持ちが減ったということですね。それは先ほど磯原さんがおっしゃった工学における信頼性とは別物です。
うーむ……経産省やJABが心の中というか気持ちの上の信頼性が低下したというなら、それは間違っていませんね。しかしその意味なら、信頼性が低下したのは審査で虚偽の説明をしたからという理屈はなさそうです。難しいですね。

ふたつめの違反や事故が増えているのかは統計を調べれば分るでしょうけど、私は調べていませんので、それは分かりません。ひとつめで説明した心の中の信頼低下であれば、一つの事故でも何度も報道されれば人間は多発していると感じるでしょう。すると正のフィードバックでますます信頼を落としますね。


注:活動・機械・システムの出力や成果が変化したとき、それを活動などに影響させることをフィードバックといい、 PDCAのループ 促進的に影響させるものを正のフィードバック、抑制的に影響させることを負のフィードバックという。

PDCAはフィードバック機構であるが、出力を評価して良いことなら推進し、まずいことなら是正を図り、時と場合によって、フィードバックの正負が変わる。

CO2が増えると温暖化して、温暖化は更なるCO2増加を促進するという説は正のフィードバックであり、電子回路でノイズを減らすために、出力を逆相にしてインプット側に戻すのは負のフィードバックである。
最近は地球温暖化の大流行によって、フィードバックというと正のフィードバックと思われることが多い。


磯原 さすがと言っては失礼ですが、よく考えられていますね。
ひとつめですが、心の中の信頼を持ち出されると、手も足も出ません。人の気持ちを変えることはできません。
それなら経産省もJABも信頼性という語ではなく、信頼感とかにするべきだったでしょう。しかし既に信頼性という言葉が広まっているわけで、今更、信頼感だとは言えないでしょうね。

ふたつめは私も厳密には調べていません。しかし新聞報道の数などを見る限り、違反や事故が増えているとは思えません。
それと中田さんがおっしゃるように情報化社会の現代では、問題が起きると報道される回数が多いですね。弊社ではありませんが、ある都市で小規模な漏洩事故を起こした企業がありました。それのニュースはテレビ、新聞記事、その後の経過報道などを数えたら30か40件になりました。全国報道されたものになれば100回とかそれ以上になると思います。要するに露出する回数がものすごく多いから、事故や違反が多発しているよに感じていると思います。
いずれにしても、認証企業群と認証していない企業群の時系列の事故や違反発生状況を比較しないとならない。だけどもちろん経産省も認証制度側も、そんなデータを示していません。

それと重大なことですが、ISO17021では『審査は抜き取りだから100%の適合を保証するものではない』とあります。
ご存じのように抜取検査は全数良品を保証しません。抜取検査で受け入れた品物に不良品が混入していてもおかしくないですよね。第三者認証を受けた企業で事故や違反が起きても異常ではないのです。
事故や違反の報道が複数あっても、信頼性が低下しているかどうかは理屈から言えません。

経産省も認定機関も『審査で虚偽の説明をしているから認証の信頼性が低下している』と言うからには、きっと認証企業における事故や違反の発生件数を把握しているのでしょう。
それがどのような計算式か知りませんが、定義された信頼性の指標が過去より低下しているという証拠を出さなければ信用できません。
この論理に何かおかしいところがありますか?


磯原は自席の後ろに置いたホワイトボードに、自分が語った要旨を書いて皆が見えるようにした。


信頼性低下と言える必要条件
  • 信頼性の指標を定義する
  • 過去の指標と現在の指標を示す
  • 過去より現在は信頼性が低下していること
  • 審査は抜取だから、消費者危険が決められていること
  • 信頼性が消費者危険より大きいこと ホワイトボードマーカー

中田 ええと……上から考えてみると、
まず1番目の信頼性の指標ですが、指標を見たこともありませんし、それ以前に信頼性の定義を見たことがありません。
指標がないのですから当然、2番目も3番目も分かりません。
4番と5番は、審査契約に審査の消費者危険も生産者危険も取り決めていません。
そうすると板書された1〜5すべてが未知数で、私が知っているのは事故や違反があったという報道だけです。
磯原さんに言われて気が付きましたが、信頼性が低下したなんて言えませんね。まったくのガセとかウワサ話のレベルじゃないですか。

磯原 ご理解いただきありがとうございます。それでは次に進みます。
抜取検査は100%良品ではないというのは当たり前です。ご存じのように商取引において抜取検査を採用するときは、消費者危険と製造者危険を決めます(注2)OC曲線ですね。決めなければ抜取検査できません。


注:抜取検査は不良品を含むのを許容しなければならない。しかし1%不良品を含んでも良いとしても、ランダム抜取だから、場合によっては2%不良品のロットが合格になったり、0.5%不良品のロットが不合格になることもある。
消費者危険とは不合格になるべきものが合格になる確率で、生産者危険とは合格になるべきものが不合格になる確率であるが、理屈から消費者危険も生産者危険もゼロにはできない。だから契約でそれぞれ何パーセントの危険率にするかを決める。

だが、ISO審査は抜取で行うと言いながら、消費者危険(受査側危険)も生産者危険(審査側危険)も決めていない。それって統計的抜取検査の理屈以前だよね。


磯原 ISO審査するとき、認証機関と依頼した企業は依頼者危険と受託者危険(そんな言葉はない。今作った)を決めているのでしょうか。私の知る限りそんなことを審査契約に書いている認証機関はありません。
となると認証機関は信頼性を語る資格がありませんね。

中田 そう言われると、関係者は皆、感情論、思いつきで語っているとしか思えませんね。

磯原 現在発生している環境事故、環境違反は事実でしょう。そこからいえることは、ISO認証している企業においても環境違反や環境事故は起きているという事実だけです。
認証している企業での発生が、認証していない企業より多いか少ないかも分かりません。信頼性云々は、まずは信頼性を定義して、実際の発生件数を算式にぶち込んでからの話です。
私はそれを言いたかったのです。

ただ中田さんも思い込んでいたわけですが、信頼性が下がっていると報道されたとき、その証拠を示せと言う人がいなかったのか、それが大きな疑問です。
ISO審査員には抜取検査に詳しい人もいるでしょうし、論理的に考えられる人もいるでしょうね(皮肉だよ)。

もうひとつおかしなことをあげます。
ISO認証の信頼性が低下したと騒ぎになったとき、某消費者団体が『私たちは裏切られた』『騙された』と言いました。
私はその事務局に問い合わせました。貴団体は今までISO認証している企業を信用していたのか、認証企業を優先して買いましょうと会員に推奨していたのかと、
そんなことを言ったことがないという回答でした。おかしいと思いませんか?
今まで褒めていたとか推薦していたなら、違反をしたとか事故を起こしたなら『裏切られた』という論理は分かります。『法を守って運転している』とNPOが信じていたなら『騙された』というのも理屈は分かる。
だが今まで推薦もせず、讃えることもせず無視していないなら、理屈から言って『私たちは裏切られた』『騙された』と発言する権利はありません。そう騙るのは詐欺師です。

中田 ごもっともです。

磯原 ISOに関わっているものとして、そういう非論理的な発言や報道には疑問を呈すべきでしょう。

西山 磯原さんは過激ですね。

磯原 そうでしょうか? 事実でないこと、詐欺的といって悪ければ根拠のない思いつきを語ることは悪いことです。昔、取付騒動(注3)が起きたことがありましたね。悪意のないことを語っただけで、企業倒産とか起こすこともあるのです。まして噂話でなく、公式な発言、表明は確固たる根拠を示して語るべきです。悪意がなくても泣く人がいるのです。
水に落ちた犬は打て的(注4)な発言で、ISO認証の価値が貶められたわけですから、真面目にISO認証に取り組んでいるあなた方、そして私は怒る資格があります。

西山 すごい人ですね、磯原さんは、

磯原 私たち、日本中で公害防止や環境管理に携わっている人たちが、いわれなき誹謗中傷を受けたのです。私は自分の仕事に矜持をもっています。冤罪をかけられて黙ってはいません。

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清野 H電気でISO事務局をしている清野です。御社の技報ではISO規格の翻訳にも問題があるということですが、どんな語句とか文章が誤訳なのでしょうか?

磯原 思い付くのをいくつかあげましょう。6.1.3順守義務という項番があります。その冒頭に『組織の環境側面に関する順守義務を決定し』とあります。
清野
これっておかしいと思いませんか?

清野 翻訳は間違いないと思います。おっしゃることが分かりません。どこがおかしいのですか?

磯原 『組織の環境側面に関する順守義務を決定する』とは、私には、順守しなければならない法規制を決めなさいという風に読めます。清野さんはどのように理解しますか?

清野 環境側面に関わる法律を調べて、どんなことが関係するか、順守しなければならないかを決めなさいという……トートロジーみたいですが、要するに現行のJIS訳そのままとと思います。

磯原 私は初版時代のISOに関わっていませんでしたが、担当になったとき初版と2004年版そして2015年版をじっくりと読みました。以前と大きく変わった2015年版では、翻訳者たちは『determine』を『決定する』と訳すると決めたそうです(注5)
日本語で『決定する』ってどんな時使いますか?

清野 お昼に何を食べるか決めるとか、服を買うときどれを選ぶかとか……ええと良い悪いを決めるとか、いくつかの中から選ぶとか……そういう意味ですね。

磯原 私もそう思います。要するに決定者がいて、その人の意思というか裁量で物事を決めることかと思います。それでよろしいですか?

清野 なにかひっかけ問題のような気がしますが、それで良いとしましょう。

磯原 ところが原文のDetermineは決定するではないのですよ。英英辞典を引けば、
1.to find out the facts about something
おばQ訳:何かについての事実を知ること
2.if something determines something else, it directly influences or decides it
おばQ訳:何かを決めることにより、それが他の何かに影響すること
とあります。


注:青字は英英辞典の記述を示す。


磯原 日本の法律で『決定する』という言葉を使う場合は、例えば閣議決定のように内閣とか行政機関の裁量で決めるときです(注6)そして外部の条件によって対応が決まることには『決定する』という語を使いません。

清野 ええと……どういうことでしょう?

磯原 日本語では『決定する』という言葉は、意思・裁量で決めるときに用いるということです。
そして私が調べた中では、外部の影響とか置かれた条件によって決まってしまうことに『決定する』という言葉は使っていません。
但し調査結果 火災原因が判明したときに『火元は○○と決定された』という表現をします。この場合は特定されたという意味で、意志とか裁量ではありませんね。もっともこの場合は受身形であって、本当の主語は調査結果でしょう。

清野 といいますと?

磯原 自分の会社は、どんな法律が関わるかを調べた結果、該当する法律が分かったことに『決定する』という語を使うことは、日本語としておかしいということです。原語であるDetermineとは意味が変わっているのです。

清野 ええと、磯原さんがおっしゃりたいのは、環境側面に関わる法律は調査した人あるいは会社が決められるものじゃない、必然的に決まるものだということですね?

磯原 その通りです。どちらにしても実質は変わらないと思われるかもしれません。ですが例えば審査における応答を考えると全く違います。
審査員が『どのようにして、この法律が関わるか決定したのですか?』と聞かれたときどう答えましょう?
私なら『法律に書かれているから該否は必然的に決まる』としか答えようがありません。

実体験ですが『あなたが該当すると決定したのですね』と聞かれました。
審査員は誰か権限のある人が決定する必要があると考えているようでした。その審査員は『決まってしまう』ということを理解できなかったのです。規格を読めば日本語で『決定する』とありますから、その解釈は間違いでもないですね。でも法律の該否を私たちが決定できるはずがありません。決定できる人は裁判官と行政の担当官だけです(注7)
もちろん法律に詳しい人が確認するとか、第二者が検証するとかというステップは必要かもしれませんが、法律が関わるか否かは誰かが決定するというものじゃありません。不明点があれば、行政に相談するしかありません。

清野 はあ〜、磯原さんはそういう細かいことを考えているのですか?

磯原 細かいですか、私には些事でなく非常に重要なことだと考えています。
先ほどの審査の場合、環境側面に関わる法規制の該否を決定する決裁者を定めた文書の有無が問題になりました。それは規格で『順守義務に関する文書化した情報を維持しなければならない』とありますから、審査員は該当する法律を決める人の決裁権限を何で決めたのかを確認するわけです。
清野さんのところでは、そういう審査はなかったのですか?

清野 正直言いまして、私はそれほど細かいことにタッチしていません。

磯原 そうですか。あまり細かいことを気にしないなら審査の問題を知らないのかもしれません。これは嫌味ではありません。
おっと、順守評価の前の項番に環境側面がありました。ここでも『組織が管理できる環境側面及び組織が影響を及ぼすことができる環境側面、並びにそれらに伴う環境影響を決定しなければならない』という文章がありました。ここでもdetermineが決定すると訳されています。
こちらの方が間違いというかおかしいことが分かりやすいですね、環境側面は人の意思で決定できるでしょうか?

清野 私の会社ではスコアリング法(点数法)で、点数が決められた点数より大きいものを著しいと決めています。

磯原 それじゃ弊社の技報に書いてありましたから、スコアリング法の無意味さというのをお読みになったでしょう?

清野 はい、もちろん。それについても質問しようと思っていました。

磯原 廃棄物の点数と電力の点数の整合性があるものなど見たことがありませんが、まあスコアリング法についてはのちほどとして、スコアリング法であろうがなかろうが、環境側面を人が決定できるのかどうか考えましょう。

先ほども述べましたが日本語の決定とは意思……好き勝手という意味ではありませんよ、種々の条件下において最善を選択する裁量と言い換えましょう、そういうスタンスで環境側面は決定できるものでしょうか?

清野 電気でも水でも最初から該当すると分かっていて、説明するために点数を計算してるだけというのは正しいですね。そういう意味では決定しているのではなく、決定したように見せているだけです。

磯原 うわべはともかく、スコアリング法を採用している会社は、すべてそう考えているでしょうね。
そう考えても、Determineを決定すると訳したのは誤訳でしょう。

清野 確かに『決定は』できませんね。だけど附属書のA.6.1.2などをみれば矛盾のない一貫した基準手順を必要としています。そこを裏付けるためにしょうがないステップです。

磯原 そして『環境影響の評価では著しくなくてもその他の基準を考慮すると著しいかもしれない』とも言っていますね。笑ってしまいます。こういういい加減な理屈では何が何だか分かりません。そしてスコアリング法ではだめということになる。

清野 えっ、その文章からはスコアリング法がダメとは読めませんよ。

磯原 私にはスコアリング法で点数が低くても著しい側面であることもあると読めます。

清野 ならばスコアリング法のフローに、法規制や過去に事故が起きたものを加えるとかすればいいじゃないですか。

磯原 例外が多い規則や方法は、不適切なのはもちろん正しくないのは間違いありません。ということは、スコアリング法は論理的でもないだけでなく、実用的でもないということです。
ならばスコアリング法など打ち捨てて、法に関わるものと事故の恐れのあるものを著しい環境側面とする方法が妥当ではないですか(注8)

実を言って弊社では著しい環境側面など評価も決定もしていません。過去より法規制を受けて手順書を作って管理しているものと、事故が起きたものや起きるリスクがある作業・設備などをしっかり管理しています。審査のときは、それらが著しい環境側面であると見せているだけです。
おっと弊社内では著しい環境側面なんて言葉は使っていませんよ。

清野 それは……また、いい加減な方法じゃありませんか? 強弁しているだけでしょう。審査側は仕方がないと思っているんじゃないかな?

磯原 いい加減な方法でしょうか? 私どもの方法こそ、現実的な意味がある最適な方法であると考えます。
IBM社は環境経営とか環境優良企業と知られています。しかしIBM社も過去には半導体洗浄液の漏洩などを起こしたこともあります。彼らは発生した事故や違反を二度と起こさないという是正処置をしてきたそうです(注9)その結果、ISO14001が現れる前に環境優良企業として知られていました。
予防処置が本当に実行可能なのか分からないとISO14001の重鎮 寺田博さんが語っていましたよ。

弊社は過去より、そういうものに手順書を作り教育して日常管理をしてきたということです。その方法が間違いなら、今までに事故や違反が起きていたでしょう。

清野 それは悪魔の証明になりますね。

磯原 神や悪魔ではない人間には、できることとできないことがあります。でも手をこまねいているのでなく、人事を尽くして天命を待つというのもひとつの道です。私たちは先ほど申しました方法を認証機関に説明し、それでOKであるという見解を引き出して適用しています。それだけでも大変手間暇かかりました。でも、それが正しい道と考えれば、そうする意義があると判断したのです。

御社を含めてスコアリング法を採用しているところは、皆それは矛盾だらけと知っていて、法に関わるものと事故の恐れのあるものを著しい環境側面になるように、係数とか頻度とか調整しているだけです。
欠陥と思いながら環境側面をスコアリング法で決めいることは、人事を尽くしていないと思いますが、いかがですか?

清野 まあ、あなたは嫌われる上司になりますよ。もう既に魔王とか呼ばれているかもしれませんが。
とはいえスコアリング法の不適切さを理解しても、対策していない私たちは怠け者か勇気がないのかもしれませんね。

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大山

大山 T印刷の大山です。ISO審査で、磯原さんはまずは不適合を指摘されるのを待つという姿勢のようですね。本来は規格要求をいかに満たしているかを説明するものと思います。

磯原 あのですね、裁判とは被告人を裁くのではありません。検察を裁くのです。
検察が有罪とする法的根拠と証拠をあげて有罪判決を求めます。裁判官は提出された根拠と証拠を審査します。
被告人のすることは無罪を立証することではなく、検事の提出した根拠か証拠を否定することです。

同じくISO審査では、審査する側が不適合である要求事項と不適合である証拠を出して不適合だと主張します。その理屈を忘れてはいけません。
ISO審査で受査側が適合だと証明することはできません。先ほど清野さんが言ったように、それは悪魔の証明です。
裁判で被告人が有罪とする証拠を否定するように、我々も不適合と言われた証拠を否定することしかできません。

大山 そうなんですか? 私のところに来る審査員の皆さんにはパターンがありまして、規格要求○○を審査します、○○の要求事項にどう対応しているか、説明してくださいと言いますね。

磯原 弊社の審査でも、過去の審査はそうだったと聞きます。
もう4年位前かな、私どもはそんな審査じゃだめだと、プロセスアプローチで審査ができるかと認証機関に問い合わせ、できるという回答を得ています。
ですから規格要求○○への対応をどうしているかという質問は来ません。質問されても対応できません。

清野 えっ、そんなのありですか

磯原 アリですかと言われても、これって審査の鉄則ですよ。それに疑念を持たれては話が進みません。
審査で規格要求から質問を始めても、弊社ではISOの教育をしてませんから、一般社員は答えようがありません。
『環境方針がありますか?』と聞かれても環境方針がありません。だから規格にある環境方針という言葉を使って質問する代わりに、別の言葉とか切り口で聞いてもらわないと審査が始まりません。

大山 環境方針も教えていないのですか?

清野 環境方針がないなら明確な不適合、重大問題でしょう。

磯原 ISO規格をお読みになっていると思いますが、環境方針という名称のものがなければならないとはありません。
規格では環境方針というタイトルの項番になっていますが、実際は規格に書いてあることを満たせば良いのであって、環境方針というものでなくても良いわけです。

大山 では環境方針と言いう名前でなくても、別の何かは作っているのでしょう?

磯原 いえ、ありません。弊社では社長方針に品質も環境も情報セキュリティも安全もいっしょくたです。
環境方針という名称でなければならないとISO規格は要求していません。

そうだ、そういえば、附属書Aに『組織が用いる用語をこの規格で用いている用語に置き換えることも要求していない(附属書A.2)』とありましたね。私どものしていることは、まさに規格とおりですよ。
しっかり規格を読みましょう。

名称は年頭の挨拶でもよし、社員心得という名称でもよし。安全第一とか売上を伸ばそうとかと一緒に書かれていても良いのです。

大山 うーん。確かに私もそう考えているのですよ。そもそも環境方針では環境は他より優先するといい、品質方針では品質は何よりも優先するなんておかしな話です。

清野 私は全く理解できません。素直に環境方針を作り、従業員に周知すれば良いでしょうに。
単純なことをなんで難しくしているのかしら?

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大山 磯原さんのところでは、手順書のタイトルは規格項番とは関係ないのでしょう?

磯原 大山さんの今のご質問はツッコミどころが多々ありますね。そう即答する私も、泥臭いことをして来たから言えるわけですが。
まず手順書とは法律など公用文では、会社内のルールを決めた文書の一般名というか範疇語はんちゅうごです。ですから法律で手順書を作れ、まあ法文は『手順を定めること』となりますか、それは手順書という名称の文書を作ることではありません。その会社が社内に強制力のある文書でその手順を定めよということです。


注:範疇語はんちゅうごとはカテゴリーを示す言葉。
自動車は、乗用車、トラック、バスなどを含めた範疇語である。会社によって会社のルールを決めた文書を規定、規程、規則など種々の呼び方をしているから、それらの総称として手順書と呼んでいる。
手順書と聞いて、従来からの規則とは別に、ISO向けに<手順書>という名の文書を、一生懸命作成していた会社をいくつも知っている。

蛇足であるが、「規程」は名詞で「規定」は動詞らしい。よって文書の名称は「規程」でなければならないという会社もある。ちなみに「きていできていする」をMSIMEはデフォで『規程で規定する』に一発で変換する。逆の『規定で規程する』は熟語ごと変換しなければならなかった。

蛇足を重ねると、今はなき大手音響メーカーでは、上位の規則を『規程きほど』、下位の規則を『既定きさだ』としていた。間違えないように、わざわざ『きほど』『きさだ』と呼び分けていた。大儀ごくろうである。


磯原 弊社では社内のルールは『会社規則』という名称の文書体系を定めています。ISO規格ができる100年くらい前からですね。ISO規格が表れても、会社の文書体系を変えるつもりはさらさらありません。

御社で会社のルールを『規定』という文書で決めているなら『○○規定』という文書を作ることになります。
もちろん、環境管理でも資材調達でも過去から手順書なり会社規則なり規定なりがあるはずですから、わざわざ『○○手順書』を制定するのではなく、過去から存在する『規定』の中にISO規格の要求事項を織り込むことになります。
おっと、それは御社の規定ではISO規格要求を網羅していない場合であって、旧来からあるもので十分なら何もしないで問題ありません。

大山 すると項番のタイトルと手順書のタイトルは違うことになりますか?

磯原 大山さんは冗談を言っているのではないでしょうね?
規格項番と手順書のタイトルを合わせることに意味がありますか? そもそも項番の数とも要求事項の数とも手順書の数は全然違うでしょう?

まず過去からある手順書を引用するなら、元々のタイトルを変えることないでしょう。ISO規格の序文にも『組織の全体的なマネジメントシステムに組み込むことによって(中略)効果的に取り組むことができる(序文0.3成功のための要因)とあります。これは項番ごとに手順書を作れとか、新たに作れということではなく、従来から存在している業務のプロセス対応の手順書に、要求事項を織り込めということです。

大山 審査員によっては、規格項番を決めている規定は、タイトルを規格項番と同じにした方が分かりやすいと言います。

磯原 うーん、そりゃ審査員の力量が心配ですね。いや正しく言えば審査員失格ですよ。
単にそれは審査員が楽をしたいからでしょう。自分が知りたい順序に会社の文書が作られていれば、審査が何も考えずに楽に早くできるからとしか思えません。そういう手順書を従業員が見て仕事ができるのかを心配してしまいます。
手順書とは審査員が読むものではなく、仕事する人が読むものですよ。

弊社ではそもそも従業員にISO教育をしていません。ISO規格も知らないし、まして規格項番なんて知りません。余計なことを覚えることはありません。従業員には、QCDだけを必死に考えてほしいものです。

清野 ISO教育をすればQCDが良くなりますわよ。

磯原 それはないです。ISOを教えるのではなく、具体的な手順や基準まで展開しなければQCDは良くなりません。
清野さんの会社に従業員は2万とか3万人いるでしょう。従業員一人当たり1時間1万円稼がなければならないとして、ISO教育を毎年30分したとすればその人件費は1億とか2億になる。それを回収するには売上を100億くらいあげないとならないでしょう。
ISO認証は、それができますか

それに自分の会社の仕組みを、審査員の嗜好で変えられたんじゃたまりません。
文書の書き方、記録の様式、手順、そういうことは長年の試行錯誤による改良の結果であり、その積み重ねで今があるわけです。それを一見の審査員に、いちゃもんをつけられたり修整を求められては大いに困ります。

清野 なにか磯原さんはけんか腰ですね。

磯原 そうですか。私は先輩諸氏が長年の経験の結果作りあげた会社の仕組み、そして自分も汗を流して作った手順を、正当な理由なく悪くしたくありません。仕組みを悪くするということは、仕事の効率を落とし、ミスを招き、無駄に費用が掛かることです。
清野さんだって、審査員が楽するより会社の利益が増えて賃金が上がったほうが嬉しいでしょう。

規格や翻訳のあいまいさ、また審査員の嗜好によって、会社の仕組みの見直しを要請されたら、拒否するのが従業員の使命です。

清野 磯原さんの仕事への拘りはすごいということは分かりました。

磯原 拘り、そうです、私は仕事に拘ります。仕事の合格点が70点でも、常に100点を目指します。少しでもリファインしようと常に頑張っているつもりです。
この場にいる企業の方は皆さんは間接部門で働いているでしょう。間接部門の仕事は直接部門へのサービス提供です。現場の人が働きやすいようにするために存在しています。
私が要領書とか会社規則を作るとき、少しでも手順が簡明にする、少しでも分かりやすい誤解しにくい明瞭な文章、そういうものにしたいと考えています。また法改正の説明をするにも、分かりやすく間違いないものを提供しようと考えてます。その結果、現場で仕事が分かりやすく間違いが起きない、それができれば素晴らしいことです。
そういう信念で作っている会社規則や要領書を安直な考えで修正を求められても即OKはできませんね。
相手の提案が真に効果があるのかは検証しないと、

ですから自分が一生懸命に考えた企画とか作成した会社規則を上長に出して、修正を求められたとき、妥当なものと思えなければ、相手を説得しようとしますよ。
地位が高ければ視野も広いと思いますが、反面その仕事を1週間あるいは半月してきた者の方が考えは深いはずです。

相手が審査員でも同じです。自分が法律を調べ、過去からの経過を調べ、これが最善だと考えて作成した規則を規格に合わせなさいと言われたら、そりゃ拒否するしかありません。
鮮明・不鮮明
良くいるんだよね
文章が分かりにくいか
ら不適合っていう輩が
実際にいますよね、この文章は分かりにくいから規格要求を満たしていないなんて言う審査員が。規格要求はlegibilityであって、plainとかunderstandableではないのにね、
そういう審査員に当たると、正直言って追い出したいところです。

清野 まあ、ご冗談を

磯原 冗談ですか……、私は本当のことしか言いません。私が語ったことは仮定のことはなく、すべて現実です。問題が起きれば、審査員と激論、らちが明かなければ認証機関の幹部、取締役とかとひざを突き合わせて談判してきたのですよ。決して冗談を語っているわけではありません。

それはそれとして、翻訳で疑問なのはdetermineだけではありません。いろいろありますが、Awarenessなんてのもありますね。Awarenessの翻訳は『自覚』とか『認識』とか変わりましたが、その意味するところが正しく伝わっているかとなると、はなはだ疑問です。

おっと私は英語は全然ダメです。しかしダメでも考えなければならない。だから英英辞典を引く、英語に詳しい人に聞く(注10)ネットでアメリカやイギリスでどんな意味に使われているかを見てます。
日本語の自覚というと、自分のことをしっかり認識しているかというニュアンスかと思います。認識とは何ものかを把握することですか?

大山 原文のAwarenessは違うのですか?

磯原 違うようです。Awarenessとは何かを常に注意しているという意味合いのようです。つまり教育すれば認識したということではなく、機械の運転状況を常に注意して見ているのがawarenessらしい。

大山 へぇ〜、確かにISO規格の自覚とは、そういう深いというか重大な意味があるとは思っていませんでした。

磯原 ISO規格が適正なものなのか、翻訳は原文の意を伝えているかを確認することは重要です。それによってあなたは会社の費用を大きく削減できるかもしれないし、なによりもISO規格の本意を実現できる。
知らずにいれば審査員の言うままに無駄を増やし会社の仕事の効率を大きく落とすこともあるかもしれない。それを私は体験から学びました。

いまだ理解できてないものもあります。5.2環境方針に『環境目標設定のための枠組みを示す』とあります。この『枠組み』とはどういう意味でしょうか?
一般的な意味なのか、ポーターの語るframeworkなるものか、まだ分かりません。

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金子 M2の金子です。磯原さん、そうすると認証するか否かは、その組織が認証によって何を期待するかで考えることですね。
金子

磯原 突き詰めればその通りです。私は自分の勤め先ではメリットがないと考えていますが、会社を改革するとか人を動かすきっかけにしようと考えても、悪いことではありません。

ただ常に費用対効果を考えなければなりません。営利企業はもちろんですが、非営利組織においてもお金は効果的に使わなければなりません。ISO認証より、より良い方法がないか考えるべきです。いずれにしても認証は目的ではなく、手段にすぎません。

金子 持続可能性というとあいまいですが、遵法と汚染の予防を進めるにはこれしかないのでしょう?

磯原 いやいや、ISO規格の序文にISO規格は有用であると書いてあっても、そんなこと立証されていません。だからそれを信じる義理はありません。

公共サービスという言葉があります。警察、消防、道路といった費用は税金で賄います。私たち国民は、それをただで利用することができます。法律を知りたいとか過去の事故の状況そしてその予防をどうするかということは、市役所とか監督官庁が教えてくれます。

企業で働いていると分かりますが、法律が改正になると市役所とか県庁から企業に、法改正の説明会をするから出席しろという案内が来ます。もちろん無料です。商工会議所が開催することもあります。
先ほどご質問された川島さんは市職員ということですが、ISO認証の支援とか説明とかされているわけです。

ISO認証しようと決めた多くの企業は、官報をとったり(株)日〇法令と契約したりしますね。あれって無駄ですよ。そんなことしなくても、市役所、消防署、県庁を歩き回れば間に合います。
言い換えると、普段から市や消防署などから案内が来たら必ず聞きに行っていれば、ISOだからとわざわざ法律を調べる必要はありません。
演繹すれば、ISO認証などしなくても、普段から当たり前のことをしていれば遵法と汚染の予防を達成できています。

金子 はあ〜、そうなんですか?
でも漏れることありませんか?

磯原 企業経営において環境だけが重要ということではありません。品質、安全・衛生、税法、民法、守らなければならないことはいろいろあります。企業はすべてにおいてミスなく、事故を起こさずに事業を進めていかなくてはならないという責任があるのです。環境について遵法と汚染の予防をすればよいというものではありません。

しかしこの日本では、どんな法律でも、制定とか改正されると、県や市あるいは商工会議所から説明会の案内も来るし、パンフレットも送られているはずです。そういうのをしっかりとチェックして該当するかしないかを確認し、対応していれば何も問題ありません。

くどいですが企業にとって環境とそれ以外の法規制、税金と安全などと優先がつけられるわけではない。常にすべてを問題なく進めていかなくちゃいけません。
環境事故を起こさず違反もしなくても、廃棄物契約書の収入印紙の金額が不足ですと追徴もありますし、問題が大きければ報道もされます。会社名が全国報道されたら恥ずかしいですよ。もちろん印紙金額不足は脱税で犯罪です。

金子 良く分かりました。
ところで環境が第一と叫ぶ人が多いですが、それはどうしてですか?

磯原 お金になるからでしょう。納税を忘れるなとか、安全が第一と叫んでも、当たり前すぎてお金になりません。環境が流行でお金儲けができるなら、それを活用するのもありでしょう。
SDGsバッチ 最近は環境の流行も過ぎて、SDGsとかになったようです。皆さんバッチをつけて信仰していることを表明していますね。

これからもいろいろな流行があるでしょう。企業でも家庭でも、常にそれが必要か、費用対効果が良いのかを考えるべきですね。環境だけでなく何事であろうと、自社が過去からしっかりやっているなら、改めてなにかをしなければならないわけではありません。

金子 磯原さんは自分の仕事、そしてお勤め先の会社に自信をもって仕事をしているのですね。

磯原 自分のしている仕事に自信がなくちゃ生きがいもないでしょう。同時に同僚を信頼できずに仕事はできません。

金子 おっしゃること良く分かります。単なる知識だけでなく、そういう自信がなければここでの質疑応答はできませんね。

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西山 磯原さん、お話と質疑応答、ありがとうございました。
生々しいというか、ドロドロというか、実際の審査をお話しいただき聴衆されている方々に現実を知っていただけたかと思います。
若干時間がありますので、川田先生、磯原さんとお二人で懇談というか討論と言いますか、意見交換はいかがでしょうか?

川田教授 私自身、ISO審査員の登録をしており、年に数回認証機関のご厚意で審査に参加させていただいております。しかし磯原さんのおっしゃるようなチャンチャンバラバラとか、激しい応答といった場面に立ち会ったことはありません。
参加させていただく審査では、いつも株主総会のように一切問題なくシャンシャンと進みます。磯原さんの話から、企業側も審査員が期待しているものを用意していると気づきました。
やはりイベント化した審査をいくら見ても現実は分かりませんね。

しかし磯原さんのスタンスは、ISO認証で会社を良くするという考えはないようですね。ただ現状を見せて納得してもらうという考えのように受け止めました。
それでは認証の効果がないのではないかという思いがしました。

西山 磯原さん、川田先生のご意見に対して磯原さん、いかがでしょうか?

磯原 ISO認証との意義は何かとなりますと、若干古いですがISO/IAFが出した、共同コミュニケ(注11)というものがあります。それによれば『(認証は)審査登録した組織がISOMS規格に適合していることが期待できることを証する』というものです。
ISO認証の意義はそれだけです。組織を良くするとか、改善のヒントを与えるとか、改善につながる効果があるとは言っていません。

それに、ISO17021-1では審査に限らず認証機関もその要員も、アドバイスや指導をすることを禁じています。もし皆さんが外交辞令であっても審査員にご指導を頂いたなんて言えば、審査員が迷惑しますよ。

それに企業は一年中、売上拡大とか生産性向上のために、効率化・原価低減・力量向上などに工夫・改善をしているわけです。
そこに一見いちげんの審査員が1日2日見て、我々の知らない問題を見つけ改善策を提案できるとは思えません。経営コンサルタントだって何日も何か月も現状調査から改善案の策定、試行となるわけで、それでも成功するとは限らないわけです。世の中そんなに甘くありません。

ですから企業側は、ISO審査で会社が良くなると期待しておりません。ただ規格要求に適合しているか否かを見てもらうと考えるのが当然でしょう。私どもはそう考えております。
川田教授

川田教授 なるほど、しかし世の中ではISO認証は会社を良くするためと思っているようだ。実際に認証機関はそういう説明をしている。

磯原 もしそのようなことを認証機関が公に語っているのであれば問題になりますね。そもそもIAF、ご存じと思いますが、各国の認定機関の団体ですが、それはそのようなことを語っていません。
口頭ならともかく、文書とか営業活動でそういうことを語るのは問題でしょう。

川田教授 だが……そのようなメリットを語らないと、認証にはどんなメリットがあるのだろう?

磯原 メリットなどないのかもしれませんよ。というか、私どもは認証によって得るものはないと考えています。

川田教授 じゃあ、認証するのは何のためだろう?

磯原 元々はISO規格に基づく、いや規格に基づくことはできませんから、ISO規格を満たす環境マネジメントシステムがあれば、持続可能社会を作ることに貢献するという発想じゃなかったのですか? いや元々は遵法と汚染の予防を達するための手段であったはずです。

川田教授 なるほど、遵法と汚染の予防が真の目的ということか。
ところでISO規格に基づくのはできないとはどういう意味ですか?

磯原 ISO14001は仕様書要求事項であり設計図ではないからです。これこれを満たせというだけで、どのようにするかを規格は示していませんから、規格に基づくことはできません。企業は規格をいかに満たすかを自分が考えるしかありません。

川田教授 そう考えるとそもそもISO規格あるいはISO認証で、会社を良くすることはできないことになるのか?

磯原 レベル以下の会社であれば、ISO認証すればISO規格を満たすわけで、良くなるかもしれませんね。
とはいえISO規格を満たしたところで世間並みのレベルになるということです。

川田教授 ええっと

磯原 規格要求のレベルは理想ではなく最低水準だからです。ご存じありませんでしたか?
話を戻しますが、遵法と汚染の予防を実現するのが、そもそもISO14001の意図だったはずです。
しかしISO認証企業と認証していない企業の、違反や環境事故の差異があるという研究論文を見たことがありません。要するに認証の効果とか定量的に調べた調査もない。信頼性の低下とか費用対効果を議論する以前なんです。
ISO認証は意味があるのかというのが私にとって最大の疑問ですね。

川田教授 うーん、院生に認証の効果を調べさせたいね。

磯原 ぜひともお願いします。修士論文には十分値しますよ。ただ、10年位前にだったらよかったでしょう。今となっては時期遅れかもしれません。
でもいかなる結果になろうとも、日本初のISO認証効果の定量的評価という名誉を得ることができるでしょう。



うそ800 本日の言い訳

ちょっと出し物が少ない気がします。言いたいことは多々あるわけですが、文字数も限られているし(と言いつつ今回は2万字にわずかに足りないだけだ)、書きたいことは多々あるのですが、趣旨は伝わるだろうと端折りました。

この場は小説もどきということで問題点の議論はいくつか例を挙げたとご理解ください。
今回の焦点は、パターン化された規格の解釈、バカバカしい環境側面の決め方、ISOやれば会社が良くなるという信仰、そんな人が21世紀にもいるという禍々しい不愉快でいまいましい現実を叩きたいということです。
清野清野さんには、その悪役を担ってもらいました。

ここに書ききれなかった規格の問題、翻訳の問題、審査の問題はまた別の機会に……


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注1
ISO14001:2015 6.2.2に下記の記述がある。
「実施事項、必要な資源、責任者、達成期限、結果の評価方法、これには測定可能な環境目標の達成に向けた進捗を監視するための指標を含む」

注2
詳しくは計数規準型抜取検査を勉強しよう。私は30年も前のことで忘れた。
JISZ9002〜JISZ9009辺りを読んでもらうとよい。

注3
1973年12月に愛知県の豊川信用金庫で取り付け騒ぎが発生した。女子高生たちの冗談から豊川信用金庫が危ないとの噂が広ったのが取り付け騒ぎの原因となった。
豊川信用金庫は問題なく、現在も営業している。

注4
「不打落水狗」とはもともとは中国の成句で「水(川)に落ちた犬を叩くな」という意味で、「既に勝負がついた相手に対して、更なる攻撃をしてはいけない」と礼儀を示したことわざだそうだ。
それを魯迅が「打落水狗」と論旨を逆にして使い、「水に落ちた犬は叩け」として、敗れたり、弱ったりした相手に追い打ちをかけるという意味につかったそうだ。
近年日本でも有名人が犯罪やスキャンダルに関わると、大勢で叩く風潮になり使われるようになった。

注5
ISO14001:2015の附属書AのA.3の終りの方(対訳本p.157)にdetermineを決定するに翻訳した経過の説明がある。

注6
お前は何を根拠に…と言われそうだが、「決定」という語を使っている法律を100本くらい調べた。それを根拠にして申している。

注7
法律の解釈を決めるのは裁判官だけである。裁判に至らないことについては、行政の担当者が判断する。
立法した国会議員であっても、法の解釈を決めることはできない。もし立法者が裁判官の判断(判決)を、それは本来の意図ではないと思うなら、法律の文章が稚拙であったということになる。制定法主義とはそういうことだ。
弁護士は法を理解する知識と技能はあるだろうが、法の解釈についての権限は一切ない。

注8
実はこれ老舗の認証機関BV社が勧めていた方法である。
「環境マネジメントシステムの構築と認証の手引き」、土屋 通世・原田 伸夫、システム規格社、2000

注9
「IBMの環境経営」、山本和夫他、東洋経済新報社、2001

注10
私の住むマンションに自営で翻訳業をしている人がいる。分からない時は聞く。彼は契約書専門というので規格翻訳には詳しいと期待する。

注11



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