*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但しISO規格の解釈と引用文献や法令名とその内容はすべて事実です。
某日午前中、磯原はワークフローを眺めてひたすら承認ボタンを押している。
以前岡山がいたときは、決裁伺いの中に、実験器具の購入とか同窓会に参加するための出張伺いとかジョーカーを混ぜ込んでいて油断できない。
しかも、いくら注意しても懲りないのだから呆れる。
今のご老体トリオはそんなふざけた真似はしない……しないのだが工場の知り合いから頼まれると、本社と関係ない工具や計測器を購入して、無償貸与したりするから油断できないのは変わりない。
工場の部門費で買うべきものを、なんで本社が買って差し上げるのかと憤るが、それだけではない。社内ならともかく、関連会社だと利益供与なんてことになるので大変だ。しっかりチェックしなければならないのは同じだ。
磯原が怪しい、いや真っ黒なものを見つけて、力を込めて却下ボタンを押していると、脇から声がかかった。
「磯原さん、お忙しそうね」
「ああ、広報の広瀬課長、貧乏暇なしです。直々に来られるとは何事かありましたか?」
「何事ってことじゃないけど、ちょっとお話しできる?」
「大丈夫ですよ。ここでよろしいですか、内緒話なら会議室ですが?」
「じゃ、会議室で」
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「小耳にはさんだんだけど、スラッシュ電機グループ全体でISO14001認証返上が終わったんですって?」
「いやいや、まだグル−プ全体では完了していません」
「状況を教えてもらえる?」
「まだ返上してないのは建設業関係ですね。当社グループのメインは、製造業、卸売・小売ですが、それに付帯して、運輸、通信、警備、不動産など多々ありまして、建設業もあります。
建設省の工事入札時にISO認証していると加算点が付くというので、認証しているとビジネス上有利とされています。
建設業といってもグループ企業では実際に官公庁の工事などめったにありませんので、返上しようと考えたのですが、簡単にいきません。というのは認証が始まって四半世紀も経って、あるのが当たり前という認識になってしまっていました。
ですから真に必要か、止めても良いのでは、という疑問を持たせることから始まったのです。
そして本社からグループ各社に、認証を強制しないこと、各社が必要か否かを判断して見直ししてほしい旨の通知をしたのが2年前でした。その結果、本体の工場と本社・支社そして多くの関連会社は認証を止めてしまったのだけど、販売会社はモノを売るだけでなく据付工事込みで受注することもあり、工事は外注するにしても元請になるには建設業の許可が必要です。それでISO認証を止めないところも多々あります」
「建設業ってISO認証が必要なの?」
「必要じゃありません。ただ官公庁の工事なら入札時に加点がつくというメリットがあるのです」
「でも建設業のISO認証件数なんて2005年頃がピークで、それから減る一方でしょ。今じゃ3,000件(2023年6月時点)もないわ。最盛期の2割を切ったのよ。もうISO認証がなくても問題ないじゃない?」
製造業のISO認証が一段落というか勢いがなくなったとき、これからは建設業の認証が…と言われたけど、建設業のISO認証も2006年には終わっていたのが分かる。というか、建設業の認証ブームがなければ、ISO認証件数のピークは2006年ではなく2000年頃だったのだ。 建設業のISO14001認証件数推移が見つからなかったので、図は古いJABの講演会のパワーポイントから借用した建設業のISO9001の認証件数推移である |
「やはり認証の加点は無視できないのでしょうね」
「自分の工事や製品に自信があれば、加点などいらないって言えばよいの。それにさ、加点って官公庁のお仕事のとき限定でしょう。民間企業や個人のお仕事では関係ないじゃない」
「なにごともそう簡単じゃないのです。触らぬ神に祟りなしって言うでしょう。信心しない神様も大事にしないと祟りが怖いですから。
ところで本題はそうじゃないんでしょ?」
「いえいえ認証にまつわることですけど〜、20世紀末はISO14001認証が大ブームになってたの、覚えています?」
「20世紀末……私が大学に入った頃ですか。私はISOなるものに関わったのは、本社に来てからです」
「歳を感じるわね。磯原さんは私より四つか五つくらい若いのね。私が大学を出て就職する頃は北風ピューピューで、面接で少しでも役に立つかと当時流行りだったISO認証なんて勉強したものよ」
「なるほど、そういう時代もあったんだ」
「それで思いついたんだけどね、最近環境関連で私たちに関わるニュースも新しいトレンドもないわけよ。お盛んなのは地球温暖化とSDGsだけね。でもまだキャンペーンとかビジネスになりそうなものがない。
だから認証ブームから四半世紀経った今、認証返上という活動を、他社と差別化するのに使えないかってなったわけ」
「なるほど、25年前は認証した企業は環境保護に努めているというイメージがあったけど、今は認証返上した企業はそれを卒業したイメージを打ち出すですか。ありえますね」
「磯原さんの賛同を得たと……」
「ちょっと、ちょっと、賛同なんてしてませんよ。広瀬さんの発想に感心しただけです。
いかにして認証返上をネガティブでなく、ポジティブに先進企業の証と売り込むのか刷り込むのか、そのへんの作戦というか論理をお聞きしたいですね」
「やはり磯原さんは理解してくれると思っていたわ。磯原さんだって返上まで苦労したのは脇から見ていたわ。もちろん理由があって実行したわけで、その成果を社会に主張すべきよ。
認証のために無用な労力を費やすよりも、遵法と汚染の予防に実効あることにお金も労力も使うべきだ、その効果はこれこれである、そんなことを考えているんだけどね」
「認証の効果を否定するようなことを言うのは、差し障りありませんかね?
自分を高く売るのは良いけど、他を貶めるのはどうなのか?」
「コラコラ、変なところで建前を持ち出すんじゃありません。本音で勝負が磯原さんの身上だよね。
それに私たちがしなければ他所に先を越されちゃうよ」
「別に他社がISO離れを宣伝しても困らないけど。そもそも認証返上を営業のメリットにしようなんて想定していなかったし」
「他社に先んじてしたことは宣伝しなくちゃね、良いことは広報して点数を稼ぐ、会社としても個人としても」
広報部の広瀬課長の話によると、ここ10年 人目を引くような環境話題がないという。欧州の化学物質規制は企業にとっては大問題だが、一般市民にとっては興味がない。古紙配合比偽装とかISO認証企業の虚偽とかいっても誰も気にしない。
だって認証したからといって特段消費者にとってメリットがない。これが賞味期限偽装とかであれば関心を引くだろう。でも審査時にうそをついたとか・つかないとか、どうでもいいことに目くじら立てるほど暇じゃない。
某消費者団体がISO審査で虚偽があったから認証の信頼性が揺らいだとか騒いでいたが、消費者団体や意識高い人を除く、大多数の消費者はそもそも認証なんて興味がない。テレビで池上彰がISO認証の解説をすれば、見事に間違っていたりしてね。認証はブランドでもなく、商品価値が高い証拠でもない。そもそも認証が消費者にとってなにか良いことあるのか?
環境貢献活動をしている会社の商品を買うという発想が、意識高いのだろう。
だが真に環境保護を考えるなら、その商品の存在が環境保護につながるのか、その商品の資材調達・製造・流通・廃棄において環境負荷がどうかを考えることが環境保護につながるだろう。意識低い私はそう考える。
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俺たち負け組 | 俺、弱い者の味方 | 俺たち勝ち組 |
EV(電気自動車)が環境に良いか否かの論はいろいろだが、私は公共交通機関を使う方が環境保護になると考える。もちろん徒歩がベストだ。当然、個別交通機関である自家用車など保有しないことがベターだ。
そもそもガソリンエンジンと電気自動車の差など、五十歩百歩なのだ。意識高い人なら電気自動車ではなく徒歩で移動しろ。
歩いては移動できない距離なら、移動しないことが環境保護になる。分ったか!グレタお嬢さん
そんな状況だから、ここでスラッシュ電機グループはISO14001認証を止めて自社が責任をもって「遵法と汚染の予防」に努めますと宣言したほうが人目を惹くという。確かにそうに違いないと磯原も思う。
自分の会社が法を守り事故を起こさないよう努めると宣言したほうが、訳の分からない認証なんてものより信頼できる。もし事故が起きたならスラッシュ電機グループを責めればよいのだ。
認証していても、事故も違反も起きる。そうなっても認証が謝罪するわけでもないし、消費者や社会に補償するわけでもない。エート、すると認証って何なのだ?
認証機関は事故や違反が報道されると、問題を起こした企業の認証を停止とか取り消ししているし、私たちは騙されたという。騙されたなら審査した会社は責任がないのか?
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だがISO認証機関や審査員は違う。
彼らはその会社の品質保証がしっかりしているか、環境管理がしっかりしているかを、お金をもらって検査するのが商売なのだ。
検査したとき騙されていたのだと言うのは、自分がしっかり仕事していなかったということだ。それを騙されたというのは、見苦しい責任転嫁ではないか?
消費者はそう思う。
それに騙される程度の力量なら、人様の会社を審査しますなんて商売をするべきではない。
更に大事なことだがISO審査は遵法を確認しない✔
そんなことはISO17021-1(下記注)にも書いてあるし、審査登録証にも書いてある。
まさかISO17021を知らずに審査員している人はいないよね?
ならば、一層のこと審査員が騙されるはずはない。
だって元々遵法を見ていないのだから騙される恐れは元々ない。この理屈を知っていて「騙された」と言うのは、嘘つきに違いない。
注:ISO17021-1:2015
9.2.1「審査目的、審査範囲及び審査基準の決定」の項番9.2.1.2(b)の注記にある。
広瀬課長は涼しい顔でそういう理屈を語った。
磯原は黙って聞いていたが、広瀬課長も相当考えているのだなと思う。
数日後
また広瀬課長が磯原のところに現れる。
「2週間後、2023年CSR報告書の公開の広報発表をする。過日レビューを頼んだドラフトに、我が社がISO14001認証返上したことについての解説を2ページ追加した。広報発表では、認証返上についての考えと経過を説明するつもりだよ。
ということで、そのパートについての説明を用意しておいてくれ。頼むよ」
注:通常どの会社でも2023年版の環境報告書/CSR報告書は、前年である2022年4月から2023年3月までの実績を載せている。JQAのCSR報告書は10月とか11月発行だが、対象期間は前年4月から当年3月までの実績である。
「ちょっと、ちょっと、そんな重大なこと簡単に決めるとは……上の方は大丈夫なの?」
「もちろん、広報担当役員がサステナビリティ担当役員である大川専務に説明して了解を得ている。そして昨日の執行役会議で、サステナビリティ担当役員から執行役に説明している。
だから大川専務から環境担当スタッフの田村さんに話しているはずだ。
広報発表ではサステナビリティ担当役員が環境のパートを説明するのだけど、専務から田村さんに頼むと聞いている。実際には磯原さんがするのだろうけどね」
「あのですね、会社規則に決められた職掌では、私は公害防止と廃棄物管理そして省エネです。環境全般でもないしISO認証とも無縁です。ですから私がそういうのを語るのは筋違いですよ」
「まあ〜、それは生産技術本部内のことだわ」
「確かにサステナビリティ担当役員マターですね。問題にならないよう田村さんと話しておきましょう」
「それでさ、ISO認証の効果がないこと、自主的な環境活動の方が有効だってことを打ち出せないかね?」
「そりゃ、そういう現実があったから返上したわけです。でもそれを言い出したら第三者認証制度の否定というか、認証制度にケンカを売ることですよ」
「否定したから認証を止めたんでしょ。ならそれは事実だよね」
「例えると過去20年家電各社は環境性能を打ち出して商売してきたわけですよ。資源の有効活用、製造段階から使用段階を通じての徹底した省エネ、使用後のリサイクルの確立とかね……それを今になってそういうのは夢だった間違っていましたと言えますか?」
「磯原さんはそう考えているの?」
「考えていませんよ。環境性能は虚数じゃなくて実数です。
ですけど第三者認証制度を無意味と言うのは、それと同じくらいのインパクトですよ。レーゾンデートルそのものですから」
「電機業界でもマイナスイオンとか怪しげなことは、いろいろあったんじゃない。
それに第三者認証制度の業界規模はせいぜい400億でしょう。当社の工場一つの売上より小さいわ。歯磨き粉の市場規模が1300億、洗濯洗剤の市場規模が2000億、第三者認証制度にいかほど力があるのかどうか?」
「田村さんと話をしてみますが、そんな重大なことを関係部門と調整しないで突き進むなんて、胃が痛くなりますよ」
磯原は田村さんがいないかと本部長室を眺めると机にいる。
広瀬課長を引っ張って本部長室に行く。
「田村さん、ちょっとお話よろしいでしょうか? 重大なことなんですが」
「おお、私も君と話をしたかったところだ。そちらは広報の広瀬課長だったね。ご一緒願います」
三人は小会議室に入る。
「始めに私が聞きたいことから始めたいがよろしいか?
今朝、大川専務から聞いたのだが、CSR報告書に我が社のISO14001認証返上を追加するということだが、広瀬課長、相違ないね?」
「はい、その通りです」
「もう印刷もしているだろうが、内容はどのようなものなのかな?
正直言ってあまり認証制度を否定するような内容では……」
「そんな身構えるほど過激ではありません。当社は過去より環境マネジメントシステムを継続的に改善をしてきた。そしてこのたび外部に点検を依頼することなく、自立的かつ自律的なシステムを持つに至ったというような趣旨です」
「それだけ聞けば、いちゃもんが付くとは思えないな。
実を言って大川専務から話を聞いて、ISO認証制度にケンカを売るようなことではと心配した」
「ちょっと視野を広くしてみませんか。
世界で最初に環境報告書を最初に発行した会社は、1972年米国の石油化学会社であるSC Johnsonと言われています。またIBM社は、1990年頃から社内の不祥事、環境事故とか横領、社内犯罪の発生件数や支払った罰金などを公表しています。
1993年のリオ会議以降、日本企業もジャンジャンと環境報告書を出すようになりました。最初の数年間は、イメージだけというものも多かったです。その後、GRI
でもネガティブ情報の公開は進んでいるのかといえば、日本では進んでいません。排水の漏洩事故を起こした企業でも、汚染除去が完了していなくても数年経つと環境報告書には記載がないなんてことは普通です。
あるいはISO14001認証したと広報しても、それによっていかほどの改善がされたのかなど広報しません。改善されなかったのかもしれませんね。
私はそういう行為はアンフェアだと考えます。
企業市民
自分の勤める会社は公正であってほしいと思いませんか。良いことも悪いことも情報公開して、少なくても表裏ない会社であってほしい、そう思いませんか?
同時に、悪いことは悪いと言うべきです。ISO認証しても効果がなかったと、はっきり言うのがおかしいですか?
私の考えは青臭いでしょうけど、私はこれについて広報部のメンバーを説得し、部長を説得し、役員を説得してここまできたのです。
IBMで最初に横領とか罰金を載せようと言い出した人は、きっと周りと議論になったでしょう。でもそれが正しいことと信じて行動したと思うのですよ」
「分かった、分かった、もう言うな。
人生意気に感ず、信念を持ち自分に正直でないといかんな。会社の中で生きていると心に棚を作って
「ではご理解いただけますか?」
「趣旨は理解したが、具体的Q&Aは分からんよ。それは考えているんだろう?」
「想定質問は考えていますけど、答弁の方は考えてません。それをお宅に頼みに来たところでした」
「質問が想定されているなら、説明は考えられると思いますよ。
想定質問に漏れがないことを祈りますけど」
「ではここに想定質問集を置いてきますから、答弁の方をご検討ください。おって電子データを送ります。
回答ができないというものがあれば、早めに連絡いただけますか」
「大丈夫、磯原っていう有能なのがいるから任せなさい」
「田村さん、正気ですか?」
「正気、正気、頼むよ。私が読めば良いようにしてください」
「えええ〜」
それから二日ほど、磯原は想定質問の答弁を考えている。
はっきり言って正論を語るのは難しくない。そんなことは磯原が数年間考えていたことであり、回答は考えるまでもなく浮かんでくる。
要は、いかにマイルドに相手を説得するかである。
例えばISO14001認証に効果がないことは、関係者なら10年も前に認識している事実である。もし認証の効果を表せるなら、誰かがそれをしているはずだ。いまだかってISO認証の効用を数値で表したものを見たことがない。
私はCINIIに載っているISO14001に関する論文をほとんど読んだ。認証すると会社の改善、マネジメントシステムの改善に役立つと書いているものは掃いて捨てるほどある。しかし認証効果を具体的に示したものはまずない。
わずかにあったのはISO14001認証によって、PPC(コピー用紙)使用量が減ったと数字を上げていた。
私はその論文を書いた人(著者は論文を書いたとき某大学院の博士課程であった)はバカだと思う。
ISO14001とは、そんなもんじゃない !
単純に考えて、数百万も金をかけた認証の効果が、たかだか数千円のPPC代の削減で喜ぶとは間違いなくバカだ。
もちろんなぜ効果がないかという理由は、人によりさまざまだろう。規格が不備なのか、企業が嘘をつく()からか、受審も是正も維持もコンサル任せだからか、審査員の力量が低いのか、お金さえもらえばよいという認証機関のせいか、そもそも第三者認証制度が間違いなのか、まあ人の数だけ理由は考えられるだろう。
だが、いずれにしても筋の通った正論を返しても納得するわけがない。認証企業と非認証企業の事故率とか違反率の比較とか説明しても意味がない。
企業側から見ればどうでもいいことでも、第三者認証制度で飯を食っている人にとっては重大な意味があるのだ……ろう。
あらましQ&Aを満たして、磯原は田村氏に説明する。田村氏の質問に答え、見解は変わらずとも答弁の仕方や提示例を見直して仕上げていく。
1日かかった。まあ、差しさわりのないものになったと思う。
田村さんはじっくり読んで我が物にしたいと言って解散した。田村さんは質疑応答を自分でするという。立派なことだ、自分まで流れてこなくてよかったと磯原は思う。
というか本来は大川専務がしなければならないことだ。それは大川専務にとって晴れ舞台のはずなのだが?
数日後、磯原は小林部長に呼ばれた。
「磯原君、CSR報告書にISO認証返上が追加になったと聞いたが」
「そのようですね」
「これは
「あのう〜そもそも論ですが、生産技術部がCSR報告書に関わることは、事故や違反そして廃棄物削減と省エネだけです。それ以外については担当外です」
「職務分掌を見直してISO認証についても環境管理課で担当することにしたんじゃないか」
「小林部長と田村さんが転勤されてきたときに出た職務分掌の話は、田村さんの仕事に必要なら、環境管理課に人を補充して田村さんを支援するということで、ISO認証の話ではありません(155話)。
いずれにしても環境管理課は人を増やしていません。ですからISO認証までは手が回りません」
「だが我々が検討したものを、向こうの一存で変更して良いのか?」
「先ほども説明しましたが、ISO認証は生産技術部のマターではありません。先だって依頼されてチェックした部分については変更はありません。
今のお話は、CSR報告書にISO認証返上のことを載せることになったということです。生産技術部の担当外の記事について、こちらの承認が要るわけではありません。
それと決裁ですが、ISO認証返上を追加することは、広報担当役員が発起してサステナビリティ担当役員である大川専務が了解したそうです。そして大川専務が田村さんに対応を指示したわけです。
私は田村さんからサステナビリティ担当役員のために想定質問の回答案作成を指示されて行いました」
「私はCSR報告書にISO認証返上を盛り込むことに反対だ」
「それはそれで結構なご意見ですから、田村さんとお話してください。あるいは小林部長が、広報部に異議申し立てしてもよろしいと思います」
「君からCSR報告書に盛り込むのを止めるよう田村さんに話してくれないか」
「役員レベルで既に決めたことですから、覆ることはなさそうです」
「とりあえず環境管理課はCSR報告書にISO認証返上を盛り込むことに反対であると田村さんに伝えてくれ」
「分かりました、生産技術部がCSR報告書にISO認証返上を盛り込むことに反対している旨伝えます」
磯原は小林部長の考えが全く理解できない。ウチは封建的な会社じゃない。他部門の決定が気に入らないなら、無関係な部署からでも反対意見を述べるのは通常のことだ。なんで自分が言わないのか?
ともかく反対していることは田村さんに伝えよう。
磯原はすぐさま本部長室に歩き出した。
どうしたものか |
三ツ谷さんが執行役だったときは、環境報告書の発行は自分の配下だったから、広報部に変わった今も、生産技術部長ならできると思っているのだろう。だが、今のCSR報告書発行は広報部で小林部長の所管ではない。止めろと言われても困る。大いに困る。
本日の心配
ISO認証は効果がないと書くと、名誉棄損とか誹謗中傷で訴えられるかもしれない。これは困った。
ところで小林部長がどうしたって?
駄々をこねる"えらいさん"は珍しくない。よくあることだ。
「たまによくある
小林部長も磯原に無理難題を押し付けるのだから、引退した三ツ谷さんから無茶を言われても耐えなさい。男は黙って耐えるしかない。
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注1 | ||
注2 |
GRI(Global Reporting Initiative)とはサステナビリティに関する国際基準と情報公開の枠組みを策定することを目的とした、国際的な非営利団体である。 | |
注3 |
日本では企業市民という言葉が使われるが、それに対応したCorporate citizenという単語はUS Googleでググってもヒットしなかった。使われているのはCorporate citizenshipであり、これは通常 企業市民権と訳されている。 市民権(citizenship)とは「特定の法的権利と義務を伴う、個人と国家との間の法的地位および関係。市民権は一般に国籍と同義語である」と英英辞書にある。 接尾辞shipは付いた単語の形とか位置づけを示す。Citizenは市民であり、citizenshipは市民の位置付け ⇒ 市民としての身分 ≒市民権 となる。 企業市民権(Corporate citizenship)とは、企業も市民権を持つというより企業も市民であるということで、元に戻るが企業市民と訳すのがニュアンスとしては正しいようだ。 | |
注4 |
「心に棚を作る」とはマンガ「炎の転校生」の名言(迷言)である。 意味は、「都合の悪いことは、とりあえず心の中に棚を作ってそこに置いて正論を語れ」ということである。 例えば、誰かが悪いことをしたとき、責任者は注意せねばならない。しかし自分も同じことをしたこともあるなら、指摘しにくい。しかし役目上、自分がしたことは一旦忘れて、注意しなければならないというような場面を意味する。 | |
注5 |
「たまによくある」とは、語義からして矛盾である。 ネットではたまによく見かけるふざけた言い回しである。 |