ISO第3世代 164.ポストISO2

24.05.19

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但しISO規格の解釈と引用文献や法令名とその内容はすべて事実です。


ISO 3Gとは

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広瀬課長 広報の広瀬課長は、磯原と話して丸投げするにはいかないと諦めた。もちろん自分と言うか広報部が対応するつもりはない。口先で生きているのが広報だ。力仕事、泥臭い仕事は他人にさせるのが当然と思っている。
一応筋を通して頼むとしよう。


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広瀬課長は田村さんにアポイントを取り、翌日話し合いを持った。田村は磯原に同席させる。

広瀬課長 「先日のCSR報告書の説明会(第160話)を聞いた大学院生から、ぜひ認証返上をした経緯を聞きたいとメールがありました。私どもとしては依頼を受けることにしました。それでお宅から説明してもらえないかなというお願いです。

もちろんお宅に丸投げするつもりはありません。ただ私どもだけでは専門的な質問をされても対応できないと思ってのことです。広報部からは私も陪席いたします」

田村さん 「ほう、認証返上に関心を持ってくれた人がいたか。うれしいねえ〜」

磯原 「田村さんの解説が良かったからですよ」

田村さん 「胡麻をすらんでも良い。実際に返上まで持っていったのは磯原君だ」

広瀬課長 「実は院生といっても社会人で、勤務先は当社のコンペティーターのH電気なのです」

田村さん 「ほう〜、他社勤務でも問題ないのか?」

広瀬課長 「ウチの部長とも話したのですが、特段技術に関わることではないし、向こうが院生という立場で申し入れたことですから、対応しようと決めました」

田村さん 「了解しているならば問題はないな。
ところでインタビューと言ってもどんな質問をするのだろう?」

会議机

広瀬課長 「具体的な質問は分かりません。ただ頂いたメールには、ISO14001認証を返上するまでの検討事項とか、認証のメリット・デメリットをどう評価したかを聞きたいとありました」

田村さん 「なるほど……以前、私がここに異動になった頃だったが、磯原君からそういうことの説明を受けた記憶がある。
そのときは良く分からず右から左に聞き流してしまったが、あれから1年半環境管理に携わって現実を見聞きすると、段々と理解できるようになった。
先日のCSR報告書説明会の事前勉強で磯原君から話を聞いたが、実に良くよく理解できたね。やはり実体験がないとだめだ」

広瀬課長 「ちょっとおっしゃることが分かりませんが、どんなことですか?」

田村さん 「例えば、審査でどんなことを調べるのかだね。知らないと何かすごいことをすると思うが、実は大したことはしていない。
現実の審査が規格の意図である遵法と汚染の予防に、どうつながっているのか大いに疑問だと思っている」

広瀬課長 「えっ、ISO14001の意図って遵法と汚染の予防なのですか?
普通ISO14001は環境の規格だと言われています。それは温暖化防止の実現、最終的に持続可能の実現に寄与するものですよね」

田村さん 「ISO14001の守備範囲は企業の製品やサービスそれに事業活動に伴う環境影響を減らすことだ。それを完璧にしても持続可能が実現するとは思えないな。ISO14001にそれほど力はないよ」

広瀬課長 「それじゃ認証しても遵法と汚染の予防だけで、持続可能実現の効果がないということですか?」

田村さん 「ISO認証しても遵法と汚染の予防が実現するわけでなく、遵法と汚染の予防を達成しても持続可能が実現するわけでもない。辛らつな人は、ISO9001認証して良くなったのは文書管理だけ、ISO14001を認証して良くなったのは環境意識だけなんていってるよ。まあ大体はそうなんだけど。
そもそもISO規格とは何か、認証とは何か、持続可能とは何かを理解しなければならない」

広瀬課長 「私が理解しているのは、SDGsの17目標を達成すると持続可能が実現するということです。だからそのためにISO14001を認証するのでしょう?」

田村さん 「まあ一般人ならその程度理解していれば、ヨシとすべきなのかなあ〜」

広瀬課長 「まっ、失礼しちゃうわ!

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打合せを終えて広瀬課長が出ていくと、田村は磯原を呼び止めた。

田村さん 「磯原君、私ばかり話していたが、広瀬さんと私の掛け合いを聞いてどう思いましたか?
正直言って、自分が語っていることにあまり自信がない」

磯原 「正直申しまして田村さんの発言はすべて真っ当です。失礼な言い方ですが、短期間でよくぞ神髄をご理解されたと思います」

田村さん 「おお、磯原君がそう言ってくれると嬉しいよ。先日の質疑応答でも君が作ってくれたQ&Aに沿って回答したが、これでいいのかなと不安に思っていた」

磯原 「ISO14001は1992年のリオ会議で、持続可能を実現するため国際規格規格を作ろうとした結果です。
ISO14001初版の序文では、持続可能に寄与するとありますが、規格に書いてあるだけで実際に寄与するのかどうかは定かでありません。ましてや規格を満たせば持続可能が実現するなんて書いてありません。
私はISO14001が持続可能を実現するはずがないと思います」

田村さん 「ISO14001を満たしても持続可能が実現しないのか?」

磯原 「当然です。
そもそも1992年のリオ会議では『環境と開発に関するリオ宣言(注1)というものを採択しました。これは27項目の原則と言うものを掲げていますが、第8原則は人口政策の推進であり、第24原則は武力紛争の抑止です。しかしISO14001には人口抑制もありませんし、戦争を止めようともありません。
まあ私企業の環境方針や計画に、人口削減とか戦争禁止をISO14001に盛り込んでも、意味がありませんせんね。

いやリオ宣言をすべて成し遂げたにしても、持続可能が実現すると説明したものを見たことがありません。立証できないでしょう。絵に描いた餅どころか大風呂敷ですよ」

田村さん 「オイオイ、そりゃペシミズムだ。
あるいはリオ宣言とかISO14001を書いた連中が、楽天的というかお花畑だったのかもしれんな」

磯原 「そればかりではありません。最近はやりのSDGsにしても、その17項目を達成できるかどうかも定かではなく、達成したところで持続可能が実現するとは思えません。
原始人 よく石器時代だけが持続可能な社会(注1)だと言われます。でもそれは違います。

確かに石器時代は確かに長く続きました。でもそれは今 言われている持続可能社会とは大違いです。
持続可能社会の目標であるSDGsの各項目を考えてみましょう。
石器時代は現代の尺度なら、皆が貧困の極致でしたし(SDGsの第1目標)、食うや食わずで(第2目標)、健康も福祉も保証されず(第3目標)、教育もなく(第4目標)、ジェンダー平等だったとは思えませんし(第5目標)、安全な水もトイレ(第6目標)もありませんでした。エネルギー(第7目標)と言えば人力だけでしょう。まだ馬や牛の畜力利用まで行かないんじゃないですかね。
要するに文字通りの持続可能性の意味と、SDGsの目標は全然異なるのです」


注:家畜の利用は9000年前の新石器時代に始まると言われる。


1貧困をなくそう
2飢餓をゼロに
3すべての人に健康と福祉を
SDGs
SDGsマーク
4質の高い教育をみんなに
5ジェンダー平等を実現しよう
6安全な水とトイレを世界中に
7エネルギーをみんなにそしてクリーンに
8働きがいも経済成長も
9産業と技術革新の基盤を作ろう
10人や国の不平等をなくそう
11住み続けられるまちづくりを
12作る責任使う責任
13気候変動に具体的な対策を
14海の豊かさを守ろう
15陸の豊かさも守ろう
16平和と公正をすべての人に
17パートナーシップで目標を達成しよう国連開発計画より

田村さん 「おおおお〜、すごいね。SDGsと持続可能は無関係か?
持続可能性の神を恐れぬ発言だね。21世紀の宗教裁判にかけられそうだ」

磯原 「人間は、いや国連サミットの面々は、ものすごく贅沢なことを考えているということです。
現在、人類起因のCO2増加で気候変動が起きた、資源枯渇になった。それは人口増加や文明発展によってエネルギーや資源の消費量が増えたせいです。
しかしそれを抑止しようとせず、人々が豊かで安全な暮らしをして、なおかつ持続可能であることを求めるとは、なんという身の程しらずの愚かさでしょう」

田村さん 「うーん、そう言われるとそう思えるね」

磯原 「持続可能とはどういうことかご存じでしょう?」

田村さん 「ええっと、ブルントラントとか言う人が中心になってまとめた報告書で、唱えられたような気がするが……」

磯原 「おっしゃる通り、ブルントラント委員会の『環境と開発に関する世界委員会』の報告『我ら共有の未来(1987)』の中で「将来世代のニーズを損なうことなく現在の世代のニーズを満たす開発」としています。
つまり今環境で言われている持続可能とは、文字通りの持続可能ではなく、永遠に贅沢して暮らすことなのです。
そして大事なことですが、持続可能にしようと言っても誰もそれが実現可能と言っていないのです」

田村さん 「言ってることと実質は大きく違うとは……それって、地球温暖化の定義と同じように思えるな。あれも地球が温暖化することではなく、『地球の大気の組成を変化させる人間活動に直接又は間接に起因する気候の変化』だったな。
無造作に熟語を使っているが、その定義を見ると熟語の元々の意味とだいぶ違う。そりゃ問題というか詐欺じゃないか」

磯原 「おっしゃる通りです。地球温暖化と言われると、皆が子供のときより雪が降らない、夏が暑くなったから温暖化しているというが、それって違うんですよね。感覚でなく実際に気温が上がっていても、地球温暖化しているかどうかはまた別。 太陽だよ

太陽の活動活発化とか地球内部の核反応など自然現象による温暖化は、地球温暖化でない。それどころか人間起因であっても人間が大量にエネルギーを使い、その廃熱(注3)で地球が温暖化しても地球温暖化ではないのです」

田村さん 「似たようなことを君から聞いたことがある」

磯原 「はて、何でしょう?」

田村さん 「環境マネジメントシステムはシステムじゃないってことだ」

磯原 「ハハハ、恐れ入りました。その通りです」


注:「システム」の定義は「相互に関連する又は作用する要素の集まり(ISO9000他すべてで同じ)」である。環境マネジメントシステムの定義は「マネジメントシステムの一部で、環境側面をマネジメントし、順守義務を満たし、リスク及び機会に取り組むために用いられるもの(ISO14001)」である。この定義では「相互に関連する又は作用する」が抜けている。


田村さん 「ところでその大学院生との対応は、私に任せてくれないか?」

磯原 「どうぞ、どうぞ。ひとつお願いしてよろしいですか?」

田村さん 「なんだろう?」

磯原 「その大学院生は説明会のとき質問した女性なのです。田村さんも彼女の質問を浮世離れしているとおっしゃっていました(第161話)」

田村さん 「おうおう、覚えている。あの女性か」

磯原 「彼女はISO14001が会社を良くする高度で万能のものという認識でした。
彼女にISO14001はそんな万能じゃなくて、それどころか経営レベルのものではなく、管理のためのツールであることを教えてください」

田村さん 「段々と思い出してきたよ。彼女は企業はISO規格のために行動しなければならないとか言っていたな。
昔から企業は創業の理念実現のために存在し、そのために適切な利益を得なければならないと決まっている。彼女はものごとのプライオリティを理解していないようだ」

磯原 「そうそう、それです」

田村さん 「とはいえ他社に勤務している人の考えが変だからと、部外者の我々が心配することもないだろう」

磯原 「いえいえ、田村さんがあの院生を教え導けば、本人にとっては無知の知を自覚する機会となるでしょうし、彼女の上司は彼女の眼を覚ましてくれた田村さんに感謝するでしょう。私もISOMS規格の理解者が増えることはうれしい。
本人にも上司にも、田村さんにも私にもメリットがある、ウィンウィンとか三方良しどころか、四方良しです」


磯原の言葉を聞いて、田村さんはアハハと笑う。

田村さん 「磯原君は冗談がうまい。だが、客観的にみれば間違いなく余計なお世話だろう。他社でISO規格の理解を間違えていようと、ISO事務局なる無用の長物があろうと、我々には縁のないことだ。
我々は己の仕事をまっとうで有効で効率的にすれば、必要十分だよ」


磯原は今まで清野さんがISO規格を正しく理解して、より良い環境管理、つまり遵法と汚染の予防に有効で効果的なものとしてほしいと考えていた。
しかし田村さんの語ることはもっともなことだ。自分が思っていたことは余計なお世話だ。他社がどうであれ、他社の担当者が何を考えようと何も考えなくても、はっきり言ってどうでも良いのだ。

吹き出し
磯原

振り返って己を見れば、磯原はもう自分がISO規格とか認証に好悪の感情さえ持っていない、無関心になったのを自覚した。
マザー・テレサは「愛情の反対は憎しみでなく、無関心である」と語った。
磯原はISO認証していて、いろいろ問題があって苦しんだ。審査員や認証機関の考え、態度、対応を憎んだこともある。

だが認証は返上した。どこかのまだ認証している所のISO審査で、誤判定しようが、態度が悪かろうが、もう関りのない自分が困ることはない。無関心でいられるとは、なんと心休まることだろう。

元々、一般の企業人がISOMS規格に関心を持つ必要も意味もないはずだ(注4)
過去たくさんの営業とか経営や管理のアイデアや手法が表れてきた。事業部制、3C分析、ファイブフォース、PPM分析(金のなる木)、製品ライフサイクル戦略、看板方式、予防保全、そういうものをすべて取り入れ実行することはない。使えるなら使う、やってみてダメなら止める。もっと良い方法を考案したなら最高だ。
ISOマネジメントシステム規格も同じじゃないのか。

ましてISO審査とはイベントじゃない。審査員が仕事をしている人に質問して歩く。そして規格要求を満たしているか否かを判定するに過ぎない。役職についている人が対応することもない。

そういえば1990年頃のイギリスのISO認証のマニュアルのようなものを見たことがある。和訳が若干たどたどしかったが、ISO審査を理解するには十分だ。
そこでは品質責任者(正確な表現は忘れた)がひとりで審査員の対応をする。不具合(その場では不適合とは言わなかった)が多々あるのだが、その責任者は実情を確認するだけでいちゃもんも付けず意見も述べない。
審査員が予定にない場所を見たいというとダメですという。そんな審査風景が書かれていた。
日本のISO審査、特にISO14001の審査は、本来のあるべき姿とは違うのではないだろうか?


注:20世紀のISO9001の審査はISO14001の審査とは大きく異なっていたと申し上げておく。ISO9001の審査は、UL認定の工場立ち入りと同じく だめだこりゃ 徹底して要求事項を満たしているか否かの点検だった。

そして規格の解釈については企業側と大いに議論した。「私が言うことに間違いはない」と語る審査員はいなかったし、審査員独自の要求事項を語る人はいなかった。

ましてや「ISO14001は経営の規格だ」とか「ISO認証は会社を良くする」と大言壮語した審査員も見たことはない。
もちろんお土産をねだる、接待は当然と考える人が多かったのは、ISO14001の審査員と変わらない。


磯原が本社に異動してから、ISO審査でいろいろな問題があることを認識し、その対策をしてきた。磯原はその解決のために模索したが、最終的に認証返上が解決策だと認識し実施した。それはもう終わったことだ。
今の自分はISOを忘れて、新たな改善を進めて行けば良いのだ。



うそ800 本日のお詫び

実を言いまして、のっぴきならない用事ができまして旅に出ます。
というわけで、今回は1日早く土曜日にアップします。
帰宅は未定ですが、来週水曜日の更新ができるようがんばります。

そんな事情で本日は六三四うどんのような長編ではなく、マカロニのような短編にしよう……と始まりましたが、書き上げてみれば7,000字をはるかに超えました。私のキーボード中毒極まれり。



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注1
注2
「石器時代+持続可能社会」でググると、たくさんの論文とか書籍がヒットする。確かに石器時代は長く続いたのは確かだ。だが石器時代は現在の持続可能社会の定義を満たさない。

注3
いかなるエネルギーでも使えば、最終的にすべて熱になる。
熱をエネルギーとして使うには温度差がなければならない。温度差が小さければもうエネルギーとして使えない。これをエントロピー増大の法則と言う。

自動車なら走ること止まることで道路や空気を加熱する。テレビなら音も光も最終的には周囲の空気や建物を加熱する。照明も同様である。石油や石炭だけでなく、太陽光で作られた電気だって最終的には熱になる。

太陽光の多くは大気をスルーして地球外に通り過ぎる。しかし太陽光で発電すれば、その電気が仕事をして最終的に廃熱になれば地球に留まり温暖化は進む。もちろん大気構成の変化によるものではないから、それによる温暖化は定義から地球温暖化とは言わない。

動的平衡
IN/OUTのバランス次第
なぜ太古から地球大気の温度があまり上昇しないのかと言えば、廃熱を地球外に放出しているからだ。
大気が厚く熱を放出しにくい金星は高温となり、地球に比べれば真空に近い火星の大気は太陽から入った光は透過してしまい、月と同じく大気による保温は期待できない。

今騒がれている地球温暖化は、地球外に不要となった熱を赤外線として放出するのが妨げられるからだ。
その阻害要因が除かれても発生する廃熱が増加すれば、熱のイン・アウトのバランスが崩れ、気温は上昇する。しかし今の地球温暖化の定義ではこれは対象でない。

注4
ISO認証のために従業員がISO規格を理解する必要はない。会社が定める会社規則あるいは規定に、当然通常の企業が定めるべき、社内組織、各部門の機能、決裁権限、業務手順を規定(決める、あるいは定義する)してあればISOMS規格要求は満たされる。
要するにISO審査は会社規則を守っているかいないかを点検することに等しい。ISO規格を守っているか否かではない。

このとき審査員は会社の文書とISO規格要求の対照表が欲しくなる(必須ではない)。そのために企業が審査員が仕事がしやすいようにサービスして作成したものが「○○マニュアル」である。





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