ISO第3世代 168.清野の挑戦2

24.06.03

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但しISO規格の解釈と引用文献や法令名とその内容はすべて事実です。


ISO 3Gとは

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清野の、スラッシュ電機のヒアリング報告会は、清野が思ったようには進まなかった。無視されたとか反発を食らったわけではない。それどころか話が発展し、発散してグチャグチャになってしまったのだ。
唯一、現状のISO認証は効果がないことには皆の意見は一致した。
ただそこから先は人それぞれの意見があり一致しない。


いろいろな意見
があってまとまら
ないわ
清野

どうせ重要なお仕事じゃないし、上もISO認証に成果を期待しているわけではない。問題を起こさなければよいという意見。

審査で問題になったトラブル、あるいは審査員の独自の解釈で会社に不都合が起きているものを調べて是正を求めよう。また審査対応の簡素化などできることを少しでも改善しようという意見。

既に環境管理の仕組みはできている。わざわざ大金と手間暇かけて外部の人に点検してもらうことはない、認証は不要ではないかという意見。

清野が想定した、ISO審査にもっと有効なものにしようという、清野と同じ思いの人はいないようだ。
ともあれ現状は有効ではないと認識してくれたことは、報告が無駄ではなかったと思う。


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報告会の翌週である。
天野は休日に清野の報告を反芻しているうちに、いろいろなことを思い出した。天野は入社以来、ずっと総務部門で働いてきた。それもいわゆる総務のお仕事ではなく、文書管理の仕事をしてきた。


昔、認証したと
きも、皆でワイ
ガヤをしたもん
だ。
天野
天野です

文書管理というと契約書とか官庁から受けた許認可の書類などを思い浮かべるかもしれないが、そうではない。会社のルールを定めた規則とか規定と呼ばれるものの、制定とか発行がメインである。
会社によっては図面の管理も総務がしているところもある。天野の勤める会社では、図面の管理は総務から技術部門に委託した形となっている。


1992年だと思う。ISO9001認証しなければならなくなった。
なんでも小さな国が多い欧州では、第二次大戦後アメリカに覇権を奪われ、夢よもう一度と欧州復権運動が起きた。
最初は1958年のEEC(欧州経済共同体)と呼ばれたもので、当時冷戦の双方であるアメリカとソ連が世界市場を制覇しようとするのを、欧州が一丸となってそれに対抗しようと大きな市場を創出するものだった。

その後、天野はEECがどうなったか関心も持たなかった。総務では外国の経済情勢など積極的に知る必要もない。


ヨーロッパ統合の歴史を簡単にまとめると次のようになる。
名称初期の加盟国目的
EEC
欧州経済共同体
1958 西ドイツ、ベルギー、フランス、イタリア、ルクセンブルグ、オランダの6ヵ国 アメリカ、ソ連に対抗できる経済圏の確立をめざして関税の統一、資本・労働力移動の自由化、農業政策の共通化などを目指した
EC
欧州共同体
1967 上記に英国、アイルランド、デンマーク、ギリシャ、スペイン、ポルトガルを加えた12ヵ国 国境のない単一市場をつくることを目的とし、商品取引の自由化のほか労働力取引の自由化を図った。
東欧革命
1989〜1992 1989 ポーランド、ハンガリー民主化・ベルリンの壁崩壊
1991 バルト三国分離独立
1992 アルバニア民主化
EU
欧州連合
1993 ECに同じ。
但し西ドイツから統一ドイツに変わった。
国境のない単一市場をつくることを目的とし、商品取引、労働力取引の自由化を図った。

通貨統合
1999 当初11国でスタートした。 2024年時点ユーロを導入している国は、EU加盟国は27国中20国で普及率は74%である。
その後 2020 イギリス国旗

イギリスが離脱
基本的に国家としての独立性を欲したのだろう。移民問題や国家財政を国民が決めることができないのはおかしいと考えるのはまっとうだ。

あるとき海外営業の人が文書課に天野を訪ねてきた。
欧州では国境をなくすようになる。そして域内の国境をなくし、人や物の動きを自由化するのだという。
それがどう総務に関係があるのかと思って聞いていると……

しかし域内で物流が自由になるのは、ISO9000s(注1)を認証している企業が製造したものに限られるという。その理由は、欧州と言っても先進国もあれば農業国もあり、それぞれの利害がある。同様に域外からの輸入品もISO認証が必要になるという。
どうみても間違いなく非関税障壁だ(注2)非関税障壁ではないとすると、ISO規格の価値はあってもISO認証の価値はないという矛盾が起きる。


営業の人がいうにはISO9000sとは品質保証の規格で、その内容は顧客の要求仕様を把握して設計することから、完成した製品を顧客に送り届けるまでのプロセスが確立しているかが重要だという。
そのために開発設計から製造だけでなく、開発の前の営業部門が顧客要求をよく把握しているかも審査対象だし、顧客要求の納期や数量を出荷できるように生産日程も配送なども対象になる。
打ち合わせ もちろん物を作るためのインフラである設備管理、(製造)環境管理、文書管理、教育訓練も審査されるのだそうだ。

審査とは、外部の人が来て会社の仕組みがISO規格通りであるか、その通り仕事をしているかを点検するのだという。それに合格すると認証書(審査登録証)がもらえ、そのコピーを顧客に配布すればISO認証の証拠となるという。
審査は有効期限があり、当時は半年、その後1年になった。要するに1年毎に大金を払って審査をしてもらわねばならない。審査で具合の悪いところが見つかれば、認証が一時停止とか、取り消しになるそうだ。

その方は「文書管理」「記録管理」は総務担当なので、当社の会社規定がISO規格を満たしているかどうか調べて、不備があれば見直しが必要になるという。
「教育訓練」となると人事がメインだが、工場では人事課がなく、総務が担当しているところもあり、漏れのないようしっかりやってほしいという。

一番大きな問題として欧州に輸出している工場は、1993年に予定されているEU統合までにISO認証しなければならないという。あと1年しかない。そりゃ無理だろうとよく聞いてみると、実際には1994年の何月かまでに認証すれば良いらしい。


彼は担当者レベルの根回しだったらしく、その直後に総務部長から取締役会(注3)で輸出している工場に期限までにISO9000s認証をするよう指示が出た。天野君は本社として認証する工場の支援を行えと命令された。


ISO規格など右も左も知らない天野であったが、発足したISO認証支援プロジェクトのメンバーに入れられた。プロジェクトでは規格要求事項の勉強会から始まり、やがて天野は文書管理を担当して工場を巡回して文書管理のイロハから指導し、現場の文書管理を点検しということをした。


なんとか1993年末までに欧州に輸出しているすべての工場でISO9001を認証が完了し、ビジネスに支障をきたさないで済んだ。
とはいえ泥縄であったことは誰もが感じた。元はと言えば欧州の駐在員がEU統合は理解していても、ISO9000s認証の重大性を理解していなかったことだ。
もちろん文書管理などに国際規格があるなら、それと整合性を図らないと大変だということを総務も身をもって知ったわけだ。

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工場のISO9000s認証が一段落すると、まもなく今度は環境保護の国際規格ができるという。総務部長から今回は重大だから、早め早めに手を打つようにという話をされた。

重大にはふたつの意味がある。
ひとつはISO9000sのように泥縄ではなく、同業他社いや日本でも他に先駆けて認証するように準備しろという。
役員たちは、同業他社に比べて出遅れ、認証順番がトップグループに入れなかったことを、大きな問題と認識しているようだ。

もうひとつはより重大である。工場で環境と言えば施設管理部門がメインになるだろうが、本社や支社は総務が認証の主体にならねばならないという。
「ISO9000sは工場だけでしたよね? ISO14001は本社も認証するのですか?」と質問が出たが、そうだという答え。

そして総務ではISO9000s認証の際に活躍した文書管理課が、今回の認証ではメインになって活動をしてほしいという。
オイオイ、総務部と言っても分担があるじゃないか。庶務事項を担当する庶務課、文書管理をする文書課、株式に関わることをする株式課などの職掌に書いてないことを、すべてつとめるのが総務課じゃないのか!

…と天野が心の中で突っ込んでもしょうがない。総務の本流である総務課はそんな面倒なことに関わりたくないようだ。
さすが出世コースは違うと、文書管理にいて常に冷や飯食いを実感していた天野は思った。

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1996年暮れにISO14001が制定されたが、実際には各社はISO規格のドラフトが公表されると走り出し、認証機関も規格が正式に制定される前から審査をして、仮の審査登録証を出していた。なんと一番早く出た仮審査登録証は1995年である。正式な規格が発行される1年半も前である。
今考えるとアホみたいと思うが、当時は他人より早く認証することは名誉と思われた。

H電気の工場は皆1998年までに認証してしまった。というのは文書管理とか教育訓練などはISO9001のときに仕組みを見直しており、ISO14001ではほんの僅か対象範囲を広げただけで済んだ。

当初から予想されていたが、どの会社も工場のISO14001認証が一巡すると、本社と支社の認証競争になった。20世紀も末になるとISO14001も知れ渡り、認証した企業は「環境にやさしい」とか「私たちは環境先進企業」などと宣伝をするようになった。
ISO14001認証は宣伝に使えるのだ。


注:今なら「環境にやさしい」なんてフレーズをコマーシャルに使ってはいけないが、20世紀はイメージだけとか、証拠も根拠もなしでも普通に使われていた。

比較広告する際の規制というか条件が厳しくなったので、それを避けるために「当社比」が多く使われるようになったのは2005年頃からである。当社比がいくら良くても他社より良いかどうかは分からない。


本社と支社のISO14001認証プロジェクトが動き出したのは、工場の認証が一段落した1999年であった。
既に天野はISO9000sと工場のISO14001認証の経験から、ISO14001の平易な解説、何をしなければならないか、認証の具体的スケジュール案を作った。
そして本社の各部門と支社で中心となって活動してもらう、ISO事務局兼務者を任命する手配をした。

天野はオフィスの廃棄物処理とか省エネは門外漢であるので、本社ビルの管理を請け負っている子会社の人がメインとなり、支社がそういう仕事で作るべき文書や記録のマニュアルを作った。

本社ISO事務局の天野は、本社や支社の兼務者を招集して、ISO14001の教育、認証までの実施事項を教えたのだ。
天野が水島氏と出会ったのはこのときである。

俺張り切っちゃうぞ
差し棒握手止まれ止まれ
ペン天野指差し

それから約1年間、天野とビル管理の指導者は、チームを組んで日本中の支社と営業所そしてそこでビル管理をしている子会社の指導を行った。

天野は初めて支社に行ったとき、会社のルールが簡略化というか骨抜きされているのを見て呆れた。
これくらいいいじゃないかという支社の管理職、担当者を必死に説得して、あるべき姿になるように指導した。
少なくても自分の担当するところでは、不適合は出したくないという思いである。

工場は図面とか規格の管理があるから、ISO9000sのときでも、いいかげんな運用はなかった。例えば図面なら同じ図番でも改定状況が重要だから、改定したときの旧図面の扱いとか、むやみに孫コピーすることが禁止されている。
だが支社ではそういう感覚はない。会社規定が庶務の担当者が手元にあると便利だからと無断コピーして、しかも製本して手元に置くのが当たり前になっている。だから10年も前の様式が今も使われているなんて珍しくないのだ。


月に一回支社の巡回を予定していたが、「どうしたらいいのか分からない」、「管理職対象の講演をしてほしい」、「分からず屋を説得してほしい」、「現場を見てほしい」など各地から要求されて、実際には月2巡、更にひどいところでは1週間滞在して作業を手伝うとかしたこともあった。まだ天野も40前で、二晩くらいの徹夜は頑張れた。
大変な時期だったが、今思え返すと天野の会社人生最高の日々だったかもしれない。

本社・支社が認証を受けたのは2002年であった。


******

水島は清野の報告を聞いて、久しぶりに本社支社がISO14001認証したときを思い出した。
水島の扱っていた製品は国内専用だったから、欧州のISO9000sの認証には全く関りはなかった。欧州に輸出している工場がISO9000sを認証し終えると、それ以外の工場にも認証が広まっていったが、国内の営業では特段意味のあることではなかった。


あれは20年も前か
本社と支社が認証
するときだった。
まあいろいろあっ
たなあ〜
水島

ISO認証なんて日本で営業している限り、必須でもなければ他社に差別化できるものでもない。
工場の営業と一緒に代理店に行って工場の営業が「生産している工場はISO9001を認証しました」とISO認証機関のマークを付けた名刺(注4)を出しても、「それでなんぼ安くなるんか」なんて返されるのがせいぜいだ。

更に工場ではISO14001の認証もしなければならなくなった。
我々営業マンは何のためにと頭の上にハテナマークが浮いた。

まあ、そんな流れであったが認証というのも惰性があるのだろうか? 当社の工場でのISO14001認証が一巡すると、今度は本社も支社もISO14001の認証をするという話が広まった。
営業の人は皆、工場での苦労を見ている。今度は我々が記録と文書の洪水に巻き込まれるのかとげっそりした。

本社や支社もISO14001を認証するという噂が広まると、工場の人たちに会うたびに、環境方針を覚えなければならないとか、営業で環境配慮をしなくちゃならなくなると言われた。
営業の環境配慮? なんだ、それ?
要するに認証とは、とんでもなく手間のかかる面倒なものらしい。

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ISO14001認証が具体化したのは1999年だった。
本社総務部にISO14001認証の司令塔となるISO事務局を作るという。ISO14001は環境保護の規格だから、工場の場合は、廃棄物処理、省エネ、公害防止、植栽などを担当している設備管理部門が担当するところが多い。
だが、本社・支社はビル住まいのオフィスなので、担当部署はビル管理の担当である総務部が担うそうだ。
そう言われると確かに、什器も空調もごみ捨ても、総務の所管だ。

本社の営業部からISO14001認証を推進するためにISO事務局兼務者を出すと聞いた。
当時私のいた本社の営業には同期が4名いたが、私以外は皆、課長になっていた。予想した通り、部長が私にISO事務局で認証を頑張ってほしいときた。

ISO認証まで1年や2年かかるだろう。兼務とはいえ週に1日かそれ以上取られれば、営業での自分の成績は大きく下がるわけで、課長昇進は後輩に抜かれてしまう。
いや私を1年2年足踏みさせることが目的なのだろう。自分より後輩に抜擢したい奴がいれば、誰かがババを引かなくちゃならないってことだ。


******

天野は考える。
先週の打ち合わせでは理屈だけで方向性を考えた。だが実態を調べなければ対策を比較できない。例えば審査において現状ではいろいろ問題があるという話が出たが、実際には年何件くらいあるのか。そしてそれに対応するのに、手間暇がいかほどかかっているのか? それは対応する必要があるのかないのか……


いろいろあるが
どこから手を付
けたらよいもの
か?
天野

あるいは上はISO事務局に成果を期待していないという発言があったが、CSR部長はどう考えているのか。各職場の従業員はISO認証をどう考えているのか? ISOにかかる手間暇をどう考えているのか?

そういったことは事務局のメンバーが考えても分からない。兼務者の意見を聞いたり一般従業員にアンケート調査したりとか必要になる。


そういうことを思い浮かべると、こりゃ大変な仕事だ、認証したときと同様に、プロジェクトでも立ち上げてするような仕事だとネガティブな気持ちにもなるが、同時にこれはチャレンジしがいがあると思うとファイトが沸く。
認証した時と違い、今は部下もいることだしと思うと、天野はひとりニヤニヤしてしまう。


******

天野は事前調査としてやるべきことをまとめると、倉田と清野を集めて仕事を説明する。

天野 「先週の金曜日の打ち合わせ、いや説明会だったな、あれはとても役に立った。惰性で行っていたISO審査対応のお仕事が、これで良いのかと疑問を持った。
とはいえ現状把握はこれからだ。私たちは効果がないと思っていても、各職場では効果があると考えているかもしれない。

我々は認証機関への支払いを把握しているが、各部門ではいかほど準備に手がかかっているのか、スケジュール調整に手間暇がかかっているかもしれない。
それに支社においては営業所の点検などで出張も発生しているだろう。その時間、それにはそれをしているために営業がおろそかになる機会損失もあるだろう。

打ち合わせ 次に規格要求以外の独自要求というか、審査員の意見によって余計な仕事はどれほど発生しているのか、適合であろうと思われるものを不適合にされたことはあるか。逆に不適合と思われるものを見逃したことはあるか、
他社の情報漏洩に該当する事例の収集、当社のマル秘資料を欲しいと言われたこと、そんなことの事例の収集も必要だ。

ここには私の思いついたものをリストしたものだが、今日はこれを叩き台として意見交換をして具体的実施事項をまとめたい。
そして金曜日に水島さんが来たら行動計画を仕上げたいと思っている」

倉田 「天野さんは既に現状を改革する気満々ですね。私は現状で問題ないと思っています」

天野 「倉田君が今している仕事は何だ?」

倉田 「環境側面の再評価です。今8月ですから、年末の維持審査までにしっかりとしておきたいと思います」

天野 「君は毎年、環境側面の再評価をしているようだが、毎年しなければならないものなのか?」

倉田 「もちろんです。変化してないように見えても、取り扱っている製品やサービスの変化、賃貸している建物や設備なども変わります。その他、従業員数も変わりします。
ですから毎年する意味があるのです」

天野 「それは何に決まっているのかな?」

倉田 「会社規定の『環境側面に関する規定』で、毎年 環境側面を見直すように決めてあります」

天野 「そうか。では規定を持ってきて、どのように決まっているか説明してくれないか」

倉田 「見なくても分かりますよ、今日はいやに細かいですね」


倉田は打ち合わせ場から本棚まで行って、パイプファイルを持ってくる。
もちろん天野が作った規定だから、天野は調べるまでもない。わざわざ倉田に説明させるのは、倉田が規定通り仕事をしていないことを自覚させるためだ。


倉田 「ええと、どこだっけかな……あれ!」

天野 「その環境側面を毎年見直すは、どこに書いてあるか教えてくれ」

倉田 「あのう〜、先ほど規定に定めてあると言ったのは、勘違いだったようです。
おかしいなあ〜」

天野 「間違いは誰にでもあるさ。先ほどの説明が勘違いだったなら、環境側面の見直しはどうすると決まっているのだろう?」

倉田 「ええと、第2章第23条と……ええと初回評価は対象範囲の全部門の物理的インプット・アウトプット、及び各部門が持つ影響を調査し一覧表を作り、配点表によりリストした事項について表に掲げる各項目の配点を記入するとあります」

天野 「それは初回だね、次年度以降はどうするのかね?」

倉田 「毎年、ISO事務局は維持審査の3か月前に、前年度提出を受けた『環境側面見直し表』を添えて各部門に送付する。
各部門は、前年度からの変化を反映して今年度の『環境側面見直し表』を作成して、審査の2月前までにISO事務局に送付するとあります」

天野 「分かった。となると審査は12月だから、3か月逆算して9月末までにウチは昨年提出を受けたもの……まあ電子ファイルだな……を送れば良いわけだ。
今8月だから、そもそも今の時期に環境側面の見直しはできないはずだ。
さっき、倉田君は環境側面の見直しをしていると言ったけど、各部門からの新しいデータがないのに、どうして今その仕事ができるの?」

倉田 「えっ、ああ、実は前年度の表を見ていました」

天野 「過去のものを眺めても意味がないだろう。暇なら暇と言ってくれよ。仕事は山ほどあるんだ。
では今すぐ、この仕事に取り掛かってください」

倉田 「えっ、いやあ〜」

清野 「ちょっと倉田さん、細かいことは後で天野リーダーと相談するにして、ここは打ち合わせを進めてくださいよ」

天野 「それじゃ倉田君は昨年、一昨年に審査で審査員がアドバイスとか不適合ではないが改善必要といったことをすべて表にまとめてほしい。
審査報告書からではなく、各部門が提出してきた速記録があるだろう。あれを見てリストを作ってください。
漏れたり要約がおかしかったり、いい加減な仕事だと後々大問題になるからね。そのときはボーナスマイナスだよ、アハハハ」

倉田 「環境側面の見直しはいつから入りますか?」

天野 「君が説明した通り、会社規定では9月から作業に入ることになる。
但し今年の場合は、今回の調査をした結果で我々が方向性をまとめて、部長に改善案を説明してからになる。
いずれにしても9月前には決まるよ。ひょっとしたら見直し作業が不要になるかもしれない。

私は倉田君がこの過去の問題のまとめに2週間かかるとみている。納期必達は無論だが、可能な限り早く仕上げてほしい。
君から提出を受けたら、水島さんに入ってもらって方向性を検討しなければならない。そのときはまた倉田君に企画書のような形で作ってもらうからね」

倉田 「えー」

天野 「ええと、清野さんには大きく二つのことをしてほしい。
ひとつは現在各部門、各支社で事前準備やISO審査のためにしている仕事はどれほどあるか、それにどれくらいの費用と時間がかかっているかを調べてほしい。精度はほどほどで良い。

もちろん君がするのではなく、今言ったところの兼務者に調査事項を送って彼らに調査して書き込んでもらうようにする。
支社にも関わるから、調査票のドラフトを作ったら、水島さんと打ち合わせしたい」

清野 「分かりました」

天野 「第二のお仕事は……といっても今言った第一のお仕事と同時にしてもらうのだが、各部門でISO認証のメリットとデメリットをどう考えているかということ。これも調査票を作ってほしい。
ドラフトを作ったらこれも水島さんとで吟味する。
ドラフトの検討は二つ合わせて行うことはない。ドラフトが出来次第、水島さんと清野さんとで行うことにしよう。

調査依頼はふたつの調査票がOKになり、ゴーサインが出てから一緒に一つの公文で発信したい。
発信日の目標は2週間後、回収期限はそれから10日後とする
できるかな?」

清野 「大丈夫です」


倉田はただ一人、不満顔である。
どこの職場にもいるんだよね。重要じゃないどころか、しなくてもよい仕事を、さも重大なことのように一生懸命する人が。
ほかの職場で持て余したまっとうな仕事ができない人に、そういう仕事をやらせているケースが多いのが、日本の企業にあるあるだけど。



うそ800 本日の回顧

私はラインの仕事で大チョンボをして、品質保証に異動になった。私は有能ではなかったのだ。
そこで偶々ISO9001が登場したのでその認証に関わった。
ハッキリ言う。ISO認証なんてモノづくりに比べたら簡単で楽だ。だからラインで使えない人にやらせる仕事であることは間違いない。

実際にISO事務局なんて会社で無用な人がしているケースがほとんどだ。「私はISO事務局です」と言うのは、私は無能ですというのと同義かもしれない。
だってISO審査対応なんて、対象者のスケジュール確保、会議室の確保、費用の支払いくらいじゃないか。わざわざ審査対応の部署とか人が必要なはずがない。

そもそもISO認証なんて難しくない。
従業員はルール通りの仕事をしていれば良い。審査の際、審査員が規格要求にないことを言い出したら諭し、議論になったら法律は行政に、規格解釈はISOTC委員あるいは他の認証機関に問い合わせればよい。

付き合いのない認証機関に「規格項番〇〇はどう解釈しますか?」と電話したことは何度もある。そして回答をもらったら審査員に「認証機関○○ではこの解釈で問題ないと言ってます」と言った。何もおかしなことではない。
質問した認証機関から、回答できませんと言われたこともない。 だめだこりゃ

もっとも15年前は「消防署が言おうとも私のほうが正しい」とか「ISOTC委員より私が詳しい」と語った審査員がいて、困り果てたこともある。
今なら即 認証機関に抗議するところだが、まさかけんかはできない。
21世紀も四半世紀過ぎた今では、化石審査員は死滅したと思うのだが……

私は無能であったが、おかしなISOをまっとうに変えてきた自負はある。


お前の文章はいつも<最後が蛇足だ>と言わないで……
これを言いたいがために1万字書いているのですよ。(本日はちょうど1万字です)




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注1
当時、品質保証規格には品質保証モデル選択の指針のISO9000と品質保証モデルのISO9001、ISO9002、ISO9003があり、これらを総称して複数形の「s」を付けてISO9000sと呼んだ。

その後、ISO9000は用語の規格となり、ISO9001〜9003は9001に集約され、ISO9002はISO9001の指針となり、ISO9003は欠番となった。
ISO10011-1、ISO10011-2として監査の指針があったが廃止され欠番である。
これにガイド62が取って代わり、その後ISO19001かISO17201と変遷してきた。
覚えても役に立たず、覚えなくても困らない無用な記憶である。

注2
1987年の対訳本(当時はA4サイズだ)で久米先生が、非関税障壁ではないと書いていたが、EU統合でISO認証していないと域内の流通ができないとは、それすなわち非関税障壁ではなかろうか?

注3
商法改正で委員会等設置会社が認められたのは2003年であり、会社法が制定されて委員会設置会社という名称になったのは2004年である。

注4
名刺に認証機関のロゴや認証したという記述を載せるには、認証した組織に属する人でなければならない。
水島が売っている製品の製造工場がISO認証していても、水島の名刺には認証のロゴは付けられない。
まあ現実は結構いい加減だったりして。





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