*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但しISO規格の解釈と引用文献や法令名とその内容はすべて事実です。
注:文中「私」とは、作者である私、おばQのことではなく、このお話の主人公である「佐川真一」であります。お間違えの無いようお願いします。
イギリスで認証機関と審査契約が成って、審査日も決った。キックオフ開催は2月2日に決めた。
課長から教えてもらったISO認証を進めている他の工場に電話をかける。他の工場の状況を知りたいのと、キックオフに
「兵庫工場の品質保証課です」
「福島工場の品質保証課の佐川と申します。ISOを担当されている方をお願いしたいのですが」
「私、小林と申します。私が担当しております」
「初めまして、福島工場の佐川と申します。こちらでISO認証を担当しております。と言いましても今年になってからで、まだ半月です。
来月明けに認証のキックオフをするのです。どんなことをされたのか、教えていただけたらと思いまして」
「そちらも認証活動を始めましたか、大変ですね。こちらは昨年の10月末から作業に入ったのですが、何も分からないもので、今でも右往左往しております。
ウチではキックオフは11月にしましたね。どこも本審査より半年前くらいにキックオフですか。正直言って準備期間が短いですね」
「お宅は6月に本審査と聞きましたが」
「あと半年ないのですが、まだ規格要求を理解していないこともあり苦しいですね。文章を読んでもどこまですれば良いのか分かりません。
おお、キックオフの話ですね。大したことはしていません。やはりトップである工場長の挨拶は欲しいですね。それから営業から認証の必要性を語ってもらいました。ウチでは営業課長が話しましたね。何のために認証するのかを、目的をはっきりさせておかないとなりませんから。
この辺はそれぞれに、そういうことを話してくださいということでお願いしました。
お宅の工場長は作文してやらないとダメってこともないでしょう。工場長の言葉で語ってもらえばよろしいかと。
それから品質保証課長が認証までのスケジュールの説明をしました。規格の説明は、キックオフ時点では我々も細かいことまで分かりません。ほんとうの概要だけです。
最後は決起大会と同じく、ガンバローですよ、アハハ
各部門ですることはそれぞれ違いますので、各部門への説明会は……説明会というほどじゃありませんが、課ごとに行いました。キックオフの後に、各部門を巡回して10日ほどかけて行いました」
この当時、ISO9001を認証して会社を良くしようなんて考えた人はいない。当たり前のことだが、ISO認証も品質保証も顧客から要求されるものであり、商売上必要だからしたのだ。
ISO9000:1987の備考に一度だけ、「参考」に「内部品質保証」という言葉が出てくるが、そういうものがあると書いてあるだけだ。自分のために内部品質保証をしっかりやろうなんて文言はない。
ISO9000sは、単に品質保証要求事項を統一しようという発想であり、会社をよくするためという発想もないし、第三者認証というビジネスも想定していなかったようだ。
「ありがとうございます。だいたいの感じはつかめました。
本審査が6月とおっしゃいましたね。予備審査もあるのでしょう? そのときお邪魔してよろしいでしょうか?」
「予備審査は4月です。お宅の……猪越課長でしたか、頼まれています。
ウチは西明石と姫路の中間で、新幹線も止まりませんしね。お宅から東京まで1時間半、東京から3時間半かかりますよ。来るのに1日かかりですか、大変ですね」
「致し方ないですよ」
「そうそう、お伝えしておいたほうが良いと思いますが、本社の當山さんがキックオフに来ると思います。こちらではキックオフに彼が来て、彼の話でだいぶ混乱しました」
「本社の人が話す時間を取ったのですか?」
「そうなんですよ、事前に連絡なく当日来られて、自分にも話をさせろというのです。こちらは指導を受ける立場ですから、是非と時間を取りました。
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當山である |
長々と話をされたのですが、その内容が工場の人たちが頑張っても認証など無理だ、この私が指導する、私の言う通りしろという、上から目線で一方的で、社会常識に欠けますよ。聞いていた人たちは呆れました」
「止めるわけにはいかなかったのでしょうか?」
「本社の方ですしねえ〜。
ISO認証するには私が指導しないとダメだ、自分勝手にすると絶対にうまくいかないとか、そんなこと言われたのでやむなくでした。
しかしその後、何度も工場に来るようになってメッキが剥げてきました。本当に何も知らないのですよ。
設計の妥当性確認と設計検証の違いも分からないのです」
注:設計検証と妥当性確認の違いは、ISO9001認証が始まった当時は重大な関心事だった。官公庁向けとかでないと妥当性確認なんてしていなかったからだろう。
その後、改定があるたびに、だんだん複雑怪奇になってきた。
「今も定期的に指導に来ているのですか?」
「月に一二度来ていますね。指導というよりこちらの情報を盗みに来ているのではないですかね。していることは、前回彼らが工場に来てから工場で作成した資料をコピーしたり、何をしているかの聞き取りです。
それにね、彼の言ったことは後で間違いと分かることが多く、結構やり直しになりますね。とはいえ、言われたことを無視すると後が怖いですし」
「先行している工場では、カットアントトライもやむを得ないのでしょう」
「それはそうですが、失敗はすべて工場が悪い、自分の指導をちゃんと聞いてないからだと工場長とか上の人にほら吹いてましてね、参ります」
「ウチもそうなる恐れがありますね」
「そうですねえ〜。正直言ってウチでは来てほしくないのです。しかし偉いさんが當山氏を信用してまして困っています」
「此方も対応を考えないとなりませんね」
「キックオフで様子を見てからでも遅くはないですけど」
その後長野工場の伊藤さん、千葉工場の林課長にも電話をしてみたが、語ることは皆似たようなものだ。私が30年前に當山氏に騙されて痛い目に合ったのと同じだ。
千葉工場では、もう當山氏を呼んでいないという。本人が来たいと言ってくると、忙しいから対応できないと断っているそうだ。
それでも毎月二人で2日分として60万の請求が来ているという。
工場内部で検討した結果、支払わないことにした。支払わなくても向うからは苦情は来ていないそうだが、翌月も請求が来るという。どういうことになっているのか?
ともかく當山氏のことは……考えねばならない。
課長と話し合っておかねば、
今日は福田課長が私(佐川)、桜庭、山下を集めて開催に向けての打ち合わせだ。
「キックオフの日程が決まって一歩前進だ。キックオフに向けての役割分担を指示する。
キックオフの招集通知は私が出す。
参加者は工場の幹部、先週の経営層説明の出席者だから7名、それから関係課長が12名、他に担当レベルの関係者の出席希望が15名あり、都合34名、それとこのメンバーで38名か。
桜庭さん、余裕をみて45名が座れるようにしたい。
桜庭さん、教室は確保したのでしょう?」
「はい、場所は確保済です。座席配置とか掲示物、配布物が決まれば手配します」
「依頼するまでもなく、我々が机とか椅子の並べ替えはできるだろう。
議事だが、工場長の挨拶が最初の5分だ。工場長はそれで退席する。
それから営業部長がISO認証の必要性を語るとのこと。10分にしてもらうように頼んでいる。
それからウチより早くISO認証を進めている工場に聞いたら、當山氏がキックオフ当日に突然来て話をしたいと言ったそうだ」
「ここにも来るかもしれませんね。来た場合、講演はさせたくないです。傍聴だけにしましょう」
「基本的に講演も挨拶もさせないことにする。もめたら出てもらおう。
その後、私がスケジュールについての説明をする。これに20分くらいかけたい。
驚いた話だが、年度末で器具備品の予算が余ったのかどうか、SVGAのプロジェクターを購入して教室に設置するそうだ。キックオフの時にはそれが使える。
配付物のコピーは桜庭さん頼むよ。規定類は止めてもそちらを優先してくれ。
説明に使うパワーポイントは私が作るから、山下君は当日ノートパソコンを持って行って、映写できるようにセットしてほしい」
「お任せください」
「その後に佐川君が各課との打ち合わせの予定について、説明してほしい。できればその時点で各課の打合せ日時を決められたらいいけど、無理かな。
これを10分くらいでしてほしい。時間切れになったら別途各部門と打ち合わせるとしてほしい。
最後に質疑を10分くらい取る。順調にいけば70分だが、案内は1時間半で出す。
懸念は當山氏だ。もめると困る」
「同感です。私も他の工場に問い合わせましたが、突然やってきて話をさせろと言ったそうですね。独演が長く続いたそうです。お断りしましょう」
「そうしよう、それじゃ各自、担当事項を頼む」
私(佐川)の仕事の状況であるが、入手したISO規格のワープロ起こしは完了した。
A3サイズで表を作り、一列目の枡にISO規格を流し込んだ。それから二列目の升目に要求事項に対して何をしなければならないかを埋めた。
今は三列目の升目に、該当する工場の規定を見つけて、その記述箇所と概要を記入する作業中だ。
対照表は三段組でなく四列目まであり、そこには要求される種々の文書、記録類に相当するものがないかと、工場の文書、記録を探している。
正直言って、キックオフには間に合いそうない。キックオフ後の各部門の説明会のときに配れれば良いと思う。
項番 | 規格要求事項 | 要求事項の説明 | 該当規定 | 関連文書・記録 |
4.5文書管理 | ||||
供給者は、この規格の要求事項に関連するすべての文書及びデータを管理する手順を設定し、維持する。 これらの文書は、その発行に先立ち、権限を与えられた者がその適切性について審査し、承認する。この管理は、次の事項を確実にするために行う。 | 当たり前のことで工場の規定ですべて対応している。 実際には、この列の文字数はこの10倍くらいになる。 | 文書管理規定(XXXX) | ||
a) | 品質システムが効果的に機能するために不可欠な活動を行うすべての部門において、適切な文書の適正な版が利用できること。 | 工場規定の発行部数は13部である。全部門には配付されておらず、利用できるとは言い難い。 | 文書管理規定(XXXX) | |
b) | 廃止された文書は、速やかに発行及び使用のすべての部門から撤去する。 | 規定で差し替えは記しているが、処分方法の記載なし。追加必要 | ||
4.5.2文書の変更・改訂 | 文書の変更は、特に他に規定がない限り、最初に審査及び承認した同一の機能・組織が審査し、承認しなければ…… | 文書管理規定に記述アリ | 文書管理規定(XXXX) | |
可能な場合には、変更の性質をその文書中で、又は適切な添付文書で明確にする。 | 規定の改定欄だけではプアか? | 文書管理規定(XXXX) | 規定改定配付通知 | |
・ ・ ・ | ・ ・ ・ | ・ ・ ・ |
こんなものを何度作ったことか(笑)
規格のボリュームによるが、A3で10数ページにはなった。
勤務しているところならだいたいは頭に入っているが、全く知らない工場で作るときは各部門を回りヒアリングしなければならず、打ち込むのにも数日、実働半月くらいはかかった。
基本的に全部、問題なしとなれば……書面はOKだ。後は実行あるのみ。
私が指導したある会社は、審査のときこの表を見ながら対応していた。後で審査員からそれ頂けませんかと言われていた。たぶん、きっと、間違いなく転売したのだろう。
キックオフ当日となった。
予想通り、本社の當山氏とその弟子の山口青年が工場にやってきた。私は初対面である(30年前を除く)
挨拶の後、今日の話になる。
おっと、この会社では社内同士の名刺交換は禁止されている。お金(名刺)の無駄ということなのだろう。
どうせ名刺を消耗するなら、社外の人に配れということかもしれない。
「本日のキックオフでは私に話をさせてほしい。ISO認証の意義とか心構えについて語りたい」
「お申し出はありがたいのですが、既に予定も立てておりますので本日はご遠慮願います。傍聴はよろしいです。一般席ですがよろしく」
「猪越課長、少し本社の人を馬鹿にしているんじゃないですか? 本社の人が来れば話す機会を設ける、席は幹部と同じにするくらい気を使うものですよ」
「次回は考慮しましょう。本日はそういうことで願います」
注:ISO規格で「take into account」はJIS規格では「考慮に入れる」、「consider」は「考慮する」と訳すそうだ。そして「考慮に入れる」は、必ず考慮しなければならず、「考慮する」は右から左で良いらしい。
cf.「ISO14001:2004要求事項の解説」吉田敬史・他、日本規格協会、2005,p.59
いよいよキックオフ開幕である。
心を一つにする決起集会というより、今にもトラブルが起きそうで風雲急を告げる感じだ。
まずは工場長の挨拶である。数日前、猪越課長が挨拶文を作りましょうかと問い合わせたら、わしを子供扱いするのかと一喝された。
工場の興廃この一戦に在りという雰囲気の格調高いお言葉で、ISO認証に工場の存続がかかっている、しっかり頑張って期限までに認証せよと語った。認証の重要性は皆に伝わっただろう。
最後に品質保証業務の独立性、公平性を確保するために、品質保証課を製造部から工場長直下とするように組織を変えることを話した。
工場長が話したので、副工場長の出番はなくなった。副工場長とは工場長不在時の予備だからね。余計なことを話されるリスクはなくなった。ありがたい。
なぜか挨拶したら退席すると言っていた工場長は、自分の出番が終わっても残っている。
営業部長の話は、工場長よりも具体的なことで、取引先から1993年末までの認証を要求されていること。認証しないと輸出できないわけではないが、とんでもなく手続きが増えて現実的には実行困難になるということを、具体的にかみ砕いて説明してくれた。
従来の品質保証協定は、製造部がメインで他の部門は無関係であったが、ISO規格は製造だけでなく、設計も購買も人事も総務も関わる。ぜひともビジネス継続のために協力を願いたいと低姿勢だ。
こういう易しい言葉で分かりやすく話をする人は好ましい。さすが営業だ。
三番目に猪越課長が登壇して話し始めると、當山氏が手を挙げて発言を求めた。
猪越課長がどうぞという。
「本社のISO認証を指導している當山と申します。せっかくですから本社を代表して私がご挨拶したいと思います」
「本日、本社の方がいらっしゃるとは予定しておりません。突然来られてお話をしたいと言われましても、弊方も予定があります。本日はご遠慮ください」
當山氏気分を悪くしたようで納得しない。話をさせろと
尾関副工場長が手を挙げて、壇上の猪越課長に話しかけようとする。間違いなく當山氏に譲れということだろう。
だが、工場長が副工場長を制止して立ち上がる。
「工場長の田村だが、君はどういう立場なのかな?」
「本社の當山と申します。認証の指導に来たものです」
「本社を代表すると言ったが、まさか役員ではあるまい。
生産技術部長から代理を頼まれたのか? 生産技術部長からこちらに連絡はないが」
「本社を代表とは言葉の綾といいますか、ISO認証は大事ですから、是非と思いまして」
「いい加減なことを言わんことだな。社外の人がいたら問題になるぞ。
それから本社にISO認証指導を依頼するなら、業務委託になると思うが、わしは委託したという話を聞いておらん。となると、指導に来たと言うのは嘘になる。依頼される前に押しかけてきたのか?」
「認証しようとすれば、本社生産技術部の支援を受けないと絶対無理です。福島工場が認証をするという情報を得ましたので、そういった手続き前に指導に上がったわけです」
「じゃあ、まだ指導に入っていないわけだ。
今、我々は工場のビジネスのため、ISO認証に向かって進もうとしている。その目的やスケジュールなどの説明と活動に邁進しようと決起大会をしているところだ。
君はオブザーバーであり、ここで傍聴を許されたに過ぎない。口を挟まないでほしい。
指導が必要であれば、今後頼むかもしれない。静かにしなさい」
當山氏も副工場長も、エッという顔をして着席した。
おお、さすが工場長はまっとうだ。もしここで工場長が折れたら、組織として誤った対応であることは間違いない。
その後のプロジェクターを使った猪越課長の話は分かりやすく、出席者は納得したようだ。どんなプロジェクトもハードであることはしょうがない。
ただ製造部門は過去から顧客による品質監査を受けているので厳しさの相場は想像つくが、設計はそういう経験がないからなあ〜。
猪越課長の説明は時間通りに終わった。というより時間が来たから止めた感じだ。話そうとすればきりも限りもないから、切りのいいところで止めたのだろう。
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その後、質問を受けるというとたくさん手があがったが、當山氏の乱入により時間が押していて10人にとどめた。
製造部門は過去幾たびも外部の監査を受けていたことから、特段心配はないようだ。だが総務、営業、購買などはどんなことをされるのか心配そうだ。
設計は、審査対応の資料作りの時間と負荷の予測を心配している。
すべての質問を猪越課長が
當山氏の乱入のために私の話はまるごとカットされた。
面倒がなくなったから良しとしよう。
キックオフ終了後、品質保証のメンバーで後片付けをして品質保証課に戻る。おっと、品質保証センターに改称するのは4月1日付けだそうだ。
當山氏と弟子の山口青年も、我々と一緒に品質保証課に来る。
打ち合わせ場に全員が座り、桜庭さんが出したペットボトルのお茶を飲む。
「みんなお疲れ様でした。
山下君はパソコンが違うからかOSのせいか、パワーポイントの文字ずれが多くて修正ご苦労さん」
「あんなこと、なんでもありませんよ」
「皆さんは私たちのことを忘れていませんか」
「忘れていませんよ。遠くまで来ていただいてご苦労様です」
「我々を軽く見ているんじゃないですか。キックオフだからお話をしてあげようと、わざわざ本社から来たのに対応が悪い!」
「こちらとしても、いろいろ予定もあるわけで、予定にないことには対応できないこともありますよ」
「わざわざ本社から来ているわけだ、それなりに対応してもらいたい。今日のことは生産技術部長に報告しておく」
「わざわざとおっしゃいますが、親切の押し売りも困りますよ。そもそもお宅には指導依頼をしていません。此方に来たのはそちらの勝手です。
今日のこととはなんですか? 何かトラブルがありましたか?」
「工場長が私に発言させなかったじゃないか。重大問題だ」
「何の連絡もせずに来て、会議で発言させろと言われても困りますよ。
無断で訪問したために、工場が希望に添えなかったというだけでしょう。当たり前の話で、トラブルでも何でもない」
「分かってないな。本社の支援がなくてISO認証なんて無理なんだよ。
まあ、いい。今日はここのISO認証計画がどのようになっているか見てやる。君たちのミスや漏れを指摘してやろう」
「桜庭さん、今日の説明資料余っていたよね。一部、あ〜、ふたりか、2部渡してやって」
當山氏と山口氏が渡された資料を眺める。
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「うわー、このスケジュール表はすごいですね。兵庫工場ではスケジュール表自体なかったし、長野工場はイベントが少し書いてあって線を引いただけでしたね。
これはいい、この電子データ貰えますか?」
「私どもの作ったものはお粗末でしょうからお渡しはしません。
むしろ本社からすばらしい資料がいろいろもらえると聞いていたのだけど」
「私たちも手探りでして、試行錯誤中です」
「山口君、余計なことを言わんでいい。
君の作ったスケジュール表の方がすばらしいぞ、見せてやれ」
「これですが……そちらに比べるといささか……」
「「どれどれ」」
猪越課長と私がスケジュール表を見る。ガントチャートというよりWBSのようだ。
私が気にするのは、どんなタスクやイベントがあるか、自分が書いたものに抜けがないかだ。
「佐川君、どうだね?」
「書かれているタスクは、当工場のものとほとんど変わらず過不足はないようですね。各作業の工数見積もりが違いますが、それはお互いに初めてのことですから」
「それじゃあ、大した問題はないと見ていいかな」
「問題はないというと?」
「當山さんのお手を煩わすことはなさそうです」
「我々が考案したスケジュール表を見たことだって、本社の指導を受けたことになるのだぞ」
「當山さん、この表の右下に千葉工場が昨年11月作成と書いてあります。山口さんの指導を受けて作ったものでしょうか?」
「いえ、昨年暮れに千葉工場を訪問した時に頂いたものです」
「余計なことは言うな。本社は成功事例を他の工場に伝えるインフォメーショントランスファーも仕事だ」
注:インフォメーショントランスファーとは他人から入手した情報や資料を、右から左に渡すことである。
ITと言ってもInformation Technologyもあるし、Information Transferもあるから油断召されるな。
「確かにそうです。とはいえ、今お渡ししたウチのスケジュールも皆さんがお勧めする千葉工場の計画と同じレベルなら、當山さんから情報提供を受ける必要はなさそうです」
「尾関副工場長からは、是非とも指導をしてほしいという依頼が来ている」
「工場長は当面指導を受けるつもりはないと、キックオフで語っていましたね。
別に指導を受けたくないわけではありません。でも1日ひとり来ると15万も取るのでは、相当レベルの高い指導である必要があります。言い換えるとこの程度では頼む意味がありません。
本日はこちらの依頼なしでお二人が来ていますが、まさか30万請求なんてことはないですよね」
「いや今日の分として30万請求する予定です。電車賃だって一人往復2万かかるんだ。
なによりも我々が来たことで、キックオフも成果があっただろう」
「當山さん、冗談は言わないでくださいよ。そういうのを押し売りというのですよ。本社は暴力団と同じですか。
あなたがキックオフで進行を止めたのが10分としても、会場には40人からいましたから400分の損失です。本社にロスコストを請求したいですよ。
それにね、今日そちらさんが我々に提供したものと言えば、千葉工場から入手した資料を見せただけでしょう。それに30万はないでしょう。
あげくにここのスケジュールを欲しいという。それを皆さんはコピーして他の工場に回すのでしょう。苦労せずに濡れ手に粟ですな。時代劇の悪代官のようだ。
ところで1人で済むことに2人で来て、2人分請求とはどうなんです? これも刑法で強要罪ですね。
来るなら1人で来なさい。工場では2人で出張は禁止ですよ」
「じゃあ、お宅の副工場長が、我々に指導を頼むと言ったのはどうなるのですか?」
「さあ、なんなんでしょうね? 工場長もご存じないのですから、公式な話じゃないんでしょう。
書面でなく口頭なら、社交辞令じゃないのかな。
仮に言ったとしても、副工場長は他の工場から入手した資料を横流しする程度でなく、もっと高度な指導をすると想定していると思いますよ。だって先行工場の資料を入手するだけなら、わざわざ本社のお手を煩わすこともありませんし、何十万も払うことありません。他の工場とは常日頃から情報交換していますからね」
「高度な指導とはどういった?」
「詳しい規格要求の解説とか、適合・不適合の判断などでしょうね。もちろん確かな判断でなければ困りますね。當山さんがISO審査で大丈夫か問題があるかを、はっきり断定できるなら金を払います。
1日15万となると、それくらいできなければならんでしょう。
ご存知と思いますが、審査料でさえ1日15万は取りませんよ。11〜13万でしょう。15万取るということは、審査員以上の仕事ができる、しなければならないということです」
注:1日の審査料金は上がり下がりがあった。1990年代末は1人1日17万なんて認証機関もあった。最高値じゃないかな。
もちろん審査員の手取りはその3割程度だろう。ノンジャブが増えた21世紀は単価はだいぶ下がった。
「そう言われるとそうですよね。しかしそれは難しいですよ」
「難しくない仕事では金にならないよ。
それができないなら、皆さんが認証指導できるようになるまでは、お金を取るどころか工場に勉強させてほしいとお願いすべきじゃないですか。
工場の資料をコピーする際にはA4で1枚4,000円くらい払うべきだ。
ハッキリ言っておきますが、皆さんの指導を受けて手戻りが生じたら損害賠償を考えます。少なくても支払った指導料は返してもらわなければならない。指導を受けるに金をとるのですから当然ですよね。その覚悟を持って指導してもらわないと。
それと工場の責任者は副工場長ではなく、工場長です。今頃、本社の生産技術部長に苦情の電話をしてるかもしれませんよ」
猪越課長の言葉を聞いたからでもないだろうが、當山は立ち上がり山口を連れて部屋から出て行ってしまった。
副工場長に泣きつくのか、それとも本社に帰るのか、どうなのだろう。
それを見てニヤニヤしている猪越課長も、大物というよりちょっと心が病んでいるのかも?
本日のBGM
人生楽ありゃ、苦もあるさ
涙の後には、虹も出る
歩いてゆくんだ、しっかりと
自分の道を、踏みしめて
(作詞:山上路夫、作曲:木下忠司)
甲子園に出るためには県大会で勝たねばならず、その前に校内でレギュラー争いがある。
審査員と戦う前に、工場を食い物にしようとする本社を撃退せねばならず、工場には思い込みの激しい偏屈の上役がいて、パワハラを受け、濡れ衣を着せられる危険もある。
人生は大変だ。
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おばQさま ISO認証の始まりのお話を有難うございます。私も、少しづつ当時の事を思い出してきました。 >「ISO9000sは、単に品質保証要求事項を統一しようという発想であり、会社をよくするためという発想もない」 まさに、これが始まりで、認証される側としても「各社ごとに似て非なる品質要求をされるよりは、共通の品質要求があればメリットあり」だと感じました。 会社ごとに、独自の品質要求があり、同じ製品でも、会社毎に条件を変えて評価を行いデータを提出する必用がありました。 これが統一されるだけでも、認証される側としては仕事が減るので大きなメリットがありました。 加えて、要求する側も、共通規格に対する追加要求を定めれば、自社独自の要求も可能となります。これって、品質保証要求の標準化ですよね。 だから、共通となるISOが定める品質保証要求が定まり、それに納入側が対応していると説明出来ればISO対応は終わり。せいぜい定期的な見直しで十分のはずだった。 ところが、お話にある當山の如く、認証や指導でビジネスが出来ると考える人が出てきた。特に大会社のスタッフ部門や、定年後の仕事を探す人々にとっては「対応は大変だぁ」と騒ぐことで、仕事やビジネスを作り出すことを考える格好の機会になった。残念なことに、記事にある工場長のような「不要な事は不要」と言える立派な人は少なくて、副工場長のように無駄な仕事を増やす事を後押しする役職者が多かった。私が前居た会社でも、「大変なISO」に時間をかけるのが正しいと言う人々がおりました。 そうした人々は徒党を組んでいるので、厄介でした。 これを防ぐには、後知恵ですが、「ISO9000」とは品質保証要求事項を統一する事だと原則に戻り、自社に足らない部分と、それを越えた部分を明確にして管理するという原則なのでしょうね。たぶん、それ以外の事は不要な仕事になるのだと思います。工場長のように「不要な仕事はやらない」と言える人が少ないから、認証は大変な業務になったのでしょうね。 |
外資社員様 毎度ご指導ありがとうございます。 おっしゃることまさしく同意です。何事もすべては金もうけですね。 グリーンピースも金儲け。オーストラリアがクジラ保護を語るのもクジラ観光を盛んにするためだそうです。 ところがかってよりクジラが増えてきたために、南極海のオキアミが食べられて、ペンギン人口が減って問題だそうです。 ISOマネジメントシステム規格は粗製乱造で数は増えていますが、認証件数のトータルは変わらないようです。共食いですね。企業がいくつも認証するほど無駄金はなく、新しいのが現れたら古いのを止めて……ということでしょう。 なお、ISO50001エネルギーマネジメントシステムの認証件数は、見事にゼロ 正直言って私が拘ることもないのですが、かってこれで飯を食っていた(事実)身としては、末後の水を取る意味で書いております。 |
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