注1:この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但しISO規格の解釈と引用文献や法令名とその内容はすべて事実です。
注2:タイムスリップISOとは
月曜日、朝一番に佐川と山口は長野工場に入る。今日は先週のように、これからどうなることやらと不安になることはない。
早速、新沢課長と池神さんに会って挨拶する。二人とも明るい顔をしている。
長野工場 池神さん | 福島工場 佐川 | |
長野工場 新沢課長 | 本社 山口さん |
「進捗はいかがですか? 問題はありませんか?」
「三段組というのを池神さんに作ってもらった。池神さんは夜遅くまでかけて金曜日には仕上げたよ。努力の人だ」
「いやいや、手本がありますから作るのに労力はかかりましたが、悩むことはありませんでした。
作りながら気づいたのですが、やっているのは品質マニュアルに記載された文書や記録を升目に入れ込んでいるだけのようなのです」
「それは当たり前ですよ。だってそういうものだからです」
「ええとそれはどういう……」
「本来の作る順序は、まず完璧でなくても三段組の左列を作りまして、それをみんなが見て要求に見合った文書や記録を探して升目に入れます。皆でそれらを検証して必要な加除修正をします。完成した三段組を規格の項番に合わせて文章化したものが品質マニュアルなのです」
「ああ〜、そういうことか。ならば三段組は作る必要がなかったということになりますね」
「そうとも言えますが、それは結果論でしょう。三段組を作って点検した結果、お宅の品質マニュアルは満点だったと分かったということです」
「実は満点ではありませんでした。佐川さんの言い方をすると、算数の検算のように方法を変えて、あっているかを確認したわけです。そしたらいくつもの間違いを見つけて、文書を追加したり、記録を別のものに差し替えたりしたわけで」
「そうか、三段組を作って問題を摘出して完成したものをマニュアルにする。しかし長野工場では手順は前後したけど、結果として参照する文書や記録などが規格を満たすようになったということですね」
「そうです」
「ならば、やはり三段組を作る過程は必要なのだな」
「それに審査を受けるときマニュアルを見て質疑を受けるのと、三段組を見て質疑を受けるのを考えると、三段組の方が効率的だと思いますよ。文章を読んで考えるのでなく、升目を見れば答えがありますから」
「そうですね。マニュアルだと文章なので『○○をどのようにしていますか?』と聞かれたとき、すぐにどこに書いてあるか分からない。文章を読んで書いてあるところを探さねばなりません。
その点、三段組なら審査員・監査員が『○○』と言った瞬間に、横一直線に見ていけば良いのですから」
「それなら、三段組をそのまま品質マニュアルにしたらどうなのですか?」
「理屈から言えばそれでも問題ありません。ただ一般的に一覧表よりも文章が好まれるということ、それとマニュアルに書いてある情報よりも三段組の情報量は多いから、下手すると当社の仕組みがまる見えになってしまいます。
そもそもなぜ品質マニュアルを作るのかと言えば、規定そのものを社外に出してしまうことは当社の重要な秘密を見せてしまうことになります。それでマニュアルでは『その規格要求は社内文書の○○に書いています』と留めているわけです』
「なるほど、すべては理由があって落ち着くところに落ち着いているのか」
「それでは審査員の前で三段組を広げたらまずいですかな?」
「まずい理由はありません。マニュアルを見るのと同じことです。
ただですね、審査員が三段組を欲しいというかもしれません。そのときは断ってほしいのです。当社のノウハウは秘密にしておきたいですから。
同じ理由でこちらから積極的に見せることはしないでほしいのです。
あのですね、審査員の多くはコンサルをしているのです。審査に行った会社のいろいろなテクニックや資料を入手して、それを自分がコンサル……つまり指導している企業に見せてお金儲けをしているわけです」
「誰かさんと同じようなことだな」
「そうです。入手先とコンサル先はつながりがなく、審査員の作品でなくよそ様の作品だと、ばれなきゃいいということでしょうね。
まして審査された会社は『参考に欲しい』と言われると、提供しないわけにはいきません。渡さないと不適合を出されるかもしれませんからね。
そんなわけで当社のノウハウはあまり見せたくありません」
注:「そんなことはない!」なんて言わないでくださいよ(笑)
多くの審査員から「判定委員会で説明するために、あの資料が欲しい、こういう資料を作れ」と審査の度に言われました。あまりにも手間暇(かかりきりで数日かかった)がかかるので、おねだりが一番ひどい認証機関の偉いさんに電話して、判定員会の資料を減らしてほしいとお願いしました。
すると「判定委員会ではそんな資料を必要としていないし、委員会で提示されたこともない」という仰せ。そして断って良いと言われました。実際にそれ以降、そういうおねだりはなくなりました。とはいえお土産のおねだりは、2003年の読売新聞のISO審査員の饗応批判報道まで解消しなかった。
😮 |
「了解した。いずれは漏れていくでしょうけど、わざわざ教えてやることはない。覗かれるくらいは仕方がないと」
「審査員の質問が、常に項番から切り込んでくれるといいですが、どの項番か分からない質問のときは困りますね」
「現実の審査では項番から質問する審査員は初心者で、ベテランは項番から質問せず、自由奔放に質問してきますから、そう簡単ではありません。
しかし最初の審査では項番を切り口にするのは間違いないです。なぜなら初回審査では、全ての要求事項が満たされていることを確認する必要がありますから。
さて、三段組も完成して、チェックした結果、文書と記録は万全だとなりましたが、現場……製造だけでなく購買や設計の事務所も含めてですが、文書管理や記録の作成保管の状況はいかがですか?」
「それを今週から池神さんが各部門を内部監査して確認する予定です。1週間で一巡し、次の週に是正状況を確認する。更にもう一度内部監査をして是正確認までを予備審査前に終わりたい」
「私も今回は第2回目の品質監査としてそれをするつもりでした。それではいくつかの部門に私も同席させてもらい、状況を拝見しましょう。
それで今回の点検を2回目の内部監査として記録も作ってほしいのです。お宅さんが予備審査を受けるときまでに3回の内部監査ができるでしょう」
「先週、佐川さんと一緒に各部門の文書チェックをしましたが、不十分なところが多々ありました。記録のチェックをすると未作成、内容不十分、様式が違う、決裁者が違うとかハンコがないとか問題だらけでした。
佐川さんから先週の点検結果を内部監査の記録にまとめたのを頂いたのですが、不適合ばかりでそれを内部監査としても、審査で見せるのが恥ずかしいので止めたいのですよ」
「ものごとはまず現状把握から始まります。現状がまずければ、それを改めれば良いのです。決して過去のものを修正したり後付したりしないこと。
それと審査のとき、ISO認証活動をする前の記録は不十分でも問題視されません。むしろそれを問題だと内部監査報告書に取り上げて是正をしていれば、内部監査も是正処置もしっかりしていると評価されます。
ということで内部監査を繰り返ししたこと、是正を積み重ねて改善してきたことを示したいですね」
「なるほど、それじゃ池神さん、頂いた内部監査報告書を正式なものにして部長経由工場長にお見せしよう。カバーレターに最初の段階はこうだけど、継続的改善を進めて予備審査までに満足できるレベルにすると書いておく。
今日もそういうスタンスで内部監査をしてほしい。三段組を持って行けば監査はできるんだよね?」
「そうです、いちいち規定集を見ることがありません。というか三段組そのものがチェックリストなのです」
山口のポケットに入っている携帯電話が着信音を鳴らした。
山口は皆のところから離れて、しばらく電話で話をして、みんなのところに戻ってきた。
「問題発生です」
「えっ、山口さん、何か問題でも起きましたか?
あまり心臓に悪いことを言わないでくださいよ」
「新沢さんが金曜日、千葉工場の林課長に、先週私たちが来たことを電話で語ったそうですね」
「ああ、佐川さんが来てくれたおかげで、今までの予備審査に自信がついたと言っただけだよ」
「それって十分、自慢話だと思いますよ。
そのために問題が起きました」
「ハテ、なんだろう。私のせいだなんて言うなよ」
「いや、新沢課長のせいです。今朝のこと、千葉工場は改めて本社の指導を受けたいと、私の上司の野上課長に願い出たそうです。
そして今の電話は野上課長から、佐川さんは出張を切り上げて、すぐに千葉工場を訪問しろとのことです」
「えっ、そりゃまずい。長野工場で月曜と火曜、兵庫工場が水曜と木曜で、金曜日に福島工場に帰って内部監査員教育をする予定なんだ」
「だって千葉工場はもう本社に頼らないって言ったのだろう。もう指導しなくていいじゃない」
「そうだったのですが、新沢課長の話を聞いて気が変わったのですよ。余計なことを!」
「まあいい、まずは長野工場の今日の予定を消化しましょう。千葉はそれから考える」
「そう願います。
今日は皆さんが来るのに合わせて10時から業務課です。業務課は事務所と倉庫の現場があります。
そして昼からは製造1課で、3時から営業を見てもらい、4時半から我々の反省会というか講評と考えています」
「では始めましょう。監査側のメンバーはこれでよろしいのですか?」
「私がリーダー、監査メンバーは佐川さんと山口さん、そして大林総務課長の4名です。総務課長は現地集合です」
「私はついていきますが、見学です」
営業部の事務所の中に、営業1課、営業2課、業務課、サービス課と島が四つある。
一行が営業部の部屋に入ると、頭がグレーになりつつある男が、会議室らしきドアのところで手を振った。
一行が会議室に入る。
手を振った男は本田と名乗り業務課長だと自己紹介した。部屋には他に数人いたが、対応するのは彼と部下の須田という。
他は営業1課長とサービス課長そして彼らの部下の5名だった。内部監査を見学するという。新沢課長を含めると見学者は8名だ。
監査側が4名、見学者が8名もいては、監査を受けるほうが2名では心細いだろう。いや、案外本田課長は図太いのかな?
監査を受ける部門 | オブザーバー(見学者) | 監査者 | |
新沢品質保証課長 | |||
監査員 山口さん | |||
業務課 須田さん | 監査リーダー 池神さん | ||
本田業務課長 | 監査員 大林総務課長 | ||
監査員 佐川 | |||
「それでは業務課の内部監査を始めさせてもらいます。
手順としては、業務課の業務の説明とその記録をここで確認させてもらい、その後、倉庫に行って現物の保管とか管理状況を見せてもらいます。最後にここに戻り監査結果のまとめをします」
「承知しました」
「早速ですが、製品の保管と出荷は、お宅の業務ということでよろしいですか?」
「はい」
「運送業者の選定はどのように行っていますか?」
「弊社は運送会社を関連会社に持っておりません。それで出荷地と目的地で評判の良い小回りの利く運送会社を使っています。大手もありますし、地元密着の運送会社もあります」
「運送会社を選定したときの記録、また使っている運送会社を定期的に評価などしていますか?」
「そういうものはありません」
「となると運送会社の選定は、業務課ではないのですか?」
「実を言ってそういうことは購買課でしています」
「では運送会社決定は購買課の担当ということですね。輸送上の問題、落下とか破損など起きた場合は、その情報を業務課が購買課に伝えて業者の評価につながっているのですか?」
「正直言いまして、そういう情報も運送会社と購買課が直接やり取りしていて、我々はあまり関りがありません」
「分かりました。そうすると業者の選定もトラブル交渉も購買課ということですね?」
「そうです、実際には購買課に輸送体制を構築してもらっているようなものです。もちろん個々の輸送を発注するのは我々ですが」
「了解しました。運送業者の選定については購買課でヒアリングすることにいたします。
話は変わります。保管中の温湿度あるいはその他の条件などは、決まっていますか?」
「技術が作っている『製品保管輸送仕様書』というのがありまして、そこで定められた基準を維持するようにしています」
「これです」
須田は紙ファイルに綴じられた10ページもない薄い資料を広げて説明する。
「この基準が適用されるとは何に書かれていますか?」
「営業の規定に『製品の保管及び輸送に関する規定』というものがあり、その中で技術が定めた『製品保管輸送仕様書』に定めるところによると記述されています」
須田が工場の規定集を探して、該当箇所を広げて指さす
池神はそれを見て、うんうんとうなずく。そして何かをメモする。
「輸送途中で、例えば物流センターなどに置かれることもあるでしょうけど、そういったときの保管環境なども決めてあるのですか?」
「先ほどの話からもお判りでしょうけど、実際は購買課が業者に対して『製品保管輸送仕様書』を配付しており、輸送中や積み替え時の一時保管時の環境などを周知しています。我々は何もしていません」
「なるほど、輸送中や保管中のトラブル、破損、劣化などの発生や苦情はありましたか?」
「苦情というよりも、輸送中事故で破損しましたというのは、年に一二度発生しています。
実際問題として製品が機械部品というかユニットですから外部の温湿度が高い低いはあまり影響ありません。本体はポリ袋に入り密閉されています。露結はダメと定めておりますが、日本では問題になるようなことはありません」
「分かりました。
製品には似たような形状とか段ボールのサイズが同じとか型名が似ているとかあるでしょうけど、保管や輸送中の識別はどうでしょう?」
「当社では製品コードですべて管理しています。ですから品揃え、出荷などにおいては、段ボールに表示された製品コードを見て判断しています。知る限り過去数年間現物違いという事故はありませんでした。最近はバーコードリーダーも普及してまして、間違いは起こりにくくなってきています」
「それはお宅から出荷された後、輸送や積み替えのときも徹底されていますか?」
「運送業者が段ボールの大きさが似ているから、同じものなんて認識はありません。どこでも品物の品名、この場合は製品コードを見て扱います」
「倉庫の保管中の温湿度は記録していますね。その結果の判定は誰がいつしますか? つまり温度が限度を超えていたなどのチェックは誰がいつするのでしょう?」
「倉庫には業務課の倉庫係長がいます。彼が毎月、温湿度記録表をチェックします。異常があればその時点で話が来るはずです。
あっ、毎月の報告はそればかりでなく月間の勤怠や稼働率とか運送の事故などをまとめて報告します。こちらには月報という形でそういったものをまとめて倉庫月報というもので報告が来ます」
「それは何に決まっていますか?」
「こちらの『倉庫管理規定』のここに定めてあります」
本田課長が須田さんから規定のファイルを受け取り、池神さんの向きにして机上に広げる。須田さんが文章のある場所を指さす。
「月報は保管していますか?」
「3年保管です。須田君、持ってきて」
須田が一旦部屋から出て、すぐにパイプファイルを1冊持ってくる。
「例えばこれが最近の倉庫月報です。
あっ、2月は室温が基準以下になっている日がいくつかありますね。
須田君、どうしたんだっけ?」
「テント倉庫の引き戸が大きくて、開けると一瞬に室温が下がるのですよ。まあ、ものがものでして特に影響は受けません。製品に塗布されたオイルが固くなりますが、室温が上がれば元に戻りますし、悪影響はありません」
「そういったことを報告書にコメントすることはないのですか?」
「まあ、毎度のことでしてコメントするまでもないかと」
「うーん、本田課長さんがこの報告書を受けたとき、異常に気付きOKと判断したのか、異常に気付かなかったのかが分かりませんね。
現に今、本田課長さんが須田君に聞いたところを見ると、異常があったことを知らなかったようです。
となると倉庫報告書を見ていないのかと疑問を抱きます。
それじゃ、倉庫に行って現場を拝見します」
一行は見学者も含めてぞろぞろと表に出ていく。
テントハウスに入り、その中にある6畳間くらいの大きさで壁と天井がある現場事務所がある。冬季は外気がもろに入って来るのでは寒いだろうから、小さな部屋を作っているのだ。
そこで倉庫係長と挨拶する。それから倉庫係長がテントハウスを一通り歩いて説明する。
テントハウスとは鉄骨の骨組みに、厚地の布で屋根と壁を張った建築物。大きなものが安く短期間でできるために、
倉庫やイベント会場に使われる。
大きな方では幅77m、長さ150m、高さ46mが世界最大という。小さい方ではバイク用車庫がある。
要件を満たせば固定資産になり、減価償却年数は31年だから木造建築と同じで、仮設とは言えない。
ちょうど運送会社のトラックが来ていて、トラックの運転手が、自らフォークリフトを運転して荷物を積んでいる。保険はどうなっているのか?、人身事故や製品の破損など起きたときの扱いはどうなるのか?
テントハウスのドアは人がスイッチを入れると開閉する。3月の今はだいぶ暖かくなったが、冬場は辛いだろう。ドアを二重にして風除室を設けたらどうだろう。保管環境も良くなるだろうし、冬の作業は楽になるだろう。
そうすると倉庫の面積が減ってしまうのか? そこまでする必要がないのか?
そもそも冬季はフォークのタイヤで雪を持ち込まないのだろうか?
プラスチックパレットに積んである製品コードを見ると、確かに同じ製品コードの者が積まれている。とはいえ同じ大きさの段ボール箱で高さ5センチくらいの黒字の英文字と数字だけで識別とは、いささか心細い。バーコードはあるが、現場でバーコードを読めないときもあるだろう。
温度湿度の記録表は3月と記された用紙が入っていた。しかし今は3月末なのに、温湿度が記録してあるのは月初めの数日だけだ。まあ、そんなこともあるか
みんなはそんなことを思いつつ歩き回った。
テントハウスで40分ほど費やして事務所に戻ってきた。
営業の女性がホットコーヒーを出してくれた。給茶機でなくドリップの本物だ。
少し喉を湿らして、監査のまとめだ。
「どうもご協力ありがとうございました。
本日、気づいたことを申し上げます。気づいたことを色々申し上げますから、自由に意見交換をしたいと思います。
そして工場の規定に反しているものや、ISO規格を満たしていないものを不適合としたいと思います。もちろんそうするには、監査を受けた人のご同意いただくことが前提です。
ええと、まず運送業者の評価とか決定は、購買課だと言い切ったほうが良いと思います。製造現場で使っている材料や副資材あるいは外注会社など、発注や委託している部門が決めているわけではありません。すべて購買が決定します。それと同じかと思います。
当然、そのとき委託先に要求する管理なども購買課の仕事になると思います」
「了解しました。正直言って私が評価して決めなければならないと思い込んでいました。現実を説明すれば良いのですね」
「そのようにお願いします。
それから出荷後の苦情も業務課でなく、営業課あるいはサービス課が受けて対応するのではないでしょうか。それなら自分の部門ではないと言い切ってほしいです。『この仕事がお宅でないならどこか』と聞かれても、本田課長さんが知らないなら知らないと答えてOKです」
「了解しました」
「荷物の搬入搬出の際の気温変化については、問題ないかどうかの確認をしてもらい、問題ないなら解放時の気温は除くとかなにか、読んで納得できるようにルールを見直してください。少なくても現状ではルール違反です」
「須田君、今後検討しよう」
「現場は以前から風除室が欲しいと言ってました」
「それも含めてさ……池神さん、了解しました。不適合としておいてください」
「今までのところはご了解いただいたことでよろしいですね。
では次ですが、月報についても異常があれば、それを認めるとか対策を取るとかをしっかりと記載してください。もちろん異常をそのまま認めるわけにはいきませんが、『規定の○○の○項に基づいて問題ないと認める』とかいうコメントは欲しいです。それがないと本田課長さんが異常を見逃したことになります」
注:「めくら判」と書いて、これは大丈夫かと調べると、「めくら判」はれっきとした差別語になっていた。人情紙の如く薄く、差別語の壁は大気圏より厚い。
「分かりました」
「皆さんの方から何かありますか?」
「ありません」
「ではテントハウスですが、佐川さんが進めてください」
「フォークリフトの運転を社外のトラック運転手がしていましたが、運転をするという契約になっていますか?」
「特に決めていません。何分にも手が足りないものですから『フォークリフト運転技能講習』を修了している運転手がす るのは黙認しています」
「品質にも関わりますし、安全上も問題です。事故などに備えて、保険を含めてしっかり取り決めしておくことが必要と思います」
「私も総務部長として、いや総括安全衛生管理者として問題だと気づいた。事故など起きると大きな問題になる。
元々この工場ではフォークリフト運転は指名業務にしているはずだ。講習会を受講しただけでなく、工場で許可した人しかできない。
現状で手が足りないなら、まずは社員か構内外注会社の中から選任すべきだ。それでも足りないなら、運送会社としっかりと契約の中に盛り込みたい。とはいえ運送会社の運転手も固定していないだろうなあ〜」
「分かりました。それについてはとりあえず不適合にしておいてください。早急に検討します」
「了解しました」
「あ〜私から、
テントハウスの温湿度記録の用紙に温度と湿度が記載されていたのは数日しかなかった。もう月末だよな。
今日の内部監査のために、わざわざNGを作っておいてくれたのかと思ったよ」
「実は私もテントを歩いていて気づきました。非常にまずいと思います。
それも不適合にしておいてください」
「それくらいでも不適合ですか?」
「3月分の記録が何らかの事情で記入漏れがあっただけかもしれませんが、過去のものがどうだったのか心配です。
月報に添付されていた温湿度記録は、現場に掲示してあった様式と違いましたが、2月分の気温の記録用紙はどうだったのですか?」
「須田く〜ん、どうなってる?」
「月報には現場に置いている温度湿度記録の記録用紙ではなく、転記したものを添付しています。現場に掲示して日々記入している用紙は日にあたって退色しますし、ボールペンの書き間違いとかあって汚いので、そうしています」
「現場で2月分の日々記入した用紙はどうしているの?」
「月報に添付したものを正式な記録として、元になった方は捨てています」
「そうすると、過去のものの真偽は分からない。捏造って可能性もあるのか」
「池神さん、これについては過去の物がどうだったのか調べてもらうことにしましょう。
私は転記せずに、現場で記入した用紙をそのまま添付するのが良いと思います。
いずれにしてもこれは不適合になります」
「いやいや、大したことないと思っていたが、大きな問題だったのか」
「それから温度記入ですが、シャープペンシルでした。記録は鉛筆でなくボールペンなど、簡単に書き直しできない筆記具で書いてください」
「間違えて書くと消せないので鉛筆なのです」
「消して書き直すのを防止したいのです。書き直すときは見え消しと言いますが、二本横線を引いてその脇に正しい数字を書くよう徹底してください。これはISOでなく企業なら常識です」
字が下手なのは生まれつきです | 記載した文字を修正するときは、後で修正したことが分かるように、横線を2本引いてその近くに正しいものを記載する。 必要な場合は修正者名、修正日を記載する。 ぐちゃぐちゃに元の数字を読めなくするのはダメ 修正液、修正テープの使用はダメ |
・
・
・
「ええと、まとめです。
不適合については以上のとおりです。
良い点として須田さんが説明するとき、文書や記録を広げて、指さしして説明するのが良いですね。他の部門でもそのようにするよう指導してください。
また課長が自ら対応するのは良いですね。部下に丸投げして自分は見学する課長もいますから。
本田課長、ご確認の上ご了解されましたらサインをお願いします。
それでは第2回目の業務課の内部品質監査を終わります」
「えっ、第1回目じゃないの?」
「先週、佐川さんがしたのを第1回とします。
予備審前に何度も内部監査をしていると、ISO審査のとき評価が上がるんだって」
「そうか、じゃあ3回目もあるわけだ。次回は不適合ゼロを目指すよ」
お昼の10分ほど前に、監査メンバーは品質保証課に戻る。
女子事務員がお茶を出してくれた。これは給茶機の紙コップだ。もっとも今どき、急須でお茶を入れる所はないか。
「業務課の内部監査結果はいかがでしたか?」
「思ったより出来が良かったと思いますよ。特に本田課長と須田君の対応は良かったですね。他の部門もあのようにリアクションしてくれたらいいですね」
「いやあ、池神さんの語り口はすばらしい。雑談のような感じで切り込んでいくのがいいねえ〜。
今まで隠れていた才能だな」
「池神さんの話し方は良いですね。監査でなくて世間話的で私は好きですよ。
その後で、しっかりと不適合を出すあたりしびれます。
本田課長さんもそつなくやってましたが、あの陰には須田さんでしたっけ、内助の功が相当ありますね」
「以前、試験的に内部監査をしたときとは大違いでしたね。あのときは教科書を読んでいたようでした」
「アハハハ、お褒め頂いてうれしいです。
こんな調子で良いなら私にもできます」
「監査の締めでも、報告書でも、良かった点を具体的にあげてください。今回もバージョンの不適切がなかったと誉めてください。
但し、全体的に良かったというのは、誉めるところがないことですから、その言い回しは使用禁止です」
「そういえば規定のバージョンのチェックをしてませんでしたね」
「池神さんが質問していたとき、私がしっかり見てましたよ。目次も中身も古いものはありませんでした」
「そうか、内部監査員も大勢いるわけで、次回は分担を決めていかないとなりませんね」
・
・
・
「ええと済みません。私の都合ですが、今日これからと明日は山口さんと池神さんで長野工場の内部監査をしていただきます」
「ええ!それは……困るなあ〜」
「そうか、佐川さんは千葉工場ですか。しかたないですね」
「私は現場で係長が案内するのを聞いていただけで、温湿度記録表とかフォークの運転手のことなど目がいきませんでした。
佐川さんがいないとなると……もっと注意力が必要ですね。現場経験がないと気づかないのかも」
「仕方がない、池神さん、佐川さんのいない分を私たちが頑張りましょう。
佐川さんはすぐにも東京に戻るのですか?」
「まだお昼ですから、3時まで製造1課の監査には同席します。
その後、おいとまして今日中に千葉に行きます。山口さんは行ったことがあるでしょうけど、千葉工場と言っても千葉市でなく、成田空港の手前の佐倉市の工業団地ですから、ちょっと遠く交通不便なようです。いずれにしても明日朝一に、訪問するようにします。
明日は火曜日ですから、一日で終わるなら兵庫工場に行きますが、たぶん終わらないでしょう。
二日かかるとなると、木曜日一日のために関西まで行くのは移動時間がもったいないので、そのときは山口さん一人で兵庫工場の内部監査をお願いしたい」
注:15時に長野工場を出ると聞くと、余裕があってさぼりに見えるかもしれない。
しかし新幹線のないとき長野⇒東京は特急「あさま」で2.5〜3.0時間、東京⇒佐倉は今も昔も1.2時間だから、15時まで仕事をして長野駅発16時なら余裕があるわけではない。
私は出張ばかりしていた人間なので、余裕のない移動の辛さはよく分かる。架空の人物にしても、乗り換えも駆け足の出張はさせたくない。
「佐倉駅前にはビジネスホテルがないですよ。ホテルどころか駅前に何もありません。夜遅く電車を降りたら途方にくれますよ。
佐倉まで行かず、千葉市駅前のビジネスホテルに泊まって、朝電車で行くのが良いです。電車で佐倉駅まで20分、佐倉駅から工業団地までタクシーで15分というところです。
それで、佐川さんは金曜に福島工場に行くのは決定ですか?」
「自分の工場が不合格になるようでは、他の工場の指導はできませんからね。日程的にもなんとか今週中に内部監査員教育をしたいのです」
「ウチの池神さんがこの工場を放っといて、他の工場の指導をするなんてあり得ないよ」
「まったくです。佐川さんは本社の人じゃなくて、今まさにISO認証しようとしている工場の人ですからね。頭が下がります」
本日の不思議
忙しいとき、ますます仕事が増えるのは、なにか法則があるのだろうか? パーキンソンの法則の変化形だろうか?
更に不思議なことに、忙しくなるほど対応策(解決策とは言えないが)を思いつき、なんとかなるものだ。これはゾーンに入るからだろうか?
おっと、引退した私は、忙しいなんて状況はあるはずがない。
とはいえ面白い本を読んでいると寝るのも忘れて、1時2時まで本を読むのは珍しくありません。
家内は翌日、日中にすることがないのだから、早く寝て次の日読めと言います。
でも家内だってチャンバラ小説を買ってきた日は、真夜中どころか3時4時まで読んでいます。
家内に昼読めというと、昼間は卓球が忙しいそうです。
<<前の話 | 次の話>> | 目次 |