注1:この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但しISO規格の解釈と引用文献や法令名とその内容はすべて事実です。
注2:タイムスリップISOとは
1993年4月5日(月)である。
凸凹機械の従業員が持ち出した資料を千葉工場が購入した問題を、佐川が凸凹機械のISO認証を指導することでチャラにしようとしたことに、佐川が異議を申し立てた。それで野上課長は、アクチュエータ事業本部の松本氏から詳細を聞くことにした。
野上課長が佐川を伴い、アクチュエータ事業本部の松本氏を訪ねる。
「ああ、野上さん、先だっては凸凹機械の件、ありがとうございました」
「その凸凹機械の件だが、佐川君がISO認証応援することの範囲とか期間を、先方と取り決めたのですか?」
「まだ何も決めていないが、何か問題かね?」
「当社のISO認証及びその指導法を外に出すことは、知的財産の流出だというのです」
「そりゃ指導するくらいだからノウハウであることは分かる。だけど、たかがISO認証の方法など世の中で価値があるのかね」
「その方法が分からないから、千葉工場の今があるのでしょう」
「そう言われるとそうだね。しかし知的財産といっても、持つ人によって価値が替わる。使える人なら価値があるだろうが、猫に小判ということもある。
当社はISOコンサルをビジネスにはせんでしょう。それで儲けようとはしないなら流出しても損害は発生しない」
「いや、価値とは自分が事業化することだけではありません。当社が苦労して築いてたものを、タダでコンサルして、他社の苦労を減らすのは当社にとって損出です。
そしてノウハウは一旦手にすれば自分がそのノウハウを販売できます。当社のノウハウを得た企業がビジネスにできるのです」
「まあ、そう言われればそうだな。こりゃ法務の清水さんを呼ぼう」
松本氏が法務に電話して清水氏を呼ぶ。
5分後に清水氏登場。
野上、松本、佐川がそれぞれの意見を清水氏に述べる。
話を聞き終わると、清水氏はすぐに語りだす。
「いや、僕もね、あのとき具体的に範囲を決めておかないと、問題になるなと思っていたのよ。
ひとつは佐川さんが言ったように、ノウハウは知的財産だから無償で出すのは問題だよね。厳密に言えば我々が会社の財産を他人に提供するわけだ。当社にメリットがないなら問題だね。早い話が背任だよ。
それが当社の悪事とは言わないが、不祥事隠しの口止め料なら非常に問題だ。
半面、佐川さんが指導したことで問題が起きた場合、向うから損害賠償を請求される恐れもある。片務契約だってそういうことはあるからね。
利益を与える片務契約で、何か事故があって補償を要求されたら、馬鹿を見ることになってしまう。それを決定した野上課長と松本さんは責任を問われるだろう。
少なくても佐川さんが凸凹機械に行くことは、正式に業務命令にしないとならない。そうしないと佐川さんだけが責任を負わされる。まあ、お二人とも佐川さんに責任転嫁して逃げるとは思わないけど、いざとなれば分からんからね、フフフ
それから認証指導をするのをどこまでするか、一般論だけか、真にノウハウと言われるところまでか。
そういった指導の範囲と当社の責任を明確に決めておく必要があるね」
清水さんは偉い人を何とも思わず、思ったことを言う人だ。
とはいえ清水さんも偉い人だから、フザケルナと言える人はいない。
「なるほど、いろいろ考えて煮詰めないとまずいわけですね」
「そうなのよ。
佐川さんは、凸凹機械では訪問先でもあり、松本さんに反論しなかったようだけど、内心は悶々というか冷や汗をかいていたんじゃないかな、アハハハ
本人としては、そういう条件をはっきりしてくれないと、お前の専門だからちょっと教えてやれなんて言われても、ハイとは言えないよね。
私も、松本さんが覚書の案を作ったら、そういうことを反映しているかを確認しなくちゃって思っていたよ」
「はあ〜、清水さんもそういうことをお考えだったのですか。私はどうも簡単に思っていたようです」
「まあ、そんなに心配することはないよ。あの場では覚書を作ろうという話をしたし、中身は議論していないから、覚書にこちらのすることと免責をしっかり書いておくべきだね」
「あるいは……凸凹機械が認証するまでしっかりコンサルする契約にして、しっかりとお金をもらうというのも考えられる」
「おお、それは良いですね」
「良くありません。現状、私しかいない状況で、追加になる凸凹機械の負荷をどうお考えですか。元々、本社のパワーがないために、私が工場から応援に来ているのです。
それなのに社外へのコンサルビジネスを始めるなら、工場の人間が本社応援するのは筋が違うと思います」
「それと定款でどうなんでしょうかね? 定款にないビジネスをすること自体は違法ではないけど、社内の同意は必要でしょう。最低でも取締役会での承認は必要ですね
だいぶ前に本社の清掃の仕事をしていた関連会社が、本社の受付を請け負ったとき、定款を書き換えたことがある」
「定款にないビジネスをするのは問題ですか」
「まずいね。企業としてやらねばならないことだ。少なくても、ちょっとやってみようかということではない」
「それでは、本日の話を含めて、なるべくこちらの負担が少ないような形で覚書の案を作りましょう。素案を作ったら野上さんと清水さんと打ち合わせしたい」
「本日、午後から千葉工場の指導に行くのですが、松本さんの話がつくまで私は凸凹と接触しないことにします」
「そうしてください」
注:清水さんが野上、松本両氏に丁寧語を使っているが、彼の方が二人より地位が低いわけではない。
大きな会社の法務部には司法試験に合格しても、弁護士になったときの損得や適・不適を考えて、司法修習生にならず企業で働く人がいたりする。清水さんは、そんな人をイメージしてみた。
野上課長と佐川が生産技術部に戻る。
山口は既に長野に向かって出発していた。
「あと20分もしたら出かけますが、野上課長、私に何かありますか?」
「実はあるんだよね。今までISO認証は4つの工場が先行していたが、今月からの予備審と5月の本審査の様子を見て、認証準備に入ろうっていう工場がいくつもあるんだ」
「今はじっくり話し合う時間はありませんね」
「残念だな。対応を考えようとしたのだが……じゃあ、5分間だけ簡単に、
すぐにもISO認証のキックオフをするという工場が3つある。もっとあったのだが、手が回らないと調整してもらった。
それをどう指導していくか、検討したかった」
「場所は何処でしょう。今一番問題は、長野も兵庫も交通の便が悪く、移動に時間がかかることです。新幹線の停車駅近くなら、そんなに移動時間はかからないでしょう」
「状況をまとめてメールかFAXで送るよ。水曜日に打ち合わせよう。
じゃあ、千葉工場は頼むぞ」
ということは今後1年くらいは本社応援が続くということか……佐川は妻の洋子に何と言おうかと気持ちが落ち込む。
佐川は予定したより少し遅く、佐倉市の千葉工場に入る。幸いまだ昼休み時間だ。間に合ってほっとする。もう何度も来たので、守衛所でいつもの女性のガードマンに手続きをしてISO推進室に向かう。
今日は兼務者に会うことになる。どんな人たちなのか、兼務者が非協力的でなければ良いなと思う。
もう千葉工場に何度も来たので案内を請わず、ひとりで建屋に入りISO推進グループの部屋に入る。
中では藤本さんと桜井さんがタバコをふかしていた。1990年代はまだ受動喫煙の害など騒がれていない
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タバコが臭いなんて言うと、お前は神経質だなんて決めつけられた時代だ。ちなみに1990年男子の喫煙率は60%、対して2017年は27%となった。だが21世紀の今は、公共の場での喫煙が規制され、喫煙場所が制約されたので、喫煙者を見かけるのは喫煙者の比率どころでなく減った。
佐川は若い時からタバコを吸わないので、転生(?)してから臭いがとても気になる。だが空気を読んで、そういうことは言わないことにしている。前世では70歳まで肺がんにならなかったのだから、二度目の人生でも大丈夫と思うことにしている。
佐川が部屋に入って来たのに気づき、二人は立ち上がる。
「あっ、まだ休憩時間ですからお気遣いなく。またお世話になります」
「あれからいろいろ進展があったようですね」
「千葉工場としては懸案が解消されました。あとは認証のために頑張るだけです」
「そうそう、佐川さんが凸凹機械の指導をするということで、今日は凸凹機械の人に来てもらうようしています」
「えっ!まだ凸凹機械とは覚書も取り交わしておりませんので、今日は対応できません。どなたかから、そういう段取りをするように指示されたのですか?」
「先週の木曜日でしたか、凸凹機械での打ち合わせから林課長が戻ってきて、凸凹機械とは話がついて、問題はすべて解消したこと、それから今後、佐川さんが千葉工場に指導で来たときは、いつも凸凹機械に参加してもらうと言われました」
「ちょっと、ちょっとだな、林課長さんはいらっしゃいますか?」
「品質保証の部屋だと思います」
「ちょっと林課長さんに会って話をしてきます」
オイオイ、また話がおかしくなってきたぞ。林課長は凸凹機械が、千葉工場と一緒に話を聞くと理解したのか? あの話をどう解釈すれば、そう理解できるのだろうか?
品質保証課の事務所に行くと林課長がいた。
「桜井さんから今日は凸凹機械の方も来ると聞きましたが、そうなのでしょうか?」
「先週の話ではそこまで詰めていませんでしたが、せっかくだから来てもらうことにしました。よろしくお願いします」
「来てもらうことにしたとおっしゃいますが、そう決めた人は誰ですか?」
「はい、私が決めました」
「まだ話は決まっていないのですよ。ちょっと失礼」
佐川はその場でアクチュエータ事業本部の松本氏に電話をする。
「松本さん、佐川です。今千葉工場に来ております。
千葉工場では本日、私の千葉工場への指導に同席するように凸凹機械に声をかけたということです。先日はそのような話はなかったと思います。
ちょっと松本さんと林課長とで話をしていただけませんか。ハイ、電話を代わります。
林課長さん、本社の松本さんと話していただけますか?」
「林に代わりました」
数分、林課長と松本氏の話が続く。
佐川は林課長の八方美人的な対応が、種々の問題を生み出しているのではないかという気がしてきた。問題があっても問題にしない、部下の独断専行を黙認する、ルール逸脱に目をつぶる、計画遅れを放置する、何をとらえても管理しない管理者にしか見えない。
そんなことを考えていると、電話が終わった。
「どうも私が勘違いしていたようです。本日は凸凹機械には帰ってもらうのですか?」
「私の決めることじゃありません」
「じゃあ、いてもらって良いと?」
「違います。私に決定権がないということです。決めるのは松本さんです。
松本さんはどういう回答でしたか?」
「そういうことは決めていないということでした」
「じゃあダメでしょう」
「松本さんはダメとは言っていません」
「私に決定権はなく、命令されたことをするだけです。
しかし本日、凸凹機械が陪席するのは、筋が通らず疑問だと申しているのです。
それじゃもう一度、松本さんにお聞きしましょう」
佐川は松本氏にもう一度電話をする。
「松本さん、佐川です。林課長は本日、凸凹機械が同席してはダメだと松本さんが言っていないから、同席してもらうと言っています。それでよろしいのですか?」
「はあ!話が全然違う。すみません、林課長に代わってください」
「林に代わりました。松本さんは先ほどダメとは言っていませんでしたので、よろしいと思いましたが」
「私はダメと言ってはいない。決まっていないと言ったのだ。決まっていないというのは、『どのように指導するかが決まっていない』ことで、『今日は凸凹機械の指導をしないと決めていない』意味じゃない。
指導するかしないかなら、指導しないと決めている。文脈からそう理解しなければおかしいだろう」
「いや、松本さんがダメと言わなかったから、私はOKと受け取りました」
「ちょっと話が通じないな。
では改めて言いますよ、本日、凸凹機械さんが来るのを断ってほしい。そもそも先週の凸凹機械との話では、月曜日どころかいつから始めるなんて俎上に上がっていない。
そして凸凹機械さんとの交渉を一旦事業本部が受けたからには、千葉工場は凸凹機械さんとの交渉からはずれたと理解してください……いや、また誤解されると困る。言い直そう。
千葉工場は凸凹機械さんと話をしないでくれ。これから凸凹機械とは本社の私がする。これは命令っだ。分かりましたか」
「でもそもそも凸凹機械と交渉してきたのは、千葉工場の品質保証課ですよ」
「ちょっと待てよ。千葉工場と凸凹機械が交渉してきたとは、報告になかった。
ええと千葉工場の報告書を読むよ……報告では、お宅がコンサルから入手したときは、凸凹機械の従業員と知らなかったとある。そして先週、故買ではないかという懸念されたときまで、千葉工場は凸凹機械と接触していないと記されている。違いますか?」
「実はその……藤本さんがコンサルに来た人が行方不明になったとき、別の人にコンサルに来てもらえないかと話に行ったのです。
まあ、そのために逆にいろいろと問題が拡大してしまい……」
「そのような経緯は報告されていませんね。先方の誰とどういう話をしたのですか?」
「ちょっと電話では言いにくいのですが」
「今のあなたの話は、先週末に聞いた話と全然違う。
私は、林さんが正直にすべてを語っていると信じていたが、そうじゃなかったようですね。どうしようかな、この話……先週の打ち合わせはリセットするしかないな。
とりあえず、凸凹機械さんには今日はお断りしてください。
勘違いしないように申しますが、あなたに裁量の余地はありません。
佐川さんに代わってもらえるかな」
「代わりました、佐川です」
「話は聞こえていただろうけど、どうも先週報告を受けたいきさつが、事実と違うようだ。経緯を再度調査する必要がある。
今日は、凸凹機械を指導する予定はない。帰っていただく。
正直言えば、佐川君にケツまくって千葉工場から帰ってきてほしいところだ。とはいえ、事業本部としてはそうもいかない。とりあえず指導をお願いしたい」
「承知しました。予定通り今日の午後と明日一杯を費やして行います」
「よろしく頼む。凸凹機械との話は、見直したほうが良いのかもしれんな、いや独り言だ」
電話を切る。
「それじゃ何はともあれISO認証に向かって再出発しましょう。
林さんはまず凸凹機械さんにお断りをしてください。それからISO推進グループの部屋に来てもらえますか」
「いや、凸凹機械の人は既に、ここに来ているんだ。帰ってくれというのは心証を悪くしてしまう。
今日は目をつぶってください」
「松本さんから林課長に裁量はないと言われましたね。訓令でなく命令です。それに従う他ありません。
松本さんは組織上、林課長の上長でないにしても、事業本部で千葉工場の面倒を見ている方ですから、その指示を覆せません。
それに従えないなら課長を辞めてください」
注:「訓令」とは目的を伝えて、実施詳細は任せる方法
「命令」とは目的と実施詳細を示して行わせる方法
訓令には裁量が許されるが、命令には裁量はない。
そこに上野総務部長が入ってきた。
佐川は先週、凸凹機械を訪問したとき一緒だったので顔を覚えている。
「凸凹機械には帰ってもらった。ちょっと林課長と話がある。
こちらのトラブルは私が対応するので、佐川さんはISOの指導を始めてほしい」
「承知しました」
佐川はISO推進室に戻りながら、本社の松本さんがすぐに総務部長に文句を言ったのだろう。それとも工場長に苦情を言ったのか?
しかし開始が30分も遅れてしまった。連中から文句を言われるかな
ISO推進室に入ると、桜井、藤本の他に4名が待っていた。一名多いぞ?
「ちょっとしたトラブルがありまして、遅れてしまい申し訳ありません」
「いえ、遅れた事情を私が説明しております。あっ、私は人事の岡崎と申します」
なるほど、総務部長が手を打ったのか。そして推進グループが真面目にやるように目付
「それはありがとうございます。
ではお互いに自己紹介をしましょう。
私は佐川と申します。元はというか今でも福島工場で品質保証を担当しております。本社でISO認証を指導する人が足りないとのことで、半月ほど前から応援をしています。
ISOが詳しいかと問われると、そもそも日本ではISO認証が始まったところであり、経験者がいるわけはありません。ただ自分は品質保証を担当していまして、ISO9001は品質保証の一種ですから、そういう意味では素人ではありません。
以上です。
ではみなさんからどうぞ」
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購買 後藤![]() |
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技術 臼井![]() ![]() |
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品質保証 藤本![]() ![]() |
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「後藤です。購買部所属です。ISO規格では購買という章があり重要なパートということで、購買代表で参加してます」
「高木です。製造部です。顧客の品質監査は何度も受けた経験があります」
「臼井です。技術部の技術管理、つまり図面管理とか、開発のスケジュール管理、デザインレビューの開催などをしています。皆、ISO規格と関連があるので技術部の代表になりました」
「人事課の岡崎です。他の工場の人事に聞きましたが、ISOの教育訓練とは人事のしていることではなく、実務のスキルがメインだそうで、人事はあまりやることはなさそうです。
でも環境管理とか文書管理は総務課ですので総務部代表です」
注:ここでいう「環境管理」とは、ISO14001(この時点では未制定)の環境ではなく、4.9.1の製造条件の意味。
「ありがとうございました。
ええと、先週ですが、千葉工場のISO認証計画が予定よりはるかに遅れているというか、全然活動が進んでいないことが判明して、本社で会議が持たれました。
その結果、アクチュエータ事業本部として、現状の計画のまま進めるのは非現実的であるとして、予備審査と本審査を遅らせることになりました。遅らせるといっても実行可能な日程に合わせるという意味です。
みなさんとしては今まで活動していないと言われれば一言あると思いますが、いかかでしょうか?」
「こんなことを言うとお前はどうなんだと言われそうですが、全くおかしいと思っていました。だって本当に何もしてないのですよ。
私は兵庫工場とか長野工場に知り合いがいるので、何度か電話で活動状況を聞きました。どこでも一生懸命に規定の見直しとか、規定と現実が違うところをどうするかなど検討しています。
活動していないのを、なぜ問題にしなかったかと言えば、なんなのでしょうね?
指導に来ていた當山さんが問題だと言わなかったことか? ここいる藤本さんや桜井さんが大変だ!と言わなかったから、なにもしないで良いのかと思っていたのか、我々の問題です」
「私も認証活動をしている他の工場の知り合いに問い合わせましたが、どこも休日出勤をして頑張っていますね。自分の仕事が忙しいからと、何もしないのをこれ幸いと思っていたとしか言いようがありません」
「僕たちだって、ISO認証なんてしたことがないから、どうしたら良いのか分かりませんよ」
「でも計画が遅れているというか、何もしていないのだからおかしいとか考えるだろう」
「分かりました。話を変えます。みなさんは外部のISO講習会などに参加したことがありますか?」
「私はないな」
「私も参加したことないです」
「講習会受講の予算を取っていますが、今まで使ったことがありません。だから講習会に行った者はいないはずです」
「なるほど、それではISO規格について習ったということはありますか?」
「規格の本を買って皆に回覧した。したのは、それだけじゃないかな。
品質保証の国際規格 ◇ISO規格の対訳と解説◇ 増補改訂版 | |
監修 久米 均 | |
日本規格協会 | |
「あのでかい対訳本は読みましたよ、全然意味が分からなかった」
「規格を文字起こしして、このメンバーに配っていますか?」
「僕はしていない。自主的にした人いるのかな?」
誰も発言しない。
佐川は過去はどうでも良い、今からこの人たちに熱意を持たせ動かせばよいと考える。
「なるほど、別に責める気はないです。事実を確認したかっただけです。
藤本さん、千葉工場の審査日程を遅らせてもらうことについて、認証機関と交渉しましたか?」
「はい、どこでも難産のようで審査日を遅らせる企業はいくつもあるそうです。事業本部から2か月遅らせるということでしたので、認証機関に調整をお願いしました。
その結果、予備審査はちょうど2か月遅れで7月21日となりましたが、本審査は日程が取れず3か月遅れで9月21と22日となりました。日付については松本さんに報告して了解をもらっています」
「予備審が当初の予定より2か月ということは、相当頑張らねばなりませんが、頑張れば達成可能な範囲です。予備審査で不適合があっても、本審査まで2か月あれば是正は十分できるでしょう。
大仰なことは言いませんが、私が指導すれば必達します。
とはいえ皆さんはそれなりに頑張ってもらいます。人事の人がいますから労働法を守っていきましょうね。
それではこれからの進め方になりますが、このようにしていきたいな」
佐川はホワイトボードに縦横の線を引いて、そこに福島工場で書いたように大まかな実施事項を書いていく。
注:水色の線は現在の日付を表す。今後時と共にドンドン染めていく予定。
「やることは以前、千葉工場で作った計画と中身は同じです。しかし認証までの期間が従来は1年計画だったのに対して、新しい計画は6カ月だ。そして今日は4月5日です。
なあに、心配することはありません。私が指導する。私は皆さんに考えてやれなんて言わない。あれをどうする、これをどうすると、具体的に仕事を指示します。
それが嫌なら、自分で考えてくれても良いが、達成には責任を負ってほしい。私が指示したことを完遂すれば必ず認証することは私が保証する」
注:実を言ってこの日程は余裕たっぷりの大甘である。私が請け負ったISO14001認証の最短記録はキックオフから本審査まで2カ月半くらいだった。
「佐川さん、かなりきわどい発言ですが責任取れますか?」
「ご心配ありがとうございます。
私は常にその覚悟で仕事をしております。誰に責任を負わすこともしません。自分がすべて指揮を執り、結果責任は私が負います。口だけ男ではありません」
「覚悟があるならよろしいです」
「では計画を説明します。
今日は4月5日、まずやらなければならないことは、工場を動かす皆さんがISO規格を理解しなければならない。ISO規格の和訳の文字数9,000字です。A4なら9枚しかない。皆さんはすべてを理解してほしいけど、その必要はありません。
後藤さんは『契約の確認』と『購買』と『取扱い・保管・包装引渡し』とか担当してくれれば良いかな」
「『契約の確認』は営業で、『保管』などは業務だと思います」
「確かに所管部門はそうだろう。しかし、ここいる人たちが工場全体を動かしていくとなると、代表を送り込んでいない部署の仕事は、それに近い業務の人が分担してほしい。
もしくは営業なり業務なりの人を呼んできてほしい」
「それは後藤さんが佐川さんの話を聞いてから考えたらどうですか」
「分かりました」
「今の話は一例なので、岡崎さんは総務、人事だけでなく、営業のことも覚えて営業を指導してほしい」
「分かりました」
「そういう風に分担すると、ここに6人いるわけで、ISO規格の6分の1ずつ担当すれば良い。つまり一人当たり1,500字ずつ理解すれば良いわけです。A4用紙なら1.5ページ、毎日読んでいれば暗記しちゃいますよ」
「まさに豊臣秀吉の石垣三日修理ですね」
「そう言われるとできる気がしますね。短期間と言っても半年あるわけだ」
「そうそう、そういうふうに飲んでかかりましょう。
では何からしていくかですが、まず私がここに書いた計画を説明します。
続いて規格の意味を説明します。今日終わらなければ、明日昼くらいまでに終えたい。
えっと、私の話に疑問があれば、いつでもその場で質問してください。私の話をさえぎって良いです。
皆さんが規格を理解したら、次は三段組という表を作ります。
三段組とは規格の文言、その意味、それに対応する工場の規定や記録の対照表です。これができれば認証まで一直線で行動あるのみです。
それだけ三段組は重要ですから、この表の出来・不出来が、これからの認証準備の効率を決定します。一生懸命現実と規定を調べて作ればスイスイと進むし、調査が不十分だと最後まで修正・修正が続きます。
この仕事は工場の実態を知っている人しかできません。私は目的とやり方を教えますが、実際にはこの6人がしなければならない。
大丈夫、心配無用です。私が脇にいますから
三段組を作り上げるのに10日かかるとみています。言い換えるとそれくらい時間をかけなければ良いものはできません。
三段組ができたら、皆さんの担当部署に皆さんが規格の説明、全体でなく、購買には購買だけ、人事には教育だけ、総務には文書管理や環境管理などと限定してよろしいが、それを説明してほしい」
「規格の説明を受けても、すぐに説明できるほどにはなりませんよ」
「三段組を作り上げれば自信が付きます。
それに心配しなくてもよろしいです。説明に自信がなければ、そのときは皆さんが担当部署への説明会の段取りをつけて私に連絡ください。あくまでも実行するのはみなさんです。私は講師をするだけです。
ただ皆さんが一度に説明会をスタートすると、バッティングしてしまう恐れがあるので、藤本さんか桜井さんが調整して計画してほしい。設計とか検査など項目が多い部署なら2時間、総務とか人事なら1時間あればよろしいでしょう。
説明をより具体的にしたいとか、細かく分けたほうが良いなら分け方を工夫してください。自分が関わらない話を聞いても無駄ですから、短時間で自部門のすることを聞くという方がよろしいでしょう。
まあ、そこまでを5月末までにできれば順調ですね」
「了解しました」
「次に各部門への説明会が済んだら、いよいよ活動開始です。具体的には規定の見直し、つまり規定の改定です。それから記録の見直し、規定で定めている記録をしっかり作成して残しているか。規定の見直しによる記録様式の変更などです。
それは6月中旬までとみています。
私から確認ですが、みなさんは今日以降、フルタイムでISO認証に労力を投入してくださいね。それはここの製造部長の確約を取っています」
「それは……」
「もしそれができない場合は、私は即刻、千葉工場から立ち去ります。そういう約束です」
休憩後、佐川はISO規格をワープロ起こししたものを皆に配り、「4.1経営者の責任」から説明を始めた。
そして規格を読むときは、常に英文を基本とすること。更に、Shallの意味、objectiveの意味、policyの意味、一語一語、通常日本で使われている意味と異なるので、疑問があれば英英辞典を引けという。
工場や支社の人事部門は、事業所長つまり工場長や支社長の配下ではあるが、指揮系統は違う。本社の人事部の指示で動いている。同様に経理も同じく本社の指揮下にある。事業所長の独断専行を抑えるという意味もあるだろう。また人事考課などは工場で優秀でも他の工場との兼ね合い、絶対的な評価基準もあるからだろう。
ということで工場の人事の上司となると千葉工場の人事課長であるが、その上は工場の総務部長ではなく、本社の人事部となる。 定時ピタリに佐川の講義が終わって人事課に戻った岡崎は、本社の人事部の千葉工場担当に電話をする。
「下山さんですか? 岡崎です」
「おお、千葉工場で何かあったか?」
「千葉工場の故買事件はご存じですよね?」
「聞いた話では先週決着がついたということだが……」
「何か根が深く、新たな問題が発覚したようです。実は私の方にはまだ話がないのですが、事業本部の松本さんが動いています。工場では上野総務部長が自ら何か調査をしています」
「事業本部の松本さんか……もう帰宅したかな?、当たってみるよ。
何か情報があったらメールを入れてください」
「承知しました。
話は変わりますが、本社からISOの指導に千葉工場に来た佐川をご存じでしょうか? 福島工場から本社応援に来ているそうですが」
「名前だけだが、聞いた覚えがある。ええと、昨年末に懲戒処分を受けている。なんでも現場で怪我をした者を、労災でなく私傷病として健康保険を使わせようとしたはずだ。それで課長解任になっている」
「ほう、そんな悪だったのですか?」
「佐川がどうかしたのか?」
「いや、私の受けた印象はものすごく優秀だということです。正直言って、なんで管理職についてないのかと疑問に思いましたので、
どうしてそんなことをしたのですかね? 彼の発言と行動をみると、コンプライアンスを尊重するファイトある人間に見えました」
「さあな、偉大な人物が常に偉大であるとは限らない
「なるほど、ちょっと彼に興味を持ちました」
「それはともかく、故買事件の続報を頼む」
本日の後悔
書きたいことがたくさんあるので、文字数が増えるばかり。
気づいた方もいらっしゃるでしょうけど、ここ最近は1回の文字数が8,000字くらいに減ってきたのです。
順調かと思いきや、今回は軽く12,000字オーバー
後悔というか慙愧というか……
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