タイムスリップISO 3.マニュアル

24.07.22

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但しISO規格の解釈と引用文献や法令名とその内容はすべて事実です。


タイムスリップISOとは



職場が変わって出勤二日目である。
とはいえ28年前に勤めていたわけで、はるか昔に体験したことの繰り返しだ。もし日記を書いていれば、誰に会ってその人は何を語るかまで分かるだろう。
日記がなくても、自分の人生で大きな出来事は日付とか細かいところはともかく、死ぬまで忘れないだろう。
生まれ変わったなら、前よりはうまくやりたいものだ。いや、そうするために神様が生まれ変わらしてくれたと考えよう。


しかしながらタイムトラベルの小説を読むと、どうしても過去は変えられないオヤクソクがあるようだ。しかし私は過去に戻ったようなのだが、自分の意思で自由に決定できることを日々確認している。
例えばお茶を飲むか、コーヒーを飲むかは自分が決めることができる。

湯気
湯気
マグカップ
私が自分の意志で選択できると思っていること、そのものも決定されているという説もある。否定しがたいように思うが、それについても実験してみた。
私は前回の人生ではどうしたかは、お茶かコーヒーかのようなある意味 無意識な決定については覚えているわけはないが、重大とか熟慮した決定や行動は記憶にある。記憶にあることに、過去と異なる選択ができるか試してみた。

30年も前のことを覚えているかと疑問に思うかもしれないが、会議で発言したかったのだが周りの雰囲気から躊躇してしまった、なんてことは再び同じシーンになると思い出すものだ。
今回、同じ場面で、意を決して自分の考えを述べたが、それによって何人かが考え直して別の策が決定された。その結果から過去は変ったと思う。
理屈を言えば、自分は過去に行ったのではなく、人生をやり直していると考えれば判断行動が異なるのは当たり前だろう。

じゃあ、タイムパラドックスはないのか? となるが、人生のやり直しならタイムパラドックスは起きるはずはない。
過去に戻って、自分が生まれる前の親を殺せ親殺しのば自分はパラドどうなるックスなんてのが、ティピカルな例だ。
だが、私は自分の人生のやり直しているわけで、私のいない時代ではないから、そのような状況は起きない。
つまり第二の人生は当然変えることができ、親殺しのパラドックスは無関係だ。過去数日の結果から、そう考えている。


おっと、自分が若返ったにしろ、人生のやり直しにしろ、そんなことばかり考えていては仕事にならない。今日は村上さんから指示された、品質保証マニュアルを作成しなければならない。

実を言って、客先からの品質保証要求事項を見て、自分の働く工場の規定集から関係する規定を引用し、記録類を漁って仕上げるだけだ。そんなことは前回の人生では品質保証課に異動後、何十辺もしている。だから20ページほどの要求書をながめると、頭に何を引用するか、だいたい浮かんでくるのだ。
なにしろ若返ったせいか、私の頭脳はクロック数が前回の人生より二桁アップ、コア数はひとつから六っつになった(注1)いや冗談だ。

しかし仕事をするのに紙と鉛筆ではしょうがない。桜庭さんに言ってデスクトップを1台貸し切りにしてもらう。どうせ他の人は書類を清書するときしか使わない。

まずはワープロで客先要求事項の項目を打ち込む。
90年代はすべてが紙ベースだからキーを叩かないと対照表が作れない。21世紀なら電子データもあるだろうし、なくてもスキャナーがあれば一発なのだが。
ないものねだりはできない。ブラインドタッチは得意だからキー入力は苦にならない。

先方からの要求書はA4で20ページだが、打つのは要求事項だけだから、15ページ程度だ。
1ページ1,400文字と言われるが、改行もあるしインデントもあるから実質1,200文字だろう。
最初はめったに使わない単語のオンパレードで、かな漢字変換に時間がかかるが、10ページも打つとIMEも学習機能が働くし、専門語の単語登録すれば調子が出てくる。1ページ入力するのに10分はかからない。結果、2時間とコーヒーカップ数杯のエネルギーで入力は完了した。
バタバタとキーの音が煩いせいか、桜庭さんがそばに来て眺めていたが、いつのまにかいなくなった。


次にそれに対応する工場の規定を入れ込んでいく。
パイプファイル2冊の工場規定集を持ってきて、要求事項に該当する規定名、ページ、概要を打つ。
正直言って私は製造部門育ちだから、営業や設計の業務の流れの細かいことは分からない。だから規定を読んで、情報や帳票や物の流れをたどっていくしかない。これは手間が結構かかる。

村上さんが来て、調べながらパソコンを使うのは時間がかかって迷惑だから、関係する規定や記録を調べてからパソコンを使うようにしてほしいという。
桜庭さんにパソコン使用を断っていたが、意味がなかった。でもまあ〜、この時代はパソコンが足りないからしょうがないのだろうなあ〜
しかしめんどうくさいことだ。紙に書くのはキーを叩くより時間がかかる。そしてそれを後でそれをキー入力するとは二度手間でしかない……

とりあえず本日はこれまでか。早々に、村上さんにパソコンを渡した。
なおハードディスクの容量が小さいから、各自のファイルはフロッピィディスクにセーブするのがオヤクソクなのだ。
この頃のDOS-V機のハードディスクは100Mバイトくらいで、OSが10Mくらいだったから、データをハードディスクに置くのは実用的じゃない。


明日から続きをするにしてもパソコン混雑問題を解決しなければならない。
自分でパソコンを買うしかないのだろうか? Windows3.1を載せたパソコンは大金だ。テキスト入力用に和文ワープロを買うしかないか。
まあ、そんなことは明日考えよう。


*****

今、終業時刻の20分前だが、皆ソワソワしている。昨日、品質保証課の連中は定時で帰宅したようだ。
🕔
今日も皆さん定時で帰るのだろうか?
製造現場とは大違い優雅なことだ。ならば私も義理堅く働くこともなさそうだ。いや、早く帰るのに付き合わねばならない(笑)
いや、ちょっと待て、詳しい人に話を聞いておいたほうが良いだろう。

私、佐川真一 「桜庭さん、ちょっと教えてほしいんだけど」

桜庭さん 「ハイ、なんでしょう?」

私、佐川真一 「品質保証課の人たちは残業しないのですか?」

桜庭さん 「課長が時間外するなっていうのよ。信頼性の人たちは試験が定時後までかかるとかで、毎月30時間の枠を取っています。
とはいえ……あまり忙しそうには見えませんから、残業代稼ぎでしょう」

私、佐川真一 「なるほど、村上さんはどうでしょう?」

桜庭さん 「忙しいときは時間外していますが、月10時間程度ですかね。
計器管理室は浜本さんがブスくってますが、とても忙しいようでサービス残業を毎月30時間くらいしていますね。部下にサービス残業をしろとは言えないようで……って、当たり前ですよね。それで浜本さん一人頑張っています」

私、佐川真一 「課長はそういうこと知っているの?」

桜庭さん 「ご存じかもしれませんが、課長はご自身の出向の話が来ているようで、仕事に熱意がありません。無責任というか、無管理です」

私、佐川真一 「いろいろ教えていただき、ありがとうございます。
品質保証課を何とかしなくちゃいけませんね」

桜庭さん 「佐川さんに期待してますよ」

私、佐川真一 「私がチョンボして飛ばされたの知ってるくせに。そういう願い事は、エリートコースの人に言わないと」

桜庭さん 「この職場にエリートコースがいるわけないでしょう。
佐川さんの事件の裏も知ってますよ」

私、佐川真一 「負けた人間が悪いことに決まっています。歴史は勝者によって書かれるって」

桜庭さん 「知ってる人は知ってますって」


*****

仕事をしようとすれば限りはないが、怠ける気ならいくらでもズルできる職場のようだ。入社して20年以上になるが、こんな楽な職場もあると初めて知った。
村上さんから言われた、品質保証マニュアルのドラフト作成だって期限は10日後だった。それだけやれと言うなら納期は三日か四日だろう。だが、他にする仕事を指示していないのだから、村上さんはマニュアルに10日かかると思っているわけだ。

とりあえず今日定時で帰ろう。洋子に和文ワープロを買う了解を得なければならない。


*****

定時で退社すると、6時過ぎには家に着く。ということは家族全員で夕飯が取れるということだ。私にとっては非日常だけど、多くの家庭では日常なのだろう、と思うと左遷された結果、私は幸せになったのだろうか?

夕飯を食べながら家族みんなは今日の出来事とか世間の話をする。団欒というやつか? これも初めての経験だ。

長女 「チーチ、職場変わったっていうけど、今度の職場は休日出勤とか残業とかどうなの?」

私、佐川真一 「なんだかのどかな職場でさ、めったに残業しないようだよ」

妻の洋子 「なおちゃん、おとうさんは今まで残業してもタダ働きなのよ。暦通り時計通りに働いてほしいわ。
そしてたまには子供たちの参観日に行ってもらわないと」

次女 里美 「さーちゃんがね、今週の土曜日に家族で、磐梯吾妻スカイラインに紅葉を見に行くんだって。私も行きたいなあ〜」

妻の洋子 「先月から学校が土曜休日になったもんね(注2)主婦も土曜日休みたいわ、
しんちゃん、土曜日に休めるならスカイラインに出かけましょう。人生最初の家庭サービスよ。
ところで、なおちゃん、お勉強大丈夫?」

長女 直美 「優秀な私に抜けはない」

妻の洋子 「どうだか、○○女子高に入るんでしょ」

長女 直美 「大丈夫だって」

私、佐川真一 「よし、じゃあ土曜日にドライブに行こう。直美と里美でコースを考えておいて」

長女 直美 次女 里美 「ハーイ」

私、佐川真一 「洋子さ、和文ワープロを買いたいんだけどいいかな?」

長女 直美 「あー、私も欲しい。買って、買って」

妻の洋子 「子どもたちも前から欲しがってたのよ。でも、しんちゃん、まさか会社にもっていくなんて言わないでしょうね」

私、佐川真一 「うーん、会社で使いたい」

妻の洋子 「まったく、いったい、いくらするものなの?」

長女 直美 「友達が買ってもらったのは14万て言ってたよ(注3)

妻の洋子 「14万 ちょっとそれは考えさせて……
しんちゃん、会社で使うものは会社が買うのが当たり前でしょう。ほかの部門で遊休になっていないか聞いてみたら」


家内の雰囲気ではワープロ専用機を買ってもらうのは見通し暗そうだ。そもそも会社で使うものを、自費で買うなんておかしい。
入社したとき計算尺は10インチの両面の立派なものを支給されたな。だけど電卓が登場した時は自費だった。まあ電卓は数千円だったから自腹でも大したことはない。だが10数万では家内の決済は通りそうない……


*****

紅葉
週末は家族全員でスカイラインに行ったが、ものすごい渋滞で佐川は疲れただけだった。
家庭サービスなどしたことがなかったが、会社より疲れることは分かった。

とはいえ過去何年も、直美、里見と遊んだ記憶はない。今更どうしようもないが、申し訳なかった。
これからは月一、いや週一、家庭サービスをしよう。



*****

月曜日である。今まで土日休んだなんて年に何度あっただろう。10回はなかったと思う。
休日休まないより、二日休むと仕事をするぞって気になる。人間、休養は必要だ。

まず仕事の道具を用意しよう。
始業の挨拶をすると私は総務部に行く。知っている人はいない。
とりあえず通路に一番近いところにいた30くらいの女子社員に声をかける。
立ち上がると名札が見えた。斉藤とある。

私、佐川真一 「斉藤さん、品質保証の佐川と申します。仕事で必要なのですが、遊休になっているワープロ専用機ありませんか?」

斉藤さん 「数年前大量に購入したのですが、最近はパソコンでワープロソフトを使う人が多くなって、どんどんワープロ専用機は不要と返されているのです。それを使うならよろしいのですが。
ただこちらは受け取って保管しているだけなので、動作するかどうかは分かりません」

私、佐川真一 「それはありがたいですね。それじゃ保管してあるものをチェックして、動くものを借りるということでよろしいですか?」

斉藤さん 「総務の倉庫はちょっと離れてます。案内しますよ。そこでチェックして動くものを選んでください」

  ・
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ふたりは正面入り口にある事務棟から、敷地一番奥の総務の倉庫まで200mくらい歩く。
木造2階立ての引き戸を開けて埃臭い中に入り、遊休品のワープロを見る。一個一個、ポリ袋に包まれて付属品も中にある。そんなものが10個ほど棚に載っている。
プリンタを使うことはないので、電源を入れてキーボードを叩いて表示するか、フロッピィディスクの読み書きができるかを確認する。
二三台動かしてみると皆動作する。一番きれいそうなものを借りることにする。

私、佐川真一 「費用扱いはどうなりますかね?」

斉藤さん 「これらはまとめて値引きさせて買ったので、資産でなく消耗品です。総務で一括管理しているので、社内で使う分には費用負担はありません。
ただ故障しても修理はしません。そうなれば、またここで動くものを探して使ってください」

私、佐川真一 「了解しました。そいじゃこれを借りるとして、どういう手続きをすれば……」

斉藤さん 「私がシリアルを控えましたので、総務の台帳に品質保証の佐川さんに貸し出しと記録しておきます。佐川さんは、何もすることはありません。
一応総務で管理してますので、故障や不要になったときは、お宅で処分せず総務に返却してください」

私、佐川真一 「分かりました。ありがとうございます」

斉藤さん 「あのね、話が違いますが、佐川さんのことを尊敬しています」

私、佐川真一 「はあ?」

斉藤さん 「自らの身は顧みず、正義を貫くって尊いです。尊敬します」

私、佐川真一 「斉藤さん、なにか勘違いされてますよ」


*****

品証に戻ってワープロをきれいにする。再度、動作をチェックしたが問題ない。パソコンが使えない問題はこれで解決だ。
ではデータのインプットを始めるか。

私は品質保証要求書に記述された「すること」に対応する工場規定の記述を探しては、その規定名、規定番号、項番、要旨をシャカシャカとキーを打つ。
村上さんが来て何か言いたそうだ。

私、佐川真一 「何か御用ですか?」

私は村上さんに声をかけながらキーを叩き続ける。
知ってる人は知ってるだろうが、キーボードを見ないで打てる人は多いけど、話しながらキーを叩き続けられる人はめったにいない。

村上さん 「その音が気になって……」

私、佐川真一 「キーを叩かないとオマンマの食い上げです」

村上さん 「もっと、やさしくはできないのかな」

私、佐川真一 「普通にキーを叩いているつもりです。速さが速すぎますか?」

村上さん 「いや、なんでもない」

私、佐川真一 「村上さん、パソコン使わないなら貸してほしいですけど」

村上さん 「これから使うから」


村上さんは何を考えているのでしょう?
村上さんが席を外したら、桜庭さんが来て小さな声で話しかけてきました。

桜庭さん 「佐川さん、あなたがあまり速くキーボードを打つから、村上さんは焦ってしまったのよ。
先週、あなたが村上さんの下に来るって課長に言われたとき、キーボードも叩けない人はいらないって文句を言っていたわ。現場上がりの人にパソコンは使えないだろうって。彼はパソコン使えるのが得意だったから。

佐川さんが来るまで、村上さんより早く打てる人はいなかったわけよ。
でももう少し遅く……なんて何を言ってるのかしら」

私、佐川真一 「なるほど、昨日、パソコンを使うなんて言ってたのは嫌がらせだったのか。
桜庭さん、そういうことはなるべく教えてくださいよ。他の方が得意なことは少し抑えめにしますから。
ともかく明日から、村上さんがいるときは計器管理室にでも行くことにしましょう」


*****

終業時刻少し前までには、要求事項に対応する文書と該当しそうな記録類を打ち込んだ。
後は関係部門を歩き回って、要求事項に文書と記録が見合っているかどうかの確認だな。
明日、営業、設計、製造と歩いて……一日では終わらないか。その前にメールを打っておいて自己点検させるか。

そしてハタと気が付いた。
まだ自分はメールアドレスをもらっていない。
というかパソコンもない。
現状では紙の宛発(注4)を書いて課長の決裁をもらって郵送するしかない。となると明日発信するとして、明後日あるいは明々後日しあさって以降に歩くことになる。
まあ、しょうがない。

その時間に桜庭さんの規定の見直しの手伝いと、計測器管理室の浜本さんとの打ち合わせをすれば良いだろう。



うそ800 本日のお知らせ

背景説明、準備段階は今回でオシマイ。
次回よりパワー全開、アフタバーナー吹かして突っ走ります。


短いと思った今回でも文字数は6,800字であった。6,000字を下回ったのは初回だけかよ
ひょっとして、私はキーボードを叩かないと死んじゃう病気なのかも
私のことをキーボード小僧と呼んで
オートバイ小僧じゃないよ、
なお、文字数には末尾の文末脚注は含みません。



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注1
現実のパソコンのクロック数の急速化は2003年に終わった。この頃に動作周波数の限界が来て、演算するコアを複数とすることで性能向上させる方向に代わった。
 ・動作周波数からマルチコアへ

注2
幼稚園、小中高校などが週休二日制になったのは、1992年9月からだ。まさにこの物語の半月前である。

注3
当時和文ワープロ専用機がいくらしたか調べた……わけではない。私がワープロを買ったのがいつでいくらだったか日記をめくった。
1988年に買ったのはシャープ製69,800円、1989年に買ったのはSONY製79,800円、1992年に買ったのはPanasonic製で148,000円した。けっこう高かったね。 SONY製はフレキシブルディスクが独特の寸法で互換性がなく、会社では使い物にならなかった。

なぜそんなに何台も買ったのかというと、私のように使い方が荒いというか人の倍も使うと1年半くらいであちこちに故障が起きたのだ。ワープロが寿命になるまでに打ち込まれた文字数なら、他の方より私の方が多かった可能性は大である。
何ものでも今どき(30年前でも)は修理など高くつく。

1994年にSTDN液晶の安物ノートパソコンThinkPad330CSを買ったが36万円もした。 1992年型カローラ ワープロ専用機も高いけど、パソコンも高かった。

1992年私が買ったトヨタ・カローラは、オートマ、電動ドアミラー、パワーウィンドウ、パワステ、エアコン付きで157万円だった。
安物であるThinkPad 330CSの4倍少々だったのだ。
車に比べてパソコンは高すぎないか?

注4
社内の部署間の正式なお手紙を「アテハツ」と呼ぶ。私が入った会社で最初そう聞いたときはその会社だけの言葉かと思ったら、日本全国の企業でそう呼ばれているそうだ。
ただ「アテハツ」と書くところ、「宛発」と書くところ、いろいろだ。また用語だけで様式はないところもあり、アテハツ様式を定めている会社もある。
間違って社外にアテハツ様式でお手紙を出さないように。



外資社員様からお便りを頂きました(24.07.22)
おばQさま
新連載開始、有難うございます。 何とタイムスリップものですか。
拝見して良く判りましたが、1990年代へ戻ってみると、未来記憶から万能になるどころか、大変な事が多いのですね。
パソコンはまだ高いし、時にはMS-DOSプロンプトでコマンドを入れたり。
複数のソフトを同時起動すれば、メモリ不足で簡単にフリーズ、HDDでさえ容量が小さい。100MBもあれば立派だった。
今じゃSDメモリカードだって、もっと大きな容量でしかもコンビニで買える。
だから、カタログ上では、図表を文書に入れられると言いながら、実際にはメモリ不足でフリーズしたり、図表が崩れた経験がありました。
今ではノートPCで、3DーCADが可能ですが、当時はワークステーションという数百万の専用機が必要でした。
もちろんソフトも高いし、3Dと言っても制限が多かったような記憶が。
ワープロも、図表を自由に入れて、レイアウトまでするには、やはり高額な専用機を使った気がします。
計測機に至っては、今ではデジタルで波形が記憶されているから、任意の時間で、いくらでもスクリーンショットが取れる。
しかし、当時はアナログ・オシロの画面を、ポラロイドで撮って記録。 だから貴重だった。
しかも繰り返し波形で無いと、波形が安定しないから、わざわざ付加回路やソフトを組んで撮影しました。
あぁ思い出すだけで大変なのに、それを小説で書いてしまうおばQ様の能力に敬服です。
これからも楽しみにしております。

外資社員様、毎度ありがとうございます。
実を言いまして、また小説を書けというお便りがありまして、頭に浮かんだものが「なろう系」(家系ではありません)しかなく、ナントカそこからスタートしようと思いました。
最初は30年のアドバンテージがあれば「オレツエー」と行くかと思いましたが、まだパソコンはDOS-V機の時代。Windoes3.1がやっと登場した時でした。
なんと!外資社員様が詳しいUSB規格さえなかったのです。マウスとかキーボードのインターフェースは何だったのだろうと考えたのですが思い出せません。パソコンにCDドライブをつなぐのは、SCSIだったと思います。ケーブルだけで相当取られた記憶が……
外資社員様が「複数のソフト」とおっしゃいますが、それはWindoes3.1になってからです。
Windows3.1になっても、ブルースクリーンになることがけっこうありました。
昔を思い出すと、懐かしいのもありますが、とんでもない時代でしたよね。Windows11になってもまだいろいろ不満はありますが、DOSの時代に比べれば天国です。
もっともCPMと比べればDOSはすごいと思った時もありました。切りも限りもありませんね。




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