タイムスリップISO40 本審査始まる1

24.12.09

注1:この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但しISO規格の解釈と引用文献や法令名とその内容はすべて事実です。

注2:タイムスリップISOとは




佐川は今自宅にいる。骨折だから、入院していても特段治療することもない。それで退院したが、家ではベッドではなく布団だから寝たり起きたりが辛い。医者が早く骨がつながるには動かないことが一番というので、寝ているとき以外はソファに横になって本を読んだりしている。
妻の洋子は娘たちに、お父さんがいるからって飛びついたりしたらダメよ、また入院しちゃうからと言っている。

毎日することがない。日中は子どもたちは学校、妻の洋子はパートに行っていていない。
事件にあってから半月過ぎたから、あと半月か……



*****
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本社の山口 aser.gif
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佐川さん、助けて

6月4日、佐川の自宅に、山口から電話が来る。
6月2日から3日の2日間に行われた兵庫工場の本審査の報告である。
山口の話は、兵庫工場の本審査結果についての、長々とした愚痴だった。
三行にまとめると

  1. 兵庫の本審査が昨日終わったが、指摘事項が三つあった。
  2. 一刻も早く認証がほしいが、是正が完了しないと認証が得られない。
  3. 生産技術部の指導が批判さている。佐川さん、助けてください。

佐川は兵庫工場を一度しか訪問していないが、そのとき見た限りでは、準備をしっかりしていたし、出来上がりも悪くなかったと思う。何が悪かったのか、いや指摘事項は何なのだ?
佐川は審査所見報告書を福島工場にFAXして欲しいこと、そして福島工場の人に自宅に届けてくれるように伝えてほしいと頼む。



*****


電話を切り、佐川がすることもなくぼんやりとしていると、1時間もしないで玄関のチャイムが鳴る。骨に響かないようにそっと立ち上がり、玄関に行くと桜庭さんがいた。
桜庭さんの顔を見るのは半月ぶりだ。
桜庭さんを中に入れる。体がきかないので、お茶の代わりに缶ジュースを冷蔵庫から出す。


桜庭さん 「本社からFAXがあって、佐川さんに届けるようにと連絡がありましたので、持ってまいりました」

佐川真一 「ありがとう。会社は何か変わったことがありませんか?」

桜庭さん 「大ありよ
まず佐川さんの評価というか株というか、爆上がり
東証株価指数も、佐川さんが上げてくれたらいいのにね」

 このときバブル崩壊の真っただ中である。

佐川真一 「私の懲戒処分の事は広まったのですか?」

桜庭さん 「広まったも何も、経緯を文章にして食堂前の掲示板に貼ってあるわ。ついでに尾関、桧山、あと二人の懲戒処分も掲示されている。
みんな尾関副工場長と桧山課長と部下二人を、とんでもない奴だと言ってるよ」

佐川真一 「そうなんだ、じゃあこれからは堂々と会社に行けるね」

桜庭さん 「もちろんよ。課長解任もそのせいで濡れ衣だって知れ渡ったわ」

佐川真一 「安心したよ。
話は変わって本題だけど、桜庭さんが私の家まで持ってくるほどのことなら、また大問題なんだろうな」

桜庭さん 「気を使わなくて良いわ、お見舞いの菓子や果物があれば、処分してあげるよ」

佐川真一 「見舞いになんて誰も来ないよ。骨を折ったくらいでは心配してくれる人もいないようだ。
入院していたとき猪越センター長が2回、山下さんが事件当日に来ただけ。桜庭さんという人もいたはずなんだけど」

桜庭さん 「それじゃお暇するわね。
本社の山口さんという方が、それを読んだらすぐに連絡してほしいって」



*****


なるほどねえ〜
佐川真一

所見報告書

佐川は所見報告書を眺める。
1993年当時の外資系認証機関の所見報告書は、表書きを含めて5ページ程度だった。でもけっこう文字数はあり、内容は読む価値はあった。
ISO14001でスタートした某認証機関のように、報告書の文字数が500文字もない認証機関は知る限りなかった。もっとまじめに報告書を書けと言いたい。とはいえ、その前に真面目な審査をしなくちゃ、報告書の価値がない。


不適合は3点あった。


兵庫工場の初回審査 不適合一覧
  1. 4.2 品質システム及び4.5 文書管理
    品質マニュアルを一部管理職を除いて、一般従業員が読んでいない。これは品質システムの従業員への周知徹底を満たしていない。

  2. 4.5.1 文書の承認及び発行
    製造部には課が三つあるが、規定集は1部のみ配布である。これは規格の「すべての部門において適正な版が利用できる」を満たさない。

  3. 4.16 品質記録
    ○○課の打合議事録がコピー黒板のプリントで、感熱紙のために退色しやすく、4.16の劣化を最小にする要求を満たさない。


注:いずれも証拠は不明確、根拠も具体的なshallが書いてないことに留意せよ。こんな報告書では、御足が貰えるはずがない。

一番目は不適合の根拠なし証拠の記載もない

二番目は不適合の証拠として配布先を決めた文書を上げる必要がある。それがないと、ルールが悪いのか・運用が悪いのか分からない。
いや、実際に「利用できない」証拠が書いてない。
また根拠としては文章で書いているが、規格項番4.5.1a)を記述すべき。

三番目の証拠は、「○○課の打合議事録」でなく、「○○課の○○の打合議事録(年月日)」と具体的に書き、読んだ人がその証拠を特定できるように記述する。
但し三番目は根拠があるからOK。

とはいえ、この程度書ける審査員は上位2割に入るだろう。残りの8割は?


頭の後ろで手を組む

佐川は所見報告書を一読して、手を頭の後ろで組んで考える。
一読してみれば、指摘事項はいずれも見当違いだ。結論は、すべて適合だ。

「適合」はあるべき姿という意味ではない。「推定無罪」ということだ。つまり「不適合(ダメ)』とは言えないということである。
裁判と同じく、「こいつはやった」という心証を抱いても、証拠不十分で有罪にできないということだ。

この所見報告書を見て、工場の連中も呆れたことだろう。なぜその場で異議を言わなかったのか? それとも、異議を申し立てて却下されたのか?

さてこの判定を否定するのは簡単だけど、審査員の気を悪くしないで指摘事項を撤回させるには、どういうストーリーが好ましいだろうか?
いやいや、その前に兵庫工場は、これを撤回させようとしているのか?
当社としてのスタンスは、どう考えているのだろうか?

交渉するとして、佐川が台本を書いて、山口さんとか大木品証課長に演じさせて大丈夫か? 相手も当然打ち返してくるだろうから、彼らがアドリブの対応ができないとかえってまずい……




佐川はいろいろ考えたことをまとめてから、山口の携帯電話に電話をする。


本社の山口 「ハイ、本社生産技術部の山口です」

佐川真一 「佐川です。山口さんからのFAXを拝見しました。所見報告書を見ていろいろ考えましたが、まずお聞きしたいのは、あなたがどうしたいのかです。
指摘事項を撤回させようというなら、それは可能です。とはいえ、あれを受け入れるというなら、それも会社の決定でしょう。 まず、それを確認したい」

本社の山口 「そりゃ、できるなら撤回したいですよ。指摘事項があった・なかったということよりも、工場としては一日も早い審査登録証が必要です。是正完了までには何をどうするのか決めて実行しなくちゃならない。それを向こうに確認してもらってとなると、ひと月じゃきかないでしょう」

佐川真一 「それは山口さん一人の意思ではなく、工場の意思なのですか?」

本社の山口 「そうです。工場の意思と受け取ってください。
佐川さんは撤回させられると言いましたが、どのような方法を、考えてらっしゃいます?」

佐川真一 「単純だよ、認証機関を訪問して、審査員とその責任者に会って、不適合でないことを説明して納得させるだけだ。
但し、いろいろ条件がある。まず心配事だけど、ご存じのように私は骨折してまだ半月で、動くと痛い。痛いのはともかく、つながりかけた骨がまた離れたりすると困るんだ。

もちろん、私が工場の人に指摘事項でないことを説明して、工場の人が認証機関に行って説明してもらうのがベストだ。認証機関からすれば、審査契約した組織と無縁の私と、交渉する義理はないからね。
工場の人が審査員を説得する自信がなければ、君か私が工場の人と一緒に行ってアシストすることになる。
それもだめなら私が説明するけど、工場の誰かに同席してもらいたい。そのときは全権委任状を書いてほしい」

本社の山口 「今、佐川さんがおっしゃったことの調整を進めますが、まずは佐川さんが認証機関に行けるかどうかですね」

佐川真一 「認証機関は横浜だったよね?」

本社の山口 「兵庫工場の認証機関は外資系で、日本支社があるのは神戸なのですよ。横浜にも事務所がありますが、そこは営業だけです。
もちろん兵庫工場は、近くだからそこに依頼したんですけどね」


注:初期の認証機関(LRQAもBVなど)は、元々が船級検査会社やプラント検査会社が多い。だからその事務所は、港町である横浜とか神戸にあった。

B737 移動するのは飛行機と新幹線が考えられるが、福島空港は1993年開港で、福島・伊丹間が毎日3便あった。神戸空港ができたのは2006年である。
だからこの物語のときは伊丹へ飛ぶか、新幹線で行くしかない。新幹線も段々速くなったが、現在の2時間22分になったのは2015年である。
交通が便利になったのは、ほんのつい最近なのだ。


佐川真一 「となると飛行機か新幹線か……万一を考えると新幹線かな。
分かりました、私は私でお医者さんに新幹線で行って良いか相談しますね。遠出がOKにならないとね。
お医者さんに直接電話できないので、看護婦に聞いてもらうから分かるのは2時頃になる。

そいじゃ、山口さんは指摘事項となった件の証拠、状況を各1ページくらいにまとめてほしい。
それから兵庫工場の人か山口さんが説明できるかの検討。最悪の場合で全権委任状を頼む」

本社の山口 「分かりました。工場の人が認証機関に行けるか、全権委任状を出せるか聞いておきます」




結論から言えば、佐川の旅行の許可は出た。そして工場からは小林さん小林さんが来るという。金曜日に兵庫工場から認証機関に話をしたところ、その審査員は火曜日には会社にいるので対応するという。それで火曜日の午前に面会するアポイントをとった。

訪問するには小林と佐川で充分だが、今後のこともあるから山口も勉強のために同行する。ふたりは月曜日の午後遅く東京を立って神戸泊りだ。
山口は途中で佐川に名刺をひと箱 渡す。まだ異動していないが名刺がもらえるのかと思いつつ箱を開けると、佐川の肩書が課長になっている。


佐川真一 「おいおい、おいおい、課長の肩書が付いているぞ」

本社の山口 「野上課長が、佐川さんはこれから社外の人に会うだろうと、佐川さんに課長を名乗らせるそうです。職制上の課長ではありません」


そう言えばと佐川は思い出した。
當山氏の名刺も『課長』になっていた。本社の課長は工場の部長級だから、ずいぶん偉い人だと思ったが、同時になんでこんな人が課長になれるのかとも思った。
そうか、名刺用の肩書か、

佐川真一 「はったりが効くなら結構なことだ」



*****


兵庫工場の小林氏と新神戸駅で待ち合わせて、山手線で三宮まで行って、後は歩きだ。荷物持ちもいるし、平らな道路だから骨折部が痛むことはない。


そして今、三人は認証機関の応接室にいる。
相手は兵庫工場の審査で審査リーダーをした猪狩氏と、影山取締役である。
実を言って審査員では話が付かないのではないかと思い、偉い人の同席を佐川が要求したのだ。

影山取締役影山取締役
猪狩審査員猪狩審査員
小林さん兵庫工場の小林
佐川真一佐川
本社の山口山口

名刺交換の後に、早速本題に入る。


佐川真一 「先日の弊社兵庫工場の審査で、不適合が3件出されまして、社内で検討した結果、不適合ではないという結論になりました。
それをご説明させていただき、所見報告書の書き換えをお願いするのが今回の訪問の目的です」

猪狩審査員 「何を言ってるんですか
あれは単純明快な大きな問題で不適合に間違いありません。相手するのもバカバカしい」


注:こういう対応は1993年時点では珍しくない。それどころか2010年頃でも、企業側が審査結果に対して異議とか質問をするために認証機関にアポイントを取ろうとしても、会ってくれないとか、会ってもけんもほろろであった。どちらが客か分からない(笑)
幸い今は良くなったと聞く。

認証機関に対する異議、苦情への対応のルールは、時代とともに変遷がある。
この物語のときはISO10011:1990が有効だったはず。それにはクロージングミーティングで異議があった場合の措置について記述があるが、それ以降の異議については記述がない。当時は第三者認証制度を考えていなかったからだろうか?

1996年発行のGuide62では、審査後の苦情に対応することは規定していたが、窓口についてははっきり規定していなかった。

2006年発行のISO17021では、窓口の設置や運用が明記された。

どうでも良いことだが、上記の一行を書くために、改めてISO10011、Guide62、ISO17021の2006年版、2015年版を読んだ。ばかばかしいこと限りない(笑)
私の書くことに反感、嫌悪感を持つ人もいるだろう。だが、今も昔も私が一生懸命なのは間違いない事実である。


佐川真一 「遠路はるばる、お宅様まで詣でましたわけで、お話だけ聞いていただきたいと思います」

影山取締役 「猪狩君、口を慎みたまえ。
どうぞご説明をしていただけますか」

佐川真一 「ありがとうございます。では話させていただきます。
一番目の『品質マニュアルを一部管理職を除いて、一般従業員が読んでいない。これは品質システムの従業員への周知徹底がされていない』とあります。
まず規格には従業員に『マニュアルを読ませよ』という要求事項はありません。要求事項にないことは不適合にできない、というか要求事項に適合していないから不適合というのです。
よって、この不適合はありえません」

猪狩審査員 「マニュアルを読めという文章はないかもしれないが、じゃあ、マニュアルは何のためにあるのですか?」

佐川真一 「マニュアルの作成は規格要求ではありません。お宅との審査契約書に作れとあるから作っています。
そしてその契約書に、従業員に読ませることという語句はありません」


注:この物語の時点有効なISO9001:1987では、品質マニュアル作成は要求事項にない。
1994年版でマニュアル作成は要求事項となり、2015年版で要求事項から削除された。


猪狩審査員 「そうかもしれないが、じゃあマニュアルを読まないでお宅は品質システムをどうやって従業員に周知するのよ?」

佐川真一 「品質システムを従業員に周知させるとは、規格のどこにあるのでしょうか?」


猪狩審査員は、規格をめくって調べだす。

猪狩審査員 「確かに『品質システムを周知させる』という文章はなかった。でもマニュアルを読まないでお宅の従業員はどうやって仕事するのよ?」

佐川真一 「マニュアルは会社の手順書をサマリーしたものです。マニュアルを読んでも仕事はできません。
マニュアルで引用している手順書……手順書とは範疇語ですから、規則とか規定とかいう名前ですが……それを見て仕事をするのです。
従業員は入社すると、その人が関連する社内の手順書の決まりを教えられ、それに従い仕事をすることになります」

猪狩審査員 「品質マニュアルが手順書のサマリーなら、品質マニュアルは、品質に関する最上位の文書ではないことになる」


注:いったい誰が「マニュアルは最上位の文書」などと言い出したのか?
実は、ISO認証に関わったとき、私は品質保証でのマニュアルと、取説のマニュアルは別の意味だと思っていた。

全く同じ語であり同じ意味であると知ったのは何年もしてからだ。どちらも説明書であることは変わりない。
両方とも単なる説明書であり、テレビの操作説明か会社の仕組みの説明かの違いでしかなかったのだ。間違っても、テレビの取扱説明書をテレビの最上位の文書とは言わないだろう。
反論ある方はこちらへ(注1)


佐川真一 「当然です。当社社内に置いて、品質マニュアルはいかなる強制力もありません」

猪狩審査員 「強制力がないだって それじゃ、この指摘以前に、御社はISO規格に完璧に不適合じゃないか!」

佐川真一 「猪狩さん、マニュアルとはどういうものかを考えてください。
そもそも弊社には品質マニュアルはたくさん存在しています。だってお客様から品質保証協定を要求されると、それに対応した品質マニュアルを作ります。どういう風に作るかと言いますと、お客様の品質保証要求事項に対応して、弊社の手順書から該当する仕事を抽出しそれをサマリーするわけです。

弊社には沢山の品質マニュアルが存在しますが、当社の品質システムはひとつしかありません。もちろん客先によってはトレーサビリティを記録したり、計測器の校正間隔を変えたりすることはあります。しかし弊社の品質システムは、それらへの対応を含めたものがひとつしかありません。

お客様によって要求事項が違いますから、必然的に品質マニュアルはお客様対応になります。
そういう煩雑さを解消するために、品質保証要求事項の標準化を目指して作られたのがISO9001ですよね、

ISO認証のための品質マニュアルも同じく、規格要求に見合ったことを手順書から抜き出して編集するのです。
だって審査契約書には規格要求をどのように実施しているかの記述、あるいはそれを定めた文書の表題と文書番号を引用することとあります。
それはずばり、品質マニュアル作成以前に、そういった手順書が存在することを示しているわけです。

品質マニュアルは既存の手順書のサマリーであること、更に言えば、元々、規格要求にない品質マニュアルが、最上位の文書でないから不適合とする根拠は何でしょうか?」

猪狩審査員 「それは……分かり切ったことというか、当たり前だろう。規格では品質マニュアルが最上位と……」

佐川真一 「影山取締役、御社の規格解釈がそのようであれば、弊社は御社に審査依頼したのを間違いだったと判断して、審査契約を取り消さなければなりません。と言いますのは……」

影山取締役 「まっまっ、お待ちください。
猪狩君、君の論理はちょっとおかしいぞ。品質マニュアルは規格には出てこない語句だ。それを根拠に話をすること自体おかしい」

猪狩審査員 「審査員教育で品質マニュアルは組織の最上位の文書であり、従業員に読ませなければならないと習いましたよ」

佐川真一 「規格不適合というのは、規格に書いてある要求事項を満たしていないことです。それ以外のことを引き合いに出されても困ります」

影山取締役 「佐川さん、分かりました。この件に関して、当認証機関は不適合ではないとみなします。不適合を撤回します」


猪狩は立ち上がりかけたが、それを影山取締役は制止した。

佐川真一 「同意を得られてよかったです。
では二番目ですが、『製造部には課が三つあるが、規定集は1部のみ配布である』ゆえに『すべての部門において利用できることを満たさない』という指摘です。

審査対象の組織をご覧になったと思いますが、工場の事務部門すべてをワンフロアに集めた形式としております。とはいえ全体の人数もそれほど多くありません。概ね100名でしょう。そこに何部規定集を配付する必要があるかという問題になります。
実際にはそこに所在する総務部、営業部、技術部、製造部の4つの部の事務部門があり、それぞれに規定集が配布されています。1冊当たり25名となります。

ところで規定集を見ながら仕事をするということは、めったに発生しない仕事、例えば年に一度の予算申請とか社内資格試験など、非定常のものでしょう。普段発生する事務処理は手順書を参照しながらすることはまずありません。定常業務なら、手順を覚えて仕事できないと間に合いません。
御社でも出張旅費清算するとき、手順書を見てすることはないと思います。手順書を見るのは入社直後の方くらいでしょう」

小林さん 「現在、その三つの課の人員合計は22名です。その人数に対して1冊で足りないことはありません。というかめったに使われないのが実情です」

影山取締役 「分かりました。この件は不適合を取り下げます」


猪狩審査員は面白くない顔をしている。

佐川真一 「ありがとうございます。
それでは最後の不適合ですが『議事録がコピー黒板のプリントで、感熱紙のために退色しやすく、4.16の劣化を最小にする要求を満たさない』というものです。
これには審査の場で、コピー黒板をプリントしたものは、一時的なコピーであり、それをワープロ起こししたものに決裁印を押して議事録にしていると説明したと速記録にあります」

猪狩審査員 「じゃあ、コピー黒板のコピーとワープロしたものが両方ファイルされていたら、どちらが本物なのか分からないじゃないか」

佐川真一 「普通は決裁印があるものが、正式なものであると認識すると思います。弊社ではそう理解しますが」

猪狩審査員 「1つのファイルにコピー黒板のコピーと、正式な議事録をファイルするのがおかしい」

佐川真一 「そうしてはいけないという要求事項はありませんね」

小林さん 「正直なことを言うと、ホワイトボードにはその会議前の打ち合わせの記載が残っていたり、会議中に出たアイデアなども書いておりまして、そういうのを後で見るため残しているのです」

影山取締役 「分かりました。これも撤回します。
猪狩君、まだ先週の報告書は私のところまで来ていない。所見報告書から不適合を削除して、不適合はなくすべて適合を確認したと文章を修正して、2部プリントアウトして持ってきてください。

ええと審査リーダーは猪狩君がサインしなおすとして、工場の方は管理責任者がサインしないとならないのだが」

小林さん 「私は管理責任者から全権委任されてきております。ここに委任状がありますから、これを添付してください」

影山取締役 「承知しました。
佐川さん、ちょっと気になったのですが、シャツ越しに透けて見えるのですが、胸周りに包帯をしているのでしょうか?」

佐川真一 「ああ、これは包帯ではなく胸部固定帯というのでしょうか。10日ほど前、ちょっと事故にあいまして、肋骨を何本か折ってしまいましてね」

影山取締役 「灰皿事件ですか?」

佐川真一 「おっしゃる通りです。地獄耳ですね」

影山取締役 「認証機関の業界団体で会合がありまして、そこで某認証機関の方が、審査でのトラブルを説明していました」

佐川真一 「なぜ恥になるようなことを、業界団体の会合でお話したのでしょうか?」

影山取締役 「尾ひれの付いた噂が陰でささやかれるよりも、事件を正しく公の場で語ったほうが害は少ないと考えたのでしょう」

佐川真一 「なるほど、じゃあ、どの認証機関にお伺いしても私は有名人だ、アハハハ。

ええと、もうひとつお話させてください。
今回の問題3件に共通な原因があります」

影山取締役っ、共通原因と言いますと?」

佐川真一 「不適合の記載がまずかったことが共通しています。それは『ISO10011 品質システム監査の指針』を満たしていないことです。その規格では不適合には根拠と証拠を書くことを要求しています(注2)

例えば1番目の不適合では、根拠となるISO規格の項番がありません。2番目の不適合では、適正に利用できないために、仕事が滞っているとか、仕事を間違えたという証拠が必要です。証拠と根拠を示せないなら不適合にはできません。

是正処置として、所見報告書を規格に従って記述するよう指導願います。また所見報告書を承認する時は、記載事項が規格要求を満たしていることも確認願います。
そうすれば誤った不適合を出さずに済み、私どもから苦情を受けることはありません」

影山取締役 「ご教示、ありがとうございます。おっしゃるようにいたします」


認証機関に所見報告書を書き直してくださいと行ったことは二三十回あったけど、正直言ってこのように受け入れた人はいなかったね。良い方で笑ってごまかすとか、ある方には身の程を知れと実際に言われた。

買った商品が不良で交換を求めたら、店の方はあいすみませんと言うだろう。レストランで料理に虫が入っていて苦情を言ったら、身の程を知れとは言わないよね。
まさかISO9001の審査をする人が、顧客満足を知らないことはないと思うけど。


注:ISO9001の意図は「顧客満足」である。ついでに言えばISO14001の意図は「遵法と汚染の予防」である。
努々ゆめゆめ、忘れないこと。


修正した所見報告書を小林と佐川が確認して、小林がサインをする。そして小林が一部を受け取る。
影山取締役は審査登録証を10日以内に送付するという。
ということで一件落着してお暇するのであった。




三人は認証機関の入っているビルを出て、地下鉄駅まで歩く。
「オーイ、佐川さん」と呼ぶ声が聞こえる。

オーイ、佐川さん
なにしているの

ハワード
ハワード審査員
三人が振り向くと、10mほど離れたところに茶髪の外人がいる。

山口と小林は誰か分からないが、佐川は分かった。
この前、福島工場の審査に来たディブ・ハワードだ。
三人が立ち止まっていると、ハワードが歩いてきた。


佐川真一 「ハワードさん、これは珍しいところで」

デイブ・ハワード 「珍しくないよ、ここは僕のホームタウンだ。
実はあれからイギリスに帰らず、日本支社勤務になったからね。会社は歩いてすぐそこだ、
体の調子はどうですか? ここにいるということは順調に回復しているようだね」


小林は工場に戻ると言って別れた。
佐川たちは山口と三人で近くのカフェに入る。

佐川真一 「先日の事件では、ハワードさんにもご迷惑をかけてしまいましたね。
本当はまだ動かないほうが良いのですが、今日は別の認証機関の審査でトラブルがあって、それで来ました」

デイブ・ハワード 紅茶 「この近くの認証機関となると○○社かな。
トラブルと言ってもいろいろだろうけど、どんなことか教えてもらえますか?」

佐川真一 「秘密でもないですから、よろしいですよ。規格解釈の違いで……これこれ……というようなことでした」

デイブ・ハワード 「なるほど、日本人はISO認証して会社を良くしようという考えがあるようです。それで規格要求水準を高く考えたり、規格要求にないことを求めたり、向上させようとすることは悪いと言えませんが、ISO審査員としては落第です。
お宅としては有難迷惑なことでしょう」


注:気付きであろうと改善提案であろうと文句は言わないが、審査員の提案を受け入れないと不適合にされては文句を言いたい。
当時は「審査員のご指導によって改善が進みました」なんてことを、企業のウェブサイトに書くとか、挨拶で語るところが多々あった。21世紀の今でも認証機関の「お客様の声」なんていうページに、そんなものを見かける。
オカシイダロウ!……なぜおかしいか分からない人もいるかもしれない。


佐川真一 「おっしゃる通りです。そもそもISO9001を、特別なものと考えるのはおかしな話です。
私はISO認証なんて関わったのは今回が初めてですが、品質保証には関わっていました。

顧客から品質保証として要求されることは多々ありました。でも品質保証を要求するお客様が、私どもの会社を良くしようなんて気持ちがあるわけないです。自分が買うものをしっかりした体制で作って欲しいという欲求があって、それを供給者に要求することでしかありません。

ISO9001は品質保証要求事項を標準化しただけなのに、審査員がISO9001で会社を良くしようとする気持ちが分かりません」

デイブ・ハワード 「日本的に考えると、何もメリットがないことで、お金をもらうのは気が引けるということじゃないのかな?」

佐川真一 「余計なことをすると、かえって迷惑をかけると理解してほしいですね。言いにくいことですが、灰皿事件も吉富審査員が要求にないことを要求したからです。
あのとき問題になったことですが『they are readily retrievable』とは実際にどんな意味なのでしょうか?
私は英語が全くダメで、辞書を引いて考えるしかないのですが、『即座に検索できること』なのか『即座に手に入る』なのか、どちらなのでしょうか?」

デイブ・ハワード 「英語でもニュアンスとしては両方にあるけど、実際のことを考えてみよう。品質保証は元々軍事から始まり、 放射能表示 その後、民間に広まったが、最初は航空機とか原子力などミスが許されない製品から始まった。

さて、航空機とか原子力関係で何かの記録を必要としたとき、膨大な中から即座に手に入るなんてありえない。
とりあえずどこにあるかが分かって、必要な手順を尽くせばある程度の時間内に手元に届くことが要求レベルだろうね。

ありかが分かりませんというのはダメ、物のありかは分かりますから、持ってくるまでの時間をいただきますということだろう」

佐川真一 「なるほど、灰皿事件の発端は、吉富さんが10年前の記録を見たいというので、古い記録は倉庫にあるから持ってくるのに1時間くださいと言ったところ、規格要求は『即座に手に入る』だから、すぐに持ってこいというのが事の起こりでした。
倉庫に行くだけで10分はかかりますよ」

デイブ・ハワード 「それは翻訳だけでなく英語の文章でも微妙ではあるね。コンテキストから考えないと決まらない」

佐川真一 「翻訳と言えば『legible』もありました。ISO規格の日本語訳は『読みやすく』なのですが、日本語の『読みやすく』の意味あいは『legible』という意味より『Easy to understand』なのです(注3)日本語訳を読んだだけでは誤解するのも当然です」

本社の山口 「えっ、そうだったのですか!、ならば『文字が鮮明であること』と訳したほうが良かったのに」

デイブ・ハワード 「そういう話を聞くと、それならぜひ弊社に鞍替えをしてくださいと言いたいところだけど、我々も前科者(第36話)になってしまっては言いにくい」

佐川真一 「そう思うことはありませんよ。
弊社は事業所が認証機関を自由に選んでも良いとしています。ですから今4つの工場がISO認証活動しているのですが、すべて認証機関が違います。複数の認証機関の審査を見られるのは、とても勉強になりますね」

デイブ・ハワード 「本当なら、どこでも同じ規格解釈、審査方法でないとまずいのですが。
ところで佐川さんは福島工場にお勤めでしたね、なぜ他の工場をアシストしているのですか?」

佐川真一 「私は近く本社に転勤して、ISO認証の指導をするのです」

デイブ・ハワード 「ほう、じゃあこれから認証する工場には、認証機関の選択もアドバイスもするのですか?」

佐川真一 「そういうことになるでしょうね。おっと、ハワードさんのところも偏見なしに評価しますから、ご安心ください。

他意はありませんが、この審査のミスを正すために、私は東北から新幹線で一泊かけてきました。往復運賃7万円、ホテル1万として8万になります。まして傷病欠勤中の私が闇で出張ですから、何かあると問題になります。

審査料金が8万高くても、まっとうな審査をする認証機関を選んだ方が安くついたということです。 こんな凡ミス、あるいは能力不足による誤判断ならば、認証機関に旅費を請求したいですね」

デイブ・ハワード 「耳が痛いですね、私も認証機関の力量向上に務めます。
ところで佐川さんとは福島工場で名刺交換しませんでしたね。名刺頂けますか?
これは私の名刺です」

ハワードは佐川から名刺を受け取って、しげしげと見つめる。表は日本語、裏は英文になっている。

デイブ・ハワード 「佐川さんはManagerですか、これは存じ上げませんでした。福島工場では表に出てきませんでしたが、影の王でしたか。
それでは今後ともよろしくお願いします」

本社の山口 「ハワードさん『よろしくお願いします』って、どういう意味なのでしょう?」

デイブ・ハワード 「サヨナラの意味だって習いましたよ、おっと、ジョークですよ、ジョーク
英語だって『Best regardsよろしく お願いします』はメールの結びの文句で、特段意味はないよ」



*****


ほぼ同じ頃の本社生産技術部である。
野上課長が江本部長に報告をしている。

野上課長 「山口君から、兵庫工場の認証機関を訪問した結果報告がありました」

江本部長 「おお、佐川に不適合の取消しを頼んだんだよな?
どうなった?」

野上課長 「佐川君が規格を満たしていると説明して、すべて先方に不適合でないと納得させたそうです。所見報告書は書き直されて、すべて適合で10日くらいで認証の証書が来るそうです。

山口君の言葉を借りると、認証機関の人を教え諭すようで、審査員や向こうの幹部よりも、間違いなくISOに詳しいと言います。
さすが佐川君ですわ、逆に山口君は彼の下で相当修行をしないと、まだまだのようです」

江本部長 「山口の野郎、佐川が怪我をしたとき、一人で大丈夫ですなんて大口を叩いていたが……」

野上課長 「とにかく佐川君を見つけたのは僥倖でしたね。それと彼の転勤を取消しなくて良かった」

江本部長 「いや、まったくだ。ワシも少しの人件費を気にして、大きなミスをするところだった。佐川は良い買い物だった」

野上課長 「部長、覚えていますか? 當山の犯罪が発覚して、ISO認証支援業務をどうしようかと途方に暮れたのは、ふた月前ですよ。
たったふた月で佐川君は一人で大ピンチをチャンスに巻き返したわけです。いまや認証支援をビジネスにしようと検討中です。彼は評価せんといかんですよ」

江本部長 「確かに、あんときはもう我々の昇進はない、いやそれどころか欧州への輸出がピンチになって左遷かと思ったよ、アハハ(第17話)」

懲りないというか、太っ腹というか、極楽とんぼの江本部長であった。




うそ800 本日の蛇足

お前はこんなことをしていたのか

そう問われると予想します。
工場にいて審査を受けていた時は私が反論する前に、アホな上長が「ハイ、喜んで」なんて居酒屋の店員のような返事をしていました。
審査員が語るのは、神の声と信じて疑わないのか?
審査員の言う通りすると、悪くなるとか、お金がかかるとか、時によっては法違反になるとか、考えないのが不思議だった。
アホな人は、偉くなるとなんでも受け入れるというのが、鷹揚というか、かっこいいと思うようです。
アホの極みです😠
ということでこんな場面はありませんでした。

職を変わって、認証指導をするようになると、大企業が頼んでくるわけがありません。小さな会社は生き残るのに必死です。審査員の言い分を受け入れると、だいたいにおいてお金も時間もかかる方向になるわけで、審査員の言うことを断るしかありません。
当然私に仕事が回ってくるわけで、私もやるしかありません。そこではこんな場面がいつも上演されました。

言っておきますが、私が論破されたことは一度もありません。
というのは私だって恥はかきたくない。だから他の認証機関に相談に行ったり、ISOTC委員に問い合わせしたりしました。言い換えると、勝てないときは異議を申し立てません。
🐯
もちろん認証機関が納得しないとき、ISOTC委員の○○さんが、○○認証機関の○○取締役は、都の○○局の○○さんはと、虎の威を借りました。

審査員はともかく認証機関の幹部になると、私が高名な方を引き合いに出すと反論せずに納得されるのがパターンでしたね。いやしくも認証機関の幹部が、そう言った人たちに「○○はどう解釈するんですか?」なんて質問するわけにはいかないからでしょう。



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マニュアルという語はISO9001:1987では出てこない。
登場したのはISO9004:1987である。そこでは次のように記述されている。
英語原文
The primary purpose of a quality manual is to provide an adequate description of the quality management system while serving as a permanent reference in the implementation and maintain of that system.
JIS訳
「5.3.2.2 品質マニュアルの第一の目的は、品質管理システムに関する適切な記述を提供することにあるが、一方、品質管理システムを実施し、維持する上での永続的な参考資料として役立てることにある。」

日本語訳は原文と意味合いが違うように思う。原文の意味合いを正しく訳せば、次のような感じではないのでしょうか?
「品質マニュアルの本来の目的は、品質管理システムを説明することですが、それだけでなく、システムを運用し維持していく際に参考になるでしょう。」

いずれにしてもマニュアルが、指示文書とか最上位というニュアンスはない。あくまでも説明書であり参考文書なのである。

監査報告書の書き方はISO9001初期より下記のように定められている。

ISO10011-1:1990 5.3.2.2 監査の観察結果
「前略 監査チームは、これらを明瞭、簡潔に文書化し、証拠によって裏付けることを確実にする。不適合については、監査の基準となった規格又はその他の関連文書のどの要求事項に抵触するかを明らかにする。 後略」


その後のGuide62/ISO17021のいずれの版においても、同等の記述がある。

実用日本語表現辞典によると「読みやすさ」とは「すらすらと読める、容易に読み進めることができる、といった意味」とある。
広辞苑には「読みやすさ」という語句は載っていない。

一般的に「読みやすさ」とは「文字が判読できない」という意味に使われていないようで、「不鮮明」というより「文章が読みやすいこと」と解すべきと思われる。






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