タイムスリップISO 6.妻に話す

24.08.01

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但しISO規格の解釈と引用文献や法令名とその内容はすべて事実です。


タイムスリップISOとは

注:文中「私」とは、作者である私、おばQのことではなく、このお話の主人公である「佐川真一」であります。お間違えの無いようお願いします。




12月中旬になった。30年前に戻ってひと月が過ぎた。
俺の体は若くなって快調だ。退職するまで特別に運動なんてしなかった。60歳くらいまでなら、特段運動をしなくても体の柔軟性とか基本的な体力は維持できるのではないだろうか。

60歳を過ぎると、やはり体力の衰えとか体の可動域が狭くなるのを実感する。
ビール 70歳になったとき笑ってしまったのは、ジョッキを持って乾杯しようとしたら、ジョッキを肩より上まで持ち上げられなかったことだ。
腕の力がないのではない。ジョッキを持たなくても、腕が上がらないのだ。四十肩ではない、七十肩である。
42歳に戻った今は、ジョッキを持ちあげるだけでなく、一気に中身を開けることもできる。

その他のいろいろな老化現象も戻ったようで、体のあちこちが痛いとか、足の爪を切るのに手が届かないなんてことはない。
洗濯 もっとも感動したのは洗濯ばさみを広げるとき痛くないことだ。へバーデン結節になったのは70を超えてからだった。
そうそう、30年前に戻っても、休みの日は洗濯をするようにした。それに洋子はたいそう驚いた。確かに前世では日常のゴミ出しとか年末の大掃除くらいしか、家の仕事はしなかったもの。


30年巻き戻ったことで変化したことは、体だけでなくたくさんある。仕事をしていて迷う、悩むということはまずない。だって現れる課題やトラブルはすべて体験済であり、30年前だって半分はうまく対応していたし、対応に手こずった半分も今はどうすれば良いかを知っている。

職場が変わったところで、以前の私を知っている人はいない。それで周りの人は俺がものに動じない、そしてどんな問題でも解決できる人だと思っているようだ。
そんなことはない。何が起きるかは忘れてしまったが、問題が起きればどうすれば良いか、頭に浮かんでくるだけだ。


過去の体験で何事も処理できるなら、進歩はないのかと言われそうだ。
たしかにそうだが、自分が進歩しなくても他の人を教え育てれば、それは全体の進歩と言えるだろう。
それに同じ問題にぶつかったとき、前回の対処より少しでもより良くエレガントに解決しようと努力はする。いや、単に楽な方法を考えるだけだ。


そしてなによりも30年前と大きく違うことは、土曜・日曜が毎週休めること。
俺はモーレツサラリーマンだったから、土日はほとんど出勤していて、子供たちと遊んだとか、参観日に行ったことがない。運動会には上の娘のとき1回いっただけだった。下の娘のときは、行ったことがない。
ひどい親である。

会社を辞めてから、家内とそんなことを話したことがある。
赤ちゃん そのとき俺は、もう一度生まれ変わることができるなら、一生懸命子供の相手をしたいと言った。
すると家内は、私はもう生まれ変わるとか若くなりたいという気持ちはない。なんとなれば、子育ては疲れるからもう二度と嫌だという。そして孫が生まれても絶対相手をしないというのだ。

と言いながら洋子は直美の子供の時も、里見の子供の時も、都合4回向こうに行って、赤ちゃんの世話をしたし、小学前も小学のときも人一倍世話を焼いていた。

子育てに協力しなかったダメオヤジは、現役時代を思い出しては何も言えず、反省しきりであった。
だから余裕のできた第二の人生では、少しは家内のお手伝いをしようと思ったのだ。


さてそんなわけで年の瀬の迫った土曜日は、洗濯、掃除をして、さてガラクタを片付けようかと裏のスチール物置を眺めている。
タイヤタイヤ

廃車した車の冬用タイヤがあるのはなぜなのか分からない。廃車するとき車のトランクに入れて出せば良かったのにと思う。

上の娘が小学校に入るとき買った勉強机を、中学になるとかっこ悪いと言い出しておしゃれなものを買った。古い机を捨てず何年も物置に入れてあったが、湿気と寒暖の差で木部がふやけて使い物にならない。

捨てるにしても粗大ゴミに出すと市が取りに来るが、向うの都合で一月後になるかどうか分からない。今年中に片付けるなら、自分が市のごみ処理場まで持って行かないとならない。義弟のトラックを借りるかと考える。
洋子の実家は兼業農家だから軽トラがあるのだ。


そんなことをしていると、いや頭をひねっていただけなのだが、家内がお茶でも飲みましょうと呼びに来た。けっこう寒いから今日はこれまでと考える。生まれ変わっても自分は怠け者だと感じてしまう。


*****

こたつに入って熱いお茶を飲む。お茶は家内が急須でいれた。70代になったとき、 お茶 家に急須なんてなかったと思う。
いつもペットボトルのお茶をそのまま飲むか、温めるか、冷やすかして飲んでいた。それでも銘柄によって美味い、不味いがあった。
今目の前にあるこの急須も壊れてしまったのだろうか?

急須を見てそんなことを考えていると、洋子が心配そうに話しだした。

妻 36歳の洋子 「あのね、しんちゃん。ひと月くらい前から人が変わったように見えるのよ。
洗濯もそうだけど、家事を手伝うようになったし……
自分では気付かない?」

私、佐川真一 「正直言ってちょっとしたことがあったんだ。人が変わったと言われると、それだろう」

今まで誰にも言わず悶々としていた。自分には洋子が一番親しい人だ。洋子に本当のことを言って信じてもらえないならそれまでだと思う。

私、佐川真一 「信じられないだろうけど、俺の話を聞いてほしい。
笑わないでくれよ。
俺は洋子と結婚して、引っ越しばかりしてたけど、里美が少学に入るときここに中古住宅を買って住んでいる。
そして今から数年後に転勤になって東京で働くようになった。
もちろん洋子も一緒だよ。そのとき直美は東京の大学に入っていたし、里見はちょうど大学入試だった」

妻 36歳の洋子 「ちょっと、何の話なの?」

私、佐川真一 「その間に世の中にはいろいろな事件も災害も起きたし、政変もあったけど、我が家には大きな問題はなく幸せに生きていた」

妻 36歳の洋子 「言っている意味が分からない」

私、佐川真一 「うーん、信じられないだろうけど俺はそういう人生を歩んで、定年後は嘱託をして63歳で引退した。財産などないけど、厚生年金と企業年金でそれなりに幸せな暮らしをしていた」

妻 36歳の洋子 「いたというのは過去形なのね。しんちゃんは年を取って老人になったけど、なぜか若いときに戻ったということ?」

私、佐川真一 「若い体に戻ったというか、未来の記憶が湧いてきたということかもしれない」

妻 36歳の洋子 「どちらにしても同じことね。そう言われると、聞きたいことはたくさんあるね。
まず、ある日以降とても明るくなったのはなぜ?」

私、佐川真一 「これから30年間に起きるできごとは、ほとんど忘れてしまった。しかし、大事件、大災害、家族の大きな変化などは覚えている。
だからそれに対応する方法は分かっているし、致命的なことは起きないと分かったからかな」

妻 36歳の洋子 「なるほど……
怖いけど聞きたい……うちの家族は皆健康で歳を取っていくのよね?」

私、佐川真一 「俺は71歳までの記憶しかない。71歳から戻ってきてしまったのでそれより先は分からない。

だけど今42歳から71歳までの人生で、家族が大病したとか交通事故にあったということはなかった。皆健康で、子供たちは学校を出て希望する仕事に就いているし、よき伴侶を得て結婚した。孫もいて皆元気だ。俺がこちらに戻るときで直美も里美も二人ずつ子供がいる。

ただ俺も分からないのだけど、全く同じ人生を繰り返しているのではないようだ。会社で前回のときと違う選択ができるのか試してみた。30年前と違う選択はできる。だからより良い人生を生きようと努力あるいは選択は可能だ。しかしその結果、良い人生になるか裏目に出るかはわからない」

妻 36歳の洋子 「とりあえず皆が健康で歳をとっているなら良かったわ。
ちょっとつじつまが合わないことがあるけど、」

私、佐川真一 「つじつまが合わない? 何か矛盾があるかな?」

妻 36歳の洋子 「直美と里美は3歳違い、だから里美が大学に入るとき、直美は大学4年になるわけよ。里美が大学に入るとき直美が大学を卒業とはどういうこと?」

私、佐川真一 「それはね、里見が高校のとき1年間アメリカ留学する。その1年間、高校は休学になった。それで1年遅れで卒業したはずだ。大検を受けて同じ年の人に遅れずに大学に行きたいとか言っていたが、結局1年遅れだった。

細かいことは勘違い、記憶違いはあるかもしれない。なにしろ子どもたちのことは、洋子にお任せだったからね。大変申し訳なかった。
それに俺にとっては、20年以上前のことだから、うろ覚えだ」

妻 36歳の洋子 「はーー、ウチの子が留学ねえ〜」

私、佐川真一 「ということで俺が70歳から戻ってきたということ、信じてくれる」

妻 36歳の洋子 「はーー、正直信じられません。
世の中の変化というかいろいろあると思うけど、大きな出来事を教えてよ」

私、佐川真一 「来年1993年に細川の日本新党政権になる」

妻 36歳の洋子 「来年ね、それで経済は良くなるの?」

私、佐川真一 「ならん、すぐにポシャル」

妻 36歳の洋子 「そしてまた自民?」

私、佐川真一 「経緯が複雑怪奇だし、俺も流れはうろ覚えだ。
大まかだけど、細川内閣は翌年1994年倒れる。そして新生党羽田内閣になるけど、社会党が反発して水と油の自民と連立して政権を取る。だけどご想像の通り、まともに機能するわけはない」

妻 36歳の洋子 「はあ、呉越同舟ねえ」

私、佐川真一 「当人たちだって後から振り返ると、なんでそんなことしたのかって疑問に思っただろう。熱病にでもかかっていてまともに判断できなかったんじゃないかな。
1995年阪神淡路大地震が起きて大変だった。総理大臣は社会党の村山富一で、「初めてのことじゃきに」なんて言うだけで、何もできず災害対応が遅れ、多くの人が亡くなった。それで村山富一は、戦後、最悪の総理と呼ばれた」

妻 36歳の洋子 「それからずっと自民党?」

ハトポッポ

私、佐川真一 「いや、民主党というのが現れて2009年鳩山が首相になる」

妻 36歳の洋子 「鳩山……由紀夫の方かな、その口ぶりでは、またポシャルのでしょう?」

私、佐川真一 「そう。鳩山は頭が鳩並みだとすぐにばれてしまって、菅直人が首相になる。
ところが2011年に東日本大震災という、とんでもない大きな地震が起きる。 鉋音 福島県は原発が壊れて大きな被害を出す。
菅直人は核技術者と自称していたけど、慌てふためくばかりでなにもできない。口だけ得意で何もできない万年野党の面目躍如だった。
幸い福島の洋子の家族と親せきは皆無事だ。俺は親も兄弟もいないから問題ない」

妻 36歳の洋子 「ほー、想像もつかないわ。日本は大丈夫だったの?」

私、佐川真一 「結局、2012年自民が政権を取り戻し、なんとか平常に戻したという感じかな。
GDPだけを見ればほとんど地震の悪影響は見えない。もちろん原発停止によるエネルギー危機とか、ものすごい影響はあったし、20年後も解決していない」

妻 36歳の洋子 「ねえ、大事なことだけど、今からしんちゃんが70になるまでの間に、お金儲けできるチャンスはないの?(注1)

私、佐川真一 「日銀金利はずっとゼロ近く、預金はまったくだめだ。ATMの手数料を考えると、利子が付くどころか、利子を取られるような感じだ。
株は長期間下がったまま。もちろん短期的には上がり下がりはある。けれども短期間の上下だから俺の曖昧な記憶では投資はできないな。
金の延べ棒 いずれにしても今世紀中は株はダメだ。
金は1990年頃からずっと平坦で、2006年頃まで値動きはない。もともと金は資産として持ち続けるもので、短期で儲けるものではないしね。

円ドルの為替レートでは何度かチャンスはある。1995年阪神淡路大地震がおきて1$80円くらいになる。2年で120円くらいになり3年で140円くらいになる。
それから東日本大震災の2011年には75円くらいになり、2年で110円、3年で120円くらい戻る。この2回のチャンスにドルを買うか外貨預金して、2年間維持する気持ちがあれば儲かる」

妻 36歳の洋子 「大災害があると円が上がるの?
災害が起きれば日本経済への信頼が落ちるわけでしょう。どうして円が上がるのかしら?」

私、佐川真一 「俺も難しいことは分からないが、災害復興のために銀行や企業が、海外に投資している円を引き上げるかららしい。
ともかく日本で災害が起きると円が上がるのは間違いない」

妻 36歳の洋子 「200万円をドルの外貨預金にして2年半で120万利益ということね。2回やれば240万か。それくらいのお金はあるわ。
ただ短期ではなく利益を出すには2年から3年かかると。もっともしんちゃんも正確な日時は覚えてないでしょうから、長期の投資なり外貨預金の方がミスはないか」

私、佐川真一 「儲かるのは間違いないから1,000万くらい行きなよ。利益は600万、2回で1,200万だ」

妻 36歳の洋子 「お金があればね。それに短期じゃなくて、2年も時間がかかるのが難点ね。
直美も大学は東京だろうし、里美も留学ではきっと出費も大変よ」

私、佐川真一 「大学によるけど、成績次第では学費免除とかの制度がある。二人とも勘定高いから、成績優秀なら浮いたお金全部あげるといえば勉強を頑張るんじゃない」

妻 36歳の洋子 「その辺に期待するしかないわ。発破かけましょう。
それから東京に転勤と言ったわね? それって、どういう経緯?」

私、佐川真一 「そもそも元の職場でチョンボして品質保証に異動になったわけだ。ところが品質保証の仕事が自分に合ってたのか、その仕事では会社の中でも有名になっちゃうんだ。イヤ、ほんと
それで本社に転勤になって、そういう仕事をするようになる」

妻 36歳の洋子 「転勤するのはいつなの?」

私、佐川真一 「2000年の4月だった。
そのとき直美が22歳で大学卒業、里見は留学したので、1年遅れで大学入学のときだ」

妻 36歳の洋子 「二人とも浪人はしないで志望校に入ったわけね。さすが、私の娘だわ。それでまた4人一緒に暮らしたの?」

私、佐川真一 「そういうこと。皆別々に借りたら大変だ。もっとも直美も里美もお付き合いで忙しかったようだ(苦笑)。
俺は休出とか出張とか多い仕事だったけど、自分にとっては楽しい仕事だったから苦にはならなかったね」

妻 36歳の洋子 「良かったわね。あなたが品質保証に異動と言われたときは、鬱になって酒に溺れたのよ」

私、佐川真一 「人聞きが悪いなあ。それほど意気消沈したわけじゃないよ。
数日、酒飲んでいただけじゃないか。まあ、ショックは大きかったけど。
ともあれ俺はこれからウナギのぼりだよ」

妻 36歳の洋子 「その、しんちゃんのいう、一層良くするという選択はどうなの、リスクが高いなら前世を繰り返したほうが安全よね」

私、佐川真一 「そんな大それたことを考えているわけじゃない。ただ長いものに巻かれる人生はもう嫌だ。例の一件だってそうだろう。
自分が正しいと思ったことをする、正しいと思うことを貫く、そういう生き方をしたいと思う」

妻 36歳の洋子 「例の一件かあ〜、悔しかったものね。30年たっても悔しいでしょう。
やりなさいよ。正しいと思うことを。私は応援するよ」

私、佐川真一 「ありがとう。誰にでも噛みつくようなことはしないよ。安心して」


*****

俺は自分が体験したことを正直に語ったつもりだけど、洋子はその話を信じたのだろうか?
精神科に行こうなどとは言わなかった。ここひと月の行動からそういう風に見えたのだろうか? そういう風にとは、40の自分ではなく70になったときの性格とか行動に見えたということか?

最初、洋子は人が変わったようだと言った。それはすぐにカッカしなくなった、穏やかになったことだろうと思いたい。あの件では自分の行動が真逆に受け取られ、非難轟々だった。それというのも副工場長のおかげだ。
そして品質保証に飛ばされて……腐るのも当然だよね。
とはいえ目撃者は多数いたから真実は知られていると思いたい。


あのままだったら、悪いほう悪いほうに考えてしまい、外出もできないようになってしまったかもしれない。前世の自分がそうならずに立ち直ったのは褒めてやりたい。
そしてあれから30年生きながらえて経験を積んだ俺は、前世以上に仕事ができるだろう。もちろん復讐もしたい。
いや復讐でなく、自分が考える正しいことを発言し行動したい。それが過去に戻った理由だと思う。


*****

それ以降、洋子が私が行ったことを信じたのか、私が気が狂ったと思ったのか定かではないが、その後この話を持ち出したことはなかった。
札束 ただ外貨預金はどうするのか調べているのは知っている。
阪神淡路大震災まであと3年、軍資金は貯まるのだろうか?


うそ800 本日の喜び

おお、遂に6,700字達成
それでもまだ700字オーバーか……えっ、どうでも良いって?
こりゃ、また失礼いたしました



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注1
1990年代の大きな事件、災害
1990 バブル崩壊
1991
1992 学校 土曜日休日となる
路線価 下落始まる。
1993 ドル126円
1994 ドル102円
1995 オウム真理教事件
阪神淡路大震災
ドル94円
1996 O157食中毒大発生
ドル109円
1997 消費税値上げ 3⇒5%
ドル120円
山一證券破綻
1998 ドル130円
1999 ハッピーマンデー導入
ドル114円
2000ドル108円



外資社員様からお便りを頂きました(23.08.01)
おばQさま
こういう架空のお話でも上手いですね。 働き盛り40代に戻るのと混乱の1990年頃という設定がとても良いです。

今振り返ってみても、93年の細川内閣から、94年の村山内閣、社会党と自民党の野合とか、簡単に説明できないような奇妙な時期でした。
後世の人や、若い人に説明が出来ない体験でした。
とは言え、あの時期をまとめると、政治家とは主義以上に、立場が重要なのだと判った時期と感じました。
原子力政策の見直しも含めて、戦後日本の大きな転換点であって、今起きている事の起点の多くが、あの頃にあった気がします。
とは言え、あの時期をまとめると、政治家とは主義以上に、立場が重要なのだと判った時期でした。
戦後日本の大きな転換点であって、今起きている大きな変化の起点の多くが、あの頃にあった気がします。

映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で主人公が85年から55年に戻って、未来から来た事を信じて貰う時に、「じゃあ大統領は誰だ?」と聞かれて「ロナルド・レーガン」と言うと、信じて貰えないし、自分での変だよねと諦める。
当時レーガンは西部劇「決闘の町」(53年公開)の主演俳優、日本で例えれば「暴れん坊将軍」のマツケンが首相だというようなものでしょう。
主人公:佐川は、奥さんが信じてくれた(?)ようで、何よりです。

労働という観点で見ても、終身雇用制が崩れ、会社中心で働く事が見直され始めた時期でもありますね。
そういう意味では、土日も会社の為に働く事を辞めて、家族との時間を大事にするのは、一番 重要な未来知識の成果かもしれません。

これからも楽しみにしております。

外資社員様、毎度ありがとうございます。
今から振り返ると、1990年代は普通の感覚ではなかったですね。知り合った会社の営業マンが1990年頃一晩で100万使ったけど、今は屋台でしか飲めなんて言ってました。まだバブルの記憶が残っていたのでしょう。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のレーガンもそうですが、アニメのシンプソンズでトランプが大統領になるという話がでた回がありました。そのときまさかということでしたが、その15年後にトランプが大統領になっちぁいました。あれは予言だったのか?
外資社員様のおっしゃるように会社中心からの見直しなのでしょうけど、まだ中途半端が続いているようです。
私の生きているうちには収まらないかもしれません。

ふとし様からお便りを頂きました(23.08.01)
いつもお世話になっております。ふとしです。
タイムトラベル、異世界転生、生まれ変わりなどなど主人公の正体がバレたり、正体を打ち明けるくだり、大好物です。
つまり今回のお話、大好きです。
あと個人的には文字数は多い方が良しです笑

ふとし様 毎度ありがとうございます。
正直言って私が過去にイジメられたこととかパワハラされたことを組み合わせるとサラリーマンの悲哀の物語の完成です(笑)
段々過激になりそうで怖いわ(笑)




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