*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但しISO規格の解釈と引用文献や法令名とその内容はすべて事実です。
注:文中「私」とは、作者である私、おばQのことではなく、このお話の主人公である「佐川真一」であります。お間違えの無いようお願いします。
今日は12月28日月曜日、明日29日火曜日で今年の仕事はおしまいだ。
週明けの朝は、例によって打ち合わせ場に品質保証課の幹部が集まる。
福田課長 | ||
島田係長 | 村上さん | |
大村係長 | 桜庭さん | |
浜本さん | 私、佐川 |
「おはようございます。今年最後の課内ミーティングになりました。
連絡事項がいくつかあります。
まずISO9001認証することが決定しました。ご存知かと思いますが、ISO9001とは数年前に制定された品質保証の国際規格です
またこのISO9001に認証を受ければ、わざわざ顧客の品質保証に対応しなくてもよいという制度ができました。顧客がそれぞれ品質保証協定を結ぶのではなく、メーカーや売り手がISO9001の認証を受ければ、顧客あるいは買い手が安心できるということです。
認証のための審査は、今までの顧客対応の品質保証協定より、厳格でレベルが高いと言われています。
この工場でもISO9001認証することが決まりました。認証活動はビッグプロジェクトになるでしょう。来年明けから品質保証グループの佐川君を中心に皆さんに頑張ってもらうことになります。
それから人事異動に関する連絡です。
私は今年末日で退職します。皆さんに今までいろいろお世話になりました。この場を借りてお礼申し上げます。
来年明けから新任課長が来ますので、皆さんが一致して新課長に協力して品質保証課を盛り上げてほしいと思います。
もう一つの人事異動ですが、村上さんが来年1月16日付けで転勤になります。行先は元の勤務地の新潟支社です。
村上さんが品質保証に来たのは昨年の4月でした。こちらに戻るときも新潟支社からは、ぜひ新潟支社で頑張ってほしいという要望があったのですが、家庭の事情ということで地元に戻ってきました。その後も村上さんにラブコールがありまして、このたび村上さんになんとか対応してもらったという経緯です。
新しいというか、古巣で大いに頑張っていただきたいと思います。
ええと人の異動があると送別会、歓迎会となるわけですが、私の場合は日程がとれませんので辞退させていただきます。
村上さんの送別会は年明けに、新任課長の歓迎会と一緒にしたらどうかな?
それは桜庭さん、新課長と村上さんと話し合って決めてください。
ちょっと待てよ、私の場合は歓迎会なんてしてもらっていないぞ。だいぶ待遇に差がありそうだ(笑)
これは桜庭さんに理由を聞かねばならない。
「明日は仕事納めで15時から一斉清掃です。清掃をして、廃棄物は分別して16時までに工場管理課の廃棄物置場に出すように。
作業は16時半までに完了して、信頼性試験室の休憩所で缶ビールと乾きもので仕事納めの乾杯をします。
各グループで、そのように周知をお願いします。マイカーの方は缶ビールを飲まず持って帰ってください。
年末年始、飲み過ぎや交通事故などないよう、また元気な顔で出勤してください。
以上です。
では解散」
人事異動の話を聞いて、驚いた人はいなかった。皆、福田課長が以前から転職先を探しているのを知っていた。やっとかという思いだったようだ。
村上さんも工場から支社に転勤してから、何年も戻りたいと言ってやっと去年戻ってこられた。しかし、品質保証の仕事が合わなかったのか、着任した年の自己申告に支社に戻りたいと書いたという噂だ。本当なら常識を疑う。
支社のラブコールというのも怪しい。
食堂などで聞こえる声は、自分勝手とか心変わりが激しいと、批判的なことばかりだ。もう転勤希望は通らないだろうという声もある。
前世では村上さんの転勤は、ISO認証活動中4月か5月だったと記憶している。それに先日、猪越課長から聞いたときは仮定の話と言っていた。
こんなに早いとは内々では決まっていたのだろうか? それとも私がISO認証に向けて、早いとこ体制を作らないとまずいと言ったのが影響したのか、どうだろう。
私は前世に囚われることがなく自由に意思決定できるのは確認したが、私の決心や行動によって取り巻く環境は変わる。それは架空ではなく現実だ。結局、世の中と言っては大げさだが、私を取り巻く周囲の状況は私の行動によってどんどん変わるということを忘れてはならない。
それは前世より良くなることもあるし悪くなることもあると知ると緊張する。
事務所に戻ると、村上さんに話しかける。とりあえず引継ぎをしないとならない。
だが村上さんが言うには、特段引き継ぎは必要ないという。そして5日まで正月休みで、引っ越しや小さなお子さんがいるので転校などの手配があり向こうには1月18日から出勤ということで、11日の週は休みを取らせていただくという。すると会社に来るのは6日から8日の三日間だけだ。
彼の口ぶりから、品質保証など、もう頭にないのははっきりしている。これでは村上さんと話してもしょうがない。
現在、品質保証協定を結んでいるのは8社のはずだ。今後のことは本人に聞くより、営業と話をして対応した方が確実だろう。正月明けに処理しようと思う。
後で桜庭さんに送別会の話をすると、びっくりしていた。いくらなんでもとかブツブツ独り言を言っていたが聞かなかったことにしよう。
送別会をするなら8日しかないが、皆の都合はどうだろうか?
とりあえず今日一日は自分の好きにできそうだ。
誰もパソコンを使っていない。早速立ち上げて、ISO認証のスケジュールを描いてみる。
この時代オフィスソフトについていた怪しげなプロジェクト管理ソフトより、エクセルで描いた方が速くて使いやすかったように思う。横軸は日付を入れた方が分かりやすいし。
日程など詳細は未定だが、やるべきイベントやタスクは変わらない。分かるだけでも描いてみよう。
これを基に伸ばしたり縮めたり、必要なイベントを追加すればよい。
それから、まずはISO規格の本が必要だ。
「桜庭さん、ISO認証するってことなので、「品質保証の国際規格」という本を買ってほしい」
品質保証の国際規格 ◇ISO規格の対訳と解説◇ 増補改訂版 | |
監修 久米 均 | |
日本規格協会 | |
それから2時間ほどして桜庭さんが話しかけてきた。
「佐川さん、聞いてよ、佐川さんに頼まれた本ね、本棚を探しても見つからないので、課のメンバーに聞き歩いたの。そしたら課長が自宅にあるって言うの。
そしてね、課長が言うにはね、これからの仕事で使うから貰っていくっていうんですよ」
「泥棒だね。しょうがない、餞別だと思って諦めたほうがいいよ。どうせ持ってくる気はないでしょうし。引っ越し荷物に入れてしまったんじゃない、ハハハ。
ともかくそれがないと仕事にならないから、新たに買ってほしいな」
「えっ! 日本規格協会の本はとても高くて、13,000円もしたんですよ。
それにあの本はウチの課に予算がなく、技術管理課で購入してもらった本で、工場の図書に登録しています。
これじゃ紛失の届をしなくちゃなりません。困りますよ」
注:2020年を消費者物価指数100として、1992年は96、2023年は104である。30年間で8%の物価上昇だ。当時13,000円の本は現在の物価換算なら14,000円、安いものではない。
ちなみに2015年版ISO9001対訳本は5,500円である。これは発行部数が多くなったから値段がこなれたのだろう。
とはいえ新書判で452ページの本が5,500円とは、とても安いとは言えない。紙質がボール紙のような厚紙なのは何か理由があるのだろうか? ページサイズが小さく紙が厚地だから、本を開いておくことができません。
より重大な問題は、開いたり閉じたりしているとページの根元にひびが入り、最終的にはページがバラバラになり本が崩壊する。まあそれほど活用する人は私以外いないか。
規格協会の対訳本は、何度も読むと中 央部がボロボロに破れ、段々破れが大 きくなり、最終的に対訳本はバラバラ になる。 私の本棚にはISO9001,14001,19011 など十数冊あるが、皆同じ症状だ。 規格協会の本は値段が高く品質は悪い |
「いいから、いいから、年明けて課長が転勤してから紛失したことに気付いたことにして、再度購入依頼するしかないよ。
もし気になるなら、技管の小山さんに説明して了解を取っておきなさい」
「技術管理の小山さんですか、あのおじさん怖いからなあ〜」
そう言いながら桜庭さんは消えてしまった。
小山さんのところだろうと、彼に電話する。彼とは古い付き合いだ。
小山さんに経緯を話して桜庭さんをいじめないように頼む。
30分後、桜庭さんが現れた。
「小山さんに相談してきました。しょうがないって笑って許してくれました。技術管理で発注してくれるそうです。
小山さんて、話してみると優しいのね」
「それは良かった。しかし立つ鳥跡を濁さずというけれど、誰かさんはその真逆で乞食並みだね。
おっと今の言葉は聞かなかったことに」
猪越課長はあれっきり年内は現れず、私も連絡せず、そのまま年末年始休暇になってしまった。真面目に考えているのかな?
お正月、元旦は家族4人で近くで一番の大きな神社に初詣、それから家内の実家に年始の挨拶、家内の方の甥と姪にお年玉をやっておしまい。
現場の管理者だった時は、結構な数の現場の人たちが御年始と言ってやって来た。今現在は部下がいないが、11月までは管理者だったから、職長とか仲良かった人などバラバラだが合計十数人がやってきた。
することと言えば、酒飲んで騒ぐだけだ。酒を持ってくる人もいたが、ほとんどは飲み食いするだけで、出費も大変だったろう。当時自分はそんなことを考えたこともなかった。
私にとっては30年前の出来事だったが、思い出すと洋子に申し訳ないと土下座したくなる。
品質保証課に異動して以降、結構短期間にいろいろな職場、会社を移ったけど、部下というものを5人以上持ったことはなかった。現場の管理者だったときは200名もいたのだから、どうかしている。
21世紀には、上司の家に飲みに行くなんて習慣はなくなったのだろうな
三が日を過ぎるとすることがない。
会社で作ったスケジュール表を広げて、いろいろ考える。こんなこと何十辺もしたのだが、引退して10年も経った今では、漏れもあるだろうし必要工数の見積もりも怪しい。
思いつくままに不足分を書き足したり、イベントのつながりを見直したりする。
いつの間にかテーブルにはお酒とおせち料理がそろっていて、「さあ二人でやりましょう」と洋子の笑顔がある。
70過ぎると二人とも酒一合も飲むと限界だった。若く飲めるとき飲んでおかないと、と思う。
1993年1月6日正月休みも明けた。
朝、工場の従業員を集めて、工場長の新年の挨拶である。多くの企業で諸計画そして予算も決算も4月スタートだ。だから新年の挨拶で特段 方針を示すということはない。今年も新たしい年を迎えました、今年も元気にやりましょうというだけだ。
だが今年はISO9001認証にチャレンジする、認証は工場の存続に関わる重要な要件だと力説していた。
まあ、従業員のいかほどがそれを理解したのか、覚えているかは期待薄だ。私自身、現場の管理者だったときでさえ、偉い人の話など右耳から左耳に一直線に通り過ぎた。
ともかくその話を聞いて、工場長もISO認証が必要だと認識しているとは分かった。
あけましておめでと うございます。 課長が替わりまして 新任の猪越です。 |
|
猪越課長 |
更に村上さんは1月16日付で転勤になるが、ご本人から連絡があり1月6日から15日まで期間、異動休暇と有休で休むとのこと。送別会はご辞退すると連絡があったとのこと。
皆、唖然とした。いくらなんでもという思いがする。村上さんはよほど品質保証課が嫌いだったんだ、と誰かが言うのに皆うなずく。
事務所に戻ると猪越課長は私を呼んで、午前中は異動に伴ういろいろあるので、午後一にISO認証の話と、今後の品質保証課の運営について話したいという。
私は共用パソコンを立ち上げて休み前にプリントして、お正月中に朱記したことを、カシャカシャと修正する。
お正月いろいろ考えた結果は、認証機関がシステムの運用期間を何カ月必要とするかで決まるが、仮に1月に認証機関を決定し運用期間を3カ月とすれば社内的には2月スタートで文書の見直しを4月末に完了すれば7月上旬審査可能というところだろう。
それ以上のことは現時点で何とも言えない。
修正版をプリントして課長との打ち合わせに備える。
まずしなければならないことはキックオフだが、工場長レベルでどれほど真剣なのか、猪越課長がどれくらい動く人なのか、その辺を明らかにしたい。
認証しろと言われて走り出しても、皆の協力がなければうまくいくはずがない。一番は、顧客のどこかがISO認証しろと言い出せば逃げようがないが、そう上手くいくかどうか?
本日の振り返り
30年前、私が初めてISO9001認証したとき、こんなことをしたのかと言えば、全く違います。
まずISO9001の翻訳があるとは知りませんでした。最初にイギリス駐在員からISO認証が必要だと話があり、こちらがISO9001の概要くらいしか知らないので、向うで英文の規格を入手して送ってくれた。
それを25年も昔に高校を出た私が辞書を引き引き日本語に訳し、それをコピーしてみんながそれで仕事をしたという恐ろしいというか、笑い話としかいいようありません。
1年もしてから既にJISZ9901として翻訳されていると知りました。無知とは恐ろしい。そして買ったのが上記の13,000円もする日本規格協会の対訳本でした。
認証したならもういらないのではないかという意見もあるかもしれませんが、やはり自分が訳したのより専門家(?)が訳したJISは安心しました
数年経つと、JIS訳が信用できなくなり、常に英文を参照しながら仕事するようになりました。
とにかく認証しようとしたとき、ISO認証のために何をするかも知りません。まあ顧客から品質保証要求を出されたのと同じと理解して準備をしました。要求事項が明確なら、一応、品質保証屋ですからね。
当時はISOコンサルなる職業はなかったと思います。一番詳しいのはイギリス系の認証機関だったと思います。
認証準備が始まると、規格を読んでも分からないことはたくさんあり、いくつかまとまると認証機関に問い合わせるという状況でした。
そういえば規格解説をする講習会もなく、認証機関が審査を申し込んだ会社を集めて規格解説をしてくれました。その後、雨後の竹の子のごとく出現した講習会や怪しげな規格解説本より、はるかに価値あるものだったと思います。
もちろん講習会を開催するのは、客を逃がさないためです。
ISOコンサルなるものが売り込みに来たのは1994年以降だと思います。とはいえ、彼らも私たちと同じ時期に試行錯誤して認証した人たちで、頼むことはありませんでした。
自分と同じレベルの人に大金を払うわけありません。
えっ、私ですか? 近隣の工場から指導してくれと言われました。規格解説とかはしましたが、認証の手伝いはしませんでした。余計なことをしてお金をもらうと副業云々で問題ですから。
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注1 |
ISO9001が1987年に作られたとき、規格のタイトルは「Quality system-Model for quality assurance in design/development, production, installation and servicing」であった。 1994年改定、2008年改定は小規模でタイトルの変更もない。 2000年改定でタイトルは「Quality management system-requirements」と改名したが、実質的な変化はなかった。 2015年改定はいわゆる共通テキストを母体とするワケワカメなものとなった。それも既に10年経ち、どうなるのでしょうねえ〜 | ||
注2 |
正確に言えば、審査を受ける企業はISO/JISZ9901規格を保有していないとならない。理由は規格適合であることを確認していなければ審査を申し込めないわけで、そのためには規格の所持が必要という理屈である。 あっ、英文があるから良かったのか!、これはしたり |