タイムスリップ108 挑戦者2

25.09.04

注1:この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但しISO規格の解釈と引用文献や法令名とその内容はすべて事実です。

注2:タイムスリップISOとは

注3:このお話は何年にも渡るために、分かりにくいかと年表を作りました。



今の時代、皆さんはご存じだろうが、ディベートとは単なる論争ではない。特定のテーマ(論題)に対して、賛成・反対の二つの立場に分かれ、ルールに則った論理的な討論である(注1)

なぜそんな方法を取るのかと言えば、人間が何かものごとを比較検討するとき、一人の頭の中で考えるだけでなく、複数の人が両論に分かれて、複数の頭脳を使い、より強力な、より緻密に検討し漏れのないようにする手法と言える。
ブレインストーミングとは複数の人が自由にアイデアを出し合う発想法であるが、ディベートは その伝(そのやり方) で、検証や比較を複数の視点・頭脳で行う検討法とも言えるだろう。

具体的には、特定のテーマに対して賛成・反対の立場に分かれて論理的に議論し、第三者である審判や聞き手を説得することである。
ディベートの達成目標は相手を打ち負かすことではなく、物事の判断を第三者・審判に示し説得することだ。決して討論相手を説得することではない、これを努々(ゆめゆめ)忘れぬように。


20世紀から21世紀の変わり目には、「2チャンネル」を初めとするネット掲示板での討論が盛んだった。思想的な右左対決もあったし、様々な商品の優劣談義もあり、女優の容姿の棚卸もあった。
いずれもふたつどころか多数の論に分かれて、ああだこうだと口論したものだ。
論敵が参りましたと言うことはめったにない。状況不利になったA氏が消えても、B氏が現れて代りに反論するというふうに、永遠に続く気がした。

何が言いたいかというと、このときも目的は、論敵に勝つこと、論敵に参りましたと言わせることではなく、周囲の観衆、聴衆を納得させることが目的なのだ。
だから話の進め方も話し方もそれを念頭にする。
仮に25年前の掲示板がキャッシュに残っていれば、オバQという名が見つかるかもしれない。


正式な競技ディベートでは、しっかりとした作法がある。両論に等しく時間を与え、相手の足を引っ張る、いや相手の欠陥をつく機会と時間も等しく与える。そして勝敗を決める審判もいる。


両チームの攻守の順序は下記の通り
ステップ発言者内容
肯定側立論肯定者Aである
否定側質疑・肯定側反駁否定者肯定者の論はここがおかしい
肯定者これこれだからおかしくない
否定側立論否定者Aではない
肯定側質疑・否定側反駁肯定者否定者の論はここがおかしい
否定者これこれだからおかしくない
最終弁論否定者立論を要約しAではない
肯定者立論を要約しAである

注:質疑・反論は複数回繰り返すこともある。


ディベートは、証拠と根拠をしっかり示し、相手が間違いだと審査員を説明した者の勝ちだ。
競技ディベートは真実を究めるものでなく競技だから、あらかじめ決めた論点の肯定側・否定側を、くじ引きで決めるとか複数ラウンドがあれば、攻守交代する。選手がその主張を信じているわけではない。与えられた条件で、証拠の調査、論理の構築をして聞き手が勝敗を決める競技である。

言い換えると、与えられた立ち位置の正否を確信して戦うのではなく、その論点をいかに上手く説明するかという、テクニックの競い合いだ。

評価のポイントは


ちなみにU-tubeでネットの有名人が出ているディベートと言われるものは、正確にはディベートではなく ダメだこりゃ 単なる口論である。そこでは論理も瑕疵の追及も一対一にかみ合わない。
論破したと言っても、単に相手に話をさせず、話し続けただけだったりする(注2)
そもそも目的が論理の追及ではなく、アクセス(お金)をいかに集めるかだろう。




翌朝、挨拶をして競技のルールの確認をすると、ゴングが鳴って(本当は鳴らないけど)ひとつ目のテーマの開始である。

久保 「始める前に、『会社を良くする』とは何か、基準というか定義を、はっきりさせたいと思います。
本来なら議論の前にそれが決まっているべきですが、今回は所与ではありませんでしたので、ここで決めさせてもらいます。

否定論を書かれた田中さんは、『立場によって良い会社の意味が異なる(第106話)』と書かれています。確かにその通りです。
ここでは『良い会社』を、いろいろな視点から総合的に見て好ましいものとしたい。

つまり収益を確保して事業が持続可能であること、顧客のニーズを把握してそれに応える製品やサービスを提供している、時代の変化に対応している、企業市民として納税だけでなく、社会貢献、地域貢献に努めている企業としたい。
最大公約数的ですが、異議はありませんね?」

田中 「ちょっと待ってください。そもそも私どもは『会社を良くする』という内容を理解していません。
久保さんがそう提案するのは、審査員やコンサルが語っている『会社を良くする』とはそういう意味だといういことですか?」

久保 「いや、確かに審査の場や雑誌あるいはウェブサイトで、ISO認証は会社を良くすると語る審査員やコンサルは多いです。しかし私は、彼らの考えている『会社を良くする』がどんな意味か私にも分かりません」

田中 「このディベートでは、定義をはっきりさせずに討論しても意味がありません。
というのは、現実に『会社を良くする』と語っている人が大勢いるわけで、このディベートはその意味で議論しないと意味がありません。発言者が、己の考えている『会社を良くする』の意味とは違うと言われると、この討論の意味がありません」

久保 「じゃあ、どうすれば良いですか?」

田中 「架空の『会社を良くする』を議論しても意味がありません。ならば、あなたたちが考えている『会社を良くする』を示してください。それについて議論しましょう。
そうすれば、少なくてもあなたたちの考えている『会社を良くする』の正否を論じることができます。

『会社を良くする』と語っている審査員やコンサルが、自分の語る者は違うというなら、彼らが語るものを明確にしてもらって、別途議論をすることになりますね」

久保 「なるほど、確かに我々はISO認証は『会社を良くする』と田中さんの記事に反論をしました。ならばそれがどういうものかを提示する義務はありますね。

正直言いまして、このメンバーで話し合いをしましたが、3人の間でも『会社を良くする』とは何かは一致していないのです」

田中 「人によって『会社を良くする』のイメージが違うなら、そもそもそれを議論すべきでしょう。つまりISO認証は『会社を良くしない』と考えている人がいます。それはいかなる観点でも会社を良くしないという意味と考えられます。人による相違はありません。

他方、『会社を良くする』と考えている人たちのイメージが多様であるなら、『良くする』と『良くしない』は一対一の関係ではないことになります。
会社を良くする人たちは、それぞれ考えているものを明確にする必要がありますね」

久保 「ちょっと待ってください。
これは審判よりも、主催者にお聞きしたいのですが、まず主宰者が想定している『会社を良くする』とは、どういうものなのでしょうか?」

押田 「7月号に田中さんの寄稿(第106話)に対する反論と考えております。田中さんが書かれた内容に対する反論ですから、田中さんが提示した事例について、否定論を聞けると考えております。
つまりですね、改めて定義を考えるのではなく、反論された皆さんは、自ら考えてあるいは体験した会社を良くする理屈や証拠を提示されると考えます」

デイブ・ハワード 「ディベートが肯定側の立論から始まるのは、悪魔の証明に陥らないためです。
ですから議論としては、肯定側が『会社を良くするとはこういうものである。我々は現実に会社を良くする理屈と証拠をあげる』と始まらないとなりません」

久保 「しかし先月号に掲載されたのは『会社を良くしない』という趣旨でしたよね。
それは田中さんが会社を良くすることを理解していて、それを否定していることになります」


田中は「ISO認証誌」の7月号を手に取り説明する。

田中 「私の書いたものは、ISOコンサルや審査員には『会社を良くする』と語る人が多い、しかしそれがどういうものかを示したものがない。一体どういう意味なのか? と書いております。
私が『会社を良くする』とはこういうものだ、だがISO認証した会社がそのパフォーマンスを示していない、と書いたわけではありません。

そして皆さんは私の記事を読んで、それは間違いである、ISO認証は会社を良くしていると反論された。
ならばこのディベートは『会社を良くするとはこういうことを言う。ISO認証企業はそれを達成している』ことを示すことになると考えます」


久保と夏井は顔を見合わせてしまう。肯定側は、ディベート以前に肯定論を述べるところに至っていないのだ。

押田 「久保さんを始め、夏井さんも金沢さんも、田中さんの記事をお読みになって反論をだされています。皆さんはISO認証は『会社を良くする』とお考えですよね。ならば皆さんの考える『会社を良くする』とは、何をどのように改善することであると定義して、そうであることを理屈と証拠を示せば立論になるわけです」


肯定側の3人は顔を突き合わせて小声で話し合う。ヨシ、これで行こうという声が聞こえた。

久保 「大変時間をロスして申し訳ありません。
それじゃ、それでは『ISO14001認証は会社を良くする』の肯定側の立論を始めます。

規格は、企業の持続可能性、顧客ニーズの把握、社会的要求の変化に対応する能力、社会貢献を求めています。そして、ISO認証している企業は、規格要求を満たしていると客観的に認められているわけです。
すなわちISO認証企業は、要求事項を遵守することにより、持続可能性や社会貢献などの観点でパフォーマンスを向上をさせます。
故にISO認証した会社は良い会社であることになります。これは単純な三段論法です。

では個々の要求について、ISO規格が良い会社の条件と一致していることを説明します。
まず持続可能性については、序文の冒頭で『持続可能な開発を含む環境問題に対する利害関係者の関心の高まりを背景(序文第2行)』とあります。規格の目的は企業の持続可能性の担保であることは明白です。

社会的要求については、4.3.2において『法的その他の要求事項』とありますように、法令遵守だけでなく、組織が同意したその他の要求事項も遵守義務があるとされています。

規制以外の社会貢献まで規格は言及していませんが、4.4.2において自覚について、仕事における環境影響の認識、改善の必要性、役割と責任についての浸透があり、社会貢献するよう従業員の教育も求めている。

このように規格要求が先ほど述べた会社を良くする方向への意識付けそして実行を求めていることから、規格要求に合致すること、すなわち認証は会社を良くすることと同義であるといえます」


その後、約10分の詳細説明をして久保は発言を終えた。冷房は効いているが、汗びっしょりだ。




田中 「ISO認証によって、『会社を良くする』ことはないと考えます。
そもそも規格は、良い会社であることを要求しているかを確認します。

肯定側が引用したISO14001規格で、持続可能という語がある個所は、『利害関係者の関心の高まりを背景として(規格が作られた)』とあり、世の中で持続可能の関心は高まっていると述べていますが、ISO14001にその役を求めてはいません。

持続可能性をどのような指標で表すか見当つきませんが、認証後に株価が上がったとか利益が増加したという情報は見つかりませんでした。

二番目の法規制のみならず、社会の要求に応じるとの件について考えます。
まず法規制と言ってもすべてではなく、『環境側面に適用可能』と対象範囲を決めています。ですから談合や贈収賄、知的財産権、社内犯罪、種々のハラスメントは対象外です。
期待されるのは環境関連の法規制や社会的要求の、漏れが少なくなくことと考えられます。環境マネジメントの規格ですから、環境関連法規制の遵守が良くなるのは当たり前です。企業に関わる数多の法律の中で、環境法の遵法が向上したことを、『会社が良くなる』とは言いすぎでしょう。

ではISO認証企業においての環境事故発生率は、どうでしょうか。
認証した企業の場合はマスコミがニュースバリューがあるとして報道することが多いですし、多くの場合、ISO認証にも関わらずと、いかにも認証の効果を否定するような表現が付きます。
その結果、ISO認証しても環境法規制の遵法は良くならないように見えます。

しかし環境省や警察庁の統計を見ました。認証企業の違反や事故は認証していない企業より比率は低いです。しかしISO認証が環境事故や環境法違反の防止効果があるかと言えるかとなると、そうは言えません。
現在、ISO14001認証企業は1万6千件(1998/9月時点)ほどですが、大企業が多数を占め、特に環境法違反が多い廃棄物処理業ではISO認証しているのは大手の優良企業ばかりです。

要するに認証企業と認証していない企業では、過去より事故や違反の発生率が違います。
別の見方をすると、認証企業のグループの違反・事故発生率は、ISO14001認証する前と変わっていません」


そう言いながら田中はパワーポイントを指し示す。


注:私はこういうことに興味があったから、ISO14001認証が始まったときから数字を取っていた。


田中 「次に久保さんのお話は、規格に定めれば実現されることを前提としていますが、それは事実と異なります。ISO認証した企業でも事故や違反が報道されています。先ほど申しました通り、認証する前と発生率は変わっていません。
その証拠はこの通りです」 コピー黒板


資料をパワーポイントで映す。


田中 「また、現実においても現在探れる情報からはISO認証企業が事故・違反が少ないというデータは見つかりませんでした。認証企業が認証していない企業より、違反が少ないあるいは環境事故が少ないことの有意差どころか平均値に差がありません。

以上のことから、ISO14001規格には会社を良くする要求がないこと、そして久保さんのおっしゃる環境だけでなく包括的に会社を良くしたという証拠は見つかりませんでした」




押田編集長が立ち上がり、連絡事項を話す。

押田 「それじゃ、これから作戦会議をしてもらいます。
次は相手側の立論の瑕疵、欠陥ですね、それを追求することになります。
受け手としては、相手から立論について呈された疑義を、切り返さなければなりません。
その対策を考えてください。20分後に集合願います」




両チームがそれぞれの部屋に戻った後に、雑誌社の2名、吉宗機械の2名、そしてハワードと佐川、計6名が会場に残った。


押田 「どうですか、印象は?」

佐川 「ディベートは失敗だったかもしれませんね。もちろん、そうしたのは個人攻撃とか感情に走らないためでした。しかしディベートの条件とか手順に慣れていないと、時間ばかり食ってしまいます。
制約のない討論にして、相手の瑕疵を追求していく方法が盛り上がったようですね」

デイブ・ハワード 「それは面白そうだけど、勝ち負けがはっきりしてしまうからねえ〜」

広瀬課長 「お互い慣れてないこともあるでしょうけど、行儀が良すぎます。
U-tubeのディベートなんて形式も何もあったもんじゃなくて、単なる口論ですよ。手数が、いや口数か、とにかく相手を責め続けるみたいな論理構成のない討論が多いですね。
あれじゃちっとも面白くないし、知性が感じられません。何よりも討論の成果、アウトプットがありません」

増子 「確かに・・でもU-tubeのディベートもどきは、正鵠を射るものではなく、お金を求めているだけですから」

広瀬課長 「ところで今回はスタートからつまづいてしまい、どうなんですか、これ?」

デイブ・ハワード 「そもそもこの一件は、ISO認証誌に否定論が載ったから始まりました。ですから肯定側は否定側を責めれば良いという考えだったのでしょう。
言い換えれば肯定側は自由に進めることができるわけです。しかし、相手を否定するという方針を取ったので、おかしくなったのです」

増子 「肯定側のメンバーは昨日、初めて会ったのは分かるけど、昨日打ち合わせも何もしなかったのか、証拠というものが一切ありませんね。提示したのはISO規格の文言だけ。
ISO認証事例を、二つ三つ挙げたいところです。そうすればハワードさんの心証を良くしたでしょう」

デイブ・ハワード 「それが普通のディベートだよね」

佐川 「私はこれから否定側が突っ込むと思うけど、規格には会社を良くする要求はありません。かなり希望が入った拡大解釈です」

デイブ・ハワード 「拡大解釈どころじゃないよ。思い込みでしょう、故意なら悪質だね」




押田 「それでは否定側から肯定側への質疑をお願いします」

鈴木 「まずISO規格は持続可能の要求があるという発言でしたが、規格序文にはそのような記述はありません」


久保はっという顔をして規格をめくる。

鈴木 「序文は、環境マネジメントシステムが普及してきた背景には、『持続可能な開発を含む環境問題に対する利害関係者の関心の高まりがある』とあるだけです。規格が持続可能な仕組みを作れとは要求していません」


夏井と金沢が必死で規格をめくる。

夏井 「確かに規格では持続可能たれという要求はありません。しかし利害関係者の関心の高まりを背景にということは、とりもなおさずそれを要求したと考えられませんか?」

鈴木 「規格要求はあくまでもshallで記述されたものだけです。Shallで書かれた要求事項はありませんね?」

夏井 「ありません」


注:ディベートの神様、松本道弘は「事実や間違いは素直に認めたほうが審判の心証を良くする」と書いている。
彼は2020年に亡くなっていた。ものすごくテンションの高い人だったようだ。さすが天才は普通じゃない。


鈴木 「ありがとうございます。
続きまして自覚について、仕事における環境影響の認識、改善の必要性、役割と責任についての浸透があるとおっしゃいました。
自覚とは日本語の自覚ではなく、仕事の重要性を認識する意味です。それが社会貢献まで及ぶとは規格文言から読み取れません」

夏井 「ISO14001で会社を良くするためには、必要なことと読み取れませんか?」

鈴木 「環境マネジメントシステムの規格を読むときに、ISO規格は行間を読むことを要求するのでしょうか?」

夏井 「論理解釈すればそう読み取れます」

鈴木 「それは拡大解釈だと思います」

夏井 「普通の場合、拡大解釈は悪いことと理解されますが、法律においては解釈の一方法であり、間違ったことではありません」

鈴木 「規格では、仕事において環境について環境影響を理解するとか、手順を守る重要性を理解する、異常な操作によって起きる問題を知れとあります。

それを業務におけることだけでなく、社会貢献などにも援用すると理解するのは正しい拡大解釈を超えています。
法律の基本は罪刑法定主義であり、明確に書いてないことで罪に問えません。ISO規格でも規格要求を拡大すべきではありません」

夏井 「・・・」

鈴木 「ましては社会貢献するよう従業員に求めているとは言いすぎでしょう」




押田 「それでは肯定側による否定側への質疑をお願いします」

金沢 「はい、会社が良くなることは、違反発生率や事故発生率では表せないと考えます。
例えばブランド力、売れ行き、大学生の就活への影響など多様と考えます。そういったことの調査がありません」

山口 「おっしゃることは分かります。しかしながら総務省のデータベースや民間の調査などを当たりましたが、期待に見合った調査がなく、今回提示した程度にとどまりました。
更に言わせてもらえば、肯定側の考える『会社を良くする』の指標が分かりませんでした」

金沢 「『会社を良くする』と言えば、例えば審査の際、審査員による指導の効果もあると思います」

山口 「ええと……あのですね、ISO14001審査のルールはまだなく、現在はISO9001審査のルールであるISO/IEC guide62を援用しています(注3)
そこでは審査員の、というか認証機関が審査以外のアドバイスをすることを禁じています。
仮にそういうことがあったとしても、公の場でそういう発言はされないほうがよろしいです」


金沢はギョッとしたようだ。
しばらくグダグダと言い訳が続いたがまもなく時間が来て終了した。




押田が最終弁論に入れと指示する。

田中 「Guide62で、規格適合とは要求事項を満たしていることとあります。それ以上の活動をするのは組織が決めることで、審査とか認証に関わりないことです。

それからISOを認証すると会社が良くなるのか、ISO規格を活用して会社を良くするのかを、取り違えるといけないと申し上げたい。
そもそもISO14001の序文には、『この規格は、審査登録の目的、及び/又は自己宣言のために客観的に監査しうる要求事項を含んでいる』と記しています(序文第六段落)。
会社を良くするというなら、ISO14001ではなくISO14004を参考にすべきです」


久保 「我々のまとめです。 ISO14001の規格は、shallで明示されたものだけを実行しては、その有効性は期待できないと考えます。
Shallで記述されていなくても、序文やannexに記載されていることを積極的に採用し実施すべきと考えます。それが会社を良くします。 規格にshallで記述されていることしか運用しないのは、初歩的なアプローチで、規格が生かされていないと考えます。
以上です」


お互いにスパッといかず、知らない道を注意しながら歩くようだ。




最終弁論が終わると、ハワードは皆をテーブルに座らせた。

デイブ・ハワード 「うーん、お互いにディベート慣れしていないこともあって、調子が出ませんでしたね。あるいは、なかなか良くやったと言うべきか。

勝敗はもちろん否定側だ。それは肯定側の考えが間違っていることではない。
そもそもディベートの勝敗は何で決まるかというと、内容が正しいとか正しくないではない。お互いの主張のどちらが理屈が通っていて証拠がそれを裏付けているか審判が納得したかだ。

肯定側の最大の問題は証拠だ。そして根拠もあやふやだった。
私は久保さんが規格を読むときの考えに不安がある。規格の文章を読んで、拡大解釈とか論理解釈を持ち出したが、日本の認証機関や審査員はそれを良しとするのだろうか? もしそうならそれが大問題だ」

久保 「論理解釈はダメということですか?」


注:論理解釈:法令の文言の意味にとらわれず、条文の背後にある道理、目的、趣旨、法体系全体の整合性などを考慮して解釈する方法で、拡張解釈や類推解釈などが含まれる。

文字解釈(文理解釈):条文の文言通りに文字や文章の意味に忠実に解釈すること


デイブ・ハワード 「使う人が論理解釈というか拡大解釈をしても実害はないだろう。だが審査側がそういう理解をしてはダメだ。Guide62ではshallで書かれたものしか不適合できない。そして不適合を出すには、どのshallかを示さなければならない。
文章の意味合いとしてという考えでは通用しない。

それと序文を要求事項と考えることはできない。要求事項はあくまでもchapter4だけだ。
本文でもshallがないところを切り取り、会社を良くしますというのはご勝手にだが、それを要求事項のように言うのはNGだ。
それで会社か良くなっても、ISO認証すると会社が良くなるのではなく、その会社独自の活動によって会社が良くなったとしか言いようがない」

久保 「それで会社が良くなればいいじゃないですか?」

デイブ・ハワード 「それはISO認証の効果ではない。ISO規格を使って改善を図るのは利用者の自由だが、ISO審査でそれを要求するのは間違いだ。
ISO認証すると会社が良くなるとは言えない。
これはこの場だけとかディベートではということではない。実際の審査で文字解釈以外で不適合を出せば、異議申し立て対象になる。覚えておきなさい。

話を戻して、肯定側は規格を自分好みに理解するのを改めないといけない。今後、久保さんたちが審査員になるかもしれないが、しっかりと文字解釈するように習慣づけないとまずい。
自由に規格を読んでそれを根拠に語っても、聴講者は納得しないよ。文字通りに読むことだ。

それから証拠がないのは絶対的にまずい。会社が良くなるといってもピンとこない。ISO14001を認証すれば法を守るというなら、それを表す指標、例えば田中さんの語ったように認証前の事故数と認証後のそれを比較するとかだ。

適切な指標がないなら、代用特性を考えるべきだね。田中さんのようなデータを見つけられなかったなら、環境法を意識するようになったかとか、アンケートを取ることもある。
田中さんの立論で認証した会社は大企業が多いからという説明があった。
この理屈も単なる相関なのか、因果関係があるのかは分からない。認証の効果を考える証拠として扱って良いのかは疑問点があるが、適切なものがないならそれに近いものをもってきて説明するのもありだ。もちろん1対1でないことは説明しておくべきだ」

夏井 「良い会社になったと示すには、どんな指標がありますか?」

デイブ・ハワード 「そりゃまずは良い会社とは何かを、しっかりと考えることだ。そしてそれを表す指標を考える。損益なのか株価なのか、就活で来社する応募者が増えたのか。
何が指標ですかと聞かれても私は答えようがない」

夏井 「私たちの考えが浅いということですか?」

デイブ・ハワード 「そうだね。否定側も困ったと思うよ。例えば売り上げとか罰金とかを示せば、良い会社とはどんなものかの理解は得られた。もちろん、否定側は具体的に示されたから対策しやすくなる。争点を明確にすることはディベートの生産性をあげる。要するに有用な結論が得られる。

想像だが、否定派はそういうことを調べ尽くしているだろう。だって田中さんはISO認証誌に寄稿したが、あの6,000字を書くためにはバックデータを、それこそ100時間や200時間かけて調べているはずだ。

それを読んで、自分の感覚とは違うと反論するだけでは戦いにならない。そもそも今まで、審査員が『会社が良くなる』と言ったとき、それはどういう尺度でどんな指標で言うのかと問うべきだ。それに応えられないなら、それは口先だけ……早い話、嘘だと思うね。
『会社が良くなる』と聞いて、何の疑問も持たずに信じたならディベートする資格はない」

久保 「そこが我々の甘かったところですね」

デイブ・ハワード 「そうだね。田中さんの記事を読んで、皆さんは自分の考えと違うと感じたわけだ。それを裏付ける証拠や根拠を探して持ってこなくちゃならない。

重いものと軽いものを落とせば、重い方が早く落ちるとアリストテレスは語った。しかしガリレオは重くても軽くても同時だと語った。
それを聞いた多くの人はアリストテレスを信じるだけで、証明することを考えなかった。
ガリレオは相手を説得するためにピサの斜塔で実験をして証明した。この話は創作らしいけどね」


手手

デイブ・ハワード 「皆さんは、田中さんの記事を読んで同意できないと感じたわけだ。それなら、それを裏付ける証拠を探して示さないと戦いにならない。

『会社を良くする』とは何だろうと田中さんは書いている。
既に皆さんはISO認証は会社を良くすると認識しているわけだから、何が良くなるか知っているはずだ。なら、それを裏付ける証拠を持ってくれば良い。
それをここに来るとき持ってきたら良かった。

それから山口さんに指摘されたが、夏井さんが言った審査員のアドバイスが有効だということは、言っちゃいけない。
そういうことはISOMS規格だけでなく、審査の規格を知らないとならない。認証機関の考えも調べる必要がある」

久保 「そういうことまで調べないとならないのですか?」

デイブ・ハワード 「ISOMS規格に適合するための方法は、ISOMS規格を読めば間に合います。
でも、審査員がISO認証すれば『会社が良くなる』と語ったとき、そう語ることが正しいのか否か、あるいは審査の判定が疑問なとき、その正否を知るには審査のルール……現在はguide62だが来年はguide66ができるらしい……そういうことを知らないと、審査員と対等に渡り合えない。

審査で知り得たことは守秘義務があると契約する。だが守秘義務は審査員にあり、企業側にはないことを知ってますか?
そういったことを知らない人は、審査員がミスをしたり、誘導しようとすることに抗えない。
知は力、無知は虐げられるだけだ」

久保 「私は審査員は中立であり、語ることは間違いないと信じていました」

デイブ・ハワード 「街頭では信じる者は救われると聞くけど、最近は信じる者は足をすくわれるというからね」

夏井 「審査を依頼する方が勉強しなければならないものですか?」

デイブ・ハワード 「夏井さんが個人でも会社でも物を買うとき、仕様を比較し価格は相見積を取るでしょう。言われるままということはないはずだ。
審査というのは高いものだし、その判定結果による影響も大きい。例えば文書管理が悪いと言われて、文書管理のシステム……別にコンピューターシステムでなく、採番とか置き方とかを変えるにしても何十万というお金がかかる。
審査員の語ることをよく考えて、採用するか抗議するか決めなくちゃならない。
それこそ社内でディベートしなくちゃならないね。

そこにいる佐川さんの吉宗機械では、認証機関の規格解釈をまとめていて、工場や関連会社が審査を依頼するときは、その認証機関の規格解釈に納得してから依頼しろと指導していると聞く。
審査になってから規格解釈で争うようなことのないように予防処理だね。それくらい調べて工場や傘下の関連会社の指導をしているという」

夏井 「吾々は審査員からいろいろ言われることを、善意のアドバイスと受け取り、会社を良くすることと認識していました」

デイブ・ハワード 「何事にも大金がかかりますから真剣に当たるべきです。ISO審査員が生産技術とか製品知識を、会社の人以上に持っていると思う根拠がありません」

久保 「私はISO担当としては経験があり、規格解釈もできると思っていましたが、上には上がある。審査員と対等に話ができる人がいるものだと驚きました」

押田 「ええと、もうひとつテーマがあります。『ISO認証は儲かるか』ですが、午後からですね」

デイブ・ハワード 「提案ですが、もう一つのテーマはディベート方式ではなく、討論会的にしたらどうですか?
ひとりの人でも認証すれば儲かると思うこともあるでしょうし、余計な仕事が増えると考えていることもあるでしょう。
どちらの側につくかも自由にして、討論したら成果があると思いますが」

押田 「ハワードさんから提案ありましたが、皆さんどうでしょうか?」

久保 「今回の討論をISO認証誌に掲載すると聞きましたが、そこらへんどうまとめるのでしょう?」

押田 「討論を一字一句載せるつもりはありません。ディベートをした、討論もした、こんな意見が出たということで、勝敗は書かなくても良いと思いますよ。
その辺はこれからの結果も合わせて、まとめましたら参加者にご確認いただきます」

夏井 「それはありがたい。同僚や上司は、私が参加するのを知っていますから、あまり恥をさらしたくありませんので」

押田 「大丈夫、大丈夫、心配無用です」



うそ800 本日の思い出

お前はそんなディベートをしたのかとおっしゃいますか?
いえいえ、わざわざディベートしようなんて思うまでもありません。

日々の審査対応、不適合の取り下げ依頼、すべてがディベートでございました。残念ながら論理的な審査員は少ないようで困りました。出会う審査員が皆、天上天下唯我独尊でしたからね。

「俺が良ければすべてよし」
これ誰の言葉か知っている?


お詫び(09月04日 9:30追記)
水曜日の真夜中アップして、木曜日の朝見ると、誤字脱字、衍字(えんじ)(脱字の反対に余分な字があること)、更には余分な文章が残っていたり・・・
フィットネスクラブに行くのを急遽中止して修正を行いました。
校正、校閲をしっかりせねばと反省です。


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注1 参考図書
・「中国人、韓国人、アメリカ人の言い分を論破する法」松本道弘、講談社、2013
 ディベートの教科書というより、心構えというか割り切りを書いたもの。
・「やさしいディベート入門」松本道弘、中経出版、1990

注2 別に2ちゃんとか今U-tubeの有名人の知能が低いわけではない。ディベートのルールを知らないということだ。
ディベートを日本に広めた松本道弘は書籍で、「朝まで生テレビ」とか種々の討論会の有名人、西部 邁、小田 実、黛 哲郎などを、けちょんけちょんにダメ出ししている。既に皆故人となっている。
勿論、人格否定とか主張が間違いというのではなく、ディベートのルールをまるで知らず、世界では通用しないということである。
・「やさしいディベート入門」松本道弘、中経出版、1990

注3 この物語の1998年時点、まだguide66は発行されておらず、1996年制定のISO9001審査を定めたguide62がISO14001審査にも援用されていた。
guide66は1999年に制定された。その後、2006年にISO17021が制定されてguide62とguide66は廃止された。






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