注1:この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但しISO規格の解釈と引用文献や法令名とその内容はすべて事実です。
注2:タイムスリップISOとは
注3:このお話は何年にも渡るために、分かりにくいかと年表を作りました。
第123話から続く
ひと月半に渡る佐川による環境監査員の促成栽培は、6月末に一応完了した。
それとは別に6月初めから佐川は監査部の北川と相談して、環境遵法監査のトライアルを東京近辺の工場で二三回しようと計画していた。
日帰りできるところは多々あるが、監査に二日三日かかることを思うと、毎日通うわけにはいかない。泊りがけでないと効率が悪い。
ということで第1回目は千葉工場にお願い・・・いや環境遵法監査をするという通知をしたのである。その次の週は宇都宮工場を予定している。
とりあえず二つの工場の監査結果を見て、それ以降にフィードバックをかけることとした。
初回は環境部の5名と監査部の2名、事業部の松本さんの都合8名の大部隊で、お邪魔することになった。
| 監査部 | 環境部 | ||||||
| 北川 | 坂口 | 松本 | 佐川 | 山口 | 大谷 | 山本 | 佐々木 |
もちろん本番ではこんな大所帯ではなく、事業本部1名、監査部1名、環境部2名という構成にする予定だ。
事業本部は工場の上位組織つまり工場で問題があれば責任を取る部署であるし、監査部は内部監査の実施部門であり、環境部はその下請けで実際に手足を動かす兵隊ということになる。
どうでもいいこと
前回、松本氏が登場したのは6年前である(第25話)。事業本部のスタッフは定年間近の元部長級だから、6年後も同じ地位にいるはずはない。8割方は引退しているだろうし、2割は関連会社で顧問でもしているかもしれない。
松本氏を起用したのは、新しい顔を作るのが面倒だったから。
出発前に1日かけて佐川はメンバーに実施事項、要領を再確認する。
監査は質問することじゃない、証拠をさがすことだ。書面なら文書より記録、現場なら提示されたものより自分が気付いたもの、忘れるな。
届け出、各種記録、報告書、生データ、そういうものをしっかり見る。
初回は皆さんの得意部門を見てもらう。
大谷さんは排水、大気関係だ。届け出、報告、自主点検記録、排水や大気の測定値、日々の測定データ、届出者、そういったものの決裁者の押印、異常のある時は対応状況
山本さんは廃棄物全般、契約書、マニフェスト票、責任者、業者の評価、
佐々木さんは電気、ガス、水道、千葉工場は第1種指定工場だからね、それに見合った体制、省エネ計画、その他だ。
山口さんは、PCB関係、危険物、毒劇物、土壌汚染、地下水汚染、騒音・振動、工場立地法など
あー、もちろん担当外であろうと、知りたいこと気づいたことを聞くのは当然だ。
現場は表示板の有無、記載はしっかりしているか、退色錆や汚れがないか、整理整頓、記載事項はアップデイトされているか、まあ皆の感覚で見て欲しい。
最初、工場巡回をするが、その後、もう一度現場を見たければ再度現場を訪問すること。気がかりを残さないように。
言いたいことは山ほどあり、心配でたまらない。傍目には小学校の先生かと思われるかもしれない。山口を除いた3人は初陣だから心配ばかりだ。
投票日前夜の最後のお願いみたいなものだ。
当日は本社で全員集合し、朝一に東京駅を出て佐倉に向かう。
佐川は稲毛住まいだから、本社まで往復するのが無駄だが、まあ形というのもある。
本社から佐倉は、通勤・通学者の反対方向で時刻も遅めということで皆座れた。車中1時間と少々である。
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佐倉駅で降り、工業団地までタクシー3台に分乗して移動。工場では製造管理部長が正門の守衛所の受付に座って待っていた。
なんと兵庫工場で製造管理部長はISO9001認証(第33話)したときの大木品質保証課長ではないか。あれは1993年、今から6年前になる。能ある人は順調に昇進するのだろう。
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松本、北川・坂口と佐川は大木部長の案内で工場長室に入る。北川と坂口は無冠だが、元は工場の部長であったし、佐川も今では部長級である。
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北川はバブル崩壊後、どこの企業もなりふり構わないようになり、昨年(1998)あたりから企業不祥事が多々報道されている
まあ、試合前のエールの交換である。
その後、監査側全員、工場側は監査を受ける部門の課長などが会議室に集まり、工場長の説明、北川は今回の監査の考えなどを話す。 30分もかからず解散である。
工場巡回である。メンバーは監査側全員、案内は大木部長の他、長野環境課長、担当者は、公害の諏訪、廃棄物の箕輪、化学物質の伊那そして記録の飯田である。
出発前に佐川は身なりの点検をする。
本社勤務は作業服は貸与されないので、普通のスーツだが、服装を確認する。
上着のボタンは一番下を除いて止めること。ヘルメットは事前に工場に借用を依頼していたので、それを着用する。
それから注意事項を説明する。
歩くのは白線内とし、近づいて見るときは了解を取ってからとする。写真撮影は自分がするのではなく、工場の人に頼むこと。
そんなことを話す。
では出発、初めはボイラー室だ。
すぐに佐々木が口を開く。
「スチーム配管に断熱材ついてないところがありますね」
「それって法に関わるのですか? 今回は遵法監査と聞いてましたが」
「省エネ法も環境法でしょう
「重油漏れ用のピットがあるが、漏洩検知がないな」
「防油堤に該当すると思うけど、法で定期点検は定めているけど検知器までの要求はないですね」
「そうですか」
表に出る。
佐川はボイラー室の外にある高いコンクリート製の煙突を指さす。
「高い煙突ですね。蒸気の用途は塗装乾燥用と聞いているけど、それだけのために煙突もあるし、ボイラーも大きすぎるように思えます。維持する費用も大変ですね」
「そうなのですよ。昔は冬季の暖房がメインでしたが、今は皆電気になりました。本社から新たに煙突の耐震強化を指示されているのですが、どうしようかと検討中です」
「この煙突はもう30年くらいになるのかな」
「煙突の耐用年数は40年だけど、メンテナンス次第だからね」
「阪神淡路大震災のような地震が来たら、間違いなく崩壊しますね。高さ40mありますから、とんでもないことになるでしょう」
「おいおい、縁起でもないことを言うなよ」
「諏訪さんでしたね。これは長期的には電気とかガスに切り替える必要がありますね。今回の監査には遵法だけでなくリスクもありますから」
「2年前かな、本社からの通知で社内の焼却炉を廃止して、一般ごみの焼却を止めてしまったでしょう。
ですからこの工場の煙突はボイラーだけなのです。
今どき塗装乾燥でしたら10トンボイラーなど不要です。小型の貫流ボイラーで十分しょう。
小型化して、暖機運転不要、効率向上、1級ボイラー技士不要、煙突は小さいもの、そうしたいですね」
「それをいうならボイラーを止めて、電気にした方が維持は楽ですよ」
「長野さん、どうでしょう。これは早いところ煙突を解体して小さなボイラーに変えましょう。あるいは一挙に電気に切り替えるのも検討してください。事業本部もお金を出しますよ」
「そうおっしゃっていただければありがたいです。私の代でこの煙突を解体できるとは、喜ばしいです」
「でも近隣からは街のシンボルと言われているのよ」
「地震で倒れたら、周りの人たちはそんなこと忘れて大声で批判するよ」
全く関係ない話だが、煙突や鉄塔は地域のランドマークであり、地元の誇りである。
例えば足立区のお化け煙突を覚えているだろうか? 見る方角によって、1本にも2本にも3本にも4本にも見えた。私は幸運にも1964年に解体される前に見ることができた。
福島県南相馬市(元:原町市)に、高さ200mのコンクリート製の無線塔があった。関東大震災を外国に伝えたとか、第二次大戦で真珠湾攻撃の命令を発信したとか、由緒あるものだった。
これも1982年に解体された。東日本大震災まであったと想像すると恐ろしい。
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ここは地下水浄化の施設だ。
10年前まで電子機器の基板や板金塗装の洗浄に、トリクロロエチレンで洗浄をしていた。1989年に水質汚濁や土壌汚染の環境基準が定められ、実質的に有機塩素系溶剤使用に規制がかかったことで使用を止めた。
そして地下水を調べたところ、今まで使用したときにこぼれた溶剤によって、地下水汚染が発覚したのだ。
注:ISO七不思議のひとつであるが、地下水汚染を認識して浄化をしている工場は、支障なくISO14001を認証できた。
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浄化する仕組みは、深さ10mほどの井戸を複数掘って、地下水をくみ上げてオゾンで分解するというだけで、理屈は単純だが運用は簡単ではない。
まず井戸に溜まった水をポンプアップするのだが、帯水層じゃないから、大量に水はない。しみ出して溜まった水など、すぐに汲み上げてしまう。それで井戸を4本掘り、順次切り替えて汲み上げ処理している。それでもオゾン装置を動かすのは日に数時間だ。
とはいえ、以前、作業していた工場内に井戸を掘るわけにはいかない。それで建屋の周囲に井戸を掘っている。結局、揚水できる量が限定され浄化は遅々として進まない。
もっとも、工場敷地外への汚染がなく、第三者に土地を売るのでなければ、あせることはない。気を長くするしかないのだ。
「ウチはここを売る予定はないから、まあいいかな・・・」
「浄化してないから売れないの間違いじゃない」
「アハハハ」
「笑い話じゃない 💢」
「オゾンの検知器が動作しているかどうか確認はどうしていますか?」
「校正用ガスを検知器に当てて確認するのです」
「検知以下なら表示器はゼロ表示するのでしょう?」
「そうです」
「今、検知器のランプが点灯してませんね」
「オイオイ、故障かよ?」
「この電源コードが外れていますけど」
「まずいぞ、接続して確認して・・・・・・」
伊那が電源を差し込み、なにやらすると検知器にランプが付き表示部がゼロを示した。
「ランプは
心配だからオゾン濃度を確認してください」
「後で確認しておきます」
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| 工場の外壁に沿って歩いていく。 |
「これは何のタンクですか?」
「次亜塩素酸、消毒用ですね」
「支えているアングルを基礎に止めているアンカーボルトが細いですね。10ミリもなさそうだ」
「大丈夫だろう」
といいながら伊那が揺すると、グラグラしてコンクリート埋め込みナットごとボルトが抜けてしまった。
「ダメだ、こりゃ」
「笑い事じゃない、点検をしているのか、」
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・
危険物貯蔵所である。
50坪ほどありそうな立派な建屋だ。棟には避雷針が林立している。
「長野課長、
「懐かしい名前ですね。松本さんの先輩でしたよね。
もう5年くらい前に退職されました。大河内さんがどうかしましたか?」
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「それじゃ、ここに書いてある大河内正男って別の人かい?」
「あ〜、その大河内さんですね」
「危険物保安監督者は届け出すはずだ。当然、交代するとその届け出もしないとならん。
この看板だけでなく消防署の届はどうなっているのかな?」
「直ちに調べます。
ゆきちゃん、記録してるよな?」
「はい、しっかり記録しています」
・
・
・
「道路の両側の側溝が大分傷んでいるね」
「そこまでは手が回りません。何か問題が?」
「何か漏れたりしたとき、即、地下浸透するようではまずい。しっかり対応してほしい」
「重油タンクは防油提内にありますし、大丈夫でしょう」
「今年、宇都宮工場で入場したトラックの燃料タンクから軽油漏れがあったと、社内に注意喚起しただろう。自分の工場ではどうかと考えて欲しい」
注:車が非舗装を走ったり路面に石や鉄屑があると、タイヤで跳ね上げ燃料タンクにヒビを作り漏れるというのは結構ある。
20世紀は走っていると、油を点々とたらしていく車を時々見かけた。せめて入門時にガードマンが見つけて欲しい。
「ハイ、しかと」
・
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・
廃棄物集積所である。
「1年半前に、本社の指示で焼却炉が廃止になったのよね。それで、今までは年30トンくらい社内で処理していたのを、市のごみ処理場に持っていかなくてはならなくなり、手間が大変よ」
「どんなものを燃やしていたのですか?」
「納入品の梱包材・・・木材とか発泡スチロールとか、植栽を剪定したもの、プラスチックの不良品、いろいろな紙類、リレイアウトや工事からのガラクタね」
「いずれダイオキシン規制で燃やせなくなりますよ」
注:テレビ朝日のニュースステーションで久米宏が所沢のダイオキシン汚染を語ったのは1999年2月、このお話の6月末頃はまだワイワイ騒いでいて、対処が決まっていなかったと思う。
ダイオキシン特措法が7月制定、施行は翌年であった。
「事務部門からは秘文書の処分が社内でできなくなって、市の焼却炉まで行って処理に立ち会わないとならないって、今も苦情を言われるのよ」
「費用は変わったのかね?」
「燃料代と焼却炉のメンテナンスを考えると、そうマイナスではありません。
確かに手間がかかるようになって以前は良かったって感じるのね」
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・
「植栽が大分変ったな。前はもっと・・・何というか
「生産ラインを作るのに倉庫を活用し、倉庫は工場に下屋をつけました。そのため少し緑地は狭くなりました。
明るくなって、雰囲気が良くなったでしょう」
「工場立地法の届をされましたか?」
「おい、伊那君、工場立地法の届をしたよね?」
「いえ、してません。
言ったじゃないですか。届をしないとならないって。
でも課長はしなくて良いと・・・」
「ああ、思い出した。面積があまり変わらないときは軽微な変更で届け不要だよな?」
「面積が変わればもちろん必要です。しかし面積が変わらなくとも形状が変われば『軽微な変更』ではなくなり届が必要のはずです」
「飯田さん、メモしておいて。山口さん、書面のとき確認してください」
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工場の裏門から出て正門まで外周を歩いていく。
「長野課長、工場の塀に犬が入れるくらいの穴がありますね」
見ると万年塀の下から3枚が割れて、下2枚は中央部分が穴が開いている。
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「犬じゃないが、猫が通っているじゃないか」
「二三カ月前に、酒酔い運転の車がぶつかったのです。下期になったら修理する予定です。
とりあえずは塀の内側に一斗缶を積んで置いたのですが・・・・・・数日前に大風が吹いて一斗缶が飛ばされたようですね」
「オイオイ、ちゃんとしてくれよ」
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「テニスコートの周囲のネットが大分傷んでいるが、破れたところをすり抜けて、民家にボールが飛んでいかないのか?」
長野課長の返事がない。
「課長は疲れちゃったようです。
でも、ご安心ください、書いてますよ」
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「おいおい、駐車場に冷蔵庫があるけど、あれは何ですか?」
「1週間ほど前からあるのです。想像ですが、誰かが捨てたと思われます。
市に連絡したのですが、すぐには処分できず、半年間、保管しておいてほしいというのです」
「法律ではそうなんですよね。半年は持ち主が現れるのを待つしかないのです」
注:拾得物の保管期間が6か月から3か月になったのは、2008年の遺失物法の改正です。
こういう誰でも入れるところへの不法投棄は結構あり、3か月で処分できるようになってだいぶ楽になったはず。
「ごみを捨てるのと落し物は同じ扱いか・・・なるほどなあ〜
とはいえ、市が半年も保管しろというのも困ったものだ」
「まあ、お付き合いってものですよ。何か起きたときは良いこともあります」
「ここに置いたままでは呼び水になりますから、工場の廃棄物置場に置くようにしてください」
「ハイ、しっかりメモします」
・
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工場を半周して、正門から入る。監査側は足が疲れ、工場側は精神的に疲れた。
「ええと、これで午前中の現場巡回予定は終わりです。これからまっすぐ会議室の戻ります。
いま11時20分ですから、巡回して感じたことについて意見交換して、お昼ということでよろしいでしょうか?」
「まだ時間があるようなので、現場と倉庫を見せてください。予定になかったですがお願いします」
「製造現場と倉庫には、環境に関わるものはありませんが・・・まあ、よろしいです」
・
・
・
現場巡回していて、山口が作業者の前にあったハンドラップをしげしげと眺める。
「メタノールって書いてあるけど、マスクと保護メガネは必要じゃなかったけっか?」
「義務ではないと思います。
でも「医薬用外劇物」の表示は必要ですね」
注:メガネ等の保護具着用の義務は2024年改正から。それ以前は義務ではなかった。
「問題じゃなくて安心しました」
「ええと、MSDSはありますか?」
伊那が現場監督を探す。
それらしき人と何事かを話して連れて戻って来る。
「現場にはMSDSを置いていません。重要なことは作業要領書に転記しているから問題ないとのことです。」
注:当時のどの法令かは忘れたが、使用しているところで「MSDSにアクセスできること」であったはず。要点の転記があれば良いとは思えない。それに作業要領書に転記するのでは、MSDSが改訂されたとき要領書が最新化される保証がない。
MSDS(製品安全データシート)は1990年頃から発行されたが、提供が義務化されたのは1995年である。2012年に名称がSDS(安全データシート)となる。
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倉庫である。
破損した梱包材の処理とかパレットや通い箱の扱い、特に廃棄するときの占有者は誰なのかなどが危なっかしい。
佐川は気づいたことをメモして、山本が気付いたかどうか皆が問題提起するとき確認しようと思う。
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・
お昼になり、工場巡回を切り上げて会議室に戻ってきた。
長野課長以下、工場の面々は疲れ切った様子だ。
工場側のメンバーは皆、環境遵法監査と言っても、ISO審査に毛が生えたようなものと思っていた。
ところがフタを開けてみれば、厳しい・・・・・・といっても調査が厳しいというのではなく、当たり前のことを当たり前に聞いてくる。それは予想もしなかったことだった。
ISO審査とは何だったのだ!お遊びか? お芝居か?
ISO審査や内部監査と違うと感じたのは、千葉工場の面々だけではなかった。
まず佐々木がショックを受けた。
法規制と比較して、現状がOKなのか否かを調べることは考えるまでもなく、十分意味のあることだ。いや十分に必要性のあることだ。
他方、規格要求事項を満たしているか・否かを確認することは、果たして価値のある行為なのか?
そもそも規格は正義なのかと考えるとそうは思えない。
ISO9001は、単なる過去からの品質要求事項の最大公約数程度ではないか?
それでもQMSはまだ良い、要求事項はビジネスの必要条件なのだから。
だがISO14001は疑問だ。規格要求事項を満たせば、序文にある効果があるのか、それは立証どころか、説明もされていない。
「規格では」と語る審査員を敬っていた自分がバカバカしくなる。
北川は佐々木がまともになったと思った。だが、それよりも佐川がすごいと思った。
どうしようもなかった佐々木に法律や事故事例を教え、目の付け所を教えたのはすごい。北川がアドバイスしたように佐々木を切るのでなく、奴は育てた。それは称賛に値する。
・
・
・
監査側は昼食を会議室でとった。
食べながら、いろいろ話が出る。
「佐々木君よ、講習のときとは見違えたよ。君は立派な監査員だ。
講習のときは、文句を付けたのではなく、勉強のためなりふり構わなかったのか。
とにかく異常を見つける目ざとさ、それの根拠を示すのが監査員向きだと思ったぞ」
「お褒め頂きありがとうございます。そんな深い意味はなく、ただ疑問を持ったことをそのままにしておけず、すぐに声に出てしまうだけです」
「状況に応じて態度を変えるのも大事なことだ。願わくは講義のときも、もう少し礼節をわきまえた方が良いだろう」
「ありがとうございます。以後気を付けます」
「しかしなんだな、何年も前に退職した人の名前が、法で定める標識に書かれているなんて恥さらしもいいところだ」
「看板だけでなく消防署への届の方が気になりますね
「大河内さんには塁が及ばないのだろうか?」
「既に退職されているのですから問題ないですよ」
「いやいや、退職後も名義貸しで、小遣い稼ぎしていたと疑われるかもしれん」
「佐川君、工場内の怪我防止だが、あれは安衛法だと思う。環境監査で問題とすべきなのだろうか?」
注:「怪我」とは「切った」「ぶつけた」など物理的な損傷をイメージするが、酸によって皮膚が溶ける、熱による火傷、太陽光による日焼け、紫外線による結膜炎なども含むそうだ。
メタノールのしずくが目に入るのは立派なケガである。
「経営層の指示は、すべてにおいて不祥事があるのか点検せよだと思います。
監査部はそのために全面的な業務監査を行うわけでしょう。そして我々は環境について協力していると考えております。
ですから我々も環境以外の遵法や事故に気付けば、指摘しなければならないと思います。
正直言いまして、環境法か労働法かの切り分けは分かりません。
MSDSを決めている法律は安衛法や毒劇物法ですが、関係するのはそれだけでなく、消防法、化管法、廃棄物処理法などいろいろあります。環境に関わるのかと問われると何とも言えません。
しかし、環境監査が環境法に限定するのでなく、明らかに違反であれば問題としなければならないでしょう。
それと先日、北川さんが環境遵法監査においては、環境だけでなくそれ以外の法規制についても点検してほしいとおっしゃいました
「いや、おっしゃる通りだ。環境法以外も見ろとは言えないが、見つけた場合は指摘してください。
明日は書面監査だろうから、印紙金額とか消印など印紙税法もよろしく頼みます」
飯田さんが昼食を片付けに来るのと一緒に、長野課長がやってきた。
監査リーダーである北川の対面に座って話し出す。
「午前中は多数の問題が見つかりまして、ありがとうございます。
ええと早速、内容を分析しようと考えておりますが、私どもも素人ですので、指摘された問題を間違いなく理解できたかも自信がありません。
それで提案と言いますかお願いと言いますか、これからの監査予定の見直しをお願いしたいと思います」
「はあ、どのように?」
「予定では、まだ巡回していない工場内の巡回実施という予定でしたが、ちょっとこれを止めて、午後は巡回で見つかった問題の、法的根拠、どうあるべきだったのか、是正方法の検討ということにしていただきたいのです」
「それでは監査のトライアルというよりも、指導になってしまいますね」
「まったくできてない状況で監査結論だけ出されても、私どもにとって良いとは思えず、皆さんもせっかくのトライアルの成果にならないでしょう。
実態を見て実施方法を変えて成果を出したほうが、受け身の方も攻めの方も改善の糧になるかと思うのです」
「北川さん、私も思ったのですが、良否を示すだけよりも是正まで指導すべきかと思いました」
「私もそう思いますね。
ホンチャンの遵法監査でも問題の指摘と是正まで、監査側と被監査側が合同で行ったほうがよろしいのではないですか」
「そうできればよろしいかと思います」
「発言します。
トライアルであれば監査側と被監査側が合同で是正立案も良いと思います。
しかし監査と称するならそれはすべきではありません。監査は監査報告までであり、是正は監査の続きではありません。
監査を終えて引き続き同じメンバーで原因究明と是正処置の検討を行うことは、理屈に合わないと思います」
「佐川君の言う通りだ。そこはしっかりと線を引こう。
ともかく今回は監査側も初めてのことなので、一緒に議論することにしよう」
昼休憩の後、工場巡回の残りを始める。
また問題が続々と見つかる。
会議室を出て守衛所から再び外に出ようとすると、ちょうど廃棄物収集運搬車が工場から出るところだった。ガードマンが小窓を開けてお辞儀をすると、そのトラックは一時停止もせずに表に出ていく。
佐川がガードマンに「停止させて荷物を確認しないのか?」と聞くと、従来からの習慣だという。
守衛所から戻ってきて長野課長に聞くと、廃棄物を積んでいるだけだから出門するとき中身を確認しなくて良いという。
佐川は苦虫をかみ潰したような顔をする。
「敷地から出るときは、一時停止するんじゃないですか?」
「敷地というか、歩道を横切るときは一時停止することになっていたはず
それにさ、ガードマンも手抜きもいいところだ。盗難防止にならない」
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廃棄物置場にいくと、別のユニック車が積まれた金属屑を荷台に積み込んでいる。周りには工場側の人が誰もいない。積み込むのを見ている業者の人がいるので、マニフェスト票は受け取ったのかと聞くと、事務所で受け取ったと見せてくれた。
工場の人は立ち会わないのかと聞くと、忙しいのでしょうという。
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検収のところに行くと、有名塗料メーカーのマークが描いてある、リフター付きのトラックが停まっている。
見ていると業者が納品書を出して、研修の人に受領印をもらうと、また乗車してトラックは去っていく。
更に目で追っていると、午前中の巡回で見た大きな危険物屋内貯蔵所の前で停め、危険物保管所のシャッターを開けて、トラックから一斗缶を台車で運び込んでいる。
佐川は大谷達を呼び集めた。
「大谷さん、何か気づいたことはないですか?」
「大ありです。まず検収は責任を全うしていません。現物も見ずに受け入れるとはなんですか。犯罪の温床というか既に就業規則違反です。
それから危険物保管庫を許可された者以外が、ましてや社外の人が単独で入って作業するなんて安全上も、財産保全上も問題です」
「事務所に戻ったらそれを言ってください」
「私も守衛所での廃棄物業者の対応は問題だと思いました。工場外に出るときもチェックしないとは、もう呆れます。
それに廃棄物の仕事も最低ですね。マニフェストを渡すだけで積み込みに立ち会わないなんて」
「山本さんは工場にいたとき、こんなことはしなかったのでしょう?」
「もちろんです。積み込みは立ち会いますし、工場から出るときはガードマンがマニフェストを持って、どれがどれかを確認して確認印を押印しています。A票ならハンコを押しても構いませんから」
「おかしな現象が多々あります。作業標準があるのでしょうか?」
「そこから佐々木さんの持論である、仕組みを作れに繋がるのですか。
結果として対策は仕組み作りに反映されると思う。
だが、システムを監査してもシステムの改善にはつながらないというのが私の持論だ。
現実を踏まえずして改善はない。言い換えるとフィードバックは大きいループの方が有効だということだ。
もちろんループが大きくなると、時定数の関係でNFがPFになる危険もあるけど、電子回路じゃないからまあ問題はない」
長野課長は佐川の後ろで話を聞いていた。顔色は良くない。
本日のどうでもいい話
登場人物の名前が品切れで、偶々目に入った新聞記事が長野県の
注:このお話やウェブサイトが、今後何年も残るとは思いませんが、時が過ぎると上記の文が理解できないかもしれないので一言追加しておく。
2025年夏以降、日本全国でクマが市街地に出没するようになり大問題になりました。11月上旬までのクマによる死者は13名と過去最多です。
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| 注1 |
1990年代になって企業不祥事は多々報道されている。内容は粉飾決算、横領事件、ハラスメント、反社とのつきあい、データ捏造、品質偽装など多岐に渡る。 その原因として、ひとつにはコンプライアンスが厳しくなり、それまでまあまあで許されていた反社との付き合いとか、談合、セクハラなどが厳しくなったこと、バブル崩壊後の不況後に利益をだそうと無茶をしたこともあるだろう。もっとも考えられることは、今までは見逃されていたことが、社会的に見逃されなくなったことだろう。 なお、不正会計、横領などの不正を開示する企業は年とともに増加している。これは増加しているというより社内の不正を開示してもマイナスにならない、かえって信頼感を増すという世の中の情勢の変化だろうと思う。 ・東京商工リサーチ「不適切な会計・経理の開示企業」 | |
| 注2 |
省エネ法の正式名称は「エネルギーの使用の合理化及び非化石エネルギーへの転換等に関する法律」である。以前は「エネルギーの使用の合理化に関する法律」で、3023年に名称が変更された。最初名前を聞いたとき新しい法律ができたのかと思った。 その第5条第2項2号ロで「加熱及び冷却並びに伝熱の合理化」とあり、断熱に努めることと読める。 | |
| 注3 |
消防法では次のように定めている。
| |
| 注4 |
道路交通法第17条第2項 「車両は、歩道等に入る直前で一時停止し、かつ、歩行者の通行を妨げないようにしなければならない。」 私がそんなことを覚えているわけはない。おかしいなと思ったとか、法規制があると思っていても根拠を知らないものは調べます。 |
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