タイムスリップISO49 大地震1

25.01.20

注1:この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但しISO規格の解釈と引用文献や法令名とその内容はすべて事実です。

注2:タイムスリップISOとは




このお話は何年にも渡るために、分かりにくいかと年表を作りました。
前回より赤い部分が少し伸びています。

西暦世の中の出来事このお話の出来事
1992新幹線のぞみ登場主人公佐川が若返る
課長解任され平となり、品質保証に異動
1993EU統合
日本でインターネット始まる
ISO9001認証にチャレンジ
佐川の成果から本社応援、後に本社転勤
1994 関西国際空港開業
松本サリン事件
ISO9001認証も一段落
1995
阪神淡路大震災
オウム真理教地下鉄テロ
矢印 今ここ
1996北海道豊浜トンネルで岩盤崩落ISO14001制定前からドラフト(草稿)で仮認証始まる
年末にISO14001制定される
1997ロシア船ナホトカ号沈没油流出
ペルー日本大使館事件
ISO14001認証始まる

どこの企業も年明けの第1週は、正月休みと取引先への挨拶回りなどで過ぎ去る。松の内も明けて第2週となった。ビジネスは9日月曜日から始まる。

ビジネスと無縁の佐川は、正月明けから山口さんと柳田企画の佐々木氏と片岡氏の三人を相手にISOコンサルの教育をしている。
今日は、工場指導の方法や内容を伝えようと考えている。第三週から、ふたりを連れていくつか工場を巡回し、コンサルの仕事を見せていく予定だ。




午後一にお二人がやって来た。
本題に入る前に今年の目標とか雑談となる。


柳田企画生産技術部
佐々木氏佐々木佐川真一佐川
片岡氏片岡氏山口山口

片岡氏 「佐川さんはご存じと思いますが、ISO9001が改定になったそうですね」

佐川真一 「そう言えば、規格改定は昨年の9月でしたね。翻訳規格のJISZ9901が改定されたのはつい最近で昨年12月です」

片岡氏 「えっ、もう半年も前に改定になっていたのですか?」

佐川真一 「改定になるという話は1993年頃からありました。どんな風に変わるのか興味津々でしたが、結果としてほとんど変わりなかったですね」

片岡氏 「そうだったのですか。私は正月休み古い友人と会ったとき、ISO認証のコンサルになるという話をしたら、規格が変わったと言われて驚きました。
もしかして佐川さんがご存じないのかと……」

佐川真一 「そういったISO規格改定とか審査の方法の見直しなど、仕事で必要な情報は皆さんに流しますから、ご安心ください。
法律と同じく、制定・改定から施行までの猶予期間が、半年から1年くらいありますから、慌てることはありません」

佐々木 「とはいえ、改定と言うからにはいろいろ変わったのでしょう。改定後の規格での審査はいつからですか?」

佐川真一 「申しましたように、改定後の規格での審査はまだ先です。早くても今年の秋からでしょう」

山口 「私も気になっていたのです。既に認証している工場からも、どう対応したらよいかという問い合わせが、複数来ています」

佐川真一 「猶予期間を考えれば、今年4月以降に説明書を作って配付すれば間に合うと思っていました」

山口 「工場からの問い合わせをみると、どこも重大にとらえています。説明会をしなくて良いのですか?」

佐川真一 「変更についての説明書を作って社内配付して、工場の人たちに読んでもらえば十分と思っていましたが、それでは不足かな〜。
山口さんや柳田企画の皆さんが必要と思うなら、説明会をしましょう。説明会と言ってもビデオ放送でもいいし、フェイスツウフェイスなら……本社、大阪、福岡くらいか。

そいじゃ今日は規格改定の話をしましょう。規格のほとんどの項番で、タイトルが変わったり、項番が細分化されたり、言い回しが変わったりしました。
でも大きく変わったのは三つくらいです。

ひとつは品質方針です。1987年版では方針があればOKでしたが、改定で方針の具備する条件として、品質目標と品質についての責任を明記することが追加されました。

今までは『品質で社会に貢献する』というような、漠然としたものでも良かったのです。しかしこれからはそういったものは基本理念とか社是に位置付けて、方針はもっと具体的に『品質保証体制を確立・維持し、当社は市場最高の顧客満足を得る製品・サービスの提供を目指す(注1)とかね、いや、これは口から出まかせですよ」

片岡氏 「口から出まかせで、スラスラと出てくるなら大したもんだ」

佐川真一 「『経営者による見直し』が『マネジメント・レビュー』と翻訳せずにカタカナ語になりました。これは一説には『経営者の見直し』と言われることが多いために、経営層の不評を買ったと言われます。本当かどうか知りません」

佐々木 「えっ、項のタイトルは『経営者による見直し』だったのですか。私は『経営者の見直し(注2)と覚えていました」

片岡氏 「会社を良くするには経営者を見直すのが、一番有効なようだ。アハハハ」

佐川真一 「大きな変更の一つは、品質マニュアル作成が義務になりました」

山口 「あれ、以前からマニュアル作成は要求されていましたよね?」

佐川真一 「要求されていましたが、それは規格要求だったのではなく、認証機関から要求されていたのです。それも審査契約書ではなく、審査の手順とかいう資料に『品質マニュアルを作成して、審査の何日前までに提出すること』と書いてあったのです」

佐々木 「そもそも、なぜ品質マニュアルが必要なのですか?」

佐川真一 「話せば長いことながら、ISO9001は、元々第三者認証が目的ではなかった。日本に限らず、BtoB(注3)の取引で品質保証を要求されることが多くなってきました。そのとき購入する会社が品質保証で要求する内容がさまざまであったために、要求を受ける企業はいろいろな要求事項に応えなければならず手間もかかり支障がありました。」

品質保証の国際規格
◇ISO規格の対訳と解説◇
増補改訂版
監修 久米 均
日本規格協会

そのために要求事項を標準化しようというのが制定の目的でした。
ISO規格の対訳本のタイトルは『品質保証の国際規格』となっているのはご存じでしょう。

しかし人間のお金儲けの欲求は、なんでもビジネスにしてしまいます。
そもそもは二者間の品質保証の要求事項を標準化したはずのISO9001の二者間監査を代行するビジネスから始まり、更に品質保証を要求されていない企業を、ISO9001規格で審査して、適合を証明するビジネスを考えたわけです。認証を受けても形あるメリットはないのですがね(注4)

審査でも監査でも要求事項に対応した会社の文書や記録を一覧できるよう記した表があれば楽です。ですから品質保証を要求した会社の一部はそういう対照表の提出を求めました。もちろん求めない会社もありました(注5)
第三者認証となると、要求事項は統一されましたから、それに合わせた対照表と概要を書いたものを出してもらえば、審査はとても簡単です。審査を短時間で行うためにそれを当然のこととしたわけです。

言い換えると、ISO9001の1987年版は第三者認証を考えていなかったけれど、1994年版は第三者認証を前提になったと言えるでしょう(注6)

片岡氏 「なるほど、しかし佐川さんの話では、要求事項とその会社の業務の概要と文書・記録の対照表と言いましたが、世間で品質マニュアルと呼ばれているものは、ISO規格要求の一個一個に対応した手順を書いた、立派な文書ですよね?」


注:手順とは「手段と順序」であると怪説を語った某先生がいた。発想には脱帽だが、意味的には大いに違う。

「手順」は「procedure」の翻訳語であり、procedureの意味は、
a way of doing something, especially the correct or usual way
何かを行う方法、特に正しい方法または通常の方法(おばQ訳)
a series of actions conducted in a certain order or manner.
定められた順序と方法で実行される一連の動作。(おばQ訳)

ISO規格では正式に定められた仕事の手順をいう。文書化されていなくてもprocedureであるが、規格で文書化が要求されているものは文書化しなければならない。
とはいえ、文書に定めず正式に定めたとする方法が思い浮かばない。例えば塗見本を考えたとき、その見本に責任者が「これを○○の塗見本とする」と書いて捺印しても、「そうすれば正式な塗見本とすると定めたルール」が必要なはずだ。


佐川真一 「そうなのです。改定されたISO規格の4.2.1に『The quality manual shall include or make reference to the quality-system procedures and outline the structure of the documentation used in the quality system.』、JIS訳では『品質マニュアルには、品質システムの手順を含めるか、又はその手順を引用し、品質システムで使用する文書の体系の概要を記述すること』とあります。

文章としては『手順を引用する』とか『概要を記述』とありますが、このあたりの精粗は分かりませんね。アウトラインと言っても触りなのか、ある程度細かくなのか、要求事項に関わることはすべてなのか?」

山口 「私はその経験があります。佐川さんが関わる前ですが、工場で作ったマニュアルを當山さんが他社の人に見てもらったら、概要といっても要求事項すべてについて、どう対応するかを書かないとダメと言われたそうです」

佐川真一 「そういうことは多々あるでしょうね。規格では『各要求事項をカバーせよ』ですから、細かく書かなくても良いじゃないかと思いますが、どの認証機関もすべての要求事項の手順を書けと要求すれば、それがデファクト・スタンダードになってしまいますね。
まあ、マニュアルを書くのは1回こっきりですから、諦めましょう」


注:規格を読めばマニュアルに『この要求事項は、○○規定に定める』と書けば要求を満たすと思われるが、多くの審査員は『この要求事項は、○○規定で・・・・のように定める』と手順のサマリーを書かないとダメと判断する。

原文の「quality-system procedures」を「品質システムの手順」と訳しているが、これは「品質システムの手順書」としないと意味が通じないように思える。
そして「reference」とは書籍や論文では、「出典やその引用個所を示すこと」であり、その文章を書き写すことではない。そもそも引用した文章は、書籍や論文の中に記されている。
だから「reference to the quality-system procedures」は、マニュアルの中に手順書の文章を書けという意味ではなく、引用した手順書が特定できるように示すことではないだろうか。


佐々木 「目くじら立てることではないと……」

片岡氏 「それを言うなら、長い物には巻かれろでしょう、ハハハ」

佐川真一 「そうですね、要求事項の解釈違いなら反論しますが、詳しく書けというくらいなら書きましょう。
ええと、改定で変わったところの話でしたね。
設計管理ではデザイン・レビューが追加になりました」




佐川真一 「あと『文書管理』が『文書及びデータの管理』にタイトルが変わりました」

片岡氏 「ここでいうデータとは何ですか?」

佐川真一 「ISO9001にも引用規格であるISO8402にも、定義はありません。ISO9004には説明がありますが、それは引用規格じゃない。

私もあちこち問い合わせました。文書でないなら業務を電子化したシステムだとかNCプログラムじゃないかとか、記録様式だとか、いろいろな説がありました。
当社の工場に来て名刺交換した審査員数人に電話して聞きましたが、自信をもって答えた人はいませんね。
そういえばデイブには聞いてなかったな……

私の推察ですが、ドキュメントというと、紙に書かれたもののイメージかと思います。今後は電子化されたものをプリントせずにモニターで読むとか、将来はひとつの仕事に関わる手順を知りたいとき、その職務をインプットすると様々なルールから、質問に応じたユニークな手順を自動的に生成して表示するようになるかもしれません(注7)


注:私は正直言って何が正解なのか分からない。認証が始まって2年も経つと、審査員は皆日本人になった。出会った審査員に聞いても、皆、分からないようだった。

6年後の2000年改定で、文書管理からデータなる言葉は、きれいさっぱりなくなってしまった。
その後も機会あれば、認証機関の偉いさんとかに聞いてみましたが、自信をもって答えた人はいませんでした。

今振り返ると、dataは特段定義するようなことじゃなくて、品質システムの中で使われる、データ全般のことだと思うようになりました。要するに文書でもデータでも管理しろというだけだったのではないだろうか。


片岡氏 「なるほど、普通は会社の規定と言うと、設計に関わること、購買に関すること、受入検査に関わることと分割している。
購買担当者が自分の仕事で何をするのか調べるためには、購買の規定だけでなく、検査のことなら検査の規定、物の帳票なら資材管理、お金の支払いなら経理の規定、といろいろ調べないとならない。

全体の流れを知ることは重要だけど、その担当者がどんなインプットを、どのようなプロセスでアウトプットにするのかという手順全般を、書いたものがないのだよね」

佐々木 「どんな仕事でも会社規則集ひっくり返し、おっくり返しして調べないと、仕事ができないよね。
将来はたくさんの手順書の中から、担当者ごとにその仕事の5W1Hが分かるような、担当者対応のユニーク手順書を作ってくれるようになるかもしれないな」


注:ユニークとは日本語では、変わっているとか、奇異の意味で使われている。英語本来の意味は、固有の、唯一無二、他に類を見ないという意味である。


佐川真一 「迷っていても進みません。我々は、そういう紙に書かれた文書ではなく、基準などを定めた数値も、電子情報から生成するようなものも含めて、データと表現すると定義したいと思います」


改定についての佐川の話を聞いて、三人は自信を持ったようだ。



*****


1月17日(火)、佐川は今朝も朝6時前に着く電車で出社。オフィスに入ったのは6時少し過ぎだった。
すぐにパソコンをONしてメーラーを立ち上げる。昨夜、退社するときはきれいに片づけたが、その後来たメールは20件以上ある。
会社のメールアドレスには宣伝広告は来ない。すべて社内の工場、関連会社、外部の業務上の関係先だけだ。たまに元同僚から退職や転勤の挨拶など個人的なものはあっても、宣伝・広告とかクレジットカードの詐欺メールは来ない。
だから来たメールはすぐに読んで、対応する必要があるものばかりだ。

会議の案内で出席の返事なら、予定表を見ればすぐ返事ができる。しかしISO認証関連なら、質問者はまずイントラネットの生産技術部のウェブサイトに過去のQ&Aを見るから、ほとんどはそれで間に合う。だから問い合わせてくる質問は、初出ということになる。返信を書いて発信するまで5分や10分はかかる。10件あれば1時間、20件あれば2時間だ。


INBOX

メールを片付けると、物理的な机上のINBOXを見る。
これも退社するときにすべて処理していても、翌朝来れば何かはある。徹夜している人がいるとは思えない。

佐川は知らなかったのだが、実はビルの中に店子に来た郵便配達の委託を受けている外注業者がいて、終業時までに来たものは、すべてその夜のうちに宛先の店子の部署に配達することになっているのだ。




そんなことをしていて、始業時の30分前くらいから、三々五々と出社してくる時刻となった。
野上課長がオフィスに入って来た。なぜか自席に行かず、佐川のところに来て声をかけた。

野上課長 「佐川君、神戸のことを知っているか?」

佐川真一 「課長おはようございます。神戸工場で何かありましたか?」

野上課長 「まさか知らないのか?
大地震だよ、ニュースを見てみろ」


佐川は正直驚いた。うっかり阪神大震災を忘れていたのだ。もちろん阪神淡路大震災は忘れられない出来事だし、1995年だったのも覚えている。
しかしいつ起きるかと常々気にしていたわけではない。初めてのときと同じく、地震が起きたことを聞いて驚いてしまった。
だが、今日の朝、地震が起きると知っていれば、何かメリットがあったかと思えば、何かできたとも思えない。

携帯ラジオ 佐川は急いで机の引出しから携帯用の小さなラジオを出して、イヤホンを耳につけてニュースを聞く。

今朝の5時46分に、神戸市の南の明石海峡を震源として震度7の大地震が起きた。現場が混乱してかつ情報連絡が十分取れずにいるようで、被害地域とか損害などがはっきりしない。


佐川真一 「神戸で大地震があったのですね、知りませんでした」

野上課長 「君は地震が起きた前から出社していたのか?」

佐川真一 「入門ゲートを通ったのが6時頃でしたから地震発生より10分ほど遅かったです。時間を考えると、東京駅を出るか出ないかの頃に地震がおきたようですね。
道路でも会社でも人に会わず、テレビもラジオも聞いていませんでしたので、今まで知りませんでした」

この時代、電車の中でリアルタイムでニュースを聞くには、携帯ラジオしか方法がなかった。大事故や大事件などがあれば、駅で構内放送されることもある。
『iモード』は1999年開始だし、スマホの先駆けであるブラックベリーの発売は1996年である。当時の携帯電話は携帯できる電話(mobile phone)でしかなかった(注8)


だんだんと人が出社してきた。あちこちで三々五々集まって話をしている。本社の人は、立ち話 全国から来ているから、関西出身とか身内が関西にいる人もいるだろう。
女子社員が、パントリーにあったテレビを打ち合わせ場に出してきて、皆が見えるようにした。さすがに常時眺めている人はいないが、皆ときどき来てはテレビを観ていた。
テレビ場面は、有名な阪神高速道路の倒壊現場とか、建物の向こうに上がる煙の壁などを常時映していた。




始業時になると、生産技術部長は本部所属の人全員を呼び集める。
本部長室の前に、広いスペースがあるわけではないので、机の間に人が立っている形だ。

江本部長 「これより本部長より、ご講話を頂きます。傾聴」

本部長 「皆さんは、今朝の神戸の大地震の報道を、ご覧になったことと思います。現場が混乱していること、通信手段も途絶していることから、いまだ詳細な情報が得られていません。
当社には神戸工場もありますし、多数の関連会社や取引先が震災した地域にあります。
報道では40キロ離れた大阪でも、建屋や家具が倒れ死者も出ています。大阪には当社の工場も複数あるほか、調達先も顧客も多い。
今はただ、そこで働く人たちとご家族の、御無事を祈ることしかできません。

地震の絵 しかし祈るばかりではなく、これから私たちが被災者に何ができるか、そしてお客様にご迷惑をかけないために何をすべきか考えなければなりません。
皆さん、ひとりひとりが己の職務において、震災の対応に何をすべきかを、よく考えてほしいと思います。

営業や購買など直接ビジネスに関わっている部門は既に対応に動いているでしょう。
我々生産技術本部は支援部門でありますから、しっかりと任務を達成することを求めます。生産技術部は製造設備の点検と復興、品質保証部は品質の維持、ロジス部は倉庫、道路情報、輸送方法などの支援、環境部は環境設備の点検、復旧支援など、やることは限りありません。
自分は何をしなければならないか、何ができるか、よく考えて行動することをお願いします」

江本部長 「以上で本部長のご講話を終わります。解散」




皆はぞろぞろと自分の席に戻る。
山口が佐川の席にやって来た。

山口 「私たちが、しなければならないことってありますかね?
認証指導も工場が混乱していて当面休業でしょうし……」

佐川真一 「いやいや、しなければならないことは、たくさんあるよ。
当社の認証を予定していた工場が、この地震でどういう状況なのか、審査を受けられない状況かもしれない。そういうことを当たる必要があります。
同時に認証機関がこれからの審査が予定通り行えるかを、早急に確認しなければならない。

懸念しているのは外資系認証機関は、元々は船級検査会社だから(注9)港町の神戸とか横浜に事務所がある。本部を神戸に置いているところもある。被害が出ているでしょうね。

とはいえ、今すぐにはどうしようもないでしょう。被災地が落ち着いてから、数日後に問い合わせしましょう」

山口 「そう言えばデイブさんも神戸でしたね。事務所が崩壊したら、連絡も取れないじゃないですか」

佐川真一 「デイブさんのところも日本本部は神戸にあるけど、横浜にも事務所がある。でも連絡するのは今日は止めておきましょう。横浜事務所も混乱しているでしょうから。
他の認証機関も、神戸がダメなら、別の都市の事務所に連絡を取りましょう」

山口 「まずは、関西地域で認証を目指している当社工場や関連会社の状況把握と、ISO認証の計画の確認ですね。
それと神戸に事務所がある認証機関の事業再開状況ですか」

佐川真一 「それと既に本審査を終えた工場の審査登録証が手に入るのか、当面棚上げになるのか、その問い合わせもしなければなりませんね」

山口 「そんな工場ありましたっけ?」

佐川真一 「あります。三重工場は12月にデイブのいるB○○社から審査を受けてます。私が年末と年度末は審査を受けるのを避けてと、口を酸っぱくして話していたのですが、どうも他社と認証競争をしてたらしく、我々に無断で審査日を繰り上げていたのです。
審査はクリスマス直前に行って合格でしたが、この分では通常の期間で審査登録証の受領は無理かもしれません」

山口 「どうしますか?」

佐川真一 「手順通りするだけです。明日になったら横浜事務所に連絡を取ってください。神戸事務所が無事で審査登録証を出せるというならハッピーです。ダメなら横浜事務所で発行できるか、それもダメならイギリスの本社で発行してもらう、DHLなら3日もあれば届くでしょう。
郵送では時間がかかるなら、ウチのロンドン事務所と本社にはけっこう人の往来があるから、直近の出張者を見つけて手運びしてもらいましょう」

山口 「年の功でしょうけど、佐川さんは非常時の対応が慣れてますね」

佐川真一 「そんなことないよ。とりあえず今のことを順序良くしていきましょう。
そうそう認証機関に話をするときは、まずはお見舞いの言葉と、先方の状況を確認してください」

山口 「承知しました」


村山ダメ総理
初めのことじゃから
馬脚を露した村山翁
佐川が地震対応をスラスラと語るのは当然だ。
30年前に一度体験したことだから。
白い眉毛の村山富市爺さんが国会で、阪神淡路大震災での自衛隊派遣が遅れたことを質問されて「なにぶんにも初めてのことですので」と答弁して強い批判を浴びた。

弁護するわけではないが、何事も経験しなければならない。
事故や災害は経験できなからこそ、訓練をしなければならないと、ISO14001に書いてある。
佐川も最初は、上手く対応できなかったに違いない。経験すれば上手くなるのは当然だ。

もっとも村山首相は被災者を見舞ったとき、避難所の体育館に土足で入って大きく叩かれた。
足跡
足跡
そういう無礼というか無神経なことがあって、嫌われたのだ。

似たようなものに、筑紫哲也は燃え上がる長田地区を見て「温泉街に来たようだ」と語った。これももう少し別の表現があったのではないか。無邪気というか正直というか、考えなしの本心が現れたのだろう。



うそ800 本日の真実

田舎の工場にいた私は朝早くから仕事をしていて、阪神淡路大震災を、出社してきた同僚に言われるまで知らなかったのは本当です。
始業時頃に出社した同僚から、「大変なことが起きたね」と声をかけられたが、何のことか分からなかった(注10)

私はそのときだけでなく、それ以前からも、その後、転職しても退職するまで、日々、始業より1時間以上前に出社して、始業時までにメールの処理、INBOXの処理をして、朝は借金なしに仕事をスタートするのを旨としていた。

それなのに昇進もせずにサラリーマン人生を終えたのは、無能な働き者だったからでしょうか?
いや、そんなことよりも、家事もせず家族サービスもしなかったダメおやじであったことを、家内や子供たちに申し訳なく、後悔しております。



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注1 規格要求の意味合いも認証機関によって重要視したところ、軽視したところと多様であった。
某外資系認証機関は「品質奉仕だけでは弱いから、品質向上に努めるくらい付け加えてよ」と言ってた。そんな程度で良かったのだろう。

注2 助詞「の」にはいろいろな意味がある。
・所有や所属を示す……最も一般的
 私の本
・名詞を他の名詞で修飾する
 青い空「の」下で
・主語を示す
 赤ちゃん「の」泣き声
・目的を示す
 旅行「の」計画
・原因・理由
 事故「の」ため欠勤
・時間・場所
 夜「の」行事

「経営者の見直し」は主語と目的のどちらと理解するかだが、現実は目的であることを表現するなら「経営者を見直し」とするはずだ。要するに「経営者の見直し」が不評とは冗談だろう。
でも「経営者による見直し」に苦情があったとは聞いた。

注3 1990年代前半にBtoBという表現が使われていたのか、気になって調べた。
こういった略称は1970年代からあったらしいが、インターネットや情報システムから始まり広まったようで、1990年代後半から広く使われるようになったとあった。それ以前はBtoBを「企業間取引」、BtoCを「小売」と呼んでいた。

1994年のISO審査で審査員が、eコマースとかBtoBなんて言葉を恐る恐る使っていたのを思い出す。

注4 昔、ISO9001が登場する前のこと、品質が良いことを示すために輸出しないのに、ULの認定を受けていた会社がある。バカみたいと思う人もいるが、しっかり管理していると思う人もいたのだろう。人生いろいろ、会社いろいろだ。
そういう会社はISO9001が登場したとき、すぐにISO認証に切り替えただろうと思う。

注5 品質マニュアル(ISO規格登場前は、品質システム説明書、品質保証マニュアルなどと呼ばれた)があれば、項番順審査をするなら、する方もされる方も能率的だ。

プロセスアプローチをしないなら、マニュアルは要らない。現に外資系の認証機関の中には、マニュアルを送付する必要がないと言っているところもある。

佐川が作らせた三段組はマニュアルの究極の形態である。それは仕組みのチェックや審査を受けるためには有効だろうが、十分条件であっても必要条件ではない。なくても困らないものだ。

注6 1994年版の「序文」の最後の段落に、修正(tailoring)が残っているから、完全に第三者認証を目的としたわけではないようだ。
私は1987年版でも「(規格要求事項を)修正して」認証を受けたという話は聞いたことがない。

注7 全体のシステムを定義しておいて、指定された職務に必要な手順を自動生成するという発想は1987年発行の「マニュアルバイブル」などにも書かれている。探せばもっと古い文書などにもあるだろう。
ゲームのチュートリアルが、まさにそう言ったものと言えるだろう。
 「マニュアルバイブル」エドモンド・ワイス、啓学出版、1987

注8 もちろん当時でも、電子新聞と称するものは幾種類かあった。
私の知るものは、スマホより縦横厚さとも1.5倍くらいで、電話回線につないで夜間にデータを受信して、翌日それを持ち歩いて液晶画面で読むという紙の新聞を液晶で読むだけのものだった。
当然、朝刊と同じ記事しか読めず、それ以降の更新はなかった。ネット以前だからリンクも何もない。

注9 コンテナ船 船級検査とは、速い話その船の保険を引き受けるか受けないかの評価である。設計・製造・維持がしっかりしていて保険を受け付けても大丈夫か、この船は危ないから保険を受け付けないかを評価する会社である。船舶保険会社は船級検査でOKにならないと保険を受け付けない。

注10 阪神淡路大震災のとき、東北地方南部も揺れたと言われるが、福島県の南東部のいわき市では震度1を観測したが、福島県中央部から北は無感(震度0)だった。



外資社員様からお便りを頂きました(25.01.22)
おばQさま あの大震災から、もう30年たつのですね。 まさにその時に、この記事をかかれるとは。
当日で覚えているのは、朝から大船のM電機の事業所で打合せだったこと。
大船駅で東海道新幹線が不通になった放送が流れていて、駅前の店舗のテレビで震災の被害や火災の状況を報じていました。
とは言え、打合せがあるからM電機に行き、とりあえず面談はしたが、こういう状況なのでと再打合わせになった所までは覚えています。
当時は仕事場も自宅も多摩地区なので、途中で昼食をとって鎌倉から多摩地区まで延々と帰ったのでしょうが記憶がありません。
とりあえず関西地区の知人;京都、大阪では食器が割れた程度の被害で怪我無しとの事で、だから記憶も曖昧なのでしょう。
当時はヒラ社員ですから、関西地区の事業所の支援や業務継続など、仕事面での影響はほとんど無かったと思います。
あの頃は、会社があちこちに自前の保養所をもっていて、六甲保養所が被災したが、居住できるから被災者に開放したという社内記事は覚えています。
現場の人達の一部は、現地工場の支援に行ったようですが、私は設計、企画だったので、これも何もできず。
あの時に神戸にいた人、そして被災された方々は本当に大変だったと思います。 30年経とうが悲しみは終わらないですね。
そして16年後、311 東日本大震災が起きて、これは身近でもあり、これで記憶の殆どが上書きされた気がします。
ここでやっと、大災害は遠い世界ではない事を体験して、ボランティア含めてやっと色々な事を考えるようになりました。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
私は朝早くから仕事をしてまして、時間間際に出勤してきた同僚から地震が起きたと教えられました。それまでだって大災害はありました。私が物心ついてからでも、伊勢湾台風では死者行方不明が3,168名、三池炭鉱爆発死者458人、三沢市の大火、集中豪雨などなど。
しかしテレビでリアルタイムで報道された阪神淡路大震災は強烈でした。飛行機事故ならある範囲で終わりという感じですが、地震とそれによる火災はどこまでいくのかという恐怖がありました。
気が小さいと言われるかもしれませんが、阪神淡路大震災とその後のオウム事件は、私の意識が大きく変わりました。
ご存じかもしれませんが「家栽の人」というコミックがあります。ちょうどこの時期にベストセラーだったと思います。家裁判事がトラブルと解決していくお話で、ああ人間はこうであれねばと思わせる作品です。人間が清く正しく生きていれば良い社会ができるというお話でした。私はそれを読んで大いに感動しました。
しかし自然の力はそんな人間のことなど全く無視するということがショックでした。
あげくにオウム真理教事件は、力を持つ人間は悪いことをどれほどするのかということもショックでした。
東日本大震災もショックでしたが、阪神淡路大震災ほどのショックは受けませんでした。やはり阪神淡路大震災は強烈です。
人間は克服するなんて無理です。自然に生かされていると認識して、心に折り合いをつける必要があります。
少し前にネットで見たことですが、東日本大震災で大きな被害を受けた漁港で、もう危険な海岸近くには家を建てないのかという質問に、漁業の人がバカなこと言ってんじゃない。俺たちは海で生きているので何十年に一度の津波は覚悟の上だとありました。
完璧などないのだからそれがまっとうかもしれません。




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