注1:この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但しISO規格の解釈と引用文献や法令名とその内容はすべて事実です。
注2:タイムスリップISOとは
このお話は何年にも渡るために、分かりにくいかと年表を作りました。
前回より赤い部分が少し伸びています。
西暦 | 世の中の出来事 | このお話の出来事 | 話数 | ||||
1992 | 新幹線のぞみ登場 | 主人公佐川が若返る 課長解任され平となり、品質保証に異動 | 第1話 〜 第8話 | ||||
1993 | EU統合 日本でインターネット始まる | ISO9001認証にチャレンジ 佐川の成果から本社応援、後に本社転勤 | 第9話 〜第43話 | ||||
1994 | 関西国際空港開業 松本サリン事件 | ISO9001認証も一段落 | 第44話〜第47話 | ||||
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阪神淡路大震災 オウム真理教地下鉄テロ |
| 第48話〜第○話 | ||||
1996 | 北海道豊浜トンネルで岩盤崩落 | ISO14001制定前からドラフト(草稿)で仮認証始まる 年末にISO14001制定される | |||||
1997 | ロシア船ナホトカ号沈没油流出 ペルー日本大使館事件 | ISO14001認証始まる |
佐川は今年の計画を見直す。
当初、佐川が考えていたこと以外の、インプットというか外乱があった。大地震も起きたし、メンバー三人の声を聴くと、佐川が思っているより規格改定対応の活動スケジュールを早める意見が多い。焦っているというか。やる気があるようだ。
そんなことを反映しなければならない。
兵庫県南部地震対応としては、ISO認証は工場側も認証機関側も、立ち直るまで少し滞るだろう。そのスケジュールも実情を踏まえて調整しなければならない。
これらについては山口によく説明したつもりだし、彼も納得したようだから、彼に担当してもらう。手に負えないなら相談に来るだろう。彼は独断専行しないのが良い。
それとだんだんと審査員のデータベース(閻魔帳)も蓄積されてきたので、忌避したほうが良い審査員は社内に周知したほうが良いだろう。
注:大地震には名前が付けられるが、これは気象庁が命名するそうだ。しかしそれとは別にマスコミは分かりやすい名前で呼び、それが一般に使われてる。
1995年に兵庫県で起きた大地震の正式名称は兵庫県南部地震だが、一般には阪神淡路大震災と呼ばれる。私は阪神淡路大震災を覚えていたが、兵庫県南部地震という正式名はこのお話を書くまで知らなかった。
ちなみに311に起きた通称、東日本大震災は、正式名は東北地方太平洋沖地震である。私はこの正式名も知らなかった。
それとISO9001規格改定対応だが、それこそ柳田企画の片岡氏と佐々木氏にまとめてもらい、対応策を考えてもらう。実際に工場に通知するのは4月以降だから十分だろう。
グループ企業に対する規格改定の周知と改定内容の説明だが……方針、マニュアル、関連する規定の変更内容をまとめて周知すれば済むと思うが、先日その話をしたら簡単に済ませるべきでなく、人を集めて規格改定説明会をすべきという意見だった。
彼らが説明会をしたいというなら、してもよいが……すべては費用対効果だ。それは彼らにメリット・デメリットを検討してもらおう。
佐川の本音を言えば、説明会などしなくても分かるように、規格改定の説明文を書いてほしい。露骨に言ってやる気をそいではいけないが。
片岡氏と佐々木氏へのコンサル方法の指導だが、これから認証準備を開始するところ、現在準備中のところ、予定ではまもなく審査を受けるところ、それぞれ二つくらい工場に連れて行き、指導するのを見せれば要領は分かるだろう。
通常ISO認証はキックオフから審査まで10カ月はかかる。幸いなことに当社には多数の工場がカスケードに認証準備を進めているから、いつでも各段階の工場が存在している。
だから、佐川か山口の指導に同行して見学と実践で、短期間で全工程の経験を積める。要領を覚えたら佐川が抜けて、そこを佐々木・片岡が埋めることにする。
その他に認証機関の選び方、申請などの諸手続き、審査での問題対応そして審査員や認証機関の評価については別途、座学で行おう。
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こんなことをいうと生意気というか上から目線と言われそうだが、佐川の前世の経験を反映して、企業がISO14001審査を受ける際の問題を、クリアにしておかねばならない。
具体的に言えば、自社だけなら問題というか審査員との葛藤が起きても、佐川が動けば
だが同業他社が、認証機関が頭の中で考えた意味もない?文縟礼に取り込まれるのを止めることは、極めて重要で価値あることだと思う。佐川の前世(つまり読者や作者の現実)でおきたISO14001の妄信というか誤謬の泥沼につかることは、日本産業の大きなマイナスだ。
日本産業のマイナスなんていうと大げさと思うかもしれない。だが200名規模の企業でひとりのISO専任者を置くことはコストが0.5%アップすることなのだ。無用な人を充てたと言われると困るが
そのためには敵(認証機関)が、ナンセンス、愚かなことを言い出したら、即座にその誤りを指摘して、撤回させなければならない。そのために他社からの参加メンバーに、規格の理解を周知徹底することが必要だろう。
自分は業界では無名だし社内の地位も高くないから、論理的に説明するだけでなく後ろ盾となるような権威を見つけることも必要だ。
どんなことが問題なのかと問われるか?
某認証機関が唱えてメジャーになったスコアリング法はその最たるもの……つまりくだらなく、役に立たず、意味のない方法だと佐川は考えている。認証機関や審査員のお遊びに付き合ってはいられないのだ。
考えた人を断罪したい。断罪って斬首のことだよ
前世では業界団体の勉強会で、ISO14001規格要求についての対応を検討していたが、審査が始まったとたんに、全部審査員に否定されてしまったと聞く。それも根拠なく否定され、それを企業側が唯々諾々としてしまったのはまずい。
注:露骨には言えないが、私はそういう情報が入る部署にいた。
人間は神の前において平等であるという。それが真実か否かは知らないが、ISO規格の前では、審査員も審査を受けるものも対等であることは真実である。
だが当時は審査員側にも企業側にも、審査員側が上位であるという認識があったからだ。
上位と思われたのは、それは審査員側が企業側より情報を持っていたこと、審査員を含めて認証機関の人たちが、業界傘下企業の環境管理の先輩や上司だったことがあると思われる。
同時に認定機関などが認証機関を取り締まる力がなかった、知識がなかったことではないだろうか。
またISOTC委員も規格は作っても、実際の方法を知らないこともあった。
証拠を上げろと言われるかもしれない。
一例を挙げるなら、審査前に審査員は、審査の判断に異議があれば申し立てることができると説明しなければならないことになっている。
私の知る限り、JQAはしっかり説明していたが、他の多くの認証機関は、オープニングの際のOHPに下に小さい文字で書いてある程度で、声に出して説明したのを聞いたことがない。
OHPはパッパッとめくって終わりで、プリントして配ってもいない。
これは単なるポカミスではない。審査員には誤謬がないという根拠なき自惚れである。
もっと挙げようか?
とりあえずの対策として、業界の環境ISO検討会のメンバーに、ISO規格の前では、審査員も審査を受けるものも対等であると認識させたい。
そして方法論にはすべて論理的な裏付けが必要だという認識を持たせたい。その理屈の前には審査員とか企業側という立場の違いは無関係と言うことだ。
認証機関が権威というなら、対抗できる権威を担ぎ上げることも必要だ。他の認証機関、特にイギリスのBS7750を経験している審査員の、講演や討論会などを開催することも必要だ。
これには業界傘下の企業は業界設立の認証機関を使うという前提をどうするかだ。場合によっては、無償でなく謝礼を払っても良いのではないか。
注:ISO認証が始まった頃は、認証機関の宣伝の意味もあり、無償のことが多かった。当然、業界設立の認証機関に審査を依頼すると分かっていれば、無償で講演はしてくれない。
私の勤め先は外資系でISO9001の認証を受けていたので、複数の外資系認証機関のISO14001の説明会を聞きに行ってスコアリング法の問題などを聞いた。彼らはISO9001の鞍替えをしないだろうと思ったのだろう。認証機関の鞍替えが一般的になったのは2000年以降だと思う。
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某外資系認証機関のボス デイブ・ハワード氏 |
となるととりあえずデイブは確保だな。おっと、デイブは震災を生きのびたのだろうか?
(佐川は山口からデイブが元気とは聞いてなかった)
佐川は考える。
吉井部長はイギリスの拠点事務所にいた。彼にISO審査員の知り合いはいないだろうか? いや彼自身BS7750に詳しくないだろうか?
大震災以降、山口は業務繁忙である。
それは佐川が山口に教えながらする方法から、目的と手順の概要を教えたらひとりでやらせるようにしたからだ。
それは佐川の手抜きともいえるが、山口がワンランク成長したからともいえる。
山口は文句を言わず、佐川の言ったことを実行していく。
まずは工場の状況調査だ。
ISOの関西地区の工場7つに対して、阪神淡路大震災による被害状況、既に認証を受けている工場は次回審査を受けることの可否、問題などの調査、これから受審する工場には準備状況の、スケジュール変更の要否などである。
注:当時、維持審査は半年毎が基本であった。審査を終えてホッとすると次回の審査という感じだった。
審査で問題なくても、工場幹部のスケジュールを抑えたり生産機種の調整をしてもらうとか、面倒は多かった。
山口は、事業本部の人たちが工場に調査に行った話とか、人事や総務などは電話で問い合わせなどをしているのを見聞きしている。
その結果、連絡がついても目の前の問題対処に精いっぱいであり、向うが一段落したら連絡してもらうと話をつけるのが精いっぱいのようだ。
工場とのやり取りをオーバーヒアリングしていると、工場にISOの認証どうしますなどと電話で切る聞ける雰囲気ではない。
それでも震災から翌々日から山口は動き出した。兵庫工場は一昨年に認証を受けてから(第40話)、既に維持審査を4回も受けている。それに震源から50キロほど離れているので、問題ないだろうと気安く電話した。
誰でも取り掛かるのは簡単なことから始めるものだ。美味しいものと難しい仕事は最後に取っておくことに決まっている。
「ハイ、兵庫工場品質保証課の小林です。おお! 山口さん、お久しぶりです」
「神戸に大地震がありましたよね。お宅は震源近くだから、大丈夫かと思いまして」
「それはわざわざ……このあたりは震度4でしたね。揺れはしましたが、たまげるほどではなかったです。幸い被害は積んでいた材料とか梱包箱が崩れたとか、照明器具が揺れて何個囲われた程度です。
それでも配線が心配でしたので、導通や接触抵抗などを点検しました。まあ大丈夫でした。
このあたりは海から10キロは離れていますし、埋め立てとか土盛りとかしたところじゃありません。地盤はしっかりしています」
「それは良かったです。
ISO審査を受けることに支障はないですか……」
「ウチは昨年末に維持審査をしましたので、次は6月です。問題はありません」
兵庫工場は問題ないのは分かった。被害の大きかった永田地区から距離は同じでも、東は遠くまで被害が大きく、西側は揺れも小さかった。神戸も大阪も沖積平野
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いくつか工場を聞いて三重工場の番になった。
問い合わせると、三重県は震度3〜4であったこと、工場は多少揺れた程度で問題ない。
審査については、初回審査は先月12月に実施して、不適合なくOKとなった。
ところが一昨日の地震からB○○社と連絡がつかない。なんとか早く審査登録証が欲しい、何とかならんかと向うから相談された。
佐川さんが言っていた通りだ。なら指示された通りに動けばよいはずだ。
山口はB○○社の横浜事務所へ電話をかけた。
「□□社の生産技術部の山口と申します。営業担当の方をお願いします」
「営業の原木と申します。どんなご用件でしょう」
「弊社の三重工場の審査を御社に願いしまして、先月末に審査を行いました。おかげさまで審査で不適合はなく合格しました。
この度の大地震で御社の神戸事務所と連絡が付きません。神戸事務所の状況はいかがなものでしょうか?」
「御心配いただきありがとうございます。実を申しまして、事務所が所在したビルは壊滅したようです。まあ賃貸ビルなのですがね。幸い始業開始前で、出勤していた社員はおりません。
日本のゼネラルマネージャーのハワードとは連絡がつき、彼と家族は無事とのことです。彼の住まいは神戸じゃなくて芦屋市なので、だいぶ離れています。
現在は、彼が弊社の審査員たちが無事だったかどうかの確認中です」
「ハワードさんとはデイブさんのことですね、お会いしたことがあります。
非常時にこんなことをお願いするのは非常識かもしれませんが、審査を受けた三重工場は、ビジネスで認証を受けたことを示す必要があるそうです。
それで審査登録証を出してほしいというお願いです」
「なるほど、おっしゃることは分かりました。審査契約をしたのは神戸事務所です。それで御社の三重工場についての情報は全くこちらにはなく、情報を入手しようにも神戸事務所の事務方に聞かないと分かりません。
データは紙じゃなくて電子化しているとは思いますが、社外のサーバーに保管していたのかどうかも分かりません」
「正式な審査登録証でなくても、御社が認証したことの記述と責任者がサインした書面とか、頂けないものでしょうか?」
「なるほど、そういう手があるかもしれませんね。とはいっても御社の三重工場を審査したことさえ、こちらでは把握していません」
「ハワードさんは管理者でしょうから、審査したことと審査合格したことをご存じでしょうから、そのような書面を作成していただけないですかね?」
「なるほど、ハワードには連絡が付きますが、彼も従業員の状況確認などを優先していると思いますので、少々時間をいただけますか。
三重工場はいつ頃までに必要なのでしょう?」
「客先提出が30日までとのことでした」
「今日は18日、すぐに当たりましょう。明後日の朝までお時間ください」
山口は日付を鯖読みしたが、言っては見るものだ。
あとは明後日の朝まで待つしかない。
午後になると、別の認証機関から審査員のご家庭が被災したために、工場の審査日程の調整要請があった。
工場に聞くと了解とのことで、その旨伝達する。
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佐川は山口の仕事ぶりをちらちら眺めて、よくやっていると思う。
まあ大学院でマスターになって、会社員を4年もしていれば、できなくちゃおかしいのだが。
地震から三日目、19日(木)になると、だんだんと状況が分かってきた。
神戸工場は地震で大破し、火災が発生したものの、早期に鎮火できたそうだ。始業前で構内にいた、ガードマンと試験の夜勤者は皆無事。大阪地区の他の工場は小破で火災発生はなかった。
ただ従業員は自宅で被災した人が多く、本人とご家族に犠牲者が複数出たらしい。
労働組合がボランティアを募って神戸地区に行くという。カンパも回ってきた。
山口が佐川のところに来て小声で話す。
「私の同期が2名ボランティアに行くというのですが、私も行った方が良いですかね?」
「ボランティアに行くのは立派だが、ここで頑張るのも大事なことだ。
ボランティア活動も訓練を受けてなくちゃ役に立たないよ。それに寒い中、暖房もないようなところで寝起きして頑張れるかい? 体が丈夫でないとかえって迷惑をかける。
そういうことを含めて、大丈夫と思ったら行きなさい。山口さんの仕事は私が引き継ぐよ」
山口は結局行かなかった。
阪神淡路大震災のとき組合が募集して、ボランティアに行った同僚がいた。
寝泊まりするところが、風呂なく、暖房もなく、辛かった。瓦礫の撤去とか手伝ったが、お役に立てたかどうか自信がないと言っていた。
それから15年後、東日本大震災のとき、別の会社であったが、個人の伝手でボランティアに行った同僚がいた。どんなことをしているのかと聞いたら、ボランティアの人を現場に送る送迎車の運転とか、避難所の雑用と言っていた。
彼は、ボランティアに行って開眼したらしく、現地に移り住んでボランティアすると言って早期退職した。周りは驚いたが、ガンバレと送り出した。
その後は噂も聞いたことがない。今も東北に住んでいるのかもしれない。
災害は被災者の人生を大きく変えるが、その他の人たちの人生をも大きく変える。ボランティアのために早期退職した人にも奥さん、子供さんもいるわけで、そういう人たちの人生も大きく変わったと思う。
金曜日朝、B○○社の原木部長から、山口に電話があった。
山口が出ると三重工場の件で、ハワードに伝えたが結局、神戸事務所が壊滅だし、横浜事務所には三重工場の資料はなく、責任者のレターでは意味がないという。
そこまで聞いてダメかと思ったら、イギリスの本社で発行してもらうとのこと。認証の契約をするとその写を本社に送るので、それをもとに本社が作成して送るという。しかしイギリス本社では和文の審査登録証は作れないので、英文だけとのこと。
山口はそのほうが有難味があるだろうとOKした。
審査登録証だけでなく、認証機関のロゴマークの清刷り
日程的には十分間に合うと言われた。
山口は佐川が言った通りに進んでいるとしか思えない。
佐川は預言者なのか、すべてを知っているのか、どうなんだろう?
その後、山口が佐川のところに来て話す。
「佐川さん、三重工場の審査登録証は、イギリスのB○○社の本社で作成して、日本に送ってもらうことになりました。
今月中に届くとのことで、三重工場の希望は叶います」
「それは良かった。山口さんの努力の成果だ」
「いえいえ、佐川さんの指導良かったからです。
それにしても、まさに佐川さんがおっしゃった通りになりました。佐川さんが、発生する障害まで読んでいたのかと驚きます」
「それは偶然だよ。」
本日の裏付け
書いていることは思い付きとか、ネットや新聞で読んだことではない。みな自分が体験したことばかりである。
私がISO認証に関わっている間に、大地震は二度、阪神淡路大震災と東日本大震災が起きた。
最初は工場の担当者で、自分の工場の審査の都合の対処だけだったが、東日本大震災ではヘッドクォターにいたので、工場が何カ所も壊滅状態になり、工場に代わって認証機関との交渉窓口をした。
壊滅した工場がどの認証機関と契約しているかは本社が把握しているから、その認証機関に工場には直接連絡を取らないこと、用があれば本社に連絡してほしいと正式に通知をした。
認証機関が、それを履行してくれれば良いのがが、それも徹底できないようだ。
すぐに工場の担当者から電話がきた。彼が言うには工場が崩壊して、どうするか業者を呼んで現場で検討しているとき、崩壊した事務所の中で電話が鳴った。何事かと瓦礫をどかして受話器を取ったら……
審査員
「お宅の工場のISO審査は2月下旬ですが、審査できますか?」
と言われたという。
![]() | 電話してくんな ![]() |
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来月の審査できますか?![]() |
東日本大震災の被災地にある工場が、地震発生後ひと月で審査を受けられると思うなら、想像力の欠如だ。
ところでその審査員は、交通機関はどうするつもりだったのだろう。歩いてか?自転車か?
工場の建屋は一部を除いて全壊、ペチャンコだ。テレビ見ていれば、被害地域がどんな状況か分かるだろう。
彼は、皆、必死の思いで仕事をしている。そういった話は本社で対応してほしいと怒りを抑えた口調で言う。
せめて、まずは状況確認とか、お見舞いの言葉もないのか!と。
その工場の担当者はまだ30前の若者だったが、常識はある。
私も切ない思いだった。本社として大変申し訳ない。
私がすぐ、その認証機関に「フザケルナー」と電話した。
審査契約しているのは工場ではあるが、工場が地震で電話対応もできない状態であれば、本社が工場の代わりに窓口になる旨を認証機関に通知するのはおかしくないだろう。
そして、その通知を受けたなら、認証機関は社員にその旨を周知徹底しないと困る。
認証機関の窓口でなく、担当の審査員が地震直後の工場に「審査できますか?」と電話するのも、どうなのだ?
被災地では、右往左往しているのは推察できるだろう。
そして認証機関の、管理というか体制もおかしい。平常時であろうと、認証機関の窓口は営業ではないのか?
私のすぐにカッカする性格は反省する。だが非常時には優先順序があることは理解してほしい。そして非常事態が発生した組織だけでなく、それと関わる組織も、非常事態対応の体制、対応を取るべきだろう。
それはISO規格要求とかでなく、事業継続としては当たり前のことだ。
事業継続とは被災した工場のことでなく、認証事業を継続するために気を使わなくちゃならないってことだ。無様なことをしていると、転注されるぞ。
テレビが写している情景はやらせではない。被災地にカレーライスを食べに行くような人は要らない。
たまたまであるが、数日前の夜、夕飯が済んだ頃、私の住むマンションの電気設備が故障した。
全部ではなくマンションの施設関係の系統だった。だから各家庭の100Vは給電されているのだが、エレベーターが動かないのはもちろん、上水を各戸に送るポンプが動かない。
現在はアパートやマンションで屋上に水タンクを置く建物(貯水槽水道方式)はほとんどない。多くの自治体が衛生上の観点から、蛇口に直接圧送する直結給水方式を推奨している
下水は重力で流れるからOKかというとそうではない。汚水槽から市の下水道管にポンプアップしなければならないので、ポンプが止まれば溢れる。
風呂水を流すな、トイレをペットボトルなどの水で流すなという放送があった。
エコキュートにはタンクから非常時に水を出す蛇口があるのだが、出した水を流せないなら使えない。
風呂もダメ、トイレもダメ、炊事もダメ、ついでにテレビもインターネットもマンションの受信装置経由だからすべて断。
わずか一晩のことだったが、能登半島の人たちの苦労を実感した。
文明なんてうぬぼれているが、まさにダモクレスの剣の下での暮らしである。
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注1 |
沖積平野とは沖積世(1万年前から現在まで)に河川によって運ばれた砂や小石などが堆積してできた平野を言う。まだ地盤が新しく軟弱で地盤沈下、液状化などしやすい。 日本の大都市である、東京、名古屋、大阪はいずれも沖積平野の上だ。 ![]() 古事記を読むと、物語の始まりのほうは大阪は潟湖であったように描写されている。たかだか2000年前だ。その潟湖が砂で埋まって大阪が存在している。 ![]() 蛇足だが、千葉県船橋市は江戸時代は湾だったそうだ。江戸時代末期から埋め立てしてできたのが船橋の土地だ。だから東日本大震災のときは液状化の被害がひどかった。地形など100年も経つとドンドンと変わる。 ![]() | |
注2 |
デジタル化した今では見たこともないだろうけど、昔はマークとかロゴを印刷するとき、デザイナーが作成した厚めの紙にマークを描いた清刷りというものを渡され、それをコピーして使った。![]() | |
注3 |
マンションの給水方法![]() |
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