注1:この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但しISO規格の解釈と引用文献や法令名とその内容はすべて事実です。
注2:タイムスリップISOとは
注3:このお話は何年にも渡るために、分かりにくいかと年表を作りました。
承前
未来プロジェクトの会合の翌日午前、人事部次長を浅川が訪ねた。
下山次長は、一瞬また苦情を言われるのかと嫌気したが、もちろん感情を露わにしては、いやいやそんな感情を持つこと自体、人事屋には向かない。
「浅川さん、どうかしましたか?」
「昨日の定時後、佐川君を誘って飲みに行きました」
「ほう会議の席では、彼は浅川さんのお気に召さなかったようでしたが?」
「彼の語ることには納得いかなかったけど、彼の人柄が気になりましてね。まあ、軽く飲んでお話を聞いたのです。
彼が知っている未来を聞かせてもらいました。思い付きとかではないのは分かりました。いろいろ質問してみましたが、ものすごく設定を考えていなければ即座に出てこないようなことを、タイムラグなしに返してきました。
少なくてもデタラメではない。本当に未来の記憶があるのか、それとも予めものすごく詳細な設定を考えて物語を話しているか、どちらかでしょうね」
「私も同じことを考えました。妄想だけでは一貫性のある破綻のない物語を語ることはできないでしょうね」
「そして東日本大震災の話になりました」
「東日本大震災のことは私も聞きました(第71話)。原発が水素爆発して放射性物質が大量に放出されたと」
「原発のある大熊町は私の出身地なのです。話を聞くほどにウソとは思えません。妄想なら、あれほど事細かく考えているとは思えません」
「そして浅川さんは佐川を信じたわけですか?」
「そう言われるとイエスともノウとも言い難い。今も判断はつきかねます。
ただ彼が言うには、事故後の調査で、防波堤が津波を止めていたら、あるいは補助電源が高台にあれば、原発はメルトダウンしなかったそうです。原発は地震には耐えたのです。
彼に防波堤の整備を政府や東電に要求できないかと言ったら、要求するだけの証拠がないと言う。
で、私は思いました。未来プロジェクトの一テーマでも良いから、防波堤を追加または補強をさせる方法を検討をしたい。そしてもちろん実行したい。
彼の予言が当たればそれは役立つだろうし、予言が外れ地震が起きない、あるいは原発に異常がなければ、それこそハッピーだ。
ということでプロジェクトマネジャーをお引き受けします」
「分かりました。東日本大震災は2011年だそうですね。あと15年後か……ずいぶんと遠いようですが、過ぎてみれば一瞬でしょうね」
「それ以外にも、いろいろな事件や災害が起きるのでしょうが、それはプロジェクト本チャンでお楽しみです。
今、彼は必死に前世の経験を思いだして年表を作っているそうです」
数日後、佐川に吉井部長から話があった。
浅川さんがプロジェクトマネジャーを引き受けたこと、正式に未来プロジェクトは発足したこと。
辞令は7月1日付けで出ること。佐川はプロジェクトでも辞令が出ると初めて知った。当初のメンバーはマネジャーを含めて7名、マネジャーを除いて全員兼務、
9月末までに未来に起きるイベントとそれに対する当社の対応の提言を1件まとめること。
その評価によって継続するか解散するかを決めること。
「了解しました。
山口さんはメンバーに入らなかったのですか?」
「私がメンバーに入れないことにした。
彼も君からいろいろ学んだだろう。ISO14001の認証指導を普通に考えれば、もう彼一人でやれなくてはまずい。それで君は形は兼務だが実質的に専任として、未来プロジェクトを頑張ってほしい」
「グループ企業内の環境遵法監査制度の確立はどうしますか?」
「それも合わせて山口だな。マスターで30近い者が、一人で処理できない仕事ではないだろう」
「まっ、おっしゃる通りです」
「君もISOがあるなどと、未来プロジェクトから逃げずに、ちゃんと成果を出せ。
浅川、佐川のふたりが専任で成果が出なくちゃおかしいからな」
1996年7月1日月曜日。人事部に呼ばれ辞令を受けたのは7名だった。
人事部内のプロジェクトということで、上司は人事部次長、メンバーはマネジャーの浅川以下7名である。
毎週2日半日集まって討議するとある。とりあえず初日の今日は1日フルタイムである。
御尊顔 | 御芳名 | 出身 | 状況 | |
![]() | 浅川四郎 | 54歳 | 営業部 | 役職定年前に役職を解かれ、出向かと思っていたら、バブル崩壊で出向先もない状況。 なんとか未来プロジェクトを形にして、最後を飾りたいと考えている。 |
![]() | 佐川真一 | 45歳 | 常に自分はモブでいたいと期待するが、なぜかどこに行っても中心人物になってしまうという不運 | |
![]() | 伊達隼人 | 44歳 | 技術 | 技術で一番暇だと思われたのか、上司から未来プロジェクト参加を申し渡された。本当に未来が分かっているなら、何か開発設計に使えるものがないかと期待 |
![]() | 本宮洋子 | 38歳 | 総務 | きわめて几帳面。ふざける人が嫌い。 未来プロジェクトなんてまるっきりお遊びじゃないの? |
![]() | 相馬次郎 | 38歳 | 生産技術 | 自動機などのアイデアはもう出尽くしたと思っている。あとはいかに組み合わせるか、最新の技術を使って安くできないかだと考えている。未来プロジェクトが参考になると良いな |
![]() | 29歳 | 広報 | 真面目に仕事をするが、自由奔放なところがある。 未来ねえ〜(笑) |
|
![]() | 矢吹五郎 | 28歳 | 営業 | 入社6年目。最近営業もマンネリを感じている。上司もそれを見ていて、未来プロジェクトでリハビリして来いと言われた。 |
どういうフィルターで集めたのか、男4名、女2名、技術、総務、生産技術、広報、営業とバラバラである。人事部次長の話では、プロジェクトの成果が見られ、必要なら今後、財務、特許担当、その他必要な人を補充するという。
辞令を受け人事部次長の話を聞いてから会議室フロアのひとつの中会議室が未来プロジェクト専用となった。浅川と佐川は専任だから元の部署での机がなくなり、ここが本拠となる。他のメンバーは個人の机はなく部屋の半分を占める大きな会議机に座るしかない。
全員着席すると浅川が話をする。
「皆さんようこそ、何をするのか分からないプロジェクトですが、まず今回は顔合わせと守秘契約をしてもらいます」
「守秘契約? 普通のプロジェクトでは聞きませんね。とんでもない機密でもありますか?」
「この部屋で聞いた話は部屋から出て口外しないという約束です。プロジェクトメンバー同士でも、室外ではここでの話題をしないようお願いします。
もちろん同意できないとおっしゃるのもかまいません。ただ納得できなければ残念ながらプロジェクト解任です」
「まさか犯罪とかではないのでしょう」
「日本の法律は守りますよ。その他、公序良俗も、
検討することを外に知られては困るということです」
「OK、OK、サインしますよ」
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全員のサインが済むと、浅川が話を始める。
「未来プロジェクトとは文字通り、未来がどうなるかを説明しますから、それに対し変える必要があるのか、変えれば良い変化があるのか、その方法、効果を議論するものです」
「へえ〜、ということは、未来を知っているということですか?」
「SFというかオカルトかな?」
「ここにいる佐川君が未来、今後25年間どうなるかを知っている。彼がいつどんなことが起きるかを説明するから、その中で、何を変えるべきか否か、変えるにはどうすべきかを考えていきたい。
今日はさわりだけ佐川君から話してもらう」
「ウチの会社も、占いとかオカルトに頼るようになったのか、などと嘆かないでください。
まず私は未来の記憶があります。高卒で入社して今年27年目、45歳になります。私は1997年に社内イジメにあい退職して転職、その後いろいろあり2022年まで生きまして、突然2年前に1994年に戻りました」
「アハハハ、何その出来の悪いライトノベルは?」
「笑われても結構です。ですが、これも仕事なのでお付き合いください。
若くなった私は、前回の経験を生かして、私をイジメていた人を懲らしめ、当時社内で怪我した人が再び怪我するのを救い、お金儲けを聞かれたので覚えていることを教え、転職しないで仕事していると言ったら信用してもらえますか」
「証拠はありますか?」
「あります。しかし具体的な関係者のお名前は言えません。
ちなみに為替相場の変動を教えた人は、それで儲けています」
「佐川君、今日はとりあえず1996年に起きる出来事を話してくれないか」
「はい、1996年7月以降に起きる今年の出来事ですが……
おっと、メモすることはありません。お配りします」
佐川はA4で1枚物を一番近くの人に渡して、1枚ずつとって次の人に渡してもらう。
「それじゃ上から読み上げて軽く説明しますね」
1996年7月〜12月発生の事件、事故、イベントなど
|
「今年の後半は、こんなものですかな。
ここで考えてほしいのは、私が語ったことが当たるかどうかを考えることはありません。すべて当たります。
皆さんに期待するというか考えてもらいたいことは、私が申した未来予測のいずれでも良いですが、その出来事を防ぐとかより良くするには、どうしたら良いのか? ビジネスに活用できないか、その効果はいかほど期待できるのかを考えるということです」
「野茂のノーヒットノーランなんて、止めたりする意味ないよね?」
「そうですね。その場合はその試合の日時まで分かっていれば、ツアーを企画すれば大儲けできると思いませんか? そんなふうにビジネスのネタにするのを考えましょう。
他方、雌阿寒岳噴火ならどうしますかね?
旅行に行くなと騒ぐと営業妨害と言われそうです」
「パチンコ店で行方不明になった女の子なら注意して看ていれば防げるかもしれない」
「我々があるいは会社として、そういうことをすべきかどうかとなりますが?」
「あなたは怪我をする人を救ったと言ったわね。それと同じじゃないかしら」
「私は社内で怪我をする人が出ないようにしました。会社と関係ないことで、はるか群馬県まで行って、子供が迷子にならないように見守るのはどうかなと思います」
「まあまあ、佐川君、価値観の入るところはオイオイ考えるとして、今日は自由に意見を出してもらおうよ」
「ペルーの日本大使館に、テロがあるかもしれないと電報を打つとかはどうでしょう?」
「それこそテロの陽動作戦とか受け取られ、発信者が疑われるのではないですか?」
「じゃあ、何もしないほうが良いの?」
「先ほどの繰り返しだが、ブレーンストーミングのように言いたい放題で良いよ。
とにかく言いたいことはだ、佐川君が神様ってわけじゃないが、彼の予言は正しいものとして、どんなことをすればどのように変わるか、我々にとってどのように変えるのが良いかを考えたいということだ」
「どんなアイデアでも良いですか?」
「良いとも」
「ニュースや殺人事件が起きる前に警察に通報はできませんが、マスコミに通報するのは小銭稼ぎになりますよね。安部元学長逮捕とか、ノーヒットノーラン達成、噴火、そういうのを1日前でもニュースとして売れませんか」
「スポーツ紙になら間違いなく売れるね。でも特ダネを連発し続ければ、警察が張り込むかな?」
「そういう俗っぽいので良いなら思いつきそう……
有森さんが3位確実なら、応援に行く人が増えるかもしれない。
さっきの野茂のノーヒットノーランツアーと同じく、記録発生をその場で見られるレアなツアーになりますね」
「ナホトカ号ですか、その事故は防げないとして、漂着場所とかを指示して回収作業の効率化は測れませんかね」
「良いね、良いね。そういったことを上げてもらい、良いアイデアを見つけて効果を含めてまとめていこうと考えている」
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終業時刻の20分ほど前にまとめに入る。
「今日はみなさん和気あいあいとなって、とてもうれしく思います。懸念していたのは、オカルト的なプロジェクトと思われて、総すかんになるかと思っていました。
ええと、新組織発足ということで、6時からこの場で懇親会を持ちます。何分、機密厳守でして、その辺の居酒屋ではまずいのでこの部屋で行います。この部屋なら何を語っても大丈夫です。
今5時20分前です。一旦皆さんの職場に戻って片付けて来て頂きたいと思います。
6時10分前に、地下の居酒屋から飲み物とオードブルが運ばれますので、誰かが早めに来て受け取ってサインをお願いします。
それから人事部次長と他に庶務事項を担当してくれる総務部、何か実行するときの力が必要となったとき、支援してくれる生産技術部、環境部の方からも参加します。
ではよろしくお願いします」
プロジェクト発足のパーティーはそれなりに楽しかった。
佐川はメンバー全員と話してみたが、過去の実績とか希望したとかでなく、皆自分の未来のビジョンを持っていること、それを公言していることが共通だった。ほとんどの人は自分の将来がどうなりたいと夢を持つ。だがそれを公言している人は少ない。
公言することに意味があるのかと言えば大いにある。人に言わなければ誰も、その人の夢を知らない。
だが一旦口外してしまえば皆の知るところとなり、それに向かって努力しないと口だけと言われる。堂々と口外し努力する人はそれだけで価値があるのだ。
来てくれた幹部とも話をする。
吉井部長はプロジェクトの成果を大いに期待していると語る。だがご本人が夢多き人で、彼の語るのがどの程度の本気なのか判断が難しい。
総務部長と生技部長は、それぞれ中山さんと高見さんに言われたからというのが9割である。無事にプロジェクトが終了してくれることを願っているようだ。
下山次長は掴みどころがない。社内トラブルの予防ができたらというが、残念ながら佐川は1997年までしか在社していないから、その後の社内のトラブルや紛争は知らないのだ。
佐川の知らないところでも、いろいろな人の間で話がされている。
「吉井は佐川が気に入って引っ張ったようだが、もう要らなくなったのか?」
「いやいや、彼は未来の知識を持つことを除いても、有能かつ勤勉だ。価値ある人間であることに変わりはない。
ただまもなく登場する環境ISOも若い山口が対応できる見込みが付いた。
これ以上ルーティンワークに縛り付けておくこともないだろうと思ってね」
「だんだんと佐川の秘密が暴露されてきた気がするが、君はだいぶ前から気が付いていたのか?」
「環境部が発足したのは1994年、今から2年前だった。あちこちから人を集めたが、多くはそれまで環境に関わる仕事をしていた連中だったが、彼は品質保証からだったから、よそ者と思われたんだろうな。
環境部発足のパーティー、まさに今日と同じ場で、彼は新しい職場の同僚たちから質問攻めにあった(第46話)。
地球温暖化を知っているか、オゾンホールを知っているか、まあ、値踏みというか試験というか、あるいはイジメかもしれんな」
「環境担当と言えば意識高いと思われるが、人間は皆似たようなものか?」
「マウントを取るという奴だね、だが驚いたことに、いかなる質問を投げられても佐川は質問を裁いたばかりでなく、質問者を裁いてしまったよ」
「どういうこと?」
「質問者が不勉強であることを暴露してしまった。オゾンホールがどうなるか質問されると、外国の何という研究者がどういう論文を書いている。それを読めというように切り返した。誰も彼に歯が立たなかった」
「ある意味嫌みだな」
「いやいや、相手が切りかかってきたのだから、それを返り討ちしただけだよ。
そのとき脇で聞いていればすごい知識を持っていると思った。
今考えるとそういう知識は、時代がほんの数年経つことでインターネットが普及して、知ろうとさえすれば一般人でもアクセスできると気が付く」
「ほんの数年で時代が変わってきたと言うことか?」
「そうだ。windows95のおかげだ。インターネット時代には、常に勉強そして情報収集に励まないと会社の仕事に付いていけないね」
「なるほど以前は専門家だけが知りうる情報が、ネット時代は誰でもアクセスできるか……」
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「浅川さん、このプロジェクトでは、どのような成果を出せるとお考えですか?」
「非常に難しいと思いますね」
「成果を出すことは難しいですか?」
「いや、未来に起きることを考慮して投資や開発の選択をすれば、それだけで一定の成果、つまりリスク低減とか費用削減といったものは得られると思います。
問題は外部にも社内に対しても、その意思決定に未来の情報を活用したことを、秘密にしておくことは困難ではないでしょうか。となると他社がそれを解明しようとして探ってくるでしょうね。
それと根本的な問題ですが、一旦問題が起きないよう動いたとき、次の分岐での選択はまったくの未知な状態になることです。その意味で未来の情報を活用できるのは、1度限りなのかもしれません」
本日の疑問
未来に問題が起きると知ったとき、問題が起きない選択肢があれば、それを選ぶのはありがちだろう。あるいは問題が起きてから、被害を最小化する手を打ったにしても、それからの未来は既に変わってしまっている。
そうすると対処する前に持っていた未来の情報は、無意味になるのではなかろうか?
福島第一で津波対策として防潮堤を大幅改善して事故が起きなかったとき、日本の原発拡大の方向は変わらないだろう。その結果、その後より大きな地震とかテロ攻撃によって原発の破壊などが起きて、大災害につながるかもしれない。
もちろん起きないかもしれない。
いずれにしても、未来を知ったなら問題はすべて解決とは言い切れない。
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