注1:この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但しISO規格の解釈と引用文献や法令名とその内容はすべて事実です。
ご注意ですが、法令は物語の時点を記しており、その後、改正があって現時点と異なるものがあります。
注2:ISO昔話とは
1992年12月下旬 某日
佐藤マシニング(有)の社長宅、夫妻は夜7時のニュースを見ながら夕食である。
社長は奥さんに任せているISO9000認証が、進んでいないようで気が気でない。他方、奥さんは、現在の会社は問題だらけでISOどころじゃないと案じている。
メインを終えてデザートに、真紀子製のイチジクのコンポートを出す。10月頃に作って冷凍しておくと長期保管ができる。
もっとも二人ともこれが大好きだから、暮れまで残ることはめったにない。
「あなた、ISOの準備をしていると、いろいろ心配事が見つかるのよ」
「心配事って何だ。俺はISOが認証できるかどうかが心配だ」
「まず現場用図というのですか、それは客先からの図面を基に、ウチの加工工程に展開しているわけですよね」
「ああ、そうだ。お前もそういうことに関心を持ってくれたとは嬉しいよ」
「うれしいより心配なことがあります。
吉永さんから言われたのですが、図面を現場用図に展開しているつもりでも、吉永さんが描いた後に、数字とか公差が朱記訂正されているものが1割くらいあるそうです」
「朱記訂正? ああ、あれは心配ない。客先から組み合わさる相手方の加工が間違えたので、それに対処して寸法を調整してほしいと言われたものだ」
「ならば、それは一時のものなのでしょう。聞くと一度修正すると、それ以降はその寸法をずっと継続して加工しているそうですよ」
「ああ、そういうものもある。電話で受けて大至急寸法を変更してくれと言われて、その後、図面変更が来ないものもあるな。
大丈夫、相手の指示を書いたメモを残している」
「本当に大丈夫ですか?」
「心配ない、心配ない、そういうことは多々ある。
心配事はそれだけか?」
「先月にシスター向けの部品番号SS877を、SS887と間違えて納入したというのがありました」
「あったなあ~。原因は伝票の読み違いだった。旋盤の武藤君が、自分の車で代替品を客先の工場まで運んでくれて助かった。物が小さいから良かったなあ」
「ふた月前ですが、ヒュー・パック向けで、図面変更があって、吉永さんが現場用図を改定したのです。しかし工場長が改定版を差し替えず、作業者が前の現場用図で加工したというのがありました」
「そんなこともあったな。あのときは幸い毎日、巡回点検している吉永君が見つけてくれて早期に対策できて良かった」
「でも損失は材料代8万円、加工賃は作業者一人とNC機械1日分が無駄になりました」
「まあ、その損失は全体から見て大きな問題ではない。安心しなさい」
真紀子は少しも安心できなかった。
12月暮れ、今日は高原さんが来る今年最後の日だ。
いつもの部屋で、高原さんに対して、真紀子、吉永、山田の三人が打ち合わせている。
突然、社長が入って来る。顔色が悪い。
「会議中すまない、吉永君、ヒュー・パック社向けプリンターのメカのピンだが・・・あのピンが全数、図面寸法を外れているというんだ。
何か心当たりあるか?」
「ひとつ気になっていたことがあります。現場用図に朱記訂正がありましたので、どうしてなのかと不思議に思っていました。
もしかしたら、それかもしれません」
「朱記訂正? 君が修正したのではないのか?」
「いえ、全く心当たりありません。ええとうろ覚えですが、10月頃の日付で先方要求によるとありましたね」
「それじゃ俺か! 10月頃というと、二月前、二月前か・・・、ちょっと待てよ」
社長は事務所の方に走っていく。
「すみません、トラブル発生のようです。いったん休憩しましょう。
高原さん、すみませんが一段落するまでお待ちいただけますか」
「あ、もちろんです。奥様も吉永さんも対応しないとならないでしょうから、どうぞそちらを優先してください。
私は山田さんと伝票関係の規定のチェックをしております」
真紀子と吉永は頭を下げて社長の後を追う。
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・
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事務所である。
社長が大きめのシステム手帳を必死でめくっている。
注:システム手帳と言っても、今は知らない人が多いだろう。20世紀末は、システム手帳とはできるビジネスマンの小道具だった。
20世紀末のこの時代は、流行していたと思ってくれたら良い。
なお、システム手帳とは日本語で、英語ではPersonal organizerといい、直訳すると「個人の情報管理するもの」という意味。
しかしその後IT化が進んで、スケジュール管理は個人だけでなく、職場単位となり、情報の共有化も進んだ。
スマホは賢い電話の意味で、電話そのものであり、eメールも打てる。もちろん電話帳もメールアドレス帳も具備している。システム手帳でできることはすべてスマホでできる。
更にクラウドの進化により、スマホ、会社のPC、自宅のPC、すべてで情報の共有ができ、それだけでなく文書作成からデータ処理までどこでもできる。
こうなるとシステム手帳が生息できるハビタットがない。システム手帳は今でもあるが、ビジネスを仕切る立ち位置からは滑り落ち、個人の趣味として生き残っているようだ。異議のある方も、文房具店の現況を見れば納得するはず。
「書き込みのある現場用図を持ってきました。日付は10月7日ですね、社長の字で『ヒュー・パック 技術 松岡氏からピン径公差g6からf6に変更指示』とあります」
社長は吉永から現場用図をひったくる。
「10月7日だな・・・(システム手帳をめくる)・・・あった、あった、
ええと、まずヒュー・パック購買の山本さんから、10月9日納品のピンの径寸法を変えることができるかと問い合わせがあり、その後、設計の松岡さんから寸法を変えないが寸法公差をg6からf6
寸法公差というけど、gからfにしたということは、明らかに仕様変更だな」
「向こうが指示した証拠は、あなたのノートだけですか?
そのあと変更連絡書とか図面変更とかなかったの?」
「うーん、記憶にない。吉永君、思い当たることはないか?」
「私はそれにタッチしてません。私も数日前にISO対応で現場用図を現場で調べていて気づいたのです」
「ということは、それっきりにしてしまったのか」
「ふた月前というと、その部品はその後、数回納入していますね。
今まで問題はなかったのでしょうか?」
「向こうに問い合わせてみよう」
社長はすぐに受話器を取る。
「こちらは佐藤マシニングの佐藤ですが、検査課の松田課長さんをお願いします。
あっ、佐藤課長さんですか、先ほどの件ですが、二月前の10月7日に、御社の購買の山本さんから寸法を変更する旨、連絡がありその後、設計の松岡さんから寸法を変更すると指示されました。
その後、ふた月間、指示された寸法で加工して納めています。
えっ、指示ですか? 超特急ということで電話連絡だけです。
お宅の山本さんと松岡さんに確認してください。よろしくお願いします」
電話を切って社長が奥さんと吉永さんに話す。
「ヒュー・パック内では、こちらに変更を指示したという話はないという。どういうことだろう」
「となると、全数不良でこちらの責ということなの?」
「ま、そうらしい」
「私はタッチしてませんから、事実かどうか分かりません。最終的には社長が証拠を出せるかどうかでしょうね」
「電話連絡後に図面改定とか、不良対策で寸法を現物合わせするとかの書類をもらわなかったことが問題だな。
こういうことは毎度のことなので、いつもの感じで対応したのが間違いだった。
これは、そうとうな損失になるな?」
「材料費、加工費は分かりますが、ヒュー・パックでの手待ち時間とか機会損失まで請求が来たらウチは倒産ですね」
注:納入品によって客先に被害を出した場合、納入代金より多くの損害賠償請求されることもある(民法第416条)。
だから普通は納入金額の何倍までとか、間接損害は除くと契約に記すことが多い。
「うーん。こちらにあるのは電話連絡を受けたメモだけだ。もちろん私が書いたもので、向うがそんな事実はないと言ったらそれまでだな」
「ヒュー・パックの工場なら、車で1時間半でしょう。行ってみなさいよ。
ここで考えてもどうしようもないわ。
こちらの証拠品として、あなたのシステム手帳と修正した現場用図を持っていけば良いでしょう」
「分かった。今すぐ出かける。帰りは夕方だな」
「社長、運転には気を付けてくださいよ。気もそぞろですと・・・」
「それが心配ね。吉永さん、あなたが運転してくれたらいいじゃない。どうせ今日はもう仕事にならないでしょう」
「ISOの方はどうします?」
「山田さんと私で話を聞いておくわ」
「工場の現場にはこのことを言わないで欲しい。工場長にも伝えんでいい」
「じゃ、社長出掛けましょう」
社長と吉永を見送ってから、真紀子は高原と山田のところに戻る。
「聞いて良いなら何が起きたのか教えてもらえますか?」
真紀子の話を聞いて、高原はうんうんとうなずく。
「ISO規格に『4.3 契約内容の見直し』という項目がありますね」
「はあ~、契約ですか?」
「契約内容の見直しとは契約書の見直しではありません。契約を達成できるかの確認のことです。
もちろん達成できないなら受注しないとか、できるように手を打つことになります」
「それがこの問題と関係ありますか?」
「そのものズバリですよ。
ええと規格で書いていることは、客から注文が入ったなら、それを受ける前に、納期、品質、個数などを満たすことが出来るかどうか検討しなさいということです」
「ええと今回の場合、どういう関係が?」
「一旦注文を受けていて、その修正というか変更があったわけですね。
であれば、その変更に対応できるかどうかの検討も必要ですが、その変更が正式なものかどうかも確認しておかないとなりません」
注:実を言ってISO9001の1987年版の「契約内容の見直し」では、修正の場合の検討と、客先との合意確認については明記されていない。 1994年改定版の「契約内容の確認」で、そこが追記された。
しかしなんだね、「contract review」の原文は変わっていないが、日本語訳は1987年の「契約内容の見直し」から1994年に「契約内容の確認」と変わったが、それにどんな意味があったのか? 30年経っても分からない。単に言葉遊びをしただけか?
「ああ、そういうことですか。つまり客先から変更の指示があったとき、それが客先の正式な申し入れであることを確認しなければならないのですね。
もちろんウチがそれに対応できるかの検討もしなければならないけれど、対応しなければならないのが普通のことです」
「確かに客先が『変更する』と言ってきたら、対応せざるを得ないでしょうね。
つまり向こうが言ったという事実を立証できれば、寸法が違う問題の責は客先にあるでしょうね
客先が弊社ではありませんので、余計なことは言えませんが」
「そうなって欲しいですが、相手がどう出るのか?
でも、高原さん、社長の話では相手も急いでいたようで、向うの責任者の押印のある文書を、持ってくるわけにもいかないでしょう」
「いかなる場合でも、お宅は防衛しないといけません。先方から要件と日付と署名のある書きものを、取っておけば裁判でも負けないでしょう。
そのために電話だけでなく、購買担当者や設計の担当者に『間違いがないように紙に書いてFAXしてください。それから作業に入ります』くらいは言えるでしょう」
「なるほど、これはISO認証と無関係に業務手順に盛り込む必要がありますね」
「もちろんです。社長がどういう交渉をしているのか、気になりますね」
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山田さん |
「契約内容の見直しも問題ですが、現場用図の多くに、現場での朱記修正があるということも問題ですね」
「もちろん問題です。それについては『4.5 文書管理』の項目が該当します」
「そう言われてみると、ISO規格って細かく厳密ですね」
「現実に文書管理の項目にあることを、どこの会社もしているのかしら?
例えば現場の人が、現場用図をなくしちゃったからコピーしてくださいって来ますよね。私は仕事が止まってはいけないと思って、コピーして渡しています。
あれはいけないですか?」
「それこそISOの文書管理に書いてあります。いや、ISOなど関係なくダメですよ。
まず、コピー配布された現場用図を改定するとき、コピーされたものを朱記訂正することを、会社のルールで認めることはできます」
「ああ~、それは良かった」
「しかし、ISO規格にも書いてありますが、発行時と同じ検認ルートを通らないとなりません
ええと、そうしますと今現場で社長が書き換えたというのはNGですね。
前回、吉永さんは自分が作成して、工場長が検印すると言いました。ならば朱記修正も吉永さんがして、工場長がそこに確認サインをしなければなりません。
社長であろうと、そのルートにない人が変更する権限はありません。社長ができることは、吉永さんや工場長がそれを拒否したなら、二人を更迭することだけです」
「それでは現状では、いずれにしてもNGということですね」
「その通り。
それと先ほどの山田さんの質問ですが、もし無制限にコピーして渡したらどうなりますか?
何枚もあって、その中には朱記訂正のあるものもないものもありという状況では、混乱以外の何ものでもありません。
原紙も修正されていれば良いですが、原紙が改定されてなければ、追加された朱記訂正をどうしましょう?」
「それは問題ですね~」
「でも正式に渡した現場用図と、あとで山田さんに頼んでコピーした現場用図を区別することはできませんよ」
「多くの会社では日付のある発行印を押します。そして発行印のない図面や規則は効力がないと決めています」
92.12.20 図庫 |
私は悪くない(笑) |
「効力がないとは、どういうことですか?」
「製作や発注に使えないということです。見積など参考にだけ使える意味です」
「確かに発行印がなければ正規なものでなく参考用であるのは分かりますね。でも正規な図面すべてに発行印を押すのも大変です」
「先日来たとき吉永さんは新製品が出たとき描く現場用図は十数枚と言ってました(第10話)。それくらいなら簡単でしょう。
普通の会社では新製品が出れば数百枚の図面を発行しますよ。もちろんそのときはあちこちの職場から庶務の人を借りてきて大仕事ですがね
「それもすぐに検討します。その前に現場での朱記訂正をどうにかしないと・・・」
「ISO規格を見ると面倒くさいとか繫文縟礼と思うことが多いですが、すべて先人の失敗の反省ですよ。
もちろんすべてを取り入れることはなく、当社は無関係というのは除外しても良いでしょうけど」
「文書管理で分からない要求事項があります。文書管理の項目の最後の文章『4.5.2相当回数の変更が行われた後には、文書を再発行する』、これはどういう意味ですか?」
英語原文は下記
Documents shall be re-issued after practical number of changes have been made.
「ほんの20年前まで、コピーするというのは大変なことでした。ISOでいうドキュメント、会社規則とか図面などの文書ですね。それらに改定があっても新しくコピーして配布することは大仕事でした。もちろんお金もかかります。
そのため図面管理部門が、配布先に出掛けて手書きで朱記訂正するのが普通だったのです」
「あっ、それ知ってます。どこの会社でもしていたのですね。
山田さんは若いから知らないでしょうけど、会社規則を改定すると配布先に『会社規則の何々の第何条を、次のように朱記訂正すること。実施後、総務部担当に報告すること』なんて通知が来たものよ」
「奥さんは私と同じ年代ですか。1975年頃までそういうことがありましたね。奥さんの会社は、図面管理部門の仕事を各部門にさせていたわけですね。
ジアゾコピーは臭いもあり、水にぬれると色が飛びました。ゼロックスはその点良かったですが、今度はコピー代金が嵩んでジアゾを使い続けましたね」
「するとウチの現場で朱記訂正するというのも、あながちダメということでもないのですか?」
「ダメではないですが、運用ルールをしっかりしておかないといけません。
現場で好き勝手にするのはダメです」
17時少し前に高原さんの指導は終わった。彼はここから電車を乗り継いで群馬県まで帰る。通勤者が乗る前だからと言うが混雑は大変だろう。
ヒュー・パック社に行った社長からの連絡はまだない。真紀子は気がもめるが連絡を取る手段はない。
この時代、まだ携帯電話やPHSは広まっていない。携帯電話を持っている人は、金持ち、企業の幹部、やーさん位だった。
当時私が行っていた囲碁クラブで、携帯電話を持っていたのは、自営の保険業の人と、無職の人のふたりだった。無職の人を、皆が、やーさんじゃないかと噂していた。
携帯電話が広まったのはの買い取り制度になった1994年以降、PHSが開始されたのは1995年である。急速に普及し始めたのは1996年頃からである。
でも当時の通話料は高く、一般人は買えなかった。私が持っていないのを見て、娘が気を使って買ってくれたのは2000年頃だったと思う。
真紀子は、今日の高原の言葉が腹に落ちた。ISO規格とは生半可なものではなかったのだ。過去の失敗を再発させないように作られたものなのだ。つまり過去の失敗の集大成である。
今まさにウチが直面している問題と原因はその中に見出せる。
ということはISO認証すれば失敗はなくなるのだろうか?
いや、違うと真紀子は思う。
過去を反省して失敗の起きない会社がISO認証できるのだろう。
逆は真ならず、ISO認証が失敗を防止するのか否かは何とも言えないのだ。
本日の独り言
このような失敗が起きたとしても、ISO認証と結びつけて考えた人は少ないだろう。
ISO認証がいかなる価値があるか考えた人はわずかで、ビジネスのために認証しようした、いや認証しなければならなかった会社がほとんどだった。
道交法だって運転免許を取るために学び覚えるのであって、事故を起こさないためという人は少ないんじゃないかな?
そして注意してほしいことは、ISO規格を満たすこととISO認証は意味が違うのだ。
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