注1:この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但しISO規格の解釈と引用文献や法令名とその内容はすべて事実です。
ご注意ですが、法令は物語の時点を記しており、その後、改正があって現時点と異なるものがあります。
注2:タイムスリップISOとは
注3:このお話は何年にも渡るために、分かりにくいかと年表を作りました。
2005年も災害は、佐川が語った通り発生している。だが、この世界? 時代? では、予定して待ち構えているから泡を食うこともない。
事業継続プランとは一般形であり、状況に応じてそれを変形あるいは応用しなければならないようだ。だが佐川の記憶によって、具体的なことに手を打っているので「大変だ!」という事態は起きない。
3月の福岡西方沖地震は予定通り起きたが、避難の徹底を図り、死者は皆無だった。
森官房長官が災害予知について語ることの信用は大幅に上がったし、今村博士とドクター・マジックもますます名を上げた。
| 私は予言です | 私は予知です | |
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そういえば餅搗元記者はいまどこだろう?
餅搗が森官房長官に食って掛かって(第184話)からまだ半年だが、餅搗は既に忘れられていた。
3月末のスマトラ沖地震は日本の警告をインドネシア政府が国内に周知し対策した。またインド洋を囲む国々も国民に注意喚起した。
本当を言えば、津波対策もしようない国々が多く、当日は海岸に行くな、高いところに留まれという他に取れる対策はないのだ。
そのおかげで、前の歴史では死者1,000名だったが、この歴史では死者を一桁に押さえた。
4月の中国の反日デモは前の歴史通りに発生し、多数の日系の商店・工場の破壊・略奪が起きた。
日本政府は中国の語ることは理屈に合わないとコメントも出さず無視したために、中国は噛みつくこともならず尻つぼみになってしまった。
中国の息がかかったマスコミも、中国は安全とかスバラシイとは言えない雰囲気だ。マスコミ報道は、中国への観光旅行は今後ますます危険になりそうで、出掛けないようにという方向になっていく。
日本国内で政府批判は起きていない。日本国民には「中国は相手にすべきでない」という思いが広まっている。以前から食品は購入が避けられていたが、中国のデモ騒ぎ以降は、衣類やおもちゃでも買わないという行動が強まっている。
結局、中国政府の空振り、そして自分で躓いたという感じだ。
6月には日韓首脳会議がもたれた。しかし佐川の予知を聞いていた大泉首相は、妥協はしないと覚悟を決めていたから、日本の見解を相手に合わせることなく、何の成果もなく決裂して終わった。
ふたつの国の歴史認識が水と油で、合意どころか両国の隙間はますます離れていく。そもそも韓国は事実認識がおかしいし、無礼極まる。日本海を東海というなら、日本では西海と呼ばねばなるまい。
会議後に大泉首相は、教科書や竹島問題が解決しなければ、今後韓国との協力関係を見直さざるを得ないとコメントを出す。
それを受けて、韓国大統領は経済協力や通貨防衛
韓国はアメリカに泣きつき、アメリカ大統領は大泉首相に韓国への経済支援を要請するが、大泉首相はG7へ参加を希望している大国 韓国が支援を必要かと反論して、それきりになる。
アメリカも自分が金を出す気はない。
7月に千葉県北東部に震度5強の地震があったが、これも今村博士とドクター・マジックが予言しており、人的被害はなく、問題なく収まった。
今や二人の地震予知は天気予報よりも信頼され、地震が起きると名指しされた自治体は、対応するのが当たり前になっている。
当初は地震が起きると言われた県知事の中には、名誉棄損だとか風説の流布だとか騒ぐ人もいた。
ドクター・マジックはすぐさま声明を出す。
「地震が起きる県の名を出したことは謝罪する。そして自今以後、〇〇県については地震の予言をしない」と語った。
それを聞いた県民は知事のリコール騒ぎとなった。一般人は県の名誉なんて考えもしない、我が身の安全が第一だ。
知事は謝罪したものの、マスコミより怖い選挙民、結局は辞任した。
そんなこんなで、今はより詳細な情報をドクター・マジックに求める知事はいても、名誉棄損とか法廷闘争などという人はいなくなった。
またリベラル政党の議員が「災害が起きてもいないのに、自衛隊が街にいるのは気に食わない」と発言した。
これもあっという間にまな板に載せられた。その議員は、反省、謝罪と小出しにしたが、これも結局、辞任に追い込まれた。
そういえば「自衛隊は貧乏人の子女が行くところ」と語った国会議員がいたが、あれはどうなったのだろう?
某日、官房長官の定例会見である。某記者が質問する。
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「最近、発生している地震について、官房長官が地震発生の警報を出してないのはなぜか?」
「日々の天気予報を官房長官が警報もコメントも出さない。しかし台風とか干ばつなど異常なことについては発言している。
それと同じく、大地震であれば政府として注意喚起をするが、小規模な地震まではタッチしない」
その発言にマスコミも国民も納得してしまうのである。
2005年9月、M研メンバーが揃って、東日本大震災対策の進捗状況を確認に行く。
いつものメンバーの他に各議員は秘書を連れてきたし、それに国交省、総務省、内閣官房からも参加者があり、警備を入れると総勢30人弱である。マイクロバス2台と乗用車数台のキャラバンだ。
まずは千葉県旭市である。
多くの資料では、東日本大震災の津波被害の最南端は、旭市となっている。距離的には東京都か船橋市の方が、震源からは遠くで津波の被害を受けている。
それは緯度では旭市が一番南だからだろうか? それとも旭市の被害の方がひどいからなのだろうか?
九十九里の海岸線にそって、幅15キロ、海岸線から1.5キロ以上、高さ2m以上の津波が押し寄せたのだからすごい
50cmの津波は更に奥まで到達している。30センチの津波が来たら、立っている人は足を取られて倒れてしまうという。一度倒れてしまえば、後は激流に押し流されるだけだ。
多くの対策は津波高さ2mの地域に対して行われている。50センチのところは大丈夫なのか?
今現在、避難タワーを建設しているが、間隔は狭いところで300m、広いところでは1キロもある。避難タワーの中間にいた人は、どちらかに辿りつけるのか不安を感じる。
注:Google mapで九十九里浜を開いて「津波避難タワー」といれて検索すると10数か所表示される。
ストリートビューでクリックするといろいろな形の津波避難施設が見える。
例1 匝瑳市,例2 九十九里町
東日本大震災では地震発生後、2時間30分から2時間40分後に津波が来た。その佐川の情報から場所や数を設定したのだろうが、地震はいつどこで起きるか分からない。
一行の多くは不安に思った。佐川も自信はない。
茨城県東海村の東海第二原発である。
ここも東日本大震災で非常用発電機が故障した。幸い問題は起きなかったが、津波対策の強化を行っている。
茨城県は太平洋に面する全市町村が津波の被害を受けた
九十九里浜に20近く津波避難タワーがあるのに、茨城県では1か所しか作っていない。
どうしてなのか? 後で確認しておかねばならない。
注:これにはチャンと理由がある。
九十九里浜は、約60kmにわたって砂浜が続き、陸地も海抜の低い平地が続いているため、遠くまで逃げなければならないという事情がある。
それで多数の津波避難タワーが作られた。
茨城県は海岸近くに広い平野がなく、海岸からすぐに海岸段丘の崖や台地がある。
それで高台への避難を主としている。
福島県も茨城県同様に海岸近くに山地が近く逃げ場所があること。更に震災後、住宅地を高台に移転するという策を取った。
北上して福島県である。
ここも県の太平洋の海岸線ほとんどで津波被害があった
いわきに薄磯海岸という海水浴場がある
海岸に広い砂浜があり、高くなったところに防潮堤があり、その後ろが一段下って民宿が並んでいた。
子供たちが中学生になってからは夏休みが忙しくなり、それ以降行ったことはない。
東日本大震災の後に、Google mapで見ると、民宿が並んでいたあたりは、きれいさっぱり何もなくなっていた。
薄磯海岸は、いわき市内で最大の被害を受けた地区だ。高さ8.5mの津波が押し寄せ、集落の家屋はほとんど流出した。死者は122名でた。
2026年現在復興したようだが、Google mapで見ると海岸近くは数軒あるだけで、多くは200mほど海岸から離れて建てられている。
民宿なんて小学前の子供が浮き輪を持って海岸まで走っていけるところでないと楽しみ半減だろうとは思う。これも仕方ないのだろう。
原発は二つあり、福島第二と第一である。いずれも津波を受けて損傷した。
メルトダウンして水素爆発したのは福島第一である。
福島原発第一と第二の、防潮堤と非常用電源工事の視察である。
防潮堤はまだ基礎段階で万里の長城は完成していないが、現場の責任者の話では2006年一杯におおむね完了するという話だ。
まず工事関係者は、大地震が起きること、今までの防潮堤では津波に越えられてしまうこと、それによって非常用電源が使えなくなりメルトダウンを起こしてしまう。その後処理が20兆円もかかること、そういうことを知らされている。
だから管理者から作業者に至るまで、仕事の重要性を認識している。まさにISOの「aware」はしっかりされていた。
それから更に東北地方の太平洋沿岸を北上していく。
最初に仙台空港である。見渡す限り平坦な土地が広がる。海岸に沿って流れる川の自然堤防なのだろうか、高さ2mほどの土手を除けば、海岸から海抜2mもない平坦な土地が海岸から5km離れている常磐線まで広がっている。
記録によると津波は海岸から5.5キロ内陸まで到達し、仙台空港付近では津波高さは14mだったと言われる
今、見渡せる範囲はすべて津波に洗われてきれいさっぱりなくなるのだろう。
ここは佐藤議員の選挙区である。是が非でも地震を悲劇にしてはならないと決心しているのだろう、口を一文字に結んでいる。
「佐藤先生、そう深刻にならないでください。我々は今、悲劇をなくすために動いているのですから」
「破壊したところの復興を見るのは良くありますが、これから破壊される風景を見る経験は初めてです」
「確かに、いつも見ている風景は明日もあるだろうと思っている。これが壊れる・なくなると思ってみることはないからね」
「皆が3年かけてやって来た。そしてまだ5年ある。成果を出して後悔しないようにやろう」
私の息子は仙台空港の海側で働いていた。勤め先が時間外無給のブラック企業だった。
時間外が付かなかったことは関係ないだろうが、休みのない連勤のせいで、息子は体を壊し入院しそこを退職した。
息子は175センチ、体重100キロ、病気知らずだったから、労働条件がひどかったのは間違いない。大変心配した。
その後、病気から回復して千葉に戻り仕事を見つけた。東日本大震災の2年ほど前のことだ。
毎年311が来るたびに、家内は息子が病気にならなかったら死んでいたと話す。まさにブラック企業が幸か不幸か悩むところだ。あるいは禍福は糾える縄なのかもしれない。
現地確認したわけではないが、地図を見ると今その会社はない。BCMがなかったのだろうか? とはいえ幹部から一般社員まで多くが死亡したなら、BCMなど作っても意味がない
千葉から青森まで北上して、地震で大きな被害を受けた場所や施設を点検した。東日本大震災対応は着々と進んでいるのが分かる。
佐川はいよいよ身の振り方を決める時が来たようだ。
いろいろ考えて、まずは出向元でどう考えているのか確認しよう。
吉宗機械の吉井部長に電話をすると、なんと既に吉井部長は子会社に転籍して、そこの社長をしていた。まあ3年も過ぎたのだからそれも当然か。
それではと名前を聞いた現在の環境部長に「経緯があって森官房長官の私設秘書に出向している者だが今後について相談したい」とメールを出す。
翌日返事が来たがその内容は、佐川の扱いは環境部でなく人事部の下山取締役に相談してくれという。
そして既に人事部長との面会のアポイントを取ったのでよろしくとある。
へぇ、あの下山氏が人事部長だって! 人事部長となれば執行役兼取締役が充て職になるはずだ。偉くなったものだと佐川は驚いた。
注:指名委員会等設置会社
日本の多くの指名委員会等設置会社では社長、財務、人事の執行役は取締役を兼務している。
指定された日に吉宗機械の人事部を訪ねる。
下山は相も変らぬ態度だ。こんなふうにいつも鷹揚な人間が偉くなるのかなと佐川は思い、それじゃ、自分は無理だなと笑う。
「やあ、久しぶりだね。2年になるかな」
「3年になります。さっそくですが、私のこれからについて相談したい。本来なら環境部の部長に話をするところですが、なぜか取締役を相手に話せと言われました」
「佐川君のように部長級を相手に、部長が対応するのは失礼と思いましてね。
ええと君は今年・・・56歳か、確かに今年度中に決めないとならないか。
内閣官房の方は、もう帰って良いというか、帰ってもらいたいということですかね?」
「いえ、まだそこまで話はしていません。基本的にこちらに籍がありますので、吉宗機械の考えを聞いて先方と話そうと思っています。
それとも下山さんが交渉したほうが良いのかもしれません。この出向は当時、人事から言われたことですし・・・
経緯はご存じと思いますが、改めて説明しますと、基本的に東日本大震災対応の情報提供という理由で出向しました。それから3年、震災対応は策を練り既に実施段階に入りまして、もはや私がいる必要はないと考えております。
それと私は正確には行政機関への出向ではなく、森官房長官の私設秘書に出向なのです。私の賃金は100%当社持ちなので、先方が出向を受け入れているわけです。向こうが私の賃金を払うなら返すのは明白です。
ということでウチの定年になってから、嘱託になっても出向するというのはありえないでしょう。
私個人としては、定年で仕事を止めては食うに困ります。それで65歳まで働きたい。関連会社で品質保証のお仕事があればぜひと思っております。
とはいえ何年も実務から離れていた人を、引き取る関連会社もないでしょう。そのために当社で2・3年、まあ、リハビリをさせて頂き、その間に関連会社にあたりたいと思います。引き取ってくれる会社はあると期待します」
「佐川君の賃金は100%こちら持ちか。出向でなく転籍はできないか?」
「国会議員の私設秘書
私に本当の予知能力があればともかく、一度人生を送ってその記憶があるだけです。その記憶も、既に2022年までの出来事は搾り取ったでしょうから、先方にとってはこれから先、雇用するメリットはないでしょう。
関連会社に出向するとしても、前職が議員秘書では芳しくないでしょう。一度本社の品質保証部とか環境部に戻り、数年その仕事をして、社内外に顔を売っておく必要があると思います」
「分かった、分かった。
そもそも君の希望は、どんなことをしたいのかな?
関連会社出向ばかりでなく、部長室とか事業本部でスタッフをするというのもある。部長級とか事業所長級で嘱託を続けている方は多いよ」
「おっしゃることは分かりますが、お情けの仕事をするのも辛いでしょう。
自分が貢献できると自信がある仕事をしたいです」
「BCM、事業継続マネジメントというのかな、今度そういうものが登場するそうだが、そういったものの認証を担当しますか?」
「それは今日・明日の話ではありません。規格が形になるのは・・・そうですね、あと数年、2010年以降でしょう。それでは私の定年を過ぎてしまいます。
それと細かいことですが、BCMは今までのISO9001とか14001のように、大化けはしません。登場は華々しくても、認証件数は伸びません。日本全体で100件も認証しないでおしまいです。
そもそも認証ビジネスそのものが2020年には寿命が尽きます」
「未来を知っている君が言うならそうなのだろう。しかし、そうなら当社はBCMの認証は予定から落とそう」
「下山さん、BCMの認証は無用ですが、BCMの考えは必要ですよ」
「そうか、それはともかく、今、君の雇用者は・・・ええと誰なんだ?」
「森官房長官です」
「官房長官が相手では直接 話せないな。誰と話せばよいのかな?」
「明文化されていませんが、直属上長は危機管理監の山田さんですね」
「山田? どんな方ですか?」
「前の警視総監です」
「ああ、危機管理監というと事務次官かその次か、皆大物だなあ~」
「下山さんは日本の売上トップ50社の取締役じゃないですか。対等ですよ」
「分かりました。内閣官房の考えを確認し、先方が雇用できない場合は、当社でポストを用意しましょう」
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佐川が去ってから下山はしばし考える。
下山は佐川があまり好きではない。人間を好き嫌いするのは人事屋としてはいけないことだが、感情はどうしようもない。
何が嫌いかというと、佐川は四角四面、真面目過ぎるのだ。世の中、酸いも甘いも飲み込めないのは大成しない。
人事部長 下山 |
と思いつつ、それは昔の価値観だと思い直す。
奴がいたから会社に巣くう悪を退治したこともある(第37話)。もちろんそれは氷山の一角ではあったが、一罰百戒の効果はあった。
また奴のおかげで会社は大きな損を出さず、いや大儲けできたことは何度もある。
不祥事を事前に防止できたことも片手ではきかない(第117話)。
考えると奴の功績は大きい。なにもせずとも65歳まで給与を払っても損はないのだ。
と思っていて、また思い出した。
奴はその能力で、為替、株その他で、副業というか内職で大儲けしているじゃないか!
となると定年後の暮らし云々は冗談かよ、今すぐ退職しても、悠々自適じゃないか。こちらは何も気を使うこともなさそうだ。そう思うと下山は苦笑する。
ともかく奴は会社に貢献したことは間違いない。下山が知っているだけで数百億は会社に貢献している(第88話)。
退職金はルールの倍くらいは渡さんといかんな。現ナマでなく株を渡す手もあるか・・・
本日の予告
いよいよ佐川の終活(就活?)であります。
どうなるでしょう?
たぶん、いや当然、ハッピーエンドだと思いますよ。
だって東日本大震災は「大」が取れるかもしれませんし、佐川の人生は(私と違って)幸せいっぱいですよ。
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「身の振り方」はNo.1がないのにNo.2なのはなぜですか? |
お便りありがとうございます。 実は1年近く前、116話で「身の振り方1」というのを書いているのです。 あとでそれに気が付きまして2としました。 あのときはこれでお話はお終い!と思っていたのですが、ズルズルと来てしまいました。 年寄りの見苦しい姿であります。 |
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