イラク攻撃に反対します(その5)

サンデー毎日2003年4月6日号より
DU=劣化ウラン
(その1) (その2) (その3) (その4) (その5)
劣化ウラン弾廃絶!(→劣化ウラン(DU)とは)
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(28) いいがかりの連続

時期をまてばイラクの状況もよくなるだろうから焦らないほうがいい、というひとがいます。
この一瞬一瞬はすでに過去になっていて、その過去をとりもどすことは不可能だということを私たちは知っています。
こうなる前にやっておけばよかったな、と思うときにはすでに遅いのです。
このままじっと待っていてイラクの状況がよくなるだろう、と思えるほうが不思議です。
イラクどころか周りの国の状況ももっと悪くなるのを待つ、というふうにしかわたしには思えません。

思い出してみてください。9.11事件をバネにして、「長い戦争になる」とブッシュ大統領が言ったことを。 「オサマ・ビン・ラディンをだせ。ださなければ、攻撃する。」とアメリカが言った時、アメリカを信じている楽天的なひとたちは、
「まさかアメリカがそんなにひどいことはしないだろう」とおもったことでしょう。
実際攻撃が始まると、「ターリバン政権が悪いのだから、まあ仕方がない。」と人殺しが悪いとわかっていながら無理やり自分を納得させたのではなかったですか?


今回のイラクにしても、イラクが査察を受け入れひたすら忍耐していたとき、世論の反対も多いし国連も認めないほどの悪いことをまさかアメリカはしないだろう。
今度はアメリカは断念するだろう、と思ったひとは多かったのではないでしょうか?
でも、「大量破壊兵器を持っているから、攻撃するのだ。」と。
結果は今わたしたちの目の前にある通りです。そして、始めてしまったのだからしかたがない...と。

「アフガニスタンのこどもたちを殺さないで!」とついこのあいだ叫んでいた私は、今は「イラクのこどもたちを殺さないで!」と叫んでいます。

大量破壊兵器が見つからないので、今度は、「シリアがイラク政府の要人をかくまっている。大量破壊兵器も運びこまれたのだ。生化学兵器も持っている。」と難癖をつけはじめています。

そして、その次は...叫ぶ国名はどんどんかわっていきます。理由は滅茶苦茶です。

過去のアメリカの武力行使をすべてをあげていけば、それだけでもう書くスペースはなくなります。


3月26日付けのメッセージで、私は「イラクのひとたちは、あなたがたのペット以下なのですか?」と書きました。
確かにアメリカにとって、意思をもつ人間はペットより都合の悪い存在なのでしょう。
日本のように資源など無い国は、おとなしく従順に言うことをきいていれば、つぶされはしないかもしれません。でも、わかりません。

大きく腕力のある乱暴な子が、腕力のない子にめちゃめちゃな暴力をふるっていたら、そばで「すごい、かっこいい」と言って強い子を褒め称えましょう、というような教育をわたしたちは子どもたちにしているのですね。
「いじめをなくしましょう。ひとに親切にしましょう。」といいながら「これはたてまえというものです。もっとずるがしこくなりましょう」とこどもたちに大声で言っているようなものです。
いや、やりたい放題するためには、腕っぷしを強くすれば良いのだということをアメリカは示し、日本政府はそれを称えているのです。

政治のことは、私たちの生活のレベルでの話ではないから・・なんて言っていられますか?
私は母親として、自分の娘にそのような教育を絶対にしたくありません。

2003.04.16 ヤスミン植月千春

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(29) 略奪の真相は?

バグダッドでの略奪にアメリカも手をやいている。略奪を米軍が阻止できなかった事実は重い。大方のメディアはこんな論調です。

びっくりするでしょうが、真相は以下に添付したグローバル・ピース・キャンペーンからの転送記事の中にあると思います。
少し長いですが、最後まで読んでください。

アメリカはなんでもやるだろうとは思っていましたが、これほどまでにイラクの人々の身も心もずたずたにしているのです。

そして日本ではメディアの報道を鵜呑みにしている人たちが、このごろ「イラクのニュースが少なくなったわね。だいぶ落ちついてきたのかしら、良かったね。」などと言っているのを聞いて身体が震えてくるのを感じます。

ことばに尽くせないほどにひどい目に合わせた人たちを、さらに、メディアの嘘で何重にも辱める。
それが、石油省の建物だけはがっちり守っている「民主主義国家アメリカ」のやりかたです。

「ブッシュ米大統領は16日、イラクに対して国連が科している経済制裁について、「イラクが解放された今、国連は経済制裁を解除すべきだ」と述べた。」ということです。
当然解除すべきですが、これまで12年間制裁で民衆をとことん痛めつけてきて、自分の統治下になったら歓迎してもらうために解除しろというのです。そもそも、アメリカが国連にさせた制裁です。さも自分のせいでないような言い方は、傲岸不遜としか言えません。

アメリカのいうことを楽天的に信じている人たち、目をさましてください!
本当のことを知らないでいるうちに、いつのまにか加害者にされてしまっていいのですか?

2003.04.17 ヤスミン植月千春
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■バグダッド略奪は米軍が引き起こした■
TUP速報から(※TUP=平和のための緊急翻訳チーム Translators United for Peace)

オリー・ローゼンボーグ
4月11日、ダゲン・ニエター紙(スウェーデン)

カリード・バヨミは、アメリカ軍指揮官が、「我々にはバグダッドの略奪を阻止する手だてがなくて困っている」とテレビで不平をもらすのを見てびっくりした。

「私は、米軍部隊がイラク人たちに略奪に走るよう仕向けている現場に、たまたま居合わせたのです」

カリード・バヨミは「人間の盾」になるため、ヨーロッパからバグダッドに向かい、現地に到着したその日に戦争が始まった。彼は戦争体験だけでも多くの証言ができるが、最も興味深いのは、略奪勃発現場での目撃体験についてだろう。

「私は、チグリス川西岸ハイファ大通りのちょっと向こうの貧民街近くにある友人に会いに行っていました。それは4月8日のことで、戦闘があまりにも激しくなり、川向こうに戻れなくなりました。

午後になると戦闘が止んでまったく静かになり、そこへ4台のアメリカ軍戦車が貧民街の境に移動しました。米兵はハイファ大通りの向こう側にある自治体行政府ビルの門前に立っていたスーダン人警備員二人を撃ち殺し、行政府ビルの扉を粉々に破壊しました。その後、戦車の中から貧民街に隠れている人々に向かって、アラビア語で、近くまで来るように熱心に誘う声が聞こえてきたのです。

午前中いっぱいは、大通りを横切ろうとする者は誰でもみな撃ち殺されていたのに、米軍の通訳は、今度は近くに寄るように誘うのです。銃撃戦も終わり、何とも言いようのない静けさがしばらく続きましたが、家々に隠れている人々はその誘いに、徐々に好奇心を持ち始めたのでしょう。

45分後には、最初のバグダッド市民が思いきって家から出てきました。すると、戦車に乗っているアラビア語通訳は、近くに寄ってきた市民たちに、行政府ビルの中に入っていって、何でも好きな物を手当たり次第に持ち出してもいいぞと奨励したのです。

この指図はあっというまに広まり、ビルの中のすべての物が奪い去られました。警備員が米兵に撃ち殺されたとき、私はその300メートル側に立っていたので、状況をはっきりと目撃できました。その後、米戦車は近くにある法務省ビルの入口を破壊し、そこでもまた略奪が引き続きおこなわれたのです。

私は大勢の見物人たちの中に立ち、この略奪劇を一緒に見ました。見物していた群衆は、略奪には参加しなかったけれど、それを止めようともしませんでした。
多くの人々の目には、恥の涙があふれていました。

翌朝、略奪の波は、400メートル向こうにある現代美術館にまで広がっていきました。そこでもまた2種類の群衆がいました。略奪にせいをだす人々と、それをむかつきながら見物する人々です」

「バヨミさん、ではあなたは、アメリカ軍部隊が略奪の口火を切ったと言うのですね?」

「まったくそのとおりです。喜びにあふれたバグダッド市民が路上でお祝いする場面が見つからないものだから、米軍にとっては別な形で、市民がサダムを憎んでいたという証拠の映像を流す必要があったのです」

「でもバヨミさん、バグダッド市民は、サダムの大きな銅像を引き倒したじゃあないですか?」

「あれを、本当にバグダッド市民が自発的にやったと思っているんですか?銅像を引き倒したのはアメリカ軍の戦車です。それも、報道陣が宿泊しているホテルのすぐ側でです。

あの銅像引き倒しがあったのは、4月9日なのですが、それまで私は誰一人としてサダムの肖像を壊しているのを見たことがありません。もし人々がサダムの銅像を引き倒したいのなら、米軍戦車の助けなんか借りないで簡単に倒せる小さなやつから始めるわけじゃあないですか。

もしバグダッド市民が政治的な暴動を起こしたかったのなら、まずは銅像を引き倒して、その後に略奪が始まったはずです」

「でもまあ、サダムがいなくなって、よかったじゃあないですか?」

「サダムは消えてはいませんよ。彼は自分の軍隊を、ごく小さな部隊に小分けしたのです。だから、大きな戦闘が起こらなかったわけです。公式発表では、サダムは1992年にすでに大部隊を解散させています。彼はそれに並行して、イラクでは圧倒的な決定権を有する部族機構を再編しました。

アメリカがこの侵略戦争を始めたとき、サダムは国家組織を完全に放棄しました。
そして今は、部族機構に頼っているのです。だから、彼は戦わずして大都市を捨てたわけです。

イラクを統治する政治組織が壊滅した今となっては、アメリカはすべてを自分たちでやらざるをえなくなっています。国外から送られてきたイラク人の二人は、あっというまに殺されました。
(二人とは、デンマークから帰国したナザル・アル・カズラジ将軍と、シテ回教徒指導者のアブドル・マジド・アルコエイ師を意味する)

彼らはアメリカの傀儡として送り込まれたとみなされ、激怒したナジャフの群衆によりナイフと刀でずたずたに切り裂かれてしまいました。

オランダの新聞、BT紙によると、アル・カズラジ将軍はCIAによりデンマークからイラクに送られたそうです。

イラクでは今、いつまで居座るか分からない占領軍が駐留しています。米軍は民主選挙の期日も、市政統治計画もまだ発表してはいません。こんな状態では、想像できないくらいの混乱が起こる恐れがあるのです」

                         (翻訳・パンタ笛吹)

このインタビューは、ストックホルムに本拠を置くスウェーデン最大の新聞、ダゲン・ニエター紙4月11日版に掲載されたものである。この記事はオリー・ローゼンボーグにより書かれ、ジョー・バラセックにより英訳された。
カリード・バヨミは、ランド大学で10年間、中近東問題について研究し教鞭をとった。彼はこのインタビューを広範に広めることを許可している。

http://www.dn.se/
*上記はダゲン・ニエターのURL(スウェーデン語)

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■バグダードの目撃者■パレスチナ・フォーラムMLから

米国のCIAと海兵隊はバグダード中央刑務所を解放し、収容されている刑事犯や窃盗犯に略奪や暴動をそそのかす。

弾幕のごとくイラクから日々伝えられるニュースがパレスチナや他のアラブの国々で観察している人に伝えられるにつれて、イラクの国の象徴や大学さらに歴史というものが汚され略奪されているのを見ることに多くの人々は深い悲しみと苦痛を感じている。現在、アラブ世界ではアメリカ占領軍が意図的にイラクの多くの都市において、この無法状態、無秩序状態をそそのかしているというは常識的になっている。

イラクで現在進行していることに関するアラブのメディアからのニュースを観察するとそれは他の国際的な情報筋特にアメリカのメディアからのものと異なる。

略奪が行われているときに撮影されたアルジャジーラTVでは一人のバグダード住民がインタビューで、アメリカ海兵隊とCIAの諜報員がバグダード中央刑務所の扉を開け、全ての囚人、多くは刑事犯や窃盗犯の類が解放されたと証言した。
その住民は「海兵隊が約300人の囚人を引き連れ、この政府の合同庁舎に放ち、中の全てを破壊させるのを私はこの目で見ました」とも述べた。

さらに彼は怒り、確固たる調子で次のように付け加えた。

「私たちはイラク人であることを誇りに思っています。私たちの価値観ではこのようなことは許せません。それはアメリカ兵が意図的にさせているものなのです。
イラク人はこの様な悲惨な戦争を私たちにもたらしたことで、これらの兵士達を放逐し、殺すでしょう。」

英国王立国防学研究所の所員でイラク系英国人で、最近のイラク戦争に関するゲストとして、しばしば多くのアラブ系メディアに登場しているムスタファ・アル−アンニ博士は次のように述べている。

「私たちが今見ている略奪や強奪はアメリカによって計算された政策の一つである、それは国家としてイラクに何を残すかという破壊そのものであり、イラクの人民に絶望とあきらめをもたらそうとする意図的な行動である。」

その結果、イラクの人々はアメリカによって数週間後に強制される政治体制がどんな形態であろうと容易にそれを受け入れるであろう。

彼はさらに付け加えて言う。

「私は確信しています。CIAと海兵隊はこの混沌とした状態、無政府状態に積極的に関わっていることを。アメリカ人達はバグダード中央刑務所に押し入りあらゆる種類の犯罪者を解放したのです。」

アル−アンニ博士は話を続けた。

「アメリカ人は少なくともバグダードや他の諸都市を征服した後の数日は戒厳令を引くべきでした。なぜ彼らは警察力を導入しなかったのか?彼ら(アメリカ人)が一般の人々にある程度の治安を確保する妨害に対する戦いを計画することが出来るのであれば、占領軍として国際法の下で現在占領下にある人々に基本的に必要なものや安全をもたらすのは彼らの責任ではないだろうか。」

このゲストは略奪者たちが内務省に入った場面を見て次のようにもコメントした。

「ここはとても重要な省です。ここにある記録(*が失われること)はイラクにとって大きな損失になることは確実です。今、例えばアメリカ人はどんな部外者でも連れてきて非合法的にその人をイラク市民とすることができるのです。ご覧ください。記録は破壊されつつあります。アメリカ兵は見ているだけです。また病院や大学も破壊されつつあります。それは将来アメリカの企業にその施設を好きなように再建築する契約が与えられるということなのです。それはイラクに対する広大な戦略なのです。」

2003年4月12日
B.サーメド
Reported by,B.Samed
April, 12th., 2003

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(30) イラクへ

香川県歴史博物館にて
週末、私は香川県の歴史博物館で催されている「大トルコ展」のオープニングでカーヌーン演奏をさせていただいてきました。

歴博の方々の温かい心に支えられて、本当に良い雰囲気のなかで演奏することができました。
栗林公園の新緑
雨にぬれた栗林公園の新緑の木々や瀬戸内海からの風、それになにより演奏をサポートしてくださった方々、私の演奏を聴いてくださった方々の「とてもやすらぎました」という言葉、慌ただしいなかでわざわざ交流の機会をもうけてくださったムスリムの方々とすごしたひととき、など本当に私に力を与えてくださることばかりでした。
明日イラクにむかう私に神様はなんという素晴らしいプレゼントをくださったのかと、感謝の気持ちでいっぱいです。

常に神さまの方をむいて生活する中に偶然というものは存在しない、と私は信じて生きてきました。
世の中がこのように、世界規模での戦争の方向になだれをうちはじめる直前に、私はイスラームを知り、入信しました。

それまでの人生で私が考えてきたことの当然の帰着点でした。この世の中にある不平等に接するたびに、堪らなく悲しい思いをしてきたわたしにとって、はじめてそこに平安を見いだすことができたのです。

それからクルアーンの勉強をはじめ、いままで読み漁ってきたどんな哲学書よりも説得力のあることを実感しました。
そのはずです。クルアーンは人間の言葉ではなく、預言者ムハンマド(彼に平安あれ)をとおして語られた神の言葉であるからです。
それまで、どんなに尊敬する哲学者の著作や宗教書を読んでもどうしても納得できなかったこの世界での疑問が納得できたのです。

それは疑問がなくなった、ということではありませんし、世の中にある矛盾にたいする答えがわかった、というようなものではないのですが、このことについては、私の宗教観に関することですのでここでは書きません。
ただ人間の目でみることができるこの世界の事象だけで物事を判断することはできない、ということは明確に感じています。

とにかく、クルアーンの勉強を始めたことも、アラビアの琴であるカーヌーンを弾くようになったことも、実際にイスラームの生活をしている人たちの国に行き、イスラームのひとりとして彼らの中で話をしたことも、イスラームを身体で感じるのに大きな影響を与えました。

それまで、私が、私が、とひとりで頑張ることばかり考えていたのですが、無理しないでできることをしていれば道は開けるし、兄弟姉妹たちも支えてくれている・・に変わっていきました。
人間がいかに弱いものであるか、でも弱いが故に神さまの愛にすがることができる、という恩恵を与えられているのだと知ることができました。

ブッシュ大統領のように自分を強いと信じているひとたちの信仰は、神さまの愛にすがるというようなものではなく、自分が神に選ばれているのだ、というような奢ったもののように思います。
それは絶対者である神にたいしての冒涜であり、信仰ではないと思うのです。

優しく聡明な友人たちが、イスラームに対する戦争のことになると、自分の内なる良心よりも西洋的な論理を必要とし始めることに驚きと失望を禁じ得ません。

すべて自分の良心と対話しようとする人は、イスラームに最も近いところにいるのですが、そこに自然な優しさのかわりに西洋的解析論をもってくることによって、すぐ近くにあるはずのイスラームが遠ざかってしまうのではないでしょうか。
理解できる範囲の知識で自分自身をなんとか説得できればいい、というものではないと思うのです。

そういう私は、もうイラクの人たちの気持ちと離れたところでこんなことを書いている苦しさの限界を感じています。書くことが何か力になっているのだろうかというむなしさにもとらわれています。
今、イラクでは、医薬品、麻酔が極端に不足している状態だということです。しかも、治安が悪く届けることが非常に難しい状態にあるそうです。

いつもいつも私を支えつづけていてくれる私の家族と私が家族だと思っている人たちを心配させるのは本当に心苦しいのですが、明日私はイラクにむかいます。イラクの人々に会いにいきたいのです。イスラームであることで私でも何か役に立てることがあるかもしれないからです。そして、今の本当のイラクの人々の状況を自分自身で確かめたいのです。信仰を通じて親交を深くさせていただいてきたジャミーラ高橋さんと中東行きをご一緒できることになりました。

アメリカがこの滅茶苦茶なイラク攻撃をはじめてからずっと私のメッセージを読んでくださることで、わたしを支えてきてくださったみなさんに、帰ってから、私の目で見たイラクをお伝えできることを願っています。
帰国日程は今のところわかりません。衛星電話を手にいれることができなかったのですが、もしなにか手段があれば中東からもメッセージを送りたいと思います。

2003.04.20 ヤスミン植月千春

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