イラク・レポート(その7)

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劣化ウラン弾廃絶!(→劣化ウラン(DU)とは)

イラク出国 

5月12日(月)
バグダードのサッダームタワー
Sさん一家はバグダードでもっとゆっくりしていくようにと言ってくださったのだけれど、私たちはシリアの様子も見たかったので、朝バグダードを発つことにした。

彼女の部屋を一緒に使わせてもらっていた次女とはとても仲良くなっていたので別れるのがつらかった。
この地域だけの電話は使えたので、滞在中何人かの彼女の友人たちとも電話で話をした。
今の、外出もままならないようなバグダードでの彼女たちの困難な生活を考えるとなおさらやるせなかった。

私は日本に帰国した後、イラクの友人たちのために何ができるのだろう。
電話は寸断されているので通じない。
何か送りたくても郵便も届かない。
また彼女たちと話そうと思えばイラクまでくるしか方法はない。
今の私にできることは、日本に帰って現在のイラクの本当の状況をひとりでもたくさんの人たちに知ってもらうことしかない。
彼女たちもそれをのぞんでいた。

こんなに長く留守にしていて仕事は大丈夫か、と心配してくださるSさん。
「さあ、もう仕事はないかもしれませんね」なんて私が答えると、「あなたはイスラームの私の家族だ。もし日本で暮らせなかったら娘さんを連れてバグダードに帰っておいで。私たちがめんどうみるから」と言ってくださる。
これが、仕事を失いアメリカの占領下で不自由な暮らしを余儀なくされているイラク人の言葉なのだ。
いかに困難な時にも神さまの恩恵を信じ、希望を失わないのがイスラームの生き方だ。

私は今度の旅で出会った人たちからどんなにたくさんの事を学び、どんなにたくさんの場所で霊的な気を感じたかしれない。
2年前、私にイスラームへの目を開かせてくださった神さまに心の底から感謝の念が溢れてくるのだった。

それでもやはり別れはつらくて、涙は見せたくなかったのに次女と抱き合って別れを告げた時我慢できなくなって泣いてしまった。
次女も涙を浮かべながら、それでも笑って「すぐまた会えるよね」と言った。
私は「インシャアッラー(神さまの御心のままに)」と答えた。

マジャリス・アル・バグダードホテルに滞在していた、人間の盾でイラク入りしていた村岸さんと、中島さんという男性の4人でGMをチャーターして出国する。
交渉しても200ドルにしかならなかったGMは贅沢ではあったけれども、女性3人はかなり疲労困憊だったし中島さんは体調を崩しているときいていたので、ほかに交渉すれば安くなるタクシーやバスという手もあったけれど、私はこのGMが妥当だと思った。

道端の人たちは両替屋さん
出発までに多少のいざこざはあったけれど、11時過ぎには無事出発することができた。
入国の時と事情は同じで、道中盗賊がでるというので休憩なしで国境近くまで突っ走る。
破壊されていないところは140キロのスピードを出して走ったので、4時半にはイラク国境に着いた。
イラク出国は簡単だったけれど、ヨルダン入国チェックがことのほか時間がかかる。
結局ヨルダンに入れたのは午後6時。
国境を越えるのに1時間半もかかってしまった。
もっともイラクに入る時もそれくらいかかったのだから同じなのだけど。

ヨルダン人の運転手は自国にはいってやっと安心したらしく、レストランで食事をとっていくと言う。
私たちはモロヘイヤスープを食べたかったので、アンマンまで我慢することにしてヨーグルトだけ食べた。

ヨルダンに入ってからアンマンまで荒野のなかに沈む夕日を見ながらまたまた走り続け、アンマンに着いたのは夜の9時半。
それでもバグダードからアンマンまで10時間ほどで着いている。
行きのボロボロタクシーは14時間以上かかったけれど、途中で車が故障したりなどというのはザラらしいので、私たちは行き帰りとも幸運であったといえるだろう。

イラク入りする前に泊まったパレスホテルにチェックインする。
ホテルのスタッフたちは無事帰ってきた私たちを見て喜んでくれた。
私たちはモロヘイヤスープを食べながら、何事もなくイラクから帰れた安心感に浸っていた。

明日はシリアに向かう予定でいる。
アメリカはイラクの要人がシリアに入国していると今度はシリアを非難し始めている。
シリアの人たちがこのことをどういうふうに受けとめているのか知りたかった。


ダマスクスにて  5月13日(火)〜15日(木)

5月13日(火)
体調を崩したママジャミーラはもうすこしアンマンに滞在して休みたそうだったけれど、私は早くシリアに入りたかったので無理を言って移動してもらう。
50ドルと高かったけれど、タクシーにホテルまできてもらってシリアに向かう。

相変わらず出国・入国には時間がかかる。
やっとシリアに入国できたと思ったら、ママジャミーラのパスポートにイミグレーションのスタンプが押されていなくてもう一度国境事務所までひきかえさなければならなかった。
なんといいかげんなイミグレーションなのだろう!

そのうえ、国境で運転手が私たちのほかにもうひとりオランダ人を乗せてしまった。
そのオランダ人に事情をきくと、彼は国境を越すライセンスを持っていないタクシーに乗ってしまい、国境で降ろされてしまったのだそうだ。
でもそれは彼の問題であり、私たちが借り切ったタクシーに運転手がなんの説明もなく他の人を乗せたことには納得がいかなかった。
そうでなくても体調の良くないママジャミーラは、スタンプの押し忘れに続くこの状況に今までになくお冠りだ。

ダマスクスのガレージに着いて、私は運転手に値引きを要求した。
私たちは2人で借り切る料金として50ドル払ったのであり、あなたがオランダ人からもらった料金は私たちに払い戻されるべきだと。
すると運転手は、彼は料金を払っていないという。
国境事務所にこのオランダ人をダマスクスまで乗せていくようにと命令されたのだという。
これにはあきれてしまった。
確かに国境を行き来しなければ生活できない運転手としては、国境事務所の命令にさからうことなど思いもよらなかったのだろうけれど、役所はなぜこうも西洋人に弱いのか。

ダマスクスで日本人がよく利用するというスルタンホテルにチェックインする。
こじんまりしたふたつ星のホテルなのだけれど、今まで泊まったどのホテルよりも清潔で快適だった。

ウマイヤ朝の首都だったダマスクスにはいたるところにモスクや教会がある。
ヒジャーズ駅という鉄道の駅がすぐそばにあった。
ヒジャーズというのは私が弾いているアラブの琴カーヌーンでも用いるアラブ音楽の旋律の名前でもある。
私はいかにもアラビア風の物悲しいヒジャーズの音階が大好きでよく使っている。

ホテルの屋上から東京に電話する。 今回旅したところはどこへ行っても風が強い。
いつも家族に電話している時、風が声を届けているような気になったものだった。

無事イラクを出国できたことで、かなり家族も安心しているようだ。
私としては無理してダマスクスまで移動してもらったママジャミーラの体調が心配ではあったけれど。
もっとも本人は以前もこんなことがあったとあまり気にしていないようで、スークに買い物にでかけましょうと言いだす。
大丈夫かなあと思ったけれど、ママジャミーラのスークでの値段交渉の腕前を知っている私としては一緒の方がありがたかった。
私はとにかく値段交渉が苦手なのだ。
「うちには子どもが10人いて生活が大変なんだよ。母親は病気でねえ」などと言われるとすぐ「ああ、そうですか」・・とおれてしまう。
今回の旅では、Sさん宅でも語り草になったママジャミーラの「ノー!ガリー!」に何度助けられたかしれない。

スークの方へ歩いていくと圧倒されそうな城塞があらわれる。
この城塞は十字軍の攻撃に備えて作られたものだ。
傑出した英雄サラディンの勇姿が脳裏をよぎる。

アーケードになっているスークの入り口を入るとそこは別世界のよう。
右も左も金銀細工や美しい布で織った織物、観光客の目をひきそうなお土産物、日用品、とにかくなんでもありそうな通りだった。
客引きをしている店員さんたちの声をやりすごして、突き当たりにあるウマイヤモスクへ。

預言者ヤフヤーの廟
世界最古のこのモスクには、アラブの英雄サラディンと預言者ヤフヤー(バプテスマのヨハネ)の廟がある。
サラート(礼拝)してからゆっくり預言者の廟のまわりをクルアーンを唱えながらまわった。
このなかにサロメが所望してやまなかった預言者の首があるのだ。(写真)

サラディンの廟の前でクルアーンを詠んでから外にでた。
新約聖書にでてくる「真っすぐな道」とウマイヤモスクの間は迷路のように小さな道がたくさんあり、スークが続いている。
いろいろなハーブや花を乾燥させたものを10種類詰め合わせてもらう。
ハーブティーとして飲むと内臓すべてに良いのだという。
家に帰ってから、このお茶をいれてテーブルの上に置いておいたら家族が飲んで「なにこれ」と吐き出しそうにしていたので、好き嫌いはあるようだ。
私は爽やかで美味しいと思うのだけど。

アラブやトルコではどこもそうだけれど、スークは本当にみていて飽きない。
日本やアメリカやヨーロッパのデパートというものが私はひどく苦手で、あっというまにめまいがしてくる。
どうしてもデパートに買い物に行かなければならない時は、後で頭痛を覚悟しなければならない。
同じように商品を売っているところなのに、どこが違うのだろう。

学生がよく利用するというレストランで夕食をとる。
安いし清潔だし、ダマスクスは空気が悪いと住んでいる人が言っていたけれど、バグダードから来た私たちにとっては本当に落ちつけるひとときだった。

5月14日(水)

ママジャミーラの体調が良くないので、申し訳ないけどひとりででかけることにする。
信用のおけないアエロフロートの帰国便をまずリコンファームしに行く。
またまたスークめぐりをして、ダマスクス特産のローズダマスクの香油を買う。
クルアーンのカセットをお店で何度も聞かせてもらって、どの詠唱も捨てがたかったのだけれどいくつか選んで買った。
歩きつかれたのでカフェで一休みしてしっかり休暇の気分に浸る。

食べられないママジャミーラのためにミネラルウォーターを買い、私も食べないでいようと思っていたのだけれど、おいしそうな焼きサンドイッチ屋さんの前を通ってしまったので誘惑に負けてしまう。

夕方ダマスクスに留学してイスラームの勉強をなさっている前野さんご夫妻がホテルを訪ねてきてくださった。
一日大事をとっていたママジャミーラも嬉しそうだった。
シリアではやはり人々はアメリカの脅しに戦々恐々としているらしく、海外から来ているひとの中には、次はシリアかと帰国してしまったひとたちもいるという。
シリアへも人間の盾としてたくさんの人たちがきてくださるでしょうか?と不安を隠しきれない様子だった。
ふつうに暮らしている人々を脅して不安にさせる権利が一体アメリカにあるのか、と腹立たしかった。

5月15日(木)

夜ホテルをチェックアウトしてダマスクス空港へ。
これから東京に帰って、ひとりでもたくさんの人に私が今のイラクで見たり聞いたりしてきた状況を伝えたい。
西洋諸国の露骨な情報操作で真実はほとんど報道されていない。
「解放に喜ぶイラクの人たち」の報道の裏は日本で私がテレビで見たものとはかけはなれていた。

パレスチナ和平交渉にしても、アッバス首相とシャロン首相、ブッシュ大統領がにこやかに握手している裏にどんな恐ろしい思惑が隠されているのだろうか。
パレスチナ側の完全な非武装を声高にかかげているが、ではなぜイスラエル側には非武装を要求しないのか。

今イラクでも市民から武器をすべてとりあげようとしているけれど、なぜアメリカ側は武装した軍隊で市民を圧迫しているのか。
反フセイン勢力であるイスラム革命最高評議会のメンバー50人を連行し、何箇所かの事務所を閉鎖したという報道は何を意味するのか。
アメリカは自分たちのいいなりになる傀儡政権だけが必要なのであり、イラクの人たちが自分たちで作っていこうとする政権など始めから認めるつもりはないのではないか。

みつからない大量破壊兵器を見つけるのに、なぜアメリカは国連査察団をうけいれようとしないのか。
アメリカ独自のやり方で、時間はかかるが大量破壊兵器を見つけて世論を納得させるなどといっているけれど、一体どういうことなのか。
サッダームフセインが国連査察を受け入れないとあれほど大騒ぎしたアメリカが、自由にどこでも探せる状態になった今、イラクを占領しているアメリカ自身が査察拒否しているのだ。

これではアメリカが今イラクで大量破壊兵器を作っていると思われてもしかたがないではないか。
あまりにも自分勝手に世界を踏みつけている大統領は、ご自分のことを「必要な時に駆けつけてほめたり叱ったりする家畜の群れを導くカウボーイ」と表現なさったときく。
一握りの特権階級にいる自分たち以外は、どうやら彼らにとっては家畜同然の存在らしい。
これはアラブの人たちだけの話ではない。
使い捨ての友人である私たち日本人にもあてはまることなのだ。
ひとりでも多くの人がよく考えてまちがったメディアに翻弄されることなく、彼らの犯した戦争犯罪を追及していくことだけが、この果てしない暴走を食いとめることになると思う。


東京にて 6月12日(木)

イラクを出国して1か月が経とうとしています。
今回ご一緒したジャミーラさんは、集まった募金を今こそイラクの人たちのために使わなくてはと、同じ思いをもつ人たちと、アンマンで医薬品を購入して11日の夜中に発つ予定で再度イラクへ向かいました。
今ごろはまたあの長い長い道のりをアンマンからバグダードにむかっているはずです。

国立民族学博物館にて
私は先週大阪の国立民族学博物館で、片倉もと子先生の講演後に、カーヌーン演奏をさせていただきました。
演奏の前に、今世界中で虐げられ、苦しめられているイスラームの兄弟・姉妹の届くことのない声を届けたいという思いで、このアラビアの琴カーヌーンを演奏しますと挨拶させていただきました。
私は、なんとかして理不尽に人権を剥奪されている同朋の苦しみを音で表現し伝えたいという思いでいっぱいでした。

今アメリカ議会では本当にイラクは大量破壊兵器をもっていたのか、という論争が活発になっています。
大量破壊兵器などあってもなくても、戦争を必要としていた人たちにとっては戦争をしかけるための単なる口実のひとつにすぎなかったのだからどうでもよいことなのでしょう。
でも、その口実のために殺されていったイラクの人たちはもどってきません。
大量に使われた劣化ウラン弾の放射能のために、これからじわじわと殺されていく人たちもたくさんいます。
議会でイラクの大量破壊兵器は戦争のための口実でしかなかったことをきちんと糾弾し、大統領の戦争犯罪が立証されなければならないと思います。

アフガニスタンでも同じことがいえます。
今日本でアフガニスタンの話などまったく報道されていませんが、あの時使われた劣化ウランは700トン程度といわれています。
アメリカに対してなにもしていないどころか、アメリカという国がどんな国なのかも知らないような、毎日の生活を考えるのがやっとの人たちのうえに、テロとの戦いという正義を理由に容赦なく爆弾を落としたのです。

今回私はイラク全土で瓦礫の山をみてきました。
どうして世界のほんの一握りの人たちの判断でこのようなことが起こり得るのか瓦礫の前で考えました。
一体どれくらいのイラクの人々がこの戦争で殺されたのか政府のないイラクには調べようもありませんし、アメリカ政府にとってイラクの人々に膨大な犠牲がでていることは興味の対象ではありません。
それどころか、自国民からどれだけの犠牲がでるかということすら意にも介していません。
今イラクに留まっている占領軍兵士たちも、湾岸戦争のときと同じような放射線や重金属汚染の影響を蒙ることになるでしょう。
彼らは、これまで被害を受けた人たち同様、将来アメリカ政府を相手に訴訟をおこすことになると思われますが、政府はまた因果関係はないと突っぱねることになるのでしょう。

一体いつまでこのようなことを続けるのでしょう?
戦争はいったん終わり、次の出番を待っています。
でも、現地での戦争は終わっていません。
イラクの人たちが、アメリカの傀儡政権ではない自分たちの政府をつくろうとすれば潰されます。
アメリカに対して何もしていないイラクの人たちは、無条件降伏させられているのです。
殺されるか言うなりになるか、ふたつにひとつの選択しかないのです。

今日本政府は、傀儡政権を是非ともはやく作りたいアメリカを援護するためにイラクに自衛隊を送ろうとしています。
アメリカを友人としている日本政府は、アメリカのいいなりになっています。
でも日本人である私たちはそのことを自覚しているでしょうか?
いつまでアメリカのいいなりになってほかの国の人々を殺すのに手を貸していくのでしょうか?
目を覚まして、私は人を殺すのは嫌だとはっきり意思表示することはできないのでしょうか。
どうぞもう一度、だれが戦争を必要としているのか考えてみてください。
終わったのだからもういいじゃない、と思わないでください。

戦争は終わっていません。
ひとつの戦争は次の戦争のための序曲です。
今私たちが、事実をしっかり知って声をあげていかなければこの流れを止めることはできません。
今この流れをとめなければ、私たちはこの仕組まれた渦から抜け出すことはできません。
平和を求める手段に戦争という選択肢は絶対にあり得ません。
ひとりひとりが真剣に平和を望むならどの戦争も避けることができると信じています。

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